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贄の王  作者: 糸音
第一章 贄と魔人の門

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最後のじゃんけん

 

「じゃんけんって、お前……こんなときに……」


 提案された方法に、思わず笑いがこぼれてしまった。

 おっちゃんが笑ったのを見て、少年もおどけて笑った。


「こんなときだからっすよ。じゃんけんに勝てばちょっといい思いができるのが、俺たちのやり方でしょ?」

「そうか、……そうだよなあ」


 嬉しさと悔しさで滲んだ声で、おっちゃんは下を向いて笑みをこぼした。


「最後の、勝負、だな」

「うっす。……最後の」


 まだガスが回って上手く体が動かせないおっちゃんが、弱弱しく震える手を少年の前に差し出した。少年もそれにこたえるように、右手を構える。


「………………」


 おっちゃんは手を差し出しながら、真剣な顔になって考えた。


 最後の勝負だ。

 何を出す。


 その気になれば少年は自分の毒を奪って楽に死ねる。

 だけど、公平な方法を提案してくれた。自分より強い少年が、どちらにも可能性のある公平な勝負を。


 後悔の無いよう、何を出そう。

 何を、出せばいい。


 不思議と空気は張り詰めて感じなかった。

 勝敗よりも、後悔しない手を選ぼうと思った。

 少年の気持ちに答えたいと思った。

 生きても死んでも、何かが残るように。


 繰り出す手に悩み息をのむおっちゃんに、少年が不意に話しかけてきた。


「おっちゃんがやってたやつ。今日は俺がやるよ」


 無邪気に、したり顔で笑う少年の意図が読めず、おっちゃんは首を傾げた。

 そんなおっちゃんに、少年は告げた。


「心理戦っす。俺はグーを出します」


 最初は、何を言い出したのか分からなかった。


 だか、すぐに気付いた。


 視界が震えた。

 心臓が波打った。

 喉が詰まった。

 目頭が熱くなった。


「最初はグー‼ じゃんけん——」


 溢れきる前に少年はじゃんけんを始めた。

 震える手でグーを作った。

 少年は楽しそうに手を繰り出した。








 少年が何を出すかは、わかりきっていた。





「——ありがとう…………‼」


 自分の出した開いた手に、少年は拳の形を変えることはなかった。


「やっぱおっちゃん、じゃんけん強えわ」


 少年のあどけない笑みに、ボロボロと涙がこぼれてきた。

 今までの感謝。選ばせてくれた恩。

 その少年に大人の自分が何もしてやれない無力感。

 背負わせてしまう悔しさ。もっと一緒にいたかったという淡い夢。


 そんな全部を、涙でしか形にできない。


 涙と鼻水で台座を濡らすおっちゃんに、少年が置いてあった瓶を差し出した。


「飲める?」


 喉が詰まって、言葉にできないまま何度も頷いた。

 瓶を持つ手が震えた。

 自分で開けなきゃ、飲まなきゃいけないのに、震えで手が上手く動かなかった。


 そんなやりとりをしている間にも、贄はどんどん宙に浮かんで血に変わっていった。


「——俺が飲ますよ」


 少年は震える手から、優しく瓶を抜き取った。

 少年の手が、小さく震えていた。

 揺れているのは瞳もだった。




 自分はまだ贄だ。

 贄でいる限り、涙に意味はない。

 だから、泣くことを止めた。前向きでいようと——馬鹿でいようと決めたんだ。

 馬鹿になれたから生きてられたんだ。

 馬鹿になれなきゃ糞みたいな世界で頑張れねえ。

 俺はおっちゃんの代わりに儀式をつぶさなきゃならねえ。


 俺はおっちゃんの代わりに生きなきゃならねえ。


 俺はまだ贄だ。

 涙に意味はない。

 だから。







 泣くな。




 抑えていたいものが、ボロボロに溢れていた。

 馬鹿みたいな笑みは剥がれて、悲しさや悔しさで顔をぐちゃぐちゃに歪めた少年の顔が映っていた。

 初めて見た少年の泣き顔をみて、おっちゃんは驚きながらも、優しく笑った。


 おっちゃんを仰向けにし、震える手で瓶を傾けた。


「もし、お前が生き残ったならさ。俺たちの部屋、掃除しておいてくれねえか……」

「うす……」

「それと、知ってるか?」


 ガタガタに震える声で、おっちゃんは告げた。


「……お前、初手は大体グーを出すんだぜ?」

「……やっぱし?」


 精いっぱいおどけた声は、取り繕えないほどにボロボロだった。

 くしゃくしゃの笑みに見送られながら、おっちゃんの口元に瓶の中身が注がれた。


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