偶然な出会い
何処まで世界は続くのだろうか?冒険者すらも答えは見付からない。幾重の国達と大小の町達。
魔物が頻繁に登場する森や先端を急いでしまった為に滅んだ古代遺跡。
安定を望む人ならば”何でも屋”と呼ばれる荒くれ者へ護衛を頼むだろうし、
命知らずの血気盛んなら冒険者として未開な土地へ足を赴く。
人に害をなす魔物、人と関わりを持たない森の民、一定の距離を保つ獣人。
挙げれば無限の多種多様な種族が大きな世界に寄り添いあって生きている。
―世界リンカーナについて―
「……ですから夫の遺品を見つけてください」
何だ既に人妻なのか。
ギギナは涙をボロボロと流して依頼を申し入れる女に冷めた眼差しを密かに送った。案内されて座らされたソファーは心地が良くて寝転ぶだけで意識を落としてしまいそうになる程の柔らかさ、ギギナの目では鑑定出来ないが、恐らく無造作に並べられた壷一つでも、金に困っている家族を養えるだろう。裕福な育ちか相手が金持ちだった――それとも両方だったのか。病死してしまった夫を今でも愛しているに違いない。その証拠に壁には夫らしき絵が飾られている。しかし人妻だった事には驚いた。酒場で何か金が稼げる仕事の依頼は無いか髭面の(昔、何処かで大暴れをしていたようでイカした顔面をしていた)店主に尋ねた際に彼女と出会った。活気が盛んな街、『ウルド』を歩き回った中で本日一番の美人だ。やや陰の落としているが女性は外見は20後半。鼻筋が整っており口元にあるホクロが妙に色気を漂わせていた。飾らない美しい服の中では到底、隠すことなど出来ない豊満な胸。顔に埋もれたら窒息するのではないか。また体型も抱しめれば自分の二の腕に嵌りそうな腰の細さ、見惚れてしまう。
「依頼受けて下さるの?」なんて藍色の涙混じった瞳で浮かべられたら男として堪らない。
お話だけでもと家に上がりこんでしまったのだ。鉄火面さを兼ね備えた自分の顔付きは堅物と真面目な印象を受けやすい。内心は依頼を聞きながらベッドで転がり込んで一夜を共にしよう等の最低な考えを過ぎらせていのも事実だ。この男は無類の女性好きだった。所謂むっつりスケベだ。
ホイホイと甘い餌に釣られてから後悔した。
ギギナは見る見る内に失くしていくやる気を隠すように手で目元を覆い隠す。だらりと前髪が垂れる。あー、何て断ってしまおうか。テーブルの上に並べられた彩りの良いお茶菓子と上品なカップに淹れられた紅茶まで用意して貰っていると断り辛い。キョロキョロと落ち着きなく視線を巡らせながら考えに物思いふける。そんな中、ギギナの隣に腰を掛けていた金髪の女が小さく手を挙げた。存在を忘れていた。
「つまり依頼の内容は強盗によって盗まれてしまった夫の遺品を見つけ出す事ですね?」
「はい!その報酬は多めにお払い致しますので…。」
「うーん、どうしましょうか。」
やや乗り気では無い女は眉を寄せた。首を捻る度に支えている杖が足元に当たって痛いから止めて貰いたい、無意識に自分よりも二つ回り小さな女……いや10代の半ばのガキに無言で睨みつけた。突き刺す眼差しに彼女も気付いたのだろう、ゆっくりと見上げると口元を緩ませて笑った。ほんわかとした人良さげな笑顔は人畜無害さをアピールしていると同時に頼りなさも溢れ出る。店主に頼んで来て貰った冒険者らしい。通りで目の前の女性が此方に声を掛けたのか意味が分かった。この街では裕福な者が何かを依頼する際、それなりに実力のある腕利きへ店主は仕事を回してくれる。店への繁盛にも繋がるからだ。しかし裕福とは言え彼女は独り身。恐らく夫が資産を握っていると考えたのだろう。商売に繋がらない相手だと対応も冷たいものだ。半分嫌がらせで半人前な少女を行かせたに違いない。細い腕は杖を持つのもやっとな様子で体力も無さそうだ。問題の頭も……足をブランコの様に揺らし落ち着きがない分、期待出来ない。仮に少女が受けてもギギナが断れれば新たな人間を探しそうな勢いで依頼者も不安げだ。
ギギナは深い溜息を漏らした。
「いや、そこのガキ。……この依頼を受けるつもりか?」
「悩んでいる所ですね。あとガキは止めて下さい。私にはセレナって言う名前があります。」
「はっ、お前はガキで充分だろう?」
「……確かにオジサマから見れば私はガキに見えるかもしれませんが…。」
「オッサンと呼ばれる年齢では無いぞ。」
「30代はお兄さんと呼ばれたい年齢ですか?」
「だ・ま・れ!!!私は20代だ、20代前半。」
「ええぇぇぇっ。」
驚きに飛び跳ねた。老け顔だと言いたいのかと怒鳴りたかったが、ギギナは咳込んで我慢した。
「兎に角だ。お前は止めておけ。盗品となれば荒事もあるだろうしな。」
「いえ、それに関しては問題ありません。」
「は?」
「貴方が受けて下されば荒事は引き受けてくれるでしょう?見た所、得意分野っぽいですし。」
セレナと名乗った少女が腰元の剣を指で示す。使い込まれた剣だと訴えるように手垢があちこち残っていた。同時に”得意分野”とわざわざ口にした彼女の真意も見えた。肌に期待と言う名の圧力が矢印となって刺してくる感覚、ギギナは恐る恐る依頼者へ向き直る。陰のあった依頼者の表情はぱあああっと咲き誇った華のように煌びやかに輝いていた。
「本当ですか?」
「え、あ……。」
「どうしても主人の遺品を見つけて欲しいのです。」
「だ、だが……。」
「お願いできませんか?」
相手が男や子供ならば一刀両断出来ただろう。しかしドストライクな美人にギギナは弱かった。非常に断りたい理由があるのだが依頼者は知らない。そして誰よりも商売上手だったのはガキと評価していたセレナだった。人良さ気な笑顔を振りまきながら親指と人差指を合わせ円を作りあげて掲げる。
「では彼と依頼を引き受けましょう。私は幸い探索系の魔術が得です。で、報酬は…この部屋にある物を拝借出来れば良いので後々……彼とは相談して決めて下さい。」
「お、おい!?なに勝手に決めて…。」
「ありがとうございます!!!」
ギギナの声に被せて依頼者が感謝に頭を下げる。知らず知らずの内に商談が成立してしまった。子供だと思って舐めていた結果だ。この野郎と殴りたくなったが未亡人ならば依頼後にアプローチを掛けるのも有りかもしれない考えが過ぎる。完璧にこなす→キャー、イケメン抱いて→一夜を共にする。完璧だ。
「まあ、何かの縁だ。私で良ければ…その依頼受けよう。それで…ええっと貴方は……。」
「エリーゼです。」
「何とも綺麗な貴方に似合った名前。ああ、ちなみに私はギギナと…。」
「ギギナさんですね。先程自己紹介しましたが私はセレナと申します。」
ギギナは口を閉ざした。じと目で自分より小さな少女に言い聞かせるように人差指を立てる。
「ガキには用は無いんだよ、口説くのならもっと成長してから私の声を掛けてくれ。」
「一応、私も依頼として受ける訳ですし…お互いに協力しあいましょう?」
「邪魔するなよ。」
邪魔なんてとんでもないとばかりに首を左右に振るうセレナの横で、依頼人であるエリーゼも困ったように形の良い眉を下げていた。依頼人を前にして話す会話では無かった。これでは心の狭い男だと認識されてしまう恐れがある。ギギナはあはははと強張った口元で笑いを立ててソファーに座る体勢を直す。真面目さに切り替えようと頭を振るい随分と冷めてしまった紅茶へ口元を添える。
「――で、エリーゼさん。貴方の盗まれた遺品と言うのは…。」
重たい口が開くと同時にエリーゼの眼差しがセレナとギギナへ向けられた。
「身体の弱い夫でした。優しい方だったのですが季節の風邪を拗らせてしまってそのまま……。分かっていたつもりでした、早目にお医者様の元へ行くべきだと。それなのに夫は仕事があるからと省みずに働いたのです。私の家はちょっとした有名な商家なのですが、身体の関係で跡継ぎとして選ばれませんでした。夫は少し引け目を感じてしまっていたようです。貴方が居てくれたら良かったのに…ああ、話が逸れましたね。彼が亡くなった後、遺体を埋葬する為に墓地へと向ったのですが、その途中で見知らぬ男達に襲われてしまって。幾ら街中にある所だとしても治安がよく無いと知っていた癖に一人で向った浅はかな女とは私の事ですね。本当にどうしようも無いです。気付いた時には私の持ち物は全て失われていました。怪我を負わなかったことが幸運でしたね。ただ大事な形見を盗られたと気付かれた時には……絶望致しましたけどね。」
「………。」
「ごめんなさい暗い話になってしまって…。」
ああ、こんな話は苦手だ。勿論、顔に出しはしないがギギナは「気にしないで下さい」と好青年さをアピールさせるような爽やかな笑顔を浮かべた。ちゃっかりとズボンからハンカチを差し出す。機械的に話をしてくれたが嫌な思い出なんて誰も口にしたくは無いだろう。本当の所はポイント稼ぎなのだが(こんな美人を見逃すなんて末代まで後悔しそうだ)鉄火面を生かして紳士風を装う。エリーゼは頬を緩ませてハンカチを受け取ろうとした途端、ズズズとセレナが音を立てて紅茶を啜った。
「それで盗まれた物は、どんな形をしているのですか?特徴とか…やはりソレが分からないと探しよう無いですし。早目に行動しないと旅商人に売られでもしたら行方が永遠に分からなくなりますよ。」
セレナの指摘にエリーゼは慌てた様子で手を引っ込めて頷いた。
「そ、そうですね。」
「………。」
ちょっと良い雰囲気になりかけたと言うのにぶち壊されてしまった。ギギナは差し出したままのハンカチを渋々引っ込める。エリーゼは表情を硬く引き締める。
「肝心の盗まれた遺品と言うのが指輪なんです。代々、夫の家に伝わる物らしいです。輪の部分には文字…読めないけどもミミズみたいな字体が埋めこまれていて、肝心の宝石はダイヤモンド…。ピンク色の珍しい色素をしていたわ。でも一番の特徴はさっきも言ったけど変わった字体の方ね。夫によると大昔に名のある魔術師に術を施して貰ったようです。」
「なるほど。特殊な術式なら辿れるかもしれません。」
「本当ですか!?」
「それは確かなのか!?」
「まあ見た目で分かると思いますが魔術師ですので…そのぐらいなら。ただ、街中の物を一斉捜索するのには時間を掛けすぎてしまうのでギギナさんの力が必要となりますね。」
「私のだと?」
ギギナの眉が皺を寄せる。
「ええ。意外に盗みが長けた人物って魔術を使える者が多いんですよ。恐らくエリーゼさんへ危害を加えられなかったのも指輪の効力を不安になったかもしれません。家に継がれていく物って相場は持ち主を守る為に存在していますし。下手な呪いなんて振りまかれたら冗談では済まされません。」
「の、呪い!?」
ぎょっとした様子でエリーゼが驚く。物騒な単語を飛ばされれば不安にならない訳が無い。「ああ、勿論。可能性の話ですよ。」と遅れたようにセレナのフォローが走る。もっと早目に安心させてやれ。
「だからこそ売るにしても魔術の中身を知らないと不味い訳です。本人以外の誰かに売りつけたら命を刈り取ってしまう呪われた術かもしれませんし…ね。まあ、よっぽどの術師ではないと出来ない芸当なので確立的に低いですが万が一もあります。大体、お金持ちから物を盗むのが珍しい話なんですよ。リスクが高いですし…相手を間違えると、その近辺に居られなくなります。」
「ならば彼女が盗まれたと言うのは……。」
「んー、もしかしたら近場の人間かもしれません。」
「そ、そんな。」
ショックを受けるエリーゼの顔色が青くなっていく。
「ま、まだ分かりませんけどね。なのでギギナさんには情報を集めて貰おうかなと考えています。」
「………待て。何で私が集める必要がある?」
「私が尋ねて真面目に情報を頂けると思いますか?」
大体、情報の集まる場所は酒を酌みあう所だ。これが10代半ばの少年ならば新入りと気軽に声を掛けれるが性別が違えば扱いも変わる。実際、緩い口調で的確に話を続けるセレナも顔は悪くなかった。後、10年ほどの年月が過ぎ去れば育ち方次第ではギギナのドストライクとなる可能性がある分、素材は良い。話よりも別の意図で連れ込まれるだろう。上から下まで眺めて溜息を漏らす。
「一定のオジサマには受けそうだが…。」
「色んな方にお話を聞かないと意味が無いですよ。目星をつけて魔術で探索したいのですから。」
「………しかしだな…。」
すっかり空になってしまったグラスに視線を落とす。野郎と会話なんて面倒臭いのだ。大体、冒険者であるギギナにしてみれば魔物狩りをして手っ取り早く金を稼ぐことが出来れば問題無い。一時の食事代と宿、美人な女を抱いて、見知らぬ土地を放浪さえ出来れば―――やっぱり断ってしまおうか。刹那、紅茶を持つ指先に暖かな感触が伝わる。ゆっくりと辿っていくとエリーゼがギギナの手を握り締めていた。自分の方へと引き寄せると同時に顔の距離を詰めて見上げる。
「大事な指輪なんです。もし、もし、取り戻してくれたら私どんなことでもします。」
ギギナの耳が心ばかりか大きくなった気がした。
「どんなことでも?」
「はい」
「絶対に?」
「神に誓って。」
「もし私がエリーゼを抱きたいと言ったら?」
「子供が居る前で言うことではありませんが……望むなら、脱ぎます。」
商談成立。ギギナは彼女の掴む手をすり抜けさせ、横髪を掬い軽く口付けを落として立ちあがる。カチャカチャと金属同士が重なり合う音が響き渡った。簡易な鎧でも立つと重心が身体に圧し掛かる。
「………さてセレナと言ったな。お前の作戦に私も乗ろうじゃないか。」
「人間のあるべき欲望を目撃した気がしました。」
「煩い、目標を掲げたと言ってくれ。」
「将来刺される未来しか見えないです。」
それぞれカップをテーブルに置いて顔を見合わせる。とても長い髪だと思っていたが、セレナも立つと更に際立つ。足元に付いてしまうのかギリギリのラインだ。頭は重くないのだろうか、ギギナは不思議に思う。肩を解すようにセレナは腕を回す。んーっと背を伸びたくなるのも無理は無い。依頼の話が長丁場となったからだ。窓の外に映る風景も、すっかり日が沈み始めていた。赤い空が何だか物悲しい。セレナは一瞬だけ目を細めたが合図するようにギギナのマントを軽く引っ張る。早く出ると言わんばかりの急かしかたに眉を寄せたが長々と未亡人の自宅に留まるのはマナーが悪い。長ったらしい前髪を払って掻きあげるとギギナは見つめる依頼人へ、そのまま自信有りげに胸を叩く。安堵するエリーゼを横にセレナはじぃーっと食いつくように彼の表情を覗き込み、「役者で稼げそうな演技力」と小さく呟いた。