見合い
結婚願望なんて、無かった。と思う。
大学卒業と同時のデビューから十二年。オレは織音籠という男五人のバンドで《SAKU》と名乗り、ベースを弾いていた。
学生時代から変わらぬ仲間たちが、一人、また一人、と結婚をしたり同棲をしたりする中で、彼女すらいない完全な独り身は俺だけだったけれど。
面倒くさい話がもたらされたのは、実家からかかった一本の電話で、だった。母方の叔母から持ってこられた見合い話。
〔何度も断ったんだけどね。敏子さんも思い込んだら動かないから〕
電話の向こうでオフクロが疲れたような声を出した。
〔で。一度会えって?〕
〔そう。とりあえずでも形を整えたら納得するんじゃないかしら〕
〔オレよりも先に、自分ちの息子だろうがよ〕
娘は片付いても、オレより一歳年下の息子もいるだろうが。そっちの世話をしとけよ。
〔あんたが片付いてないのに、先に話を進められないって〕
〔関係ねぇだろうが。兄貴ならともかく従兄だぜ〕
〔そんなこと、通じる人じゃないでしょ〕
〔わかった。じゃ、本当に会うだけだぞ〕
〔それで良いんじゃない〕
そんなこんなで、見合い話が進められた。
結局、十一月に入ってすぐの日曜日。実家と自宅を結ぶ路線の真ん中あたりのホテルで見合いが行われることになった。
前もって実家に送られてきた釣書を見るために事前に一度、実家に戻ったオレは、オフクロから渡された封筒に、つい唸ってしまった。
台紙の付いた見合い写真ってやつ。初めて見たぜ。
『とりあえず写真を』っつうから、デジカメでバンドの仲間に何枚か撮って貰ったのを現像したのと、夏に実家で取ったスナップだったと思う。オレのほうから渡したのは。
断る気、満々なのがバレバレ。ちょい、まずったかな
そんなことを思いながら、釣書を開く。
氏名 生田 知美
職業 小学校教諭
五歳年下の先生なぁ。叔母が好きそうな”堅い”仕事だ。
「さっちゃんは、どう思う?」
横でオフクロが尋ねてくる。
”どう”てなぁ。向こうが嫌がりそうだな。いわゆる、ロックバンドのベーシストってのは。
「”さっちゃん”は、よせって。これさ、オレが断る以前に、断られるんじゃねぇ?」
「敏子さん、先方に就職も世話してもらうつもりよ」
マジかよ。勘弁してくれ。
オレの仕事に以前からいい顔をしていない叔母に、心の中で悪態をついて広げた釣書を畳んだ。
断るつもりの見合いとはいえ、失礼な態度をとる気はないので、スーツを着て髪も撫で付ける。ネクタイを締めるのは、何年ぶりだ? ピアスや指輪もはずした。かなり明るい髪色はそのままだけど。
オフクロとは駅で待ち合わせて、見合いのセッティングされたホテルへと向かう。
案内された和室の襖を開ける。
「遅くなりまして。原口と申します」
名乗りながら部屋に入ると、振袖の女性が横に座る母親らしい人にせっつかれるように立ち上がる。
会釈をしていた頭を上げた彼女は、”オレの身長に驚く子供”の顔になった。電車で乗り合わせた小学生のような。
そいつは小学生の反応だぜ。先生。
噴き出しそうになったのをこらえたところで、目が合った。ごまかすために、ステージ用の顔で笑いかける。
ぱっと頬に散った朱が、今度は彼女を年相応の女性の顔にした。
子供と大人の境目のどこか不安定な危うさ。それが、彼女の第一印象だった。
叔母が場を取り仕切り、見合いが始まった。
「はじめまして。原口 朔矢と申します」
「生田 知美と申します」
「朔矢さんは音楽の、知美さんは小学校の先生の仕事をね」
話に聞くお約束どおりに会話が進む。考えてみりゃ、彼女の服装からしてお約束か。三十歳だろ確か。それで、振袖ってな。それも、似合う似合わないを考慮せずに、”成人式の振袖”のイメージで誂えられたような。赤系より、緑系の色のほうが似合いそうだよな。
そんなことを内心思いながら、彼女の仕事のことを尋ねる。
それに対して、ポツリポツリと返事が返る。
彼女は仕事柄なのか声の通りも滑舌もいいので、大した内容のない答えでも耳には心地いい。
ただな、いつまでオレだけが質問を続けるんだ? なんか、根掘り葉掘り聞いているみたいだろうが。
「知美さんは、朔矢の音楽は聴かれたことあるの?」
横から、オフクロが話によってきた。オレから自分の仕事のことは聞きにくいから、ナイスフォロー。
さあ、どんな返事が来る? お約束だったら、一番最近のアルバムの名前が出るか、ちょっと捻ってヒットのきっかけになったセルフカバーが来るか。
「申し訳ありません。まだ、聴いたことがなくって」
おお。そうきたか。
「そうですか。嫌いなジャンルかな?」
こう返したら、どう答える?
「両親が嫌いますので、家ではクラシック以外は聴かないものですから。学校でも、原口さんのされている織音籠の曲を子供たちが放送でかけることがありませんので」
「なるほど。小学生には、少し早いかもしれませんね」
愛想笑いと一緒に返事をしながら、内心チョイ呆れた。なんだ、その答えは。
オフクロが、素直な子だとか何とか褒めて……るのか? むしろ褒め殺しか?
そこから話が脱線してしまい、オレの仕事について叔母と言い合いに発展しかけた。それをきっかけにオフクロが叔母と先方の母親を連れて退席してしまった。
「あの、すみません。私が、曲を聴いていなかったせいで」
どこかオドオドと彼女が謝る。肩、こらねぇか?
「ああ、いいんですよ。とにかく、叔母はオレの仕事が気に入らないだけですから」
さて、どう会話を組み立てるかな。
間をもたせるために、茶碗を手に取る。
そうだな。まずは、これ。
「生田さんは、お休みの日は何を?」
「本を読んだり、手芸をしたりしています。あとは、映画も時々」
インドア派な。
彼女が同じように茶碗を手にして、口元に運ぶ。袖口から、日に焼けていない内腕が目に入った。
惹き付けられた視線を、慌ててはがす。
「そうですか。おうちに居ることが好きなのかな?」
そう返事を返しながら。一瞬走ったどこか疚しい心持をごまかすように、視線を緩めてお茶に口をつけた。
そうして初めて
「原口さんは?」
と、彼女から質問が出た。ようやく、会話のキャッチボールになりそうだ。
「俺も本を読んだり、楽器を触っていることが多いですね」
釣書と一緒に渡した見合い写真では、本を読むようには見られないのを承知で言ってみる。アクセサリージャラジャラだし、ヘアスタイルなんか、色といい髪型といいオヤジ曰く『ひまわりみたいな頭』。
やっぱりというか、顔に『意外』って、大書きしてあるし。
あからさまな反応が楽しくて、笑いをこらえながら更に攻撃をしてみる。
「これでも、国文の卒業なんですけどね。ちなみに、卒論のテーマは古今和歌集」
キョトンとした顔が、本当に子供みたいで。つい笑いがこぼれた。
そこから、オレが音楽を仕事にしたきっかけとか、作詞も担当していることとか。次々に彼女からの質問に答える。
緊張がほぐれたのか?
最初のポツポツとした会話から、考えられないほどスムーズにやり取りが続く。
聞き上手、っていうか話させ上手って感じか。
全身でこっちの話を聞いて、心のままに反応が返ってくるのが面白い。こりゃ、小学校の先生っつうのは天職だな。こんな担任となら、いっくらでも話したくなりそうだ。
おばちゃんの井戸端会議のごとく、話題が転がっていく。
そのうちに、オレの身長の話題になった。
「何を食べてそんなに?」
って言うから。最近仕入れたネタを。
「人を喰って」
オレのその答えに、彼女が引いた。ものの喩えじゃなくって、本当に後ずさりしただろ、今。
『食べないで』って言っているような表情がおかしくって、つい噴き出す。
「信じましたか?」
オレが尋ねた言葉に、コクコクと壊れた人形のように頷く。
ンなモン、喰うかよ。どんなイメージだよ、オレって。
「かつての総理大臣だったかの言葉ですよ。『人を食っているから、いつまでも元気なんです』って。慣用句でもあるでしょう? ”人を食ったような”って」
種明かしをしたら、ホッと息をついて姿勢を戻した。
気持ちを落ち着かせるように、お茶を口に運ぶ彼女の姿を眺める。腕の白さもだけど、指も長くって……。って、おい。
フェティシズムの気はない、と思ってたんだけどなぁ。
「人を食った答えとか、の?」
落ち着いたらしい彼女から、やっと言葉が返ってきた。
「そうそう」
「からかいました?」
「まさか、信じるとは思いませんでしたよ」
ぷっと、むくれた顔がおかしくって。
つい、オレも子供のように声を立てて笑ってしまった。
「私のような者は一人ではとても……」
彼女は、目を伏せるようにしながらぽつっと言った。話題は、”一人暮らし”に変わっていた。
「そうですか? 俺、十八で一人暮らしを始めましたよ」
「できる方はできるのでしょうけど。両親にも『お前には無理』といわれていますし」
茶碗をいじりながら答える彼女に、自分のお茶も空な事に気づく。
ポットがあるし、お茶のセットもあるな。
何の気なしに立ち上がり、おかわりを淹れる。
うちのバンドのヴォーカルがコーヒーを飲まないからってお茶に凝りやがって、その影響でそこそこお茶の淹れ方には自信がある。
「おかわり、飲みますか?」
彼女の茶碗に手を伸ばす。返事がないので顔を見ると視線が落ち着かず、うろたえている。お茶ひとつで、わからん反応だ。
二人分のお湯を入れたし、置いておいても渋くなるだけだから、返事がないのをいいことに彼女の分も茶碗に注いだ
「つい、お湯を入れすぎてしまったので、入れておきますね。よかったらどうぞ」
「すみません。私が入れないといけないのに」
座りなおすと、思いもよらぬ言葉がきた。ざらっとした違和感のある言葉。
『私が淹れないと”いけない”』?
「そんなこと、誰が決めました?」
「え?」
「オレが飲みたくって入れたお茶です。量の加減を間違えて、生田さんに手伝ってもらった。それだけでしょう?」
微妙に会話がかみ合っていない時のような居心地の悪さの原因を探して、彼女の顔を見つめる。
「でも、両親に……」
語尾をごまかすように、彼女がうつむいてしまった。
頬杖をついた姿勢で、顔を上げない彼女を眺める。
『周りが言わないと、何一つできない子で』って、母親が言ってたけどよ。お茶を淹れなかったくらいで、そんな情けない顔をすんなよ。
やっと顔をあげた彼女の表情に、ひとつ、問いかけを。
「生田さん、これまで”いい子”でこられたでしょう?」
親の言うとおりにできないことが怖いか?
「いいえ。両親には、素直さの足りない、言うことを聞かない子だと」
「そう?」
「はい」
これ以上素直って、どんなんだよ。三十歳にもなって、もっと”いい子”を目指す気か?
オレは、さっきまでの会話で彼女が見せていた”素直な”表情と、目の前の”素直に”自己否定しているような顔とを思い比べていた。
オレの物思いをさえぎるように、オフクロたちが戻ってきた。
「知美。あなた、お茶を入れたの?」
席に着くが早いか、彼女の母親が声を上げた。と思うまもなく、彼女の茶碗からお茶を飲む。
おいおい。それ、ありかよ。
「すみません。しつけの行き届かない娘で。こんなお茶を人様にお出しするなんて」
そう言って、頭を下げる母親。悪かったな、こんなお茶でよ。
彼女のほうに目をやると、いたたまれない顔をしている。こんな場面でも、表情は”素直”だな。
安心させるように、微笑んでから仕返しを。
「オレの入れたお茶をほめていただいて光栄です。オフクロも飲む?」
オフクロを話に巻き込んで、お茶のセットに向かいながら彼女の様子をうかがう。
「知美!あんたって子は。女の子なのにお茶ひとつ入れないなんて」
叩くなよ。膝とはいえ、”女の子”だろうが。
唇をかみ締めるようにして、うつむく彼女が叱られた子供の表情になる。母親が戻ってから、ひとこともしゃべってないな。そういえば。
二人で話していたときの、生き生きした表情が隠れてしまったことを惜しむオレがいた。
そろそろ、と叔母が終了を告げる。
どこか、このまま縁が切れるのが惜しい気がする。続けるのか、この縁談。
そんなことを心の片隅で考えながら、部屋から出るために立ち上がったが。立てない奴が一人。
彼女がひざ立ちの状態から、手を畳について動けなくなっていた。
「何をしているの、みっともない」
叱責と呼ぶにふさわしい声が部屋の入り口から聞こえた。彼女の母親が部屋の入り口から振り返っている。
なんだ? この親子。
さっきのざらっとした違和感が戻ってくる。
「足が痺れた?」
座卓を回り込んで、彼女の横に跪く。オレは途中で足を崩したけど、彼女はずっと正座だったな。着物だから仕方のないこととはいえ。
そうか、そのために『お庭でも見ませんか』っつうお約束があるのか。
「すみません。お見苦しいところを。しばらくこうしていれば取れますから」
顔だけ上げて、フニャっとした表情を見せた彼女。けれども、部屋を借りているリミットがあるわけで。
「じゃあ、生田さん。支えがあれば、ロビーくらいまでは行けそう?」
間近で見た彼女の手に”触れたい”って、欲が……。いやいや、妥協案な。
オレを通り越した背後を見た彼女の眉が下がる。母親から何かオレには聞こえない指示が出たな。
オフクロが助け舟を出してくれて、それに返したオレの返事に彼女の顔が少し緩んで。
「大丈夫そうです。ちょっと取れてきました」
「そう、じゃ立ち上がるときだけつかまって」
差し出したオレの手につかまった彼女の手。節高いオレとは違う、すんなりと伸びた白くてひんやりとした手。ああ、大人のオンナの手だな。
ホテルを後にして、オフクロと喫茶店に寄った。
「で、お断りでいいのね?」
注文を済ませるなり、オフクロが決め付けてきた。
「いや、ちょっと待って」
「あら、続ける気になったの?」
あんなに嫌がってたクセに。
面白そうな目でオレを見ながら、お絞りで手を拭いている。こうやって見ると、いたずらをする時の姉貴とおんなじ顔だ。
「うん、袖振り合うも他生の縁、っつうだろ?」
このときのオレが抱いていたのは、恋愛感情ではなかったと思う。
”表現者の欲”とでもいうのか。あの、全身でこっちの話を聞いてくれる彼女に、もっとオレの言葉を聞いて欲しい。
「結婚云々まで互いの気持ちが育つまで時間が貰えるなら、な」
「遊びで付き合っちゃだめよ。判っているわね?」
「そんなことするかよ」
オレ、大概ふられる方だぜ。音楽と彼女を天秤にかけさせられて。
丁度届いたコーヒーを受け取りながら、過去のカノジョとのあれこれを思い出して軽く凹む。
「あ、それと。仕事を世話するとか、っつう話はパスな」
「はいはい。じゃぁ、敏子さんにはそう伝えておくわ」
オフクロはにこっと笑うと、オレのほうにケーキの皿を押しやった。
店員が勝手にオフクロの分だと思い込んだモンブランに、オレはフォークを刺した。