とあるイケメンの末路
この文章が誰に向けて書かれているかはどうでもいい。この先の内容も、どうでもいい。
これを読んでいる人がいたら、今すぐ俺のもとに来てくれ。
俺の名前は立花陸隼。ありふれたイケメンだ。
身長176センチ、程よく筋肉のついた体、何より自分でもびっくりするぐらい整った顔立ち!
鏡に映るもの全てが、俺だけじゃなく、出会う全ての人間をポジティブにしていった。
男女の別なく、俺は好かれていた。どこにいっても誘いが来る。どこにいっても笑顔がある。
カノジョがいなかったことがなかった。
物心ついた幼稚園の時から、ほっぺにキスをされていた。
ありがとう、ひなこちゃん。もう顔も覚えていないけど。
小学校でも中学校でも、俺の指の間には誰かの指が挟まっていた。
なるみちゃん、当時は俺も未熟だったんだ。失望させてごめん。
高校では初めて二人同時にカノジョができた。
本当にそれで良かったのかな、にこちゃんとるかちゃん。
みんな付き合った瞬間から、別れることが分かりきっていた。
それでもすぐに次が来るものだから、気にすることはなかった。
大学に入っても、それは変わらないだろうと思った。
知り合って一週間で付き合って、二週間でキスをして、三週間で別れる。そして次が来る。
そのサイクルは変わらないと思っていたんだ。
しばらく鏡を見ていないからわからないが、相当ひどい顔をしている気がする。
手錠に繋がれた手首も、力の入らない足も、ひどくやつれている。
どうしてこんなことになっているんだ?
大学に入って三人目のカノジョは、一味違った。
彼女はなかなか俺を離そうとしなかった。三週間目に入っても、彼女の瞳は鈍く輝いたままだった。
俺はそのことに気づかずに、次のカノジョは誰なのかと探ってしまっていた。
二股するつもりじゃなかったけど、次の相手は誰になるか、予想をつけたかっただけなんだ。
つまり、俺は調子に乗っていた。そのつけを払わされたんだ。
今あるのは、自分の感覚だけ。手錠に擦れて痛む手首と、冷たい床に横たわる感覚だけ。
そこに、微かな音と共に、一筋の光が伸びてくる。数時間ぶりなのか、数週間ぶりなのかもわからない。
再び部屋の中に戻ってきた。暗闇の世界から、単なる監禁部屋へと。
光を背に、彼女が近づいてくる。出会った時と同じ、ウルフカットの黒髪を引っ提げながら。
「おはよう、陸隼くん」
いきなり明るくなったせいで、視界がぼやけて、彼女の顔がよく見えない。
しかし他所行きの格好をしていることぐらいは分かる。
「今日は私、用事あるから、大人しく待ってるんだよ」
大人しくもなにも、こうして腕を縛られている上に、満足に体を動かせないのだから、どうしようもないだろう。
それでも彼女は俺の耳元で囁き、再びだだっ広い暗闇に俺を置き去りにしようとする。
床が冷たい。空気も冷たい。
ここに連れ込まれた時、確か11月ぐらいだった気がする。今はいつなのか全く分からない。
「陸隼くんのこと、大好きだよ」
そんな言葉で俺を釘付けにしようとしてくる。
正直、顔立ちは誰よりも整っている上に、胸も大きい。
今のように密着されているとひとたまりもない。
でも、流石に空腹が無視できないレベルになってきた気がする。
きりきりと痛むのは、胃酸が中和できなくなっているからだろうか。
それはまた別の病気な気がするが。
「それじゃあ行ってくるね」
このまま彼女に行かれたら、次までに意識を保てていられるか分からない。
音も光もないこの空間にずっといたら気がおかしくなってしまう。
身体的な体力もすり減ってきている。いよいよまずいだろう。
俺はなんとか口を開き、言葉を出そうとした。
「なに?」
声が出なかった。
なのに、彼女は俺の方を気にしている。
俺も何か違和感を感じている。
今、俺が座っているこの床が不気味な振動を始めている。
地震だろうか?
「な、なにこれ」
彼女はいきなりその場から退いた。
その視線の先、俺の足もとを見ると、何かぬかるみができている。
何かがこぼれたのだろうか? それにしては色味がない。
いくら暗くても、床の色を反映するはずだ。
そのぬかるみは黒かった。
いつの間にか、黒い湖のようなものが俺の周りにできていた。
それだけじゃない。俺の身体が沈んでいく感覚がする。
「陸隼くんっ!」
彼女が俺を掴み、引き上げようとする。
しかし同時に、このぬかるみから引っ張られているような感覚がある。
一人二人だけじゃない。無数の手が俺を掴んで引き摺り込もうとしている。
とうとう俺はどうかしてしまったのかもしれない。余計な手間を彼女にかけさせている。
それは不本意だ。
「待ってくれ!」
俺も彼女の腕をつかみ、なんとか抵抗を試みる。
しかし、一人から二人に増えたところで、この腕の力は弱まるはずもなく。
俺はみすみす、その腕を離すことになる。
最後の頼みの綱である手錠が、俺の手首を掴んで離さない。
しかし、その抵抗も虚しく、あまりの力に手首が輪っかの中をするりと抜けてしまった。
そして、俺の体は水中へと引き込まれていった。
息を必死で吸い込み、いっぱいに頬を膨らませておいたのだが。
全く続きそうになく、大きく空気を吐いてしまった。
このまま溺死するかと思ったが、息ができないのに、不思議と苦しくない。
直接肺に酸素が送り込まれるとは、こういう感覚なのだろうか。
そんなことを気にしている暇もなく、だんだん光が見えてきた。
沈み続けていたはずなのに、いつの間にか水上へ浮かび上がる形になっている。
光の強さが増していき、ついに水の外へ。
水面から顔を上げられたと思ったら、まだ引きずられる感覚がある。
いや、落ちていく感覚がある。重力に引っ張られている感覚。
目の前に白い雲海が広がっている。曇り空のようだ。
それにしては、距離が近すぎるような……
そう思った時、耳をつんざくような風が吹き始める。
そして理解した。
俺は、空中に投げ出されている!
「うわあああああああああああああああ!!」
結構大きな声が出ていることに感心する。
何が起きているのか、全く分からない。確かなのは、自分が落下しつつあること。
生き残るのは絶望的だろうが、それでもやれることはやってみよう。
必死にもがいてみる。
平泳ぎの構えを取ってみる。
モモンガのように四肢を大きく広げてみる。
逆にコンパクトに丸まってみる。
どれも全然ダメだった。空中でのコントロールを全く取れない。
「いっそのこと寝てみるか」
俺は頭の後ろで手を組み、草原に寝そべっているかのような姿勢を取ってみた。
何も状況は変わらないが、ちょっとだけ落ち着くような気がしないでもない。
周りを見渡してみよう。
水があれば高所から落ちても平気、というのはゲームでの鉄板だろう。
実際は水でも鉄板みたいな硬さをしているのだが。
それでも一縷の望みがあれば、賭けてみるチャンスはある。
さっきから目に入っていたのは、大地を覆い尽くす大樹だった。
無数の木が生い茂り、自然を作っているのではない。
桁違いに大きな樹が、この世界全体に根付いている。
世界最大の樹でも100メートルもいかないだろう。
枝先が大気圏まで届いていそうなこの樹は全長何万メートルなのだろうか。
樹齢はいくつで、直径は何キロあるのだろうか。
あまりに想像の余地が多すぎて、一瞬目を逸らしてしまっていた。
その樹の周りには多くの山脈が広がる。
しかし山脈を辿ると、この樹に繋がっていることが確認できる。
地面に浮き出た根っこが山になってしまうぐらい巨大な樹。
この山も、普通のと同じように緑で覆われている。
樹の根っこなのだから、苔のようなものだろうかと目を凝らすが、通常の森林と変わらないようだ。
当たり前だが、俺は幻覚でも見ているのかと思う。
これが現実であってはならないだろう。
俺がいたのは日本のマンションの一室だったはずだ。
日本であることを疑うどころか、同じ地球なのかすら怪しくなってきた。
何も分からないまま、俺は墜落し切った。
目に見えるあまりの不可思議に、空中でもがくことを忘れていた。
どちらにしろ、動けない状況ではあった。
それに、動かない方が良かった。
俺が落ちた場所には、底の見えない大きな湖があった。
せめて、着水の姿勢を取った方がいいだろう。
俺は腕を耳の後ろで伸ばし、足も伸ばし切った。
そして、頭から水に入っていった。
再び、暗闇。
今度は窒息してしまう、本物の水のようだ。
俺は必死に上を目指して水を掻く。足をばたつかせる。
かなり深くまで沈んでいる。とにかく息が苦しい。
体力の許す限り上を目指すも、ゴールが遠すぎる。
また、水中に引っ張られているのかもしれない。
余計な考えが頭によぎり、また冷静さがなくなる。
早く上へ! とにかく!
俺は半分気を失った状態で、水面へ顔を出した。
あたりはいつの間にかすっかり暗くなっており、信じられないぐらい綺麗な星空が映っている。
しかしそんなものを気にする暇もなく、自分が体力切れで気絶しかけていることを悟る。
とにかく一回休みたい。
岸に上半身を預けられたのを確認して、俺はすぐに眠り始めた。
何が何だかよく分からないが。
ひとまず、彼女の監禁から逃れられたことを祝いながら、意識を失った。