第6話 はじめての登校
晴れ渡る空に無駄に高く上がった太陽の熱気がオレの体力を奪う。今日はどうやら近年稀に見る猛暑。今、オレはトレニア学園の本校舎を目指して、急な坂道を歩いている。
この学園には不思議な規則がある。学園は広大で端から端まで、どう考えても歩くのが億劫になるような距離があるのにも関わらず馬車を利用した移動が園内で禁止されているのだ。
もちろん、貴族も例外ではない。そう、何を言おうが、公爵の令嬢であるオレですら、その規則が適用されるのだ。勘弁して欲しいものだね。
「リリア様、お辛そうですが大丈夫でしょうか?」
「…大丈夫です。マリー、心配をしてくれてありがとう」
メイドのマリーに心配されながらも、なんとかここまで歩いて来ることができた。オレは肩で息をしながら、山頂にある白い大きなトレニア学園の校舎を見る。
「……遠いわ」
「リリア様、よければこのマリーがおぶって差し上げますわ」
「大丈夫です! 本当に大丈夫ですから!!」
マリーは可愛らしく茶目っ気たっぷりにウィンクした後にそう言ってきたがオレはその件で安易にお願いしますとは言えない。なぜならば、オレはヴァルデンブルクの帝王ヴァハドゥール・ド・ヴァルデンブルク様だからだ。そんなことで、女性に頼る訳にはいかない。
オレの元帝王としての矜持がマリーにおんぶして運んでもらうという情けない行為を許さないのだ。
そんなことをオレが考えて歩いていると通り道にベンチが見えてきた。
「まだ、入学式までかなりの時間があります。リリア様、少し休んでいきましょう」
「いえ、私は疲れておりません。大丈夫です」
マリーにおぶられるのは勘弁してほしい。オレは疲れているのを悟らせまいと必死に元気があると彼女に主張した。
「リリア様、主にこのようなお願いをすることは使用人として恥ではありますが、どうか私のためにも休んで頂けないでしょうか? 少々、歩くのに疲れてしまいました」
そう言う彼女はオレがどう見ても、疲れているように感じれないくらいに元気そうだ。むしろ、こちらを気遣わしげに何度も、見てくる始末だ。気を使われているのか。
「マリーが疲れているのなら致し方ないですね。少しだけ、休憩を致しましょう」
オレは彼女の好意を汲み取り、休憩をすることにした。大きな木製のベンチが横に二つ並んで設置されている。オレはベンチに腰を下ろす。そして、ベンチの後ろで立ったままのマリーを見る。
「マリーも、座ったらどうですか?」
「リリア様と同じ場所に座る訳には参りません」
オレの提案を即座に断るマリー。そんな彼女の台詞を聞いたら、オレを休ませるためにベンチまで誘導したことがまるわかりだろうに…
オレは気分を変えるために新しい話題を彼女に振ってみた。
「それにしても、学園に通うのって大変なのね。マリーは今までに学校などに行ったことがありますか?」
「リリア様は驚くかも知れませんがありますわ」
「男爵家の令嬢であったあなたがですか?」
意外だ。彼女は貴族の出であったはずだ。だから、オレは言ったことがないのですと言う意見が聞けると思っていた。
普通の貴族は自らの邸宅に教師となる人物を招き入れて勉学に励む。もちろん、オレもフロイデンベルク地方に住んでいた時は、親父の城に先生を呼んで勉強をしていた。
「リリア様、情けない話ですが私が生まれた家は余り裕福とは言えませんでした。そのため、リリア様のお父様による支援の下で、わたしは学校の方に通わせて頂いておりました」
「そうでしたか。学生時代はどのようなことを習っていたのですか?」
オレは彼女と和やかに話をし、十分に休憩時間を満喫した。
しばらくして、オレがベンチに座っていると入学式に参加すると思わしき親子連れが道に沿って歩いていく光景を目にする。
オレと同じで入学式に参加するのだろうと思って漠然と見ていたら、道を歩いている子連れ夫婦の会話が耳に入ってきた。
「ママ、あその人たちはなにをやっているの?」
「見ちゃいけません」
オレは先ほど話していた家族の言葉に反応して、彼らの視線の先を追う。イヤな予感しかしない。そこには四つん這いで歩く男の上に女性が乗って、鞭を叩き付けていた。
「何をやっているのですか!?」
「リリアーヌ、見てわからないのですか? 学園に向かっているのです」
「いえ、そう言う事を聞きたいのではなく。なぜ、お父様の上にお母様が乗っているのですかと聞いているのです」
「この学園は馬車による通行を禁止してるでしょう? なら、ヴェルに乗るしかないではありませんか」
さも当然と言わんばかりに母はそう言ってきた。いや、おかしいだろう。馬車が使っていけないならば、普通に歩けよ。
「ソフィア、リリアちゃんは、きっとお父様に乗りたいのだよ。ただ、照れくさくて言えないだけだよな。お父様はわかっているよ。ほら、ソフィア、リリアちゃんが乗れるようにすこし場所を分けてあげてくれないか?」
親父は、娘の気持ちはわかっているよとでも言うようにそんな戯れ言をほざく。あり得ないからね。誰が豚のような父親とは言っても、外で親の上に股がって歩きたいと思うんだよ。
「いいえ、違います。恥ずかしいのできちんと歩いていってくださいませんか?」
「お父様はきちんと歩いているとも」
親父はそう真面目腐った顔で言うが、そんな訳あるかよ。人はそんな風に普通は四つん這いで歩かないんだよ。
「ヴェル、打ち合わせがはじまってしまいますわ。急いでください。リリアーヌ、私たちは先に行きますね」
「早く言ってください」
「では、リリアちゃん。またね!」
そう言って、親父は人間の速度とは思えない程の速さで駆けていった。親父は下手な馬よりも速くないか!?
ああ、それにしても、億劫だ。この両親の会話が他の人に見られていたら。学園入学前からキチガイ扱いされるな。帰ろうかな…