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一歩、そしてもう一歩(春から夏)

 知美がこっちに引っ越してきたおかげで、彼女の仕事のあとでもデートができるようになった。仕事が混んでいる時期なだけに、平日にも会えることはオレにとって大きかった。あれ以来、”嫌”も”好き”もないし、まだまだ『朔矢』と呼んでくれそうにもないけれど。


 そして、学園町から西のターミナルにかけてはオレのホームグラウンド。この辺りは、JINが通っていた外国語大学があるせいか、珍しい国の料理が食べられる店があっちこっちにある。

 知美をつれて、”世界 食べ歩き”のデート。食い道楽って言われても否定できないオレ自身の趣味でもあるんだけど。

 それでも、三回に一回くらいは知美に

「前に行ったあの店と、行ったことのないこの店と、どっちがいい?」

 って、選ばせて。

 ”嫌・好き”が難しかったら、まずは、”こっちのほうが好み”から、始めような。って。 



 知美はあれから、通知表シーズンまでにもう一度ライブに来てくれた。

 楽屋で顔を合わせた美紗ちゃんが、『SAKUさん』とオレを呼ぶのを複雑な顔で見ていた。

 いつもと変わらぬ風な美紗ちゃんと違って、知美が妙に美紗ちゃんを意識しているように思えた。

 年が近いせいか? でもなぁ。おトモダチになりたい、とかって雰囲気でもねぇし。どっちかってぇと、美紗ちゃんを冷静に観察しているような。

 二人とも、トラブルを好むほうではないと思うから、この前みたいなことにはならないとは思うけど。このまま飯に行っても、オレが消耗しそう。

「JIN、オレら今日は打ち上げパス。もう帰るわ」

「ん、了解」

 のほほんとJINが返事をしてくる横で、美紗ちゃんがいつもの顔で会釈をしてきた。

 オレは知美の手を引いて、楽屋から出た。

 その日、知美はずっと何かを考えていた。



 通知表の季節が終わり、夏休み。

「夏休みは、実家に戻るのか?」

 帰ってしまえば、また会える時間が減る。

 こっちに居てくれねぇかなって、オレの心の声が聞こえたように、

「いいえ。夏休みでも仕事はありますし。このまま、マンションに居ますよ」

 と。そして

「それに、朔矢さんと会いやすいですし」

 真っ赤な顔で言った知美に、バンザイを叫びたくなる。

 一歩、知美が近づいてきてくれた気がした。



 インドア派の知美が好きそうなところを選んでの夏休みのデートは、水族館とか、映画とか。相変わらずの食べ歩きも。

 高校生もびっくりするくらい、健全にデートを重ねる。一歩でも性的に近づいたら、歯止めが利かなくなりそうな自分に気づいたから。

 『欲しい』と、オレが言ってしまえば、『嫌』の言えない知美はきっと流される。

 だから、手をつなぐだけで、止めておかないと。

 知美の気持ちが育つまでは。



 RYOの結婚式の関係で、オフになった八月のある日。

 その日は楠姫城の西隣、鵜宮(うのみや)市にあるプラネタリウムに行くことにしていた。

 西のターミナルでの待ち合わせの約束に、お盆ダイヤのせいでぎりぎりになってしまった。カレンダーをあまり意識していない生活を続けていたために、世の中がお盆休みに入っていることをうっかり失念していた。

 電車を降りて、改札のほうへと階段を下りる。

 あれ? 知美?


 髪型がいつもと違うけれど、彼女が柱のところに立っているのが見えた。その前に、高校生ぐらいのちょいワルぶった男が一人。

 因縁をつけられているのか? それともナンパか? 

 そっと近づく。二人の会話が聞こえた。

「あん時、先生が言ったように、オレ、女子と下級生は殴らないようになったぜ」

「自慢にならないでしょ」

「でもな、おかげで道を外れずに高校に行けたし」

 にっこり笑って、Vサインを出す男。

 なんだ、教え子か。


 種明かしにホッとしつつ、先生の顔の知美が見れて、ラッキーとか思っているオレ 。

 知美の斜め後ろぐらいに立ったので、まだ彼女はオレに気づかないが、相手の男のほうと目が合った。

 オレと同じくらいの身長か。高校生だったら、まだ伸びるかな?

「で、先生の彼氏?」

 奴の言葉に便乗して、声をかける。

「おはよう、知美」  

 驚いてるな。びっくり箱を開けたみたいな顔になってるぞ。

「……おはようございます」

「知美の、知り合い?」 

「はい。昔の教え子で」

 お、先生の顔になった。

「先生の彼氏、SAKUに似てない?」

 興味深々だな。高校生。

 親指で自分を指しながら、あえて言ってやる。  

「よく言われるけど。オレのほうがいい男だろ?」

「よく言うぜ。先生の相手にしちゃ意外」

 高校生は『だまされてやるよ』って顔で笑いやがった。



 高校生が立ち去って、改めて知美と挨拶を交わす。 

 いい先生みたいだなって、褒めると照れたように笑う。

「あの年頃の男が立ち話をするなんて、いい先生だった証拠だよ。それに、”女子供に手を上げるな”って、男が守らなきゃ行けない大事なことを、ちゃんと彼の心に届けられたんだろ?」

「朔矢さんも、守っていることですか?」

 オレはそういうケンカしねぇし。

 それに、子供のころから、それだけはすんなって耳にタコができるほど言われてる。

「うちの連中は皆、温和。JINなんか、中学のころいじめられてたクチだし」

「あの、体格で?」

「声が、子供らしくないってな。今みたいな、陰湿なイジメではなかったけど」

 これ以上、暗い昔話をしたくなくって、話題を変える。


「髪形、変えたんだな」

 ストレートのロングだった髪が短くなって、ゆるくウェーブがかかっている。

 そっと、頭を撫でる。そのまま撫で下ろして、肩口の髪をクルクルと指に巻きつける。

 初めて触れたときとは、手触りが変わってしまったけれど。

「こういうのも似合う」

「そう、ですか?」

 うれしそうに笑う顔はいつもの子供の顔。

「うん。柔らかい感じ。どんな心境の変化?」

 ふっと、変化して現れた大人の笑顔。そのまま、黙ってオレの顔を見てきた。

「言いたくない、ってか」

 まぁ、ごまかされてやるか。『言うのが嫌』って意思表示ということで。

 とりあえず、それも含めて、いい変化だよな。

「じゃぁ次は、名前の呼び方か?」

「それは……」

 困った顔だな、おい。宿題の提出はいつになるんだ? 先生よ。

「ガンバレー」

 そう言って笑いながら、彼女の手をとってホームに向かった。



 快速電車から、各駅停車に乗り換えて。降りた駅は、真夏の暑さだった。知美は冷房対策とか言っていたカーデガンがさすがに暑くなったらしい。するっと脱いだ彼女の、内腕の白さが昼の日差しにまぶしい。

 けど、右肘の内側が青黒く変色しているのが見えた。思わず、腕を掴む。

「知美、これなに?」

 内出血、だよな。こんなところ、どうやったら怪我すんだよ。

「えーと。昨日、献血をして」

「で、こんなことになるのかよ」

「どうも、針先がぶれたらしくって」

 医療事故、とは言えないのか。内出血なら、冷やしたらマシになるのか?

 昔の、部活をしていたころの記憶を辿りながら、内出血を睨む。

 知美は、そんなオレをよそに、平然と、時々なるんですよね、などと言ってる。

 なると判っているなら、すんなよ。


「朔矢さんはなりませんか?」

「ならないというより、献血しないからな」

 腕に何かあったら、飯の食い上げ、とバンザイをしてみせる。腕はオレにとって、商売道具だ。

「知美は献血、よく行くのか?」

「はい。好きなんです」

 その言葉に、プリペイドカードを入れるタイミングをはずして、自動改札に引っかかりかけた。

 チョイ待て。そっちの趣味? それは、ちょっと……。


 改札機を出たところで振り返って、知美の顔を見る。自分でも、顔が引きつっていることがわかる。多分、見合いで『人を喰っている』ってオレが言った時の、知美の表情みたいに。

 慌てて、フォローするように知美が言葉を足した。 

「血液が通るチューブが腕の上にあると、血液が温かいことが感じられて。『あ、私、生きている』って思えるのが好きなんです」

 立ち止まって、彼女の左腕をつかむ。腕の内側、手首から肘までを指で辿る。


 見落とすな。

 古い新しいに関わらず、傷が残っていないか。

 見落とすな。

 小さな傷、大きな傷。刃物で切ったようなまっすぐな傷。


 つるりとした傷ひとつない白い腕に、ほっと息をついて手を離した。

「どうしたんですか?」

 オレの危惧に気づかず、キョトンとした顔で尋ねられた。その曇りない子供のような表情に、ため息がこぼれる。

「お前のその言い草。まるっきり、リストカットだろうがよ。親は何も言わなかったのか?」

「売血みたいでみっともないとは言われましたけど」

 その反応、親としてありかよ。

 『みっともない』じゃなくって。娘が心を病みかけているのが、判らねぇのかよ。

 相変わらず気持ちの悪い彼女の両親の反応に、頭が痛くなる。



 こめかみを揉みながら、なぜか、この時。

 オレの中で、知美のイメージが怪我をした一羽の朱鷺になった。  


 オレの腕の中で保護をして、空を飛べるようにしてやりたい。

 このまま、放っておいたら……


 絶  滅  へ  の  一  本  道 



 プラネタリウムを観て、隣接するレストランで昼食にした。年末のコンサートで隣の駅を最寄り駅とするホールを使っているので、打ち合わせとかの帰りに何度か使った事のあるトルコ料理店。”嫌なものを嫌と言う”、意思表示の練習にこの店を選んだ。


 バイキング形式でメニュー名だけが書かれた、なじみのない料理が並ぶ。店員も外国の人で、いちいち呼び止められるほど暇そうでもない。

 オレとは別行動で料理を取って来させる。

 もしも、取った料理が口に合わなかったら……どうする? 知美?


「そのスープみたいなの、何?」

「花嫁のスープって書いてありました。スープというより、お粥みたいですね」

 トマトスープっぽい色しているスープみたいなのを取ってきた。おい、自分でトマト嫌いな自覚あるんだろうが。

「トマト嫌いなくせに。食えるのかよ」 

「だから、少しだけ入れてみたんですー」 

 あっかんベーっと、舌を出す知美。

 その小学生のような顔に笑いが止まらん。

 『みっともない』とか『子供じみている』とか。知美を縛り付ける”価値観”が少しずつ解けて、オレには”いい子”じゃない知美を見せてくれるようになったみたいで。

 もっと、自由になれたら。言いたいことを言えるようになったら。

 知美は、生きている実感を持てるのかな? 


「バイキング形式って、嫌いなものは少なくできるのがいいですよね」

 知美がおいしそうに”花嫁のスープ”を、口元に運びながら言う。

 くそ、しくじった。バイキング形式が、裏目に出た。

 そうか。量を調節するっつう技があったんだ。

「知美に『嫌いだから、食べられません』って言わすのが目標だったのに」


 去年、この店に一緒に来たうちの連中が、オレも含めて”量を調節する”なんて発想のかけらもない体育会系ばっかりだし。食うか食わねぇかの、単純な二者択一しか考えていなかった。

 キヨフテを皿に置いて、反省。

「なんですか? それは」

 うーん、まぁ。嫌いなものを減らすっつうのも、意思表示、か?

「ナイショ。オレを呼び捨てにできるようになったら教えてやるよ」

 宿題の存在をちらつかせて、ごまかす。


 オレが無理やり言わせるんじゃなくって。自分の”意思”で好き嫌いを言えるようになろうな。

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