第94話 クラスタの頼み
「……助かったよ」
私は背後から影の女を刺した存在に礼を述べる。……二振りの剣を握るその存在は、人型をした白い光の塊だった。
「……長かった。3年待って、ようやく闇を殺せた」
剣を腰に装備した鞘に戻しながら白い光は声を発した。光が発した女の声に、私は聞き覚えがあった。私は彼女のことをよく知っているワケではないが、パトラーは違うだろう。彼女はこの白い光の女と、――というより、白い光の正体とは元盟友だ。
「……クラスタ、なぜここに?」
私は光に語り掛ける。声からして、この人型の白い光はクリスター政府代表クラスタのだろう。
「クリスター政府崩壊の日、私はクラスタさんと殺し合いをした」
影の女の攻撃を受けて、瀕死状態に追い込まれていたブリュンヒルデが足を引きずりながら私たちの側に歩いてくる。かなり威力の大きい雷だったのだろうな。
「私はあの日、ブリュンヒルデを瀕死に追い込んで、あらかじめ用意していた自らの分身をブリュンヒルデの記憶世界に移転させた」
白い光のクラスタが、黒い闇の消えた空を指さす。薄い赤色をした空には、無数の記憶の光が飛び交っていた。その内の1つが広がり、映像の様に何かを映し出す。
その記憶はクリスター政府崩壊の日の記憶だった。クリスター議会イースト議院本会議場の議長席前で倒れているブリュンヒルデ。その身体に左腕と右手はない。斬られた所からは、血がどくどくと流れている。そんな彼女の前に、クラスタが立つ。
「……ずっと不思議だった。ブリュンヒルデをそこまで追い込んでおきながら殺せなかったのが。――クラスタ、お前は殺さなかったんだな」
「…………」
映像の中――。クラスタは瀕死となり、気を失ったブリュンヒルデを正面から抱きしめる。そして、自身の額を弟子の額に当てる。そこから白い光が発せられる。なるほど。これで記憶世界にもう一人のクラスタを宿らせたのか。
やがて、クラスタは額を離す。ブリュンヒルデから離れようとしたとき、彼女は背後を振り返る。すぐに視線を戻し、そこから逃げ出す。彼女の後を追うのは顔色を変えたミズカ……。映像はそこまでだった。
「正直、あそこまでブリュンヒルデを追いつめる気はなかった。左腕と右手を奪ったとき、私は怖かったよ。大切な弟子を殺したんじゃないかって」
「……お前の記憶なのに、視点が第3者視点だったな。幽体離脱でもしてたのか?」
私はクラスタの側で座り込んでいるブリュンヒルデに向かって言う。彼女は少しだけ笑みを浮かべて答える。
「瀕死になると自身のマナが身体の周辺に流れ出る。あの映像は、瀕死になった私から流出したマナが見たものだろう。……まぁ、幽体離脱といえばそうなるかもな」
なるほど。よかったと言えることでもないが、結果として瀕死になったことで、この映像がブリュンヒルデの記憶世界に残った。
「クラスタ、知っているなら教えて欲しい。さっきの影は何者だ?」
私はもっとも気になっていることをぶつける。あの影はブリュンヒルデの外から来た存在だろう。何者かがブリュンヒルデに宿らせた存在であることは間違いない。
「分からない。他人の記憶世界に分身を宿らせることは、かなり高度な魔法というだけじゃなく、危険な行為だ」
「危険な行為?」
「……分身の強さや耐久時間にもよるが、いずれにしても命を大幅に削る魔法だ。マナを、命を著しく消費する」
「えっ……?」
ブリュンヒルデの顔色が変わる。彼女は勢いよく立ち上がる。
「それじゃ、クラスタさんは……!」
「ああ、私の本体はあの日から起算して、あと10年ぐらいしか生きられないだろう。数年は存在できるほどの分身を宿らせたからな」
「そんな……!」
それは衝撃的な事実だっただろう。師のクラスタは、弟子のために自分の命を削って記憶世界に分身を宿らせた。そのために彼女はもう10年ぐらいしか生きられない。すでにあの日から3年たっている。もう7年しかクラスタは――。
「だけど、後悔はない。私の最初で最後の弟子を助けられたし、それに本体の方はもうダメだろう」
「ど、どういう意味ですか!?」
「今の私は覇権喪失と裏切られたショックで心が壊れ、暴走状態にあるんじゃないか?」
「…………!」
私は否定できなかった。1ヶ月以上も前、私がヴァルハラ帝国筆頭将軍として赴いた最初のミッション場所。南シリオードのクリスタ政府首都。そこで見たのは、虚ろな目をしたクラスタだった。
「あの日、私は壊れそうな心でポートシティに向かった。たぶん、分身を作った後、私は壊れただろう。だから、お願いがある」
「た、助けるんですね! クラスタさんを!」
ブリュンヒルデは声を震わせていた。クラスタの頼みを彼女は察したらしい。口にした言葉は、クラスタの頼みを否定するもの。ブリュンヒルデの希望。――だが、光はゆっくりと首を横に振る。
「すまない。――シリオードにいるであろう私を殺してほしい」
「………!」
「攻撃型サイエンネッターとなった私は、補助型サイエンネッターのパトラーとは比べ物にならないほどの力を持っている。完成度も私の方がはるかに上だ。そんな力を持つ私が、心壊れて暴れ出したらどうなるか分かるな?」
「そんな……! イヤだ!」
ブリュンヒルデはクラスタの頼みを拒否する。師の頼みは、師の殺害。ブリュンヒルデが拒絶することは分かり切ったことだ。だから、彼女は私に頼んだのだろう。彼女の視線は私に向けられていた。
「フィルド、ダメだ! ヴァルハラ帝国の皇帝として命令する! クラスタさんに傷付けることは――」
ブリュンヒルデが私に命令を下そうとしたとき、クラスタは彼女を正面から抱きしめる。早口だった言葉が止まる。
「大丈夫。私は君の心で生きていける」
「でも……!」
「――覇権がなくても、私は幸せだ」
「…………!」
頬に涙を伝わせ、肩を震わせるブリュンヒルデ。そんな彼女を抱きしめていたクラスタは柔らかく、優しい笑みを浮かべていた。それは、シリオードにいるクラスタからは到底思い浮かべられない笑みだった――。




