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打ち上げにて

 メンバー五人に女性が三人、計八人での打ち上げは、オレたちがよく行く個室のある居酒屋。知美さんのマンションからは駅を挟んで反対側になるか。

 打ち上げは基本ビールと、いつの間にか決まっているので、ドリンクメニューは飲めない知美さんに渡す。他の奴らは、食いモンに心奪われているし。

 知美さんの選んだウーロン茶を、入り口に近いMASAに取り次いでもらって、左隣に座る知美さんの顔を眺める。


 さっきの情けない顔はきれいに消えて、なんだかワクワクしている顔。かな。

「知美さん、うれしそうだな」

 どんな店に行っても、こんな顔をしてくれたことが無いと、少し不満なオレがいた。

「はい。職場の忘年会とは雰囲気が違いますし、門限の心配がないので」

「オレと食事する時って、実は門限まずかった?」

「約束が土日だったので時間も早かったですし。大丈夫ですよ」

 なんて、安心させるように言ってくれるけどよ。

 そういうことは、言えって。

 もう頭を抱えて、唸るしかない。しくじったなぁ。怒られなかったか? 本当に?

 見合いの席で彼女のひざを叩いた母親と、叩かれた彼女の唇をかんだ姿がよぎる。

 大切にしたいのに。大切にできているのか。


「お前、いつもと言葉がちがうやん? 顔、作っとんの?」

 一人で、鬱々と反省をしているオレに知美さんの左斜め前から、YUKIが声をかけてきた。

「作ってないぜ。オレはいつもこうだろうがよ」

 失礼な。オレは、いつもテイネイにお話してますが?  何か、文句でも?

 向かいに座ったJINがクックックと笑いながら

「SAKU。化けの皮が剥がれてるぞ」

 更に、追い討ちをかけてきた。

 ふふん、英語学科。言葉が間違ってるぜ。

「JIN、それ猫じゃねぇ?」

「猫ははがれない。かぶるけどな。帰って、愛用の辞書読んでみろ」

 アーモンド形の目を細めて、にやっと笑いながら言い返された。

 あれ? 化けの皮がはがれて、猫をかぶって。猫ははがれない?

 くそー。負けた。


 そのやり取りに、心を掠めた言葉。

 何が、掠めた?

 向かいのJINの顔を見る。奴と目が合う。

 インスピレーションが走った。逃げる言葉の尻尾を捕まえる。

 かばんから出したネタ帳に、言葉を書き留める。採集した昆虫を標本にするように。

「少しは飲まれます?」

 ノートを閉じようとしたときに、そんな綾さんの声がした。顔を上げると、知美さんがグラスを手に取ろうとしている。

 慌ててストップをかける。あっさりとYUKIに向き直った綾さんに、知美さんが不思議そうな顔をした。


 多分、一般の常識では『形だけ』乾杯をするのが正解。

「飲まなかったらもったいないだろう。一滴も飲まないやつも居るし」

 だけどここでは、常識が違うんだよ。

 丁度届いたウーロン茶を受け取るJINをペンで示す。

「JINって、飲まないんですか?」

 と、尋ねてくる知美さんも、隣に座る綾さんからウーロン茶を受け取る。

 意外だろ? ザル通り越して、ワクみたいな外見だけどよ。飲まねぇんだこれが。

「飲むのは二十歳で止めた」

 オレたちの会話が聞こえていたらしいですが、けろっとそんなことを言う。お約束のボケだな。

「二十歳になってなかっただろうがよ」

 こっちもお約束で、突っ込む。

「んー、そうか? まぁ、一生分飲んだし」

 少し考えながらJINが答えた。


 好きだな、お前そのフレーズ。オレの横で、先生が『未成年』って睨んでるぞ。

 どんだけ飲んだって思っているのか。ビア樽何個分、とかで表示してくれねぇかな。

「知美さん。信じないようにね。本人が酒を好きでないだけだから」

 とりあえずしたフォローに、『また、だまされた』って顔。

 今回は、オレじゃねぇーぞ。  


 なし崩しに、乾杯をして。RYOにせっつかれて、知美さんを紹介する。

 歳は? だの、 どこで逢ったん? だの。

 時々、助けを求めるようにオレの顔を見ながら、一つ一つ答えていく知美さん。教室でも『先生、質問!』って言われるたびに、こうやって答えてんのかな。今日、オレの仕事を見てもらったみたいには、知美さんの仕事を見る機会ってねぇんだよな。



 質問コーナーが、一段落したところを見計らって、改めて知美さんに全員を紹介する。 

「知美さんの隣が、綾さん」

「山岸 綾子です」

 よろしくー、と、綾さんが知美さんに会釈をするけど……。あれ? ”山岸”?

「ええー。いつの間に、苗字変わったん」

「うーん、先週?」

 みんなの心の声を代表するYUKIの叫び声に対して、律儀に綾さんが答える。先週?

「ちょっと、RYO?」

「なんだよ」

 畳に後ろ手を付くようにして彼女たちの後ろから話しかけたオレに、RYOは綾さんの向こうから同じような姿勢で返事を返してきた。

「先週って、先週?」

 映画館で逢ったとき?

「だから、言っただろうがよ。新婚だぜって」

「SAKU、知ってたのか?」

 RYOの向かいで、YUKIのグラスにビールを入れながらMASAがオレに聞いてきた。

「知ってたっつうか。先週、映画館で逢ったな」 

「あれは市役所に行って、その帰り。妹に前売り券を頼まれてたもんだからよ、ついでにな」

 人使いの荒い野郎だし。

 その言葉に、綾さんが反応して、

「だから、今度、私が買いに行くっていったじゃない」


 ”わかな”が、”りょうこ”が、って二人だけでわかる話をしだしたので、知美さんへの紹介に戻る。

「綾さんの隣が、この前あったRYO ―― 山岸 (とおる) ―― な。で、RYOの向かいが」

「はじめまして。中尾 正志(まさし)です」

「MASAな」

 簡単すぎる自己紹介に、ちょっとフォローを入れる。

「で、その横がyomeji」

「野島 和幸。よろしくー」

「知美さんの向かいが、JINの彼女の美紗ちゃん」

 そんな紹介をしたら、美紗ちゃんがなにやらJINと目で会話をした。


 おい、もしかしてこっちも『結婚しました』とか言わねぇよな。

「本間 美紗です。よろしく」

 ペコリと頭を下げて微笑むのは、いつもどうりの彼女の自己紹介。なんだったんだ、今の一瞬の無言の会話は。

「で、最後がJINな」

「今田 (ひとし)。JINです」

 こっちもいつもどうりの自己紹介に、知美さんが爆弾発言を投げ込んでくれた。

「朔矢さん。JINの本名が、ダイマジンって言いませんでしたか?」

「だから、冗談だって」

 からかいすぎたか。こんなところで仕返しがくるとは思ってもみなかったぜ。

「誰が、”大魔神”だ。俺は、ダイマじゃなくって、イマダ!」

 テーブル越しに、JINがアイアンクローを仕掛けてくる。お前な、そろそろ握力が老化してもいいころだとオレは思うぜ。


「お前、いつまでそのネタやるんだよ。JIN」

 イカリングをつまみながらRYOが言って、自分でゲラゲラ笑う。

 それに向かってJINが、持ち前の低い声で吼える。

「うるさい。”手下その一”」

 JINが大魔神って呼ばれていた高校生の頃は、同じバレー部だったRYOとあわせて”大魔神コンビ”って呼ばれてたらしいのに。いつの間に”手下”に格下げになったのやら。



 頭を掴んでいる手を何とかはずして、JINに質問。

「手下って、なに?」

「美紗の甥っ子が、RYOのことを『大魔神の手下その一』ってな」

 何事もなかったように答えるJINに、こめかみをさすりながら仕返しをしてやる。 

「なんだ。美紗ちゃんの甥も、大魔神って思ったんだ。正直なところ。実は初対面で美紗ちゃんも思った、とか?」

 あー、痛かった。この、馬鹿力め。十分、大魔神じゃねぇかよ。

 美紗ちゃんは黒目がちの目をちょっと伏せて

「朔矢さん。私にとっては初対面から“JIN”です」

 と答えると、左手の薬指に嵌ったゴツイ指輪をなでるようにしながらJINと顔を見合わせて笑った。グラスに手を伸ばすJINの右手にも、二年ほど前から着けるようになった揃いの指輪。

 はいはい。ご馳走様。

 同棲までしてるからか、”二人の世界”だな。お前らいつも。



 JINたちを見ているのが馬鹿馬鹿しいので、オレも知美さんに向き直る。

 ビールを手酌で注ぎながら、今日のライブの感想を尋ねた。

「生の音ってすごいですね。音とか声とかのパワーを感じました」

 だろ? あの曲が一番わかってもらえそうだなって思った、オレって正解。

「はい。朔矢さんが音楽をするのは天職ですね」

 うわぁ。天職。

 誰に評価されるよりも、嬉しい一言かもしれない。教師が天職な知美さんに言って貰ったぜ。『天職』って。

 ニタニタと、顔が崩れる。

 向かいで噴き出したやつがいた。

「妙にあの曲を推すと思ったら。そういうことか」

「いいだろうが」

「悪いって言ってないだろ?」

 クックックと声を立てずにいつものようにJINが笑う。笑いたけりゃ笑え。


 珍しく、美紗ちゃんが話しに加わってきた。いつも、みんなの話を聞いているだけの子なのに。

 そんなことを知らない知美さんが『うれしそうに聞いてましたね』とかって美紗ちゃんに話しかける。

 美紗ちゃんは元々がライブに通っていた常連さんだから、普段の無口を返上して熱く語るか? 

 さすが、話させ上手。上手に話を振るな、と思ったら、JINが横から、話を掻っ攫うし。

 でも、やっぱり。ステージから知美さんを見つけたオレの目は正しかった。

「美紗ちゃんの定位置の後ろの緑のワンピース、やっぱり知美さんだったんだ」

 ふっふっふ。と、一人ほくそ笑みながら、生春巻きに手を伸ばす。

「朔矢さん、定位置ってほどいつも同じ場所に居るわけじゃないですよ?」

 おや、珍しく美紗ちゃんが言い返してきた。

 知美さんの”話させ上手”がなくっても、今日はいつもより饒舌だねぇ。”ファンサービス”が効いたか。

「壁際にもたれているのは、昔っからの定位置だろ? 俺、美紗と知り合う前から『今日は壁際の子、きているな』って見てたし」

 JINはさらっと、『俺は、ずっとお前を見てた』みたいな惚気を口にして、生春巻きに箸を伸ばした。


 JINと美紗ちゃんの痴話げんかに茶々を入れているうちに、知美さんの様子が変わっていた。

「朔矢さん」

 彼女に呼ばれて顔を向けると、目が据わっていた。

 酒、間違えて飲んでないよな?

 彼女の周りのグラスをざっとチェックする。OK、酔っているわけじゃなさそうだ。

「何?」

「何で、美紗さんは『美紗ちゃん』で私は『知美さん』なんですか?」 

 は? なんだそれ?

「美紗さんも。何で朔矢さんを名前で呼ぶんですか。JINは名前を呼ばないのに」

 美紗ちゃんにまで絡みだした知美さんに、座が静まり返る。


「知美さん。どうした?」

 今まで見たことのない彼女の様子に、向き直って顔を見る。

 怒り、に近くて、でも何か違う表情?

 素直に出てこようとしている”何か”を一生懸命、抑えているような様子に彼女の中で何かが起きているのを感じた。

 何を抑えようとしている? 子供のように、いつも表情は素直だろ? 

「聞いていて、なんだか嫌で」

 うん? 『嫌』?

 知美さんからはじめて聞く、マイナス感情の言葉。

 いや、それ以前に。言葉で感情を表したこと自体が初めてか?

「何が嫌か、言えるか? 言葉にできるか?」

 マイナスでもいい。感情を持たないような、”いい子”になるな。 

 がんばれ、言ってしまえよ。

 フォローはどうにでもしてやる。

 ”素直な”感情を、出してみろ。


「美紗さんの方が私より朔矢さんに近いようで、嫌です」

 よし。よく言った。

 ”言ってしまった”自分にショックを受けたような顔をしているけど。

 知美さんの中の何かを壊せた、よな? 今。



「『JIN』と『仁』で俺の人格が違うみたいに美紗は区別して呼んでいるから、今日はたまたま『JIN』だっただけだろうと思うけど。俺のことは普段、『仁』で呼んでいるから、そんなに気にしなくっても」

 JINが美紗ちゃんをかばうように言う。けれど、知美さんは、『そんなこと知るか』て顔をしている。そりゃな、彼氏が都合よく話をあわせているようにしか聞こえないんだろう。


「そこに引っかかった彼女は、初めてだな」

 MASAの言葉に、彼女の顔が変わる。きゅっと目が釣りあがったかと思うと、ため息をつくようにして”自己否定”の顔に。その一瞬の変化に、パタパタとからくりが動く音が聞こえそうだ。

 その間も、MASAと綾さんの会話が続いていた。

「綾さんは、RYOが本名で呼ばれるのは気になった?」

「うーん。亮自身が喜んでいるから、私からはなんとも。めったにお会いしないけど、MASAの奥さんも『亮くん』だし」

「ああ、それもそうだな」

「でしょ? 『亮くん』で『ゆり』だからねぇ。『亮さん』『美紗ちゃん』より近いし」

 そして、二人の会話にRYOが反論を返すのを見ている知美さんの目が、汚い大人の世界を見てしまった子供のような色をしていた。



『”そこ”に引っかかった彼女は、初めてだな』、か。


 それぞれが、時間を経て定着させてきた仲間や恋人同士での互いの呼び方。それが、知美さんには受け入れられない”価値観”だかったか。

 だからといって。彼らの価値観をオレたちに壊す権利はない。

 知美さんの価値観との落としどころは、”どこ”にしたらいいのだろう。



 歩み寄りを美紗ちゃんが見せた。オレを『SAKUさん』と呼ぶようにするという。

 けれど、イントネーションがおかしいのか? 『酢酸』になってしまって、綾さんに突っ込まれている。

 口の中で、確認するように

「サクさん? さくさん?」

 と繰り返しているのをJINが見かねたらしい。

「知美さんが、俺を本名で呼ぶか? そしたら、あいこだろ?」

 と、妥協案を出してきたけど。それは知美さんが『仁さん』って呼ぶってことだよな。

 『朔矢さん』で『知美さん』で『仁さん』? 


 頭の中でシミュレートしたとたん、知美さんが嫌がった訳が、ガツンと音を立ててオレの中に落ちてきた気がした。

 許せねぇよ。そんな案。

 何で、オレと同格でJINが呼ばれんだよ。

 知美さんの一番近くにいるのは、オレでなきゃ嫌だ。


「それは、オレが嫌」

 声に出して、自覚した。これは、嫉妬だと。

 そして、解決が見えた。

 知美さんが美紗ちゃんに嫉妬したのが、この騒ぎの発端。

 だったら

「オレとの距離が嫌なら、知美が変わってみな」

 オレたちの距離を縮める、のが落としどころだろ?

 壊そうぜ。互いの距離を。

「呼び捨てにしてみろよ。『朔矢』って。誰よりもオレに近いところに来い」

 多分、年上の男性を呼び捨てにするのは”みっともない”のだろう。『無理です』と訴えるような眼で、首を振る知美。

 オレの言葉を染み込ませるように、その頭に軽く手を弾ませながら、もう一押し。

「オレは、距離を縮めるぜ。『知美』って。さて、この宿題は、いつまでの期限にしょうかな」

 ひとつ壊して、オレの一番近くへ来い。



 打ち上げからの帰り道。知美が、そろっと謝ってきた。

「すみません。あんなみっともないことを言って」

「みっともないか?」

「はい」

 前を歩くJINと美紗ちゃんをチラチラと眺めながら、落ち込んだ声で返事が返ってくる。本当は、JINたちにも謝りたいって所か。

「”嫌”っつうのは、知美の素直な気持ちだったろ?」

「でも、大人げなかったと思います」

 オレは、嬉しかったけどな。”好き”と思ってくれているのが伝わってきた気がして。


「嫌なものは嫌って、言っていいんだぜ。そこから始まるモンだってあるだろうが」

 名前一つのことでも、オレは知美に一歩近づけたし。

 ”いい子”の皮も一枚、剥けたんじゃねぇの?

「聞いていて、不快になりませんか?」

「不快か?」

「母が……」

 来た。久しぶりに”切り貼りの違和感”が。まだ、剥け残した”価値観”があるな。

「オレは、別に気にならねぇけどな」 

 違和感のほうが気になる。

「前にも言っただろ? 嫌いなモンはちゃんと言えって。あれと一緒だろうが」

 『あぁ。なるほど』みたいな顔で、口に手を当てて考えている。ちょっと助けてやるか。

「”嫌”が言いにくけりゃさ、”好き”から始めてみな。プラスの感情のほうが聞いていて気持ち良いだろうから、言いやすいんじゃねぇ?」


 そして、オレのことも。

 いつか、『好き』と言ってくれる日を待っている。

未成年者の飲酒は、法律違反です。

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