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泥水

作者: 林代音臣

****


 あれは、いつの夏だったかな。

 このファミレスでいつも私たちが座るソファ席は、涼しいクーラーの風が直撃して寒いくらいだったっけ。

 ちょっと待っててと言って、いたずらな顔をして立ち上がった君は……ドリンクバーの方へ向かって。

 何をするつもりかくらい見なくたってわかるから、私はわざと窓の外を眺めていた。

 厚めのガラスの向こうでは、痛いくらいの日差しが道路に降り注いでいる。

 遠くから走ってきた車のフロントガラスにギラリと光が反射して、眩しさに私が目を閉じたのと同時に……やっと戻ってきた君は私の名前を呼んだ。

 手に持っていたプラスチック製のコップをテーブルに置いてから、君は私の正面に座り直す。

 ……ああ、やっぱり。

 コップの中にはなみなみと、濁った茶色い……泥水みたいな液体が入っている。

 何故か得意げに説明を始める君の声を聞き流す……聞かなくたってわかるよ、ドリンクバー全種類混ぜたんでしょ。

 全く、小学生みたいなことして……ああ、そう思ったってことは、これは中学生以降の出来事か。

 君とはずっと一緒にいたから、どれがいつの出来事かわからなくなるよ。

 それにしてもさ、お茶とコーヒーまで混ぜなくていいじゃない……ジュースだけで止めておけば、まだ少しはマシな色で済んだだろうに。

 美術の授業で習ったでしょ。どんなに綺麗な色でも、混ざれば混ざるほど……最後には汚く濁っていくんだよ?

 目の前の君は恐る恐る、泥水のようなそれを口に含んで……案の定、マズいと笑った。

 どうしても私に一口飲んで欲しいと、君はコップを押しつけて来る。

 ……どんな味がしたんだったっけ。

 思い出せないってことは、思い出せないなりの味がしたんだろう。

 飲めないほどマズくは無くて、かといって全然美味しくない……ああ確か、そんな味だ。

 でも君が目をキラキラさせて……どうだ、マズいだろうって顔をするから。

 私、大げさにマズいーって言って……二人で大笑いしたんだったっけ。


****


 ぼんやりとそんな懐かしいことを思い出していたら、最近導入されたであろう配膳ロボットが料理を運んできた。

 半年ぶりに会った目の前の君は、このファミレスで注文できるメニューで一番高価なサーロインステーキを頼んだ。

 ……そのメニュー、実物初めて見た。頼む人いるんだ。

 慣れた手つきでナイフとフォークを使い、柔らかい肉を切りながら、君はお喋りが止まらない。

 職場の困ったお局様の話、派手な友達の夜遊びの話、最近出来た……君にベタ惚れらしい彼氏とののろけ話。

 私はただうんうんと頷いて、時々愛想笑いを浮かべながら、この店で一番安いカレーをまた一口。

 ……そうだった、このソファ席はクーラーの風が直撃して寒いんだった。

 カバンに薄手の長袖の上着を入れて来るんだった。氷をたっぷり入れたコーラなんて、ドリンクバーで選ぶんじゃなかった。

 ちらりと見た窓の外は、まだしとしとと雨が降っていて……実際には外は蒸したように暑いのだろうが、その薄暗い景色がまたこの寒さを助長する。

 ……私がよそ見をしようが、肌寒そうに肩を抱えようが……お構いなしに、君のお喋りは止まらない。

 きっとこの後も……最近どう、なんて……私に聞いてくることは無い。

 私はまた、首が痛くなるほど頷いて、君が欲しい言葉を返す。


 誰でも良かったんでしょ?

 君の近況を知らなくて、話し甲斐のある……都合良く頷いてくれる相手なら、誰でも。

 だから、LINEの返事もずーっとまばらだったくせに……急に私を誘って来たんでしょ。


 カレーを食べ終わって、氷が溶けて薄まったコーラをちびちび飲む。

 ずっと相槌を打って頷くだけの私に飽きたのか、君は表向きには笑顔で……でも、つまらなさそうに席を立った。

 ドリンクバーへ向かって、すぐに戻ってくる。

 コップの半分くらいだけ注がれた炭酸水。本当に、単なる口直しのために取ってきたのだろう。

 君がそれを飲み終わる前に、私は歯が滲みるほど冷たいコーラを一気に飲み干す。

 傾けたコップの中で、氷が揺れて音を立てた。

 喉も、お腹も、風が当たる体も、凍えそうなほど寒い。

 でも当然……おかわりとして、温かい飲み物を取りに行ったりはしなかった。


****


 ファミレスの駐車場で別れの挨拶をすると、君は近くに駐めてあった、派手な新車に乗り込んだ。

 軽やかなモーター音と共に、君は走り去る。私の方を振り向くことも無い。

 多分もう二度と……偶然はあれど、意図的に会うことは無いだろう。

 小学校からずっと一緒で、十七年……ああ、なんて呆気ない最後だ。


 まだ雨が止まない帰り道を、傘を差して歩く。


 小学一年生のとき、出席番号順で席が隣になって仲良くなったんだっけ。

 毎日一緒に帰って、習い事まで同じにしたよね。

 あんなに一緒にいたくせに、交換日記までやって……びっちりページを埋めて渡してたっけ。

 部活も一緒だった。怖い先輩の愚痴を言い合って、不平不満ばっかり垂れてたね。

 君に初めて好きな人が出来たときは、そりゃもうたくさん応援したなぁ……浮気性の君はすぐに他の人に目移りしてたけど。

 そういえば高校のとき。勉強につまずいて先生と親にこっぴどく叱られて……泣いた私を、君が私以上に泣きながら励ましてくれたっけ。

 私の誕生日にはクラス中を巻き込んでサプライズをしてきたよね。あれ嬉しかったけど、実はそれ以上にすごく恥ずかしかった……あのときプレゼントでくれた手袋、実はまだ使ってたんだよ?

 大学生になってお互い一人暮らしを始めて、何度もお泊まりして。

 楽しかったけど、その頃から君には派手な友達が増えて。

 服が派手になって、お金の使い方が派手になって。

 話が、生活が……すれ違うようになって……


 気がついたら、道路脇の水たまりに片足を突っ込んでいた。

 濁りきった茶色い泥水から足を引き抜く。

 ……揺れた水面が平らに戻ったとき、映った私の顔は……ひどく晴れやかだった。

 悲しいと思いたかった。寂しいと、思いたかった。

 変わったのは、君だけじゃ無かった。


 いつの間にか雨は止んでいて、私は傘を閉じた。

 水たまりには、雲間から覗いた青い空が映って。

 街路樹の夏らしい、濃い緑の葉っぱが映って。

 そして、立ち止まったままの私の顔が映って。

 傘の先っぽ……金属製の石突きで、私は水面をぐしゃりと混ぜた。

 映っていた数多の色が溶けて、濁りきった泥水が揺れる……この水たまりもあと数時間もすれば、夏の日差しですっかり乾くだろう。

 そしてもう二度と、戻って来ることは無いのだ。

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