スイッチくんさま
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# 吾輩は犬である
吾輩は犬である。名前はまだない。どこで生まれたかとんと見当がつかぬが、薄暗い所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している——と言いたいところだが、それは猫の話。吾輩は確かに犬である。
この世に生を受けてから、吾輩は数多の場所を彷徨った。東海道を下り、木曽川のほとりを歩き、やがて犬山の城下町にたどり着いた。犬山——なんと吾輩にふさわしい地名であろうか。まるで吾輩のために用意された土地のように思えてならない。犬の山と書いて犬山。山の上には白亜の天守がそびえ立ち、その麓には古い街並みが続いている。
しかし、吾輩がこの犬山に辿り着いた時、既に先住の犬たちが居た。彼らは吾輩を見ると、警戒の眼差しを向ける。「ここは俺たちの縄張りだ」とでも言いたげに、威嚇するような低い唸り声を上げる者もいる。吾輩は思った——ああ、ここにも既に犬が居ぬわけではないのだな、と。居ぬどころか、むしろ犬だらけではないか。
それでも吾輩は諦めなかった。犬山の城を見上げながら、吾輩は自分の存在意義について考えた。夏目漱石が「吾輩は猫である」で猫の視点から人間社会を風刺したように、吾輩もまた犬の視点からこの世界を観察し、記録に残すことができるのではないだろうか。
犬山の街を歩きながら、吾輩は人間たちの様子を観察した。観光客は城を見上げて写真を撮り、地元の人々は日常を淡々と過ごしている。そんな中、吾輩のような野良犬に気づく者は少ない。時折、子供が「わんちゃんだ!」と指差すが、親に「触っちゃダメよ」と制止される。
ある日のこと、吾輩は城下町の細い路地をのんびりと歩いていた。足音も軽やかに石畳を踏みしめながら進んでいると、前方に一本の棒が道を横切るように置かれているのが見えた。人間なら「犬も歩けば棒に当たる」というが、吾輩は違う。慎重に歩を進め、棒の手前でひらりと身をかわした。見事に棒に当たることなく通り過ぎたのである。吾輩は心の中で得意げになった。ことわざとは裏腹に、注意深く歩けば棒に当たらずに済むものだ。これも犬の知恵というものであろう。
居ぬはずの場所に居る吾輩。犬山という名の土地で、犬である吾輩が疎外感を味わうとは、なんとも皮肉な話である。しかし吾輩は屈しない。たとえ名前がなくとも、たとえ居場所がなくとも、吾輩は確かに犬である。そしてこの犬山の地で、吾輩なりの生き方を見つけていくのだ。
木曽川の流れを眺めながら、吾輩は今日もまた、犬として、この世界を静かに見つめ続けるのである。
【しいなの感想】
保健所のひとに気をつけて!(*>_<*)ノ