力の波動
魔族によって放たれた闇属性の魔法は、空間を侵食するかのように闇が広がっていく。
言葉を介した魔族に動きを止めてしまった先生、魔族の近くで戦っていた冒険者を巻き込んで一帯を闇で満たした。
幸い学生達のいるところまでは魔法が届くことはなかった。唯一、後方で待機していた鉛色の髪をした治療員の閃族だけが難を逃れている。巻き込まれた先生達と冒険者パーティーが心配だ。初めて見る大規模な黒属性魔法。その効果は全くの未知だ。どんな対処すべきか…、カミルに光属性魔法が使えれば多少なりとも闇を晴らすことができたかもしれない。
ファティも同じ結論に辿り着いたのか、魔力を胸元の宝石へと流し始めている。
掌を突き出し中級光属性魔法ルミアラを放った。
光の壁が展開され、闇に包まれた空間へと突き進んでいく。光と闇がぶつかりお互いの元素が対消滅し始めた。闇属性魔法の規模が大きすぎる為、光が喰い破ったのは一部の闇のみ。先生達を吸い出すに至らない。
辺りを包んでいた闇が霧散し始めた。徐々に消え去る闇の中に人影が見え始める。銀髪の先生一人を残して他の大人達は地に臥せていた。生死はわからないが、状況が絶望的へと変わっているのだけはわかる。
「お前ら、逃げ…ろ」
闇の魔法に耐え抜いた先生は膝を着き、剣を地面に突き刺し身体を支えている。
駆け付けた閃族が回復魔法で治癒しているが、回復したところで魔族を何とかしなければ意味がない。
回復魔法を見た魔族は、再び腕を巨大化させ閃族諸共先生を薙ぎ払う為に腕を動かした。
腕の動きを察知した銀髪の先生は「衝波連影斬」という武技を発動させる。手刀で生み出した衝波斬が飛び出した後、斬撃から影が伸び衝波斬が六つに分裂し魔族に向かって飛んでいく。武技が魔族の胸部に六つの太刀筋を残した瞬間、魔族の腕が先生達を薙ぎ払った。
先生達は宙を舞い数十メートルほど飛ばされ地面へと叩きつけられた。
もう大人で動ける者はいない。
胸部を斬られ苦しむ魔族。傷口から血が流れているみたいだが、動きが鈍る様子はない。
先生は逃げろと言った。でも、この状況でどこへ?
カミルの思考を振り払うような力強い声が耳に届く。
「俺は逃げねーぜ。エアリアルウルフ並みの移動速度なんだ、逃げきれるとは思えない。なら、一矢でも報いたい」
「ゼルの言う通りね。アロシュタットの人間として、最後まで戦ってみせますわ」
いつものは口喧嘩ばかりしてるくせに、こんなときだけ息を合わせるんじゃないよ。
「あの魔族の素材を使えば強力な道具を作れるかもしれませんよ。呪われているかもしれませんがね」
こんな時まで商品魂を燃やすジョアン。声も足も震えてるのがバレバレだっての。
「生き残る努力はすべきだと私も考える」
ポーカーフェイスのシルキーさん。その表情からは何も察することができないが、心は折れていないらしい。
何にせよ、うちのパーティーは心が強い?人間の集まりだったということになるかな。俺の頭には逃げるという選択肢が出てきてたってのに…。この状況で逃げられるわけなんてない。そんな簡単な結論が出せなくなるほど俺は追い詰められてたってことか…。
だが、もう迷いはない。腹は括った。
「俺も逃げる気なんてないよ。基本的な作戦はエアリアルウルフの時と一緒でいいか?」
問いかけが終わる前に、魔族の腕に魔力が流れるのが見えた。
「また例の腕が来るぞ!ファティ、土属性魔法は使えるか!?」
カミルの問いに、ファティは頷き「任せなさい」と力強い返答をくれる。
魔族の腕が巨大化する。
視線から狙われているのが先生だとわかる。身体を傷つけた先生を確実に仕留め切る気だ。
魔族の掌が先生を掴み取ろうと突き出される。
ファティの魔法が地面を隆起させ腕の軌道をずらす。先生よりも魔法の規模が小さい分、軌道を逸らしきれていない。
カミルは魔力を圧縮し宝石へと魔力を流す。
「グラン!」
岩の塊が魔族の手に当たり僅かに軌道を逸らすが焼け石に水。
魔族の指が先生の身体を掠めて横を通り過ぎた。ギリギリのところで軌道を逸らすことができたようだ。
空を切った掌は元の大きさに戻っていく。
「反応速度と移動速度を強化する支援魔法をかけます」
シルキーの支援魔法によりカミルとゼルが柔らかな光に包まれた。
剣を握る手がじわりと汗ばむ。先生や冒険者が叶わなかった相手だ。どんなに強がろうが身体の反応は正直だな。手に力を入れ直すと、ゼルと共に魔族の元へと駆け出した。進めば進むほど魔族の存在感が大きく感じる。物理的な大きさもあるけど、心理的な要因が大きい。近づけば近づくほど死に近づくようなものだから。
光属性魔法は俺もゼルも使えない。武技で距離を取りつつ攻めるか、物理的に斬ることができる距離まで近づく必要がある。俺は迷わず可能な限り距離を詰める方を選んだ。魔力が尽きればそこで昏睡し動けなくなってしまう。魔力を使わず攻めれるならそちらを選んだ方が良い。
ここにきて初めて魔族の動きが変わる。距離を詰め、接近した俺達に向けて拳を突き出してきた。先ほどとは違い、魔力で巨大化させていない通常の拳だ。接近されると巨大化によるデメリットの方が大きくなる。小回りが利き辛く、腕の大きさで視界が遮られる。それを魔族は理解しているのだろう。
カミル達は左右に分かれて飛び退き拳を避ける。大きさが無い分先ほどの攻撃よりは遥かに避けやすい。近づくメリットが一つ増えた。
後方から魔族の顔に向かって光魔法が飛んでくる。おそらくファティによる魔法だと思われる。
魔族は首を左へと傾け光を躱す。
その隙を突いてゼルが仕掛ける。
「纏!斬皇衝波!」
全身を纏で強化し、剣に魔力を纏わせる。武技を重ね魔族の懐深くへと踏み込む。勢いよく魔族の脹脛を目掛け剣が振り下ろれた。皮膚を斬り裂き筋肉へと突き刺さる。纏った魔力が膨れ上がり脹脛の内側から魔力が爆散する。やはり物理的な攻撃なら傷をつけることができるみたいだ。
足が傷ついたことで魔族は片膝を着く形に体勢が崩れていく。体勢が崩れたまま身体を捻るようにしてゼル目掛けて拳を振り抜いた。
咄嗟にゼルは剣の腹で受け流すように拳を滑らせ力を受け流そうとする――が、耐えきれなくなった剣が折れ、拳がゼルの身体を襲う。
「ゼル!」
思わずゼルの名前を叫んだ。
拳が直撃したゼルは後方へと吹き飛び、森の木に背中を打ち付ける。意識を奪われたのか力無く大地に転がった。
呆然としている俺を他所に、大地から岩の鎖が現れ、身体を捻り繰り出された魔族の腕に絡み付いた。
岩の鎖?シルキーさんの足止めか!
絡み付いた鎖は地に引っ張り込むかのように魔族の腕を引っ張る。身体全体が地に臥せるような姿となった。
今なら魔族の足から駆け上がれば背中を取れる!
反射的に動き出していた。
魔族の身体を無理な体勢で縛っている間に、魔族の足から腰、闇を纏う背中へと駆け上がった。
背中の闇に触れた瞬間、足から徐々に力が抜けていくのを感じた。咄嗟に剣を突き立てたことで倒れ込むのを回避する。
力が吸い取られている!?不用意に背中の闇に触れたツケか!?でも、背中を攻撃できる千載一遇のチャンス。ゼルとシルキーさんが生んでくれたこの時間を無駄にはできない!
歯を食いしばり、足に力を込める。剣を弓を引くように突きの姿勢で剣に魔力を集中させる。
「突牙衝!」
魔力を纏った剣による二連突き。二突き目直後に魔力を破裂させることにより相手を吹き飛ばす武技。
魔族の背中は天を向いているため、吹き飛ばしは地面に向かう。
無理な体勢のまま地面に押し込まれる魔族。「グァッ!」という言葉が漏れていた。
決定打にはなり得ていない。魔族が言葉を紡ぐ。
― 燃エ盛ル炎ノ導キヨ 我ガ道ヲ示セ フランツ ―
追撃を恐れたのか魔族の背中を覆うように炎の壁が現れた。
背中にいたカミルは炎の直撃を受け、声を上げながら弾け飛ぶように背中から飛び降り地を転がる。
力の抜けた足では着地が上手くできず、身体で受け止めるしか道はなかった…。体中を駆け巡る痛みで呻く。足元から熱が消えていないことに気づき視線を移した。
「燃えてる!?」
魔族のフランツに触れたパンツの裾に引火していた。
咄嗟に圧縮した魔力を宝石へと流し「スプラ!」と叫び初級水属性魔法を発動。パンツに引火していた炎を消し去った。靴は焦げ、パンツの裾は燃え尽き踝が露わになる。少し爛れた皮膚がヒリヒリと痛みを訴えてくる。
岩の鎖の魔力が尽きたのか、鎖が消え去り魔族が起き上がる。魔族は首を捻り後方を確認した。
再び動きを縛る為にシルキーは岩の鎖を生み出す。
魔族は鎖を視認すると鎖に手を伸ばし、上へと引っ張り上げた。大地から引き千切られた鎖は上空で霧散する。動きを阻害してくるシルキーに狙いを定めたのか、魔族は後衛の方へと駆け出していた。
ドスンッドスンッドスンッドスンッ!
魔族が走る度に重々しい足音が響く。
「シルキーさん逃げろ!」
叫びながら魔族の後を追う。傷の痛みでうまく走ることができない。それでも無理やり足を動かすしかなかった。纏で足の筋力を強化してみたが、支援魔法が切れていることもあって追いつけない。苦し紛れに衝波斬の魔力の斬撃を飛ばす。魔族の移動速度より速い斬撃は背中へと届いた。届きはしたが、意に介さないのか止まる気配はない。
足止めすらできないのか…。焦燥感に駆られ嫌な汗が噴き出してくる。流れる汗が気持ち悪い。ゼルが吹き飛ばされる姿を見ているだけに、シルキーさんが殴り飛ばされる姿が嫌でも頭をちらつく。
ジョアンが鞄に手をやり、中から液体の入った瓶を取り出す。魔族の胴体目掛けて初級風属性魔法エスタで弾き出した。
俺達の一撃一撃では致命傷になりえないのがわかっているのか、魔族は瓶にすら構わず突き進んでくいく。魔族の脇腹付近に当たり、砕けた瓶の中から液体が飛び散った。皮膚の一部が少し溶け、筋肉繊維が少し顔を出した。どうやら中身は酸性の液体だったようだ。
短く「ゥゥ…」という呻き声を上げたがそれだけだった。走る速度には変化が見られない。大きさに差がありすぎて、投げた瓶の用量では、魔族からすれば物が軽くぶつかって肌が傷ついた程度なのかもしれない。
ジョアンもあれでどうにかなるとは思ってはいないだろう。狙いを自分に引き付けたい、そんな想いを感じられる。
ファティは抜け目なく中級光属性魔法ルミアラで傷ついた魔族の脇腹を狙い光の壁を展開してぶつけるように放つ。攻撃範囲の広い壁状にして放ち、着実に魔族の脇腹部分にダメージを与えた。
だが、その勢いを止めるまでには至っていない。
シルキーは魔族が迫ってくる恐怖からか、顔が引きつり足を硬直させて動けないでいる。
不味い…。
成す術が…ない……。
こうなる事は予想できていたはず。
それでも一矢報いようと覚悟をしていたはず。
つもりになっていた、なっていただけだった…。
振りかざされる魔族の拳。容赦なくシルキーさんへと突き出されていく。
その瞬間、ジョアンがシルキーさんを突き飛ばした。
ドンッ!という音と共にジョアンの身体は宙を舞った。
吹き飛んだ身体は地面を跳ね、転がり止まる。
「ジョアン!」「ジョアン!」
ファティと声が重なる。
狙いを外した魔族はシルキーへと追撃をするために身体の向きを変える。
ファティがルミアラを光弾にして魔族の顔に向けて放った。目隠しなのか偶然なのかはわからないが、魔族はひどく嫌がる素振りをしている。その姿を見たファティは連続して光属性魔法を放ち続けた。
カミルには物理的に斬ることしかできることがない。今は魔族の元へたどり着くことだけを考え走る。いくらファティに魔力があろうとも、あれだけ撃ち続けて魔力がもつはずもない。
魔族が膝を落とし身体を沈める。顔を狙っていたルミアラが虚空へと飛んでいった。
魔族の視線が動き、狙いをシルキーから光属性魔法を操るファティへと移す。
「ファティ!逃げろ!」
カミルの叫びとは裏腹にファティは魔族と対峙しルミアラを放ち続ける。
駄目だファティ!そのルミアラだけでは魔族は止まりはしない!
逃げろ!
逃げろ!
逃げろよ!!
魔族の腕に魔力が集まり始める。またあの腕の攻撃が来る…。
駄目だ…。
間に合わない……。
ゼルもやられ、ジョアンもやられた…。
ファティまで…死んでしまう……。
俺達はここで終わりなのか…?
みんな死んでしまう…。
死…死ッ……。
アズ村で両親にアルフ行きを告げた日が頭の中を駆け巡る。
ラナロウは言った「一つだけ約束してくれ、俺達より先に死ぬんじゃない。学園を卒業して村の外で生きていくつもりでも、村に戻って働くにしてもだ。必ず生きて戻ってこい。親より先に命を落とすヤツは不幸者だ。それを忘れるな」と。
両親――ラナロウとアルルの優しい表情がカミルの脳裏に鮮明に甦る。
そうだ、こんなとこで野垂れ死んだら只の親不孝者だ!
まだだ…、諦めない!諦めたくない!!
俺達は生きる!
たとえ手足が千切れようとも、生きて帰ってやる!!
不意にカミルは胸元が熱くなるのを感じた。だが今はそれどころではない。何が起きているのかわからないが、今はファティを助けるのが先決だ。
胸元の勾玉型のペンダントから蒼色の光が溢れ、カミルの身体を覆っていく。
魔族の腕が巨大化し拳を振り翳した。
カミルは走りながら剣を構え、踏み込み、振り抜く。
「衝波斬!いっけぇぇぇえええ!!!!」
放たれた衝波斬は蒼き輝きを纏い魔族へと飛んでいく。
魔族の拳が突き出され、ファティへと迫る。
覚悟を決め、ファティは目を瞑る。
身体を圧し潰すほどの衝撃――はファティに届くことはなかった。
代わりに響くのは魔族の悲鳴。
ファティは反射的に目を開き、目の前で起こっている出来事に釘付けとなった。
巨大な蒼き輝きを放つ斬撃が魔族の腕を丸ごと飲み込み斬撃と腕は霧散した。
身体が重い…、魔力が一気に抜き取られている感覚だ。だが攻撃の手を止めることはできない…。
再び衝波斬を発動させ、残った腕に向けて放たれた。
身体がぐらつく…。腕がビリビリと痺れてきた…。まだだ、まだ倒れることはできない…。
巨大な蒼き衝波斬が魔族に迫り、肩口から脇腹辺りまでの上半身の一部を喰らい霧散する。
響く魔族の悲鳴。
両腕を捥がれた魔族は青黒い血飛沫を撒き散らしながら振り返り、こちらを見据える。
「何ダソノ力ハ!?」
魔族は一瞬で最大の脅威をカミルへと改めた。腕が無くなったことで遠距離からの攻撃は魔法を選ばざるを得ない。即座に詠唱を始める。
― 我ハ闇ニ誘ウ者 闇ノ主ノ真髄ヲ顕現セシ者
捧ゲルハ心ニ闇ヲ抱エシ醜キ魂 喰ライ尽クセ ズフィルード ―
先生達を飲み込んだ巨大な闇属性魔法。カミルとは距離が離れていたため、圧縮された黒き塊となって弾き出された。
ふらつく身体に鞭を打ち、三度、衝波斬を発動させた。
蒼き魔力の斬撃は進むにつれ巨大化し突き進む。衝波斬と闇の塊はぶつかった。
ファティは信じられないものを目の当たりにした。
衝波斬が先生達すら飲み込んだ闇属性魔法を斬り裂いた。本来魔法には魔法をぶつける。これは元素の働きが関係しており、反発する属性の元素がぶつかり合うと対消滅、その他の属性ならぶつかり合い元素を飛び散らせながら霧散する。もちろん、魔法そのものの威力や規模に結果は依存する。属性を持たない武技で魔法を斬り裂くというのは非常識的すぎる出来事だ。武技には元素を取り込んで発動させるものも存在するが、魔法と同じでぶつかり合い霧散するはずである。
二つに分かれた闇の塊は霧散して虚空に消える。
「何ナノダソノ力ハ、何者ナノダオ前ハ!」
驚愕に混乱する魔族。
勢いの衰えない、むしろ進むほど巨大化する衝波斬は、魔族の頭から股にかけてを喰い破り、両足だけを残して消滅。残された両足がドスンッ!と力なく倒れた。
ファティは何が起こったのか理解が追いつかない。シルキー、魔族の足、カミルへと視線をぐるぐると泳がせる。
視界の端でカミルが倒れていくのに気づいたファティは叫ぶ。
「カミル!」
あまりにも酷い惨状に、誰の手当てを優先すべきなのか瞬時に判断できず動けずにいた。
「クレストは我々で診よう。アロシュタットはそちらを任せる」
声がする方に視線をやると、そこには魔族の腕に薙ぎ払われた先生と閃族の二人がボロボロの姿で歩いている。魔族の闇属性魔法と薙ぎ払いを受けても生きていてくれた。ファティはそれだけで涙が込み上げてくる。
シルキーは弾き飛ばされただけだったので身体の一部に打ち身と軽い擦り傷があるのみ、拳をまともに受けた重症であろうジョアンの元へと駆け寄る。
至るところから出血があり、手足が本来曲がってはいけない方へと曲がり、骨が突き破り身体の外へと飛び出していた。思わずファティは顔を背けたくなる衝動に襲われたが踏み留まった。胸の動きを見て呼吸の有無を確認する。辛うじて胸が上下する動きを確認できた。
「先生!ジョアンにはまだ息があります!すぐに回復魔法をお願いします!」
先生は即座に閃族の人に指示を出し、ジョアンの元へと向かわせた。
閃族が来るとファティは速やかに場所を譲り、ジョアンの命運を託した。
「これは……、詠唱を交えながらの方がいいな」
胸元にある白き宝石を握り、反対の手をジョアンの胸部へと翳す。
― 我らを照らす大いなる光の精霊アーフィラスよ
生を迷いし彼の者に 聖なる導きの標を授けたまえ
命の息吹今此処に 清らかなる癒しの抱擁を ミルトース ―
空中に光芒が現れジョアンの身体に白き光が降り注ぐ。ジョアンの身体は光に覆われ見えなくなる。綺羅綺羅と煌めき、光は霧散していった。光から解放されジョアンの姿が見えてきた。
ジョアンについていた傷は消え、骨が飛び出し骨折していた箇所も本来在るべき姿を取り戻した。
「これが回復魔法……」
奇跡に等しい御業にファティは唯々感動する。
治療員の閃族はジョアンが快復したのを確認しファティに告げる。
「彼はもう大丈夫。治るのは傷だけだから、体力が戻るまで暫く眠らせると良い」
言うだけ言うと先生の元へと帰って行く。ファティは「ありがとうございました」と深々と頭を下げ感謝を示す。遠巻きに見ていたシルキーも同じように感謝の言葉を述べ深々と頭を下げている。
「ジョアン君ありがとう」
聞こえてはいないだろうが、シルキーは感謝の言葉を贈らざるを得ない感情でいっぱいだった。
「シルキーさんは回復薬になっちゃうけど、これで我慢してくださいね」
ファティは手持ちの回復薬を手渡す。回復効果は大きいが遅行性の回復薬、安全が確保されている時用に準備していたものだ。シルキーは回復薬を受け取ると「ありがとう」と口にすると回復薬を煽った。
「火傷が多少あるが他に目立った外傷は無いみたいだな」
銀髪のポニーテイルの先生――エルンスト・ハーバーは一先ず安堵した。倒れたのは大方魔力切れによる昏睡といったところだろう。
先ほどの戦闘は危なかった。闇属性魔法で蝕まれたエルンストは、治療員の閃族――キョウ・シンジョウの回復魔法で治療された瞬間、魔族の巨大化した腕によって薙ぎ払われた。回復より先に攻撃を受けていたなら絶命していた可能性が高い。
上級闇属性魔法ズフィールドは回復を阻害する性質がある。エルンストが未だに回復しきっていないのはそのためだ。
そんなことよりも問題はカミルの方だ。
エルンストは魔族が倒される瞬間を目撃していた。蒼色のオーラに包まれたカミル。彼が放った異様な衝波斬。入学して以来、周りとは違う纏を発動させたり、高い威力の魔法を使っていたが、今日の蒼色のオーラに比べれば取るに足らないものだ。
あれが一体何なのか、一度学園を通じて帝国に報告を入れた方がいいかもしれない。
それだけではない。人の言葉を介す魔族の存在もだ。帝国の領内で人の言葉を介す魔族の存在など今までにはいなかった。公にされていないだけかも知れないが、合わせて報告するとしよう。
報告内容を考えているとキョウが戻ってきた。
「どうだ、イスタールは無事か?」
「生きていれば何とかなるさ」
軽い口調で返すキョウの顔にも疲れがあった。自分自身も魔族の攻撃を受けたのだから当然である。
「感謝する」
「これが俺の仕事だ。気にする必要はないよ」
イスタールの無事も確認できた。あとあのチームで戦っていたのは、クラーク。こちら側にいないとすれば、我々が最初に魔族と遭遇した場所だろう。
「キョウ、悪いがもう一仕事だ。森の入口まで生徒を確認しに向かう」
砕けた大地が戦闘の激しさを物語っていた。地面に凹凸が生まれていて歩きにくい。
最初に魔族が現れた森の入り口付近に到着すると、森の入口の木の下にクラークは倒れていた。木に激しく打ち付け倒れたらしく木にはその痕跡が見受けられる。まずは生死の確認。首筋の脈で確かめる。
ドクンッ…。ドクンッ…。ゆっくりだが脈はある。
「キョウ、任せた」
「おう、任された」
宝石に魔力を流すと、中級回復魔法ミナギを発動させた。ゼルの身体は光に包まれ傷を徐々に治していく。ミナギは致命傷以外の傷なら治し切る魔法。ジョアンにかけられたのは上級回復魔法はミルトース。死んでいなければ傷を治し切る奇跡の魔法。
「エルンストはこいつらのパーティーに感謝せないかんよ?犠牲を最小限に抑えてくれた優秀なパーティーなわけやし」
エルンスト含め教師陣は瓦解。冒険者パーティーに至っては……。
視線を倒れた人間――だった者を一瞥すると首を振る。
全滅してしまっている。上級闇属性魔法ズフィルードは魔力の圧力で対象を攻撃し、体力を奪い、回復を阻害させる。魔力の圧力に耐えきれず肉と骨は潰れ、圧に押されたのか裂けた腹部からは腸が飛び出していた。
それほどまでに凶悪な魔族であったにも関わらず、クラーク達のチームは魔族を倒し切ってしまっている。
「エルンストも魔力回路が昔のままだったらな…」
昔のままだったなら救えた可能性はあっただろう。でもそれは既に過去の話。
「昔の話だ。今やれなければ語っても仕方あるまい」
エルンストはクラークを抱えると生徒の下へと歩き出す。
今はアルフへの帰還を最優先に考えないといけない。負傷した生徒と教師、亡くなってしまった冒険者の遺体の回収。授業の終わりの時間になれば馬車は来る。それまでに帰る準備に追われそうだ。
「俺はまだ回路の回復諦めてへんよ?」
後ろからキョウの戯言が聞こえたが、聞こえなかったフリをした。
クラークを抱えて戻ると、アロシュタットとウェイルズはまた深々と頭を下げてきた。生徒を守るのは教師の、大人の役割だろう。俺達は生徒に各チームごとに点呼を取らせ報告させる。クラークのとこのチーム以外は指示に従い避難していたようで生徒達に死亡者はいない。それだけがこの惨状に対する救いだ。
暫くすると、帰還のための馬車一行が到着した。馬車に乗り込み、アルフへの帰路につく。
帰ってからやることが多そうだ。ゆっくりと流れる景色を見てエルンストはため息をついた。