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第3話 双戦場



 右手には丈の短い草が覆う、豊穣の丘。

 左手には広々とした川に、大人十人が手を広げてもまだ足りない大きな橋がかかっている。

それも、鉱山で取れる鉄で補強してある頑丈な物だ。手入れさえ怠らなければ数十年は使える代物だろう。

 しかし今、橋は中央で真っ二つに割られ、鎖によって頭上に高々と掲げられていた。

 脇には木材を組んだ簡素な掘っ立て小屋があり、そこからディオの声が聞こえている。

「なぁ、頼むよ。俺たちにはもう帰る家がないんだ。おっさんにも人の心があるならさぁ……」

 正確には帰る家がないわけではないが、ディオの言も当たらずとも遠からず。半分以上、家出と変わりなく出てきたのだから。

「なるほど、事情はよくわかった」

 それを受け、野太い声が答える。

「だが戦争中は何人たりとも部外者を入れるわけにはいかん」

「だ、だから、さっきから言ってるだろ!?  俺たちには帰る家がもうないんだっつの!」

「その話はさっきも聞いたぞ! 俺はここの門番だって言ってるだろうが!」

 いつまでも続きそうなやり取りにため息をつくと、川の魚が呆れたように跳ねた。


――双戦場


 丘には懐かしい緑の匂いと、色とりどりの花が飽きるほどに満ちている。

 しかし向かい風が強いために空気は香りではなく爽やかな清涼感のみを運んでくる。

 こんな澄んだ冷たい空気は金を払っても味わえないだろう。

しばらく深呼吸を繰り返して、目の前の風景に心を寄せていると、

「うおーい」

 どうやら、話が着いたらしく、ディオがこちらに手を振りながら歩いてくる。

――ずいぶん長く話こんでいたようだけど。

 草地から腰を上げ、遅かったことに文句を言うと、ディオはきまずそうに頭を掻いた。

「いいじゃん、通れるんだからよ。っていうか、また寝てたんじゃねぇの?」

 そこまで自分は寝ぼすけではないと口を尖らせる。

 それにしても無事に通り抜けできるとは意外だった。外で聞いていた限りでは、あまり交渉の雲行きは良くなかったのだが。

「ああ、適当に話でっち上げただけだけど。まず、俺とお前は新しく着任してきた悪代官によって故郷を追われ、その刺客と戦いながら逃避行をしている最中で――」

――もう大体わかった。

 ずらずらと述べられる口八丁にめまいに耐えながら、なお続けようとするディオを途中で遮った。

「そうか? ここからがいい所なんだけど」

 話を止められ、ディオはきょとんとしている。この分だと、関所の門番も話を聞くのが嫌になったに違いない。

 そう軽口を叩き合っていると、掘立小屋から大柄な男がのっそりと出てきた。

 無精髭を生やした赤ら顔(酒でも飲んでいたのか?)の男で――それに、動きの緩慢さもなんとなく冬眠から目覚めたばかりの熊を彷彿とさせた。

 ちらりとこちらを一瞥して、男は大声をあげた。

「危ねぇから下がってろ。巻き込まれてミンチになっても知らねぇぞ」

「あ、ハイ! すみませーん!」

 威勢よく、はきはきとディオが答える。まったく、こういう時だけは調子がいいのだ。

 男が面倒くさそうに端のたもとにある錆びかけた鉄の輪っかを回す。

 ギ、ギ……

 錆びた部品が擦れる音がし始め、やがて、速く、大きくなっていく。

 何かが回り、巻き上げられる音が鳴り響き、それに従って橋が徐々に降りてくる。

「おおお……」

 目の前で起こった複雑な機構にディオが目を丸くして見入っている。

「なんだ、お前ら田舎者から出てきたばっかりか。こりゃ都に行ったら腰抜かすな」

 小屋から出てきた橋番が笑って言う。荒くれのような見た目だが、案外気さくな人物なのかもしれない。

「だから言っただろーが? 俺たちは故郷を悪代官に」

ディオが唇を尖らせているが、いつの間にそんな話になったのだろう。

しつこく食い下がろうとするディオを無視して、生まれた疑問を橋番にぶつけた。

 ――この橋は、どうやって上げ下げしているのだろうか。

「ん? おお、これは機械細工さ。鉄の歯車と鎖で制御しててな。遥か昔に遠くの国から技術が伝わって、って言われてるが、本当はどんなもんだかな」

 錆びた金具が立てるどこか物悲しいような音の中で聞こえるよう、橋番が大声を出した。自分の仕事に誇りを持っているのだろう。嬉々として話している。

「この国中には機械だのなんだの、もっとすげぇもんがごろごろしてるからな。外さないように顎にだけは気をつけるんだな。とりあえず――」

 それが最後の一言とばかりに、橋番はにやりと笑った。

「ようこそ、双戦場へ」

 そう言うだけ言って、さっさと小屋へと戻って行ってしまった。おおかた酒の続きでもするのだろう。

国の境目というのに、取り締まりもしないようだ。それだけ滅多に人がやってこないのだろう。

 橋に一歩を踏み出すと、大地と変わらないような安定感があった。揺れることもない。

 下を眺めると、水面に空が映っている。まるで、川の中にできた道を歩いているようだ。

 足元を流れている流れは、穏やかなもので、丘から低地へと下っているようだった。ちょうど、自分たちと同じ場所に向かっているように。

 最後に首のみを後ろに向け、ちらりと後方を見た。

遠く、故郷の方を。

「ったく――こんな何もない場所に長居も無用だし、ここからとっととオサラバしようぜ」

 ディオのやや不機嫌そうな声に、とりあえず頷いておいた。



***



「ハァ? 通行禁止って……なんでだよ!?」

 知らない言葉を始めて聞いた時のように、ディオはしばし呆気にとられていたが、すぐに食ってかかった。

 食ってかかられた年若い門番は、ひょいと肩をすくめるだけだった。門番と言ってもそう書いてあるわけでもなく、制服らしい革の防具に鳩(街の紋章であるらしい)の染抜きがあり、門の前に立っていたからそう思っただけだ。

「そう言われましても。臨時非常体勢なので私にはどうしようも。そもそも、よく橋を渡って来られましたね? 国境近くって、一番チェックが厳しいはずなんですけど」

 ディオが明らかに失策を悟った顔をしたが、ちらっと一瞥しただけなので、あまり深くは気にしていないようだ。密入国もよくあることなのかもしれない。

「ま、まぁ、細かいことは置いておくとして。なんで臨時ナントカ体制なんだよ?」

 話慣れているのか、それともただお喋りなだけか。その境目ほどの軽さで門番は話し始めた。

「あなたがたみたいな他所の国の人は知らないかもしれないですけど。今、この国は戦争中なんですよ。それも国の趨勢をかけた」

「ハァ? 戦争だぁ? どこがだよ」

 最初とまったく同じ様子でディオは聞き返した。

 ここは国境から最も近い街だ。橋を渡って整備された道を少し歩き、すぐに着くほどの近さで、おそらく隣の国からの物資の中継地点として発展したのだろう。境界線近くだけに、故郷でよく見かけた品物――ネイタルの毛や加工品まで見られた。

 ここに立ち寄った理由は二つ。

 一つは食糧や消耗品など旅の準備をするため。もう一つは国の様子や街道など情報を集めるため。そのどちらも人の集まるところに行けば条件は簡単に満たされる。

日常品を扱う店を覗きながら情報を集めようとしたが、なぜかどこも人気がなく、閉まっている店がほとんどだった。やっと見つけた兵士らしき若者に話しかけて早々にこう言われたのである。

だが、ディオの言うことにも一理ある。

この国に足を踏み入れて半刻ほどしか経っていないが、街のどこを見ようとも戦争中という雰囲気ではない。

現に今も子供たちが近くで遊び、婦人が井戸端会議に花を咲かせている。

いかなる景色を切り取ろうとも、まったくの平和そのものである。

ディオの怪しむような視線をものともせず、若者はひょいと肩をすくめた。

「よくあることですから。普通は一年に一回あるかどうか。多い時は三か月に一回くらいの割合で戦争になりますよ」

――そんなに戦争を?

 ごく当たり前のように言うが、それは容易には信じられないことだ。

 力づくで相手を征服するなど、食べ物もあり、穏和な人々が住む豊穣の角では考えられないことだった。そもそも、する必要がないのだ。

 初めに聞いた時はその名前を奇異に思ったが、『双戦場』とは伊達ではないらしい。

「なぁ、戦争って何してるんだ?」

 ディオが気になってきたのか、興味津々の様子で尋ねている。

 確かに、故郷は争い事といえば、夕食のシチューに入っている具の取り合いくらいしか原因がないほど平和だったが……。

 ――あまり争い事はしない方がいいのではないだろうか?

「固いこと言うなって。どうせここで足止めされんだから、ちょっとはヒマつぶしのタネくらいあったって罰は当たらねぇよ」

 耳打ちしたのだが、ディオは適当に手を振って誤魔化した。

既にただの野次馬となっている。

「戦争って言っても、別に大人数がぶつかるわけじゃないです。昔はそうしてたらしいんですけど、効率が悪いですし。今では各地域の代表が決闘して勝敗を決めてるんですよ」

「決闘!?」

 ずい、と身を乗り出してディオが目を輝かせた。

 門番はそれを嫌がって一歩引きながら、さらに続ける。

「で、最後の決戦は都の闘技場で行われて、国中から人が集まったり、外の国から観光客が来たり、お祭り騒ぎみたいなもんすよ」

「闘技場!? 祭り!?」

 ――……ディオ

 いちいち食いつくディオに苦々しく声を掛ける。

「だってよ国中から人が集まってんだろ? なら情報も集めやすそうだろ? 成り行きで国境越えして情報が行き詰ってんだからよ。ここらで一発、でかい街にでも行くべきだと考えてんだよ、うん」

 まともそうな事を言いながらも、目がまったく子供のそれになっている。

 そう言い訳がましく言ってはいるが。

――本当の理由は?

「いや、ほら、国で一番強い奴を決めるってことだろ? んなもん、燃えるじゃん?」

 ――…………。

「いや、んな怒んなって!」

 そのやり取りを見てたのか見ていなかったのか、門番が唐突に口を挟んできた。

「あ、でもぉ、本当に公開されるのは決勝だけで、他は混乱が起きないように交通が制限されてますよ? だからこその臨時非常体勢ですし。門の封鎖が解けてから出ても、もう試合は終わってるはずですけど。ここ、本当に田舎の方なんで、みんな先週くらいから待ちを出ちゃうんです」

 なるほど、と内心で呟く。

 店が開いておらず人の気配が少ないと思えば、皆が観光目的で家を留守にしているからなのだろう。物の流通も滞り、どうりで豊穣の角のものばかり見たと思った。

「……そういうことは早く言え」

「はぁ、すみませんです」

 あっけらかんと言う門番に、ディオはがっかりした様子で肩を落とした。

「なんだよー、せっかく祭りに参加できると思ったのによー」

 よほど楽しみにしていたのだろう、しばらくは愚痴が続きそうだ。

 と。

 なにやら通りの方が騒がしい。

 開いている店こそ少ないが、かといって人通りがなかったわけではない。

 振り返って見ると、新たな闖入者たちが声高に何かを叫んでいるらしい。

「フリジア領主家の馬車だ、道を開けろ!」

どうやら立派な服装をした男たちが住人を道の端に避けさせ、道を開けさせているようだった。

「なんだぁ?」

 ディオが迷惑そうに言う。

元より、人から強制されるのが嫌いなのだ。

 そうしているうちに、道の中央が綺麗に空いた状態になる。

 すると男たちの来た方向から、二頭の馬が引いている箱馬車がやってくる。

 さっき道の端に追いやったのは――街中で馬を走らせるわけにもいかないので、せめてもの親切心を出したのだろう。

 ――しかし、馬車とは。

 目を丸くしてまじまじと見つめてしまった。

 国の中で傾斜がきついためにあまり見られない馬もさることながら、それよりも箱型の車が珍しい。

 故郷ではネイタルに引かせた荷馬車に同乗することはあるが、人間を運ぶためだけに貴重な労働力である馬を使うということはない。そのため、大半は屋根のない荷車か、布の幌がついた車のどちらかだ。

 とはいえ華美な物ではなく、旅行用とでも言うべき頑丈そうな物だ。車にも御者席に屋根がついている風通しの良い物と、そっくりそのまま部屋が付いているような物の二種類があるが、これは後者だ。

 馬が引く箱部分は黒く重厚な作りで、まるで小さな家が移動しているようだ。貴重な曇り硝子の窓にはレースのカーテンが引かれており、外から中の様子をうかがう事はできない。

いずれにしても高価な品だろうが、とても近場を散歩するための馬車には見えない。

「おい。お前さ、さっき街道は封鎖されてるって言ってなかったっけ? なんで堂々と道の真ん中を馬車が走ってんだよ」

 げほっ、と馬車が立てる砂埃に軽く咳き込みながらディオが門番に問うた。

「基本はそうですけど、もちろん例外はありますよ。たとえば、国に代々仕えているような貴族なんかは、自分の領地が出した代表が勝ってるかどうか見に行かなくちゃなりませんし。たぶん、その家族かなにかじゃないんですか?」

 門番というのに、あまりやる気がないのか、投げやりに言い、門を開けるための作業を始めた。石畳を通る轍の音がうるさいほどなので、自然と声も大きくなる。

「へぇ、よっぽどお偉い貴族サマなんだろうな。俺たち通れないのにマジありえねぇな。これが住民に対する領主のココロヅカイかよ? もし移住するとしても、ここにだけはマジ住みたくねー」

 ディオが大袈裟にため息をついて首を振る。皮肉混じりというか、ただのやっかみである。もう十も下の子供でもしないような仕返しである。注意しようと口を開きかける。

 が。

 ――!

「おわっと!? げっ、なんだよ?」

 急に舞い上がった砂を吸い込み、ディオともども咳き込む。

何があったのかは知らないが、ちょうど通りかかっていた馬車が止まったようだ。

慌てて従者らしき者が駆けつけ、中の乗客と話しているようだった。

必然として馬車を見つめることとなるが、やはり大きい。小さな山が止まっているようにすら見える。ただ目の前に開かない扉があるだけで、どうしてこれほど威圧感があるのだろうか。

やがて、馬車の扉が開いた。

従者が用意した階段を、かつかつという音が響く。

 靴音を立てて登場したのはすらりとした少女だった。まだ十代半ばほどで、ディオよりは年下だろう。

長い紅茶色の髪を飾り紐で結び、肩の近くまで垂らしている。あかぎれや傷とは縁のない、白くなめらかな肌に育ちの良さが見て取れる。

馬車や従者を連れているために裕福な家の出身とわかるが、上着に乗馬服のように動きやすそうな短いスカートという服装であるところからおしとやかなお嬢様ではないことだけは確かだ。

じゃじゃ馬、と呼ばれる部類だろう。

 しばらく二人でぽかんとして見ていたが、目の前まで来た彼女はこう言った。

「なんですって?」

「へ?」

ただのやっかみに返事をされ、ディオは間の抜けた声をあげた。

「わたしは、正当な家の義務で都に行かなくちゃならないの。それを、どうして非難されなきゃいけないわけ?」

 少女は形の良い眉をぎりりと音が出そうなほどに吊り上げている。

 どうやらさきほどのディオの呟きが聞こえていたようだとわかり、ため息をついた。

 また、何やらやっかいな事に巻き込まれそうだ。

 横では明らかにしどろもどろになったディオが弁解している。

「え、いや、そういうつもりで言ったわけじゃないけど……」

「なら、どういうつもりでさっきのを言ったのかきっちりかっちり隅から隅まで説明してもらいましょうか?」

 どうやらこの少女、相当に押しが強いらしい。

 ディオはぽりぽりと頭を掻きながら生徒が教師にするように説明している。

「えーと、俺たち旅してるんだけど、ちょうど街道が封鎖されてて、だけど貴族だけ通ってもいいなんて不公平だなー……なんて」

「そう。よくわかったわ」

 少女は満足そうに頷いた。

「でも、これは義務なの。だからあれこれ言わないでちょうだい。あなたには関係ないことだから――ねぇ、ちょっと。まだ開かないわけ?」

「はい! 今しばらくお待ちください、お嬢さま」

 と、最後は傍らにいる従者に向けて文句を垂れる。どちらかというと、こちらの方が本命だったようだ。あからさまに話は終わったと言いたげな様子だ。

 その態度が気に食わなかったのだろう、ことさらに馬鹿にしたようにディオが言う。

「けっ、義務だぁ? わざわざ人の行く先遮ってまで遊びに行くのが貴族サマの義務なのかよ。俺たちは先を急いでるっつーのによ」

 と、道の石ころなど蹴飛ばしている。

まるっきり街のチンピラが喧嘩を売っているようにしか思えない。

 が、少女は怒りだすでもなく、意外そうな顔をした。

「あなたたち、今から遠出するわけ? ありえなくない?」

「え? なんで?」

 予想外の反応にディオは怒っていたのも忘れて、素直に聞き返す。

 ふと、彼女は口に指を当て、思案する様子を見せた。

「そういえばあんたら、さっき旅してるとか言ってたっけ。街道が封鎖されて困るって、都にでも行きたいわけ? ていうか、相当遠くから来たわけ? けっこう危ない目とか合った?」

「まぁそれなりに……って、てめぇには関係ないだろが」

 頷きかけた後に、ディオは慌てて否定した。否定したところで、既に答えを言ったも同然である。

 それを聞いて彼女はしばらく考え込んでいたようだが――やがてにこりと愛想の良い笑みを浮かべた。

「良ければ私が連れて行ってあげましょうか?」

「あ?」

 ディオはさながら魚が水鉄砲を食らったような顔をした。

 はぁぁぁ、とため息をついた。

「んな都合のいい話が無いのは、子供でもわかるっつの。いいか、知らない人に付いて行っちゃいけないっていうのは、物ごころついた子供なら最初に習う事なんだぞ。ひょっとしたら、育ちのいい貴族サマは習わないのかもしれないけどな」

「……なんかすっごいバカにされてる気がするんだけど?」

 少女は半眼になりながら、やれやれと首を振った。

「それに、知らない間柄なら名乗ればいいのよ。わたしはファリアリス。この地域を治めるフリジアの領主の娘よ――ほら、これで知り合いでしょ? あなたたちさえよければ都に連れて行ってあげてもいいわ。領主の娘の口利きなら、街道の封鎖も楽々突破ってワケよ。どう?」

「後で金を要求したりとかしねぇよな? 自慢じゃないが今持ち合わせが……」

「領主のわたしがお金を要求するわけないでしょ。どうせ道中退屈するんだろうから、話し相手になってちょうだい。どうせひとりも三人も変わりないわよ」

「……マジで?」

 ディオが今度こそぽかんと口を開けたまま絶句する。

 それはそうだろう。

 こんな都合の良い話は呑気な性質を持つという豊穣の角にも転がっていなかった。

「まぁ受けても受けなくてもどっちでもいいんだけど――とりあえず乗ってくれるか、そこをどくかしてくれない?」

 少女――ファリアリスに少し困ったように言われて気が付く。

 そういえば、道の中央で話し込んでいたため、馬車が通れなくなっているようである。

「……どうする?」

 ディオがくるりと振り向いてこちらに聞いてくる。

 どうやら、彼は真剣に思案しているようである。

 彼女の言葉を信じるか、自分の直感を信じるかが拮抗しているらしく、眉間に皺をよせている。

 ――どうすると言われても。

 自分としては彼女の言葉を信じても良いのではないかと思った。

これ以外に先に進む方法もなく、金銭も取らないという事であるし。

「うーん、お前が言うならそうするけどよ。なんっか引っかかるんだよなぁ……」

 ディオはまだ何やらぶつぶつ言っているが。

その後に付いて階段を昇り、慣れない馬車へと乗り込んだ。

人によっては無警戒で危ないと言われるかもしれないが――

 留まるよりも、勢いに乗ってみろ。

 それが、自分がこの旅でまず学んだものだった。

 それに。

 未知の世界に来て、少しだけわくわくしていたことも否定はできないのだった。





 馬車の旅は快適だったかと聞かれると、そうでもない。

 何より、ひどく揺れる。

 ファリアリスが上から見下ろすように腰に手を当て、嘆息をしていた。

「何よ。あんたたち、馬車に乗るの初めてなわけ?」

 いや、実際に見下ろしていたわけなのだが。

 乗った初日からひどい乗り物酔いで、ふたりして馬車の席と床に横になってしのいだ。

 夜にほうほうの体で馬車を降り、宿場町で眠りに着くときにすらまだ揺れているのではないかと錯覚してしまうほどだった。

 まったく、外の景色を楽しむ所の話ではない。

 しかし――その内に、ひどい揺れから緩やかな振動へと変わった。

 やっと起き上り、目にしたのは石が敷き詰められた広大な街道だった。

 吹き渡る風が、緑の葉を使ってさやかげに奏でる。

 街道の両脇には背の高い樹が並び、栄華を誇り立ち並ぶ、勇敢な兵たちのようだった。

 緑油樹、という名の樹であるらしく、都へと通じる街道には必ず植えられているらしい。その白みを帯びた葉が乾いた風に揺れる。揺れる。揺れる――揺れているのは馬車に乗った自分だったのだが。

 都に着いたのは、どうにかこうにかそれに慣れ始めた頃だった。



 陽気に、弾むように丸い満月が空を横切っている。

 少々気温は高めだが、国に入ってから常に吹いている風が涼気を提供していた。

 がたごとと尻を揺らす振動は、言うほど生易しいものではない。

 だが、それを忘れられるほどの光景ではあった。

「すげぇ……」

 呆けたように呟やいたディオに、嘆息をして告げる。

 ――その言葉、さっきから十回は繰り返している。

「え、そうだったか? にしても……すげぇ」

 ディオがここまで驚くのも無理はないだろう。

 整備された石畳の歩道。

 天気はよく晴れた日で、お国柄らしい強い風にあおられ雲が次々に流れて行く。

 街中には一定間隔を置いて街路樹が植えられ、木々には鮮やかな実が風に揺れている。

 何より、数えても数えても追いつかないほどの人の群れ!

ここまでの規模になると少し恐怖さえ覚える。

「ほら、だから言ったでしょ。都民でもこんな人数がいるのに、これで観光客まで来られたら溢れるわよ」

 馬車の窓に張り付いて外を眺めているこちらに、やや自慢げにファリアリス――彼女は長くてまだるっこしいのでアリスと呼べと言っていた――が解説した。

 彼女は見慣れているのか、呆気に取られているこちらをにやにやと見つめ、優越感たっぷりに背もたれにふんぞり返っている。

 馬車は、このまま彼女の館に直行する予定だ。

「な、なぁ。アリス?」

「えー? 恩人に対してその口の利き方なわけ?」

 そわそわしているディオが呼びかけたが、ファリアリスがからかうようにその小手を打つ。

 完全に手玉に取られている。

「はい、先生! 質問があります!」

「なぁに?」

 急に低姿勢になったディオが挙手をし、わくわくした面持ちで言った。

「後の見聞を広めるために帝都の見学を――」

「ダメ」

 そのままの笑顔でファリアリスは即答した。

「え、なんでだよ?」

「先にわたしの家に行くっていったでしょ。いつまでお父様待たせるつもりなの? それに――」

 そこで一旦区切り、悪戯を企む小悪魔な笑みを見せた。

「都の中なら後で嫌っていうほど回れるわよ。うん、ホントに嫌っていうほどね」

「あん?」

 眉根を寄せるディオと顔を見合わせる。

 ――なんだか、嫌な予感がする……



 馬車が止まったのは大きな邸宅が並ぶ区画だった。

 ここは人々の喧騒も届かず、林のような静けさが辺りを包んでいる。

 御者が馬車の扉を開けるのを待ってから、階段を降りる。

 到着したのは黒い屋根に白亜の壁を持つ、これまた大きな館だった。

 馬車用の大きな門をくぐると、さらによく見えてくる。

 陽光を反射する白い壁は染みひとつなく、寸分の狂いもなく真っ直ぐに積まれている。

 質実剛健を形として表現したような館である。

 門から館はそれほど長い距離があるわけではない。せいぜい小路程度の距離である。

 その短い道の両脇には色とりどりの花が咲き、単色の館に見事な彩りを添えていた。

 布細工のようにひらひらとした花弁を持つ花、菫、赤と白の混ざり合った薔薇、眠り草という名の花は眠らせる効果があるのではなく暇を持て余した眠りの神が夜の間に作り上げたという伝説からの命名だ。

 数えきれないほどの種類の花が、所狭しと顔を並べ、傍らにはそれを手入れしている庭師がいる。

樺色の粗末な服を身に付け、麦を編んだらしい日避け帽を頭に載せている。この陽気は庭いじりにはきついのか、何度もぼろ布で額をぬぐっている。さすが肉体作業であるらしく、後ろから見てもがっしりとした体格をしている――

と、男性を目にしたファリアリスの顔にみるみるうちに喜色が現れる。

「お父さま!」

 言うが早く、ばっと男性の元へと走り出す。

 それに答え、庭師がくるりと振り向いた。

「おお、ファリアリス!」

 麦わら帽をかぶった壮年の男性も快活な笑みを見せて手を振っている。

「――お父さまぁ? どう見ても庭いじりしてる普通のおっさんだよな」

 ディオがこっそり失礼なことを言う。

 ファリアリスが親しげに話しているのは人の好さそうな中年の男性だ。口ひげを生やしているのがせめてもの威厳の表れといえるかもしれない。

しかし、書架にいて仕事をしているよりも、それこそ庭で土いじりをしている方が似合う、穏和な雰囲気である。

 だが、それでも本当に領主が庭いじりをするというのは聞いたことがない。

 ふいに奇妙な言葉が聞こえてきた。

「何? いや、あれはお前の誕生日にした口約束で……それに、私の領地から出場する騎士以外で、という約束ではなかったか?」

 男性はファリアリスにせっつかれ、困惑を隠してきれていない顔をしている。

 ――一体何の約束をしたのだろうか?

 妙に落ち着かない。

 自分の知らないところで何かが動いているような……

 すると、ファリアリスは胸を張った

「そうよ! お父さま、わたしと一緒に出場する人たちだって見つけんだから。ほら!」

 と言って、指さしたのは。

「はぁ?」

 ディオの呟きが、緑風吹く初夏の空へと虚しく吸い込まれていった。

 その先にいたのは、紛れもなく悲しいほどにきっぱりと――自分たちだった。



***



「どぅいうことだよ!?」

入って早々、ディオが怒声をあげてファリアリスに詰め寄った。

 屋敷の中も外見同様に居心地のよさそうな作りとなっている。

 その部屋のひとつに案内されたが、調度品に羽毛を使ったクッションや花柄のティーカップがある事から案外ファリアリスの私室なのかもしれない。

 足元には沈みこむような赤い絨毯が敷いてあり、なんとなく落ち着かない。

 怒鳴られ、顔をしかめながらファリアリスも負けじと声を張り上げる。

「だって、あんたらからお金は取らないけど、タダで馬車乗せてご飯食べさせてあげるわけないじゃない。ちょっとわたしの代わりに試合に出るくらいいいでしょ!?」

「よかないわい! 他人を勝手に試合に出させようとしやがって――って、試合って結局、何なんだよ?」

 そこではたと気付いたらしく、ディオがぴたっと動きを止めた。

 ひょっとして、それも知らないで怒っていたのだろうか。

「そうね。チームメイトとして話しておかなくちゃ。ちょっと待ってて、お茶持ってこさせるから」

 と、部屋をさっそうと出ていく。

――また面倒な事に巻き込まれた気がする。

「俺も同じこと考えてたぜ……」

 ディオがソファに座り込んで額に手を当て、ぐったりと呟いた。



 召使いらしい女性が三人分の茶を淹れ、ファリアリスが話し始めた。

 林檎のような甘い匂いのする薬草茶をすすりながら聞く。

「試合っていうのは個人からも出れるのよ――領主が推薦する騎士はもちろんだけど、志がある人なら誰でも出れるんだから」

「お前、知ってた?」

――初耳だ。

すると、ファリアリスが当然の事のように頷いた。

「だって、話したら逃げられると思ってなにも言わなかったんだもの」

「やめろっつの、そういう詐欺師チックなやり方は! 貴族として!」

 焼き菓子をかじりながらアリスが肩をすくめた。

「別に貴族は関係ないでしょ――試合は闘技場で行われるの。集団戦、個人戦、団体戦で代表を決めて相手側の代表との最終試合で今年の勝利国が決まるわ」

「勝利国? 個人じゃなくて国同士でやり合うのかよ」

 ディオが小さなテーブルに頬杖をついて言った。

「だから隣の国と戦争中って言ってるでしょ。あんまり平和だから忘れてるだけで」

「忘れるなよ。覚えてろよ」

 ディオの呟きをファリアリスは無視して茶をすすった。

「初めは《柱》の争いから始まったらしいけど、段々とそれがエスカレートしたってわけ。全面戦争しても決着がつかないから、代わりに決闘試合をするようになったらしいわ」

「柱?」

「そうよ。ほら」

 立ち上がり、窓際に寄ってカーテンを開く。

 透き通ったガラスの向こう側から陽光が差し込む。

「あん?」

 ディオが振り返り、そこにある物を見て、言葉を失った。

 建築物群の中央に、街中にはそぐわない物が建っている。

 家々や、木々に紛れて急に巨大な柱が天に向かいそびえている。

 見上げるほどに高く、その端が見えないほどである。よく晴れて青い空である分、相当に巨大なのだろう。

「あれが《柱》よ。天を支えてるって言われてるけど、とにかく都が出来る前からあったらしいわ。ここを含めて全土に九本あるの。大昔に神様から授かったとかいう怪しい伝承があるけれど、根から泉が湧いていたり、希少な鉱物が取れたり、そうとしか思えないような力があるの」

 さっ、と窓を開けると風が吹き入り、絹のカーテンを揺らす。

「あれを取り合って試合するってこと」

「取り合うって……どうするんだよ? 持って帰れるわけねぇだろ、あんなもん」

「別にあれを担いで持って帰るわけじゃないわよ。あの九本の柱の権利を取り合って、勝った分だけ国の物になるってわけ。言っとくけど、あの柱一本で領地三つ分の価値はあるわよ」

「なるほどな――って、さらっと国の一大事に参加させてんじゃねぇよ」

 ディオがうなると、ファリアリスが肩をすくめた。

「だって、集団戦があるんだもの。わたしが貴族って知らない人なんて都にそういないし、遠慮して断っちゃうでしょ」

「だぁぁぁ、これだからお嬢サマは。お前も何か言ってやれ……って呑気に菓子食ってんじゃねぇよ!」

 ――何を言ってるんだろうか。

 ファリアリスに勧められた焼き菓子を手に、茶を飲んでいる事のどこが悪いというのだろうか。

 と。

「お嬢様! お荷物が届きましたよ」

 年配の女中が階下から呼ぶ声がする。

「はいはい、今行くわよ!」

 答えてファリアリスが立ち上がる。すたすたと前を横切る彼女に、ディオが慌てて声をかけた。

「お、おい、まだ話は終わってねぇぞ!」

「しつこいわねー。あとは晩ご飯の後にでも話しましょうよ。わたしは忙しいんだから――って言っても」

 最後に、ファリアリスはくすっと笑って締めた。

「わたしと一緒に試合に出てくれるなら、晩餐を含めて都での衣食住は保障するわよ。それとも、あんたたちに行くあてがあるなら別だけど」



「はぁ……」

館にいても何もすることがなく、近くの酒場へと足を向けることとなった。

やはり都はお祭り騒ぎで、あちこちの路端に机と椅子を並べ、簡素な日避け布を張っただけの露店が出されている。

ただ、それすらも人でごった返しているために空いている席を探すのは一苦労だった。

 他の客の飲んでいるグラスを見ると、蒸留した透き通った酒が名物らしい。

 都は馬車で見た限り小高い丘状になっていて、海から遠く隔たっているというのに、干した小魚をつまみにしているもいる。

 都はなるほど、何でもあるわけだ。

 ディオは席に座り込んでさっそく酒を注文すると、深いため息をついた。

「怪しいと思ってたんだけどよ……まさか、ここまであからさまに嵌められるとへこむよな」

 珍しく参ったように、テーブルにつっぷしている。

 頼んだはずのグラスには触りもせず、酒すら飲む気になれないらしい。

 なら、なぜ頼んだのかとも思うが、脊椎反射のように言ってしまったらしい。

「戦ったことなんてあるわけねぇだろ。善良な一般市民が武器を持って戦うのなんて、せいぜい昼メシを取りに来た隣んちの犬くらいだっつの。でも行く当てもねぇし――どうすりゃいいんだよ、この状況。どん詰まりじゃねぇか」

 琥珀色のグラスをただ眺め、ディオがぶつぶつと愚痴っぽくぼやいている。

 わかっているのだ、彼も。

この依頼――というか無理やりな注文を受けざるを得ないことを。

 路銀もなく、そもそもここが国の中のどこなのかも分からない。情報を集めに都に来たはずが、何も得られないのでは意味がない。そのためにも、なるべく滞在のための拠点は作っておきたい。

「けど、ぜーんぶ命あってのことだろが。死んじまったら彼方もなんもないだろ?」

 口を尖らせるディオの言葉に反論できず、黙りこくる。

 重苦しい雰囲気の二人組を避け、周りから次々に人がいなくなっていく。

 都は広く、行く当てのない人間には冷たくできている。

 が、ここでくだを巻いていてもしかたがないことだけはわかる。

 ふと、街全体の中心のような巨大な建造物が目に入った。

 ――ならば、柱でも見に行ってみるというのはどうだろう?

「お、そうだよな。落ち込んでても何にもならないし、ここまで来たからにはその戦賞品やらを拝んでいくか」



「おぉ……さすがにでかいな、おい」

 ディオが首を上へ向けて呟いた。

 都のどこからでも見えるため、方向さえわかれば路地を越えて辿りつくことは容易だった。

 近くに転がっているのは壊れた建物の跡やひびの入った石柱など古びた遺跡のようだ――いや、実際に遺跡なのかもしれない。

「ここは観光地かよ。人ばっかじゃねぇかよ。あーあ、来るんじゃなかったかも」

 他の客らしい人々が小冊子を抱えつつ前を横切って行くのを見送り、ディオが後ろで手を組んで嘆息した。自分も賛同したというのにこの言いざまである。自分の責任をまったく背負う気がないのか、ただ忘れているのか。

 ふいに人込みがもっとも集まっている、中心点に辿り着いた。

「お、おおー……」

 四角く区切られた通路の先に広場があり、そこに柱はあった。

柱の周りには泉のように青く透き通った水が満たされ、傍までは近づけないようだ。

 周りには通行人だけでぶつかる始末だった。

 そこも巡礼者のようにローブをまとった人々の列や、物見遊山に来た観光客らで溢れていた。柱をなるべく近くで見るために彼らは順番待ちの長い列を作っている。

 首が痛くなったので見上げるのをやめると、ディオと目があった。

「確かにすげぇけど……ただのでかい柱がそんなに偉いもんかね」

 首の後ろをほぐしながら、ありがたみの欠片も感じられない口調で言っている。

 まぁ、昔からディオはそう言った話が苦手だったため仕方がない。

「にしても、もうちっと近づけないもんかね。人が多すぎるっつの」

 などと愚痴を言って結局順番待ちの列へとチャレンジしている。

 ――興味あるのかないのか、どっちなのだろう。

 それを眺めながら小さな柱にもたれかかって少し休む。

 人が多い所は概して疲れるのだ。これだけ人数がいれば、自然と熱気がこもって息苦しい。そのせいでひどく暑く感じる。

 泉の水へと手を触れる。

 ひんやりとした冷たさとすり抜ける感触に、動いていた心が鎮まっていくのがわかる。

 水がある所は昔から落ち着く事が出来る場所だった。

 と。

「都は初めてですか?」

 唐突に話しかけられ、驚いて振り向く。

「あら、失礼しました。あまり慣れていないご様子でしたので、つい」

 そこに一人の女が立っている。

 黒髪を後ろで結い、旅装のような頭巾付きの白くゆったりとした服を身に付けている。

花のような穏やかな頬笑みだが、誰にも侵し難い気品を感じる女性だった。

「わたくしは伝道師、と言えばもっとも近いでしょうか。村から村を渡り歩き、子供には勉学を教え、大人には教えを伝えております。浅慮でしょうが、この知識の柱にあやかろうという者は少なくはありませんのよ」

 旅装の女は横に並び、柱を見上げる。

「柱は全土に九本ありますの――古神、新神、妖精、死者、小人、巨人、炎、氷――そして人間をそれぞれ表していると言われていますわ」

見た目の通りにおっとりした口調で、国の成り立ちを説明した。

 朗々と説く様は、神話の解釈をする説法師よりもずっと胸の中に入ってくる。

 そのためか、質問をしてみたくなった。

 ――なぜこんな場所に柱を作ろうと思ったのだろうか。

「こうは考えられませんか? 柱のある場所に都ができたのではなく、柱があるから都ができた」

と言って柱の元から流れ出す、清らかな流れを示す。

「この都アースヘニルにある柱は《新神》の世界を表していると言われますわ。伝説では新しき神の国からは知識を伝える水が流れている、と。神聖な水の湧き出る泉が生じるように、柱には力がありますの。例えば《小人》の柱からは特別な鉱物が採れる、などのように」

 清らかに流れる小川は、人々の顔を映す。

 自分の心もまた、その中に映り込んでいるのかもしれない。

「この国は元はひとつの大きな王国でした――しかし、多くの英雄が王国と反発し、所領をまとめた同盟を作りあげ、この国の盟主を宣言しましたわ。すると奇跡の力を持つ柱の周りで争いが起こった。多く所有していた方が有利なのは自明の理ですわよね? 積み重なる戦死者の山に辟易した両国の盟主は討議を重ね、平等に代表同士の決闘で所有を決め、その間は柱守の神官に管理を任せる事とした」

 神話の書物を澱みなく読み上げるように言葉は続く。

「それを奪い合う事はすなわち、この国を支配するのに等しい事。支配される者もまた、柱に支配されているのと同様。人の子よ、既にそれを知っていながらなぜ争うのか――と」

 そう、彼女は締めくくった。

 終わって、瞬きも忘れていたことをやっと思い出す。

 説教に聞き惚れてしまったようだ。

 と、そこでこちらの顔を覗き込んできた。

「何か悩みごとがありますわね? ふふ、隠さなくてもよろしいのですわよ。顔を見ればすぐに分かります」

 ぴたりと言い当てられ、思わず赤面する。

 そこまでわかりやすいほどだったのだろうか。

 しばらく唇に手を当て考え込んでから、にこりと微笑んだ。

「うふふ、乗りかかった船は、むしろ乗りこなして見せるのも面白いと思いますわよ」

 案外、世俗的なアドバイスにこちらが拍子抜けした顔を見せると、また笑顔を見せた。

「あなたとは近いうちにまたお会いできる気がしますわ。それを楽しみにしていますわね。では御機嫌よう」

 慌てて振り向くが、そのまま白い背は人の流れに消えていった。

 見まわしてもどこにも姿は見えない。完全に紛れてしまったようだ。

 ――今のは?

 視線を落とした水面に影が映り、戻ってきたのかと思ったが違う。

ディオだった。

「お、なんだよ。変な顔しやがって」

 ついさきほどまで会った人について話すと、なんとも奇妙な顔をした。

「そんな奴いたか? 俺とすれ違ったはずだろ? また夢でも見てたんじゃねぇの?」

 むっとして否定しようとしたが、ふと気付く。

 ――そう言えば、名前を聞くのも忘れていた。

「ほれみろ。ま、解説をするだけしていって後で金を寄こせって類じゃなくて良かったんじゃねぇの? たまにいるだろ。語りたいだけの奴って」

 本当にそうだったのだろうか?

 ――あなたとは近いうちに、またお会いできる……

 彼女の、最後の言葉が気にかかった。

 まるで、全てを知っているかのような――



***



 きっかけは朝食の席で何の気なしに呟かれた一言だった。

 結局依頼を受けることを了承し、ファリアリスの屋敷に世話になった二日目の朝。

「団体戦は四人一組なの。だから一人足りないでしょ。というわけで探してきてくれてもいいわよ」

 と欠伸を噛み殺し――どうやら朝に弱いらしい――ファリアリスは炒り卵をつつきながら言った。

「多分、そこらへんで声かければ引っかかるわよ。傭兵とか自由騎士とかけっこうこの国には多いから――と・こ・ろ・で、強そうな人にしてちょうだいよ。あとあんまりガラが悪くてむさ苦しいのはやめてよね」



「って言われたが――見つからねぇなぁ。そもそも開催の直前に探すっていう方が間違ってねぇ?」

 町中で捜索を始めて数時間――

 ファリアリス曰く、この国には騎士には領地に所属している正式な騎士と所属していない自由騎士の二種類がいるという。

 騎士は腕よりも家柄が重視され、式典の儀礼や見た目の優雅さを磨く。

 一方、自由騎士は戦や試合の時々に雇われる職業戦士は腕一本で稼いでいるため、あまり大っぴらには言えないが実力では本物より上だとも噂されている。

 その自由騎士を探してスカウトできれば話は早い。

 が、仲間探しにおいて最大の障害は都の広さだった。

 もう昼近くだというのに、まだいくつかの区画を回ったのみで――一日かけても都を回り切れるかどうか危うい。

結論として、朝から傭兵も自由騎士も一人も見かけていない。

「アリスはああ言ってたが――いねぇんじゃねぇの? 傭兵とか」

 ディオがため息をついた。既に探すのが面倒になったらしく、周りを見るのもおざなりになっている。

 しかし、もう一人を探さなければ試合に出る事もままならない。

 そうでなければ旅を続ける事も――

「はいはい……お。じゃ、あそこの酒場にでも入ってみますか」

 こちらの小言を受け流し、ディオは逃げるように近くの店へと入って行く。

 ――こういう時には調子がいいのだから。



 室内には揮発したアルコールの匂いとすえた人の匂いで満ちていた。

煙草と肉を焼く煙とで天井が白く霞み、昼間だというのに匂いの強い粗悪な酒を喉に流し込み、カードゲームに興じている者もいる。

 あまり治安のよろしくない店という事は一目瞭然だった。

 いるのは目をぎらぎらとさせた、今まで都で見たことのないような類の者たちだった。

「お、おお? なんだ、強そうな奴いるじゃん」

 ディオが落ち着きなく、きょろきょろと辺りを見まわしている。

 自分もディオもこんな店に入るのは初めてだった――もちろん故郷にこんな店があるわけもない。平和さならばどこにも負ける気がしない田舎町だった。

 剣帯を付ける、防具を付けるなどなんらかの武装をしている男たち――床に転がっていびきをかいている者や、グラスを持って大笑いしている者も含めれば十数人ほどいる。

 手始めに店の者らしき男性にディオが声をかける。

「なぁ、おっちゃん。俺ら腕に覚えがある傭兵か騎士が必要なんだけど、誰か紹介してくんない? 金払いは保障するからよ」

「はぁ? 腕に覚えがある傭兵? そんなものとっくに他に囲い込まれてるか、来てないかの二択だろうよ。街道が封鎖されてる真っ最中だしな。お蔭で店の客層がいつもの面子から変わらねぇ」

 山賊の親分といった様子のマスターは突然の申し出に額の古傷を掻きながらぼやいた。

若い時分はよほど無理をしたのかもしれない彼は、しばらく思案した後に独り言のように呟いた。

「でも、一人だけいたな、暇してる奴が。腕はいいんだろうが、別の所で問題がある奴でな。どうやら行く先々で断られちまったらしくてすねてやがる」

 というと、店の奥を指さした。

「あっちで一人で飲んでる奴だ。今、ピリピリしてやがるから気をつけろよ」

「サンキュ、じゃな♪」

 ディオがファリアリスに持たせてもらった小銭を数枚投げると、主人は応えるようにグラスを持ち上げた。礼を言って店の奥へと歩を進める。

 途中で何人か床に転がっている男たちを乗り越えて行くと、他とは異なり奥は静かな一角となっている。古い樫材のテーブルに座っている人物が主人の言う『たったひとり』なのだろうが――

 そこにいた人物を見て、目を丸くする。ディオがこっそり耳打ちした。

(おい……まさかじゃねぇけど、こいつか?)

 まごついているこちらを見て、彼女は不審げな声をあげた。

「私に何か用があるのか?」

 女性、である。

 低い声は、目の前で耳打ちされた機嫌の悪さもあったのだろう。

頭巾から覗く黒い髪を後ろで結び、同色の瞳には厳しい表情が刻まれている。

長旅に耐えてきたのだろう皮の防具を身に着け、すぐに手が届く位置に深草色のマントと細身の剣が立てかけてあるのがそれらしいと言えばそうだが、俄かには信じがたい。

少女というには落ち着いていて、年齢は恐らく二十代の初めほど。

傭兵というには若すぎると言ってもいいだろう。

「あんた、本当に傭兵か?」

 ディオも同じことを思ったのか、驚きと不審が混じった半信半疑の様子だ。

 彼女は眉ひとつ動かさずに言い、再びグラスと傾けた。淵から黄金色のとろりとした滴が零れる。香りからして、蜂蜜酒らしい。

「不躾な質問だな。それに、突然やって来て名乗りもせずにか。まずは親に礼儀くらい教わってから出直したらどうだ?」

「…………」

 にべもない言い様にディオはしばらく絶句していたが、なんとか気を取り直して口を開いた。

「俺はディオ。旅の途中だが、色々あって試合に出る腕の立つ奴を探しているんだが、あんた傭兵で暇してるんだろ? 俺たちと一緒に――」

 と、唐突に笑い声が後ろから上がった。

 手入れのされていない長髪を束ねた男が自分とディオの間に割って入った。

「おいおい、やめとけよ。そいつは雇い主に愛想を付かされたド三流――しかも金払いにうるさい『王国』の傭兵だぜ?」

 と、むっと酒の匂いのする顔を近づけてくる。

「なぁ、俺を雇えよ。どうせ後ろに貴族サマがいるんだろ? 俺だったらこいつよりも腕が立つぜ?」

「いや、別にそういうわけじゃないんすけど……はは。ただ、ちょっと皆さんお顔に威圧感があるっていうか――いやその」

 ディオが引きつった笑みを浮かべながらこの場を逃れようとしている。

なるべく穏便に済ませたいと思っているのは一目瞭然だ。

だが、その額に一筋汗が流れる。

 男の仲間以外にも、退屈していたのだろう部外者まで集まってきていた。

「あン? 俺らの言うことが聞けねぇの? 俺は、自分を売り込んでるだけだろうがよ。腕が立つのを探してるんだろ……それとも俺が弱いってか!? ああ!?」

「す、すいませんっした! だから、暴力はヤメテー!」

 いつの間にか状況が悪化し、完全に酔っぱらっている様子の男に胸倉を持ち上げられ、ディオが情けなく悲鳴をあげている。

 ことっ――

ふいに、目の前の女性が傾けていたグラスを机に置く。

そして、閉ざしていた口を開いた。

「見苦しいな」

「あん? なんか言ったかテメェ」

 問われ、彼女は酒場中によく通る声で、嘲るように言った。

「弱者をいたぶって喜ぶのは、ただ見苦しいだけだ。もっとも、自分が田舎者を貶めて満足する程度の器と知らせたいなら止めないが。貴様は弱者ではないのかもしれないが、腕が立つと主張するのはただの愚か者だ」

 長髪の男の顔にかっと血が上り、顔が赤くなる。

「はぁ? 女のクセにいきがってんじゃねぇよ! このアマ!」

持ち上げていたディオを落とし、女性に向けて拳を振りかざした。

その刹那――

 外から見た人間には、何が起こったのかわからないに違いない。

 男には若草色の布が目の前に広がったようにしか見えなかっただろう。

 広げたマントが目くらましとなり、視界を遮られた男の腹に女性の拳がめり込む。

 視界が開けた時には、すでに男は床に倒れていた。

それを止められる者はいなかった。ただ一瞬の出来事を、誰もすぐには理解できなかったのだ。

蔑むように見下して鼻を鳴らすと、彼女は周りを囲んでいる男たちに向け、告げる。

「他に文句がある奴はいるならかかってこい――もっとも、こいつのように恥を晒しても構わないならばの話だがな」

「テメェ!?」

「なめた口叩いてんじゃねぇぞ!」

 見え透いた挑発に乗り、他の仲間たちも腰を上げた。

「うおおおお!?」

 投げ飛ばされてきた椅子を受け止め、ディオが転倒した。そのままほうほうの体で戦場から這って逃げる。

 真正面から殴りかかった拳を身体を捻って避け、側面を打つ。

隙を狙って後ろから襲いかかった男の一撃を避け、返す刀のように肘を食らわせる。

 一撃が重く、そして恐ろしいほどに正確に急所へとめり込ませる。

 彼女が戦い慣れをしている証拠だった。

 これでは、まるで戦闘指南のようだ。

 勝っているどころか、実力が拮抗しているなどと、口が裂けても言えない――!

 数分後――

 床には何人もの男たちがうめき声をあげて転がっていた。

店内はすでに客も逃げ、静まり返っている。

 店の主人がため息をついた。やれやれと軽い調子で肩をすくめているから、これくらいは日常茶飯事なのだろう。

「後で椅子やテーブルの修繕費、あと客がいなくなった酒代の請求しておくからな」

「それはここで倒れている奴らに言ってやれ。この、三流どもにな」

 女性は多少乱れた髪を結び直し、椅子にもたれかかっている男を奥の方へと足で除けると、主人は噴き出した。

「違いない。勝った奴の言う事が全てさ。ついでに、勝利の杯と洒落こむのはどうだ?」

「いらん」

 笑い話から商売話へとすり替えようとする主人を一蹴し、女性は剣を身に結んでいる。

 傍らにかけてある剣を抜く事もせず、またあれほど激しく動いたというのに、グラスからは一滴も滴が零れていない。

 屍のように倒れ伏した男たちの中央に彼女は一人立っていた。

 呆気に取られている――見惚れている方が近いか?――こちらへと顔を向ける。

「名乗り遅れたが、私の名はレオナ。奴の言う通りに『王国』出身の傭兵だ。それに不服がなければ、雇用主の所へ案内してもらおうか」

 そう言い、最後にグラスに残っていた黄金色の酒を飲み干した。



***



 館は大荒れであった。

 天地をひっくり返すような怒鳴り声が響いた。

「別にいいじゃない! 力を証明するのに男女の差なんてないでしょ!」

「危険極まりないと言っているのだ! 素人だけで専門の戦士と戦うなど、貴様は傭兵を何だと思っているのだ!」

 館に帰り、レオナをファリアリスに引き合わせた途端にこの始末である。

「何とかなるわよ! わたしの剣の腕は先生にも褒められたんだから!」

「だから、その態度が考えなしだと言っているのだ!」

 二人ともまったく引く気はないらしい。

 お互いの言葉の刃が鍔迫り合い、見ているこちらの心臓に悪い。

 なにせ、話を聞き終わったレオナの第一声が

「断る」

 だったのだから。

 見かねたディオがなだめるように無理やり笑みを作り、間に割って入ろうとする。

「ま、まぁまぁお二人さん。ちっとは落ち着いて話をしようや、なぁ?」

「あんたは黙ってなさい……!」

「貴様は引っ込んでいろ……!」

「す、すんませんした!」

 二人に凄まれ――そういう表現が一番近い気がした――ディオが即座に後方に撤退して、小さくつぶやいた。

「やっぱ女って怖ぇな……」

 と、どこかからか蚊が鳴くような細い声が聞こえてきた。

「あのぉ……」

「ん? なんか言ったか?」

 ――ディオ、後ろ。

「うおっと!? い、いつの間に現れたんだよ?」

「最初からいましたけどぉ……」

 そこには、なんとなく影の薄そうな若者がそこに立っていた。

 緩やかに流れる金髪に青に染められた服と、高貴そうな雰囲気があるのだが、騎士にしてはひょろひょろしていて、いかんせん覚えられるような特徴に欠けている。

「あ、すみません。おれ、ファリアリス様の領地の従騎士のハーシェルって言います。お嬢様の試合の手続きとかをさせてもらってます――」

「ああ、ようするに使いパシリって事か」

「ひどいっ! ……でも、僕は試合に出させてもらえないんですよね。頼りないって言われて――だから、試合の間、全てのサポートは任せてください」

 と、彼は力強くガッツポーズを取った。

 それにしてはふらふらとして頼りないが。

「ひどいっ!」

「お前って、こういう奴けっこうイジるよな……」

 ――そんな人の悪い事を言わないで欲しい。

 ただ、ちょっとだけそう思っただけなのだから。

「そういう所が二倍傷つくんだと思うけどな……んで、どうしたんだよ。ハーシェル」

「ええ。今後の予定なのですが――試合は十日後、都の中心の闘技場で行われます。ですから、それまでは皆さんには訓練を受けてもらいます」

「え?」

 ディオのぎくりとした呟きは、騒がしい館の中でもはっきりと聞こえた。



都は朝から喧噪で包まれていた。

交通規制が解除されたのか、全国から観光客が集まってきているらしい。

「あー……腹痛ぇ。っていうか、身体中が筋肉痛だしよ……」

 ディオがぼやいていた。身体のあちこち、腕や顔にすら擦り傷の跡がある。

 もっとも、自分も人の事を言えた事ではない。

 まず訓練は基礎から始まった。

 基本の型を覚えるために、同じ動きをひたすら繰り返す。

「そこで腕を上げるな! おい、腰が引けてるぞ!」

 違う動きをしようものなら、すぐに教師役のレオナから叱責が飛ぶ。

 普段なら使わない筋肉を動かしているためだろう、旅で足腰が鍛えられていても、すぐに体のあちこちが痛くなった。

 ディオなど数日で音をあげかけていた。

「ったくよ、レオナ先生の訓練厳し過ぎるっつの。試合前にあんなにシゴキやがって」

「なら傭兵にでもなってみろ、この比ではないぞ。お前なら三日で音をあげるだろうな」

 思い出した事があるのか、レオナは渋面を作った。

 いったい傭兵がどんな訓練をしているのかは分からないが、あまり思い出したくない記憶らしい。

 出場する者たちは闘技場の中心へと集められ、そこで整列させられている。

 もちろん行儀よく並ぶ連中とは限らないので、めいめい足を崩したり、中央から離れていたりして整った列などと呼べたものではないが。

 試合が始まる前に、両国の代表が前に出た。

 片方は質実剛健という言葉を絵に描いたような男性だった。

三十代ほどで、そこまで年を取っているわけではない。

くすんだ金髪を後ろへと撫で付け、若い鷹のように射抜くような眼をしている。

半身にだけマントをつけ、鍛えられた肉体は鉄の金型を作って職人が打ち出したようだ。

対して――もう一方の国の王は女だった。

長い式典に退屈そうに欠伸をして、傍らの者に何か言葉を投げかけていた。

背を覆うほど長い金髪をそのまま流し、鼻筋のすらりとした美人だ。

しなやかな猫のように歩を進めているが、その動作はどこかぎこちなく作り物めいている。普段はもっとだらしないのかもしれない。

「ようこそ我が国へ――と言いたい所だが、あいにく毎日毎日猫を可愛がって毛だらけになっているような女をもてなす用意はできていなくてな。すまないが、港町から届いた魚の干物でも食べていてくれ」

「へぇぇ、筋肉バカのあなたにもてなすなんて言葉が使えるなんてねぇ。この国の不味い魚料理食べるのはごめんだから専門の料理人連れてきちゃったわ。今年もあなたが泣いて泣いて悔しがる姿が見れると思ったら肌の調子もよくなるってものよ」

 双方表面上はにこやかに、しかし隠す気もなく朗らかに罵詈雑言を口にしていた。

 ディオがげんなりと呟いた。

「……権力者同士の会話かよ、これ? まるっきり子供の喧嘩じゃねぇか」

 まだ何かを言い合っている双方の王を見て、ファリアリスが嘆息した。

「権力者って言っても、うちの国の王様だって叩き上げよ。実力があるなら誰でも採用! って感じだし。向こうの国は小さい頃からじゃじゃ馬姫って有名だったらしいんだから。今も戦場に出て、姫将軍なんて言われてるわよ」

「ふぅん……どっかの誰かさんみたいだな」

「それ、どういう意味かしら~? ディオくーん?」

にこやかに殺気の漂わせるファリアリスから目を逸らし、ディオがこちらの手元を見て、不思議そうな声を出した。

「にしてもお前、何でそんなもん選んだんだ? 他の強そうな奴もあっただろ」

 武器の持ち込みは各選手で自由だった。自分の得物を選ぶところから戦いは始まっている、と言いたいのだろう。都で調達をするにしても数に限りがあるため、事前の準備が物を言う。

 その点では、ほとんど試合開始の寸前に滑り込んだ自分たちは相当に不利である。

「バカねー。わたしの家にあるんだから何でも強いに決まってるでしょ。あんたも大概じゃない。なにそれ鎖?」

「うるせ。暴れたネイタルを捕まえるには、こうやって縄を使うんだよ。地元だとちょっとだけ有名だったんだぜ?」

 自慢げにディオが腰に巻いた鎖の尾を持ち上げる。

 この武器たちはファリアリスの言う通り、屋敷の倉庫から持ち出して来た物だった。

ディオは鎖、そして自分が選んだ武器は杖だった。

白い金属で出来ており、先端には籠状の空洞が形作られているために不思議と見た目ほど重くはない。

――自分が一番使い慣れて、疲れない物を選んだつもりだ。

「まぁ、ネイタルの世話で慣れてるっていえばそうなんだけどよ……大丈夫なのかよ、この面子で。これから農作業するってわけじゃねぇんだから」

「そのねいたるとやらはどうか知らないが、これから戦う相手は人間だ。自然や家畜とは違うということを忘れるなよ」

「へいへい……」

 真面目に言うレオナに、ディオは大きくため息をついた。



 第一試合は参加者全員による生き残り戦だった。

 戦士たちは二つの海に分けられ、向かい合っている。

 練習はしたが、やはり緊張で身体が強張る。

 試合前に、

「これで負けたら洒落にならないわ。絶・対に勝ってよね!」

 というファリアリスのお達しが出ていた。

「大丈夫だ。付け焼刃だが、逃げるだけならお前にもできる。くれぐれも油断するなよ」

 緊張が顔に出ていたのか、隣のレオナが安心させるように肩を叩いた。

 ――けど……。

「危険になればすぐに駆け付けてやる。雇い主の意向を無視できないからな。お前の勝利には出来る限り貢献する。だから、危機に陥ったならわたしの名を呼べ」

 ぎこちなく頷くが、とても勝てる気がしない。というのも、目の前に並ぶのは自分より体格も場慣れも、もちろん腕も敵いはしない者たちだと思うのだが――

「では、これより試合を開始する! 構え!」

 審判の号令と共に賑やかな金管楽器が鳴り響き、試合が始まった。



 試合が始まって早々、二つの戦士の集団がぶつかり合った。

「死ねやぁぁぁ!」

こちらに目を付け、真っ先に飛び込んできたのが鎧に棍を持った大柄な戦士だった。

 棍は途中で二股に分かれており、これで武器を引っかけたり相手を取り押さえるのだろう。

 助走の勢いを付けた一撃を避ける事ができたのはレオナの訓練の賜物だろう。

転がるようにして地面から急いて起き上がる。

戦士の剣を杖で受け止める。

 一撃がひどく重い。

 杖で野牛の角を受け止めた時のようだ。

 歯を食いしばるが、腕が軋む。

 このままではいずれ押し負けてしまうだろう。そして、守りを破った次に棍が叩き折るのは自分の頭だ。

 ――レオナ……!

助けを呼びかけた、その瞬間。

 突然、杖と棍がぶつかり合った場所から火花が散った。

 急に杖が手元まで熱を持ち、震えている。

 よく見ると、杖の表面に記号が浮かび、それが発光しているのだ。

 光は白い杖の先端にある籠状の部位の間に集まっているようだ。

 すでに火花ではなく、大きい放電を引き起こしている。

 持っていられないほどの熱に、思わず地面へと突き立てる。と――途端に雷のような柱が周囲に立上った。落雷のような轟音と強い光に目を閉じる。

 しばらくして目を開き――ぎょっとする。

 周りの戦士たちが皆倒れている。

 気絶はしているようだが、息はしているようだ。一瞬ひやりとしたが、ほっと胸をなでおろした。

 何がなんだかわからないが、とりあえず危機は脱したようだ。

「なんだ?」

「わからねぇ……」

 杖の周りで生じた現象について戸惑っていたようだが、次の戦士たちが来る。

 ディオやレオナはどうなったのだろう。

 無我夢中の合間を縫って、作られた戦場内を見渡した。

 すると、ここと同じくざわついている一角があるのに気づいた。

 その中心は――やはりというべきか、ディオだった。

「うらっ、と!」

 ひゅんひゅんと鎖を回し、投擲する。

 と、鋭く剣に巻き付き、あるいは槍を砕く。

 まるで生き物のようにうねり、一人でに動いているかのようだ。

 やはり、あの鎖にも何か秘密があったのかもしれない。

 武器の特性上、近づかれたら不利だが、上手く立ち回り常に一定の距離を取っている。

 これはディオ本人の機敏さのおかげだろう。

 相手を倒すよりも無力化させるだけだが、その戦い方は非常に安定していた。

 と――すぐ後ろで悲鳴が上がった。

 男の野太い声に慌てて振り返る。

「試合中に集中を乱すな。戦士の基本だ」

そこでは、試合用の刃を落とした剣を持ち、レオナが剣を持った戦士を蹴り倒した所だった。礼を言おうと思っても、彼女はすぐに新手と剣を交えている。

自分も杖を構える。最後まで生き残るために守り固めた構え。

――わたしも戦うためにここにいるのだから。


その数分後――

再び喇叭が鳴り、試合が終わった時には立っている者は半分以下になっていた。




***



裏側では慌ただしく次の準備が進められている。

怪我人や気絶者は医務室へと運ばれ、運営側は残った者たちで新たな試合を組んだり、選手の文句を受け付けたりと繁忙の極みにあった。

その中で、残った選手たちのいる控室のみから明るい声が聞こえてきた。

あの乱戦を実力で残った者もいれば、運よく隠れてやり過ごした者もいるようだ。いまだに興奮冷めやらぬ様子で隣の者へ口角泡を飛ばして活躍を説いている戦士もいる。

その中で、杖と鎖を検分していたレオナがうなった。

「……どうやら、武器に刻まれている文字のせいのようだな」

「文字?」

 走り回って疲れたのか、ディオが隅に座り込んで聞き返した。

「私も詳しくは知らないが、形のみで意味を成す古代の呪いのひとつだと聞く。枝に残せば神託が得られ、武器に刻めば力が得られると聞く」

――奇妙な現象が起こったのは武器のせいという事か。

「現在に残っている物は少なく、貴重な遺産に相違はない。少なくとも、個人がおいそれと持ち出していい物ではないと思うのだが――」

じろり、とファリアリスに視線が集まる。

「わ、わたしは知らないわよ。お父さまが集めてた物だもの。それに、今さら武器変えて勝てるわけじゃないでしょ! 二回戦はチーム戦なのよ!?」

 二回戦は勝ち残った者たち同士のトーナメント戦となっている。

 ファリアリスの言う通り、今から剣を使えと言われても厳しいだろう。

「まぁ、このまま出るしかないわな、普通に考えて。俺も使い慣れてきたし。便利な物が手に入ったと思えばいいんじゃねぇの?」

「うむ……」

 レオナはしぶしぶと言った様子で頷いた。



 皆が試合を注視する中。

ひとり、廊下を進む者がいた。

「うん、本当にお祭り騒ぎだね。まったく――ここの人間の血を好む性質は、どうも好きになれないな。もうちょっと頭を使えばいいのにさ。野蛮っていうか、こんな闘技場なんて作っちゃって。市民の税金を、ほんの一握りしか使わない競技場に投資するって変な事だと思わない? ま、それが彼らの仕事なんだけどさ――もちろん、僕は払ってないしね。こういうのは関係のない隣の市のサービスを利用するに限るよ、うん」

 つらつらと――つづら折りのようにつらつらと、次々に言葉が続く。

 多少――ほんの少し、この国の悪口も言っているが、まぁ別に気にしない。

 どうせ、誰も気にしないのだから。

 たとえ彼が髪も身に付けた長衣も紅く、さらに羽織った黒い上衣と、ひどく目立つ格好をしていたとしても――この国では見られることもない。奇抜と言ってよいほどのいでたちだったとしても。

 誰も声をかけず、目にも留めない。

 というか。

留められたら面倒だから姿を隠しているだけだ。

 周囲に埋没する、この程度の術ならば集中も必要ない。

 うるさいほどの耳障りな声の群れに彼は肩をすくめる。どうやら今年も盛況のようだ。

 ふと、歓声があがった下を眺める。

 何か試合に動きがあったらしいが、うっかりして見逃してしまったようだ。

「やれやれ――」

 観客席で騒いでいる適当な者へと目を付け、無造作に踏み込んでいく。

 折しも腕を振り上げて野次を飛ばしている中年の肩をつつく。

 怪訝そうに振り返った男に、にこりと笑いかける。

「やぁ、今年は当たり年みたいだね。あんな戦士たちがいるなんてね?」

 すると、十年来の知り合いに会ったように親しく話し始めた。

「たりまえだろ? 俺のカミさんの出身地だぜ? 領主様には期待してたけどよ、まさか嬢ちゃんまで強ぇとは……」

 聞いていないことまで教えてもらい、それから世間話まで交わした後で席を外した。

 彼は、さらに全体が見渡せる上へと階段を昇る。

 目新しい戦士が現れればそれだけで満足する。

「おまけに話好きな馬鹿ときたら――僕には到底理解できないね」

 呟きながら、頭の中で映像を吟味する。

 もし、彼が細君にどれだけの試合があったのかを説明しようとしたら、ひょっとしたら困るかもしれない。試合を見たという記憶は残っていても、何を見たのかがまるっきり思い出せないのだから。

 なんてことはない――さっきの男が目で見ていた物を少し拝借しただけだ。

 掃除のろくされていない、埃をかぶった階段をひたすらに昇る。その足取りに迷いはない。それどころか、彼はにんまりと笑った。

あたかも面白い玩具を見つけた猫のように。

 ――どうやら、番狂わせが起こったようだ。

 領地のじゃじゃ馬娘とぽっと出の旅人たち――と前情報の新聞にはあった――が予想以上に健闘しているらしい。

 実際、もっぱら活躍しているのは歴戦の傭兵のようだ。しかも珍しく女の。

 それも気になるが、もっと気になるのは他の者だった。

 豊穣の角から来た旅人――あの国の住民が国を出るとは珍しい。それこそ雨が地から降り、夏に雪が降る騒ぎだ。

「ふぅん」

 男の方はどうでもいい。そこらにいるただのチンピラだ。

 特に変わった事でもないし、役に立ちそうもない。

 だが、もうひとりは。

 彼は、興味を惹かれたように呟いた。声には笑みとわずかな興奮が見える。

「これは面白くなりそうだね」

 闘技場の屋上の淵に腰掛け、誰よりも高い場所から戦う戦士たちを見下ろす。

 ――ここは、気分のいい場所だ。

 隣の国より山の尾根を越え吹いてくるのは死者の風。

 そこにある遥けき地平線を見据え、目を細める。

 この国の名物とされている強い風が、紅の髪と外衣を巻き上げた。



***



 その日すべての戦いが終わり、暗闇に辺りが沈んだ後。

 闘技場の地下へと集められた者たちの前に並べられたのは溢れんばかりの肉に魚の載った皿。それに、壁際に背丈ほどもある樽が山のように積まれている。

 国中の食材や酒を集めたのではないか、というほどの豪華な食事だった。

「勇猛なる戦士たちよ、昼は見事な戦い、大義であった。皆、今宵は好きなだけ飲み、食い、騒げ! 流した血を酒で補うが良い!」

卓の周りでは数十分経った今も人が食べ物の奪い合いを続けている

この騒ぎでは隣の領主たちの部屋にも聞こえているのではないだろうか。

「いやぁ、こんなウマいメシ食ったのなんて生まれて初めてじゃねぇか? いっつも小麦のパンと芋だったもんなぁ!」

 香辛料を効かせて焼き上げた鳥をかじりながら、ディオが上機嫌に笑った。普段まず食べる事のできない食べ物に興奮気味である。昼間に食欲を失くすほど緊張した後だからこそ、はしゃいでいるのかもしれない。

 ――そんなに食べて大丈夫?

「へーきへーき! もてなしのメシは多少食い過ぎるくらいがちょうどいいくらいって言うだろ。それに、勝ったたんだから今日くらいはバチも当たらねぇよ」

 と言い切ると、今度は酒をついだ杯へと手を伸ばす。

「放っておけ。あとで痛い目を見るのはどうせあいつだ。まったく――」

 レオナが呆れたようにため息をついた。

 そうまで言われたなら、もう放っておくつもりだった。

 試合は無事に二回戦を勝ち抜き、次の日への参戦を決めていた。

 自分は、後半逃げてばかりで、勝ったなどとまるで現実の事とは思えない。

 あの武器は休憩中のレオナの言葉通り、そのまま持ち続けることとなった。ディオは扱いのコツを掴んだらしいが、自分はあの杖の使い方が分からず、扱いかねているのだが、もしも使いこなせるようになればきっと強力な武器になるだろう。

 と。

 喧騒に紛れ、一人の婦女がこちらに近づいて来る。

 裾の広がったドレスを着た小柄な女性で、見るからに場違いである。

 光沢のある青緑色の生地に、袖が大きく膨らんだドレスで婦人というよりも、良家の子女と言った方が近いだろう。貴族の女性によく見られる、顔を隠すための小さな帽子を付け、騒がしい宴会場を海を渡るかのように横切っていく。

 わざわざ隣の貴族の社交場からこちらに来たのだろうか。

「お、なになに――ってか、こっち来てねぇ? はっ、もしかして昼間の俺の大活躍を見てファンになっちゃった子とか!?」

 ディオがそわそわと浮足立っているのが横に立っていて、彼女へと視線を送っているのがありありとわかる。

 婦人は予想通り自分たちの目の前に来ると、腕を組んで嘆息した。

「ナニ動揺してんのよ。わたしよ、わ・た・し」

 帽子を取ると、ファリアリスの顔が現れた。

 正体が分かってしまうと、どぎまぎしていたディオが分かりやすく落胆する。

「なんだよ、アリスかよ……」

「悪かったわね、わたしで」

 珍しくファリアリスが正装をしている。

 いつも活動的な格好をしているので、ひどく新鮮だった。

「馬子にも衣装ってヤツか? ……うおっと!」

 ディオの頭のあった位置の石壁を、ファリアリスがスカートの裾に付けた鞘から抜き放ったレイピアが貫いた。

「人を侮辱するのは戦士としての恥。卑怯者はこの国では絶対に許されないわよ。もちろんそれくらいで人を殺してたらキリがないけど」

「今! 今まさに、俺の命が儚く散ろうとしましたけど!?」

 突き刺さった石壁からぱらぱら破片が落ちるのを示してディオが叫んだ。

 それを無視し、スカートをたくしあげてファリアリスが隣に座った。

「こちらに来ても良いのか? 貴族には貴族なりの戦いがあるだろう。どこの馬の骨とも知れない者と付き合っていては、足を取られるぞ」

 有り体に帰れと言っているように聞こえるが、どうやらレオナは本気で心配しているようだ。ファリアリスを気づかうような響きがこもっていた。厳しいというよりも、ただひたすらに不器用なのだろう。

「向こうは息が詰まっちゃって。こっちの方が気楽だわ。わたしってば結構人気者だから男どもが放っておかないのよね~」

 頬に手を当て言うファリアリスに、ディオがジト目で見ながら茶化した。

「ほほう、さすがおてんば娘。闘技大会に出た珍獣の噂が順調に都に広まってる証拠だろ……だから危ないっつの!」

 また余計な事を言って、ディオは突き刺さりかけたレイピアを白羽取りしている。

「にしてもあなた、あんまり食べないのね?」

 不思議そうにこちらの手元の皿を覗きこんでファリアリスが言った。

 確かに、初めに料理を申し訳程度に取ったきり、純白の皿は空っぽになっていた。

 恐らくは、これだけで今までの旅費をまかなってもお釣りが十二分にくるほどの品なのだろう。

 ――なんだか気おくれしてしまって。

「はぁ? いいじゃん、どうせタダなんだし。食わねぇから腕が細いんだっつの」

 ――それはそうなのだけど。

 否定はできないが。

 ――それに関してはディオもお互いさまなはず。

「あんだと? っと……」

 と、目ざとく新しい料理を見つけたらしく目がきらりと輝いた。

 もしかしたら目を付けたのは料理を運んできた女性にかもしれない。

「お前の分も取ってきてやるからちょっと待ってろよ!」

「あ、ちょっと! わたしも料理欲しいんだけど!?」

 と言って、ふたりで食卓の輪へと入って行った。

「食い意地の張った連中め」

 レオナが嘆息して銀色の杯を傾けた。中身はやはり黄金色の蜂蜜酒だ。どうやら彼女の好物であるらしい。

 肩をすくめ、近くの壁に背を預けると、ひんやりした石の冷たさが戦と宴の熱を覚ましてくれる。

 人が流れて行く。そろそろ宴もたけなわ、と言った様子だろうか。

 ――始まってから、そう長くは経っていないはずだけど。

 食べ、飲み、歌い、騒ぐ人々を眺めて、ふと故郷の祭りを思い出す。これほどまで賑やかではなかったが、家族や友人と一緒に過ごした何にもかえがたい時間だった。

 ずいぶん遠くまで来てしまった。

 国境線を越えて、よくわからないまま、今はファリアリスに連れられて都にいる。

 旅は、人生は時に予想も付かない道を進むようだ。

 そういえば。

 ふと、隣のレオナを見る。

 彼女は、どうやって――どうして、ここまで来たのだろうか?

「ん、どうかしたのか?」

 視線にきづいたのか、彼女は不思議そうな表情をした。

 ――レオナは、なぜこの国に? たしか『王国』の傭兵と言っていたけれど……

その途端。

今まで熱されていた部屋の空気が、氷に変じた。

寒気を覚えて身を振わせる。

向けられる視線は刃のように鋭い物ではないが、泥濘の中に足を踏み入れてしまった時のようにまとわりついて離れない。

これは――悪意だ。

怒りや恐れ、その他言葉や気持ちにすらなっていない物も混じっている。

その有形無形の悪意に身を固くする。

と、ひやりとした掌が触れ、驚くこちらにレオナが短く耳元で囁いた。

「こっちだ」

大量の人のせいで狭くなっている部屋を抜け、外へ出る。



 人気のない所まで来て、レオナはやっと手を離した。

「すまないな。もう少し飲んでいたかったか?」

 やや申し訳なさそうな顔をしていた。

 そうでもない、と首を横に振る。

 ――あまり苦くて味のない酒は好きではない。だから大丈夫。

「そうか? ……もしかして見た目の割に酒豪なのか? わたしには酒の味はあまりわからないが」

 と苦笑するが、表情は厳しいままだ。

――前に、『王国』の傭兵と言っていたが……

もしかしたら、あまり良い意味ではなかったのかもしれない。

「そんな瑣末な事をよく覚えていたな」

 レオナは眉をひょいと上げ、驚いた顔をした。

「――遠く、ここから街や山をいくつも越えた先に、サンハインという国がある。単に『王国』とも呼ばれている。そこが、わたしの故郷だ」

 黒い瞳は手に届かない場所にある故郷を思い出しているのだろうか。夜空の色を映して、光もない。

「そこは一年を通して雪が降り続く不毛の地だ。あるのは凍った刃の川と険しい山ばかりで、戦える者は傭兵となって外へ出る。金さえ払われればどこへでも走り、誰にでも剣を向ける。それに例外はない。誇りを持っている者からすれば、主も正義もない無法者だろう。仕事の量と一緒に自然と悪名も広がっていった」

と言い、再び苦笑した。

「あの様子からすると、この国にも悪名が広がっているのだろうな。もしかしたら仲間を手に掛けられた者もいるのやもしれない」

 同じ国の傭兵というだけで、もしかしたら仲間の仇かもしれない、と?

 そんなひどい話があるだろうか。

 ――レオナは関係ないのに。

「それを知らないのはお前たちエリュシアの人間くらいだ。わたしも、仕事さえ受ければ何でもする類の人間だ。良く出来た真人間などでは、決してない。だから、あまりわたしの傍にはいない方がいい。無用な恨みを買うぞ」

 こうやって彼女は、長い間をひとりで過ごしてきたのだろう。

その声からは凍えるような孤独が滲んでいた。こちらの胸が痛くなるほどに。

 ――けれど。

 言いたいことがあるのだが、それがうまく言葉にならない。

「ま、ウチは平和なのがウリっていう地域だからな。簡単に人を信じる信じる。特にこいつは疑うって文字を知らねぇと来たもんだ」

 と、別の声が自分の代わりに答えた。

 柱の陰からディオがひょっこり顔を出していた。

「けどな、こいつの人を見る目は確かだと思うぜ」

 その後ろには明るい声を出してアリスが腕を組んで立っていた。

「別にあんたが今までどんなことしてきたとしても、あたしはそんなに気にしないわよ。おてんばとかじゃじゃ馬とか言われ慣れてるし。次にどんな仇名がついたとしてもびくともしないわよ。だから、あんまり小さいことで悩むんじゃないわよ。怒るわよ?」

「しかし……」

 言い澱むレオナに、ディオも笑った。

「なんだかんだ言って、俺たち結構強いみたいじゃね? だからまぁ、あんたが俺らのチームにはいた方がいいっていうか……いないと多分勝てないっていうか……」

「あーら、二回戦で敵さんに追っかけられて半べそかいてたディオくんが言えた台詞じゃないと思うけれど?」

「言うな、そういうことは!」

 ふたりの軽妙なやり取りに思わず噴き出すと、レオナは深くため息をついた。

「……やれやれ、明日が思いやられるな」

 明日。

 ――そうだ。

まだ試合は一回戦が終わったばかり。これから、勝ち続けなければならない。

「って、今から暗い顔すんなよ。ここまで来たんだからな――」

――ここまで来たのだったら。

後を継いで、ファリアリスが高らかに手を振り上げて叫んだ。

「もちろん、優勝よ!」



***



 次の日――

 レオナと共に闘技場の控室に行くと、ディオが深刻そうな顔をしていた。

 ひとりで情報収集をすると言って、早めに屋敷を出ていったのだが、ちゃっかり弁当として朝ごはんを持って行くのが彼らしい。

「やべぇ奴らがいる。全身黒い鎧の怪しい集団でよ。まるで――」

 そこで、ぞっとしたような顔をした。

「痛みを感じていないみたいに、か?」

 レオナが後を引き継いで答えると、ディオは目を丸くした。

「知ってたのかよ?」

「有名な話だ。クランの黒騎士部隊、とな。出身地も所属も謎。この国の王、アルグヘニル子飼いの自由騎士と噂されていて、今ではこの国の主力部隊にまでのし上がった。容赦も情けもなく、敵を殲滅する。お陰で傭兵は酒場でくだを巻く羽目になっている。似たような存在だからな」

 殲滅、という物騒な言葉が飛び出したことに驚く。

 ――そんなにひどい?

 ディオは頷いた。

「もう何人か医務室送りになってるらしい。あとは、あいつらと当たらない事を祈るだけだな」

「ああ。だが、勝ち続けている限り、必ずいつかは戦うことになるだろう」



 二回戦は三日間に分けて行われる。

 一回戦で半分以上に減った出場者たちだが、それでも一〇〇〇人は下らないだろう。

 それが四人一チームが二組になるまで続く。

そこで柱の領有は決まる、という事だ。

 数を減らす目的ではなく、国の代表を決めるために必ず同じ国の戦士が相手になる。

 そのために、一日に実際行われるのは場所の関係上、双方の国を合わせて数試合だ。

 そのため、大半の時間を選手たちは控室で過ごすというわけだ。

「あー暇だ――この運営方法ってなんか非効率じゃねぇ? 勝ち抜き戦とかにすればいーじゃん。なんでこんなに時間がかかるかね」

 ディオが暇なのはわざわざ口に出さなくても見て分かる。

 けれど、その言葉に剣の手入れをしていたレオナが律儀に答えた。

「お互いに倒れるまで、という条件だからではないか?」

「……それで何で暇になるんだよ」

 難しげに眉間にしわを寄せてディオが口をとがらせる。

 ――考えてはみたがよく分からなかったので答えをさっさと聞こう、という事だろう。

「うるせ。人の内心読んでんじゃねぇよ」

「実際の戦場に制限時間も何もないが、集中力を発揮できる時間は少ない――せいぜい一分ほどか。だが、戦士という人種はそれを制御し、何倍も時間を延ばせる。それが命のやり取りならなおさらだ」

 すぐに決着がつく試合だけでなく、長時間にまで及ぶ試合が多い、という事か。

「実際には集中力を分散させているだけで、長い戦いはひどく体力も気力も消耗する。ならば、万全の試合は一日に一試合が望ましい。運営側としての戦士への配慮だろう」

 割と自信があるようで、レオナは珍しく声を弾ませていた。

「ブブー、外れ。正解はお客さんのため。交通の制限が解除されてから一番遠くの町から馬車を飛ばして四日かかる。だから出場者が出ている時以外は別の競技をしているのよ。必要最低限の試合しか一日にしないわけ。そうじゃないと遠方から来たお客さんが最終試合に間に合わないから。わかる?」

「なんだそれは? 戦いは見せものではないのだぞ」

 思いの他世俗的だったの答えに面喰ったレオナの顔を見て噴き出してしまい、慌てて目線を逸らした。

「本当の事情なんてそんなもんでしょ。でも今の試合はすぐ終わるわよ」

 ファリアリスがくすりと笑った。

「なんでだよ?」

「なんてったってお父さまとうちの騎士たちだもの。負けるはずがないわ」

 そう誇らしげに胸を張った。



 その試合はその日の最も安定した――言い換えると勝利の見えた試合になるはずだった。

 なにせ相手が常勝の領主――普段は領民から慕われ温厚だが、こと戦となると人が変わったように勇猛に戦う――なのだから。

 一週間を使って行われる闘技試合も中盤を迎え、予想した試合運びとなり、観客の表情にもやはり、という色が浮かぶ。

 毎年毎年代表となる領地というのは存在する。

自ずと昨年も活躍した領地が勝ち残ってくると事なる。

 皆がそう思っていた。

 だが、どこかで盤をひっくり返す事を望んでいるのだ。

 唐突にその願いを叶えたのは双つの国に伝わる運命の女神の悪戯か。

 その試合は、今までの中で最も長いものとなった。

番狂わせに観客は声を上げる事も忘れ、祭の開始から初めて沈黙が支配した。

 沈黙は暴君だ。小さいうちは容易く消せるが、あまりに大き過ぎると破るのは難しい。

 反抗する者は無言で打ちのめされ、ついには皆が同調してしまう。

 中央の砂に消せない血の跡が残る。

 会場の沈黙は動揺を語っていた。

 なぜなら――無敗の領主が負けたのだから。

 その夜、傷が元で領主は亡くなった。





「おい、どこに行くんだ?」

 ディオに呼びとめられ、少し言葉に窮した後に答えた。

 ――外の空気でも吸いに。

「嘘つけ。どーせアリスの奴を探しに行くつもりだったんだろ? 多分、闇雲に探しても見つからねぇよ。全員でさんざん探し回って、見当たらねぇんだから」

 言われ、嘆息をして扉から手を離した。まったくの図星だった。

 ここ数日は天気が崩れ、風が悲鳴のような声へと変わる。

あれから、一週間経った。

闘技試合は晴れの日しか行われない。死者が出ることも珍しくはない競技が、天気に左右されるなどとんだお笑い草であった。

 一週間経った今でも葬儀や新しい就任の問題、戦場の外で領主が死んだ事に対する動揺が波紋のように広がっていた。

 ファリアリスはあれから毎日、ひとりで黙って出かけて行く。

 夜になってから自室に帰っては来るが、それでも塞ぎ込むばかりだった。

 ディオが納得しがたいように呟いた。

「にしても変だろ。なんで領主が死んだっていうのに、祭りがまだ続くんだよ? しかも事故で、って」

 猶予が与えられはしたが、闘技試合はまだ続けられている。

 希有なことではあるが、前例がない事ではない。

それだけで儀式を止める理由にはならないと聞かされた。

「あんだけお父さまお父さま言ってたあいつが……気の毒だぜ」

 そこにレオナが入って来た。

「? どうしたんだ、こんな玄関口で立ったままで。お前たちも他にやるべきことがあったんじゃないのか」

 雨が降っていたのか、深草色の頭巾から雫が落ちる。頭巾を取ると、より色合いを艶やかに変えた黒髪が揺れる。

 痛い所を突かれた八つ当たりか、ディオが苛立った様子で問うた。

「うるせぇよ。おい、こんな時にどこほっつき歩いてたんだよ」

「馴染みの店に情報を聞きに行っていた」

 店の主とはあのレオナが暴れた店だろうか。

 ――そういえば店の修理はどうなったのだろう?

「そ、そんな事はどうでもいいだろう。あの時はちょっと虫の居所が悪くて――」

 あまり触れられたくないらしく、レオナは頬を紅潮させながら慌てて誤魔化した。

 咳払いをして続ける。

「居場所が掴めた。迎えに行ってやるぞ」

 その言葉少ない答えに、ディオと顔を見合わせた。



 レオナに連れて行かれた場所は都の郊外だった。

 石に刻まれた文字は風に削られ、やがて見えなくなる。それが見えなくなる頃には傷も癒えているという仕組みだろうか。暗い空は、月すらも見えない。

 ファリアリスは冷たい墓標の前に座り込んでいた。

 だが、なんと声をかけて良いのかわからずに、しばらく立ち尽くした。

 ディオもあれこれと言葉は思い浮かぶのか、口を閉じたり開いたりを繰り返している。

 レオナは自分たちに任せるつもりなのか、ただ黙して近くの木にもたれている。

 沈黙を破って、ぽつりとファリアリスが呟いた。

「わたしの領地は柱の近くにあるの。昔から争いに巻き込まれたらしくって、代々仕えてる騎士がいるくらいだったわ。わたしも生まれた時から強い騎士たちに囲まれて育ったの。おかげで剣の腕だけは自信があるわ」

 雨のように一滴ずつ、言葉が降り積もっていく。

「……お父さまは本当は武力はいらないって言ってた。話し合いをするのに、自分の意思を押し通すために力を持つのは剣を手にして脅しているのと一緒だ、って」

 ぐし、と足元の芝を千切った。

 手を開くと風に呆気なく草はさらわれて行く。

「アリス……」

「でも、何でお父さまが死ななくちゃならないわけ?」

 恨みがましい響きが混ざった声。

 それは開きかけたディオの口を閉ざすのには十分だった。

 頭の良い彼女の事だ――声に出しても、本当は気づいているのだろう。

 誰も、それには答えられない。

 きっと、考えてはならないものということもある。そのまま深みにはまって、泥に帰してしまいそうになってしまう。

 ファリアリスは泣くに泣けない、笑うに笑えないといった顔をしていた。

 涙を流すには悲しすぎる。笑うにはおかしすぎる。

 それでも考えずにはいられないのだ。

 なぜ自分だけ、と。

 ぽつり、と。

 また、雨が降った。けれど、それは彼女のものではない。

 ファリアリスが笑った。

「だから――なんでそこで、あんたが泣くのよ」

 ファリアリスに言われて始めて気づいたが――いつの間にか泣いていたようだ。

 だから。

 一歩近づくと、彼女はびくりと肩を震わせた。けれど、逃げはしない。

 そっと近付き、冷えた手に触れ、抱きしめる。

栗色の髪に額が触れ、熱が伝わった。

「……なぐさめるのが下手過ぎるのよ、ばか」

 ファリアリスは、涙声で小さく呟いた。

 と。

「きゃあ!?」

 急に手を引っ張られ、ファリアリスとともに転倒した。

 何が何だかわからないうちに地面に突っ伏す姿勢になる。

 顔をあげると、ディオが口に指を当てていた。文句を口にしようとして――慌てて黙る。

 声が聞こえた。

 透明な硝子を叩いたような、澄んだ美しい声。

 傍らではレオナが片膝をつき、手を剣にかけている。

 墓石の影から目を凝らすと月明に照らされおぼろな人影が見えた。

 影はやや華奢で――それだけでは長身の女か、細身の男かはわからない。黒い衣は、まるで影をまとっているようにみえる。

 朗々と響くその声に、ふと思い当る――これは、歌だ。

 声は一定の似たような旋律を繰り返し、細波のように次々と連なっていく。

人影は足元の墓石の前で高らかに、歌声を奏でているのだ。

「誰だ、あいつ……? 墓の前で歌うとか、気味悪ぃ――」

 ディオが目を細めて呟く。

 その時だった。

 ――っ!?

 地面からぼこり、と音を立て、ひとりでに何かが土を押しのけ浮き上がってくる。

 うす気味の悪い光景に肌が粟立つ。

 それは人間というよりも、人の形をした影と言った方が近いだろうか。目も口もなく、肌や顔も墨で塗り込めたように黒い。人間を薄っぺらに伸ばしたようなそれを見ているだけで寒気がする。

 やがて、出てきた影たちは人影を囲むように円陣を描いて並ぶ。

 と、伏せている地面が動いたような気がして、背に嫌な予感が走る。

真新しい白亜の墓――ファリアリスの父親の墓の前から、腕が伸びたのを見て、ファリアリスが悲鳴をすんでの所で押さえたのが聞こえた。ちょうど、男性の背の高さほどの影がそこから這いだし、女を囲む列に加わる。

「し、死体――?」

 ディオが声を引きつらせた。その顔からは血の気が引いている。

歌をやめ、女は天に捧げるかのように両手をかざす。手元から小さな光の欠片がこぼれる。遠目ではよくわからないが、それは木片に描かれた記号――ともすれば文字にも見える。自分とディオが選んだ武器に描かれていたものと同じ光だった。

 光はひとつずつ、黒い影たちの額の辺りに吸い込まれ――まるで液体でできているかのように形を変え、棘を纏ったような鎧になる。

 闘技大会で見た、黒騎士たちがそこにはいた。

 では、先日亡くなった領主に背格好の似た姿は――

「お父さま――なの?」

 ファリアリスが、呆然と呟く。

 その声が聞こえたのか、女が振り返る。

 同時にレオナが剣を抜き、真っ直ぐ首へと向けた。

「あらあら、またお会い出来て嬉しいですわ」

 闇に沈む黒い髪に、黒い衣の下に白い裾の広がった服、優しい笑みを浮かべた女。

「おい、会ったことあるのかよ?」

 ディオに小声で問われ、頷く。

 都にある柱の傍で、会ったことがある……はずだ。

 女は夜の静寂を乱さず崩さず、あくまでも穏やかに問いかけた。

「こんな夜更けに、一体何を? 剣を突きつけるなんて穏やかじゃありませんわ」

「その言葉、そっくりそのまま返す。こんな墓場で貴様は何をしていた?」

 それとは対照的に警戒も解かず剣を下げる事もせずに、レオナが告げる。

「まぁ。武装してはいけない者に剣を突き付けるのが、『王国』の傭兵の礼儀と受け取っても仕方ありませんわよね? 私を斬れば、明日にはこの国から一切の傭兵が追い出されるでしょうね」

 くすり、と笑みを伴って投げかけられたその中には嫌味さの欠片もない。

 ただ、触れたら火傷する氷の中の炎のように、底が知れない。

 レオナがぐっと奥歯を噛みしめた。

 脅しとは、いますぐに斬って捨てることも辞さないと示さなければ意味がない。

 ここでさらに国の評判を落とすわけにはいかない――という迷いが伝わってくる。

 その迷いが生じた時点で、脅迫は意味を為さずに消えたも同然だった。

「……貴様が何だというのだ?」

「そちらのお嬢様にはわかるのではありませんか?」

 と、女は服から首元にかかっていた紐を引っ張りだした。真鍮製のメダルで柱のような形が彫られている。闇夜でもよく見えるように、それを高く掲げる。

 それを見て、ファリアリスがはっと叫んだ。

「その紋章――あなた、神官!?」

「し、神官?」

 それは彼女自身の口から聞いた事である。

 双方の国の中立として神殿を守るという――

「この国の戦士たちは埋めても土に受け入れられる事はありませんわ――死んでもまた戦う事を望んでいますもの。この国ではこれが仕組み――朝に生まれ、昼に戦い、夜に死んでも生き返る。新しい力を入れて差し上げれば、ご覧の通り。まぁ、肉体は滅びていますから、残滓しか取り出せませんけれど」

 黒騎士たちは女に従っているのか、共に葬られたのだろう大剣――生前の得物を手に取り、こちらへと構える。

「貴様っ!」

 レオナが剣を構えると、わずかに表情に変化が現れた。

 頬笑みではなく、失笑だ。

「これだけの人数を相手にしますの? 少々勇気と無謀を取り違えてはいませんか? わたくしが命を下せば痛みも死もない戦士の出来上がりですわ。そうそう、あなた方の武器も面白く観察させていただきましたわ」

 にこりと頬笑み、優雅に礼をした。

「では、また次の予選でお会いしましょう。決勝戦まで、まだ日はありますものね」

 女は死者の葬列を従え、夜の闇へと紛れて消えた。



***



明くる日は雨もやみ、重苦しい灰色の空となった。

西からの風のせいで、雲が速い。

西風の神は嫉妬深く、雨をもたらす黒雲で表される。そのせいで、西方から吹く風はよくない事の起こる前触れだ、という言い伝えがあった。

観客は久しぶりの娯楽に、悪天候の中、少しずつ数を増しているようだった。

 やがて両国の王が姿を現し、いよいよ歓声が高まる。

 それを他人事のように見すえ、ため息をつく――彼らは知らないのだろうか。

 黒騎士が既に死んだ者を使っているという真実を。



「けっ、あいつらよく戦うぜ」

 入場用の通路から試合を覗き見て、ディオが吐き捨てた。

「今回の優勝候補の一角らしいからな。相手方も気の毒だ。今回の試合に負ければ均衡が崩れてしまうから必死に戦ってはいるようだが――相手が悪い」

 レオナも眉根をいつも以上に寄せ、渋面を作っている。

 ファリアリスが言うには、黒騎士とはこの国の盟主アルマナクの親衛隊だという。

素性も身分も知らない者を傍に近づけることに最初は反対していた者もいた。だが、闘技試合にて実力を見せつけられ、口を閉ざした。

痛みを感じないのは、既に感じるべき肉体を失くしているから。そして、冷酷なほどの戦い方は、命令をただ果たしているだけだから。

そして、素性も知らぬ騎士たちを連れてきたのは――

「柱守の神殿、か。いいのかよ? 片方の国に加担したりして」

「いいわけないでしょ。でも、盟主が知らないわけはないわ。これが終わったら相手を潰すための戦争が始まる。そうしたら、一番利益を得るのは勝利国の盟主よ」

「でも、俺たちも黙ってやられるわけにいかねぇ」

 ディオの言葉に頷く。

「だがファリアリス、お前はいいのか? 昨夜が見間違えでなければ、あの中には――」

「いいの」

 レオナの気づかうような声を遮り、きっぱりとファリアリスは頷いた。

「私がやらなくちゃならない。余計な気遣いは結構――信じてるわよ、あんたたち」

 その瞳には、既に最初に出会った時の幼さは見られない。

 仲間へと命を託し一軍を率いる、将の眼差しだった。

 ――あれは意思を断つ者だ。

 代表選、五戦目。

 意思なき黒い騎士たち――このまま順当に進めば、次の試合で当たるはずだった。

 倒れた最後のひとりに剣が振り下ろされ、黒騎士たちの勝利にて終わった。

 砂上には黒々とした血の跡が生々しく残っている。

 やがて――門が開き、試合開始が告げられた。



 戦士たちは四対四で一人ずつを受け持つ形になっていた。

重厚な攻撃を逆手に取り、避けながらも攻撃の隙を狙っている。

 戦い慣れていない者もいるようだが、五分五分と言った所だろうか。

 あとはどちらの体力が先に尽きるか、だろう。

「今年はどうしてよく戦う」

 椅子に肘をついたまま、男は愉快そうに笑う。

 年齢は中年を少し過ぎたくらいか。狼のような灰色の髪に、鋼色の目が刃のように鈍く光る。

 双戦場の片割、この国の盟主アルマナクだった。

 楽しげに笑う反面、目は冷徹に戦いを捉えていた。

 動きのひとつひとつを追い、剣の軌跡までを予想の中で描く。

 最も有能で最も強く、それゆえに自らの戦いに飽きてしまった盟主。

 ――そして、本当に愚かな男。

「初めは神殿の戦士たちを闘技試合に出す事を聞いた時には戸惑ったが――なかなかに良い戦いを見せてくれる」

「えぇ、神殿の精鋭たちですわ」

 答えながら内心は別の事を考える。

 これは出来試合も同然。彼らはそれを知っているはずだ。

 見られたのは予想外だったが、てっきり正体を知って盟主に訴えるか、逃げるかすると思っていたのだ。

――試合に出る理由は何?

わからない。わからないが――

「うふふ、せいぜい楽しませてくださいな」

女は、それすらも可笑しがるように微笑を浮かべる。

まるで、それ以外の表情を忘れてしまったかのように。



 特等の観客席を見上げ、そこに背の高い女の姿を認める。

 黒い髪に白くゆったりとした神官服、それが誰からでもよく見える貴賓席にいる。

 ――やはり、盟主とつながっていたのだろうか。

「おい!」

 ディオの声に意識を戻した時には黒騎士の大剣がうなりを上げて目の前に迫っていた。

なんとか杖で剣を受け止めたが、金属の杖が折れるような音が響き渡り、火花が散る。

 手が痺れるほどの痛みが走り、危く杖が手から離れかける。

 空に影が過った。

戦斧のような厚みのある剣が振り下ろされる。

 銀色の縛鎖が絡みついた。

「ぼーっとしてんじゃねぇ! そいつらはもう……!」

 次に、何と言おうとしたのかは分からない。

 途中で言葉を中断せざるを得なかったのだ。

「うおっ……!?」

 黒騎士が鎖を掴み返し、持ち主のディオの方が転倒した。

 その怪力に鎖から手を離す余裕もなく、斬首人のように鎖を手元へと手繰る。単純な力だけなら、相手側が勝っている。そして近づけば、ディオに勝算はない。

 ――ディオ!

 その悲鳴じみた叫びを聞き取ったのか、他の騎士と剣を交えていたレオナが身を翻し、鎖を手繰る騎士に後ろから切りかかった。

「はぁっ!」

 受け止められたが、お陰でそちらへと注意が向き、ディオは鎖を離す事が出来た。

だが、一撃、二撃と衝撃に刃が緩んだ間を取られ、レオナに強烈な横払いが入った。

「くっ!」

弾き飛ばされ、衝撃に地面へと投げ出された。

 立ち上がろうとするレオナに――それよりも速く、誰かが目の前を過ぎる。

 それは姿勢を低くし、走り抜けたファリアリスだった。

 貫くことに適した刺突剣が兜を貫通する。躊躇いのない一撃だった。

 彼女の剣が額を刺し貫き、描かれた文字を真っ二つに割った。

「さようなら――お父さま」

 小さな呟きは、強く吹いた風へとさらわれていった。



 動揺が一斉に飛ぶ鳥のように広がる。

 その試合を見ていた誰もが目を疑った。

 それは一国をまとめる王とて同じ事。

 額を貫かれた瞬間に、兜と鎧だけが鈍い音を立てて地へと落ちたのだから。

 近付くまでもなく、中はがらんどうだった。

「何だと?」

 盟主アルマナクは動揺を表に出す事は常に自らに禁じていた。

 例え、戦場で背後から襲われても、即座に冷静さを取り戻さなくてはならない。

 当然だ――国の式典で領主を失ってしまう事など、在ってはならぬ事が起きたとしても、柱は守らねばならない。

 それでも次々と黒騎士たちの瓦礫の山が築かれる様には、呟かずにはいられなかった。

「あらあら、もうばれてしまいましたわ。あと数十年は大丈夫と思っていましたのに。だって皆様、御馬鹿さんなんですもの」

 女――柱守の神官が呟く。

 近衛たちが慌てて動き剣に手をかけるが、それを無言で制した。

 若輩の頃より、鷹の様と形容された鋭い眼光を向ける。

 あの騎士たちを連れて、こちらへと加担をした女だ。全て承知の上で、ここに現れたのだろう。

「貴様は何者だ? 神官などというつまらない嘘を吐く必要はもはやないだろう」

「知識を運ぶ者――とでも呼べばよろしいですわ。実は、あの柱も、わたくしがもたらしたものですのよ。失敗作でしたけれど、人々に争いを撒くのにはちょうどいい餌でしたわ」

「――何だと?」

 騎士たちに取り囲まれたというのに、女はゆっくりと国の中心である柱を見つめた――数百年前からあるという柱を。

「最後に良い知らせを差し上げましょうか。あの黒騎士は戦士たちの死体を使っているのですよ。勇ましく戦い、死した後も安息を許されない。戦士の礼儀にうるさい貴方らしくてよろしいでしょう?」

 王は壁に立てかけてあった剣を抜き、裂帛の声と共に投擲した。

 空気を切り裂く音と共に、重量を持った鉄の塊が女へと突き刺さる――はずだった。

 神殿の柱守、という論理が一瞬判断を鈍らせた。

 ふっとその姿が、変わる。

 消える、というのではなく、黒い虫の集合のような物へと化けた。

 ともすれば、意味の分からない文字の羅列にも見える。

 剛剣はそれをすり抜け、轟音を立てて壁へと突き刺さる。

「貴方様の力が全てというお考えは、素晴らしく愚かですわ。もう数年もすれば同じ兄弟の国同士で争って滅びたでしょうに」

 声だけが残響のように不快に耳の底をなぞる。

 不協和音を耳元でささやかれるように背筋が粟立つ。

「また私は次の国へ向かいますわ。また会う日まで御機嫌よう、愚かな盟主さま」





 今回の闘技大会は混乱のまま中止となり、幕を閉じた。

 争いの源となっていた柱の行方も保留となったままだ。

 自分たちがした事は優勝でも活躍でもなく、黒騎士を滅ぼすという僅かな一石を投じただけだ。

 だが、水面に広がった波紋は国中へと満ちる。

 これから双つの国が共同で神殿への追及を始めるだろう。互いの緩衝材となっていたはずの神官が起こした恐ろしい行為は勇猛な戦士たちの命を刈り取り、黒騎士を倒しただけでは終わらない。

 皮肉な事に、共通の敵を持って初めて協力する事ができたのだ。

 そして王国領フリジアは、娘のファリアリスが新たな領主として跡を継ぐこととなったという。

 女領主は許されるのか、と心配になったが、双戦場の片方の国が女王のこともあり、前例も多く見られることから問題はないのだという。

 ただし――

「ファリアリス様はお勉強よりも剣術の方がお得意で。今までにあまり勉学を真面目にされていなかったんですよ。だから、まずは領主の礼儀作法から身に付けないといけません。僕も、帰ったらお手伝いしますよー」

と、ハーシェルが言っていた。彼はやはり影が薄く、最後の試合の前にも領地の細々とした手続きをしていたらしく、後で何があったかを話すと非常に驚いていた。細い目とほんわかした表情はまったく変わらなかったが。

 ファリアリスは、都の外まで見送りに来た。

 終わった数日間は目の回るような忙しさだったようで、明日の出発を告げると不平と不満を言われた。

「もっと早く言ってくれれば送別会でも勝利祝いでもやったのに。ド派手なやつにして、麦酒かけとか花火とかやってもいいのよ?」

「やめれ、そういう金の無駄使いは」

 馬車を貸すとも言われたが、あの惨劇を思い出しディオと共に丁重に辞退した。

「旅が終わったら、絶対に遊びに来なさいよ! 新領主さまの友人って事で特別料金で泊めてあげるから!」

 涙の跡が見える彼女は、もう父親の気を引きたいだけの少女ではなくなっていた。

 その父親はもういない。

 だが、恐れる事はない。

 支えてくれる者が周りに――そして遠くにもいるのだから。

 とにかく――全てはこれからだ。



「あのアリスが領主さまねぇ……。ちゃんとまとまるのか?」

 荷物を担いだディオが呟く。

 やっと自由の身になったからか、その足取りは軽い。

 ――きっと、明るくて楽しい領主になる。

「明るくて楽しい、って領主としてダメなんじゃねぇの? ま、あのアリスが暗くて厳しいっていうのも想像つかねぇからいいのか、あいつはあのままで」

 ファリアリスと過ごした時間は、ただの一月にも満たない。

 しかしディオの言葉は、すっかり数年来の友人に向けるような砕けたものへと変わっている。

 そしてもうひとり。

「お前たち、あまりはしゃぎすぎるな。考えなしに動くから昨夜のように遅くまで歩く羽目になるんだ。少しは計画性を持て」

 最後尾を歩いているレオナが呆れたように言った。

彼女だけは一定の速さで着々と進んでいる。一歩一歩の距離を急がないこと。これが旅のこつだという。速く歩き過ぎても遅かれ早かれ予定が狂うことは間違いない。その道標となる距離は、確かに自分たちには欠けているものだった。

「なんか用心棒っていうか、引率の先生みたいだな。レオナ先生って呼んでもいいか?」

「いいだろう。そう呼んだ後の安全までは保証しかねるが。呼ぶつもりなら、相応の覚悟を持って臨め」

「先生にそこまでの覚悟が必要なのかよ!?」

 ディオが叫ぶが、レオナは素知らぬ顔で歩を進める。

 そう――彼女は、自分たちについて来てくれることになったのだった。



 用心棒を雇う提案をすると、ディオはしばらく考え込んだ後にこう言った。

「アリスからもらった金でしばらくの間はしのげるだろ」

 旅の事情を話すと、レオナも目を丸くしていた。

 声が聞こえてくる、その主を知りたい。

 そんな理由だけで長い旅に出ているのだから。

 しばらく考え込んでいたが――やがて引き受けると答えた。

 少し考えていた理由を後で聞くと

「自分が狭いと思ったんだ。そうやって理由もなしに旅に出るなんて事は今までなかったからな」

 と、分かりそうで分からないことを言っていた。



「それで、目的地は決まっているのか?」

 目的地は――

「双戦場の中でも郊外の方に、湖の中央に誰が作った物かもわからない、古い遺跡があるらしい。そこに精霊がいるって言われてるらしくてな。声が聞こえてきたって話があるんだってよ。次はそこに行ってみる」

 と、ディオがすらすらと答えてみせた。

「ほう? どこで聞いてきたのか知らないが、えらく詳細だな」

「ふふん。このディオ様の情報収集能力を侮るなかれ、だぜ」

 得意げに鼻をこするディオに、ぽつりと呟く。

――……それはハーシェルが教えてくれたことのはずだけど。

「ちっ、ばれたか」

「貴様という男は……」

 レオナに睨まれ、ディオはあさっての方向を見た。

 そのやり取りを見て、思わず噴き出す。

 どんなに遠くに行っても大丈夫。

 ふいに、そう思った。

 風が吹きわたり、風車が回る。

 三人で斜面を降り、丘を下りる。

 振り返ると、大きな柱が天を支えるようにそびえる。

 空も風も誰の物でもない。

 そこに勝手に境界線を引き、権利を主張していることは、ちっぽけなのかもしれない。

「おーい、待てって。こちとら重い荷物持ってんだぜ?」

「一番重い物を持っているのは私だろう」

「いいじゃん。どうせ一番筋肉あるんだから――あだだだ! ずみまぜんっ!」

 失言をしてレオナに首を捻られているディオの声が空の下に響く。

 答えはまだわからない。

だが、進もう。

 水が流れていくように、その流れは止められない。


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