三者面談
大晦日。
毎年恒例の年越しの寸前まで行われる歌番組には、まだまだご招待してもらえる身分ではないので、ざっと大掃除をして過ごした。
年賀状も書いたし。
今年はあの姉貴に年賀状を触られないように、知美には自宅の住所を教えてあるし。
あとは……お年玉のポチ袋か。確か、引き出しのこの辺。
探し物をしていたオレは、携帯の着信音に呼ばれた。
知美の音。
今日から、実家に戻るって言ってたよな。なんか、あったか?
〔もしもし、知美です〕
そろっと、声が伝わる。
〔今、お時間、大丈夫ですか?〕
〔今日は、なんも用事ねぇから。なんか、あったか?〕
どうやら帰省している彼女の兄さんが、オレに会わせろって言ってるらしい。
〔で、急なのですけど。できれば三が日のうちにって〕
〔OK。明日はさすがにオレも実家に帰るけど。それ以外ならオフだし。場所はどうする?〕
後ろの兄さんと相談しているらしい声がして。
三日の昼前、東のターミナルでの待ち合わせが決まった。
実家で姉貴に散々からかわれ、オフクロからは知美とはどうなっているのか、と突っつかれ。
そんな、元旦を過ごしてからの一月三日。
約束場所の改札で待っていると、東西方向の路線のホームから知美が降りてきた。
お前、もう自宅に戻ってたのかよ。
兄さん一家と一緒に実家のある北からの路線でくるもんだと思ってた。年末に、家に帰るのを億劫がってたし、そのせいか。
「あけまして、おめでとう」
「あけまして、おめでとうございます」
「お兄さん、急にどうしたって?」
「結婚前提なら、一度あわせてって」
「ふーん」
軽くうなずきながら、元旦に戻ったときに実家で改めて確認した釣書の中身を反芻する。
兄さんの名前が一樹さん。オレより二つ下、知美の三つ上。だったな。
品定め、ってところか?
けどなぁ。まだ、父親には会った事ねぇのにいきなり兄貴が出てくるか?
久しぶりに、知美の実家のよく判らん親子関係に触れた気がした。
ちょっと仕事モードの硬い格好の知美に、あのピアスをつけたか不安になる。
そっと、耳のところの髪をかき上げる。
「お、ちゃんとピアス、つけたな」
「はい。お守りです。こっちもつけてますよ」
そう言って左手首のブレスレットも見せてくれた。
”おまもり”。そう、思ってくれたんだ。
「霊験あらたかですよ。きっと」
「そりゃ、お月様印だしな」
”朔”の月がお前を守りますように。
兄さん一家が到着した。そこそこ身長のある兄さんだな。オレよりチョイ低め、RYOぐらいの目の高さか。
兄さんが女の子を抱いて、嫁さんがキャリーバッグを引いている。
そろそろ歩き始めそうなサイズの子だから、母親が抱くには重いんだろうなと見ていたら、
「兄さんが、抱っこしている……」
って、知美がつぶやくのが聞こえた。
なるほど。実家ではこの兄さん、子供を抱いたりはしてないんだな。
「男らしくないとか何とか、父親がうるさいしね。ひどい時は、お慶がけなされるから」
「母親が、抱っこするものって決まっているそうですよ」
二人で、言い訳を始めた。なるほど、親の価値観に反する『みっともない姿』ってわけだ。
そうして夫婦でオレの反応を見るように、顔色を伺われた。
どんな反応が、お好みかな?
「立ち話もなんですし。軽く食事でもしましょうか」
話をはぐらかして、進行方向を手で示す。そして、いつものように知美の手を握った。
軽く、と思っていたので蕎麦屋に案内してから、自分の失敗に気づいた。
赤ん坊に近いやつがいるじゃねぇか。ソバ、やばかったよな。確か。
『赤ん坊にソバ食べさしてんじゃないわよ。アレルギーで殺す気?』
甥の皓貴がオレの横で口を開けるもんだからって、年越しソバを一本食わして、姉貴にものすごい勢いで叱られたことがあった。幸い皓貴にアレルギーがなくって大事に至らなかったけど。
慌てて、兄さん夫婦に確認をする。
『うどんがあるみたいなので、大丈夫』と言ってもらって、胸をなでおろした。
自分でも気づかなかったけど。緊張してんのかな。
メニューを”見る”ようになった知美が選んだものに、兄嫁の慶子さんが便乗して。俺と兄さんも注文が決まった。
首をかしげるようにメニューを眺める知美を、兄さんは冷ややかな目で見ていた。
この兄妹も、違和感がある。
「さて、原口さん?」
お茶を手にした兄さんが話しかけてきた。
何がでてくるかな?
「織音籠、調子良いみたいですね」
「ありがとうございます。知っていただいていたのですね」
おお。クラシックしか聞けねぇ家で、よく知ってたな。釣書で見て、今日までに予習でもしたか。いや、ないな。それは。
当事者の知美が、見合い当日に聴いてなかったし。
「ええ。一昨年でしたか。コンサートも見に行きましたよ」
そう言って挙げられた市の名前は、知美と見合いをする少し前に訪ねた街だった。
「知美さん、ひどいと思わない? 私が身重で動けないのに、かず君一人でコンサート行ったのよ」
「だって、仕方ないでしょ? 十五年以上、生で聞いてないのだから、近くであるなら行くよ」
オレをそっちのけの夫婦の会話に、眉間にしわがよった。
なんで、十五年だよ。いい加減なことを言ってんじゃねぇよ。
「デビューから今度の春で十四年なんですが」
重箱の隅をつつくように、些細なミスを取り上げたけど。
「僕ね、柳原西の卒業生なんです。だから、大学の学祭に出ていた織音籠も見ていますよ」
「そんなところで繋がるか」
思いもよらぬ反撃に、オレは頭を抱えた。
JINとRYO、それにMASAの高校の後輩じゃねぇか。こいつ。
あ、それでも。
それなら。
意外なところで、知美とも逢っていたかもしれない。
「知美、お兄さんの高校の文化祭とか行った?」
「いいえ」
とんでもないって顔で首をふる。そんな、変な事言ったか?
「来てませんよ。この子は校区から出られない子ですから。バスと電車を乗り継いでうちの高校までなんて、一人では来れませんよ」
来た。違和感。『校区から出られない子』な。
そして、兄さんの侮蔑を含んだ嫌な笑い顔。
年下だけどよ。殴っていいか。コイツ。
オレを縛る、両親のしつけを切りそうになって、拳を握る。
『朔矢さん。商売道具を大切にしてくださいね』
クリスマスの知美の言葉が、オレを縛りなおす。知美が気にかけてくれた商売道具の手を、怪我するわけにはいかない。
「そう言う僕も、高校に入るまでは同じでしたけどね」
ポツっと、知美によく似た口調で言った彼の言葉の真意を問いただそうとしたとき。
料理が届いて、場の空気が入れ変わった。
いつものように髪をくくる知美に、慶子さんが目ざとくピアスに気づいた。
「彼からのプレゼント?」
「あ、はい。そうです」
「ふふ。知美さんたら、うれしそうね」
うれしそうって、傍目にも見えるか。一つ、意思表示だな。
箸を割りながら、会話を再開する。今度は、オレが先手。
「一昨年に十五年以上たっているなら、当時お兄さん高校生ですよね」
「ええ。高二でしたね。織音籠はまだドラムが居なくって、四人でされていた」
「オレたちの大学は、高校の校区外でしょう?」
「微妙ですね。理数と英語コースは全県学区ですし」
「その言い訳、通じるご両親ですか?」
無理、じゃねぇ? つうか、その言い訳が通じるなら、上手なやり方を知美に教えてやれよ。
「通じないでしょうね。さすがによくご存知で。さっき、『高校までは』って、僕言いましたよね。高校でやっと両親が絶対じゃないことを知ったのですよ」
一口、蕎麦をすする兄さんに合わせて、こっちも食事を進める。蕎麦は失敗だったかな。話しているうちに伸びるな。
「そうして親の裏をかくことを覚えたので、隣の市まで見に行けました。原口さんもしたでしょう? 親に隠れて悪い遊びとか」
「あるわけないじゃないですか。そんなこと」
「またまた、ご冗談を」
「ひどいですね」
だから、この兄妹は。オレのことをなんだと。
「悪い遊びはともかく。好き好んで知美なんかと付き合わなくっても、女の子が放っておかないでしょう?」
嫌な物の言い方だな。本人の前で『知美なんか』かよ。
反撃のタイミングを読む。
兄さんが茶を口に運んだ。
「いい加減、そういうオンナは食いあきましたからね。知美がいいんです」
咽た彼に、溜飲を下げる。
ざまぁみろ。
「やっぱり。相当遊んできたクチですか」
自分で話を振ったんだろうがよ。妹思いの兄貴の顔、すんじゃねぇよ
「どうして兄妹そろってこう、だまされやすいんです? 冗談ですよ」
てんぷらを摘み上げながら、チラッと知美の顔を見やる。お前まで信じてねぇよな。
知美は『人をからかって遊んじゃいけません』って、視線でオレを叱った。
しばらく、互いに無言で蕎麦をすする。
中学の部活でしていたバスケの試合のときの、懐かしい感覚がふと過ぎる。
フェイントをかける直前。相手の呼吸、視線、そんなものを互いに読みあう緊張の一瞬。
仕掛けてきたのは、兄さん。
「原口さん、先ほどは失礼しました」
さっきの露悪的な会話はわざと、か?
「いいえ、どういたしまして。そういう目で見られる外見なのは仕方ないですし」
「うちの親などは、特に外見で人を判断する傾向が強いので、苦労されるでしょう?」
「見合いのときにお会いしたっきりなので、今のところ特には」
「知美との付き合いを続けるなら、覚悟、してくださいね」
覚悟、ときたか。
何か含むところのありそうな口調に、心を引き締める。
”次の手”は、何が出てくる?
「知美は小さいころからよく怒られる子でね。世間では下の子は兄の叱られる姿を見て学習する分、要領が良いといわれるでしょう? ところがこの子には通用しなかった」
兄さんが始めた昔話に、オレは箸を一度おいた。
「怒られる基準が僕とこの子で違うのです。僕に許されたことが、”女の子”には許されなくってね。その上、父親がこの子にはすぐに手が出る。”男の子”は叩くことができないのにね」
「知美だけが、お父さんに叩かれていた?」
この親子の話を聞いていたら、『なんだ、それ』って感想にしかなんねぇけど。
幼稚園児の知美が父親の平手で部屋の隅まで吹っ飛んで、前歯が欠けた話なんて。聞いているだけで、その頬をさすってやりたくなる。『痛いの、痛いの。飛んでいけ』って。
そんな痛い記憶が残っていないのは、幸いなのだろうか。
覚えているか? と尋ねた兄さんに
「幼稚園の記憶自体があいまいで……ごめんなさい」
と、頭を下げるような知美には。
そんな知美を自分が痛みを感じているような表情で見つめた兄さんは、まっすぐオレの目を見た。
今までになく、真剣に測られている感じがした。
「僕たちの親、特に母親は”みっともない”ことが嫌いでね。トラブルに巻き込まれて、取り乱すような”みっともない”ところを世間に晒すことが怖くて、とにかく僕たちを手の中に入れておきたいみたいで。それでいて、他の子よりも出来が悪いような”みっともない”子も我慢できない。だから『やったらダメ』と『できなきゃダメ』に振り回されながら育てられてきたのです」
蕎麦がのびますよ、と言われて、改めて箸を手にしたけど。食う気が起きねぇ。機械的に蕎麦を口に運ぶ。
聞いていて心地の悪い話が続く。
「僕には少し緩かった母の束縛が、この子は同性な分きつくってね。女の子だからって、小学校に入ったころから家事を手伝わされていたのだけれど、自発的でないと『気が利かない』と言って貶され、逆に気を利かせると『子供が余計なことをして』と怒られて。そのどちらになるかが、母親の気分次第なんですよ。タイミング悪く、父親が居たりしたものなら、『子供のクセに、親の言うことが聞けないのか』で、バーン」
箸を持っていないほうの手が、平手のジェスチャーをする。
「さすがに、思春期を迎えたあたりで叩かれなくなったようですけれども。この子にとっては、怒られるよりも貶されるほうが負担が軽かったのでしょうかね。そのころには、もう自分で考えずに親の言いなりな子になってて」
いい子の知美の出来上がり、な。
それでも、本人は『素直じゃない』って、思い込まされていたわけか。
で、同じように育った、兄さんは?
「僕は勉強と運動ができて、”危ないこと”さえしなければ何も言われないのです。小器用で、そこそこ人並みのことはできましたし。だから、さらにこの子は言われるんですよ。『お兄ちゃんと違って、手のかかるできの悪い子』と」
「私は、兄さんみたいに縄跳びも鉄棒もできなかったし、勉強も駄目だったから……」
おとなしく話を聞いていた知美が口を挟んで、兄さんに睨まれる。
「あのね。三歳違えば、できて当たり前のこともあるの。六年生と三年生でどっちができるかなんて、比べるの? 知美の学校は」
「いいえ。子供を比べることはしません。意味がないし」
「なのに、どうして僕と比べるの。自分のことは思考停止しちゃっているよね」
そうだよな。いい先生だと思うのに。
先生の視点で、自分を見てみろよ。
「同い年の子に負けないように、って僕が頑張らされているのに、さらに三歳も年下の知美ができるわけないでしょう? さっきの話だって、知美が幼稚園なら、僕は小三。記憶に差があって当たり前なの。だいたいね、知美は少なくとも勉強ができないわけじゃないよ。高校は鈴ノ森だったし。中学の成績だって、僕の学年とベビーブームのお前の学年とでは生徒数が違うのだから、単純に席次を比べたらダメじゃない? 二百人中二十番と、三百人中四十番だったら、そんなに違わないよ。そんな単純なことすら判らない人たちなんだから」
兄妹の話についていけなくなってきた。
オレさ、市外の出身なんだけど。判るように説明してくれねぇかな。
「失礼。鈴ノ森高って、レベルどの辺りです?」
兄さんの説明によると、市内三位。兄さんの行ってた高校が二位で。っつうことは、オレとそんなに変わらないんじゃねぇのかな、知美の成績って。
「それに、就職がバブルもはじけてベビーブームでって、”土砂降り”とか言われていた世代でしょ、この子。その時期に教員試験に一発合格しているのですから」
ああ。なるほど。一般的な就職活動をしてないオレには無い視点だな。
「貶されすぎて、自信の持ちようを失ってしまったね」
知美に寂しそうに笑いかける兄さん。
両親を客観的に見ている彼自身は、そこからどうやって抜け出したんだろう。
「僕はね、知美のように叩かれなかった分、洗脳されていなかったのと、高校で何をどうやっても勝てないような化け物に会ったせいで、『親の言うとおりにするなんて、無理』って悟っちゃって」
どんな高校だよ。うちの連中だけでも化けモンなのに。まだ、他にもいるのかよ。
「原口さん」
改めて、名を呼ばれた。
「こんな家庭で育ったこの子を、正直どう思ってます?」
「素直に人の言うことを信じる人だと思います。本人は素直じゃないって思っているみたいですけど」
「ああ、それも親のせいですね。あの人たちにとっては、素直な子=自分たちの思い通りに動く子、ですから」
横で首をかしげている知美に、
「帰ったら、国語辞典」
と、笑いかける。お前、素直の意味を取り違えてんだろ?
兄さんのほうに、会話を戻す。
「従順といえばいいのでしょうか。人を疑うことも、自分の意思を示すこともできなくって。誰かの決めたことに、黙って従ってしまう。例えば……一緒に食事に行くでしょう? メニューも見ずにオレと同じものを注文して、嫌いなものを泣きそうな顔で食べるんですよ。見ていてたまらなくなりましたね」
「今日は、自分で選んでたよね」
兄さんが、保護する者の顔で知美に笑いかける。
なるほど。あれは冷たい目じゃなくって、冷静に観察していた目、か。
知美の心配をしているのは、オレだけじゃない。これは、知美の力になってくれる人だ。
「一年かけて、大分、変わってきました。外見を変えたのは彼女の意思です。化粧も髪形も少しずつ変わってきた。ピアスを開けるのも自分で決断した」
がんばったもんな。
親の常識を一つ一つ、壊して。
一歩一歩、自分で意思表示をして。
隠れていた味方に、一年の知美のがんばりを伝える。
「一人暮らしでは、起きる時間や食事の内容、決めないといけないことって数限りないでしょう? それをきちんと決められているから、この一年、病気もせずに仕事もこなせているのだと、オレは思いますよ」
兄さん同様、知美だってもっと楽に息をすればいい。もっと、親の影響から抜ければいい。
大丈夫。お前を子供のころから見ている兄さんだって、お前の成長を認めてくれただろ?
知美の手首をブレスレットごと握った。
お守りの月に、更なる加護を。
「そこまで判っていらっしゃるなら」
そう言って、兄さんが姿勢を正した。
勝負どころ。こちらも、正対して背を伸ばす。
「知美をお願いします。あの家から、この子を切り離してやってください」
「もとより、そのつもりですがね。オレは」
「では?」
その気があるなら、とっとと結婚しろって、目で言われた。
「ただ、今のままでは一緒になるのは、まだダメでしょう。ちょっと大きな事柄になると、オレに判断を頼ってしまう。それでは何も変わらない」
「重荷、ですか?」
言葉の裏を探るように、見据えられる。
「いいえ。彼女一人くらい抱える甲斐性はあるつもりです。ですがオレのほうが年上ですし、平均寿命も男のほうが短い。将来、知美が一人になる確率は、オレのほうが残るより高い。そのときのために、もう少しだけ彼女に頑張ってほしい」
オレは、お前とともに生きる覚悟はしている。
お前は、どうだ?
人生最大の決断が、たやすくできるとは思わない。
けどな。
雛鳥が卵から孵る直前に内側から送るような、微かな合図でいい。
オレと一緒に生きる意思表示、してくれ。