始めの第一歩
叔母から彼女の家の電話番号を教えてもらって、かけたのが三日後。
来月からしばらくは忙しくなるのがわかっているので、さっさと初めてのデートの約束を取り付ける。
そうして、見合いの翌週末。通称”東のターミナル”の近くのイタリア料理屋で食事をした。
「知美さんと呼んでもいい? オレのことも名前で呼んで?」
『生田さん』なんて他人行儀で呼ぶのは肩が凝る。けれど、いきなり呼び捨ては拙い気がする。
まだ恋愛感情ではない後ろめたさのようなものが、ストップをかける。
「朔矢、さん?」
首をかしげるように、オレの名前を呼ぶ。
今日は、いかにも”先生”な服装の知美さんに、なんだか入学式で名前を呼ばれた気分だ。
料理を待つ間、オレの顔色を伺うようにするから、何かと思えば。
「あの、すみません」
前振りもなく、謝るなよ。
「なに? いきなり」
「私、まだ織音籠の曲、聴けていないんです」
「そんなこと。無理しなくってもいいよ。おうちで聴きにくいんでしょ?」
釣書が来てからの時間より、見合いからの時間のほうが短いんだから、そりゃ無理だろ。
それでも、モジモジと居心地悪そうにしているから、フォローのつもりで
「じゃぁ、俺が医薬品メーカーに勤めてたら、薬使ったことがあるか気になる?」
と、言ってみると、返ってきた返事が
「代表的なお薬の名前を聞いたら『使ったことある』って思うかもしれないでしょう?」
うーん。代表的、なぁ。
CMの仕事もしているが、アレは意識してないと流れてっちまうし。なんか、あったかな。
つらつらと考えていると、サラダが出てきた。食べ始めたオレに倣うように彼女もフォークを手にしたけど。
ハタ、と知美さんの手が止まる。
視線だけを流すと、皿を睨んでいる? そして、目をつぶったと思うと、トマトを口に入れた。
小学生かよ。
「トマト、嫌い?」
笑いをこらえながら尋ねると、意外なことを訊かれたって顔でこっちを見てくる。
「すごい顔してたよ。嫌いなものがあったら、遠慮なく言ってね。他にも何かある?」
「ないです」
「本当に?」
「大人になって、好き嫌い言うのはみっともないですから」
また、ざらっとした違和感。
「誰が、決めたの? それ」
「でも、常識ですよね」
”常識”な。誰が決めたんだよそんなモン。
違和感の正体は、その辺に隠れている気がする。
彼女に見せ付けるように、オレはトマトを口に運んだ。
アルコールは飲めないという彼女に断って、ワインを頼む。この店に来たら、これを飲まなきゃってヤツ。
グラスに口をつけたところで、さっきの”代表的な”にとっておきの答えが見つかった。
「知美さんって、普段どんな本を読んでる?」
多分、見合いのときに話していた映画の傾向から考えたら、この方向でいけばOKのはず。
と思ったら、なぜかオレのほうが愛読書を答えてるし。
上手いな、おい。さすが”話させ上手”だぜ。
「何で、俺が答えているの。知美さん?」
知美さんに質問を戻したら言い淀んで、視線が流れる。
「あれ、答えにくかった? 意外と、物凄いヤツ読んでたりする?」
「物凄いって」
「えー。人前で言えないような凄いの」
「読みません! ファンタジーとか、ミステリーとかです!」
言えるじゃねぇか。ムキになった顔に笑いがこぼれる。それに反応するように、こちらの顔をうかがってくる知美さん。そうして、その口から出てきた言葉は。
「子供っぽいって思いませんか」
また。違和感。
彼女の顔を見直す。ジワジワと視線が下がり、顔までがうつむく。
違和感の正体はなんだ? 考えろ、考えろ。
『みっともない』『子供っぽい』
何か、共通点があるはず。
言葉の前後。話の流れ、彼女の表情。
思い返して、ひとつの言葉が浮かんだ。
切り貼り
彼女自身を理解するには、まだまだ時間も会話も不十分だが。
前後の彼女の言葉から浮き上がっているような、どこかから持ってきてつけたような言葉。
”詞”を商売道具にしている、オレの何かに引っかかった違和感。
『みっともない』ってのは誰が思っている? そして
「『子供っぽい』って、それも。基準は誰の価値観かな?」
ぱっと上がった知美さんの顔に、疑問が浮かんでいる。
心の中で思ったことが声に出てたか。
笑いでごまかして、話を本筋に戻す。
あるファンタジー小説のシリーズのタイトルを挙げる。
「読んだことある?」
「はい。学生のころに」
どこか痛みをこらえるような表情で返事が返ってきた。
また、わからん反応だな。ま、いいや。
その小説が、年明けにアニメになること、オレたち織音籠がエンディングを担当することを話した。
「でね、もし原作に興味があるなら、一度見てみたら? ついでに俺たちの歌も聴けると。一石二鳥だね」
我ながらグッドアイデア、って自信を持って言ったのに。怖い話を聞いたように、固まられてしまった。
「どっちも無理です」
「うん?」
「アニメなんて、親の前で見れません」
「叱られるのが、怖い?」
コクンと、黙ってうなずく。
アニメなんて、『子供っぽい』か? なるほど、親の価値観な。
「知美さんの家って、チャンネル権はお父さん?」
ダメ押しで、質問を重ねる。
かすかにうなずいて、そのまま潤んだ目を隠すようにうつむいてしまった。
そうかぁ。怖いか。
”親の価値観”と”自分の価値観”が完全に一致しているわけではないのに、怖くて逆らうこともできない”いい子”の知美さん。
切り貼りの正体は、これか。
残っていた、パスタを片付けてフォークを置く。
はっとしたように、知美さんが止まっていた食事を再開する。必死でフォークを動かす姿が、なぜか、泣きながら食べる子供のように見えた。
焦るなよ、落ち着きな。”いい子”にならなくっても、オレはそんなことで怒りゃしねぇよ。
「ここのワインおいしいから、ゆっくり楽しませて、ね」
取っておきの顔で笑いかけると、つられたように彼女の頬がふっと緩んだ。
「知美さんって、お酒まったく飲まないの?」
彼女の皿の大部分が片付くのをまって、話題を変える。
「はい。酔っ払うのはみっともないと思いますから、飲みませんね」
ほぅ。彼女自身の言葉は”これ”だな。同じ『みっともない』でもコイツは、違和感がなかった。
「ふーん。じゃあ、知美さんの前では酔っ払わないように飲まなきゃ」
「朔矢さん、酔っ払うほど飲まれるのですか?」
「これぐらいじゃ、酔わないけどね」
ワインを飲み干して、笑ってみせる。
その日の残りの時間は、和やかに食事をした。
知美さんの休みと、オレの休みがうまい具合にここ一ヶ月ほどは合ったので、週末ごとに食事に行った。互いが住んでいるところの中間点の、東のターミナルで。店に予約を入れて、そこで待ち合わせて。
十二月に入って、クリスマスに予定されているコンサートの関係で仕事が忙しい。普段、なるべく自炊をするようにしているけど、外食が続いていた。
三十五歳って年齢のせいか、胃がしんどい。
ちょっとだけ、わがまま、言わせて貰うかな。
〔今度、会う時な〕
〔はい〕
〔”学園町”まで出てこれる?〕
オレが住んでいる近所の、通称”学園町”。
知美さんの家からだと、一時間くらいかかるけど。
〔はい。あまり遅くならなければ大丈夫です〕
〔じゃあ、駅の改札で待ち合わせしようか〕
〔いいのですか?〕
〔うん。ちょっと、わかりにくい場所にある店だから〕
学生時代から住んでいる町だから、少々ウロウロしていても騒ぎになったことなんてないし。
時間と日にちを確認して。
〔じゃ、そういうことで。お休み〕
〔はい。おやすみなさい〕
柔らかい声で、知美さんが言うのを聞いて電話を切った。
学園町の改札で彼女の顔を見たとき、顔色の悪さが気になった。明かりのせい……じゃないよな。知美さんも、仕事が忙しいのか?
ちょっと待て。十二月になったよな。
「小学校って、通知表あるよな?」
「はい。朔矢さんの子供のころとは少し違いますけど」
「今って、通知表の準備中だったりする?」
「ええ、まあ」
自分の子供のころの、通知表をイメージする。あれを一人で準備、するんだよな。
丁寧に書かれた、活動の記録や毎日の生活の様子。各教科の評価。
クラス全員の分になると、いったいどれくらいの時間が費やされるのだろう。
「そうか。師走だもんな。坊さんだけじゃなくって先生も走る季節だ。わるい。気づかなかった」
「いえ。気にしないでください」
気になるに決まってんだろうが。
冬になって日焼けの落ち着いた白い顔に浮かぶ隈が、彼女を一段と疲れた表情に見せる。
「今日は、このまま帰って休むか?」
黙ってイヤイヤと首を振る姿に、また違和感。
どこか焦ったような、何か事情がありそうな表情。
「いきなり帰っても、晩飯がないか」
違うだろうな、と思いながら言った言葉に、すがるように頷かれた。
じゃぁ、そういうことにしといてやるか。
「寒いし。とりあえず店に行こうか」
あっち、と示すように歩き始めたら、チョコチョコと小走りでついてきた。
行き先は、学生時代からの行きつけの定食屋。
カウンターの大将に手を挙げるだけの挨拶をして、女将さんにジェスチャーで小上がりに上がれるか確認する。
OKを貰って、奥へ進むオレの後を雛鳥のようについてくる知美さん。
メニューを広げながら、年末にコンサートがある話をしていたら、女将さんがお茶とお絞りを持ってきた。オレと女将さんのやり取りを、もの珍しそうに見ている知美さんにメニューを向ける。
「今日は、何にする?」
「うーん。野菜食わしてくれる?」
外食が続いて野菜不足だから、ここは女将さんのお勧めを聞いて考えよう。
「じゃ、ぶり大根の定食は?」
「あ、それ。知美さんはどうする?」
「私もそれで、お願いします」
メニュー見たか? えらい早く、決めたな。
「はいよ。じゃ、ぶり大根の定食二つね」
女将さんの言葉に、あいまいにうなずく知美さんにまたひとつ、違和感。
料理を待つ間に、ミッションをひとつ。
知美さんに渡すつもりで持ってきた包みを、かばんから出して手渡す。
「これって……」
「そ、俺たちのCD。今年の春に出た、一番新しいのね」
顔を合わすたびに『ごめんなさい、まだ聴けてません』って言うわりに、聴こうとしている姿勢が感じられない知美さんに発破をかける。
「知美先生に、冬休みの宿題。そうだなぁ、一月中にそれを聞いて、感想文ってどう?」
先生、これでどうよ。
自分でも悪い笑いだなって顔に、知美さんがぎょっとした表情になる。
「きっかけをあげる。そこからどうするかは」
知美さんしだいだよ。
”怖い”親の価値観。ひとつ壊してみな。
女将さんの声と一緒に料理が届いた。
あれ? 粕汁が付いてる。別メニューのはずなのに。
「大将からのサービス」
にっこり笑う女将さんを片手で拝みながら、箸を取る。
「彼女さんも。しっかり食べてね」
知美さんに向けられた言葉に返事が返ってこないのを不思議に思って、顔を見た。知らないおばさんに声をかけられた子供みたいな顔をしてる。
上目づかいでそろっと、オレの顔色を伺う彼女。また、わからん反応だな。
「サクちゃん。今までとはずいぶん傾向の違う子ね」
今までのカノジョ歴の一部を知っている女将さんが、面白いものを見た顔でオレを見た。
「かわいいだろ? スレてなくって」
自分で言って、なんとなく納得する。今までの彼女と違って、スレてないから。反応が読めないのか。
そうか、そうか。
ひとつわかった気がして、嬉しくなった。
粕汁に口をつけながら、ふと見た知美さんの表情に胸を突かれた。
ブリを箸で口元に運ぶその表情が。恐る恐るで、泣きそうで。
何だよ、飯を食うだけでその顔は。
「嫌いなものは言えって言わなかったか?」
『みっともないこと』じゃないって。嫌いなら、違うモン食えよ。そのためのメニューだろうが。
軽く、睨む。
ビクッと体を震わせ俯いてしまった姿に、見合いのときの知美さんが重なる。オレがお茶を淹れただけで、動揺したあの姿。彼女のひざをピシャっと叩いた母親。
叱られることを、極度に恐れる子供か。
下手を打った対応を、冗談に紛らわせる。
ほっと、息をついた知美さんに、
「こっちが変に気を使うから。俺のためにちゃんと言って。な?」
言葉を変えて言い聞かせる。
嫌々食ったら栄養にならない、とか何とか適当なことを言って、
「ブリ、嫌いならひきうけようか?」
あんな顔をさせたくない思いが、自分でも予想外の提案になった。
大丈夫か、オレ。
「いえ、大丈夫です。これだったら食べられます」
「無理するなよ?」
「はい。これは、大丈夫そうなブリです」
どこまでが遠慮で、どこから本気か見極めようと彼女の顔を見る。
遠慮なら。ボロを出せ。
彼女はそんなオレに
にっこりと、笑った。
やっと、笑った。笑いかけてくれた
話しがおかしくって”笑った”んじゃなくって。
オレに対して、”笑いかけて”くれた。
知美さんの笑顔を、もっと見たくって。何度でもその笑顔が欲しくって。また適当なことを言う。
笑わないと、年寄りの顔になるとか何とか。
信じた彼女が、箸を置いて自分のほほを撫でる。真剣に、なにやら考えている顔がおかしくって。つい噴き出す。
「知美さん、騙されやすい?」
「でしょうか?」
「キャッチセールスに引っかかったことがありそう」
「それは無いですよ」
「そう?」
引っかかっても、気づいてなさそうな気がするがな。
「はい。あれって、化粧品とかエステとかアクセサリーとかですよね。声をかけられたことはありますが、チャラチャラと身を飾ることを親が嫌いますから」
おっと。そう来たか。親の価値観が、彼女を守ったとはいえ。
チラッと、知美さんの姿を見やる。薄化粧で、かっちりした服装。アクセサリーをつけている姿も見たことがない。
仕事柄、じゃないのか。
今まで付き合ったカノジョ達のような、派手な女性になるのはどうかと思うけど。年頃の女性が身を飾るのをためらうってのも、もったいない話だ。
ここにもひとつ。突破させてやりたい価値観がある。
「朔矢さん、年賀状出してもかまいませんか?」
食後のお茶を飲んでいた知美さんが、そんなことを言い出した。
「知美さんって、あけおめメール世代じゃないの?」
「私、パソコン持っていないから、メールしなくって」
「携帯は?」
「持ってません。必要ないですし」
おい、若者。つい、二ヶ月ほど前まで二十代だろうが。必要ないって……。あぁ、でもそうか。今までアドレスとかの話にならなかったのはそれか。
「やっぱり、持っていたほうがいいですか?」
オレに訊くこっちゃねぇだろうが。
「それは、知美さんが考えること。ないと不便なら、持てばいいだけでしょ? オレは、無いと仕事にならないから持っている。そういうことじゃないの。お金を払うのは自分だよ」
あぶね。
親の価値観を壊しても、その空いたスペースにオレの価値観を入れてどうすんだよ。
これは、オレ自身が気をつけねぇと。
で、話がずれたけど年賀状だったな。うん。オレも知美さんの年賀状欲しいな。
「あの、じゃぁ住所を……」
「そうだね。正月はどうせ実家に行くから、とりあえず実家の住所な」
いつも持ち歩いている”ネタ帳”。最近、小学生の自由帳になってきた気もするノートをかばんから出す。知美さんも手帳を出してきたから、交換。
「自分で書くから、知美さんもこっちに書いて」
オレの特技。見て驚け。
途中で何か考え込んで手がお留守の知美さんをからかったり、女将さんがお茶と一緒に茶々を入れていったり。
「書けた? ああ、”先生”の字だな」
「朔矢さん、きれいな字ですね」
「でしょ。ちょっとそれが自慢」
どうよ。意外だろ? 見た目とそぐわなくって。
って、思ったら、いたずら心が疼く。
「あ、そうだ。知美さんにちょっとクイズ」
さっき渡したCDを出させて、メンバーの誰が一番字が上手か当てさせる。
予想通り、中性的な外見のキーボードを指差す知美さんに、さっきのノートの一ページ。やつの書いた字を見せる。個性的な字を書く奴なんだ、これが。
「これ、かなり勉強のできない子の字です」
一瞬の絶句のあとの、先生の言葉のひっでぇこと。
「ふーん。そういう見方もあるんだ。こいつも俺と同じ大学の法学部。そこそこ勉強はできるぜ」
唖然って顔の知美さんを見ていると、笑いがこみ上げる。
価値観をもうひとつ、揺さぶってみようか。
「ちなみに一番できるのが、コイツ」
と、中学校の同級生だったヴォーカルを指差す。
俺たちの中で一番大柄で、チマチマ勉強してる姿なんて想像つかねぇだろ?
ま、勉強の成績なんて関係ねぇけどな。俺たちは、奴の”声”に惹かれて音楽の道を選んだんだから。
言葉も出ないって感じでCDを眺めて、手帳と一緒に片付ける知美さんの頭の中はきっと今頃、大嵐。『混乱してます』って、大書きしてある表情がなんか、可笑しい。
その年のデートは、この日が最後だった。




