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ep.89 エジカロス大森林南部鬼掃討作戦10

 肉体という枷から解き放たれた烙葉は、宙を漂いカミル達を見下ろしている。身体の形を成してはいるものの、輪郭は揺らぎ(うつ)ろう。その姿は俗に幽霊と呼ばれる存在に類似していた。

 カミルはすでにアクツ村で死人(しびと)と呼ばれる霊体の存在と遭遇し、戦ったことがある。物理的な攻撃は通らない。だが、魔力や元素を纏わせればダメージを与えることができる。ここからの勝負は魔力量次第、魔力が尽きればその時点で敗北が確定する。

 さあ、どうするカミル・クレスト。その刀をどう使う?今のお前の実力を見せてみろ。

 ジンムはカミルの戦いに期待する。



 ふわりと漂う感覚に、烙葉(らくは)は気分を悪くする。

 この浮遊感、慣れへんわぁ。でも、ここまで追い詰められたんはあてに力が無かったからや。さっさと終わらせて解除せんとなぁ。

 強がりだった。確かに粒子化すれば、目の前にいる敵にはおいそれと負けるようなことはないだろう。だが、ジンムだけは違う。底を見せぬ実力に、粒子化した姿ですら圧倒するのは困難である可能性が高い。

 両手部分の粒子が蠢く。手を模っていた粒子は次第に90度折れ曲がり、鎌の形を取り始めた。烙葉が愛用する陣鎌(じんがま)のそれと遜色のない形状へと形を変える。

「ほな、腹括りや」



 もう鬼じゃなくて、どちらかと言えば死神じゃないか。

 カミルは胸中で愚痴り、黎架(れいか)に圧縮魔力を込め駆け出した。

 あの姿の情報は何もない。なら、後手に回るのは悪手だ。先手必勝、力を振るわれる前に断ち斬る!!

 黒の元素を奪い取り、砲金色(つつがねいろ)の刃が黒に染まっている。

 この刀が本当に元素の剣だと言うのなら、今こそ力を示して見ろ。

 刀身に朱色に輝く一筋の光が浮かび上がった。それは魔剣としての力を宿す証。黎架の製造に携わったイヴリス・ツァワイルが齎す破滅の力である。

 妖しく輝く黎架を前に、烙葉の影が揺らぎ霧散していく。

「消えた!?」

 突如として姿を(くら)ました烙葉に、カミルの足は止まり辺りを見回す。

「馬鹿野郎!!後ろだ!!」

 カナタの叫びに振り向く。

 手が変化した陣鎌が首に向かい伸びてくる。

「はぁッ!!」

 細剣が光の軌跡を描き、影の陣鎌を吹き飛ばした。

 その隙に飛び退き距離を取る。

 吹き飛んだ闇が再び収束し陣鎌を形成していく。

 アリィはもう片方の細剣で再度闇を吹き飛ばし距離を取った。

「闇を払ったところで元に戻るか。なら―――」

 ゴアグレイドが金色に輝き、烙葉の身体を縦に真っ二つに斬り裂いた。それと同時に距離を取る為に離れていく。

「無駄や」

 斬り裂かれた身体が繋がり、3つの影がうねり三人に伸びていく。

 迫る影を各々の剣が影を吹き飛ばす。

 それと同時に影の烙葉が霧散する。

「どこだ!?」

 カミルは首をぐるりと回し烙葉の姿を探すも見つからない。

「目に頼るな!!黒の元素で感知しろ!!」

 叫んだカナタの背後に闇が集い始めた。

「見え見えなんだよッ!!」

 大剣を振り抜けば、闇は吹き飛び再び姿を(くら)ました。

 カナタは頭上に顔を向け「そこだッ!!」大剣で天を突く。闇が集い始めた瞬間に貫かれ、闇が霧散する。大剣の輝きが薄れ、今にも消えてしまいそうとなる。

 三人から少し離れた位置に烙葉は姿を現し愉しそうに笑った。

「あんさん、もう魔力尽きかけとんねぇ。あれだけ魔力放っとったら無理もないんやけど」

 カミルはぎょっとしカナタへと視線を送る。

 魔力が尽きるということは、継戦可能であったとしても影を斬り裂くことはできない。カナタを戦力と数えることができなくなることを意味していた。

「んなもん、気合で何とかしてやらぁ!!」

 力を込めると再び大剣に輝きが戻っていく。

「すごい……」

 感嘆の声が漏れる。

 魔力を失って尚、まだあれほどの力が振るえるのか。太極騎士は伊達じゃないな。

「すごいことあらへん。ただの阿呆や。命の灯火を魔力に変えてるだけやよ?」

「え……?」

「シドウさん!!ここは私達で何とかしますから武器を収めてください!!」

 アリィは叫び、烙葉へと駆けて行く。

「んなことできる相手じゃねーだろ。さっさと倒しちまえば問題ねー!!」

 アリィの後を追い、カナタも烙葉へと突っ込んで行く。

「仲間思いなんやね。でも、意地悪したなるわぁ」

 闇が霧散し再び姿を(くら)ました。

「ちぃッ!!」

 カナタの舌打ちと共に二人の足が止まる。

 烙葉からすれば、時間を稼げば確実にカナタを潰せるのだ。相手の土俵にわざわざ登る必要はない。少しずつ弱っていく姿を眺めればいい。

 黒の元素を辿るも、常に動いているのか場所を特定するに至らない。ただ悪戯にカナタの命を消費していく。

 黎架に現れた光の筋に視線を下ろすと、カミルは決意する。

 黎架で烙葉をぶった斬る。

 圧縮魔力を脚に流し、烙葉が放つ黒の元素の痕跡を探った。カナタの周りを嘲笑うかのように移動を繰り返している。でもそれは、周期的でありタイミングを計れば打開できる。

 罠かもしれないけど、乗ってやるしかない。そうしなければ時間だけが過ぎていってしまう。

 二人も察しているようで、重心が下がり動き出そうとしている。

 その前に「駿動走駆(しゅんどうそうく)」カミルは飛び出していた。二人が扱えない圧縮された魔力を以って。

 朱の輝きが一筋の光となり戦場を駆け抜けた。空を斬り、闇の一部を斬り裂いた。

「ぁ゙ぁ゙!?」

 烙葉の悲鳴が響く。闇が集い、烙葉の姿を模っていく。だが、そこには有るべきものが無くなっている。右肩の先、二の腕から先が綺麗さっぱり消えているのだ。烙葉の右腕は、斬られた場所で闇のまま漂い、そして朱の輝きに呑まれ消滅した。

 その光景にアリィとカナタは驚愕する。光を帯びる細剣やカナタの加護の剣でどうにもならなかった闇を消し去ったのだから、当然の反応ではある。



 烙葉に手傷を負わせたカミルに、ジンムは眉ひとつ動かさなかった。

 刀に宿る一筋の光、すでに魔剣化は完了しているか。

 事実を確認し、ほくそ笑んだ。



 黎架の魔剣の力、それは『破滅』の性質である。良くも悪くも状態の変化を打ち消し、変化を受け付けない状態を一定時間付与するものである。性質の発動には一定量の黒の元素の吸収が必要となる。


 当の本人はその事実を確認することなく遠く離れた場所で着地を決めていた。圧縮魔力を用いての駿動走駆(しゅんどうそうく)は細かな制御ができない。魔力量を緻密に調整すればある程度絞ることはできるが、咄嗟に発動させれば対象を通り過ぎてしまうことの方が多い。

 すぐに戦線に復帰できないのが難点だな……。

 振り返れば、アリィとカナタが剣を振るい烙葉を何度も斬り裂いている。闇は千切れてはくっつき、一見被害を受けていないように映るが「ぅ゙ぅ゙」短く漏れる呻き声がそれを否定する。外見に変化は無くとも、確実にダメージの蓄積はある。

 変化があったのは、斬った右腕が復元できていない事、粒子化して霧散して逃げない事だ。

 これが黎架の魔剣としての力―――。

 黎架からはすでに朱の光の筋は失われ、元の砲金色(つつがねいろ)に戻っている。魔剣としての力の行使をするには、再び黒の元素の吸収が必要だ。

 俺も急いで戦いに戻らなきゃ。

駿動走駆(しゅんどうそうく)

 圧縮せず、通常の武技で風を纏い烙葉へと駆け出した。



 戻らぬ!?飛べぬ!?

 烙葉は二人の剣戟に身体を幾重にも引き裂かれる。その度に穢れを消費し身体を再生するも、着実に力が衰え始めている。

 このままだとちぃと不味いなぁ……。

 カナタを見て烙葉も腹を括った。

 あの男が耐えれてあてにできんわけあらへん。

 左右に影が伸びる。烙葉から独立した影となり、一回り小さい烙葉の分身体を2体生み出した。

 カナタは顔を(しか)め、アリィは即座に離れた分身体を貫いていた。

 分身体へと対処したその僅かな隙を烙葉が見逃すはずもない。陣鎌を形成していた左手が揺らぎ形を変えていく。影は広がり無数の針を生み出していき、いわゆる生け花で用いられる剣山のような無数の刃へと変化した。

 男は放っておけばええ。勝手に自滅するやろ。問題なんは―――。

 アリィへと視線を向けた。

 この女や。光を放つだけでもやり辛ぃんのに、力奪われるんは敵わんなぁ。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 カナタは変化した左腕に大剣を振り下ろすも、一瞬掻き消え再び形を取り戻す。

「ぐぅッ!?」

 左腕へ対処しようと動いた為に、分身体の1体が自由となってしまい、分身体の左手がカナタの脇腹を貫いたのだ。

「仲良ぉ逝け」

 剣山がアリィの顔面目掛けて振り下ろされる。

 その瞬間、顔を守るように光が包み込む。振り下ろされた針は光に触れ、その姿を霧散させていく。

「ぁ゙ぁ゙ッ!?」

 アリィが苦悶の表情を浮かべ、ガクンと身体が揺れ動く。地面から影が伸び、刃と化しアリィの腹を貫いている。

 更に、脇腹部から影の刃が突き刺さる。アリィが貫いた分身体が再生し、腕を刃へと変え突き刺したのだ。

「ぅ゙ぅ゙……。ぅ゙りゃぁぁぁぁぁ゙ぁ゙ッ!!」

 双の細剣が影の烙葉を何度も、何度も貫いた。

 それはただの悪あがきだった。貫いた影の刃がアリィの身体の内部から浸食し、内側から蝕んでいく。内部に食い込んだ影は針が広がるように喰らいつき、影から脱出することを困難にしていた。

「まずはおひとりやな」

「クソがぁぁぁぁッ!!」

 カナタが吠えるも、身体が言うことを利かないようだった。カナタもまた分身体に身体を貫かれ、アリィと同様な状況に陥っているのだ。

「ふふっ」

 唐突にアリィが笑みを零す。

「なんや?なにがおかしぃん?」

 不敵な笑みに烙葉は困惑した。

「追い詰められて頭でもおかしくなったん?」

 なんやこの感じ……。この女子(おなご)、まだ諦めてへんの?

 アリィの瞳には強い意志が宿っている。不穏な気配に烙葉が距離を取ろうと重心を後ろへと傾けた時、アリィから眩い光の波が溢れ出した。

「なんやッ!?」

 光から顔を背け飛び退いた。



 光を放つアリィは影を逃さなかった。光が闇に絡み付き、穢れをその身に繋ぎ止める。

「封印術、セオリツ!!」

 光が穢れに噛みついた。烙葉から伸びる影は切れ、光が影を取り込みアリィの体内へと吸い込まれていく。

「くっ、なんなん!?なんなん、あんさんは……」

 烙葉の表情に畏れが浮かぶ。鬼と言えど、未知の力の前には恐怖が勝るらしい。

 光も影も、穢れすら吸い取ったアリィは満身創痍だった。力無く地面へと崩れ去った。

 まだよ……。まだ倒れるわけには……。

 懸命に腕を支えに身体を起こそうとするも、腕はガクつき身体を支えきれない。

「なんや、こけおどしなん?ヒヤヒヤして損したわぁ」

 そこで烙葉は違和感を覚えた。光で切断され取り込まれたアリィに伸ばした影がないのはわかる。だが、カナタに伸ばした影までもが綺麗に消え去っているのだ。

 嫌な予感がしながらも、アリィにトドメを刺すべく影を操ろうとした時、烙葉は気付いた。アリィが放った封印術のその力を。



 影が、伸びん……?それどころか、影の形を変えることすらできへんッ!?

 はっとしアリィの顔を見つめた。そこにあったのは、痛みに顔を歪めながらも秘めたる笑み。上がった口角に、烙葉はギリっと歯を鳴らす。

 持っていかれた。あの女子(おなご)、あての力の一部を奪っていきはった……。

 それでもアリィもカナタも虫の息なのは揺るがない。

 残すは元素の剣の小僧や―――。

 その瞬間、烙葉の右脚が吹き飛んだ。



 砲金色(つつがねいろ)の刃が烙葉の右脚、太股を斬り裂き影が分裂する。宙を舞う影の塊は黎架によって吸い取られ消滅した。

 その足でアリィ、カナタの下まで駆けつけ、二人の前で烙葉と対峙する。

「後は任せてください。早く治療を」

「それは後、まずは話を聞いて。私の力で、影を伸ばす、変化させる、分裂させる力は()()しました。ヒカミ総司令が重力を無力化している今、脅威になるのは鬼の膂力と素早さのみです。その剣があればやれるのでしょう?」

「ええ、やってみせます」

 カミルは力強く答える。

 ここまでお膳立てされて、何も成せないようでは男が廃る。皆が繋いでくれたこの好機、逃してなるものか。

 その姿にアリィは微笑み「なら、少し休ませてもらおうかしら」地面にぺたんと座り込む。

「カミル・クレスト」

 不意にカナタから声が掛かる。

 振り向けば地面に這い(つくば)るカナタの姿があった。

「手を出せ」

 意図が読めずに指示された通りに左手を伸ばすと、手の平を叩かれた。それはハイタッチをするような気軽な触れあい。だが、カミルは確かに受け取っていた。カナタの手から術式化された白の力を。

 カミルの身体が白を纏う。

「行け、そして決めて来い」

 コクリと頷き「はい」カナタの想いを受け取った。


 右脚を失った烙葉だが、粒子化し浮遊している影響か移動するのには困らないようだ。だが確実に、着実に烙葉を追い詰めている。これまでにないほど烙葉の表情に余裕が無くなっている。目は吊り上がり、口はきつく結ばれている。飄々とした雰囲気は完全に失われた。

「烙葉、もう終わりにしよう。無様な姿で生かしておくのも忍びない」

 烙葉のせいで多くの命が失われたのは事実だ。だけど、俺は鬼達は違う。消え行く命の灯火を弄ぶつもりはない。

「独りではなんもできん小僧がイキがるんやない」

「そうだ、俺一人では及ばなかっただろうよ。でもな、弱いからこそ仲間を頼ることができる。信じることができるんだ。お前達も協力して動いていれば、俺達は一溜りも無かったんだ。お前達の敗因は、自分勝手に動く烏滸(おこ)がましさなんだよ」

 黎架に朱の光の筋が走る。烙葉の右脚の黒の元素を取り込み、魔剣の力が起動したのだ。

「確かに、最早勝ち筋なんか見えん。だから、せめてあんさんは道連れにしてやるつもりよ。祈る間もなく喰ろぅてあげる」

 影の烙葉の身体が縮む。身体を小さくし、扱えるエネルギー量を補う算段らしい。縮んだ烙葉が空を飛び、素早くカミルへと迫る。

硬殻防壁(こうかくぼうへき)反射反動(はんしゃはんどう)

 武技を起動し、烙葉を迎え撃つ。

 烙葉はただ真っすぐカミルを目指している。多くの力を制限された今、烙葉の最も強力な武器は鬼の膂力である。勢いをつけ、拳による一撃を最大限に威力を高めた。

 烙葉の意図を読み切ったカミルだが、動く気配がない。

 身体を傷つけることは簡単だ。でも、それじゃ命を散らした者達の無念を晴らせない。烙葉が考える最大の攻撃を打ち砕き、精神的にダメージを与えてやろう。身も心もズタボロにすることが、俺ができる最大の(はなむけ)となろう。

 烙葉が間合いに入り左拳が突き出された。

 漆黒の刀身に朱の光の筋を宿した黎架を拳に向けて振り下ろす。

 拳を突き刺す為に部分的に実体化し、黎架とぶつかり合う。

 烙葉の膂力の前に、黎架の剣筋がブレる。拳の上を滑り、側面を掠め空を斬る。

「貰うよ」

 烙葉の拳がカミルの胸へと突き刺さった――かのように思えたその時、拳が光に阻まれた。穢れに引き寄せられるように光は収束、包み込んでいく。

「この程度の光で防げへん!!」

 光が弾け、拳が心の臓を目指し突き進む。

 パリィンッ!!

 硬殻防壁(こうかくぼうへき)の守りが砕ける音が響いた。カミルの守りは潰えてしまう。

「うぉぉぉぉおおッ!!」

 逸れた黎架の軌道を腕を捻り修正する。縦から横へと軌道が変化し、烙葉の心臓目掛けて闇を斬り裂いていく。

「一手遅かったなぁ」

 烙葉の拳がカミルに触れた。穢れが身体に流れ込み「ぐぅ……」顔が歪む。

「ほな、さいなら」

 烙葉の拳が突き進む。

 それでもカミルは諦めない。拳から逃れる為に身体を捻る。それでも逃れることはできずに拳が胸を抉り、カミルの身体がぐらついた。身体が逸れたことで心臓を持っていかれることはなかったものの、胸骨に沿い流れた拳が脇腹を深く抉り取る。

「ッッッ!?」

 言葉にならない声が漏れる。

 負ける……、ものかぁぁぁあッ!!

 精神が肉体を凌駕する。激情に駆られ、痛みをほとんど感じなくなっていた。

 カミルは烙葉の左手側へと一歩足を伸ばす。

 身を抉った拳の脇を進み、黎架に赤の元素が纏わりつく。

炎陣裂破(えんじんれっぱ)ぁぁぁぁぁああッ!!!!!!」

 黎架が烙葉の心臓を断ち斬り天へと向かい軌道を変えていく。赤の力が炎となり燃え盛り、烙葉の首を、頭を縦へと引き裂いた。

「ぎゃぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ッ!?」

 腹から上を前後で身体を引き裂かれ、影が揺ら揺らと揺らいだ。魔剣の力により、粒子化した身体が生身の肉体へと強制的に戻していく。浮遊した身体は地面に落ち、片足で支えきれずに地面に転がる。

 心臓を抉り、首を狩り、頭を引き裂いた。

 最早、烙葉が助かる道はない。

「はぁ゙、はぁ゙、はぁ゙、がはっ!?ッぁ゙ぁ゙……」

 藻掻く烙葉を見下ろし、カミルは空しさを感じていた。

 ようやく待ち望んだ未来を手にすることができる。でも……、お互い、意思疎通ができる生き物だというのに、こんな結末にしかならないなんて……。

 人を喰らうことでしか生き延びることができない存在生み出した世界を、カミルは忌々しく思った。


「さあ、トドメを刺せ」

 いつの間にか、ジンムが傍らに立っていた。

「はよやりや……。こんな姿、晒したないんよ……」

 息も絶え絶えに烙葉は願望を口にした。

「お前の言うことを聞く必要がどこにある」

 この世は弱肉強食。弱者は強者の言うことを聞くしかない。烙葉自身がそのことを一番よくわかっているだろう。

「皆、深手を負っている。手短に済ませろ。お前が殺らねば我が殺る」

 内反りの純白の剣を引き抜き、烙葉へと向ける。

 カミルがジンムを手で制す。

「俺が殺ります。それが俺が果たすべき責務ですから」

 ジンムは無言で剣を戻すと、一歩後ろへと引いた。

 砲金色(つつがねいろ)の刃に戻った黎架を振りかぶる。

「さよならだ。今度は人として生まれて来いよ」

「最期まで甘い男子(おのこ)やな……」

 黎架が振り下ろされ、首を断ち斬った。頭が身体から離れ崩れ落ちた。

「穏やかに逝きやがって……」

 斬られた烙葉の表情は穏やかだった。


 烙葉が没したことにより、鬼との長きに渡る戦いの歴史に終止符が打たれたのだ。


 終わったんだ……。

 ズキィィッ。

 感慨に耽っていると、途端に胸から脇腹にかけて激しい痛みが走った。戦いが終わったことで心が落ち着きを取り戻し、身体が現実を突き付けてくる。

「あぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ッ!!!!」

 あまりの痛みにカミルは膝を折り、地面に崩れ落ちた。

「根性の無いヤツだな」

 ジンムはカミルに歩み寄り、傷口に向けて手を(かざ)した。ジンムの身体に光が満ちる。


― 我は白の代行者也 光の導きにより

     我らに癒しの奇跡を与えたまえ ミオストライズ ―


 ジンムを中心に光の渦が辺りを照らす。

 カミルの傷口に光が集い、失った骨、神経、血管が復元され、肉が盛り上がり元の身体を取り戻していく。瞬く間に身体の損傷は無に還った。

 ジンムは立ち上がり、凛童(りんどう)との戦場跡へと足を運んだ。回復の極致魔法ミオストライズを発動し、回復させるとジンムはカミルの所へ戻ってきた。

「ダインの男はもう無理だ。死んでしまっている」

 クォルスさん……。

 ザントガルツに来てから世話になった男の死に、カミルの心は悲しみに染まっていく。

 そうだ、リアとニステルはどうなんだ!?

「リアとニステルは……、どうですか……?」

 気がかりなのは二人の生死。死闘を繰り広げたのは明確であり、最悪相打ちの可能性すらあった。

「安心しろ。疲れ果てて意識を失っているだけだ」

 ジンムの言葉が胸に響いて来る。

 ははっ、生きてる!!生きててくれた……。

 カミルは全身に鳥肌が立つのを感じた。心が震えるほど喜びを嚙みしめる。

「これはお前のだろう?」

 握られた砲金色(つつがねいろ)の鞘が放物線を描き、カミルの下へと飛んでくる。慌てて抱えるように鞘を受け取った。

「ありがとうございます」

 受け取った鞘に刀を収め、腰へと差し込んだ。

「カナタとアリィはそのまま休んでおけ。カミル、お前は我について来い。二人をここに運ぶ」

 ジンムに先導され、リアとニステルの下へと歩き出す。


「ひとつ聞いても良いですか?」

「……何だ?」

 振り返ることも無くカミルに質問を促す。

「なんで俺のこと知ってるんですか?初対面ですよね?」

「そうだな、初対面だな。だが、お前の話なら聞いたことがある。ヒュムなのに黒髪姿に()()()を携える者だと」

 確かにこの頭は他と比べれば目立つけど、リディスやダインが入り混じるこの場において目立つとは考え難い。この時代で知り合った人は数える程度だ。その中で俺達が過去からやって来たことも知っているのは、数人しかいない。その誰かがヒカミ総司令と繋がりがあるのだろう。

 リアとニステルの下にたどり着くと、ジンムがニステルと槍を抱えた。

「お前はそのエルフを運べ」

「クォルスさんは……?」

「生者優先に決まっておろう。まずは生き残った者が無事に生還することを第一に考えよ」

 確かに、討伐隊の面々は疲弊しきっている。ヒカミ総司令が傷を回復を施してくれたとはいえ、体力的にはかなりきつい。馬に乗ることさえ困難な人もいるだろう。

「せめて、クォルスさんの剣だけでも」

 ジンムは歩き出し「好きにしろ」来た道を戻っていく。

 クォルスの亡骸の下に歩み寄ると、嫌でも凛童の亡骸も視界に入って来る。極力見ないように意識を逸らし、クォルスの傍らに転がる火の精霊の加護の剣ノヴァズィールに手を伸ばした。ずしりと腕に伝う重みが、籠められた想いのようで居た堪れなかった。

 リアの下へと移動し、見慣れない細剣に手を伸ばす。両手に握られた剣に圧縮魔力を込め念動力で浮かび上がらせた。

 剣はこのまま運べばいい。さすがにリアを物のように運ぶわけにはいかないしな。

 リアを抱き抱え、ジンムの後を追い歩き出した。


 皆の下に帰ると暫く休憩を取ることとなった。馬に乗ったとしても、森を出るまで体力がもたないと判断されたのだ。休憩中は皆無言だった。喋る元気もなければ、死者の前で談笑なんてできやしない。

 だが、唐突に現れた3つの光が沈黙を破った。

 必然的に視線が集まり、見覚えのあるシルエットに空気が張り詰めた。

 アレンジツインテイルの小さな女の子に、ポニーテイルの蠱惑的(こわくてき)な美少年、長いポニーテイルの小紋の女性。先ほどまで死闘を繰り広げていた人喰いの鬼が揃っていた。ただ、威圧的な雰囲気はなく、落ち着いた雰囲気だ。

「なんだ?鬼の次は彷徨う亡霊にでもなる気か?」

 ジンムの問いに鬼()()()者達が笑う。

『そんなつもりはあらへんよ?見ての通ぉり、鬼として死んだことで()()()()()わぁ』

 烙葉だった者の髪色が向日葵に変化している。

「え!?それって、どういう……意味……?」

『察しが悪い男ね~。あたし達は元は人間なのよ。穢れのせいで鬼化しちゃってたけどね~。言ってしまえば人と鬼のハーフ?鬼人とでも呼ぶべきなのかもね~』

 嗣桜(しおう)だった者の髪色は、インナーカラーだった撫子色だ。

 傍らにいる凛童だった者の髪色は唐紅(からくれない)に変わり、一人そっぽを向いている。

「そんなことはどうでもいい。何故我らの前に姿を現した?」

 ヒカミ総司令……、全然どうでも良い話じゃないんですけど……。

 とは口には出せず、視線で訴えるも見向きもされなかった。

『あて達には興味なしかぁ。まぁ、しゃーなしやね』

 少し寂し気な表情を浮かべる烙葉だったが、言葉を続けた。

『お節介かもやけどねぇ、ザントガルツを襲うことになった元凶はあて達やないんよ』

 ジンムが眉を(ひそ)めた。

「お前達でないのなら、誰だと言うんだ?」

『この世界の(ことわり)の一端を担うもの。黒を司り、元素を調律するもの。その名は、ニグルヴァーパレス』

「おい待て、その名前……そんなこと有りえるのか!?」

 カナタがひどく動揺し始めた。

「黒竜が人を襲う……?」

 アリィは納得がいかないのか、訝し気に烙葉へと視線を送っている。

「だが、筋は通る。緑竜が現れたのにも関わらず、黒が乱れているのに姿を見せなかった。裏で糸を引いていたのが黒竜であるなら納得はいく。理由はなんであれ、黒を司る竜が人に敵対行動を取っていることは由由しき事態だがな」

 ジンムは冷静に分析し、今後の問題点に焦点を移す。

『別に人に敵対してるわけじゃないし~?』

「どういうことだ?」

『黒竜はまだ幼体なのよ。他の竜と比べて成長が遅いみたいで黒の調律ができないみたいなのよね~。だから取引したのよ』

「取引って、お前達、どんな契約を結んだんだ?」

 カナタが問い質す。

『簡単なことよ。あたし達の鬼化を止めてもらったの。代わりにザントガルツの黒い樹があるでしょ?実を成したら奪って黒竜に献上するのよ』

 ザントガルツには、漂う黒の元素を吸収する為に植えられた黒い樹――ロウシィスが存在する。黒の元素を吸い取り、集めた元素を実として排出する特殊な樹である。

「それがザントガルツを襲ってた原因か。なら何故人を喰う必要がある?鬼化を止めてもらったのだろう?」

『鬼化は確かに止めてもらったわ~。でも、すでに鬼と化した身には、肉体を維持するのに人肉が必要だったのよ。誰も好き好んで襲ってたわけじゃないんだからね……』

『人を喰ぅのを我慢したこともあったよ?でもな、飢餓状態に陥ると理性を失うんよ。欲望のままに人を襲ってしまうん。だから、理性が残ってる内に人を喰ぅようにせーへんとあかんかったわけよ』

「人を守る為に人を喰ってたと……?」

 カミルがその真意を問う。

『そうよ。人を喰わざるを得ない苦労なんて理解されないでしょ?だから、あたし達は敵で在り続ける道を選んだのよ。お互いの為に』

「それでもお前達は人を弄び殺していただろう」

 カナタが事実を突きつける。

『それは穢れのせぇや。穢れは精神を変性させるん。穢れの影響が強くなれば鬼としての一面がより強くなるんよ。まぁ、許してくれとは言わん。でも、あて達の本心は知って欲しかったんよ』


 人として生まれ、鬼へと堕とされた者達。その手を血に染めることでしか生きられず、飢餓に陥れば暴れ回ってしまう。それが鬼人達の苦悩だった。

 その鬼人達を利用し、ザントガルツに禍を招く存在、黒竜ニグルヴァーパレス。

 帝元戦争が産み落とした悲劇は、ザントガルツに大きな爪痕を残している。


 徐に烙葉がカミルの方へと視線を送る。

『あんさんが元素の剣の担い手なら、この悲劇を止めたってなぁ』

 烙葉の儚げなその雰囲気に、カミルは頷いた。

「必ず止めてみせるよ。だから、烙葉達はもうゆっくり休んで」

 烙葉は破顔した。

『烙葉やない。あての本当の名前は葉月や』

『あたしは桜華よ。記憶に刻み込みなさい』

 葉月が凛童の頭を小突く。

『で、これが凛貴丸や』

 凛貴丸が葉月の手を払い『誰が名を教えていいと言った』反抗的な態度を取る。

『ふふっ、素直にならんと心残りになるよ?』

 その言葉と共に、葉月の指先が霧散し始めた。

『あら、もうお別れの時間みたいやね』

 気付けば凛貴丸と桜華の身体の末端部分も消えかけていた。

『ほんまにありがとぉな。これで人を喰ぅことも無くなるわ。これで、心置きなく眠れるわぁ』

 葉月が朗らかに笑う。

『うん、あんがとね。……ミスズちゃんに、ごめんねって伝えてくれるかしら?』

 心残りはそこかい。

「伝えておくよ」

 桜華は寂し気に笑った。

『ほら、凛貴丸も』

 葉月に促され、渋々といった感じに『世話になった』最後まで目線も合わせず素直になれない凛貴丸が、何だか年相応の男の子にように思えて心が温かくなった。

 鬼にならなかったら、生意気な子供だったんだろうな……。

 在り得ぬ世界線に想いを馳せる。

 三人は四肢が消え、胴体が消え、そして頭が消えていく。

『ほな、さいなら』

 その言葉を最後に、三人の鬼だった者達が霧散し存在を散らしていく。


 また逢おう。今度は人として、そして仲間として―――。

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