雨宿りの雨抜き
人の感情はある程度を過ぎたところで、全く顔に現れなくなる。
諦めて笑顔を浮かべることしかできなくなるからだ。
不思議な沈黙がユキとの間に流れていた。
歪んだ剣を見せられて、俺はどういう反応をしたらいいんだろう。
この先の展望が一切ないことを示されて、俺たちはどうするのが正解なのだろう。
「時間は稼いだので、救助を待つのが良いでしょう」
「連絡もつかないのに?」
「それ以外にありませんから」
そう言って、使い物にならない剣を放り投げた。
言葉があらゆる意味を含んでいる。これはただの便宜的な会話にしか過ぎない。
今のユキの表情から翻訳すると、「ここで最期の時を過ごしませんか」という意味だろう。
深い青の瞳が濁り切っている。だが涙はないようだ。
多分、もう枯れ切っているのだろう。
「朝になるまで待つのか」
俺は一応聞いてみた。なんとなくダメそうなことは分かっている。
ユキは何か言いかけたが、すぐに口をつぐみ、首を静かに横に振っていた。
そして、俺の前で膝を三角に曲げ、それを腕の中に抱いた。
「さっきの夢の話、続けてくださいよ」
あぐらをかいたままで、暇を潰すことにした。
執行を待っている拘置場の人々の気持ちが理解できた。
「ユキの代わりに例の彼女が現れたんだ」
本当だったら嫌で仕方ないはずだ。
なのに、嬉しかったんだ。
ようやく迎えに来てくれた、って感じで。
「結局は彼女を愛しているんですね」
「……もしかしたら、な」
「やっぱり胸が大きいからですか?」
「そんなのは理由の一割に過ぎない」
「一割はあるんですね」
彼女のもとでは不安はなかった。
むしろ安心だけがあった。
ここまで自分に執着してくれる人がいることが嬉しかった。
でも、単純に苦しいんだ。
暗闇に閉じ込められているのが。
「彼女のいない時間が、どこまでも伸び続けるんだ」
「彼女を憎みながらも、同時に愛してもいたと」
俺はゆっくりと意味を確かめながら頷いた。
「でも、そもそもどうして監禁なんかされたんですか」
「俺が他の子に目をつけていたから……と」
「まあその顔だったら嫌でも異性が寄ってきそうですよね」
ユキにもこの顔立ちは有効らしい。
「それで勘違いされちゃったと」
「まあそんなところだ」
「動機が不明瞭な彼女を、それでも好きなんですね」
「まあ」
「あなたを閉じ込めている間、他の子に合っていたのかもしれないのに」
ユキは俺から目を逸らしながら、そう言ってのけた。
確かに、俺はどうしてその線がよぎらなかったんだ?
ただの独占欲の暴走に過ぎないかもしれないのに。
というか、ただの独占欲の暴走だろう?
それを愛や執着だなんて、おこがましいにも程があるんじゃないか?
「なあ、俺からも一つ聞いていいか」
「なんですか」
俺は苛立ちのままにユキにふっかけた。
先に殴ってきたのはあっちなんだから、いいだろう?
「死に場所をくださいってなんだよ」
「聞いていたのですか」
ユキは目をまんまるにすることもなく、眉を曲げていた。
全く苛立ちを隠すことなく、敵意を向け始めた。
「今、こうしてあなたの前にいるのだから何でもいいじゃないですか」
「おいおい答えになってないぞ」
ユキはため息をついて、首をかたかた揺らし始めた。
「いちいち説明するのが癪です」
「時間ならたっぷりあるだろ、腹を割って話そうぜ」
正直、どうして苛立っているのかわからなかった。
もうどうしようもないから、そのどうしようもなさをぶつけたいのかもしれない。
きっとユキもそうで、あんな風に挑発したのは同じ理由からだろう。
ユキは舌打ちして、喋り始めた。
「制度があるちゃんとした組織なのに、ひとりで行動しているのはおかしいと思いませんでしたか?」
「それを思う暇があったと思うか」
「気づいてください」
ユキの目がどんどん細まっていく。
多分、俺の顔も負けじとストレスフルになっていることだろう。
「私にまともな仲間はいません。そもそもいて欲しくないんです」
「どうして」
あらかた予想をつけてから、あえて聞いてみた。
絶対に自分の口で言わせてやる。
くだらない気概だけが燃えていた。
「私は……」
「私は?」
「私はっ!」
次の瞬間、ユキが飛びかかってきた。
壁に両手を押し付けて、俺の首を絞めてくる。
本気で殺す気だ!
「あなたは良いですね、楽に、恐怖もなく死ねるのですから」
「や……めっ」
声すら出ない。本気で気管を絞められたのは初めてだ。
苦しい。脳に酸素がいかない。
考える力が失われる。目がちかちかしてくる。
「そうですよ、私はただの死にたがりですよ。自殺する勇気もないからのうのうと生きて、中途半端なことばかりしている」
俺はなんとかその手を払いのけようとしたが、少女とは思えないほどの腕力だった。
このまま、意識が失われてしまうだろう……
最後に見るのが血走ったこの瞳なのは、ちょっと味気ないかもしれない。
せっかく可愛いのだから、可愛い顔をしていてくれないか。
「飽きた」
そういってユキが手を解いた瞬間、息が戻ってきた。
俺は地面に突っ伏しながら、込み上げる吐き気を着実に収めた。
なんだよ、飽きたって。
カッコつけてるつもりか?
「今度はあなたがやってくれませんか、最後まで」
「はあ?」
「横を抑えると力が弱くても、効率的にいけますよ」
「そういうことを言ってるんじゃねえ!!」
俺はユキの両肩を突き飛ばした。
そのまま力なく、洞穴の壁に倒れ、もたれる。
急に等身大の少女になっている。
無表情な顔のまま、ただ力なく俯いている。
それをみていると、俺までやる気が失われてくる。
こんなやつにマジになる必要ないじゃないか。
「いいから話してくれよ、死にたい理由」
「聞かなくて良いです」
「いいから」
ユキはゆっくり息を吸って、目をしたに向けたまま喋り始めた。
それでも一切、涙は流れてこなかった。
俺はこんなにも、痛くて痛くて、涙ぐんでいるのに。
「私は……目の前で大切な存在をなくしたのです。自分の力が及ばないばかりに」
ユキは、火の粉が舞い、残り火が辺り一面に燃え広がる場所にいた。
その中心で、鉄の塊のようになっていたという。
それでも、抱き寄せられていた。絹のような心地に包まれていた。
「大丈夫」と囁かれ続けて。
しかし。
「忘れもしない、目の前で……」
自分の大切な人が、火だるまになった。
ぱちぱちと皮膚が焼けこげ、脂が弾けた。
目の前でそれは大切な存在から、肉塊に変わっていった。
絶えることのない苦痛の叫び。何度も何度も響く痛み。
そして、それに混じっていた、悪魔のような笑い声。
「熱い」
ユキは突然そう呟き始めた。
肩を痙攣させながら。
「どこ……ここ、助けて……」
聞くべきじゃなかった。
いつも俺は軽はずみに失敗をしてしまう。
どんなことも冗談めいて見える節がある。
ユキの傷は、俺のとは比べものにならないほど深い。
心に外傷があるのだ。まさに。
「私を置いていかないで!」
ユキは何もない空中に向かって叫び始めた。
大体は言葉にならないもので、時々そのような意味の声が聞こえる。
そして彼女は洞穴を抜け出し、一目散に森へと駆けだそうとする。
まずい!
俺は咄嗟にユキの腕を掴んだ。
「離せっ、このけだもの!」
もはやユキの目には俺が俺だと認識されていないようだった。
目の焦点が合っていたか怪しかった。瞳の色は沈み切って深海のように暗かった。
振り払おうとする腕に、必死にしがみついていた。
「離せ……離して、ください」
次第にその力が収まり、ユキが正気を取り戻していくのを感じた。
しかし、依然として表情は暗いままで、妙な冷静さがあった。
離したら、結局どこかへ行ってしまうように感じた。
「『絶対に離れないでください』じゃないのかよ」
ユキは自分で言っていたことに沈黙した。
また、俺を睨み始めた。
「ようやく曖昧さを断ち切れるのです。邪魔しないでください」
「そんなに死にたいのか」
「死にたいわけじゃないんです。ただ生きていてもしょうがない」
「そいつの分まで生きなきゃだめだ!」
「むしろ彼女の為に私は……」
ユキはそこまで言って、大きなため息を一つ吐いた。
これ以上俺と話していても無駄だと、きっぱり吐き捨てた。
「あなたには素敵な人がいるじゃないですか。素敵な牢獄も」
「なっ」
「私の居場所は死後にある。だから早く行かなきゃならない。それだけの話だと思いませんか?」
俺は意表をつかれて、つい力を緩めてしまった。
そこへ、ユキがもう片方の手で俺の関節に衝撃を喰らわせる。
反射的に腕が離れる。一瞬の間に白い髪が揺らめいていく。
静寂が俺とユキの間に割り入ってくる。
森の方へ駆け出していくユキを見て、何も思いつかないまま、俺も歩き始めた。




