緋色の夢
「香織……」
霰は後で来た香織と神崎を見て驚く。
「霰君、ちょお来て」
神崎に手を引かれ、霰は社の外へと連れていかれる。
「神崎!なんだよ!離せって」
神崎は霰の話を聞かない。
「離せって!」
霰は無理矢理手を振り、怒鳴る。
「なんなんだよ、香織もお前も。俺がどうしたって言うんだ」
神崎はじっと霰を見つめる。
「さっきのやつもだよ、酒呑童子ってなんだよ、ふざけんのもたいがいに……」
そこまで口にしたあと、霰ははっと我に返る。
「落ち着いた?」
「神崎……」
「俺にもなんのことやら。全然わからへんけど、香織ちゃんに頼まれたんや」
「何を?」
香織が神崎に頼み事なんて、珍しいと思った。だが神崎が嘘をついてるようにも思えなかった。
「霰君をな。霰を見つけたらすぐに連れていって、って言われたんや」
「……」
頭冷やせたんならええんちゃう、と肩をポンッと叩かれる。
「心配せんでも、香織ちゃんはちゃんと霰君のこと思ってくれとるで」
何故かはわからないが、神崎は霰の心を見透かしているようだった。常に余裕を保っているところを見ると、到底同い年とは思えない。
「俺、本当頼りないよな……」
霰は自嘲気味にハッと笑い、顔を覆う。
「皆そんなもんや」
そんな霰を笑うこともなく、神崎は言う。
「だから助けおうとる」
そうか。圭も、鈴も、神崎も。皆自分以外の仲間を必要とし、頼っていた。
俺も同じだと思っていたが、それは表面上だけで、心の奥底では一人で突っ走ることしか頭に無かった。
今の俺は以前のコバのようだった。
人の助けを是とせず、己のみを信じる。それはとても寂しい生き方だと改めて理解した。
「連れて帰らな怒られるかもな。でも帰る気ないやろ?ならとりあえずここで待機しとこ」
「……さんきゅ」
ー
「あのときの神子か」
「霰の血から、出てきた……?」
ははは、とあのときと変わらない笑い方で笑う。
「言ったろ。奴は鍵だ」
解釈違いを起こしていた。霰は鬼門の鍵ではなく、酒呑童子復活の鍵だった。
「そんな……」
「古き世で討たれ、適わぬ夢かと思ったが……ははは」
顔を覆い、頭を上げて笑う。
「蛟、天狗と赫夜は?」
「二人共死んじゃいねえが、ここらにはいないみたいです」
赫夜。はるか昔の月の姫。月に帰ったところで物語は終わっている。
しかし現実は違った。赫夜姫は月の姫ではなく、月の光を浴びて生まれた妖だった。
そのことに気づいた武士が討ち取ったはず。
「変な面してんじゃねえよ」
蛟は香織のもとへ歩いてくる。
香織の首を掴みながら蛟は言う。
「ふーん、お前、悪くねえな」
「何……す……の……!」
「俺がお前を妖にするっつってんだよ」
「妖な……て……なり……くない……」
私は人でありたい。人のまま、大切な人に……。霰に、想いを伝えたい。
「うるせえよ」
ビュッと刀を蛟の首の前に出す。
「香織から手ぇ離せ」
「戻ってきたんかよ、つまんねえなあ」
蛟は手を離し、酒呑童子の元へ戻っていく。
「霰どうして戻ってきたの!」
「お前が死んだら意味ねえだろ!」
香織に怒鳴り返す。
「お前は俺を止めてくれる唯一の存在だ。それに……」
俺はお前のことが好きなんだ。そんな無責任なこと、今は言えるわけなかった。
「……もう大丈夫…だ……から」
ふらっと香織が倒れる。
「香織!」
「香織ちゃん!」
神崎は戻ってきた。霰は香織を支え、横の木にもたれかかるようにして手を離す。
「香織!霰!」
「大丈夫?」
圭と鈴も走ってきた。
「香織は大丈夫だ。今は気を失ってる」
ゴッ
圭が霰を殴る。霰は殴られた反動で地面に倒れる。本気で殴られたようだった。
「お前、無茶しすぎなんだよ!」
「……」
「お前が一人いなくなったとき、香織は泣いてたんだ!真っ先に心配してた!倒れたのもお前のことを守ろうとしたからじゃねえのかよ!」
「圭!落ち着いて!」
鈴は圭を必死に止める。圭はそれに抵抗する。圭が霰に怒ることも、その圭を鈴が止めることも、初めてのことだった。
霰はただ黙って圭の話を聞いていた。
「お前が守らないとダメだろ……香織はお前のこと……」
そこまで言って、圭は鈴に強く引っ張られる。
「それは香織が直接霰に言うことでしょ」
鈴の言葉で、はっとした圭は抵抗をやめる。
「……霰、独りよがりはもうやめろよ」
「本当だな。すまなかった」
霰は圭、鈴、神崎に頭を下げる。圭はにっと笑った。
「わかったらいーんだって。殴ってごめんな」
「むしろありがとう。目ぇ覚めた」
「天真、あいつだな」
圭はじっと天真を睨む。
圭太は天真に殺された。その天真さえ乗っ取られていた。圭は誰が本当に卑劣なのか、わからないでいた。
「圭太の生まれ変わりか、お前を真っ先にぶっ殺したかったんだよ」
「とりあえず天真の身体返せよ、蛇野郎」
「俺は蛇じゃねえ!蛟だクソ野郎!」
そういうと天真から抜けて、蛟本人が出てきた。天真はそのまま倒れる。
「天真様!」
社神は倒れた天真にかけよる。鬼人も着き、全員揃った。
天真は意識を失っていた。社神は天真をそっと抱える。目には涙を溜めていた。
「よかった……天真様」
天真の目元には鱗が残ったままだった。水色の頬は少しずつ肌色に戻り、血色は元に戻る。
「社神さん、ちょっとごめんな」
神崎は天真の前にしゃがみこみ、天真の額に札を用意する。
「畏み畏みもうす。祓いたまへ、清めたまへ。守りたまへ、幸えたまへ。急急如律令」
目の下の鱗は剥がれ落ち、天真は目を覚ます。
「ん……」
「天真様……!」
社神は天真を強く抱きしめる。
「社神……」
天真は辺りを見回す。そして圭と鈴を見て、全てを思い出す。
「……そうか」
天真は懐から短刀を出し、自らに突き刺す。
「天真様!何を!」
「ひっ……」
鈴は目を背ける。天真は自刃した。
社神は慌てて天真の短刀を抑える。刀を抜いては余計に失血してしまう。抜くことは出来ないため、止めることしかできなかった。
「俺が生きていて……いいわけない」
「そんな……」
「二人にも、お前にも、本当に……悪いことをしてしまった」
「死んだらあかん」
神崎は天真にそう告げる。そして治癒用の札を出し、短刀を抜いて札を貼る。
「ほんまは戦うと思ってたから、それ用に持ってきてんけどな」
「……」
天真はぐっと下を向いている。
「俺かて君とはちゃうけど、自分の判断の過ちで村を壊滅させてしまったんや。まあ、俺の場合は即死やったから……でも、何回生まれ変わってもこれや」
千年前、かつての神崎が受けた傷を見せる。
「消えへんねん。でも生きるしかないやろ。業は背負って生きやなあかん」
霰は知らなかった。神崎がそんな考え方をしていたなんて。確かに、神崎がシダを刺して湯ノ神村は壊滅してしまった。そうでもしないと止められなかったから。
「妖に乗っ取られてた期間が長いから、普通の生活は出来へんかもしらん。それに、世の中も随分と変わったからな」
「俺は、圭太を……弟を」
圭は天真のもとに歩いていく。
「オレ今、兄ちゃんいねえんだ」
圭はにっと笑う。天真は圭の顔を見る。
「今度こそ仲良くしてくれよ、兄ちゃん」
そう言って、天真に手を伸ばす。天真は少し目を潤ませ、手を取る。
「ありがとう……圭太」
「圭だ」
「圭か……ありがとう……圭」
社神は二人の様子を見て、涙を流す。古では見れなかった光景が、時を越えて実現する。夢のような話。
「社神」
天真は社神の方を見て、彼女の名前を呼ぶ。社神は天真の、かつてのままの姿を見て、安心する。
「ありがとう……そして、本当に、不甲斐ない主で申し訳なかった」
天真は社神に謝罪をする。
「そんな!わたくしの方こそ……天真様が苦しんではるのに気づけなくて……」
「そんなことないさ」
天真の笑みは、圭太そっくりだった。鈴は天真と社神のやり取りを見て、そう思った。
「感動の再会は終わったかよ」
蛟はパチパチと手を叩きながら、そう悪態をつく。蛟こそ、天真を乗っ取り、圭太を殺した張本人である。
「ふぁ……」
酒呑童子は、呑気に欠伸をしている。
「で?今決着つけるか?」
長い舌をチロチロ出しながら、蛟は笑う。
「蛟……」
圭は鈴をかばいながら、蛟を睨みつける。
「おれの目的は知ってるやろ、かつて神子だった己なら」
酒呑童子は霰の方を指差し、そう告げる。
「……?」
「ははは、そうか、お前は何も知らされてなかったのか、哀れよの」
あざけ笑う酒呑童子に、霰は腹を立てる。
「何の話だよ」
「おれはずっと、お前の体に干渉してた」
霰はシダの記憶を思い出す。レン以外にもう一人、シダに干渉し、コバを誘発した何かがいた。それが酒呑童子だと、言う。
「黄泉の門を開けさせたのもおれだ」
蛟はニタニタと笑いながら、酒呑童子の話を聞く。
「おれは、ずっと弟を探してた」
酒呑童子は、そういってこちらにやってくる。
「茨木童子、お前のことをな」
酒呑童子は鬼人を指さし、そう言う。
「は……?」
「母上はおれを産んだあと、消えてしまった。だからおれは死んでからも、母上の行方が気になって、思念となりて母上を探した」
京の噂で、鬼の赤子の噂が流れる。
酒呑童子はそれで、母の行く末を知る。
「茨木童子、母上はお前を産み、人間に殺された」
「オレは、茨木童子じゃ、ない」
鬼人はそう言いきる。
「母上は封印を施したようじゃ」
酒呑童子はそう言うと、何かの呪を唱え始める。
唱え終えると、鬼人は倒れる。
「鬼人!大丈夫か!おい!」
霰は鬼人のもとに駆け寄り、呼びかける。薄く目を開く。
「鬼人……」
霰はバンっと跳ね除けられる。とても強い力で、霰は鳥居にぶち当たる。
「き……び……」
「おかえり、茨木童子」
酒呑童子は、にっと笑う。
「ただいま、兄様」
緋色の髪が、揺れる。