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新しい年

 年が明けた。

 知美さんに言っていたとおり、元日に実家へ帰っていたオレは、ひとつ後悔をした。


「さくら、彼女から年賀状よ」

 でっかい声を出した姉貴が、一枚のハガキをひらひらさせている。

 正月でコイツら一家も帰省していることを忘れていた。

 くそ。自宅の住所に送ってもらえば、姉貴に触られずにすんだのに。

「さく”ら”じゃねぇ、つってんだろうが」

 身長差を使って、はがきを取り上げる。まったく。オレが生まれる前に妹だと思い込んだからって、勝手に人の名前を『さくら』にしやがって。

 あげくに

「さくら ちゃん、お年玉」

「お年玉、お年玉」

 甥っ子連中まで真似しやがるし。

「あぁん? 誰に言ってんのかな? 皓貴(こうき)? 大輝(だいき)?」

 きゃー、さくらちゃんが怒ってるー。と、妙なテンションで盛り上がるガキどもに、うんざりする。

 お前ら、怒ってるのがわかってんなら、やめろ。


 甥っ子連中を適当にいなしながら、ハガキを眺める。

 通知表に書かれたような”先生”の字ながら、表書きのオレの名前とか裏に添えられた一言とかを眺めていると、柔らかな知美さんの声が『朔矢さん』と、話しかけてきている気がする。


 大輝がつけたテレビから、聞き覚えのあるメロディーが流れてきた。

 今日から流れることになっていたお菓子メーカーのCM。オレたち織音籠(オリオンケージ)が、曲を提供している。

 知美さん。テレビつけてみな。オレたちはここにいるから。

 北隣の蔵塚市で正月を迎えているだろう彼女に思いを馳せる。

 CDを渡して約一ヶ月。もしも、親の価値観を壊せずにいるのなら、ひとつ手助けに。

 壊せたのなら……。

 気づいたか? 結構近くにいたんだぜ。



 純粋に仕事が混んでいたので、一月の半ばまで知美さんに電話をかけなかった。

 そうして気づいた、気づいてしまった、こと。

 今まで、オレばっかり電話してたんじゃねぇか。

 年賀状を書くという彼女に住所を教えたとき、携帯の番号も書いた。あれから、一ヶ月以上たつのに。一度も知美さんから電話がない。

 軽く、ショックを受けた。

 見合いのときに、『気持ちが育つまで時間を貰えたら』って言ったのはオレだけど。彼女の中のオレの存在の軽さを目の当たりにしたようで。

 いつの間にか、オレ。彼女を……?



 一月いっぱいは、電話をせずに待った。

 逃げられると追いたくなるって男の習性なのか? 電話がないことに焦れた。彼女の声が聞きたい。

 二月に入るなり、電話をした。我慢の限界だった。

 電話に出た彼女は、相変わらずの柔らかい声で、

〔じゃぁ、来週の土曜日ですね〕

 なんて、暢気に言っている。

 その声に『やっと会える』と思っているオレがいる、なんて。想像もしていないのだろう。きっと。



 翌週のデートで、チョコレートを貰った。

「初めてなんです。男の人にバレンタイン、するの」

 真っ赤な顔で俯きながら言う知美さんに、心の中で小さくガッツポーズ。

 よっしゃ。”初めて”のチョコ。ゲット


「ありがとう。大事に食べるよ」

 赤い顔のまま、くすぐったそうに笑う顔で、もうひとつ嬉しい報告があった。

「CD、聞きました」

 お。がんばれたんだ。

 『褒めて、褒めて』って、顔に書いてある。うん、もう、抱きしめて、頭を撫で回したいくらい。褒めてやりたい。

 いやいや。彼女、そこまで気持ち育ってないから。

 下心を笑顔でごまかす。

「簡単なこと、だっただろ?」

「そうでしょうか?」

 そうだよ。聴いてみたい音楽を聴くのなんて。迷惑にならない音量を守ってたら、自分の思いのままでいいんだぜ。

「でも、はじめの一歩だな。じゃぁ、その調子で」

 さて、次の課題は。

 食事を選んでみるか?


 その日の夕食にタイ料理を選んだ知美さんの返事に、提案したオレのほうが(おのの)いた。年末の定食屋での、泣きそうな顔が浮かんだから。

 そんなオレの心配をよそに、食べたこともないらしいのに

「チャレンジしてみます」

 と、こぶしを握って見せる。

 何、があった? 本当に、大丈夫か?

 身長差を埋めるように、顔を覗き込む。

 これは。チャンス、か。勢いで、もうひとつ何か乗り越えられそうな。

 判った。乗り越えるために、手を引いてやるよ。

「んじゃ、行ってみようか」

 比喩ではなく、本当に手を繋いだ。中学生のようにドキドキしながら。

 あの手、が今。オレの手の中にある。


 どうやら今まで、知美さんはメニューを見る習慣すらなく、周りの選択にあわせてきたらしい。

 だから、ブリが苦手なくせに、ブリ大根。

「朔矢さん、どんな料理か全部わかるのですか?」

 見たことも聞いたこともないような料理名が並ぶメニューに、困ったような顔で聞いてくる知美さんに、

「いいや、オレもほとんど判らん」

 って返事をしたら、『無責任!』って言っている顔になった。

「判らんかったらさ」 

 すいませーん。と、声を上げて店員を呼び、メニューを説明してもらう。

 横でフムフムと聞きながら、時々彼女も質問をはさんで選んだメニュー。 

 知美さんは心配したような表情になることもなく、好奇心にあふれた子供の表情で完食した。


「ちゃんと、食べれたな」

「はい。おいしかったです」

 『満足ー』って顔で、デザートのタピオカを掬っている。一緒に飯を食って、こんな顔を見て。幸せってこんな物なのかな。

「メニューなんてさ、どんなものか判らないなら訊けばいいんだ。人に合わせずに、食いたいもの食えば、”好き嫌い”じゃなくって”好み”になるだろ?」

 納得がいったような顔で、笑う。

 年相応のいい笑顔だな。

 大人の笑顔と、子供の笑い顔を持つ彼女。

 もっと近くに。近づきたい。


 そうそう忘れていた、と、彼女が言い出したのは、年末に渡したCDの事だった。

「あの声、耳に残ります」

 おお。『耳に残る』な。その言葉、頂き。いつかどこかで歌詞に生まれ変わるかもよ。

「だろ? オレたちが惚れたのわかる? JINのあの声がなかったらオレたちは音楽で飯食うつもりなんて、なかったよ」

 いきなりヴォーカルの声にいった彼女の感想に、わが意を得たり、って感じ。

 二言目の感想にこけそうになったけどな。

「皆さん本当に大きいんですね」

 って、そこ? 音楽じゃなくって、ジャケットの感想だよな。


 オレがデカく見えないって、まあなぁ。全員百八十センチ超えで、JINなんか百九十センチあるかも?

「そりゃな。JINの本名、”ダイマジン”だし」

 そう言いながら、テーブルの上に指で”大間  仁”と書いて見せた。

 聞いていた知美さんが眉間にしわを寄せて、テーブルに書かれた見えない文字を睨む。

 って。また信じただろ? 先生?

 本当に、だまされやすいな。大丈夫か。

「そんな名前、オレたちの時代につける親がいるかよ」

 無言で口を尖らせる知美さん。『だまされた』って、顔か。

 ヒヨコみたいな顔に、笑いが止まらん。

「”大魔神”は、高校時代のJINのあだ名だよ」 

 種明かしをすると、うーん? って考えて、何かが腑に落ちたか。

 知美さんは、いたずらを叱る先生の顔でオレを見ながら、お茶に手を伸ばした。



 二月にもう一度食事を一緒にして、三月はまた通知表の季節。

 同じ失敗は繰り返すまい、と、しばらくは大人しく仕事に励んだ。半年後に新しいアルバムが出る関係でオレも忙しかったし。見合いのあと、立て続けに会えた時期が奇跡的だったわけで。


 知美さんが春休みになったら、会うことができる。

 そう、期待したのに。

 新年度から転勤になるらしく、その引継ぎやらなんやらで春休みも忙しいらしい。その合間を縫うように、一度だけのデートだった。もう少しで、桜が咲きそうな頃。

 惜しいな。”さくら”、一緒に見る口実で、昼にも会いたいのに。


 食事の合間に転勤の話を詳しく聞く。オレの住む”学園町”をさらに、三つ西へ行った”西のターミナル”からまだ、向こうとか。

 話を聞きながら、頭の中で路線図を描いて……。ちょっと待て。

「それは、かなりキツイぞ」

「朔矢さんも、そう思いますか?」

 思うよ。『朔矢さんも』ってことは、自分でも思ってんだろうが。


「こう、知美さんの家から駅までがバスって言ってたろ? そこから南下して東のターミナルで快速に乗り換えて、オレの住んでいる駅を通り越して西のターミナル。もう一度バスに乗り換えて」

 改めて彼女の通勤ルートを声に出して確認する。一時間半? いや、もっとかかるか?

「九時五時の仕事じゃないわけだし。体壊さないといいけど」

 一日、二日なら無理できなくもないだろうが、毎日。それも、何年か続くわけだし。

 冬のあの日の、顔色の悪さが思い出される。

「そうなんですけど」

「絶対無理はするな。年末にオレとの約束に無理をしたことがあっただろ? あんなことはするなよ」

 無理だと思ったら、電話して来い。ドタキャンくらいで怒りゃしねぇ。知美さんの体のほうが大事だろ? 


「だったら、携帯を買おうかな」

 なにやら考えているらしい彼女から、言葉がこぼれた。

「だったら、って、なに?」

「家の電話使うと、両親がいい顔をしないので。朔矢さんと会える時間が減るなら、携帯持ってたらメールとかできるかなって思って」

 なんか、今。へんな言葉を聞いた気がする。 

 電話が使えない?

「子供が電話を触るもんじゃないって」

「子供って……三十になる娘に言う言葉かよ」

 まぁな。表情は子供だよ、時々。

 けどよ、三十歳だろ。見合いして、結婚させる気なんだろ。矛盾してねぇか?

 久しぶりに感じる違和感。そんなオレを他所に、当たり前のように言っているってことは……。

「それ、知美さんは”普通”だと思っている?」

「そう言われて育ってきましたから、そんなものか、と」

「違和感なし、か。じゃぁ、いっそ、文通でもするか?」

 いっそ、超アナログな”お付き合い”ってどうよ。

 あの知美さんの字で手紙が届くのも悪くない。彼女の手元にオレの”字”が貯まっていって……。

 一瞬、妄想に嵌りかけたオレを引き戻したのは、

「中身を見られます」

 更に理解できない言葉だった。

「検閲? 封を開けて?」

 あえて”検閲”と、硬い言葉を使ってみたオレに、小さくうなずく知美さん。

 なんだ、それ。やっぱ、この親子どこか変だ。

「信書って、親でも見ちゃいけないって知ってる?」

「そうなんですか?」

「らしいよ。大体、成人した相手にする行為じゃないだろうが。だって、考えてみなよ。隣の席の先生が知美さんあての手紙読むか?」

 うーん? と、首をかしげて考えている。

 考えろ。おかしいことは、おかしいって言っていいんだぜ。

 知美さんの両親の”それ”は、決して”常識”じゃない。



 四月になって、知美さんから初めてメールが届いた。

 結局、携帯を買うことにしたらしい。オレの携帯の番号と一緒に教えておいたアドレスがやっと役に立った。

 あれ? 年明けに電話がなかったのは、知美さんの気持ちの軽重じゃなくって、彼女の親に邪魔されていただけ? 焦れてたオレって、何?

 そんなことに気づいたけれど。後の祭り、か。

 オレは、はっきり知美さんに惹かれ始めていた。



 心配していたとおり、知美さんは毎日の通勤にかなり疲労が溜まるらしい。

【すみません。週末、出歩く体力がないです】

 そんなメールが新学期から続いて、本当に文通しているみたいな状態になった。オレのほうも、夏に結婚式を挙げる奴がいる関係で、スケジュールに調整が入り週末の休みがほとんどなかったのもあるけど。

 いっそ一人暮らし、すれば良いのに。せめて、東のターミナルあたりに住んでいるなら、会う時間も作れるだろうし、何より彼女の通勤が楽になるだろうに。

 親が一人暮らしに反対してるって言ってたよな。

 知美さん。自分を守るために、”いい子”をやめる必要もあるんじゃねぇかな? 



〔もしもし。生田と申しますが〕

 そんな言葉で、オレの携帯に電話がかかってきたのがGW.真っ只中の土曜日の夜だった。

 やっと電話してきたな。

 初めてかかってきた、知美さんからの電話に、顔が緩む。仕事中でなくって、本当によかったと思うほど、自分の顔が崩れている自覚がある。

〔あの。引越しをしました〕

〔そう。どこら辺?〕

〔西のターミナルから、歩いて二十分程のところです〕

 朔矢さんのご近所になれました。なんて、うれしいことを言ってくれる。それよりも、何よりも。

〔親離れの第一歩だよな〕

〔ですかね?〕

〔うん。体を壊す前に行動できたな〕

 ひとつ、乗り越えたな。目の前にいれば、頭を撫でてやりたい。がんばったなって。

 JINみたいな、『耳に残る』いい声じゃねぇけど。思いをこめた、ひとことを。

〔よかった〕 

 と。

 それから、しばらく世間話をして。オートロックを完全に信頼しきっている知美さんに、注意を与える。

 今まで、チョコチョコからかいすぎたせいか、声に疑問が乗っている。『朔矢さん、まただましてませんか』って。

 人を疑うのも、成長なんだろうけどよ。

〔冗談でもからかっても無いからな。ちゃんとこれだけは信じて聞いてくれ〕

 ほんと。頼むから。

 危機管理、覚えような。

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