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首無しと狙撃銃  作者: 喜佐見しょうが
1/6

首無しと屍兵の王

 冷たい風が、灰色の岩肌を撫でるように吹き抜けていく、

 標高の高いこの断崖は、魔族が治める北の大地の入り口、人と魔の境界を一望できる数少ない観測地点のひとつである。


 岩陰に身を潜めるようにして、男が一人、巨大な狙撃銃を背負ってしゃがみ込んでいた。

 中肉中背、どこにでもいそうな冴えない顔立ち。だがその背に据えられた神具《魔喰らい》が、異様な存在感を放っていた。


 その隣に立つのは、場違いなほど華奢な少女。

 長い黒髪に学生服。本来戦場に存在するはずがないその姿もまた異質であった。


「寒くないか?勇者様」


 男が、岩陰からそっと声をかける。

 その声音には、戦場に似つかわしくない、どこか父親のような優しさが滲んでいた。


「……大丈夫です」


 声をかけられた少女は、遠くをじっと見つめたまま静かに答える。

 その瞳は、年齢に似合わぬほど冷静で、そして少しだけ震えていた。


「ならよかった。あんたがいないと、俺の仕事もままならないからな」

「私も、神様の言う通りにしないと元の世界に帰れないので」


 そう答えると、少女の眼は静かに輝き、その視界にははるか遠方にたたずむ古城が、鮮明に映し出されていた。

 城壁には、数多の屍が周囲を警戒している様子が見える。


 男は重い腰を上げ、少女の隣に立つと、玩具のような大きさの城を見て呟いた。


「あれが七大魔王(セブンス)の一人、不死王(ふしおう)の居城か。見事なまでにアンデッドだらけだ」

「はい。城の周囲に数百の兵士、そして城内に二つの強大な魔力が見えます」

「…すごいな、壁の向こうまで見えるのか」

「神様にもらった力なので」


 男は再び腰を下ろし、目を凝らす少女の隣で狙撃の準備を始める。

 据えられた狙撃銃には、排莢口や給弾口が存在せず、ボルトアクションなどの再装填機構も見当たらない。この神具が必要とするのは、使用者の魔力のみであった。

 ふと手を止めて、少女に話しかける。


「勇者様のことを教えてくれないか。元居た世界のことでもいい」

「突然ですね」

「これを撃てば100年続いた平和が終わる。そうなれば気軽に世間話をする雰囲気でもなくなるだろ?その前に聞いておこうと思ってな」


 少女はじっと目標を見つめながら、ぽつりと話し始める。


「…学校に向かっている途中でした。突然目の前が真っ白になって、気が付けば大勢の人に囲まれていて。元の世界に帰るには魔王を倒すしかない。それだけ伝えられて、何もわからないままこの戦いに参加することになりました」


 男はその手に狙撃銃を握りしめたまま、静かに話を聞いている。


「その日は友達の誕生日で、みんなでお祝いしようねって決めてたんです。他にも新しい本を買ったり、やりたいことがいっぱいあったんです。……お母さんと喧嘩もしちゃいました。意地張って何も言わずに家を飛び出しちゃって。行ってきますって言えばよかったな」


 少女の眼は、この世界ではない、どこか遠くを見ようとして。

 思わず言葉が漏れてしまう。


「――帰りたい」






 漆黒の回廊を抜け、私は玉座の間へと足を進める。

 重厚な扉を押し開けると、青白い炎が揺れる広間が現れた。


 壁には死者の紋章が刻まれ、天井には無数の燭台が揺れている。

 その中心に鎮座するのは、骸骨を模した巨大な玉座。


 そこに座すのは我が主、不死王ドミヌスである。

 白髪は丁寧に整えられ、皺の刻まれた顔には、歴戦の知恵と冷静な威厳が宿っている。

 死人の王、アンデッドキングに相応しい佇まいであった。

 デュラハンである私は、首のない体で跪き、報告を始める。


「我が主よ、城外に人間の魔力反応を感知しました。南部の平原におよそ五百。布陣は整っており、侵攻の意志は明白であるかと。」


 その言葉に、不死王(ドミヌス)はゆっくりと立ち上がった。

 その動きは見た目には似つかわしくないほど滑らかで、堂々としていた。

 そして、彼は口を開く。


「来たか、人間共!停戦協定が結ばれてからというもの、この百年は本当に退屈だった!一体、どれほどの歳月を無為に過ごせば、貴様らは再び剣を振るうのかと――狂いそうだったわ!」


 その声には、老王のものとは思えぬほど熱を帯びていた。

 瞳は鋭く輝き、口元には愉悦の笑みが浮かぶ。

 まるで、戦場に立つ若き将軍のように、不死王は心からこの瞬間を楽しんでいた。


 彼は杖を掲げ、玉座の間に、そして城を包み込むように魔力を放つ。

 黒い霧が充満し、至る所に無数の屍兵が姿を現す。

 王が生きている限り、彼らは朽ちることなく、永遠に戦い続ける。


 私は無い頭を垂れたまま、次の報告を続ける。


「加えて、人間の中に異質な魔力反応があります。平原に三つ、北西の崖に二つ。およそ人間とは思えない異様な魔力の塊です。」


 わずかに眉を動かし、不死王は掲げた杖をおろす。

 そのままこちらを向き、静かに口を開く。


「人間の新たな力というわけか…面白い!我が不死の軍勢に通用するか楽しみじゃないか」


 その瞳に、さらに深い興味が宿る。


「ヴァルグレイムよ。正面の軍勢には屍兵を向ける。貴様は北西の崖へ向かえ。魔力の正体を見極めよ!」

「御心のままに」


 そう言い、私は自身の影の中へと身を沈める。

 広間には、不敵に笑う不死王の声だけが響いていた。






 影を抜け、私は深い森の中へと移動した。

 近くから何やら話し声が聞こえてくる、おそらく先ほど感知した人間だろう。


 気づかれないよう木々の背後に隠れ、様子をうかがう。

 そこにいたのは、長い棒状の物体を構えた男と、年端もいかぬ少女。

 魔力反応は依然三つ。男が持つあの物体が反応しているのか。


 私は再び自身の影に潜むと、男の影から姿を現し、背に構えた剣を振りかざす。

 男は驚きの表情を浮かべ、何もできぬまま背後から私の刃を受けた。

 死の直前、男の懐から鈍い光が漏れ、少女を見つめたまま息絶えた。

 魔道具か何かであろうか、様子を見たが特に反応はなかった。


 屍となった男を背に、次なる標的へと剣を振りかぶる。

 その瞬間、彼女の声が私の動きを止めた。


「こ……殺さないで!」


 戦争を知らない人間が怖気づいたか。

 私は再び剣を構え、ゆっくりと少女に近づく。


「私は……ただ元の世界に帰りたいだけなの。あなたたちを倒せば、その方法を教えるって……神様が言ってたの!」


 少女の声は震えていた。

 だが、必死だった。

 恐怖に押しつぶされそうになりながら、それでも言葉を紡ぎ続けていた。


 “元の世界”に”神”、聞き覚えのない単語が私の思考に一瞬の空白を生み出す。


「元の世界だと? お前は――」


 その刹那、戦場の空気が変わった。

 まるで、世界の底が抜けたかのような感覚。

 私の全身を包む魔力の流れが、一瞬で冷たくなる。


「……っ、これは……」


 私は反射的に、周囲の魔力を探る。

 だが、そこにあるはずのものが――ない。


「屍兵の魔力が、消えた……?」


 戦場に展開していたはずの、無数の死者たちの気配が、一斉に霧散していた。

 まるで、糸が切れた人形のように。


 遠く、古城の方角から人間たちの歓声が響いた。

 その音を聞いたデュラハンは確信する。——王は敗れたのだ。


 主を失ったその騎士は静かに立ち尽くす。

 その背を、少女が震えながら見つめていた。


 少女は、恐る恐る一歩を踏み出す。

 私はそれを止めなかった。

 やがて彼女は、静かにその場を去っていった。


 残されたのは、屍と、その傍らに転がった武具、主を失った騎士。

 意味を失った時間が、ただ空間を満たしていた。






 立ち尽くすデュラハンの頭上を一羽のカラスが旋回していた。

 漆黒の羽を広げ、まるでこの世界のすべてを見下ろすように。


 近くの木に舞い降りたそのカラスは、首のない騎士を見下ろし、くちばしをわずかに開いた。


「……面白いことになってきたね」


 その声は、風のように静かで、どこか愉快げだった。

 カラスはその場にとどまり、なおも騎士を見下ろし続ける。


 まるで、次なる幕が上がるのを待っているかのように。

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