Ajuさま2度目の青春
『丑三つ時の青春』 Aju
真夜中に目が覚めちまって、頭に浮かんできた言葉たち‥‥。
こんなもの、書くべきかどうか迷ったんだけど。
ゲロでも吐くように、書きつけてみる。
『青春』なんて書きたくもない。そレらしきもの、なかったから。
他人が懐かしそうに振り返っている青春なんて、どこにも無かった気がするから。
10代までは地獄だった。
よく先生が訊いていたよな。
「大人になったら、何になりたい?」
大人になれる気がしなかった。
「この子は将来ダメになる」「今は勉強できても、オカシイから」
言われ続けて、自分もそうだと思っていた。
クラス全員の前で担任に罵倒された。
20代は、自分の作り直しをはじめた。
他人の心がわからないと言われたAjuは、自分の心もわからず(というよりあらゆる芽を摘まれてしまったと思った)言葉によって、その断片をレゴブロックのように積み重ねることで、それを創ろうとした。
小さなAjuちゃんを、大人の皮を膨らませただけのフーセンの中で育てようとした。
30代は積み重ねたレゴブロックはレゴブロックでしかないと、思い知らされた。
秋葉原で17人を殺傷して回った男は、あれは自分だったかもしれない。紙一重の自分だったような気がした。
フーセンの中の、人とも覚えぬ痙攣する小さな生き物‥‥。
それでも、ひょっとしたら『青春』と呼べるような状況は、この頃あったかもしれない。
縄文杉を見たのもこの頃だった。
「これが縄文杉です」
ガイドの人に言われても、どれだかすぐにはわからなかった。
それは最初、岩に見えた。
風で樹幹(先端に成長点がある)が折れたそれは、他の屋久杉よりは背が低く杉本来の樹形ではなかったが、懸命に生き、葉を茂らせて、神々しいまでの姿を見せていた。
生きればいいんだ。
どんな姿でも。
枝を伸ばせるところから伸ばして、葉を茂らせることのできる場所に茂らせて。
Ajuもまた、ただの生き物だ。
「足掻け!」という言葉がこのとき浮かんだ。
40代になって初めて、諦めていた能力が芽を吹いた。
もう絶対にここから枝は出ない——と思っていた場所から。
人生は諦めてはいけない。 と、このとき思えた。
そして、血の通いだしたレゴブロックの心は、鬱を発症した。
50代にそこから抜け出せたとき、くらい海の底から光り輝く水面を目指して、マイナスからゼロを目指して足掻き続けてきたAjuは、ようやくスタートラインにたどり着けた、と思った。
そうか。みんなあの時、ここから社会に向かって駆け出していったのか‥‥。
人生は終盤で、同期たちはAjuには見えないゴール近くにいるようだった。レースはとっくに終わっている。
それでも、足掻く中で、最低限自分が欲しかったものだけは手に入れたような気もした。
世間一般で言う「成功」ではないけれど、これも「成功」だろう。
幸福感があった。
誰もいなくなったスタジアムで靴の先をトントンしながら思う。
どうする? 今から走ってみる?
でももうそんな体力もない。
だから、歩いてみることにした。同期たちが見ていったであろう景色を見ながら。
60代になって、さて人生もロスタイムに入った——と思ったAjuは、「やり残したことは?」と考えた。
10代の頃、漫画家を夢見たことがあったっけ。また、漫画でも描いてみようか‥‥。
でも、すでに目も悪くなり、あんなにいっぱい線を描いて表現する根気も失せてしまっていた。
それでも、頭の中に残ったままになっているアイデアや物語を、このままにしておけば、近い将来火葬場の灰になる、と文字で出力を始めたのが「なろう」に来た頃。
やりだしたら年甲斐もなく面白くなってしまった。
そして、気がついた。
Ajuは自分には得られなかった何かを、物語を作ることで自分に与えたかったのかもしれない。
漫画家を目指そうとしたあのときから。ずっと‥‥。
Ajuは足掻いている自分のために、架空の現実としての「物語」が欲しかったのかもしれない。
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こんなゲロ、他人に見せるもんでもないかな。
しいなさんの判断で、このまま没にしてくださっても結構です。
丑三つ時に目が覚めて、何かに憑かれたのか、吐き出しちまいました。
【しいなの感想】
飲もう!(๑•̀ㅂ•́)و✧