新生活
せっかくご近所になれたのにオレの方が体が空かなくって、まだしばらくはメールだけの日々が続いた。
”売れているうちが花”だと判っているし、JINの声だけじゃなくってステージの快感にもはまり込んで始めた仕事だから、文句を言うつもりはないが。一般の勤め人とは異なる生活サイクルに、電話をかけることもままならず。
そんな生活にかつてのカノジョたちは、『音楽と私と、どっちが大事なの』って、オレを振った。
知美さんは大丈夫、かな? 呆れてねぇかな?
知美さんにそんなこと言われたら……。今までのカノジョみたいにあっさり手を離すのか? オレ。
『ちゃんと、好きになった子とつきあえばええやん。そしたら、大事にしてることは伝わるもんやって』
学生時代、何人目かのカノジョと別れたあとに、仲間にそんなことを言われたな。
ちゃんと好きになった女性、だから。
大事にしたいよ。伝わっているか?
そのまま二週間ほどが過ぎて、五月の中旬。やっと土曜日が休みになった。踊りたい気持ちを抑えて、金曜の夜に電話をかけた。
〔はい、生田です〕
いまどき、電話を取って名乗るなよ。オレオレ詐欺とかいろいろ物騒だろうが。
〔え、でも。朔矢さんの番号でしたし〕
〔んじゃ、携帯はそれでもな。固定電話、ナンバーディスプレーか?〕
〔いいえ〕
〔だろ?〕
女の一人暮らしなんだから気をつけような、って。とにかく、かかってきた電話に自分から名乗らないように説得する。
〔でも、仕事では学校の名前を言いますけど〕
〔それは仕事上の常識、だろ? 家でまで、そのままじゃなくってもいいと思うぞ〕
だって、プライベートで仕事の仕様の言葉でしゃべるか?
畳み掛けるように言うと、沈黙が返ってきた。これは、あれだな。考えている時間。
〔判りました。次から、気をつけます〕
〔うん。オレも最初に名乗るようにするから〕
おっと、危ない。説教だけで終わりかけた。
〔明日、休みなんだけど。映画、行かないか?〕
知美さんが好きそうなのが、GW.に封切りになっている。まだ、観てなかったら一緒に。
〔はい。行きます〕
昼デート、だ。
浮かれた声になっているのを自覚しながら、明日の約束をした。
翌日、シネコンのロビーでチケットを買って、開場までの時間をつぶしていたとき。
貼ってあるポスターを見た知美さんが、見合い写真の話題を振ってきた。
「朔矢さんと一緒に写真に写っていたのって、レトリバーですよね」
「実家の犬。ツキコって名前のゴールデン」
「ツキコ? 女の子ですか」
「そう。何で、ツキコだと思う?」
「お月様の色、だからですか?」
残念。はずれ。月とは、ちょっと色が違うんじゃねぇ?
「オレの髪の色に似ているから」
オレの髪を睨むように考え込む知美さん。頭ン中で、写真の画を思い浮かべて、比べてんのかな。
「姉貴が結婚して家を出た後、寂しくなった両親が飼い始めたんだ。ペットショップで顔を見たとたんに、『朔矢に似ている』ってオヤジが言い出したらしくってな。”朔”って、新月って意味があるから、それで月に名前が派生していったらしい」
そうなんだよな。オレの名前は”月”であって、決して”桜”じゃねぇんだよ。馬鹿姉貴。
あ、でも確かフクロウのイメージが、知美さんの“知”だったっけ。
そしたら、二人合わせて、”花鳥風月”のうちの三つ揃うな。
あと、風はなんだろう?
つい、言葉遊びに意識が向きかけたオレを呼び戻したのは、聞きなれた声だった。
「よお、SAKU」
振り向くと、うちのキーボードのRYOが、婚約者と一緒にいた。
おまえな、プライベートが忙しいんだろ?
「何で、お前こんなとこにいるんだよ。式の準備はどうした」
「SAKUこそ、デートかよ」
「そうだったら、なんだよ」
面白そうな顔で、オレと知美さんを見比べてやがるし。何が言いたい。
「とうとう、SAKUにも春が来たか」
「るっせー。お前こそ、頭ン中、花が咲いてんじゃねぇか」
「当たり前。新婚だし」
まだ、だろうが。夏に式を挙げるのに、今から新婚って。浮かれすぎだろうが。
ゲラゲラ笑っているRYOを、
「亮、いいかげんにしないと」
REの婚約者、綾さんがたしなめる。お、こっちもそろそろ時間だ。
「じゃ、また。綾さんも」
「来週、また見に行くわね」
「SAKUもがんばれよ」
「なにをだよ」
「ナニ、をだよ」
ナニって、な。何もねぇよ。まだ。
そんな挨拶を交わして、RYOと拳を軽くぶつけ合って。綾さんの背中に手を当てて、エスコートするようにRYOが立ち去る。去り際にニコッと会釈をする綾さんに、慌てたように知美さんが会釈を返す。
うん? また、感じが変わったか?
ちょっと、落ち着きはないけど。大人の反応だな。
ひとつ、成長を見つけた。
CDのジャケットよりかなり短くなっている髪型と眼鏡のせいで、ヤツが立ち去るまでRYOだと気づかなかった知美さんにひとしきり笑わせてもらって、劇場に入る。
始まるまでの時間に、来週のライブへのお誘いを。
小さな声で、
「夜遊び、だ」
って。おーい、成人。高校生じゃねぇぞ。
そろそろ、メンバーとも顔つなぎをしても良いんじゃねぇかなって。さっきの綾さんも来るって言っていたし、多分、土曜日だからJINの彼女もくるだろうし。
そう言ってみると
「さっきの女の方と朔矢さんもお知り合い、ですか?」
なんて、質問が返ってきた。
それはどういう意味、かな? 何が気になる?
「もともと、あの人はスタッフみたいな立場だからな。実はあの二人、近いうちに結婚するらしいよ」
客観的な情報を話すと、なぜか表情が曇った。
久しぶりに、わからん反応だな。どっから出てきた?
なんでもないって言う彼女に、返事を促す。
『どうしましょう?』って、情けない顔で見られた。さっき話題に出ていたツキコの困った顔みたいだ。
けどな、オレに頼らず自分で決めてみな。メニュー決めるより、選択肢は少ないぜ。
「来るの? 来ないの?」
首をかしげて返事を迫ってみた。かわいく……ねぇだろうな。
自分でもなにやってんだか。
「行き、ます」
「OK。じゃぁ、楽しみにしてな」
好きな子に見てもらえるステージ。オレも楽しみだよ。
翌日の打ち合わせで、そろーっと曲目の変更を提案してみる。最近、知美さんが買ったって言ってたちょっと昔のアルバムの曲。
織音籠が、今みたいに”癒し系”と呼ばれる前の時期のアルバムなので、最近はあんまり演奏する機会のなかった曲だけど。たぶん、あのアルバムの中でJINの声のパワーが一番伝わる曲。
せっかくライブに来るなら、彼女の知る曲の中で、一番『耳に残る』歌を聴いて帰って欲しい。
「珍しいやん。SAKUが、そんなこと言うん」
ドラムのYUKIが、目を丸くして言う。悪かったな。珍しくって。
「何か、あったのか?」
「いや、別に」
ギターのMASAもじっとオレの顔を見ながら訊いてくるのに、ちょっと目をそらせ気味で答える。
「最近、”サービス”してないし、久しぶりにどうかなーって」
癒し系と呼ばれるようになって、音楽性が若干変わったこともあり、シャウトの入る曲は最近のアルバムには入れていない。
昔のそういった曲は、”ファンサービス”として、ライブでだけ演奏するようにしているから、それを理由にしてみた。
そんなオレを、おかしそうにREが眺めている。
「んー、久しぶりに、入れてみてもいいか」
JINが、考えながらOKを出す。最後は、こいつのノドと相談になることだし。
ひととおり打ち合わせが終わっての移動中、するっとRYOが寄ってきた。
「彼女、来んの?」
「ああ。昨日、綾さんも来るって行ってただろ。打ち上げも参加の方向で」
「了解」
今日は、眼鏡をかけていない色素の薄い瞳が、笑いの形に細くなった。
ライブの当日、ステージから見て左手の壁際に知美さんを見た気がした。ジャケットのイメージから、オレが上手に立つと思ってくれていたなら。ちょっと、うれしいかもしれない。
提案したあの曲を演奏する前に、意識的にそっちを見る。あ、前にいるのはJINの彼女だな、多分。
見てな。すっごい声なんだぜ。
イントロが始まる。
客席が沸く。
久しぶりだろ? 聴きたかっただろ? 『耳に残る』JINの声だぜ。
オレたちから、ファンのみんなへの
特大のサービス。
ライブが終わって、軽く片づけをして。
綾さんも、JINの彼女も楽屋に来ているのに、知美さんがまだ来ない。
迷子になってないか、誰かに連れて行かれていないか。
まるで小学生の親みたいに心配になってくる。
ノックの音がして、綾さんがドアを開ける。
「SAKU」
オレを呼ぶ綾さんの陰から、ヒョコッと知美さんの顔が見えた。
綾さんに礼を言いながら、おいでおいでをする。
よしよし、ちゃんと来たな。
本当に気分は、初めてのおつかい。ついつい、頭を撫でた。さらっとした、髪の手触り。手と同じようにひんやりしている。ライブのあとで、オレが上気しているだけか。
「後始末が少しあるから、ちょっとそこに座って待ってて」
適当にパイプいすに座らせて、後始末をしつつチラチラ様子を見る。
最初はもの珍しそうだったのが、不安げな顔になり。ちょっと目を離した隙に、情けない顔になっていた。
久しぶりに見た気がする、自己否定の顔だな。
まだまだ、乗り越えなきゃならないモン抱えているな。
「お待たせ。これから、打ち上げに行くよ」
声をかけると、あからさまにほっとした顔になった。一人留守番をさせていた親の気持ちを味わった。
結婚して、子供が生まれたら。親子でこんな顔してオレの帰りを待つのかな。
想像が、先走る。子供って。走りすぎだろう、オレの頭ン中。あ、でも、知美さんに似た女の子って……。
「おい、SAKU。荷物持てよ」
妄想を打ち砕くように、MASAがオレのかばんを頭の上に置いた。
何をする。って睨んでも、あいつのつり目のほうが威力が上で、負けた。
「悪ぃ。MASA」
とりあえず、謝っておけ。
「で、そんなところでいちゃついとらんと、さっさと行ったら?」
今度は、YUKIが小突く。
「いちゃついたら悪いかよ」
「悪いわ。俺やMASAは嫁さん、家で子守しとって来られへんのに」
知るか。オレが独り身のときお前ら散々いちゃついてただろうがよ。
目を丸くするように、二人の顔を眺めていた知美さんが、何か考えていた。
ふっと振り返って、JINとRYOを確認して、フンフンと一人でうなずいている。
指を折りながら、なにやら考えて。
OKって顔で満足そうに笑った。