ep.93 月夜を照らす花
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
吐く息が白く色付いく早朝、ニステルは日の出前に皇都シキイヅノメを旅立っていた。水と食料を詰め込んだバッグを背負い、岩肌が剥き出しの大地を歩いていく。標高は2000mほどに達し、気圧の変化により酸素を取り込める量が減ってきている。酸素不足の影響か、身体がいつもより重く感じていた。
皇都を出てすでに3時間が経過し、疲労も蓄積している。1時間毎に15分の休憩を挟んでいるが、一度まとまった休憩を挟むべきだろう。
腰を掛けるのに手頃な岩を発見し、バッグを下ろして岩へと座り込んだ。
軍の訓練ぶりの山での活動とはいえ、ここまでキツイものなのか。
ニステルは王国軍時代に訓練の一環としてストラウス山脈での高地訓練を行っている。当時は標高1000mでの訓練だった為、今よりも身体への負荷が軽いものだった。だが、今登っている山はそれよりも倍ほどの高さである。体験したことのない疲労感に、さすがのニステルも身体がついてこない。エジック山脈をゆっくりと登って来たことと、標高1500mにある皇都で一泊したことで多少は身体が順応してくれているのが救いである。快夢草が自生している標高まですでに登りきった為、あとは身体を馴らし、断崖まで移動するのみだ。
今日ほど槍使いであったことを感謝したことはねぇ……。
槍を杖替わりにすることができたのだ。休憩中とはいえ、槍を手放すことはできない。いつ魔物が襲ってくるかもわからない。警戒心を維持しながら身体を休ませた。
どれほど時間が経っただろうか?日はかなり高くなっているが。
思いのほか、身体に疲れが溜まっていた為、腰を掛けたまま動けずにいた。幸い魔物の襲撃はなかった。見下ろせば皇都が小さく見え、その先に大きな湖――アルス湖の青さが目に飛び込んで来る。
「穏やかだな」
あまりに落ち着いた雰囲気に独り言が漏れる。
皇国に来てから慌ただしい毎日だったな。ダインと出会い、鬼との戦いが始まり、多くの者が命を散らした。この穏やかさの前では、何もかもが遠い過去のように感じる。
遠くに鳥の囀りが聞こえる。
そういえば、一人で旅をするのも久しぶりか。
王国兵を辞め、冒険者に成るまで独り行動をしていた。アクツ村での一件以来、カミル達と行動を共にすることになったが、悪いものではなかったとニステルは感じていた。
行く先々でトラブルを引き寄せる馬鹿のお陰で、自分でも力が付いて来たのを感じる。あぁも強力な存在と対峙できるのは一種の才能だ。人生通して幾度も経験できないだろうに。
徐にバッグへと手を伸ばす。中から取り出したのは、緑茶を入れたボトルと朝出る前に旅館で購入した竹の包みの食糧だ。結ばれた紐を解くと、竹の皮を広げていく。中には三角を模った白く輝く米の塊――御握りが3つ収められていた。その脇に添えられる黄色い漬物が押し付けられていたのか、部分的に米の色が黄色く変色している。
初級水属性魔法スプラで手を洗うと、そっとひとつの御握りに手を伸ばした。そのまま豪快に大きな一口で齧りつく。中には何も入っていない。具材もなく、海苔もない。ニステルが持ってきたのはいわゆる塩御握りと呼ばれるものだ。様々な具材を詰め込むことができる食べ物ではあるが、ニステルの好みは焚いた米に塩のみで整えられた塩御握り。米の味とほんのりと感じる塩がアクセントになり、至高の食べ物へと昇華してくれる。
ボトルの口を開け、緑茶を口の中に流し込む。僅かな苦みと甘み、旨味が口の中に広がり、喉を潤していく。ボトルを脇に置くと一息つく。
絶景を眺めながらの外での食事も悪くないな。食い物の美味さをより一層上げてくれる気がする。誰かと食事するのも悪くねぇが、こうやって偶に独りで食べるのも悪くない。
絶景と塩御握りをゆっくりと堪能し、食事を終えた。
太陽が昇りきったタイミングて移動を開始した。
快夢草、日が落ちた頃に花を咲かせる。元塊病の特効薬と知られる前は、高地に夜にしか咲かない花として知られる月光花と呼ばれていた。なぜ夜にしか採集ができないのか。それはこの花が持つ特性によるもの。人体に害を成す毒が含まれており、花を咲かせる瞬間に、毒素を花びらが吸い寄せ闇夜を照らす。毒の成分は発光に必要な成分らしいのだ。花が咲いている間に引き抜き、花を茎から断ち切ることで葉が薬草として扱えるようになる。夜の山の断崖ということで、冒険者に依頼すると高額になるのはそのせいである。落下の危険性や魔物との遭遇を加味し、熟練の冒険者であるニグルランクの者しか受注させていない。
クァッ クァッ クァッ クァッ
短く断続的に続く鳴き声が響き、大きな鳥の影が地面を走っていく。
反射的に顔を上げれば、猛禽類のイヌワシのような魔物が空を旋回し、上空から明らかにニステルの動向を探っている。
その姿を見たニステルはすぐさま槍を構える。
ちっ、標的にされたか。
大地を駆る獣であればまだ幾分かやりやすい相手だったが、空を飛ぶ大きな鳥型の魔物は厄介である。基本的に遠距離からの攻撃しか届かず、距離がある為当たり辛い。高地を根城にしている鳥は頭が良い。間合いに入ってくるのは、魔物側が殺れると判断した時のみだ。
ましてや標高のせいでニステルは万全ではない。休憩を挟んだとはいえ、重たい身体で相手にするのは危険だ。
状況的にも最悪だ。森林限界ではないものの、この場には身を隠せる木も大きな岩もない。ただ剥き出しの岩肌が続き、その先には――崖がある。崖から落ちればそれだけで命を落としてしまう。平地であれば岩で容易く壁を作れるが、高地では魔力を使えば使うほど身体の負担が大きくなる。無駄な動きを一切許さない、極限の戦いなのだ。
無暗に歩くのは愚策。あの魔物も体力が無限にあるわけじゃねぇ。まずは崖から離れつつ魔物の体力を少しずつでも確実に奪うことに集中しろ。
魔物を警戒したまま崖からジリジリと離れていく。
先に動いたのは魔物だった。目立った動きのないニステルに痺れを切らしたのか、大きな双翼を羽ばたかせ、突風を巻き起こす。物理的な風の発生と緑の元素の力を借りた風属性魔法が重なり合い、強風がニステルの身体を地面に叩きつけ押し流す。
「ぬわッ!?」
父親の形見の槍――シャナイアを地面へと突き立て、身体が押し流されるのを防いだ。
背中を無防備に晒したニステルの隙を見逃さず、魔物は急降下を開始した。鋭く大きな爪を開き、背中側から接近する。
風を切る轟音を感じ取り振り返る。両翼を広げ襲い掛かって来る魔物に向け、太さ30cmはあろうかという1本の岩の槍を地面から生み出し、魔物の突っ込んで来る勢いを利用したカウンターとして放たれた。
その瞬間、魔物が大きく翼を動かし上空へ跳ねた。岩の槍は魔物の下を通過し空へと昇る。
この距離じゃさすがに避けられるか!?
魔物は一度上空へ戻る動きを見せたものの、すぐさま急降下を始めた。
真上からの強襲に、槍を引き抜き飛び退いた。
入れ替わる様に魔物の爪が地面を叩き、岩肌を削る。
「破貫衝!!」
穂に魔力を集めシャナイアを突き出した。穂から突貫力のある衝撃波が放たれ、魔物の腹部へと直撃した。衝撃に魔物の身体はぐらつき忙しなく空へと戻っていく。ポツポツと血の雨が降り注ぎ、地面に痕跡を残していく。
ちっ、腹に当たったってのに致命傷にならなかったか。思ったよりも高地の影響を受けてやがる……。
疲弊が集中力を欠き、緻密な魔力操作を阻害する。戦いを終わらせる最大の好機だっただけに、ニステルは苦虫を噛み潰したような顔となる。
だが、手傷を負わすことができた。これで諦めてくれれば楽なんだがな。
願いも空しく、魔物は空を旋回し続けている。
「へっ、よほど人肉が好みらしいな」
思わず愚痴が零れた。
下手に時間を掛けても消耗するだけか。なら一層のこと、魔力を消費してでも短期戦に持ち込むしかねぇ。
旋回していた魔物が再び翼をはためかし始めた。巻き起こる風と風属性魔法がニステルを襲う。
飛ばされないようにシャナイアを突き立て強風に耐える。だが、魔物はひたすらに風を生み出し続けていた。
ちっ、このまま風で体力を奪う作戦かよ。
強風によりニステルの体温が低下する。それに加え、強風に抗う為に全身に力が入っており、長時間晒されれば確実に疲れ果て魔物の餌食となってしまう。当然、魔物側の負担も大きいが、高地に適応している魔物の方が有利である。
だが、これはこれで好機ではあるな。詠唱をしようと俺の声があの鳥に届きにくいはずだ。なら、一気に決めてやる。
― 重力に縛られし者達よ 裁定は我が手に有り
枷に苛まれ 汝は束縛に嘆くだろう 捕えよ グルムカラカ ―
ニステルの周囲に濃密な黄の元素の空間が生成され、土の極致魔法グルムカラカが発動した。空間は広がりを続け、空を飛ぶイヌワシ型の魔物もその領域内に収めていく。その瞬間、魔物の身体が地面へと引き寄せられる。大きな翼は成す術なく空気抵抗で広がり、その姿はまるで両手を上げて落ちる人のようであった。
吹き荒れた風は止み、ズドンッ!!大きな音を立て魔物が地に墜ち潰れている。質量の大きさ故に重力の影響を受けやすい。言ってしまえば格好の餌だ。かなりの高さから墜ちたはずだが、身体が大きいということは、生命力も強い。ピクピクと翼が震え、立ち上がろうと藻掻いている。
「さあ、狩りの時間だ」
額に汗を滲ませ魔物へと歩み寄る。疲弊した身体で極致魔法を行使した為か、その足取りは重い。握るシャナイアさえも地面すれすれで辛うじて持ち上げているに過ぎない。視界が霞み、目が回る。
あぁ、クソッ!!まっすぐ歩きやがれ!!ここで殺れなきゃ、喰われんのはこっちだぞ!!
自分に渇を入れ、何とか魔物の真ん前までたどり着いた。
歯を食いしばり「剛気」穂が黄色に染まり、刃の強度と鋭利さが増していく。
最早シャナイアを振るう元気もない。
「うぉぉぉぉぉぉッ!!」
気合でシャナイアを振り上げた。穂先が天を向き動きが止まると、身体をくの字に折り曲げ上半身を使って魔物の頭へと叩きつけた。豆腐でも切るようにすっと穂が頭を断ち斬っていく。
「ギュォォォォォォォッ!?」
耳を劈く断末魔を上げ魔物は項垂れていく。
ニステルの膝が崩れ、地面に片膝を着いた。
まだだ……。この死骸を何とかしねぇと、血肉の臭いに獣が寄って来ちまう……。
シャナイアを杖替わりに立ち上がると、壁へと移動する。岩に背を預けるように腰を下ろすと、震える掌を魔物へと翳す。グルムカラカで集まった黄の元素が魔物に集い、岩の柱が死骸を押し上げ崖下へと落としていく。
これで何とか……。
伸ばした手がガクンと力無く落ちる。体力の消耗によりニステルの意識は遠のいた。
「ニステル~、ご飯できたわよ」
懐かしい優しい声色に、ニステルの意識は覚醒した。
目に飛び込んで来たのは幼少の頃から長年暮らしている家の中、ニステルの部屋だった。ベッドのすぐ傍らには、亡くなったはずの母親の姿がある。優しい笑みを浮かべ、ニステルの顔を見つめている。
なんだ……?どうなってやがる!?
「うん、今日のご飯はなぁに?」
自分の口が勝手に動き、言葉が溢れてくる。
「今日はシチューよ。野菜の栄養が溶け込んでるから、きっと元気になるわよ~」
「やったぁ!!ボク、シチューなら何杯でも食べれるよ!!」
それはかつての母親との会話だ。そこでニステルは気づいた。これが明晰夢であることに。思い出の中の出来事が夢で再現され、追体験させられている。
それでもニステルは嬉しかった。夢の中とはいえ、再び母親の姿を目に出来たのだから。
この日は確か、元塊病の症状が重かった日だ。それで一日寝込み、俺の好物だったシチューを作って元気づけようとしてくれたんだ。
食卓に着くも、そこには父親の姿はない。
「お父さん、今日も遅いの?」
母親は少し困り顔を浮かべ「ごめんねぇ。お父さん仕事が忙しいみたいなのよ」諭すように言葉を掛ける。
「そっか……、お父さんも頑張ってるし、ボクも早く病気を治さないとね!!」
母親に屈託なく笑いかけた。
カラ元気だった。本当は寂しかったが、遅くまで働くのは自分の為なのを幼いニステルは悟っていた。だから自分は笑顔でいなきゃいけない。そうしなければ、両親に要らぬ心配をかけてしまう。
かつての自分の境遇が、元塊病だというシンの妹と重なり心苦しかった。
夢なら覚めるはずだ。こんなところでぬくぬくなんてしてられねぇ。快夢草を採りに行かなきゃなんねぇんだ。どうやったら意識が戻る……?
意識は幼少の自分の身体の中にあり自由に動かすことが出来ない。
食事を終え、再び自室のベッドの中に戻っていく。
そこで景色が暗転し、次に目に映ったのは暗い自室だった。
「歯を磨く前に寝ちゃったな。もう暗いけど、今からでも磨かないと」
ベッドから降り、扉に向かって歩いていく。すると―――。
「今度、竜の討伐が行われるらしい。俺もその討伐に赴くことになった」
親父……!?
扉越しに父親の声が響いて来る。
「そうなの……?大丈夫?危なくないかしら?」
「兵士長が直々に指揮を執るから大丈夫だろう。これが成功したら報酬も大きい。偶には家族三人でゆっくり過ごさないか?」
「いいわね。きっとニステルも喜ぶわよ」
「ああ、アマツ平原までピクニックに出掛けようか。あそこなら魔物も滅多には出くわさない。安心して出かけられる」
「なら、腕によりをかけてお弁当を作らないといけないわね」
やめろ……、行くな。……行ったら殺される。
胸が締め付けられる想いだった。ニステルの父、ベレス・フィルオーズは王国軍の副兵士長として祟竜退治に参加していた。祟竜討伐の功績を上げるも、副兵士長の座欲しさに部下によって殺されてしまったのだ。
夢の中なのはわかってる。でも、理屈じゃない。ここで大人しく会話を聞いてる場合じゃねぇんだ!!頼むから身体よ動け……。動いてくれ!!
だが、ニステルの想いは届かない。この夢はニステルの深層心理が作り上げているに過ぎない。過去の出来事が再演されているようなものだ。
おい!!このまま行かしていいのか?親父が殺されるんだぞ!?動け……、動けよ、クソがッ!!!!
身体がビクッと跳ね、意識が覚醒する。
途端に刺すような冷たい空気がニステルの身体を震え上がらせた。
「夢――か……」
感情を揺さぶる夢であったせいか、竜退治の両親の会話の夢であったことを覚えていた。
手の甲で目を擦ると、僅かに濡れた感触が伝わって来た。
「はっ、夢見て泣いてたのか……。もうガキじゃねぇっての」
自分に言い聞かせるような独り言だった。もう戻れぬ幸せな日々は胸の中にあれば良い。それでも少しだけ、ニステルの心は温かくなっている。
今は感傷に浸ってる時間はねぇんだ。
魔物との戦闘後眠ってしまったせいか、夕陽が彼方に沈みかけていた。少しでも明るい内に移動しきらないと、落下する危険性が高くなる。
回復薬を取り出し一気に煽った。
まだ身体はだるいが行くしかねぇ。
シャナイアを杖替わりに立ち上がると、ゆっくりと歩き出す。
断崖沿いを進み、自生地へと近づいていく。途中、鹿3頭に襲われるも、魔力を使わず槍術のみで撃退し、日が暮れる前に移動しきることに成功する。断崖沿いの道の上、岩が出っ張った部分のその上に花の蕾を確認することができた。
後は日が沈むのを待つだけだ。
月光花は、日が暮れて30分かけてゆっくりと花を開いていく。
その場で座り、岩に身体を預け時が過ぎるのを待った。
5分が経ち、10分が経つ。ただ待っているだけというのは時間を長く感じる。そこでようやく日が沈み切った。
あと30分、それで採集が可能となる。
闇が空を覆い尽くし、月の光が闇夜を照らす。瞬く星々が夜空を彩り始めた。満天の星空に、ニステルは感動していた。
山で見る星空がここまで壮大なものだったとはな……。親父と御袋に見せてやりたかったぜ。
感慨に耽っていると、不意に視界の中に黒い影が飛び込んで来た。
「ぬぉッ!?」
咄嗟にシャナイアを身体の前へと押し出すと、キィン!!甲高い音と共に襲撃してきたものの姿が浮かび上がってくる。体毛に覆われた4つ足の獣、全長2mほどのアシハラオオカミの牙がシャナイアの柄を咥えていた。
クソが!!警戒していたはずなのに、気づけなかった!?
想像以上にニステルの身体は疲弊していた。星空に意識が向いてしまったこともあるが、それでも目の前に接近されるまで気づけないことなどこれまでには無かった。アシハラオオカミの特性かと言われればそうでもない。体毛は白く、月の光を浴びるこの場において、気づけないわけがない。
柄に必死に食らい付くオオカミは、牙での攻撃を諦め、前足の爪を振るう。
反射的に身体を傾けるも、爪が頬を引き裂き鮮血が舞う。堪らず地面から岩の槍を形成、オオカミの腹を貫き、視線を合わせて動きが止まる。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
ジンジンと痛みを訴える頬の傷と、脈打つ鼓動が生きている実感を与えてくれる。
危なかった……。気付くのが一瞬でも遅かったら俺は……。
首を食い千切られた自分を想像すると、ぶるると身体を震わせた。
血の臭いが漂い出してやがる。コイツの死骸を何とかしねぇと、採集中に襲われでもしたら堪ったもんじゃない。
岩の槍が霧散していく。支えを失ったオオカミは、力無く地面に横たわった。新たに岩の柱を生み出し死骸を崖へと落とした。
それから月光花が咲き始めるまで、ニステルの感情は高ぶったままだった。死と隣り合わせの現状に、嫌でも鼓動は速くなる。月にかかる雲の影響で変化する影の濃淡にさえ、過剰に反応してしまうほど追い詰められていた。
カミル達に事情を話せば手伝ってもらえただろう。だが、ニステルはそれを良しとしなかった。無償でやる意味など二人にはないのだ。依頼を受けようにもランクが足りない。だからこそ、ニステルは独りで採集に来ることを決めたのだ。
これは俺のエゴだ。かつての自分と重ね合わせ、何とかしてやらないといけないと勝手にやり始めた事。誰かを巻きごんで良い理由になんてならない。
月光花の花が少しずつ開いていく。毒素を吸い取り、儚げに煌めく姿は月夜を照らし出す希望の光。
足元に岩の柱を形成し、ニステルを月光花の下へと運んでいく。
そっと月光花に手を伸ばし、茎を優しく摘まんだ。
これで一時的とはいえ、シンの家族に余力が生まれるはずだ。家族で過ごす時間が増えるだろうさ。
咲ききった瞬間、月光花を引っこ抜いた。シャナイアで花の根元を断ち斬り、茎と葉だけになった快夢草をバッグの中へと収めていく。
これで後は下山するだけだ。
岩の柱を操作し、道の上へと戻っていく。
より一層気を引き締めて下山を始める。
ニステルが宿に帰って来たのは、日付を跨いですぐのことだった。すでにカミルは眠っており、寝息を立てている。帰って来れた安心感と、激しい睡魔に襲われ、採って来た快夢草をバッグに収めたまま、ベッドに潜り込み眠りについた。
コンコンコンッ。
ノックが響き、シンは妹の部屋から玄関へと向かった。いきなりは扉を開かず問いかける。
「はい、どちら様ですか?」
「…………」
待てど暮らせど返事はない。
「??、あのー?ご用件はなんでしょう?」
「…………」
扉越しに声を掛けるも反応がない。
いたずらか?
恐る恐る扉を少しずつ開けていく。見えるのはいつもと変わらぬ景色。
ゴンッ。
何かにぶつかり扉が止まる。
外に何かある?
隙間から顔を覗かせると、扉を遮っていたのは皇都で有名なクッキー店の袋だった。袋の外には走り書きで「妹想いの少年へ いつも頑張っている褒美だ。遠慮なく食え。それと、僅かばかりの快夢草だ。妹を大切にな」不器用な言葉が並んでいる。
快夢草!?
その言葉に慌てて表へ出ていき、袋の中身を確認する。大きな木の箱に入ったクッキー、その上に無造作に置かれた快夢草と思われる薬草があった。シンは息を呑む。
これが本当に快夢草だったなら、とんでもないことだぞ……。
冒険者組合を通して依頼を出すと軽く金貨が3桁に達すると言う。それは兵士の半年分の平均給金に相当する。シンの両親は共に繊維工場で働いている。一人ひとりの給金は兵士に遠く及ばない。ほとんどが生活費に消えていく中で、薬代を捻出しようとすればかなり生活を切り詰めなければならないのだ。
いたずらかもしれないけど、お父さん達に相談してみよう。
視線を上げ、もう一度辺りを見渡すもやはり誰の気配もない。
誰かは知らないけど「ありがとう」は言っておくよ。
袋を拾い上げ、家の中へと消えていった。
「ニステル、昨日はどこ行ってたの?それに、その傷……」
一日を通して、ニステルの姿が無かった。今朝、目覚めても姿はなく、10時を回った時間にようやく戻って来たのだ。
頬を掻こうとしたニステルは、傷を負った頬に触れてしまい身体をビクつかせている。
「野暮用だよ。俺にも色々あるんだっての」
そっぽを向くニステルの頬が僅かに紅潮している。
「なんで照れてるの?」
「照れてねぇよ!!」
声を大にして否定された。だからこそ怪しいのだ。
「本当は~?」
悪い笑みをしたカミルが問い詰める。
「何でもねぇっての!!ほら、ギルドに行くんだろ?早くしろ!!」
ニステルが荷物をまとめて部屋を飛び出して行く。
「ちょっと!?そんなに急がなくてもいいじゃないか!!」
荷物を掴み取ると、慌ててニステルの後を追う。
この日、カミルは逃げるニステルをひたすらに追いかけ回し、ニステルを困らせ続けたという。




