必然的に出てくるモノを必死に堪えるRPG
シモネタ注意
かつて昔、昔にあった話で。トイレが面倒で小さい方をペットボトルに済ませながらゲームをするゲーマーがいた。そういう都市伝説みたいな、バカげた話を数ヶ月前聞いた時には下品な与太話! と心底呆れた気持ちが笑いに出た。あるわけがない。そこまでゲームに熱を上げるにしてもここまではない。どんなゲームか分からないけど、超えちゃいけない境界線があることは重度のゲーマーじゃない俺でも分かる。せめてオムツで済ませるべきだ。
どうして唐突にこんな下品な話が頭を過ぎったんだろうか? 理由は簡単。今の状況になってそのバカげた与太話が記憶の引き出しから出ちまったからだよ。
「~~~~ォオオオオウゥ!? ウゥ……」
そりゃもう悶えた。出そうになってるんだもん。目の前には強そうなモンスターが、俺にヘイトを向けて、お腹は膀胱が刺激されて。空間を震えさせる程に吠える。今の状況は敵だらけで、平たく言うと大ピンチ。現実逃避して関係無いことを考えたくもなるだろう、普通。
「大丈夫ですか!? 今直ぐ回復を! えいっ」
この状況で一番の敵が心配した声を掛けてきやがった。薄暗い石造りのダンジョンの中でも薄っすらと光を放つローブを着た長耳の女の子は、小柄な体と同じ身の丈の杖をこちらに振るう。緑の光が俺を包み、強張った身体をほぐしてくれる。ちょっマズッ
「やめろ!!」
「え?」
今、回復魔法を掛けられたらヤバい! 反射的に叫んだ。だのに後ろに立つ長耳はキョトンとした顔を向けやがる。普段通りならば俺が『かたじけない』と言い笑ってみせるのだが今回ばかりは事情が違う。半端に現実世界にリンクしてるものだから、今癒やされるとヤバいのだ。
「…………今! ……今、それは必要ない!」
「……はい!」
俺がタメを作って紡いだ言葉に真剣味を感じて頷く姿は綺麗だなとは思うが、このタメの正体をこの娘が知ったらどんな顔をするんだろうか。ダンジョンの壁を弄くって人型にしたような巨大な石人形――ゴーレム――を目の前に、深く息を吐き大剣を正面に構えた途端、頭がスッと冷める。スキル『青眼』の幾度と使った時に走る冷たい感覚。冷静になって出来たスキマに、ログインするまでの記憶が展開される。
「しゃあ! 学校終わり!」
まず、始業式が終わり、教室から通学路、自宅、俺の部屋まで飛ぶようなスピードで駆け抜けた後、思いのまま叫んだ。返されるような妹の壁ドンをシカト。パソコンを起こし、教科書で重みが増したカバンを投げ、いそいそと制服を脱ぎ部屋着を着る。黒のTシャツと使い古されたスウェットとは六年の付き合いで、これを来てアンタは生まれたんだよと冗談言われても本気にとってしまうだろうフィット感。
同じぐらいの付き合いのメッシュチェアに腰掛けて足元に飲み干してそのままにしてある飲み口の太いペットボトルを足で弄びながら、バイザー付きの仰々しいヘッドホンといった趣の機械を被る。この手のハードの発売当初は重い、熱い、死ぬとボロクソにニュースのコメント欄や、匿名掲示板等で叩かれていて、今やゲームハード市場では数十年経っても冷めぬ大ブームとなっているとは自分じゃ想像出来なかった。とゲーマーの爺ちゃんは自宅に届いたコレを見てしみじみと語っていた。
このハード、『|エクシードプレーヤー(EP)』は日本の誇るド変態企業『ヒガシ社』から『パソコンに接続することで計算能力を劇的にアップ! 真の架空世界を貴方に!』という数十年前のスパムメール並の怪しい謳い文句で出されたが、結果は驚くこと空前絶後の大ヒット。要因は勿論このスパムでは無く、ハードの性能を魅せつけるために制作されたオンラインゲーム、『|ドリーム・リンク・ファンタジーワールド(DLF)』が大部分だ、と俺は思ってる。
DLFとの出会いは、苦しかった受験も終わった自分へのご褒美に、春にイベント会場で行われたゲームショウに行ったのがきっかけだった。業界がこぞってバーチャル、バーチャルで飽和状態の会場で各々の企業がソフトの魅力を壮大なスクリーンで見せる中、異彩を放つ企業が一つ。正確には目を背けたくなる程の企業、が近い。
御座を敷き例のハードをスクリーンも無しにただ晒している様を見た時にはその場で腹を抱えて笑った。大笑いしたが最後、強制的に機器を被らされてから、帰るまで終始フニャフニャしていてキモかったと我が妹は言う。秋の展示会に出展した時は、機材が並ぶ御座からフニャフニャした連中が工場ラインの様になった画像や動画がネットに上がり、さながら衝撃的ビフォーアフターと話題沸騰。
かくして、宣伝が大成功した変態企業はスポンサー達の心をガッチリ掴んだが、それで融資された途方も無い程の予算を宣伝等に使わず、ゲーム開発の全てにつぎ込んだのはいずれ後世の伝説になるだろう。そして、かなりのスピードでα、βとテストが進み、正式サービスが今年の3月開始、といった運びだ。ゲーム、ゲームハードのクオリティ以外がクソにも程がある企業、という某匿名掲示板の匿名ユーザーの飾り気のない寸評が全てといっても良い。
実にありがたいことに、企業が『いい客寄せパンダになってくれたから』とβテストに俺は参加させてもらった。その時にハードと接続対応PCをまとめて送ってきやがった時は『だから商売下手なんだよ』と嬉しさまじりに毒を吐いた。機材含めて着払いだと気付いた時に、強い毒をクソ企業に対してダイレクトメールの形に固めて送ってやった。この企業は、オチを付けなきゃ気がすまないと先の寸評に付け加えて置きたい。
兎も角、俺はこのDLFを起動するまでに気付くべきだったのだ。今日、トイレをしたか、又は、尿意は無いか。子供でも分かるような、下らない、くっだらないことで今の俺は――!
「きゃあっ!」
異性特有の甘く優しい声がメット越しに耳朶を打ち現在に引き戻される。人が回想で紛らわそうとしてるというのに! 石人形の無骨な腕が仲間のヒーラーに振り下ろされる前にゲーム毎に幾度と設定したマクロを実行する。剣を勢い良く振り上げるのが『八双の構え』、その後大きく叫び袈裟懸けに斬るのが『ポーズブレイク』。いずれも前衛職から愛されているスキルだ。
「喰らえィ!!」
硬い石を打った感触が腕を痺れさせるが、その甲斐あって石人形の体勢を崩すことに成功する。感覚のオンオフを設定することは出来る。当然痛みが来るのは嫌いだし、オフにしたいのだが攻撃が当たった感触が無いと戦闘面で都合が悪い。それについては今説明してる場合じゃない――!
「……フゥ……フゥ……ア゛アァ!」
「ほ……ホントに大丈夫なんですか!?」
「………………大丈夫だとッ、言っている!」
「そんな…………こんな、酷い状態で私を守ろうと……!?」
うるさい、シリアスな空気にしようとするんじゃない! スキルの付与効果で崩れる形を石人形――ゴーレム――が形を留めようと努力するのと同じく、俺もまた迫り来る尿意を抑えようと努力し力を入れているのだ。絵面は美麗なゲームのムービーの様だが、その実はお下劣もいいところだ。問題を打開すべく、思考を張り巡らせる。今年で17だぞ。オモラシはとうに卒業しただろうが。考えろ、考えるんだ俺――!
「……俺が惹きつけている内に、イ゛ッ!? 逃げろ!」
そうだ、先に死に戻ろう! その前に仲間のこの子を格好良く俺から遠ざけてゲームを強制中断、でもって速攻トイレに駆け込めばハッピーエンドだ! 中断の間は棒立ちになる為に、モブの攻撃による死は避けられないだろう。だが、レベルダウン、装備アイテムの喪失は、心の痛みより軽い!
「できません!!」
「なっ!?」
「見殺しになんて、絶対にしません!! 生きて、……生きて帰りましょう!」
こちとら死にたがってんのによぉ! 困ったことに大声が周りの探索しているプレイヤーに聞こえたようで、わらわらと集まって来た。
「何だ、今の大声!?」
「……おい、ありゃもしかして」
「間違いねぇな、お手並み拝見と行こうじゃねえか」
わらわら集まってくるだけで、決して戦いには干渉しない。状況を見れば酷い行為と見られるが、回復魔法をちょいと自分に唱えただけでも経験値、ドロップ品が分散されるこのゲームでは常識だ。不用意に助太刀した後、レアドロップをロットした日にはその場でPKされても文句は言えない。当然、集まった奴らは遠巻きに見守るだけだ。
「……あの、今戦っている真っ黒な人って誰なんですか?」
「ああ、知らねえのか。βテストからいる凄腕プレイヤーだよ。大剣が武器に、あの黒い全身鎧が特徴でな、『漆黒』って通り名で呼ばれてんだ」
集まってきた、一人のプレイヤーが囁やいたことで、本当に、本当に困ったことになった。『お手並み拝見』とかいったのが面倒見の良いことに馬鹿丁寧に解説しやがる。ほら、周りが俺をしっかりと認知したせいで死にづらくなったじゃんか! もう! 万一こんなモブにやられてプリケツ晒してやんのー、とかキャプションを入れられたスクショや動画を板に晒された日には憤死するぞ。
「そんな……! 何で、私なんかの為にここまで!」
仲間の白いローブの子は長い金髪を揺らし身体一杯に悲しみを表現する。俺みたいなロールプレイだと思うだろ? 素なんだぜ、コレ。俺がシモの事情で悶えるのは、元を辿ればこの娘が原因なんだ。気を紛らわしがてら回想を追って説明するとしよう。
彼女とDLFで知り合ったのは、サービスが開始された春休み初日。待ちに待ってロールアウトされたゲーム初日のリロード合戦の勝者達が、各々のプレイスタイルを取り楽しんでいる。一番楽しいであろう時に会った。
ファンタジー世界をバーチャルで体感する、という経験はVRハードが普及した今では初めてでは無いが、DLFのそれは桁違いの完成度。クリエイトしたキャラクターが自分自身だと錯覚してしまう。どんなチビスケが視点を高くしても。ガリガリが腕を太くしても。男が女になって体感したとしても違和感を露にも覚えない。私はこのアバターとの不思議な一体感に、βテストを経た今も慣れない。経験の無いプレイヤー諸君にならわかってくれると思う。VR特有のギャップがDLFには無い。かつて大昔のゲーマーが夢想した現実世界のような架空空間はDLFが完璧に再現した。降りた街の活気が風となって頬を撫ぜ、プレイヤー達は言葉にならない高揚感を煽る。とはネットに上げられていたゲーム廃人のプレイレポートから抜粋した一文である。
脅威の再現度に興奮さめやらぬ、といった具合で散策するプレイヤーが大半の中。俺は狩場を確保しようと街門まで走ろうとしたが、途中でプレイヤーの一人にぶつかった。白い子がそのプレイヤーである。「キャッ」と声を上げて倒れたものだから、俺は紳士的に手を差し伸べる。運動神経が高いようで、ヒョイと身体のバネで立ち上がった。
「すまない、怪我はないか?」
「はい、ちょっと感動して立ったままでした。スミマセン」
「いや、始めた時は俺も感動した。無理もない」
「こういう……バーチャル? ゲームは初めてなんですけど。その……スゴいですね。それしか言えないです」
キレーな容姿だな、というのが第一印象。でキレーな声だな、というのが第二印象。アバターも声も結構勝手にいじれるじゃん、なら作り物の線もあるんじゃねえの? と疑問を覚えるだろうが、DLFの厄介な所はそのいじくれるという点で。理想のアバターを作るのに丸数ヶ月かかってもおかしくないくらい凝ることが出来る。理想の顔、理想の体型、理想の声。いずれか一つに拘りを持ったが最後、一日が終わる。
そういう背景もあり、目の前の娘は相当な食わせ者でない限りガチの初心者だろうな、とアタリをつける。種族にエルフをなんとなく選択し、俺のように面倒くさがってアバターをちょっと変えて後はそのまんまにしたと見える。この子が変えたとしたら髪の色ぐらいか。
「……なんなら、案内するぞ。はじめにどうしたら良いかぐらいなら、教えられる」
「や、その……いいんですか? 迷惑だったりしません?」
「教えるのが俺の趣味だ」
「プフッ」
吹き出した声も可愛いなぁ。とほっこりした。風は今彼女を中心に吹いているんだなぁ、と内心アホなことを考えた。
それががきっかけで、晴れて俺は可愛い娘とフレンドになり、偶につるんでレベリングやイベントに参加する仲にまでなって、今日は楽しいダンジョン探索。どこかでロールプレイから素になろうと思ったが、仲良くなれたのにいきなり距離感変わると戸惑うよな、とか素の自分に惹かれるかもとかヘタレて今日まで来てしまった。下心満載と言わば笑え。しょうがないだろ、可愛いんだから。ああ、風が吹く云々で膀胱が疼いてきた。現実に引き戻されてしまう。
「……男の、男の意地がある!!」
必死こいた返答は俺自身も鬼気迫るものだな、と驚く。俺ってばこんなドスの効いた声出せたのね。今ばっかりは洒落にならないのでこの娘にはさっさと逃げて欲しいのだが。どうせ叶わないのだろう。
「……ッ! 私も退きません! 戦って、勝ちます!」
とか涙を湛えて熱い言葉を叫ぶ。ギャラリーも気合の入ったロールプレイだな、と感心するばかりで手に負えない。きっとスクショが撮られてる。動画もだ。地の文の割に俺の口調が不器用な武人風なのは、俺はDLFでは所謂徹底したロールプレイヤーで通っているからだ。それでこれも俺が構成した寸劇、とギャラリー達は捉えているだろう。その実、寸劇のつもりは欠片も無いし、尿意が迫る今ギャラリー共は邪魔に等しい。
「……まるで聖女だな」
「…………ホントね」
俺の膀胱が尿を湛えている中に聖女爆誕。このエピソードをお漏らしで印象付けるのは余りに忍びない。彼女は真剣に物事を考えすぎるきらいがある。もし俺がお漏らしをしたらその時点でシリアスな雰囲気を醸し出す彼女の前で自分の心を保てなくなり、頭がおかしくなって死ぬ。
トイレに行ってる間に二人まとめて死ぬ場合も、エピソードにケチが付くので可哀想だ。純粋なこの子がこのゲームに抱く夢を壊しかねない。思考速度にギアがかかる。そろそろ限界を迎えるな、と諦めに近い感情が湧いた時である。稲妻のように作戦が俺の頭へ落ちた。……よし! 作戦Aだ。頭の端にチャートを思い浮かべる。
「早く……逃げろッ! 俺を、抑えている内に――ッ!!」
「――――しっ、しっこく、さん?」
歯を強く食いしばり、物理ダメージを軽減するスキル『不屈の闘志』を起動。視界の端にオプション画面オープン。緊急中断と強く、より深く意識する。視界が迷宮とゴーレムから自室とモニターへ徐々に変わっていく。震える指でハードの配線を引っこ抜く。これでアバターは棒立ち。死ぬ前に用を済ませる。
中断中はゲームの視界がバイザーに薄っすら映るようになっている。現実世界の視界を確保したはいいが、敵はもう目の前。振り下ろされるゴーレムの拳に痛みは感じないが、右下のゲージが3分の1削られた。乱数、クリティカルを加味すると最悪あと1発喰らえば、俺のHPは0になる。
時間内に決着を付けなければ。ドアを開ける。激しく階段を降り、洗面所に。トイレへと至る道だ。ガン! と乱暴に戸を開けた先にイレギュラーが発生。バイザーに映っているゴーレムの土色と、綺麗な肌色が見事に重なる。いや、これは見事だ。何年ぶりか。
「…………は? ちょ、え? ……何!?」
「……あー、あーーー、えーー」
「出てけッ!!」
「ごめンッ!」
どうも妹様が服を脱ぐ途中に入ってしまったようだった。作戦D――電撃雉撃ち――は大失敗。ゴーレムの石柱の如き足と、妹様の細いけれど超強靭なおみ足がダブる。洗面所から俺が飛び出す。為す術もなく崩れる俺に、ゲーム画面から悲痛な声が上がる。おのれ、全面的に悪いのは俺なのだが昼間から風呂とは。ヤツは源さんか。
「漆黒さん!?」
悲しきかな、中断中はチャットが出来ない。内蔵バッテリーはあるにはあるのだが、軽量化の為電源を抜いたら数分で事切れる。この状態でも大した電力をVRゲームというものは使うので、ほんの数分持つだけでも大したものなのだが。兎も角、俺はトイレを済ませるまで部屋には戻って来れないのだ。
さて、トイレへのルートは妹に塞がれてしまった。あの様子だと俺を警戒して、扉越しに睨んできているだろう。隣のトイレを借りるにも時間が無い。庭ですることもできるがこんなモン被って立ちションベンするのを見られたら、二度と立ち直れない傷を負う。最短動線を頭の中で弾きだそうとする中、声が聞こえる。
「す、助太刀した方がいいんじゃ……」
解説の片棒を担いだ初心者の声だ。いいぞ、やれ。ちょっと時間を稼いでくれれば、妹を言い包めてトイレを済ませられる。経験値もドロップ品も譲ってやる。ちょっとスキルを使って叩くだけだ。それだけで光明が差すんだ。
「やめときな」
「えっ!? ……でも」
「あの子の真剣な眼差しを見な! 並じゃねぇ! こいつらにとってはロールプレイは遊びじゃない、魂なんだ! もし、もし余計な茶々入れしようとするヤカラがいたら、真っ先にコイツで頭を潰すぜ」
俺は真っ先にアンタを潰してやりたいよ。差し掛けた光明は見知らぬ面倒見の良い人に遮られてしまった。もう手詰まりだ。チェックを連続で差されたチェスプレーヤーの心境だ。もうそろ17に成る身でお漏らししてしまうのだ。
「諦めないで!!」
つんざくような大声が聞こえる。あの娘の声だ。ここまで叫ぶことは、見たことがない。
「どうして、どうして立ったままなんですか!? あなたは、どんな時にも諦めない、優しくって強い人です! 初めて会った時から、今も変わりありません!」
普段の甘い、優しい声が、今の俺に勇気を与えてくれる。諦めが薄く伸びて消えていく。癒やしとは全く違う、強い活気が湧いてくる。
「私も、戦います。狙いが私に向くから駄目だって漆黒さん、タイミングを教えてくれましたっけ、えいっ」
そういって、俺に『ヒール』をかける。さすが回復職というべきか、回復量は非ダメージに対しては中々のもの。けれどもタイミングは拍子ハズレ。しかし、彼女はとうに折り込み済みだろう。大事なのはヘイトが使用者へ向くこと。鈍重そうな見た目に反して、生意気にホバー移動でターゲットとの距離を詰めやがる。急がなければ。
「大丈夫、勝てます。私の信じた、貴方なら」
天命を祈りのポーズで待つ姿はまっこと素晴らしいロールプレイと見まごうが、感情移入しやすいこの娘の素だ。ちょっと凝り性のロールプレイヤーである俺とは格が違う。だから、みんなの心を打つ。でなければ、唐突に聖女だなんて呼びやしない。危機に陥った彼女を助けるぞ。状況を打破するんだ。如何にして、彼女を助け、用を足すのか。再度思考を加速させる。シナプスが劇的に増えたように頭が冴える。一瞬の思考の果て今、最良を導き出せる!
「お、おおおお、おっ」
階段を駆け上がる毎にくる微かな振動。もう腎臓からして痛い。はたから見た俺の顔は真っ青だろう。そう思えるくらい、顔面がひんやりしている。しかし、構うものか。
「漆黒! 立つんだ!」
「お願い! 聖女様を守って!」
真っ先に潰してやりたい小憎たらしいエールも混じっているが、今はそれすらも励みになる。VITに1Pたりとも振ってない、華奢な身体で化物と相対するあの娘を見ていると、もたもたしていられない。豪腕が振り上がる。自室。接続。足元にあるペットボトル装着。再開。開門。振り下ろし。下校時のスピーディーな動きを自宅内で凝縮したような速さで最後の作戦B――ボトラー――を決行した。してしまった。開放と、喪失を、俺は同時に味わっている。
「ッ、ウォオオオラッ!」
寸での所で庇うことが出来た。ゴーレムを受け止めた剣に力を込め、押し返す。ここまで俺STR振ったっけ? と疑問がよぎるが今は目の前だけに集中しなければ。一刻も早く倒さなきゃいけない。
「……俺は今、人として踏んではいけない線を超えようとしている」
冒頭のままになるとは思わなかった。全て終わった時に、この感情がまず浮かぶ。
「もう……戻ってこれないのなら」
今、俺の心は荒みきっている。乾いた風は虚しさだ。下は嫌になるくらい涼しくなっている。こうなりゃどうにでもなれ。後のことなんて知ったことじゃない――!
「今、この一瞬だけでも輝いて見せよう!!」
『八双』発動。大剣の柄を絞るように握り、マクロに組んだ動作と口上を述べる。天を刺す刀身が強く輝く。ゴーレムも間抜けでは無く、スキルを中断させるべく重い腕で殴りつける。VLFは痛みのクオリティーも最上級だ。少なくとも、あと自分がどれだけ痛めつけられたら死ぬ、とかの微妙なダメージ量が分かるくらいに。一発受ける。もう一発。構え中に付与されるアーマーは姿勢を維持し中断を無効するだけで、痛みはそのまま届けられる。数ドット分の体力が残された中、やっとのことでスキルが発動する。
「渾身の一撃!!」
ウォン、と剣が唸り、ゴーレムの身体を粉々に砕く。漸く、漸くこの短く、かつ長い戦いが終わった実感が出た。失ったものは重い代償だが、隣に立つこの子の笑顔があればチャラになるだろう。そう、一瞬だけでも思わせる魅力的な笑顔だ。一瞬だけで、二度とこんな無茶はゴメンだ。そんな意思を込めて、石の間に覗く土に大剣を突き刺した。
「……すげぇよ! ファンになったぜ!」
「スゴい、演出だった」
「またやってくれよ! 真っ先に見に来るぜ! じゃあな!」
二度とやらないというに。そしてお前は二度と俺のいる場に立ち会わないことを祈る。ギャラリーがこちらに手を振りダンジョンから去る。全て終わったと思うと全身から力が抜けて、仰向けに倒れる。低HPの影響で身体が怠く、瞼が重い。この子は笑顔でこちらを見下ろしてきた。嬉しいアングルと、怠い感覚にジレンマを抱えて口を開く。
「回復魔法、頼む。無理なら、ポーチのポットを」
「ヤです」
即座に笑顔のまま要求を跳ね除けられる。早く安全区域でログアウトして、ペットボトルを処分したいのだ。恨みを持った妹、勝手に部屋に上がってくるじーちゃんと、我が家は敵だらけなのだ。どう隠滅するか賢く考えるメットの中の頭は未だにフル回転。処分するまでが作戦Bだと俺は今一度考える。
「そういえば、兜を被っちゃってから素顔を見てないですね」
この困ったちゃんは動けないのをいいことにイタズラしようという魂胆らしい。まずいな、今の俺の顔はとても見せられる表情をしていない。別段整ってない顔は、歪んでも何ともいえない顔をしている。彼女程の容姿であれば勿論話は別だ。頭を膝に乗せ、ん~しょ、と華奢な腕を駆使し黒塗りの兜を外す。
「よっ、と。重いですね、コレ」
やあらかい。兜の太腿の感触に、俺は真顔になった。ローブから覗かせる紺のスカート越しの感触だが、前提としてVRゲームなのだが。伝わるしっとりとした感触はペットボトルを記憶からぶっ飛ばす。知らなかった。美人の異性の膝枕は記憶抹消装置だったのだ。
「戻れますよ」
太腿型ニューラライザー搭載系聖女は頭を撫でて静かに語らう。戻るって何にさ。俺がボトラーじゃなかった過去にか? どだい無理だよ!
「もう戻って来ることは無いだろう、それだけのことをやった」
「一線を超えて、向こう側に行っても。私がその度引っ張り上げます」
何故、ギャラリーもいないこの後に及んでロールプレイをするのか。そりゃこの娘とこうしていると楽しいからというのも勿論だが、それ以上に目の前ではカッコの良い役を被っていたいのが一番だ。結果、俺は彼女の為にボトラーになった。これは箱に仕舞って墓まで持ってくつもりだ。
聖女のウラにボトラー在り! じゃ格好悪いじゃないか。ここまで来たら彼女と手を切る最後までロールしてみせよう。漆黒なんて勢いで付けた名前もそんな役割を果たせりゃ冥利に尽きる。太腿の感触は名残惜しいがきっちりこの娘と別れ、この場で起きた事に口を噤もう。本音を言えば、この娘の姿を見るたびにボトルのことを想起しそうになりそうで怖い。
「君の為にやらなきゃいけないことだ。機会があれば会えるだろう」
あと、早いところ証拠隠滅したい。このタイミング彼女のゲーム上の名声を守ることと、俺が現実世界で都市伝説と化するのを防ぐことは、両立できる。自然回復で疲労状態は解けた。安全区域でさっさとログアウトしようと、膝枕にお別れを告げようと身体を起こそうとした。
白で視界が、甘い匂いで鼻腔が一杯になった。一瞬何が何だか分からなかったが、人並みな16歳ならば、だれもが分かることだった。少なくとも俺は分かる。膝枕で固定した頭を、抱きしめて固定しているのだ。息が出来ず苦しい。
「駄目です!」
「ん゛ん゛~~!」
イヤイヤ、と身体を左右に振るおかげで僅かなスキマから呼吸が出来るが、また塞がれる。もがく姿を見て楽しむサディストじゃないのかと思う。天国と地獄を両方味わってるこちらへ、Bの次はMに覚醒しろというのか! なんて女だ!
「離れたがっている内には、離しませんから!」
本気で抵抗すればエスケープできる。しかし、このデスロックは無理だ。勝てるわけがない。親父でも勝てるかどうか。
「ファ、ファヒッファ!」
息も絶え絶えといったところで俺は負けた。高2の決意なんてそんなものだ。強い力の前で揺れてしまう、弱い魂の炎。だが、そこから何かを得てその決意は強度を増す。揺れる、そう、魂を揺らす風が今、俺を強くした。決して胸部に負けたわけでは無い。いや、胸部に塗り替えられたのだ。俺と俺の妹が決して持ち得ない物だ。片や性別上、片や発育事情。
多分、いや絶対に世界一受けていたい地獄を味わった俺は、これを糧にまた進む。今ちょうど隣にいる、魔性の聖女と共に。
目が醒める。大人の階段を登った気がする。進んだボーイにとっては膝枕おっぱい固めで技有りなんざ他愛の無いことだが、俺にとっては偉大な第一歩だ。成長の一端を見せる為、手始めにペットボトルを片付けようじゃないか。最後の姿勢は、右にスウェットのゴムからズリ下ろした物をペットボトルの口に入れていた。ここで考える。俺はログアウトする前に何をされた何がどんな状態になったか。それはどのタイミングだったか。考えてももう遅かった。俺は、都市伝説にすら慣れなかった半端者だった。目の前に映る逆さのペットボトルが服を濡らす。
冷たい感触に涙を流したくなるのを必死に堪えて、俺は洗面所に用意したバケツに6年来の相棒達と、下着をぶち込む。丹念に洗う。仕切り直しだ。部屋の掃除の前に、身を清めよう。そう思い風呂の戸を開ける。俺というヤツは心が成長しても学習能力という物に欠けていたようで。いや、すっかり忘れていたのだ。余りにシリアスな展開だったもので。
「…………何か、言うことある?」
「6年ぶりに、裸の付き合いでも「死ネッ!」ア゛ァッ゛痛!?」
兄の優しさに応えてくれる妹はもう死んだ。今日はゴーレムの攻撃よりも、妹の殴る投げる極めるなどの暴行にむせび泣く一日だった。非常な現実を受け止め堪え、いずれ出てくるモノを堪えながら闘った。それが涙か、小便かはともかく、俺だけが選択するは確かなのだ。くそったれ。
俺はパンッ! とスウェットの皺を伸ばす。明日が良い日になると信じて。
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