ep.91 皇都シキイヅノメへ
鬼人討伐、黒竜との邂逅後、3日を掛けて要塞都市ザントガルツへと帰還した。疲れ果てた身体での移動は困難を極めた。馬に跨り手綱を握るのにも一苦労だったが、それ以上に討伐隊を苦しめたのは、同志達が転がる死屍累々の森の姿だ。手足は千切れ内臓が零れ落ち、黒ずんだ血が悍ましい光景に拍車をかけている。鼻を突く死臭に吐き気を感じながら、それでも進む足を止めなかった。
ザントガルツに帰還する頃には心身共に疲労困憊に陥っており、宿に着くとすぐに微睡の中に落ちていく。
掃討作戦に参加した8000もの兵士の内、生還者は1000にも満たない。
討伐隊の死亡者はクォルス一名だった。嗣桜の幻覚にやられたリョウジ、コウキの両名は致命傷を避けており、ジンムの回復魔法によって命を拾っている。
鬼の掃討に当たっていた兵士のほとんどが嗣桜の幻覚によって同士討ちをし、その命を散らしてしまった。
多大な被害を生み出してしまった指揮官のリョウジ・ロクシマは、ザントガルツの兵士長を辞任。副兵士長のミスズ・サエキに全権を委ねた。退役しようとしていたところにジンムが現れ「責任を感じているのであれば、お前は残るべきだろう。その命を賭してザントガルツの再建に協力しろ」皇国軍に残ることになった。
皇国軍は戦力を大きく削られ、軍務を遂行する力を失った。傭兵として活躍していたダインの民もまた数える程度しか生き残ることができず、力を頼ることができない。その代替として挙がったのが、諸外国からの冒険者を多く引き入れることである。これまで担ってきた仕事を冒険者に移し、皇国軍は都市の守りにのみ準ずることとなった。
凛童の襲撃で街は壊れ、鬼人との戦いで多くの人を失った市民達の悲しみは深い。それでも明日を生きていく為に立ち上がらなければならない。傷つき、心が折れかけても人はまた立ち上がる。国の為、家族の為に脅威に立ち向かった英霊達の志を受け継いでいるのだから。
掃討作戦から1週間が経ったある日、カミル達が泊まっている宿にジンムが訪れた。翌日に皇都へ帰還するとのことだった。
「帝国へ還りたいのだろう?」
ストレートなジンムの言葉に、カミル、リア、ニステルの三名は面食らった。
リアがカミルへと視線を送る。「過去からやって来たことを言ったのか?」そう言いたいのだろう。
カミルは首を横に振り「言ってないよ」即座に否定した。
「だ、そうだけど?アンタはなんでこいつらが帝国から来たことを知ってる?」
相変わらず物怖じせずにニステルが問い質す。相手が皇国の総司令であったとしても変わらないらしい。
「我は精霊時代について学がある。文献の中にカミル・クレスト、リアスターナ・フィブロの名が記されていた」
「名前だけで帝国から来たと思ったってか?」
訝しむニステルに「違うと思うよ」否定する。
「だって、ヒカミ総司令は俺の顔を見てすぐに名前を呟いていた。名乗ってもいないのにね」
「ふっ、なかなか記憶力はあるようだな。顔を見ただけでカミルの名を理解できたのは理由がある。カミル、お前は写真なる精密な絵を知っていよう?」
「ええ、知ってますけど……」
でも、なぜ写真をヒカミ総司令が知ってるんだ?あれは日本のある世界の技術のはずだ。この世界には存在しないはず……。
「我はそれを見たことがある。そこに描かれていたのがカミル・クレストと、アリィの先祖の姉であったティナリーゼ・アロシュタットだ」
カミルとリアは、ティナの名が出たことに驚愕し顔を見合わせた。
「どのような原理で描かれたものかはわからぬが、そこに描かれた顔と瓜二つの顔があれば名を呟きもする」
「でも、それだけでコイツらが帝国から来たなんて思わねぇだろ」
「だから鎌を掛けた。自分でもそんな絵空事をにわかに信じることができなかったが、わかりやすく反応を示してくれたからな。その可能性が残ったわけだ」
ニステルはまだ納得していないのか、訝しむ表情のままジンムの言葉を待っている。
「帝国に還る術は見つかったのか?」
「霊峰クシアラナダ、そこに空間の歪みが生まれているとかいう噂です。皇都まで行ったら向かってみようかと思っています」
この1週間、クォルスから得た情報をリアへと共有し、今後の方針を固めていた。手元にある加護の剣ノヴァズィールを、とある人物に託した後、皇都へと旅立とうという話になっている。
「なんだ、知っておったのか」
ジンムの表情に変化はないが、心なしか残念がっているように見える。
「半年ほど前、ザイアス王国の協力を経て霊峰クシアラナダの調査が行われた。その時に発見されたのが、少数部族の村である『ヨミジク』。村を越えた先、天へと伸びるかの如き階を登りきると見えて来る祠、そこに歪みがある」
「ヨミジク……」
「村に住むジーク一族の者の話では、時を司る元霊が祀られているらしい」
「元霊?初めて聞く存在ですけど、精霊とは違うのですか?そもそも六色以外にそんな存在いるのか……?」
「精霊をそう称しているのか、別の存在なのか不明だ」
「国が苦労して集めた情報をペラペラと私達に話しても良かったの……?」
リアが疑問に思うのも無理はない。時間とお金をかけて調べた国の秘密事項にも成りえる情報だ。それを容易く第三者に流すのは不可解である。
「ストラウス山脈は長く険しい道のりのはずだ。霊峰クシアラナダまで調査するとなると途方もない時間と資金が必要になる。……何が狙いだ?そんな情報を流して何をさせようってんだ?」
ニステルが警戒心を強める。
「なぁに、あの歪みは時の迷い人にしか恩恵を齎さないという話だ。命知らずの学者が実際に触れたらしいが、何の変化も起こらなかったという。時の迷い人が目の前に現れたのだ。どういう結果を招くのか試してみたくなるのは当然だろう?」
学者達の調査で判明した空間の歪み。この時代の住民では反応を示さない歪みに触れてみろということらしい。つまりは体の良い実験体だ。そうであるなら、情報をあえて流して来たのも頷ける。
「私達は良い研究の材料ってことね」
「そうだ。だが、悪い話ではなかろう?こちらは調査が進み、お前達は帝国に還れる可能性がある。良い取引だとは思わんか?」
ジンムは、カミル達をモルモットとして扱うことを即座に肯定する。彼からしたら自国民ではない者にさほど興味を示さないのかもしれない。それでも、手掛かりの無いカミルにとっては有益な情報である。いたずらに時間を浪費するよりかは遥かにマシなのだ。
「渡りに船ですね。俺は良いと思うけど、リアはどう思う?」
「他にアテが無い以上、行く価値はあると思う」
リアがジンムへと視線を向ける。
「遠方である以上、容易く行ける場所ではないのでしょう?」
「もちろんだ。馬車で移動するのも困難な場所だ。皇都から片道2ヵ月と半月ほどはかかるだろう」
「調査を兼ねているのなら、戦力を出してもらえるんでしょう?」
ふっ、ジンムに笑みが零れる。
「抜け目のない女だな。鬼人との戦闘で兵士の数が激減している。人数が増え過ぎても機動力が落ちるだろう。だから貸し与えるのは二人だ」
リアは顔を顰めた。
「二人?少なすぎでしょ」
「そうでもない。量より質だ。アリィローズ・アロシュタット、ククレスト・モースターを考えている。アリィの力は目の前で見ているだろう?モースターもまた士官級の実力を身に着けている。並みの魔物相手に遅れは取らん」
顔馴染みの名前が上がり、カミルは内心ほっとしている。命を共にする相手だ、素性も実力も知れた相手の方がやりやすい。ジンムからの配慮の形だろう。カミルは深く感謝する。
「二人ならこちらも安心できます」
リアの表情が晴れることはないが、皇国の現状を知っているせいか反論はしなかった。
「軍の再編をせねばならんし、すぐには出発はできん。学者達への通達、準備もあるだろう、1か月後に皇都まで来い。軍属でないお前達は城へと入れんから、そうだな――冒険者組合で待ち合わせということでどうだ?」
リア、ニステルと顔を合わせると小さく頷いた。
「わかったわ。1ヵ月後、皇都の冒険者組合で合流ね」
「では、話は終わりだ」
去ろうとするジンムを「ちょっと待ってください」引き止めた。
「何だ?」
「まだ教えてもらってないことがあるんですよ」
ジンムは肩を竦め「手短に言え」言葉を促した。
「まず、貴方が月読と呼んだ蒼気について、何を知っているんですか?」
蒼気を月読と呼んだヒカミ総司令なら、あの力について何か知っているはずだ。
「残念ながら、お前が望む答えは持ち合わせていない。我はかつて、お前が蒼気と呼んでいる月読を見たことがあるだけだ」
「え……!?」
俺以外にも力の使い手がいる……?
驚きと共にカミルは落胆もしていた。蒼気が自分に与えられた特別な力だと信じていただけに、他にも扱える者がいることに内心ガッカリしたのだ。
「名も知らぬ黒髪の女が同様の力を扱い、それを月読と呼んでおったのだ。我が知るのはその程度だぞ?」
黒髪の女……?情報量が少なすぎるけど、共通しているのは『黒髪』であるということ。髪色は元素の適正を表していることが多い。でも、俺にはそれが当てはまらなかった。なら、黒髪の持ち主は月読の適正者ってことなのか……?
「質問は終わりか?」
「……いや、もうひとつ」
左耳に装着した丸鏡のイヤリングに手を添えジンムを見つめる。
「資格があるのなら応えてくれると言いましたけど、何が起こるんですか?」
「お前はすでに見ただろう?」
「????、何を?」
「日ノ神の力をだ」
「???」
まったく意味がわからん……。何なのさこの人。核心部分は全部濁してくる。自分で確かめろってことか……?
「質問は終わりか?」
「えぇ……まあ、終わり、です」
「そうか、なら我は行く」
部屋の扉を潜り、ジンムの姿が見えなくなった。
良くわからない言葉を投げられ放置された三人は、ただ呆然としていた。
「何なんだ、アイツは……」
ニステルの言葉に、カミルとリアは無言で頷くのだった。
翌日、中央砦の近くにあるダイン達の詰め所である武家屋敷を訪れていた。目的はクォルスの遺品、火の精霊の加護の剣ノヴァズィールを引き渡す為だ。
屋敷は静まり返っており、かつてのぎらつくような雰囲気はまるで感じられない。部屋に通されるまで、対応してくれた男性以外に姿を見せる者はおらず、掃討作戦の影響を如実に表していた。面識のあるローリエンス、シューワ、オルトの三人が無事なのか気にはなるが、その答えは待ち人が答えてくれるだろう。
静寂が支配する屋敷に、カツカツと廊下を歩く足音が響いて来る。足音は部屋の前で止まり、襖が開けられる。そこに居たのは、オルトバース・リリーズだった。オルトは三人を一瞥すると上座へと座る。
「久しぶりだな。お前達も無事あの戦いを生き延びたのか」
久しぶりに見るオルトの姿は痩せ細っていた。元々7~8歳くらいの見た目だったのに、今では栄養失調の子供でも見てるようだ。上座にオルトが座る意味、それは―――。
「こちらは怪我だけで済みました。……その、そちらは?」
「ダインの民で生き残ったのは、俺含めて六人のみだ」
オルトの言葉に胸が詰まった。陰るカミル達の表情にオルトが言葉を続ける。
「そんな顔しないでくれ。みんな戦士として誇りを持って戦い死んでいったんだ。悲しむよりも、その生き様を誇ってやってくれ」
そう語るオルトの表情には憂いを帯びている。瘦せこけた身体を見れば、その悲しみの深さを窺いしれるだろう。だが、決して口には出さない。それは戦士として生きた同胞達を侮辱することに繋がるのだから。
「クォルスは勇ましい戦士だったわよ。強大な凛童という鬼に立ち向かい、致命傷を与えたんだからね」
「あぁ、立派にその責務を果たした漢だったよ」
クォルスと共に凛童と戦った二人だからこその言葉だ。それ故、亡くなってしまったことに責任を感じている。
脇に置いていたノヴァズィールを手に取り、テーブルの上へと置いた。
オルトは暫くノヴァズィールを眺め、カミルへと視線を移す。
「回収してくれていたのか」
オルトの表情が僅かに緩んだ。それもほんの一時、再び表情を引き締めた。
「わざわざ運んでいただき感謝いたします」
深々と頭を下げるオルトの姿は、最早子供のものではなかった。
「顔を上げてください。お世話になったのはこちらなんですから」
言葉を受けるも、オルトは姿勢を維持したまま頭を上げることはなかった。
カミル達はその姿を目に焼き付ける。
ダインの代表としてオルトが出てきている以上、これはオルト個人の感情から来るものではない。ダインを代表しての対応なのだ。子供の身で背負うにはあまりにも大きすぎる。
30秒ほど頭を下げ続け、オルトと再び顔を合わせる。
ノヴァズィールをオルトの前へとすっと差し出すと、オルトは静かに受け取った。
「それで、ダインの民はこれからどうするの?」
リアはザントガルツでのダインの民のこれからを心配していた。
「エンディス大陸にはまだ黒の元素が残っている。だけど、脅威となる鬼がいなくなったことから、一度ルナーナ大陸へと戻ろうと考えている」
さすがに六人だけで活動するのは厳しいようだ。一度故郷に帰り、そこで身の振り方を考えるのが一番だろう。
「そう。それなら私達が会えるのも今回で最後かもしれないわ。私達は近々皇都へ向かい、その後ザイアス王国へ向かうことになったの」
「お前達も旅立つのか。短い間だったけど、世話になった」
ひどく落ち着いたオルトの姿に、子供のように生意気だった頃のような振る舞いは感じられない。身近な人の死と、ダインの民をまとめる責任感から来るものなのかもしれない。それはとても悲しいものだとカミルは思った。近しい人だけじゃなく、子供でいられる時間までもが奪われてしまったのだ。カミル達もまた大切な人達と引き離されてしまっているものの、命を落としているわけではない。オルトに比べればまだマシである。
「なんか、南門で言い合いをしたのも懐かしく感じるよ」
初めて鬼退治に向かったあの日が、ひどく遠い過去のように感じる。
「そうだな。そんな日もあったな……」
もう戻れぬ日々に想いを馳せ、感傷的な雰囲気の中ニステルが立ち上がる。
「精々長生きしろよ。大人になったお前の顔見て笑ってやっからよぉ。……その剣、大事にしろよな」
ニステルは襖を開け、玄関へと向かい歩き出す。
「あはは、最後の最後まであんな奴で申し訳ない」
「いや、いいさ。変に気を遣われる方がやり辛い。アイツはあのままでいることで背中を押してくれてるんだろ」
緩んだオルトの表情を眺め、カミルもまた微笑んだ。
「それでは、私達はこの辺で。元気でね」
「オルト、クォルスに負けないくらいの漢になってな」
オルトは力強い笑みを浮かべた。
「そのつもりだ。俺と出会えたことを誇りにしてやるよ」
オルトの姿を目に焼き付け、二人は武家屋敷を後にした。
ザントガルツでは馴染みとなったいつもの食堂に顔を出している。まだ昼前であり、店も開かない時間帯である。
「すんません、まだ開店準備中なんで――なんだお前らか」
厨房の暖簾から営業スマイルを浮かべた筋肉質な調理師のおじさんが顔を覗かせ、やる気のない顔へと変わっていく。
「常連客に対しての振る舞いとは思えねぇな。大丈夫か?この店は」
「生憎とこれがうちの店なんでね」
暖簾の奥へと消えたおじさんは、すぐに顔を覗かせ「リアちゃんはいつでも大歓迎だぜ♪」露骨に贔屓している。にやけ顔が何とも気持ち悪い。
「これが男女差別というものか……」
「差別じゃねーよ。区別ってやつだ。それに、昔から言うだろ?美人には優しくしろってな」
言うだけ言うと厨房へと引っ込んでいく。
美人の女性がいれば、それに釣られて男性が釣れる。そう言うことなんだろう。
「世知辛い世の中だな」
「私のそばに居ればカミルにも恩恵あるんだし、いいんじゃない?」
楽しそうなリアと、興味を示さないニステル。ようやく日常が戻って来た気がする。
「でね、おじさん。私達近い内に皇都に旅立つ予定なのよ。だから、お店に来れるのもあとわずかなの」
ドタバタと音を立てながらおじさんが厨房から飛び出して来る。
「な、なんだって!?もう旅立っちゃうのかよ……」
ザントガルツに到着してからすでに1ヵ月は経過している。その間の食事のほとんどをこの食堂で過ごしていた。カミル達にとって実家のような安心感を齎す場所になっていたのだ。
「そっか……。もうリアちゃんの顔を拝めなくなるのか……。毎日の楽しみだったのによ~」
心からしょぼくれている姿に、カミルとリアは「「あははははは」」噴き出した。
「おじさん、美人に弱すぎでしょ」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。ありがとう」
おじさんは罰が悪そうに帽子の調子を整えた。
「でも、これからザントガルツには冒険者が増えるはずよ。兵士を多く失った穴埋めにするみたいだし。かわいい冒険者が来てくれるかもしれないわよ?」
リアの言葉におじさんの頬が緩み出す。
「浮気者~」
透かさず冷えたリアの声が低く響いた。
「いやいや、俺はリアちゃん一筋だぜ!!この世に舞い降りた女神様だと思ってる!!」
力強い言葉を口にし、胸をドンッとひと叩きする。
何とも調子の良い言葉だろうか。
「本当かな~?」
悪戯っぽくリアが迫ると「リアちゃ~ん、信じてくれよ~」暑苦しい顔を近づけている。人差し指でおじさんの額を突くと「なら、サービスよろしくね~。ケーキとかあると嬉しいかも~?」悪い笑みをしたリアがテーブルへと移動した。
「しょ、仕様がねーな~」
にやけた顔のままのおじさんに、カミルは「気持ち悪い笑み止めなよ」呟くのだった。
昼時を間近に控え、食堂の準備が整い始めた。おじさんの計らいで、俺達は開店する前に食事にありつけた。
配膳された食事がテーブルに並ぶ。カミルの前には、何故かどんぶりに超大盛りにされたご飯に、豚汁、唐揚げと竜田揚げ、キュウリの浅漬け。リアの前には、豆乳鍋。ニステルの前には、生姜焼き定食にだし巻き卵がサービスされている。リアの鍋が普通なのは、食後にケーキと紅茶が出て来る為である。
「なんでご飯だけ超大盛り!?」
おじさんはサムズアップして「サービスだ」宣言する。
「ならもっとバランス良く大盛りにしてくれても……」
おじさんは「サービスだ」繰り返すのみである。きっと気持ち悪いと言った仕返しなのだろう。それでもサービスを忘れないのはおじさんの心意気だ。
胸の前で手を合わせると「いただきます」感謝の言葉を口にし、昼食が始まった。
まずは山盛りになっているご飯へと手を伸ばす。米はアルス湖周辺で作られているらしい。魔法で生み出す水にはミネラルが含まれていない。その水でも育つには育つが、恵みの雨が齎す水で育った米に比べると味が落ちるようだ。どんぶりの中の米はしっかりと立っており、艶やかな輝きが食欲を刺激する。そっと箸で掴み持ち上げると、湯気も一緒に持ち上がる。ほのかに甘い香りが鼻孔を擽り、堪らず口の中へと押し込んだ。モチモチとした粘り気のある米から甘みと旨味が溢れて来る。
これは新米っぽいな。咀嚼するほど甘みを感じ、ご飯だけでもご馳走だ。
豚汁に手を伸ばし、そっと出汁を味わう。口に広がる味噌の風味が心を落ち着かせた。
味噌の味を感じると落ち着くのは、日本での生活に染まったせいなのかもしれない。味噌は赤味噌多めの合わせ味噌だ。豚汁は家庭によって味の濃さや具材が変わるから、お呼ばれした時なんかはわくわくしたものだ。日本での彼の家では、豚汁の呼び方が両親で違っていた。父親は「とんじる」と呼んでいたが、母親は「ぶたじる」と呼んでいた。これは地域で呼び名が変わることがあるかららしい。彼の両親は別々の地域の人ってこととなる。
メインとなるのは唐揚げと竜田揚げだ。正直、この違いは良くわかっていない。竜田揚げが醤油やみりんなどに漬け込んだものだと思っていた時期があった。でも、漬け込むタイプの唐揚げに遭遇し、その判断基準が崩壊した。この食堂のものは明確に分かれており、唐揚げは漬け込んではいない。どちらが好きかと聞かれたら、漬け込まないタイプの唐揚げだ。
好みである唐揚げをひとつ掴み上げ、落とさないように手を添えて口へと運ぶ。サクッとした衣を抜けると柔らかな肉へと辿り着く。その中から肉汁が溢れ、旨味が口の中全体に広がっていく。注意しなければならないのが、揚げたての唐揚げから出て来る肉汁だ。口の中に頬張ったら最後、熱さとの戦いが待っていることがある。そのリスクを追ってでも揚げたてが食べたい欲求には抗えなかったりする。
一度キュウリの浅漬けで口の中を整え、竜田揚げに手を伸ばした。外のサクッとした衣は変わらないが、中から溢れ出す醤油とみりんをふんだんに含んだ肉汁が口の中で暴れ出す。生姜が使われているのか、さっぱりとしている。
そのままご飯をかきこめば、米が旨味を受け止めいくらでもご飯が進んでいく。
カミルの姿に、おじさんは無言でサムズアップする。
心を読まれているようでなんか悔しい……。でも、旨いもんは旨いんだ。
ニステルもカミルと似たようにかきこんでいるが、リアだけが一人マイペースに食べていた。垂れてくる髪を押さえながら食べなければいけないせいか、食べづらくしている。出会ってから3ヵ月近く経ち、ボブカットだった髪が、肩にまで届きそうなくらいに伸びている。
そこでふと気づいた。
「リア、髪の生え際の色が――金髪になってる!?」
リアは手にしていた箸を置き、ポシェットに収められている手鏡を取り出し自分の髪を確認し始めた。生え際の数mmが金髪になっている。その事実に、歓喜に身体を震わせ、目尻に涙が溢れている。
「ようやく、ようやくだよ……。本来のエルフの姿に戻れる……」
精霊の刻印にバングルを着けてから1ヵ月ほどが経つ。その間、銀髪には変化がなかった。耳はすぐに形を取り戻したというのに、一向に変化しない銀髪にリアはやきもきしていた。ようやく変化が訪れたことで、感情が溢れたのだろう。
「生えてきた髪が金髪ってことは、伸びた髪は銀髪から戻らないみたいだね。完全な金髪に戻るのは長い時間が必要みたいだ」
「ああ、それでも――充分すぎるよ」
泣き笑いを浮かべるリアの表情が、とても眩しいものに映った。
「なんか知らんけど、リアちゃん、おめでとう」
唐突なリアの状態に、おじさんは困惑しながらも祝福をする。
「へへ、ありがとっ」
リアの感情が不安定なまま、食事を終え食堂を後にした。
翌朝、食堂でザントガルツでの最後の食事を取り、南門の前でザントガルツの街並みを眺める。
「短い間だったけど、なんかかなり長い間過ごした気分だよ」
「それだけ濃い時間だったんだろ?皇都ではどんなトラブルを持ち込んで来るか楽しみだな」
「いや、トラブルなんて持ち込まないし。というか、もう鬼の脅威はないから何も起きないよ」
「それを願うがな」
全然、俺の言葉を信じていないだろ……。
「でも、還る為のヒントが出てくるかもしれないし、トラブルも捨てたものじゃないかもね」
昨日、金髪が確認できてからリアはずっと上機嫌だ。何を言っても柔らかな対応されるから、それはそれで居心地の悪さもある。
「さあ、そろそろ行きましょう。日がある内に進めるだけ進んでおきたいし」
リアの先導で南門を通過していく。
これから死闘が繰り広げられたエジカロス大森林を抜け、山脈の中腹にある皇都シキイヅノメを目指す。帝元戦争後に建国された国がどんなものなのか、しっかりと目に焼き付けねばならない。いつか戻るその日に向けて―――。




