二十話目 深川侑生
20.
意識が戻る。目を開けると真っ暗で焦り、寝袋の中だと思い出して安心する。
ハプニングと言うか不具合は其れ位で他は無い。時間を確かめると朝の七時。
予定より早く起きてしまったけど、寝不足の時の疲労感や筋肉痛とかも無い。
しかし、まるで長い夢を見た後みたいだ。確かに夢みたいな出来事だった。
寝袋から出て身支度を整える。まだまだ出掛ける時間まで大分あるけど、どうしようかな? まだ時間に余裕があったから、また来ちゃいましたって言って誕生世界に戻るのも変な話だよなあ。
とりあえず部屋を出てキッチンにある冷蔵庫の飲み物を取りに行く。
そこに父さんが居た。
「おはよう! 父さん!」
俺はついつい誕生世界と同じ調子で挨拶をしてしまった。
少し気恥ずかしい。こんな元気に挨拶をするなんて、小学生に戻ったみたいだ。
「おう、稔、おはよう! 朝からハキハキとした挨拶は気持ちが良いな! しかし、どうしたんだ?」
いつもの俺なら父さんから挨拶をされたとしても、ボソッと小声で挨拶を返すか最悪の場合は無視をしていただろう。
でも今日は自分から、しかもハキハキと挨拶をしたもんだから、父さんが自分の息子の変化に驚くのは無理もない。
「父さんの言う通り、朝からハキハキ挨拶をすると気持ちが良いって分かったからさ。今日からやっていこうって思ったんだ。朝だけじゃ無くてさ、挨拶をハキハキすると気持ちが良いよね」
「そうだな。これから我が家の家訓にするか」
「それもいいね」
父さんと、こんなに会話をするのも久し振りだ。
元気に挨拶をするだけで、意外に変わるものだよね。
「朝から大きな声を出してどうしたの?」
母さんもやって来た。ここは元気な挨拶をしとかないとね。
「おはよう! 母さん!」「おはよう!」
「父子二人して元気な挨拶ね。全くどうしたのよ? はいはい、おはよう!」
母さんも少し困惑したようだけど、嬉しそうに挨拶をしてくれた。
父さんが母さんに楽しそうに、さっき俺と話していた家訓の話をする。
俺もそれは良いと賛成したりして、家族三人で賑やかに過ごした。
「ところで、どうして稔は急に挨拶をしっかりするように思ったんだ?」
三人で朝食をとっていると、父さんから質問された。
「知り合いに薦められたから、ってところかな」
まあ薦められたと言うよりは強引にやらされたと言うか、やらざるを得なかったと言うか……兎に角そんな感じだけどね。
「知り合いってインターネット関係か?」
「まあ、そんなところかな」
異世界に行って出来た知り合いです。とは言えないよね。
息子の頭がおかしくなったと思われちゃうのがオチだし、説明するのも面倒だ。
「そういう知り合いも悪くないもんだな」
「あらアナタ、最近じゃインターネットで知り合って結婚する人だっているのよ」
「ほー、そうなのか」
こんなに三人が三人とも会話をする食事も久し振りだな。
俺は朝の挨拶から始まった良い流れが、このまま続くと良いなと思いながら食事を済ませた。
「父さん! いってらっしゃい!」
「あなた、いってらっしゃい」
「おう、いってきます!」
父を見送る時も、しっかりと大きな声で挨拶する。
それを見ていた近所の父さんと同じ位の年齢の人が、家族仲が良いですねとか羨ましいとか父さんに言って父さんは嬉しそうにしていた。本当に良い気分だ。
「じゃあ、母さん、いってくるね!」
「はい、いってらっしゃい」
時間が来たので大学に向かう。出掛ける時は母さんにしっかり挨拶をした。
大学では相変わらずのぼっちになるだろうけど特に気にはならなかった。
家に帰れば快く出迎えてくれる家族が居るからね。
それに朝から気分が良かったから少しテンションが高いのかも。
これも誕生世界のお蔭だ。
嫌な出来事もあったし、思い出しちゃうと吐いてしまいそうな程に気分が下がるけど、その後の出来事を思い返せば気分が良くなってテンションが上がる。
そんな事もあって通学の道すがら、誰でも良いから誕生世界の話でもしてないかな? と聞き耳を立ててみたりしてしまう。
もしかして? なんて思う会話をしている人も居たりして、ますますテンションが高くなる。
まあいくらなんでも、それ誕生世界の話ですか? と話し掛ける程にはコミュニケーション能力が上がってはいないんだけどね。
そんな訳だから、大学でも誰に話し掛ける事もなく話し掛けられる事も無い。
ただ、良い趣味とは言えないけど、誰かの会話についつい聞き耳を立ててしまうようになった。昨日までリアルでは誰に対しても無関心だったはずなんだけどな。
誕生世界でのアルムとしての三日間が俺に劇的な変化をもたらしたんだと思う。
とはいえ、まだまだ地球世界では両親以外にはコミュ障みたいなもんだよね。
ただ、今の俺なら誰かに話し掛けて貰いさえすれば、普通に話せると思う。
いや、そんな気がする。たぶん。きっと。
だけど、俺に話し掛けてくる奇特な人は居ない。
俺はぼっちのまま、テンションが少し下がりつつ大学での時間を過ごした。
でも、大学からの帰路、信じられない事が起こった。
俺の好みを具現化した様な女性、数日前に携帯電話を拾ってくれた女性を駅で見かけた。電車を待っているみたいだ。
今迄の俺なら、綺麗な人だなと思いつつも、ただ見ているだけだったと思う。
でも、今日の俺はこないだのお礼をちゃんと言いたい。そんな欲求にかられた。
もしかしたら、なんでも良いから話したいと思ったのかもしれない。
彼女の方に向かって歩き始める。どんどん縮まる彼女との距離。
近付くにつれ胸が高鳴っていく。なんだ、これ? 落ち着け。
あれ? でも彼女は、こないだの事なんて覚えていないかもしれない。
ナンパと間違えられるかもしれない。そう考えたら急に身動きできなくなった。
彼女のすぐ近くまで来てしまったというのに、どうしよう? どうすればいい?
「あっ」
「えっ?」
意外にも、急に振り向いた彼女の方が俺の顔を見ると何かに気付いたのか、先に口を開いた。俺はただただ驚くだけだ。
「突然すみません。私の事を覚えてますか?」
「えっ、あ、はい。覚えてます。こないだはありがとうございました」
「覚えていてくれて助かりました。知らないって言われたら恥ずかしかった」
うわあ、なんだこの人、超可愛いんですけど!?
照れてはにかむ姿とか、俺の脳内写真に撮って永久保存版です。
「あ、う、あなたみたいな、き、綺麗な人を忘れるはずが、な、ないです」
言った。言ってやりました。マリア師匠に言った時の様に、スラスラとは言えなかったけど、言えた。
「わ、私が綺麗?」
顔を真っ赤にしている彼女は、それでもやっぱり綺麗だ。
でも、いきなりそんな事を言ったのは、もしかしたら失礼かもしれない。
「いきなり、そんな事を言ってすみません。でも本当に綺麗です」
「あ、ありがとうございます」
二人して何だか照れていると、電車がやって来た。
彼女は電車を指差して俺を見る。この電車に乗るのか聞きたいのかな? 俺は頷き、二人で電車に乗った。
「こないだ、携帯を渡した時にこれを忘れてましたよね?」
電車の中、彼女は鞄の中身ををごそごそと探すとストラップを取り出した。
きっと引っ手繰るように彼女から携帯をとった時に外れたんだろう。
それは俺にとって特別な物でもなんでもなく、ただなんとなく携帯電話に付けていたストラップなんだけど、彼女から受け取った事によって特別な物になった気がする。
「ずっと持っていてくれたんですか?」
「もし大事な物だったらどうしようかと思って。でも、考えてみたら駅員さんに渡しておけば良かったですね。私、馬鹿だな」
「そんな事は無いです! 持っていてくれてありがとうございました」
ゴン!
頭を下げたら、彼女に頭突きをしてしまった。
しかし、彼女の頭は固かった。強烈な石頭だ。頭がクラクラする。
「大丈夫ですか? 私、頭が凄く固いって言われるんです」
「だ、大丈夫です。そちらこそ大丈夫ですか?」
「そちら? あ、名前を言ってませんでしたね。深川侑生って言います」
「あ、俺は丹沢稔です。十八歳の大学生です」
「私は十九歳の社会人です。なんか頭をぶつけた後に言うのも可笑しいですね」
「でも、名前を聞けたから、頭をぶつけて良かったです」
「え? そうなんですか? 変わってますねー」
二人で笑い合い、侑生さんが駅に着いて降りるまでの、少しの間だけど話したから、お互いに少しは気楽になれたかな。
「また、駅で見かけたら話し掛けても良いですか?」
勇気を出して言ってみた。
「うん。勿論良いよ。私からも話し掛けるかも。良いかな?」
「勿論です!」
「あはは。じゃあ、またね」
「はい。また」
侑生さんは電車を降りると俺に手を振って行ってしまった。
誕生世界での出来事よりも夢の様な出来事だったかもしれない。
いや、誕生世界での夢の様な出来事があったから、侑生さんと話す事が出来たんだと思う。テンションが上がる。
「母さん! ただいま!」
「おかえり」
家に帰ると母さんがにこやかに迎えてくれる。
ただそれだけで意外と気分は良いもんだ。浮かれてるから尚更かな。
さっそく誕生世界に行きたいところだけど、夕飯とお風呂をどうするかだよね。
夕飯後に直ぐお風呂に入るとして、夕飯まで少し個人空間で訓練しようかな。
でも、こっちで一時間あれば誕生世界で十時間も過ごせるんだよね。
少しだけ行ってみよう。
俺は母さんに夕飯になったら携帯に電話をしてとお願いして寝袋に入った。
あっという間に意識を失い、気が付くと個人空間に。
アルムに意識を移す。そして誕生世界へ。
石棺から起き上がり神殿地下室から上の階へ。
照明器具が必要最低限の物しかついていないせいか暗い。
そして人が全然居ない。
と言うか異様に静かで怖いんですけど……もしかして夜中に来ちゃったのかな?
外に出ると月明かりとは別に通りの街灯が少しだけあって、ぎりぎり明るいって感じだ。俺は通りに出てマリア師匠の宿に向かう事にする。先ずは師匠に挨拶をしに行かないとね。
「ちょっと、そこのお兄さん」
「ん? 俺ですか?」
通りを歩いていると、良い匂いのする派手な化粧のお姉さんから話し掛けれた。
絶世のって程じゃないけれど、化粧が綺麗なそれなりの美人さんだ。
「私と遊んでかない?」
「え?」
頭が混乱してきた。どういうこと?
「なんだい? 商売女と遊んだことが無いのかい?」
ああ、そういうことか。そんなもんは無いに決まっている。
だいたい俺のアレは未使用だ。
まあ、そんな事をわざわざ言ったりはしないけれどもね。
「すみませんが貧乏人なもので」
「手持ちはいくらあるんだい? 安くしとくよ」
「いくらも持ってないんですよ」
「そんな事を言わずに遊んでおくれよ」
結構グイグイ来るな。
俺の腕に自分の腕を絡めて胸を押し当ててくる。
何? これもサービス? お金は払いませんよ。
「すみません、許してください」
俺は少しデレデレしていたかもしれないけれど、拒絶の意思を表明する。
「そんな事を言わずにさあ、ねえ?」
お姉さんが俺の大事な未使用のアレをズボンの上からさすってるよ。
あわわわわ、ヤバいよ。貞操を奪われちゃいそうだよ。
「かかか、勘弁してください」
ゴン!!
お姉さんの行動に身悶えていると、頭に何かの衝撃を受けて俺は意識を失ってしまった。