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ep.82 エジカロス大森林南部鬼掃討作戦3

― エジカロス大森林南部 南西方 ―


 生い茂る森。木々の隙間から木漏れ日が森の中を照らし、暖かで静かな空間が広がっている。鳥のさえずりが聞こえ、森の散策をするにはまたとない日であった。

 森の中、女性を背負い歩く男性の姿――皇国の男性兵士と嗣桜(しおう)である。

 地面に転がる枝を踏み割る音を響かせ、一歩、また一歩と森の外、要塞都市ザントガルツを目指している。嗣桜を背負いながら森を歩くのは体力を必要とする。男性は僅かに汗を浮かび上がらせ「辛くないですか?」嗣桜に気を遣っていた。

「大丈夫よ。お兄さんこそ大丈夫?汗がじわじわと出てきてるけど……」

「これくらい大丈夫なんですけど――一度降りていただけますか?汗を一旦拭いちゃいます」

 男性は嗣桜に汗が付いてしまうのではないかと気遣った。

「気を遣わなくて大丈夫よ。私の為に頑張ってくれてるんですもの」

 嗣桜の唇が男性の頬へそっと触れた。

 嗣桜ははにかみ言葉を送る。

「ありがとう兵隊さん」

 男性は頬を僅かに紅潮させ、吹き出る汗の量が増す。

「―――それではこのままザントガルツまで向かわせていただきますね」

 嗣桜を降ろすことなく男性は歩き続けた。

 人間の娘を演じる嗣桜は興に入り口付けまでしてしまったことを悔いていた。唇に触れた汗から塩味を感じ取り、途端に気持ち悪くなったのだ。

 ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙~~~~ッ、最悪……。調子に乗って口付けまでするんじゃなかった……。ぅ゙ぅ゙っ!?

 胸から込み上げてくる何かを感じ取り、息を止め必死に収まるの待っている。

 悔悟(かいご)する嗣桜とは対象的に、男性の方は明らかに高揚している。嗣桜の見た目は10代後半の整った顔立ちだ。年頃の娘と密着状態であり、更には頬に口付けまでされているのだ。意識するなという方が無理である。時折、視線だけを嗣桜に向け表情を確認しており、気があるのは確かだろう。男性はザンドガルツまでの最短ルートから外れ、細やかな時間を楽しもうとしていた。

 背中にいるのが人喰いの鬼とは知らないままに。


 日が高くなり、もうじき正午を迎えようとしていた。

 ザントガルツに近づくに従って、森の中に甘い香りが漂い始めている。

 男性は眉間に皺を寄せ、最短ルートを選ばなかったことを後悔した。

「何か、甘い香りがしませんか?」

 背中の嗣桜の声にさえ、男性はビクつき始めている。鬼の報告情報にあった甘い香りという言葉、その言葉が男性に焦りを生む。

「……どうやら近くに鬼がいるようです。走りますから、しっかり掴まってください」

 森を歩き始めてすでに4時間近く経っている。休憩を取りながらとはいえ、今からでも走れば鬼に遭遇することなく森を突破できるのでは?という思いからだ。歩いた距離を考えれば、数十分走り続ければ森の出口は見えるはず。そう自分に言い聞かせ駆け出した。


 揺れる背中に合わせ、嗣桜の身体が上下に跳ねる。

 嗣桜は徐々に鬼の力を取り戻し始めている。毛先は撫子色から黒色へと変化し、爪や牙も伸び始めた。それに伴い、嗣桜が甘い香りを放ち始めたのだ。

 時間的にそろそろだとは思ってたのよね~。主力は深部に向かってるはずだし~、そろそろ私も()()を楽しもうかしら~♪

 遥か視線の先が光で溢れた。森の出口が見え、彼の任務も終わりの(とき)が近づいている。

 男性の顔までもがぱっと明るくなった。

「出口が見えましたよ。もう大丈夫です。私達は助かったんで―――」

 言葉は途切れ、何が起きたかわからないまま男性は地面へと正面から倒れ込んでいく。

 嗣桜が鋭い牙で男性の首に噛みつき、力任せに首の肉を引き千切ったのだ。

 首の動脈を噛み千切ったのか、一気に辺りを血の色に染めていく。

「ぁ゙ぁ゙…ぁ゙ぁ゙……」

 倒れ込んだ男性は痙攣を引き起こし、寒さに震えている。

 ガサッ、ガサッ。

 嗣桜が近づくに連れ影が伸びる。

 口から血を滴らせ、咀嚼を繰り返す。自慢の珊瑚珠(さんごしゅ)色の小紋は血に染まり、赤黒く変色している。

 鬼の力を完全に取り戻した嗣桜の姿は黒髪に戻り、鋭い爪と牙が存在を主張する。

 周囲にバニラの甘い香りを撒き散らし、風がそっと森の中へと運んでいく。

 身体を震わせる男性を見下ろし、嫣然(えんぜん)と微笑んだ。

「ここまで運んでくれてありがとうね~」

 甘い香りに惑わされ、男性はおずおずと背後の嗣桜へと顔を向け戦慄する。

「貴方は紳士的に接してくれたから~、ちょっとだけ情が移っちゃったみたいね~」

 嗣桜が歩み寄る。膝を折り男性の傍らに腰を下ろすと、男性の顔を見つめた。

 そっと男性の手首を掴むと、震える掌を自分の胸へと押し付けた。

 女性の胸に手が押し付けられたにも関わらず、男性の意識はそこに向かわない。鬼のものとは思えない妖しい笑みに、ただ震えるのみだ。

「最後くらい良い思いさせてあげようかしら~?」

 襟元をすっと肩へとずらしていく。わずかに浮き出る鎖骨の陰影ときめ細かな肌が見え始めた。

 知能が高い鬼は人を弄ぶ。そう言われ続けてきた男性の脳裏にはその言葉しかよぎらない。どんな仕打ちをされるのか、恐怖が心を支配している。

「ぅ、うわぁぁぁぁああ!!!!!!」

 絶叫をあげ藻掻くも、嗣桜に掴まれた手首はびくともしない。

 嫌がる素振りを見せた男性に、嗣桜は顔に青筋を立たせ激高する。

「ぁ゙ぁ゙ん!?こんな良い女に誘惑されて断んのかッ!?お前なんぞがどう足掻いても手が届かない相手だぞッ!!巫山戯(ふざけ)んなッ!!」

 勝手に誘って来ておいて、勝手にキレられたのだ。理不尽にもほどがある。

 掴んだ手首を力任せに上へと引っ張り上げ、浮き上がった男性を地面へと叩きつけた。何度も、何度も、気が収まるまで地面を叩く。叩きつけられるほど男性の身体は傷付き、手足がありえない方向へと曲がる。噛み千切られた首から折れ、男性の頭は彼方へと飛んでいった。

 嗣桜が落ち着いたころには、掴んだ手首から肘にかけてしか残っておらず、男性の身体も飛ばされてしまっていた。周囲に落ちていないところを見ると、どこかに飛ばされ木の枝にでも引っ掛かっているのだろう。

 はぁ……。せっかく人間を食べられる機会だったのに~、興ざめよ……。

 握られた男性の腕を後ろへと投げ捨て、着物の乱れを直して立ち上がる。

 甘い香りが森へと広がった以上、皇国軍は必ず嗣桜の下へとやってくる。

 無駄に数は多いからね~、間引かせてもらうわよ~。

 嗣桜は森の南方を目指して歩いていく。



― エジカロス大森林南部 南中部方―


 リアはいち早く嗣桜が移動していることを察知する。

「香りが南に向かって移動してるわ。進路を変えるわよ」

「「了解」」

 西を目指していたアリィ隊は、嗣桜を追い南へと進路を変えた。

 私達と正面からぶつからず、なぜ森の中を移動しているのか。そんなの、同士討ちを狙ってるとしか思えない。これだけの人数が動いているのだから、鬼側が感づいていても不思議じゃないわね。

 馬を走らせれど、鬼との遭遇はない。すでに別の隊がこの一帯を駆逐し終わっている可能性が高かった。

 ここから更に東寄りに移動した方が良さそうね。

「少し進路を東寄りにするわよ。着いて来て」

 嗣桜の思考を読み、追いかけているであろう部隊の進行方向を目指すほか、嗣桜と接触できる機会に恵まれない。自分の考えを信じ、駆け抜けていく。



― エジカロス大森林南部 南東方 ―


 そこは、甘い香りと鉄の臭いに支配されていた。

「この鬼がッ!!調子乗るんじゃねぇ!!」「みんな、どこ行ったのよ!!一人にしないでッ!!」「無理!!これは無理だってぇぇ!!」「いやぁぁぁぁッ!?」「次の獲物はどいつだぁぁ!!」

 皇国軍同士が同士討ちをしている真っ最中だった。

 嗣桜は、木の上で優雅に鉄扇を扇ぎ戦場を見渡していた。

 ふふっ。これで4部隊目~♪士官級じゃないと味気ないわね~。

 最後の皇国兵が倒れ、部隊がまたひとつ壊滅した。

 嗣桜は自らの手を汚すことなく4部隊、4000名もの皇国兵の命を散らしている。これが嗣桜の強みである。鬼としての肉体よりも、持ち合わせる異能が猛威を振るう。

 次の部隊の殲滅へと向かおうと地上に降りると、遠くから大量の足音がこちらに向かって来ていることに気が付いた。

「あら~、またお客さんかしらね~」

 逃げも隠れもせず、嗣桜は次の部隊と対峙する。

「あら?ふふっ、因果なものね~。次の相手が貴方達なんて~」

 現れた部隊はククレスト・モースターが率いた部隊だった。

 ククレストが嗣桜の姿を認識する。その途端、険しい表情へと変わった。

「やっぱりお前が嗣桜だったのか!!」

 拳を握り締め、悔しそうにプルプルと拳を震わせている。

「恨むんなら~、自分の爪の甘さを恨むのよ~?あんたの浅はかな選択が、あの男性兵の命を奪ったんですもの~。詫びて同じとこ行きなッ!!」

 鉄扇が振るわれ、瘴気と混ざり黒き風が駆け抜ける。

「全軍離れろッ!!近寄れば()()()()()()()!!遠距離からの攻撃に専念しろ!!」

 吹き荒れる黒き風を飛び退き回避する。起き上がり各色の魔法を放ちながら、後ろ歩きで後方へと移動していく。

 ふふっ。ちゃんと情報は伝わってるみたいね~。好都合だわ。

 飛び交う魔法をバックステップの連続で回避していき、鉄扇で黒き風を巻き起こす。黒き風が地面を抉り、立ち昇る土煙が嗣桜の姿を隠した。

 これでは的を絞れない。魔法の弾幕を張ったところで魔力の無駄に繋がってしまう。

 だが、ククレストの色褪せた()()が嗣桜の動きを捉えていた。

「照準を左方45度に修正!!全軍、撃てぇぇぇ!!」

 土煙の中、嗣桜の姿は見えずとも、魔法による弾幕が張られていく。



 ちょっと!?ちょっと!?何であたしの場所がわかるのよッ!!

 土煙に乗じて移動するも、動きを簡単に察知されている。木を壁にしているが、いつまでも木がもつはずもない。

 更に黒き風を地面にぶつけ、土煙で視界を塞ぐ。

 その隙に嗣桜は駆ける。ククレスト隊の側面を叩ける位置へと素早く移動すると木の陰へと身を隠す。

「左方45度に修正!!撃ちまくれぇぇぇ!!」

「ちっ!?」

 魔法が到達する直前、嗣桜は真上へと跳躍した。木の頭頂、そこにつま先立ちで舞い降りる。

「上空60度に修正!!そのまま撃ちまくれ!!」

 嗣桜の動きに対して、ククレストは的確に指示を出し続ける。土煙で目視での確認は機能せず、元素を辿ろうにも使われている魔法は風。周囲に緑の元素が満ち過ぎていて、その痕跡すら追えない状況だ。

 何なのよッ!!あのキツネ顔はッ!!

 悪態をつき木々を飛び移り距離を取る。

 でも~、それもここまでよ~。

 嗣桜に妖しい笑みが浮かぶ。



 まともに狙えない以上、致命傷にはならんか。

 ククレストは()()で嗣桜の姿を追う。

 ククレストの色褪せた左目は失明している。生まれてすぐに左目の光は閉ざされたのだ。障害を抱えながらも、モースター家の長男として努力を続けてきた。失われた左目の光以上に役立てる術を求め、左目に理外(りがい)の力『真眼(しんがん)』を宿すことに成功している。その効果は、生者の身体を巡る生命力を直視できるというもの。効果範囲はおよそ500m。天候や地形に阻まれることなく知覚できるという特性を持つ。

「攻撃中止!!前衛隊は嗣桜を警戒!!後衛隊は回復薬で魔力を回復せよ!!」

 さあ、どう出る?嗣桜は積極的に攻撃してこない。幻覚を視せる隙を窺ってる節があるが。

 ドォンッ!!突如として地が揺れ黄の元素が牙を剥く。

「なんだ!?」

 振り返ればそこは地獄絵図だった。先ほどまで行動を共にした兵士は誰一人おらず、代わりに在るのは武装した鬼の群れ。今の揺れは鬼に対して兵士の誰かが魔法を放ったのだとククレストは理解した。

「そんな馬鹿なッ!?嗣桜から距離を取っているんだぞ!?幻覚を視せられるはずは―――」

 そこでミスズ・サエキ副兵士長の報告を思い出した。

 彼女の報告では、距離が離れていても幻覚を視せられたとあったな……。

 自分が置かれた状況を瞬時に理解し、目の前の鬼の群れが部下であることを認識した。

 だが、判別ができん……。

 仮にここに本当の鬼が紛れこんでいたとしたら、兵士なのか鬼なのか、どうやって判別するべきか。

「これは幻覚だ!!目の前の鬼は同僚かも知れん!!無暗に手を出さず、攻撃された時のみ反撃しろ!!」

 曖昧な指示しか出せず、奥歯を強く噛みしめた。

 ククレストは瞬時に思考を切り替える。

 幻覚を見せられたのなら、最早距離を稼ぐ必要はない!!

駿動走駆(しゅんどうそうく)

 脚に風を纏い、離れた位置に視える嗣桜目掛けて駆けて行く。4本の岩の槍を生み出し、木の上にいる嗣桜に向けて射出する。だが、嗣桜は跳び上がり中空で一回転しながら岩の槍を躱し地上に舞い降りる。

「たった一人であたしの相手ができると思ってるわけ~?」

 ククレストは足を止めず嗣桜に迫る。

「一人だからこそ同士討ちを避けられるのだよ」

 刃を頭上に振り上げ、長さを活かした上段から嗣桜の頭頂目掛けて振り下ろした。

 嗣桜は避けることもせず、あっさりと頭が真っ二つに割られていく。手には頭蓋とぶつかり合った衝撃が残り、血飛沫がククレストを穢していく。

 あまりにもあっさりとした展開を訝しみ、辺りを注視する。

「やっ――てないッ!?」

 確かに嗣桜の頭を叩き斬った。その感触も斬られた嗣桜の身体も目の前にある。だが、ククレストは確信している。目の前の嗣桜は()()であると。

 彼の真眼(しんがん)は、嗣桜が右手側に移動している姿を捉えている。捻じ曲げられた現実を見る右目と、真実を視る左目。2体の嗣桜の姿を把握し、右横へと薙刀を払い「衝波斬(しょうはざん)」魔力の斬撃を嗣桜へと飛ばす。

 嗣桜は移動しながらも鉄扇を振るい黒き風で衝波斬(しょうはざん)を相殺した。

 ククレストは確信する。この真眼(しんがん)は嗣桜の異能の天敵であると。どんなに現実を捻じ曲げようと、左目が看破する。

「逃げてばかりでは退屈ですよ?正面からかかって来たらどうです」

 嗣桜を煽りながら後を追う。

「ああぁんッ!!もうッ!!鬱陶しぃ!!」

 嗣桜は反転し鉄扇を閉じ穢れを流し込む。鉄扇の先に黒い刃を生み出しククレストへと斬りかかる。

 黒い刃を薙刀の刀身で受け、そして地面へと流していく。

 やはりこの鬼は武器を使った斬り合い、殴り合いは未熟ッ!!

 刀身が押される力を利用して、半回転させ石突を嗣桜の脇腹に叩きつけた。

「ぐぁ゙……」

 潰れたカエルのような声だし、嗣桜の動きが固まる。その隙を見逃さず、上級光属性魔法ルストローアで嗣桜を包み込み、更に逆方向に半回転させた薙刀の刃を腕へと叩きつけ吹き飛ばした。

 地面を転がり、嗣桜はうつ伏せの状態で倒れ込む。



 嗣桜は両手を着き上半身を起こした。

 このクソギツネ……、あたしの力が効いてない……?

 顔を上げれば、すでにククレストの薙刀が眼前に迫っていた。横に転がり、刃が地面を叩く。綺麗だった小紋はすでにズタボロに成り果て、華やかな雰囲気など一切感じさせていない。両袖は千切れ二の腕が露出し、裾の一部が破れ膝が顔を覗かせている。

 苦し紛れに鉄扇を開き、黒き風を生み出した。

 薙刀を叩きつけた直後のククレストに直撃し、破滅を呼ぶ風は鎧を斬り裂き肉体に無数の斬り傷を生み出した。

 ククレストの動きが止まり、即座に嗣桜は後方へ跳躍。距離を取り仕切り直しを図る。

 ちくしょーッ!!ちくしょーッ!!ちくしょーッ!!このクソギツネは絶対ぶっ殺す!!

 強固な皮膚が斬り傷を最低限に抑えはするが、打撃系の衝撃は身体の内側にダメージが通る。近接戦闘は、嗣桜が最も苦手とする部類の戦闘スタイルであった。

「見てみなよ。あんたがあたしとの戦闘にかまけている内に、お仲間は全滅しちゃったわよ~?」

 ククレストが反射的に部下たちが居たであろう場所へと視線を送る。ククレストの左目には――何も映らなかった。

「………馬鹿な。俺は指示を出したはずだ……」

 幻覚を見せられ鬼の姿に映ろうとも、生者であれば左目で捉えることができる。だが今、左目の先に生者はいない。ククレスト隊は、隊長だけを残して全滅している。

「あははははっ、そんなの私が攻撃しちゃえばいいだけじゃないの~。火を投げ入れれば勝手に燃え上がるわ~」

 ククレストの意識が逸れている間に嗣桜は動く。穢れを凝縮し左手へと注ぎ込む。1.5倍ほど肥大化し黒ずんだ左手を握り締め、無防備となったククレストの背後から後頭部目掛けて腕を振り抜いた。

 その瞬間――雷鳴が轟いた。



「居たわ」

 リアの言葉に、アリィ隊は馬を止め被害が出ない離れた位置に置いていく。

「手筈通り、一撃離脱を繰り返します。ルミは最大射程を維持して、自分の判断で行動してください」

 頷き合い、ルミが支援魔法ムーバルで皆の移動速度を強化した。


― 浩々たる(あま)翔ける刹那の輝きよ

    破滅の音を轟かせ 裁きの力を我が手に フィルザード ―


 一撃の威力と機動力の確保の為に、リアは青緑色の(いかずち)を纏う。

「では、参ります。ここで嗣桜を討ち取りましょう!!」

 ルミを除く三人が駆け出した。

 嗣桜と誰かが戦っている?あれは、アリィと一緒にいたククレスト…?とかいう兵士だったかしら。

 薙刀と鉄扇による黒き風の攻防を経て、ククレストが呆然と固まってしまっている。

「ククレスト!!」

 アリィが手を伸ばし叫ぶも、その声は届かない。

「ちぃッ!!」

 (いかずち)を脚へと収束し、弾けるようにリアは飛び出す。

 フィルザードとムーバルの力を借り、一息の間に嗣桜へと迫る。

 ククレストへと突き出された左腕目掛けて、(いかずち)を纏う剣を振るう。

 バチバチバチ。火花を散らす剣が嗣桜の左肘辺りの腕へと触れる。その瞬間、ドォオンッ!!!!低く唸るような音を立て、嗣桜の左腕が切断され宙を舞った。

 勢いづいているリアは、そのまま森の奥へと通過し離れた位置でようやく停止する。



 轟く雷鳴と共に、嗣桜は自分の左腕が切断されていくのを目の当たりにした。それと同時に(いかずち)が身体を駆け抜けていく。

「ぎゃぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ッ!!!!!!」

 嗣桜は身体をビクビクと痙攣させ、ふらつき地面へと倒れ込む。

 目の端に映る皇国軍の姿を見つけ、嗣桜はすぐさま異能を発動させる。

 迫り来る皇国兵――アリィ、ミスズ両名は、急に左方向へと進路を変えていく。

「逃げたわ。追うわよ」

「はい、必ずここで終わらせます!!」

 彼女らは嗣桜が逃げる姿を見せられていた。それに釣られて進路を変えてしまったのだ。

 ミスズちゃん……?なんであの子がここに……。

 身体を起こしながら、遠くへ駆けて行くミスズの姿を見送った。

 今はそれどころじゃないわ。まずはこのクソギツネを何とかしないと。

「立て!!ククレスト!!()()の嗣桜を倒しなさい!!」

 森の奥からリアの叫び声が響いた。

 ビクっと肩を跳ねさせ、ククレストは我に返る。薙刀を短く持ち、振り返りながら刃を突き出した。

 ククレストの頭を踏みつけ宙返りし、鉄扇で黒き風を叩きこむ。

「うぁぁッ!?」

 黒き風が身体を引き裂いていく。2度目の直撃に、ククレストの身体は満身創痍となる。

「くたばれクソギツネ!!」

 倒れ込むククレストに鉄扇を振り上げ――飛んできた雷弾に飛び退くしかなかった。

「ちぃ!?」

 雷弾が数発追いかけ嗣桜を引き剥がすと、リアはククレストの下へと駆け寄った。

 リアの行動に嗣桜は理解が追いつかなかった。

 なんでよ……。なんであのエルフにあたしの力が通じないのよッ!!夢じゃなく、現実のあたしを狙えるなんておかしいじゃないッ!!

 援軍として駆けつけたアリィ隊にもすでに嗣桜の異能は発動させている。アリィ、ミスズは異能の影響で在らぬ方へと向かって行った。にも関わらず、リアには異能の影響を受けている様子が見られない。

 前戦った時は効いてたはずなのに…、この短期間で何があったのよ……。



「あんた、大丈夫?動ける?」

 ククレストの下へ駆け寄ったリアは、嗣桜から視線を外さずに問いかけた。

「な、何とかね。手間をかける」

「死なれたら後味悪いからね。そこで大人しく―――」

 言葉を切り、ククレストを思い切り右へと蹴り飛ばす。その後すぐにリアも左へと飛び退いた。

 その直後、二人が居た場所に黒き風が吹き荒れ大地を削った。

 ククレストは大地を転がり、離れた位置で仰向けで止まる。リアの纏った(いかずち)と蹴られた衝撃でククレストの意識は狩り取られている。

「お仲間を蹴り飛ばすなんて~、あんたも大概暴力女ね~」

「鬼の馬鹿力には及ばないと私は思うわよ?」

「こんなに可憐な乙女はなかなかいないと思うけど~?」

 リアの視線が破れた小紋に注がれる。

「そんなはしたない恰好しておいて良く言えたものね?」

 嗣桜が自分の姿を確認すると、リアへと視線を戻す。

「これはそこの暴漢に襲われたからよ~でも、どう?」

 鉄扇で口元を覆いポージングを取る。

「こんな格好でも色気が溢れてるでしょ~?」

 ふっ。リアは鼻で笑った。

「あんた馬鹿?和服ってのはね、肌が露出すればするほど下品に映るのよ。だから今のあんたはただの()()よ、()()

 嗣桜は青筋を立て喚く。

「だから、あんたんとこの暴漢にやられたって言ってんでしょうがッ!!脳みそ入ってねーのかよッ!!」

 リアは驚いた。あまりの煽りに対する耐性の無さに。

 嗣桜を倒すのは意外と簡単かもしれない。あれだけ怒りやすい性格をしてるなら、煽れば煽るだけ頭に血が上る。そうなれば単純な行動しかしなくなりそうね。



 キョロキョロと辺りを見渡し、周囲を確認する。

 アリィは嗣桜の幻影を見失っていた。嗣桜の身体が霧散するように突如として消えたのだ。

「サエキ副兵士長、嗣桜がどこに行ったかわかるかしら?」

「いえ……、まるで消えるようにいなくなったもので……」

「そう……」

 見失った以上、逸れたリア、ルミと合流を急ぐべきだわ。

「戻りましょう。逸れた状態で居続けるのは危険だわ」

「はい!!」

 身体の向きを変え、来た道を駆け出した。その途中、横たわるククレストの姿が見えてきた。

「ククレスト!!」

 駆け寄りながら、その奥から会話が聞こえて来る。リアの声だ。

 良かった、無事でいてくれた。

 アリィはほっとするも、会話している相手が誰なのか確認する。

 嗣桜だ。消えたと思ったら、もうこっちに戻って来てたのね。

「嗣桜――んぐっ!?」

 叫びかけたミスズの口を咄嗟に塞ぎ、静かにするようにジェスチャーで伝え小声で語りかけた。

(嗣桜はまだ私達に気付いていないわ。白の力で奇襲しましょう。サエキ副兵士長、ルストローアは使える?)

(はい、ですが――ルノアールの方が宜しいのでは?)

 アリィは首を横に振る。

(だめよ。ここは森の中、ルノアールの光が降り注ぎにくい場所なのよ。ルストローアで確実に、着実に狙うべきだわ)

 光の極致魔法ルノアールは上空に浄化の力を宿す輝く光の玉を生み出す魔法だ。降り注ぐ光によって、一定範囲にいる魔性の者を浄化する。対して上級光属性魔法ルストローアは、規模は小さいながら浄化の力を宿す光の玉を操れる。光弾として飛ばすことも可能な為、取り回しの面ではルストローアに軍配が上がる。

(今見えてる嗣桜が幻覚の可能性もあるから、取り回しの利くルストローアを放ちましょう)

 ミスズは頷き、宝石に魔力を集中させていく。

(ま、待ってください……)

 倒れているククレストから声が聞こえ、ミスズはすぐに集めた魔力を回復魔法に使い始めた。

 ククレストの身体が淡く光り、傷口が徐々に塞がっていく。

(私の()()は嗣桜の本体を追い続けることができていました。今あの場にいる嗣桜は本物です。リアは何故だかわかりませんが、嗣桜の幻覚が効いていない状態です。リアの指示に、動きを見ていれば惑わされても戦えるはず……)

 アリィとミスズは顔を合わせる。

(すみません、私は戦力になれそうにありません。隊長、あとはお任せします)

 アリィは頷く。

(安心して。嗣桜は私達が討ち取るから)

 二人は立ち上がり、宝石に魔力を流し始めた。

「行くわよ、サエキ副兵士長。ここで終わらせましょう」

「はい!」

 剣を抜き、嗣桜を指し示すと、剣先に光が溢れ嗣桜目掛けて飛んでいった。



 嗣桜は気づいていた。2つの光弾が狙っていたことを。

 放たれた光弾を合図に嗣桜がリアへと駆け出した。光弾を避け、リアとの距離を詰める。鉄扇は開かれたまま動きを見せない。もっと間合いを詰めてから放たれるのだろう。

 突っ込んで来る嗣桜に向かって、リアは雷弾をまっすぐ射出する。

 嗣桜は跳躍し、中空を一回転しながら鉄扇を振るう。風が穢れを纏い、黒き風が頭上から吹きつけた。

 フィルザードを纏うリアの前では、嗣桜の黒き風は遅すぎる。バックステップで後方へ飛び退くと、落下してくる嗣桜に左足のハイキックが炸裂した。当然、蹴り飛ばす方向も計算されている。飛んだその先に、アリィとミスズがいるのだ。

「くそがッ!!」

 身体を捻り、無理やり鉄扇を振ると黒き風が巻き起こる。その反動で失速させると着地を決める。

 そこに無数の矢の雨が降り注いだ。

 咄嗟に鉄扇を頭上に広げ、矢を受け止める。

 ゴォン!!ゴォン!!降り注ぐ矢の一本一本が有りえない強度を誇っていた。地面を叩き割り、完全に嗣桜の動きを縫い留める。

 なんなのよッこの矢は……。

 受け止める度に嗣桜の身体が沈んでいく。矢の一本が嗣桜の左足小指を撃ち抜いた。

「ぎゃぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ッ!!!!」

 痛みのあまり、嗣桜は膝を折る。

「総攻撃開始!!」

 アリィの号令で、光弾、雷弾、光を宿す矢が嗣桜を襲った。

 周囲に土埃が立ち込め――森の奥へと駆ける影が現れる。

 その姿は最早敗残者であった。髪は乱れ、片耳が削ぎ落ち、左腕を失っている。小紋は破れ血に染まり、足の指を失った為か、走る姿も不自然だ。

 それでも嗣桜は生きている。醜態を晒しながらも森の奥、深部を目指して駆けて行く。

 死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくないのよぉぉぉぉぉぉ!?

 大地を踏みしめ、上空へ、木の頂点目指して跳び上がり、死力を尽くして木々を飛び移っていく。



「逃がすものかッ!!」

 リアがフィルザードの力を脚に注ぎ込むと「待ちなさい!!」隊長であるアリィの声で呼び止められた。

 アリィを見つめ訴える。

「なぜ!?今なら確実に仕留められる!!行くべきでしょ!!」

「障害物を避ける必要のない木の上と森の中では進む速度が違いすぎるのよ」

 アリィは「ククレストをお願いね」回復魔法の扱えるミスズに託すと、置いてきた馬の下へと戻り始めた。

「本当に討つつもりがあるのなら、体力も魔力も無駄にしたらダメなのよ」

 リアは後ろ髪を引かれる思いで馬の下へと移動を始める。



― エジカロス大森林南部 西方 ―


 目覚めたアランジ・ワナディスは周囲を見渡し絶望していた。

 血の臭いと死臭を漂わせ、身体を損壊させた部下達が横たわっていたのだ。生存者の姿は――見つけられなかった。

「うそだ……、うそだ、うそだ、うそだ、うそだぁぁぁぁぁッ!!!!!!」

 膝から崩れ、へたり込む。

 また……、俺だけ、生き残ったのか……。

 アランジは部隊が壊滅するのはこれで二度目である。一度目はザントガルツに凛童(りんどう)が襲撃した時。部隊長の下敷きになり難を逃れた。そして――今回も倒れていたことで、鬼に死んでいるものだと思われたのだろう。

 ふと、潰れたはずの腕が元通りになっていることに気が付いた。

 俺なんかを治さずに逃げてくれればよかったのに……。

 潤む瞳に耐え立ち上がる。

 今は悔いている時間はない。こうしてる間にも誰かが犠牲になっているかもしれないんだ。

 部下の亡骸の傍らに、鎚が落ちているのを発見した。

 アランジは鎚を拾い上げ、そして気付いた。

 女性兵士の亡骸がないことに。

「まさか……、烙葉(らくは)達が来たのか……?」

 3体の知能の高い鬼には他の鬼にはない特徴がある。女性を好んで食べる点だ。この惨状を生んだのは深部にいるはずの3体の鬼のいずれかだとアランジは察した。

「伝えなきゃ……。このままだと被害が増える……」

 鎚を担ぎ、森の奥へと駆けて行く。

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