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贄の王  作者: 糸音
最終章 贄たちの王

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握れない拳

 アインがハンカチでリリアの涙をぬぐい、片膝でリリアの目線に高さを合わせた。


「……話せる?」


 慈しむような視線に、リリアは泣くのを止め、声を出そうとした

 しかし、のどの痛みがひどくて声を発することができない。

 声の代わりに、血が絡んだ痰を吐き出した。


「君は……もしかして、贄の生き残りかい?」


 アインの質問に小さく頷いた。


「……行く宛は?」


 今度の質問にはしばらく間を置いた後、ふるふると首を振った。

 一瞬だけ家が浮かんだが、そこはもう帰る場所ではなかった。 


 着ている服は汚れているが、下流の者が身に着けるぼろきれとはまた違う。 

 身なりから、下流が足りず贄にされた元中流の女性だと推測したアインが、手袋を取って手を差し伸べた。


「実は、僕の国で行き場のない贄だった人たちを保護してるんだ。君さえよければだけど、着いてくる?」


 そんな国があるとは聞いたことがなかった。

 だが、ここで断っても他に行く宛などない。


 リリアが差し伸べられた手を取ると、アインが優しく笑ってからリリアを抱きかかえて車に乗せた。

 身に着けている王装束が汚れ、申し訳ない気持ちになったが、当の本人は気にする様子はなかった。


 車での移動中、声が出せないリリアにアインは話をつづけた。

 初めは自己紹介から始まった。アインはレリンガルドという国の王子で、父のアイゼンと共に、身分制度関係なく、皆が幸せに暮らせる世界を作りたいと考えているらしい。贄の保護も、その活動の一環だそうだ。


 あの場に現れたのも、門があった場所で路頭に迷っている贄がいないか探していたらしい。一王国の王族がやることとは思えなかったが、本人曰く、何かしている実感が欲しいとのこと。


 喋れないリリアに、アインは優しくいろんな話をつづけた。好きな食べ物や、最近読んだ本の話など、他愛のない話。暗い話題を振りたくなかったのだろう。リリアが少しでも元気を取り戻せばいいと思っていたに違いない。


 レリンガルドに辿り着くと、城壁の外にある保護区の一つを案内された。

 そこでは外の国で贄として扱われていた者たちが、明るい顔をしながら新しい生活を始めていた。

 アインの顔を見るなり、皆親し気に話しかけてきた。身分関係なしに、というのを自ら実行していた。


 同じような事情を抱えている者も多いためか、リリアもすんなりと保護区に受け入れられた。


 穏やかな生活を続けているうちに、喉も回復し、まともに話せるようになった。

 皆が働いている様子を見て、保護区の巡回をしているアインに仕事がないか尋ねると、


「今度、ここの子どもたちの為に学校を作ろうと思うんだ。リリアは元中流だよね? 文字とか教えるの得意?」


 教師を志していたこともあり、渡りに船だとは思った。

 農業などの力仕事は得意ではないし、内職などの細かい軽作業は、あれ以降手に力が上手く入らずにできそうにない。

 力が入らない、というよりは手を握ろうとすると、最後のじゃんけんがフラッシュバックして体が震えるといった具合だ。


 出来たばかりの学校に案内され、チョークを手に取る。

 手を握れないため、5本の指で摘まむように持って、板書をすると「字が綺麗だね」とほめてくれた。


「アインさん。社会や歴史についての授業も私が行うんですか?」


 懸念なのは、『門』や『門』を巡っての戦争について、子どもたちにどう教えるか。

 自分はそれらについて正しく教えることができるとは思わない。贄にされた経験から、どうしても私情が混ざってしまう。


 顔を伏せながら尋ねるリリアに、「その必要はないよ」とアインが笑った。


「ここに来るのは何も知らない小さな子どもだ。まずは花を植えたり、外で遊んだり、愛とか楽しさとか、そういう感情を育みたいんだよ。犠牲とか、戦争を知らない子どもたちを育てたいんだ」


 その理想は果たして実現可能なのか、という疑問が頭をよぎったが、やりたいことは大いに理解できる。


「私も、傷つけることを知らない子どもたちを育てたい、です……」


 あの瞬間——他人の命を奪った瞬間が悪夢として自分を未だに苦しめている。

 そんな思いはもうしたくないし、他の誰かにもさせたくない。


「……正直ね。君に教師をやってほしかったんだ。痛みを知ってる人にこそ、子どもたちの未来を導いてほしかった」


 アインの提案に承諾し、アインが子どもたちを連れてきてから、教師生活が始まった。

 子どもたちに授業をし、先生と何度も呼ばれるようになって、リリアは次第に明るさを取り戻していった。

 子どもたちにリリアも良く感謝されたが、子どもたちに好意的に受け止められていることが、リリアの自己肯定感を育んだ。


 アインは忙しい業務の間を縫っては、度々学校に顔を出した。

 子どもたちの様子を見に来る、といった名目だったが、次第にリリアを目的にも会いに来るようになっていた。リリアも暫くしてそれに気が付いた。


 自然と恋仲になり、身分違いの初めてのキスは背徳感があったが、それ以上に抱きしめられている感覚が安堵に浸ることができた。

 互いの体温を直に感じられることが、身分に関係なく幸せな世界を作るというアインの——そして自分の夢に近づいているのを確かに感じられる瞬間だった。


 生活は良くなった。

 リリアも明るさを取り戻した。


 だけど、住む場所が変わっただけで、世界が変わったわけじゃない。

 子どもたちに受け入れられて、アインに抱きしめてもらって、ようやく生きる意力を取り戻している。

 結局明るくなった今でも、リリアは拳を作れないままだ。


 少しずつ今の国が大きくなっていけば、いずれ他国と交わる瞬間と向き合わなければならない。

 その未来がよぎらないわけではなかったが、リリアはチョークをつまむようにして持ち、教壇に立ち続けた。


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