かぐつち・マナぱさまの青春
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題:青春の残暑
・・・蝉の声が、遠くから波のように押し寄せては引いていく。
高三の夏。
最後の大会が終わったその日、俺たちは駅前の古びた喫茶店で時間を共有していた。
「なんかさ、終わっちゃったなって感じするよな」
窓際の席に座り、一息に飲み干したグラスに残る氷をかちかち鳴らしながら、浩平がつぶやく。
まだ汗が額ににじんでいる。
「終わったっていうより、これから始まるって感じだけどな」
俺が返すと、浩平は苦笑した。
「そう思えるの、お前だけだよ。俺は、部活がすべてだったからさ」
テーブルに肘をついて、浩平は窓の外にある空を見上げる。
まるで、何かを探すみたいに。
・・・俺たちは中学からの付き合いで、野球部のバッテリーだった。
浩平はピッチャー、俺はキャッチャー。
いくつもの夏を一緒に戦ってきた。
それでも、今でもたまに思い出すのは——あの雨の日のことだ。
*********
中学2年の春、俺と浩平はまだバッテリーとしての息がまったく合っていなかった。
浩平の球は速かったが、俺にはまだその球を受け止める力も覚悟も足りなかった。
練習中、浩平の剛速球を3球連続で後ろにそらしたとき・・・俺の中の何かがぷつんと切れた。
「もう無理だ」
グラブを投げ捨て、俺はグラウンドを飛び出した。
腹の底から悔しくて、情けなくて、涙がにじんでいた。
(俺には・・俺じゃあ、アイツの球を捕るのはムリだ・・・)
どこへ行くでもなく、気づけば河川敷にいた。
空は灰色、ぽつりぽつりと雨が降り出していた。
・・・しばらくして、背後から泥を跳ねる足音が近づいた。
「おい!」
振り返ると、びしょ濡れの浩平が息を切らして立っていた。
目だけがやけに真剣だった。
「なんで来たんだよ・・・球も捕れないヘボキャッチャーなんて放っとけよ・・・」
俺が言うと、浩平は少し黙って、下を向いた。
「俺さ、小学生のとき、ピッチャー辞めようと思ったことあるんだ」
「は?」
「速く投げるほど、仲間に嫌がられてさ。誰も捕ってくれなくて、チームも負けて、孤立して・・・怖くなったんだよ、自分の球が。だから、辞めようかって思った。でも、そのときキャッチャーの先輩が言ってくれた。“お前の球を受けられるやつ、必ず現れる”って」
浩平は、泥だらけのグラブを差し出した。
「俺は勝手に、それが“お前”だと思ったんだ。なのに、逃げられて、マジで怖くなった。・・・またひとりになるのかって」
言葉が出なかった。
あんな強気な浩平の、こんな本音は初めてだった。
俺は黙って、足元の水たまりを見つめた。
そこに、自分の情けない顔が映っていた。
「だからさ」
浩平が、泥だらけのグラブを俺に差し出した。
「一緒に練習しよう。今ここで。俺、お前とバッテリー組みたいんだよ。ちゃんと、バッテリーに」
雨が強くなっていた。
無言でグラブを受け取った俺は・・・なぜかもう涙は出なかった。
ただただ、ボールを投げ返した。
浩平もまた受け取って、また投げ返した。
言葉よりも、あのときのボールの重みがすべてを語っていた。
***********
「進路、決めたのか?」
ふいに聞くと、浩平は小さくうなずいた。
「東京の大学、スポーツ推薦で行くことになった。野球、続けるよ」
「そっか。・・・すげぇじゃん」
誇らしい・・そう思う気持ちを感じながらも、少し胸が苦しくなった。
俺は地元の国立大学を目指していて、野球はもうやらないつもりだった。
「寂しくなるな」
浩平がぽつりと言った。
「何が?」
「お前がいないってこと」
その一言が、不意に胸に刺さった。
俺も、同じ気持ちだったから。
「じゃあ、東京行くのやめるか?」
冗談めかして言うと、浩平は笑った。
「バカ。それはダメだろ」
笑いながらも、目の奥が少し潤んでいた。
少し間が空いたあと、浩平が珍しく真面目な顔をした。
「なあ・・・あの日のこと、覚えてる?」
「・・河川敷の?」
うなずく浩平。
その目は、まっすぐだった。
「俺さ、あの日すごく怖かったんだよ。お前がいなくなるんじゃないかって」
「・・・・」
「速い球を投げるほど、人が離れていく気がしてた。ずっと。だから、“俺の球を受け止めてくれるやつ”に出会えたと思ったのに、逃げられたって思って、心の底から怖くなった」
浩平は、グラスの中で氷が溶けていくのを見つめながら続けた。
「でもさ、お前は戻ってきてくれた。雨の中で何も言わずに、俺の球、受け止めてくれたろ。あれで決まったんだよ。俺のキャッチャーはお前だって」
浩平の真っ直ぐな言葉が、またあの日の様に俺の心を熱くした。
俺は返事の代わりに、軽く拳を突き出した。
浩平も無言で拳を合わせた。
合わせたふたつの拳の像が、湿って歪むのを感じた。
「・・・雨、降ってねぇのにな・・・」
俺がぽつりと言うと、浩平は笑った。
「あのときも、お前が先に泣いてたろ」
「してねぇよ。あれは雨だって」
「俺には分かる。お前、いつも口だけ強がるからな」
二人で笑った。
笑いながら、胸の奥が少し痛かった。
喫茶店の冷たい風が、汗と熱を帯びた身体を嫌に寒く感じさせた。
************
夏の終わりは、また次の始まりの合図でもある。
青春は永遠じゃないけれど、その一瞬一瞬が、確かに俺たちの中に残っていく。
店を出ると、夕焼けが町を黄金色に染めていた。
・・・蝉の声が、まだどこかで鳴いていた。
風は少しだけ涼しくなったはずなのに、背中には汗がにじんでいた。
夏の残暑は、まるで過ぎた日々が「忘れるなよ」と背中を押してくるみたいだった。
(了)
【しいなの感想】
まるで恋!