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波乱

数行ですが、地震についての記述があります。苦手な方は、ご注意ください。

 蕎麦屋を出たところで、このまま他県の自宅へ戻るという兄さん一家と別れた。

 その別れ際、兄さんは

「知美をお願いします。僕は自分の家族を両親から守ることで手一杯です。原口さんが知美を守ってやってください」

 深く腰を折って、頭を下げた。

 そんな彼に、約束をする。オレの力の限りを尽くす、と。



 そのまま、知美と初詣に行くことにした。学園町へと電車で移動する。

 電車の中のつれづれに、兄さんとJINたちが同じ高校の出身だとか、織音籠(オリオンケージ)の成り立ちとか。オレがベースを弾きだしたたきっかけなんかも話した。

「本当に天職、ですねぇ」

「英語じゃCallingって言うらしいぜ。天からお前の道はこっちって、呼ばれるんだ。オレの場合、呼んだのは天じゃなくってJINの声だったけどな」

 久しぶりに思い出す、高校生だったころのJINの歌声。学生時代のライブ。

 あの声に惹かれて、オレは人生の半分を仲間たちと過ごしたんだな。



 お参り先は、学園町の氏神様になる厄除け八幡。

「学園町なのに、氏神様ってあるのですね」

「オレの住んでるあたりは、古めの住宅街だから。あるだろ、それくらい」 

 古いぞー。オレの住んでるところは。古すぎて、ビビるぞ。きっと。

 手をつないで歩きながら、そんな話をして。

 

 鳥居をくぐる時に、立て看板が目に入った。


「今年、厄除け行った?」

「いいえ?」

「お前、今年本厄だろ」

「三十三歳ですよね。まだ三十一です」

 女性の微妙な感情に障ったか、むっと膨れて知美がこたえる。

「数えの三十三、だろうが」

 常識、常識、と適当に歌う。

「誰の常識ですか。それ」

 お、反撃が来た。成長したな。

 けど、残念。

「神社の常識だぜ。室町時代からのな」

 ふふん、まだまだだな。でも、その調子。

 オレになら、いくらでもかかって来い。



 手水舎で、手を清める。

 横の社務所にお祓いとご祈祷の案内が出ていたので、知美に勧める。

 どうするかは、お前の決める事だけど。

 ちょっとの間考えていた知美は、

「何かあったときに、お祓いを受けなかったからって思うのは嫌ですし。そうですね、受けます」

 そう言って社務所に向かった。

 申込用紙に必要事項を書き込み終わったタイミングで財布を出す。

 誕生日のころだったか、『お勘定を全て出されると、気になって”好きなように”メニューが選べません』って、言い出した。年上男としては、デートの費用は全部出したい、っつったら『誰の常識ですか』と反撃された。知美の成長に敬意を表して、それ以来、食事は割り勘。それ以上は知美に払わさないよう、電車代とか映画代とかの細かい出費は、さっさと出すようにしている。

 ここでもそのつもりだったら、知美に止められた。


「これは、私の厄なので。私が出します」

「それは、常識?」

「いいえ。神様に失礼だと思うので」

 まっすぐにオレを見てくる知美の目を見返す。

 いつからだろう。オレから目をそらさずに、ちゃんと視線が合うようになったのは。

 ”違和感”が減ったころ? 一人暮らしで自信が付いたころ?

 自分の価値観をコツコツと作り上げてきた、成果かな。

「OK、わかった」

 お前の厄だ。お前の価値観に従うよ。    


 本殿でお祓いをしてもらって、お札とおさがりを頂いた。

 知美はおみくじも引いた。


 小吉。

 縁談 波乱あり。熟考をすべし。


 波乱、なぁ。

 縁談で波乱っつったら、やっぱ異性関係か?

 横目で、この半年で綺麗になった知美を眺める。

 オレは、他の女にふらつく気はねぇけど。

 知美に懸想する野郎は、出てくるかもしれない。

 そいつが、交際を迫ったら? 

 今の知美は、それを振り切るだけの想いをオレに向けてくれているのか?


 ひでぇ結果だな。新年早々。


 おみくじを結びに行っていた知美が、戻ってくるなりそっとオレの手をとった。

「大丈夫ですよ。神様も『自分で考えて決められるようになりなさい』って言ってくれただけですから。もう一頑張り、なんですよね? 朔矢?」

 そう言って、オレの顔を見上げた。

 知美からの歩み寄り。

 オレ、お前に”好き”って思ってもらえてるよな。

 ささやかな意思表示って思っていいよな。

「ありがとう」

 オレの一番近くに来てくれて。



 それから、半月後にYUKIの故郷での毎年恒例にしているコンサートがあって。

 月末の地元でのライブに知美が来てくれていた。


 一月には常連なら知っている”幻の曲”を演る。

 CDには収録していない曲で、十年ほど前にYUKIの故郷を襲った地震のあとに作ったレクイエム。

 あの時、『実家は大丈夫らしいけど気になる』と帰省したYUKIは、壊れた街にアイデンティティを揺さぶられて迷子のようになって戻ってきた。

 ヤツが立ち直る過程で書いた言葉が基になった、織音籠では唯一の”作詞 YUKI”の曲。


 JINの横にスタンドマイクがもう一本、準備されたのを見て、客席が水を打ったように静まる。

 この曲だけはYUKIも歌うから。ファンは知っている。マイクが二本出てきたら、静かにする合図。


〈 さて、一月です。しばらく会えないでいる人、もう会えなくなってしまった人。そんな人が、もし心の中にあるのなら、その人を思い出してください 〉

 そう話すJINに柔らかくライトが当たる。隣に、YUKIがドラムセットから降りてきた。

 客席がほのかに明るくなり、イントロが始まった。


 黙祷をするように、客席に並ぶ頭が一つ、また一つと下がっていく。

 ステージを見る視線のない中で、最後の音が響いた。


〈 明日の朝が来る保証は、誰にも、どこにもありません。もし、先延ばしにしていることが何かあるなら。ためらわずに行動してください。後悔だけはしないで 〉

 毎年、変わらぬYUKIのMCで、締めくくる。  


 この言葉を、違う場所で思い出す日が来るなんて。

 そのときのオレには、想像もしていなかった。



 それから、まもなく。オレたち織音籠は、ブライダル産業からCMなどに使うための”結婚をイメージした曲”を作る依頼を受けた。


「独身二人は、結婚の意思とか、あんの?」

 打ち合わせか雑談かわからない状態で、YUKIがオレとJINに訊いてくる。

「オレは付き合いが浅いし、保留かな」

 結婚の意志はあるけど。知美からの合図を待っている状態。ってのが正しい答えかな。

 知美と出会って、一年ちょっと。このメンバーの中では、”浅い付き合い”って言っても許される気がする。


 YUKIとMASAは、学生時代からの彼女と十年前後付き合って、そこそこ売れるようになってから結婚しただろ?

 RYOなんか、紆余曲折があった話は酒の肴に聞いたことがあったけどよ。幼稚園の頃の初恋の子と、三十年越しだし。


「JINは? 美紗ちゃんと、もうかなり長いだろ?」

 そのRYOがJINに話を振ったから、オレも尻馬に乗っかる。

「同棲までしているんだから、籍も入れてしまえよ」

 三年位になるよな? こいつらが同棲してから。ライブの常連客だった美紗ちゃんを、飯だ、茶だとかまい倒していたのはもっと前からだし。

「ノーコメント」

 目をそらすように答えたJINに、メンバーで一番結婚の早かったMASAが言う。

「女には、タイムリミットがあるぞ。子供生むことも考えてやれよ」   

 刺さった。その言葉はオレにも。

 美紗ちゃんより、知美のほうが確か二つ年上。

 タイムリミットは先に来る。

 知美の意思表示を待っているだけで、いいのか? 


「で、詞のほうだけどよ」

 RYOが仕切りなおす。

「JINは今回どうする。”英語と、日本語両方で”という依頼だけど」

 オレは日本語でしか詞を書けねぇけど、JINはどっちの言葉でも書く。アルバムの七、八割はJINの作詞だから、 JINの返事しだいでオレの仕事が変わってくる。

「二曲という意味で良いのか?メロディーも変えて?」

「そう。曲はMASAと俺で分担する」

 RYOのその答えに、んー、としばし考え込んだJINは、

「英語だけで。日本語は、SAKUに任せる」

 と、オレのほうを見もせずに言った。おーい、ちゃんと心ここにあるか? 

 なんだか、半分上の空で言っているような様子が少し不安だった。



 作詞の合間に、ライブだなんだと他の仕事もこなしながら、知美ともデートを重ねて。


 この年も、バレンタインにチョコレートを貰って、

「朔矢はお酒を飲むので、今年は洋酒入りにしました」

 なんて、どこか照れくさそうにオレの名前を呼び捨てにする知美に、まだ口に入れてもいない洋酒に酔ったみたいにフワフワしたり。


「朔矢、いつだったか言ってましたよね。『知美に嫌いだから食べられませんって言わすのが目的』って。あれ、どういう意味だったんですか? 約束です、教えてください」

 って、食い下がられたり。

 よく、覚えてたな。おい。その話、夏だったろ? 半年以上前、だよな。

「好きか、嫌いか。それをはっきり自覚して主張する練習に変わったところで食事をさせてたんだよ」

 世界、食べ歩きみたいにな。何ヶ国の料理を食べたっけ。

「命に繋がっている食い物は、どんな動物でも一番妥協しない部分だからな。コアラは肉、食わねぇだろ?」

 『嫌いだから、食べない』って選択よりも、『これおいしい、また食べたい』って方がほとんどだったけどな。

 それでも、”好き”の意思表示は格段に増えた。


 『朔矢』、『朔矢』ってオレを呼ぶ、やわらかい声に混じる照れくささが取れるころには。

 卵から孵る合図を、くれるか?



 三月はまた、通知表で。今年こそ、お花見とオレの誕生日って思ってたのに。

 三月の祝日を前にした辺りから、また、仕事が混んできた。例のウェディングの曲がレコーディングに入ったせいで。

 打ち合わせで決まったとおり、オレが日本語の詞を書いてそれにMASAが曲をつけた。

 詞を書くために改めてネタ帳を繰っていると、ここ一年の自分の心の動きっつうか。いろいろ想っていたと突きつけられるようで、悶えそうになって、途中でノートを閉じることもあった。

 それでも、”結婚の詞”なら、知美を抜きには考えられない自分も居て、上澄みをすくうように言葉を拾い上げて紡いだ。最初のころの親の影に覆われていたような知美が、自分の力で選ぶことを覚えて、一歩一歩進んできた姿を思い浮かべながら。


 正月に、兄さんにはあんな格好をつけたことを言ったけど、この先の人生の長さよりもはるかに”女”のリミットが近いなら。彼女の成長を待たずに一緒になって、あとはオレがくたばるまでの時間をかけて、オレの手の中でゆっくり成長させてやったほうがいいのだろうか。


 詞を書くという、自分と向き合う作業の中で、オレの心は一人歩きを始めた。 



「はぁ? JINが、来ていない?」

 オレがスタジオに着くなり、そんな声を出した四月下旬のその日。レコーディングにJINが来なかった。携帯も切っているらしく、アナウンスしか流れない。

「昨日、声がおかしかったんだよな」

 そう言いながらRYOは美紗ちゃんに電話をかけていたが、彼女も連休前で忙しいらしく、かけ直してきたのは夕方だった。

 それも、特に心当たりがないそうで。その日はJIN抜きでできる作業を進めて、解散した。



 翌日、RYOに見せられたのは

【声が出ない。入院して手術を受ける。院内は携帯使えないから、連絡は手紙で】

 そんな簡単なメールだった。夜遅くに、JINから届いたらしい。

 ついに咽喉かよ。

 以前から怪我の多いやつだと、オレたちはからかっていたけど。

 歌えなくなったJINを想像して、ぞっとした。

 織音籠がどうとか以前に。ヤツ自身が取り返しのつかない程、壊れそうな気がした。



 GW.の連休の初日に、美紗ちゃんがRYOに呼ばれた形でレコーディングスタジオを訪れた。

 ヤツは、呆れたことに書き置き一つ残さずに姿を消し、連絡の一つも入れてないらしい。いつもより言葉少なに話す美紗ちゃんは、小柄な体が一回り縮んだようで。JINとそろいの指輪を嵌めた左手を指が白くなるほどの力で握り締めていた。


 彼女が帰ったあとの、スタジオでRYOが言い出した。JINと美紗ちゃんが恋人関係ではなかったのでは……、と。

 三年同居して、互いに片思い。知美より二つ年下の美紗ちゃんは、二十代の後半をただ、JINの一番近くに居ることだけを選んだんじゃないかって。

 むごい、と思った。JINのしてきた仕打ちが。JIN自身が、美紗ちゃんを大事にしすぎた結果だとしても。



 依頼された曲の締め切りが迫る中、織音籠のリーダーであるRYOは入院前までにレコーディングしてあったJINの歌で一応の完成とすることに決めた。オレたちにはわからない理由で自分の歌に納得のいかないJINが、リテイクを繰り返していた状態だったので、出来としては悪くないものになったと思う。JINにはRYOが手紙で了承をとったらしい。



 そして六月に入ったある夜、RYOが電話してきた。

〔JINの声が出るようになった〕

 と。

 RYOの声は、泣いているようだった

〔おい、大丈夫か、RYO?〕

〔あの声じゃねぇんだよ。嗄れているんだ〕

 心のどこかで予想はしていた。それでも現実になると、言葉にならないほどショックだった。 

〔歌え、そうか?〕

 やっとの思いで訊いた声は、咽喉に張り付くようだった。

〔本人は『歌う』って言っている。『美紗が待っているから』って〕

〔そうか。で、お前はどう思う?〕

〔モノになるかどうかはともかく、機能的に問題がなければ歌わせないと、アイツが壊れる〕

 心中覚悟で、俺は付き合うよ。SAKUも、どうするか考えておいてくれ。そう言って電話が切れた。


 ”心中覚悟”

 RYOの言葉が、頭の中でグルグルと繰り返される。

 ちょうど仕事のなかった翌日も、部屋でじっと考え続ける。

 心中、できるのか? オレは。織音籠と? JINと?

 知美はどうなる?

 ズルズルとこのままの状態を続けるなら、三十代の前半、いや後半もムダにさせることになる。それこそ、子供を産むリミットはどうなる。

 知美と一緒に居るなら、叔母の言うように仕事を世話してもらうのが筋なんだろうけど。


 『天職、ですね』そう言った時の知美の笑顔とか。自分の心の高まりとか。

 ああ、だめだ。

 音楽は、やめらんねぇ。

 やめたら、オレじゃなくなる。一度手を触れてしまった天職からは、誰も離れられない。


 『音楽と私と、どっちをとるの?』オレの人生を通り過ぎていった、過去のカノジョ達。

 音楽と知美と。天秤にかけられねぇよ。音楽をとるからって、知美の手を離すことなんて、できない。


 じゃぁ。JINみたいに、彼女の”時間”を奪うようなむごいことをするのか。

 孵ったばかりの雛鳥のような知美に?

 『手を離したくない』って、オレが言ってしまったら……知美はきっとオレから離れない。離れることができる奴じゃない。

 大きな決断だから。オレに無条件で従ってしまう。



 縁談 波乱あり、はこれか。


 『もし、先延ばしにしていることが何かあるなら。ためらわずに行動してください。後悔だけはしないで』

 YUKIのステージでの言葉が脳裏に浮かぶ。

 結婚、先延ばしにせずに決めていたなら

 何かが、変わっていたのだろうか。




 答えが出せぬまま、知美に電話した。

 二ヶ月ぶりのデートの約束が翌日だった。

 外でできそうな話ではないので、知美の部屋へ行くと。



 ほとんど眠れないまま、翌朝を迎えた。

 今まで彼女を送ってくるだけで、入ることのなかったエントランスを通り、知美の部屋へ。

「おはよう、知美」

「おはようございます。朔矢」

 首をかしげるようにしながら、知美が部屋へ通してくれた。


 コーヒーを淹れてくれた知美と、ローテーブルの前に向かい合って座る。

「朔矢、疲れてませんか? 仕事、大変なのでは」

 そう言って、覗き込むようにオレの顔を見る。昨日も一昨日も、ほとんど寝てねぇから、ひどい顔してんだろうな。

 淹れてくれたコーヒーを手に、何から言おうかと口を開きかけては、言葉にならず。

 みっともなく、言葉を捜した時間はどれほどだったのか。

 辛抱強く待ってくれている知美に、意を決した。テーブルにカップを戻して、

「悪い。知美」

「なにがです?」

「お前と、音楽。秤にかけたら、やっぱり音楽をとっちまう」

「それはそうでしょう? 天職なのですから」

 『何を当然なことを、いきなり』という顔で、オレを見る知美。

 相変わらず、表情が正直だよな。


 変わらぬ彼女の素直さに、こぼれそうになった涙を抑えて、事情を話した。

「JINの声が、四月の終わりに出なくなって。手術を受けたんだけどな。声、嗄れたらしいんだ。一昨日、RYOに電話がかかってきて。本人は歌いたいらしいけど、正直、売り物になるかは誰にもわかんねぇ。RYOは、心中覚悟で付きあう、っつってるけど。この先、織音籠がどうなるかも定かじゃない。知美のことを考えたら、お前のご両親に仕事、世話してもらうべきなんだろうけど。ごめん、オレ、音楽やめられそうにない」


 一息に言って、床に手を突いた。

 知美の表情をこれ以上見ることができなかった。

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