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魔女さんと王子

第一王子アンソニーの初恋と愚かな勘違いについて

作者: 神野咲音
掲載日:2026/02/06

 第一王子アンソニーの人生は、腹違いの弟と比べれば恵まれていた。


 両親は政略結婚だが、母の実家は高い爵位を持ち、母自身も王妃として迎え入れられた。


 アンソニーは不自由を知らず、いつか王になるのだと言われ続けて育った。


 未来を疑ったことなどなかった。王妃の宮で大切に慈しまれて、光り輝く何かが待っているのだと信じ切った。


 世界はそこまで美しいものではないと知ったのは、八歳の頃。


 一日違いで産まれた弟の存在を、聞かされた時だった。


 身分の低い側妃から産まれ、王妃にその存在を疎まれた第二王子。


 側妃とは恋愛結婚だったからか、王は第二王子を殊の外愛した。


 王妃はそれが許せなかった。自分の子が王位を継げなくなる可能性を、憎悪した。


 アンソニーを大切にしてくれる優しい母は、同い年の弟を亡き者にしようとする、悪魔の顔を持っていた。


 それ以来、「あなたは王になるのよ」という母の言葉が、アンソニーにとっての呪いになった。







「また母上がブラッドリーにちょっかいを出そうとしてる?」



 乳兄弟でもある護衛騎士からの報告を受けて、アンソニーは眉をひそめた。


 寄宿学校に入学してから、母はブラッドリーを排除しようと積極的に動くようになっていた。


 この学校は、貴族の後継者育成のために建てられたものだ。ブラッドリーがアンソニーと同じように教育を受けているのが、気に入らないのだろう。


 第二王子に与えられるはずだった宮を奪い、王城の片隅から出られないように手を回し、教育係には愚鈍な人物をあてがって、それでもまだ満足できないらしい。


 そうやって虐げているはずのブラッドリーが、優秀な王子だからかもしれないが。



「護衛に襲わせるそうだ。とうとう手段を選ばなくなってきたな」



 もうため息しか出ない。



「ブラッドリーに警告しなくちゃね」



 王族の中でブラッドリーだけがこんなにも不遇なのは、一も二にも王妃のせいだ。


 何かがあるたびにブラッドリーに警告して、彼はどうにか王妃の悪意から逃れている。でも、弟がいつ失敗するか分からない。


 父である王もブラッドリーにたくさんの護衛をつけているが、その中にも王妃の手先が紛れているのだ。


 そして王は、気が強くて影響力の大きい王妃には逆らえない。



「今日の放課後、ブラッドリーを呼び出して」


「分かった。……お前は、いつもそうなんだな」



 気心知れた乳兄弟が呟く言葉の意味が、アンソニーにはいつも分からない。






 美しくないと知った世界の中にも、心惹かれるものがある。


 進級して二年生となったアンソニーは、その日行われる新入生の入学式で挨拶をするため、講堂の裏で最終確認をしていた。


 文章は母が用意したもので、人前で話す時の振る舞いも母から教わっていた。「時期国王としての自覚を持って、堂々としていればいいのよ」と言われていたが、まだ十二歳のアンソニーにとっては、やっぱり緊張があったのだ。


 そこでアンソニーは、一人の女子生徒を知った。


 新入生のコサージュを胸につけた少女が、細い木に登っていた。まさか貴族の令嬢が何をしているのかと思ったし、隣にいた乳兄弟は警戒していたけれど。


 その少女が、枝に引っかかったハンカチーフを取るのを見て、困惑と警戒は二つの驚きに変わった。


 長いスカートを履いているとは思えない動きで飛び降りた少女は、同じようにコサージュをつけた別の女の子にハンカチーフを渡した。


 令嬢らしからぬ身軽さで人助けをしていた。なんでもないような顔をして、お礼の言葉だけを受け取って去っていった。


 背筋の伸びたその後ろ姿を、アンソニーはいつまでも見つめていた。






 入学式の日に出会った少女、ロレッタ・ブラックウッドは、国の端にある領地の次期当主だった。


 彼女はどこで見かけても、誰かを手助けしていた。それが当然のように。見返りも求めず。


 友達といるところは見たことがない。ロレッタはいつも一人だ。それでも彼女は、顔を上げて、まっすぐ前を見つめて歩いていた。


 女性の爵位継承者は珍しい。だから寄宿学校にいる女子生徒は少ない。


 数少ない女子生徒たちは、常に徒党を組んで動いている。けれどロレッタは、その中にいない。


 周囲に惑わされず、自分の意思を貫いている。


 その姿は、アンソニーにとって眩しかった。


 知らない生き方だ。アンソニーの人生は、いつも母の手の中にあった。


 アンソニーはいずれ王になる。母はそれを望んでいて、アンソニーも疑ってはいない。


 疑ってはいない、はずだった。


 父王が後継者を決めかねているうちに、アンソニーとブラッドリーは年を重ね、寄宿学校で同じ学びを得た。


 二人の王子に差はない。どちらが王位を継いでも、何も問題はない。父の考えは、言葉にせずとも伝わってきた。


 どちらでもいいのなら。


 母親の身分くらいしか、決め手がないのなら。アンソニーではなく、ブラッドリーが次の王になってもいいのでは。


 そうすればアンソニーは、爵位を継ぐロレッタと。


 そんな考えが浮かぶようになったのは、アンソニーが最終学年、ロレッタが五年生に上がる頃だった。






 今日もロレッタは、誰かに手を貸している。生徒たちが嫌がる雑用を、進んでやっている。


 そんな姿を遠くから見守りながら、アンソニーは考えた。



(もし、ロレッタと結婚したら)



 ブラックウッド領には行ったことがない。領土の九割が森に覆われた、たいへんな田舎だと聞く。


 そんな場所での生活は、少し退屈かもしれない。都から何か持ち込めないだろうか。森を開拓し、街を広げていくのもいいかもしれない。


 ブラックウッド伯爵家は女系だ。それも、直系の女性にしか継承権がないのだという。ならば子供は三人はほしい。女の子が産まれなければ、どうするのだろうか。



「……なあ、アンソニー」



 二人きりの時だけは対等に接する乳兄弟は、ここ最近よく見る難しい顔をしていた。



「お前たぶん、何か勘違いしてるよ」


「勘違い?」


「そうだ。だって、」



 乳兄弟が言葉を切ったのは、近くを下級生が通りかかったからだ。頬を緊張に上気させた男子生徒の名前はちゃんと覚えていたから、アンソニーは二言三言声をかけてやった。


 たどたどしくも挨拶をして、飛び跳ねるように去っていく下級生を見送る。


 そうしているうちに、ロレッタはもういなくなっていた。



「それで、僕の勘違いって?」


「……いや。それより、さっき報告があったよ。王妃殿下は、今日作戦を実行しろと」


「それは大変だ。すぐブラッドリーに知らせないと。母上にも困ったものだね」



 その振る舞いだよ、という乳兄弟の忠告は、アンソニーには届かない。






「なあ、アンソニー。ロレッタのこと、いつから好きなんだ?」



 一日違いの弟ブラッドリーは昔から、すべてを諦めたような真っ暗な目をしていた。


 誰も信じられない。信じてはいけない。そういう風に育った幼少期が、彼に自分の生を諦めさせた。


 それでも彼が今も生きているのは、アンソニーが気にかけているからだ。王妃の情報を流して、決して死ぬなよと暗に伝え続けたから、それに答えてくれている。


 そう思っていた。



「……っ」



 まさかブラッドリーに恋心を見透かされているとは思わず、アンソニーは息を呑んだ。


 今日は彼に、「護衛に気をつけろ」と伝えるだけのはずだった。


 それなのにどういうわけか、ブラッドリーは世間話のようなものを振ってくる。


 彼の目に燃え盛る炎が灯っていることに、アンソニーはようやく気づいた。



「知ってるだろ。父上は、俺とアンソニーのどっちが跡を継いでも構わないとお考えだ。望めば、ロレッタとの結婚が叶うのに」


「……それは」



 最近のアンソニーも、それをずっと考えていた。


 でも、どうにもロレッタに切り出す勇気がなくて。


 今まで、他の学生と同じように、当たり障りない声掛けをしたことはある。だが、親しく話をするような間柄ではない。


 なんとなく気が引けて、「次の機会にしよう」と考えてここまで来てしまった。



「だって、ロレッタもまだ婚約を決めていないし」



 言い訳じみた答えが、口から出た。


 でも、そうだ。ロレッタに婚約者はまだいない。それなら、もっと時間をかけて親しくなってからでも、問題はないと。



「……はあ?」


「声をかけるには、まだ時期尚早かなと、思って……」



 だいたい、王妃をどうやって説得するかも決まっていない。ロレッタのことは好きだが、母は彼女との結婚を許してくれないだろう。


 確かロレッタには妹がいたから、跡継ぎを変更すればいいかもしれない。


 王妃はきっと、アンソニーが王になるのなら、結婚相手の一人くらいは自由に選ばせてくれるはずだ。


 そこまで思考が飛んだところで。



「俺、ロレッタにプロポーズされた」


「……え!?」



 理解しがたい発言がブラッドリーから飛び出して、アンソニーは反応が遅れた。


 一体いつ、ブラッドリーはロレッタと知り合っていたのか。だって二人が言葉を交わす機会など、まったくなかったはずなのに。


 ブラッドリーは、アンソニーのことを睨むように見ていた。


 ゆるゆると死に向かっていたあの眼差しは、どこへ消えたのだろう。



「王位はアンソニーにやるよ。俺はブラックウッドに入る。父上も、俺の頼みなら許可してくれるだろう」


「ちょ、ちょっと待ってくれ!」


「待たない。……アンソニーは今まで、十分時間があっただろ」



 それはそうだ。だって、アンソニーと違って数人の護衛に囲まれたブラッドリーは、寄宿学校に入っても自由な時間などほとんどなかったから。


 そしてそこには、王妃の意向も影響している。


 でもアンソニーは、いくらでもロレッタと話をすることができた。アンソニーが、そう望めば。


 反論できなくて、アンソニはどうにか絞り出すように言った。



「僕は……、彼女が入学式で、同級生を手助けしているのを見て」



 そう、ロレッタが入学してから、彼女をずっと見ていた。その長さ、気持ちの強さなら負けない。


 だって、彼女と出会ったのは。



「だから……、そう、僕のほうがブラッドリーより先に」


「俺は、五歳の頃」



 アンソニーは何も言えなくなって、沈黙した。



「だから、俺は諦めないことにしたんだ。今までありがとうな、アンソニー」






「言っただろ、勘違いしてるって」



 ロレッタとブラッドリーの結婚式は、ロレッタの卒業後すぐに執り行われた。


 都でのパレードなどはなく、ブラックウッドの領地で、家族と領民だけがお祝いをする小さな式だ。


 王族の中で参列したのは、アンソニーだけだった。


 あの後、ブラッドリーから聞かされた。


 ブラッドリーは王妃によって呪いをかけられていて、ロレッタがそれを解いてくれたのだと。


 幼い頃に出会い、仲良くなった二人は、ずっと心の奥底で再会を待ち望んでいた。


 ロレッタはブラッドリーの呪いを解くために、善行を積むことで魔法の修行をしていたのだと。


 「本当は国の中でも数人しか知らない情報らしいけど、アンソニーは王になるんだからいいだろ」と、ブラッドリーは悪びれもせずに機密情報をバラした。


 アンソニーが好きになったロレッタの姿は、ただひたすらに、別の男のために努力を重ねる姿だったというわけだ。


 式からの帰り道、馬車に揺られながら、アンソニーは乳兄弟の静かな説教を聞いていた。



「ブラッドリー様を助けていたつもりだったのか? 確かに、助けにはなっただろうが、お前ならもっとほかにできることがあったはずだろ」


「……」


「王妃陛下の情報を渡すだけなんて。もっと強く、お前が止めていれば良かったんだろ。息子なんだから」


「……」


「国王陛下と同じだ。王妃陛下の怒りを買いたくないから、こそこそ逃げ隠れして、ブラッドリー様を矢面に立たせていた」


「……」


「本気でブラッドリー様を助けたいのなら、アンソニーが体を張るべきだったんだ。だって、今でもまだ、王になるつもりなんだろ」


「……」


「お前がちゃんと、王の後継ぎとして母親を諌めていれば違ったんだ。学校でやるみたいな、王様ごっこじゃなくて」



 言葉が鋭く突き刺さる。



「ロレッタ嬢のことだって。結局、ビビって話しかけられなかっただけだろ」


「……そんな」


「将来どうしたいのか、色々と妄想してたみたいだけどな。馬鹿じゃないのか。仲良くもない相手に」


「……」


「全部、お前が自分から動かないからこうなったんだ。王妃陛下のことだって」



 呪いを返されたことによって、王妃には様々な不幸が降りかかるようになり、精神を壊して宮に閉じこもってしまった。


 ブラッドリーは今、のびのびと生きている。以前の暗い面影はどこにもない。



「自覚しろよ、アンソニー」



 乳兄弟の目は厳しい。



「お前は情けない男だ。父親譲りでな。……でも俺達は、そんなお前を支えて、この国を導かなくちゃならない」



 頼むから、これからはもっとしゃんとしてくれ。


 唇を噛んで小さく頷きながら、アンソニーは思い出す。


 姿勢よく前を向いて歩く、ロレッタの後ろ姿が眩しかった。


 だってそれは、今も昔も、アンソニーにはないものだったから。

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― 新着の感想 ―
 前回のロレッタとブラッドリーのお話の裏面を拝見出来て良かったです。アンソニーの気弱なのは父親からの遺伝でしょうか、それとも強烈な母親の圧迫と呪縛のせいでしょうか。  この手の母親は、思い通りにならな…
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