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ep.80 エジカロス大森林南部鬼掃討作戦1

 掃討作戦当日、その日はからっと晴れ渡っていた。空はどこまでも青く、一点の曇りもない。

 朝の10時を回り、皇国軍と傭兵一同はザントガルツ南門の外へと集結していた。ザントガルツから4000人、シキイヅノメから4000人合わせて8000人からなる一団である。少数精鋭部隊のみ騎馬が与えられ、それ以外の兵士は歩兵で構成されており、緊張した面持ちで整列している。


 作戦は3日以内の完了を目標に掲げる短期決戦。

 第1目標は烙葉(らくは)凛童(りんどう)嗣桜(しおう)の討伐。

 第2目標はエジカロス大森林南部の鬼の殲滅。

 少数精鋭部隊の全滅、及び3日が過ぎた場合は撤退である。


 3日という制約は、深部への到達と討伐を完了させる為の兵糧の量で決められている。これは機動力と継戦能力のバランスで決められたものである。森の中、大量の荷を抱えての移動はそれだけで兵士は疲弊してしまう。よって最低限の水と携行食で迅速に深部までたどり着き、一気に仕留める電撃戦の形が採用されている。


 カミル達は傭兵ではあるものの、クォルスと共に精鋭部隊へと配属されている。ぽっと出の存在である三人が抜擢された理由としては、凛童、嗣桜と戦い生き延びた経歴と、陣形を組んでの訓練に参加したことがないことにある。隊列を乱せば隊の生存率に関わる。それならばと、各隊の長が集う精鋭部隊に配属し、個々の判断で戦わせた方が戦力になると踏んでのことだ。


 指揮官であるリョウジ・ロクシマザントガルツ兵士長が一同の前へ姿を現す。

「集まったアシハラフヅチの精鋭達よ!今日この日を以って、長きに渡る人喰いの鬼共との戦いに終止符を打つ!鬼に怯えることのない、本来の我らの生活を取り戻すのだ!過酷な戦いになるのは百も承知!迷い、挫けそうになった時、俺達の背中を見よ!必ずや勝利へと導いてやる!さあ行こうッ!!未来を掴み取る為にッ!!全軍出撃だッ!!」


「「「「「「「「おおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!!!!」」」」」」」」


 兵達の割れんばかりの歓声が静かなザントガルツの朝に轟いた。

 鼓舞された兵達は、精鋭部隊を先頭にエジカロス大森林へと出陣していく。

 馬で駆けながらカミルの鼓動は激しく脈を打つ。ロクシマ兵士長に鼓舞されたこともあるが、それ以上に3体の鬼に対しての畏れもあった。

「これから始まるんだ……」

 強張るカミルの表情に、思わず馬を寄せニステルが声をかけた。

「まだ戦闘が始まってもねぇのにビビッてんなよ。リラックスしていけ」

 反対側からリアが馬を寄せる。

「烙葉達と遭遇するのは早くても2日後よ。体力を温存して進むことだけを考えて」

「―――わかった」

 不安なのは同じはずなのに、落ち着いている二人の姿に頭が上がらなかった。困難に立ち向かう際、これまで自分がどれだけの苦難を乗り越えてきたのかが物を言う。経験してきた数が多いほど自信となり自分を支えてくれる。少なからず、カミルも学園を出てから苦境に立たされてきた。一人では到底立ち向かうことが困難なことでも、仲間となら立ち向かうことができる。旅を通して学んできたことだ。一人では無理でも、二人と一緒ならきっと乗り越えられる。そう信じ、森の中へと突き進む。


 森の中に進むに連れ、生まれたばかりであろう鬼の群れや鋼猿刃(ごうえんじん)の群れ、ワイルドベアが現れたが、皇国軍の精鋭の前にその命を散らしていった。馬の速度を落とさず、武技や魔法を行使すらしない。ただ各々が持つ武器を巧みに操り、馬の速度を乗せて両断していく。

 ここ数週間森に入っているカミルからしたら驚くべき技量であった。苦労して倒していた魔物を容易く屠っていく。馬上による戦闘は経験したことがないカミルでさえ、馬上戦闘の難しさは容易に想像できる。今でさえ、馬を必死に走らせるだけで精一杯なのだ。これも1週間前に馬が貸与され、世話をし生活を共にすることで心を交わした成果である。馬は非常に繊細な生き物だ。些細なことで驚き、制御を失うことさえある。1週間程度で信頼を勝ち取れるほど甘くはない。

 カミルは故郷である片田舎のアズ村で育っている。農業を生業として生活していた為、幼少から馬との触れ合う時間が多分にあったのが大きい。馬との向き合い方を知っていたおかげで、貸与された馬と上手く向き合うことができたのだ。

 リアはエルフであり、かつて冒険者として愛馬と共に一人旅をしていた過去がある。馬の扱いにも慣れている。

 ニステルはかつてザイアス王国の兵士であった。任務で馬を駆り遠出することもあり、その際に馬の扱いを習得している。

 先頭を走るロクシマ兵士長は適時後方確認を行い、隊が遅れずに着いて来ていることを確認していた。事前に森での進攻に遅れれば置いていくとの通達があり、(はぐ)れれば森で一人置いてけぼりを食らう羽目になる。方向感覚を失いやすい不慣れな森を一人で走破できるはずもない。カミルはただ必死にくらいついていくのみだ。


 幾度かの休憩を挟み、1日目の進攻が終わる。

 森の中でも、少し木々が開けた場所に止まると「今日はここで野営を行う」ロクシマ兵士長からお達しが下る。各自愛馬を労い、野営の準備へと取り掛かった。

 精鋭部隊はザントガルツの士官4人、シキイヅノメの士官4人、クォルスとカミル達3人の合計12人からなっている。バランスの取れた人数分けがされており、そのままの分け方で見張りを回し睡眠を取ることとなった。軍属でないカミル達のグループが初めの見張りを務め、まとまった睡眠を取らせてもらえる計らいがされている。

 各々で食事を済ませ、見張りの時間がやってきた。

 焚火を囲い、久しぶりにクォルスと言葉を交わす。

「まったく、妙な巡り合わせだ。こうしてまたお前達と鬼と戦うことになるとはな」

 凛童との一戦以来、クォルスは知能の高い3体の鬼との戦闘を避けるようになっていた。多くの仲間を失い、鬼へ楯突くことを諦めているのだ。

「クォルス、天は貴方に逃げるなって言いたいのかもね?」

 リアが優しい言葉をかけると、クォルスは自嘲気味に笑う。

「俺だって逃げたくて逃げるわけではないさ。仲間の命を預かってる以上、勝てない戦いに身を投じるのは避けねばならん。例え多少の犠牲が出たとしてもだ」

「その考えは変わんないのね」

「なら、どうしてこの作戦に参加しやがった。勝ち目がねぇんだろ?」

 煽るようなニステルの言葉にも、クォルスは穏やかに言葉を返す。

「この作戦には、皇都シキイヅノメの軍も合流している。ザントガルツとは兵の質が違う。シキイヅノメの士官級の実力者ならまだ可能性が見出せる」

 カミルは未だ軍組織には疎く、クォルスに問いかける。

「そんなに実力に差があるのですか?」

「皇都は皇国の首都だ。天子の御座す皇都の護りなのだ、属する軍人もまた各地の皇国軍とは一線を画す。リョウジのように、皇都で任を受け各地の軍をまとめる役割を持つ者もいるが、基本的に実力者は皇都直轄の軍属となる」

「あの、リョウジって……?」

 顎で横になっているロクシマ兵士長を示した。

「ロクシマ兵士長?親し気に呼ぶってことは……?」

「リョウジとは昔馴染みだ。あいつが軍に入る前から知っている。昔はクソ生意気なガキだったのに、今ではザントガルツの兵士長まで上り詰めてやがった」

「要するに、ザントガルツの兵士は信用してねぇってことだろ?」

 歯に衣着せぬもの言いに、クォルスは「そうだ」肯定した。

「あらら、こんな所でそんなこと言っていいの?」

 苦笑するリアが寝ているザントガルツ士官の姿を窺い、聞こえていないか確認している。

「事実だしな。今回の作戦で失敗するようなことがあれば、ザントガルツは鬼に飼われるのを受け入れざるを得ないだろう。俺達もそれを受け入れ、傭兵から手を引くかもしれん」

 シキイヅノメの兵士達が最後の希望。クォルスの中では鬼に立ち向かう最後のチャンスなのだろう。

 それはザントガルツに住む者も同じはずだ。この機を逃せば、いつ喰われるかも分からぬ恐怖に支配され暮らしていくこととなる。

 何としても鬼の討伐をしなければ、カミルはそう胸に誓った。

「勝てねぇなら相手にしない、か……。わからんでもねぇけど、その先にあるのは救いのない地獄だぞ?」

「どうしようもないのだから考えても無駄だ」

 クォルスが腰に収められていた剣を抜く。刀身に焚火の灯りが反射し、クォルスの顔を照らしていく。

「加護の剣を以ってしても倒しきれなかったんだ。諦めたくもなる」

 剣を見つめるクォルスの瞳には憂いが帯びていた。

「その加護の剣、どこで手に入れたの?」

 誰もが疑問に思っていたことを、リアが代表して問いかけた。

 クォルスは優しい目で加護の剣を眺め、そして口を開いた。

「こいつは譲り受けたものだ。俺の命を救ってくれた御方からな」

 焚火の炎が揺らめき、バチバチっと爆ぜる音を響かせる。

「ザントガルツも、ダインの民をすんなり受け入れてくれたわけではない。それなりに(いさか)いは絶えなかったのさ。精霊時代にダインの民はザントガルツを一度占領したことがある。その禍根が今尚(くすぶ)っている。遥か昔のことだってのに、人の恨みというものは恐ろしいものだ」

 帝元戦争時、帝都に侵攻するダインの民はザントガルツを占領し、帝都侵攻への足掛かりとしている。少なからず、ザントガルツの民の血は流れただろう。当時を知るものなど当にいないというのに、憎しみが継承され現代にまで影を落としている。

「謂れのない罪を被せられ、ダインの民が不当に弾圧された時期があるのさ。その時に救ってくれたのがこの火の精霊の加護を受けた剣『ノヴァズィール』を携えた御方だったんだ。彼がいなければ俺はもうこの世にいなかったかもしれん」

 種族が違い、ましてや歴史的背景がある。対立は起こるべくして起きてしまったのだろう。その被害者の一人がクォルス・ダーダインであった。

「彼は言った『かつてこの街はダインによって占領された。だが、それを行ったのは彼らじゃない。帝国の行いこそが責められるべきだろう?世界を歪め、破滅を招きかけた。だから帝国は滅んだんだ。ダインの民もまた被害者だ。帝国が道を踏み外さなければ、彼らは動かずに済んだはずなのだから……。もう過去に縛られるのはよそう。俺達は手を取り合って生きていけるはずなんだ』ダインの民は彼の言葉に心を打たれた。俺達を責めるのではなく、種族の壁を越え、共生という道を示してくれたことに感謝した。俺は彼が放った言葉を今でも鮮明に思い出せる。だから俺達は歩み寄ることから始めた」

「それで今のザントガルツになったと?」

 ふっ。小さく嘲笑気味に笑うクォルスは首を左右に振る。

「そんな簡単にいくはずもないだろう?最初こそ衝突が絶えなかったが、ダインの民は献身的に()()()()()()に尽くした。石を投げられ、暴言を吐かれる日も多かった。でも、彼の言葉を信じ共生できる道を探していた。認め始めた人が現れ始めた時、事件は起こった。ダインの民の子の連続失踪が起こり、遺体となって見つかる出来事が起き始めた」

 皆一様に顔を顰める。

「犯人はヒュム達だと叫ぶダインの民と、同情を誘う為のダインの民による自演だと叫ぶ他種族。争いは激化し、血を流す戦いにまで発展した。そこでまた彼が仲裁に入り犯人を捜し出すと宣言して場を収めた。聞き取りの調査の結果、二人のヒュムの男が犯人として浮かび上がった。現行犯で捕まえるべく、彼とヒュムの協力者が二人を張っていた時、一人のダインが攫われた。それが――俺だ」

「クォルス、あんたも被害者だったのか……」

 ニステルが苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。

「ああ、ガキの頃の話さ。攫われた恐怖に怯え、大人の男の力に抗えず、ただ死が歩み寄ってくるのを待つしかなかった。……あの時の絶望感に比べたら、多少の命の危険などどうとも感じなくなってしまったさ」

 悲し気な表情のクォルスさんにどんな言葉をかけることができるだろうか……。

「それを助けてくれたのがその剣の前の所有者なのね」

 リアの言葉に頷くと、クォルスの視線が剣へと落ちる。

「地面に押さえつけられ、首に剣が振り下ろされた。その時、ノヴァズィールが剣を受け止めて守ってくれたのさ。必死に手を伸ばしている彼の姿は忘れられない。だが、犯行現場を押さえられた男達は、彼を亡き者にしようと武技を発動させ彼の心臓を突き刺した。それだけに留まらず、確実に殺そうと火まで放ちやがった。地面をのたうち回る彼を見て二人は笑って何度も、何度も彼に剣を振り下ろしたんだ。信じられない畜生共だろ?」

「ああ」

 低く重たい声が響く。ニステルの表情が酷く歪んでいた。

「でも、協力者の男はどうしたの?一緒に尾行してたんでしょ?」

「犯人はもう一人いたんだ。そいつの相手をしている内に彼が止めに来てくれたらしい。そのせいで彼は痛めつけられてしまったがな……」

 クォルスがノヴァズィールから視線を上げカミル達を一瞥する。

「俺はその時、完全に理性が飛んだんだ。心が憎しみで支配されてしまった。助けに来てくれた彼を痛めつけた男達に……。自分の身ひとつ守れない不甲斐ない自分自身に苛立った。その瞬間、ノヴァズィールの刀身に白炎が灯った。まるで俺の怒りに呼応するように、魔力を奪いながら烈火が如く広がりを見せた。俺は柄を掴むと無我夢中で男達に斬りかかっていた―――。それからは断片的にしか覚えていないが、周りからの話を聞く限り、俺は犯人であるヒュムの男三人を惨殺し、その場に倒れ込んだらしい」

「……彼の容体はどうだったの?」

 クォルスは首を横に振る。

「その場で死んでしまったようだ。俺を助けようとしたばかりに……」

「そう……、種族間対立が激化しそうだけどどうなったの?」

「犯人がヒュムだったこともあり、ダインへの弾圧は鳴りを潜めた。俺の中のヒュムへの憎しみは消えず燻り続けた。だが、彼が目指した共生を叶えたかった。だから俺はヒュムの蛮行を許すことにした。仲間には反対されたが、それでも俺は意見を曲げなかった。彼の愛剣を譲り受け、俺はザントガルツでノヴァズィールを高らかに掲げ誓ったのさ。彼が成し遂げることができなかった共生を実現する、と」

 バチッと一際大きな焚火が弾ける音が鳴り、辺りは静寂に包まれた。

 他の街では叶わなかったダインの民との共生が生まれた裏には悲劇が隠されていた。カミルは胸が締め付けられる想いでいっぱいだった。

 帝元戦争さえ起きなければ、クォルスもまた苦しむことは無かったのかもしれない。それが遣る瀬無かった……。

 考え込んでいたリアが疑問を口にする。

「待って、ノヴァズィールは加護の剣だったんでしょ?何でダインの子供だったクォルスの手元に来るわけ?」

 貴重な加護の剣が一介のダインの子供の手に渡るのは確かに無理がある。ヒュム側からの謝罪だったんだろうか?

「それは単純なことだ。誰もが加護の剣の力を行使できるわけではない。その適正者がいなかったせいで見た目の良い凡庸な剣だと思われたんだ。白炎を纏う剣を見た協力者だった男も、白炎が俺の力だと勘違いしていたらしい」

「それじゃ、その剣の出所はわからないってこと?」

「ああ、詳しいことはわからん。一番有力なのは、彼の先祖が火の精霊ジスタードに選ばれし者だった可能性があるってことだな。あくまで仮説に過ぎんし、確かめられもせん」

 カミルは一人心当たりがあった。幼馴染のクヴァ・ロウルだ。天技とは別の白炎を操り、学園で角付の魔族と戦っている。

 クヴァの持つ剣は騎士のものだったはず。あれから加護の剣が生まれるのかもしれない。

 クォルスはノヴァズィールを鞘へと戻し、薪を()べる。

 バチバチっと爆ぜる音を鳴らし、焚火は燃え盛る。炎の揺らめきにカミル達の影もまた森の中で揺らめいている。

「やっぱりクォルスさんは鬼と戦うべきだよ。安全で豊かな暮らしの中にある共生を目指す為に」

 カミルは理想を口にした。

 彼が目指したのはきっと穏やかな暮らしが送れるザントガルツのはずだから。犠牲(いけにえ)の上に成り立つ仮初めの平和で満足していいはずがない。

「口ではいくらでも理想は語れる。それを実現できなければ絵空事よ。空しさだけが残る」

「それでも、可能性があるなら目指すべきだと俺は思うよ」

 ふっ。ニステルが表情を緩め鼻で笑った。

「お前みたいに楽観的に妄想の中で生きられたら、どんだけ楽しい人生歩めんだろうな」

「ちょっと!人を妄想ヤローみたいに言わないでよ!!」

 カミルは必死に抗議するも「はいはい」とあっさりと流される。

「なら、烙葉達を倒さないとね。カミルが実現してくれるんでしょ?」

 リアまでもが悪ノリで揶揄(からか)い始めた。

「善処します」

 日本で培った誤魔化しで話題を流した。

 それから暫く他愛もない会話を続け、交代の時間を迎えた。



― エジカロス大森林南部 中部 ―


 東の空から太陽が昇り、エジカロス大森林を照らし出していく。朝を告げる鳥の鳴き声が響き、新しい朝を迎える。早い時間ともあり、魔物でさえ目覚めていない。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

 静寂に包まれる森の中を一人の女性が走っていた。

 10代後半と思わしき女性は、膝まで伸びた長い撫子色の髪を振り乱し一心不乱に逃げている。赤茶けた外套で身を包み、後ろを振り返ることなく駆け抜ける。

「不味い、不味い、不味い……」

 響く足音に、深緋(こきあけ)色の短髪姿のキツネ顔の男性――ククレスト・モースターは薙刀を握り木の陰から辺りを窺うように覗き見る。

 一人の女性が駆けて来る。

 こんな早朝に?女性が一人で?

 隊の仲間に兵士を起こす様に伝えると、不審に思いながらも女性の前へと出ていく。

 女性はククレストの存在に気付き足を止めた。その顔は引き攣り酷く怯えている。

「お嬢さん、こんな朝早くにどうされましたか?」

 女性の視線が右往左往に動き、何かを探っているのような節がある。

「あの……、鬼が……」

 それだけ言うと俯いてしまう。

 鬼?鬼が出たら逃げるのはわかる。でも、気になるのは何故女性一人なのかだ。

「鬼が出たのでしょうか?それだったら安心してください。私達は鬼と戦う為に森に来ています。宜しければ森の外まで同行しましょうか?」

 極力刺激しないように柔らかな声で話しかけるも、女性は挙動不審に辺りをキョロキョロと窺うばかりだ。

 木の陰からククレストの背後に皇国兵が三人姿を現す。

「隊長、どうされました?……ん?」

 兵士の一人が女性の姿に気付いた。

 視線を浴びたことで、女性は慌てたように顔を上げククレストに告げる。

「着物を着た女の鬼が、その……突然現れて……」

 女性が目を伏せる。

「仲間が……、私を逃がしてくれて……その」

 この娘が言いたいことはわかった。逃げて来た先に嗣桜がいるということ。だが妙だ。深部にいるであろう嗣桜が何故こんな所にいる……?しかもこんな朝早く。この娘も大概怪しいが、まずは確認を取らねば。

 ククレストは背後にいる部下へとすぐに出立の準備を命じ、女性へと視線を戻した。

「すぐに我々が向かいます。貴女はどうされますか?街へ戻るなら兵に送らせますが」

 女性は両手を胸の前で左右に細かく振り否定する。

「大丈夫です。私より仲間をお願いします」

「……わかりました。お任せください」

 疑念を拭いされぬまま女性を解放し、去り行く姿を見送った。

 まずは嗣桜がいるかどうかの確認からか……。



 女性はククレストをやり過ごし、30分ほど走り続けてから背後を気にするようにチラチラと確認しながらようやく足を止める。肩で息をし、滲む汗を外套の袖で拭う。

 呼吸を整え改めて背後を確認した。

 ふぅ〜、びっくりした〜。朝早くなら切り抜けられると思ったんだけどね〜。まさか、こんなタイミングで()()()()()()()()()()()()()。ついてないわ。

 纏う外套を脱ぎ捨てると、中から珊瑚珠(さんごしゅ)色の小紋が現れる。

 あの部隊をやり過ごしたから、暫くは遭遇しないと思うけど。はぁ〜、早く力戻らないかな〜。

 天を仰ぎのんびりと森の中を歩き始めた。



 遠くから女性の姿を確認し、ククレストは自分の直感を信じた自分を褒めてやりたかった。

 ククレストは預かった1000の兵を半分に分け、女性を追う部隊と女性が言う嗣桜がいるポイントの確認に向かわせる部隊へと分けていた。確認だけなら500もの兵を動かすのは愚策ではあるものの、嗣桜と接触する可能性がある以上、少数で兵を動かすのは危険であった。その為、どちらに嗣桜が出ても対応できるようにしておいたのだ。

「思った通り、ただの女性ではなかったようだ。あの特徴的な着物は情報にあった通りか。恐らくあれは嗣桜という鬼が化けた姿だ。甘い香りが無いのが気になるが、すぐに尻尾を出すはずだ。同士討ちを避けるため、距離を維持して遠距離から攻撃を開始する!!全軍構え!!」

 弓兵が矢を(つが)え、近接武器の者は火属性以外の魔法で矢を生み出した。

「一般市民であったのなら、私が責任を取る!!全軍、撃てーッ!!」

 ククレストの号令で女性――嗣桜に向かって矢の雨が降り注ぐ。

 空を切り裂く矢の音に、嗣桜は振り返り慌てて木の陰へと飛び込んだ。着地に失敗し、膝を思いっきり引きずり着物に小さな無数の穴が生まれた。

 無数の矢が女性がいた場所に突き刺さる。

「外したか。第2射、全軍構え!!」

 悔しがる素振りもなく、追撃の指示を出した。

 響くククレストの声に、嗣桜は冷や汗を流す。へっぴり腰になりながら身を屈めている。

「ちょ、ちょっと~!!急に撃ってくるなんてどういうつもりよ~!!」

 木の陰に隠れながら抗議の声を上げる。

「黙れ人喰いの鬼。お前の正体が嗣桜とかいう鬼ってことはもうバレている。下手な変装は解いたらどうだ?」

 ククレストの発言ははったりだ。確信を持っているわけではない。嗣桜の反応を見て決断しようとしている。

「あたしはどっからどう見ても人でしょ~!!目腐ってんじゃないの~?」

 そう簡単には認めんか。

「こんな朝早くに森に入る者はザントガルツには存在しない。外見的特徴が嗣桜と酷似し過ぎているだろう?疑わしきは滅する。そうでもしなければ寝首を掻かれかねん。もし違うというのなら、似た外見をしている自分を恨め」

 会話をしながらも隊を左右から回り込ませるように指示を出す。木の陰に隠れている嗣桜を射かけることのできるポイントへ兵は移動を始め、徐々に嗣桜を包囲しつつあった。



 なんであたしが鬼だってバレてんのよぉ~!!

 疑わしきは滅するって、もしお仲間だったとしても仕方ないって方針なのッ!?頭おかしいわよぉ~!?

 嗣桜は必死に頭を働かせる。

 30分も走ったってのにあのキツネヤローねちっこ過ぎじゃない!?それに着物なんて似たようなのがいっぱいあるでしょうに……。

 自分の身体にぐるりと眺めた。

 見た目的には今のあたしは人間そのもの。角もなければ爪や牙もない。そうよ、着物が似てるだけならまだ誤魔化せるっしょ……!!

 意を決し立ち上がる。ゆっくりと木の陰からククレストの正面へと歩み出る。

 矢が一斉に嗣桜に向かい構えられた。逃げ出したくなる思いをぐっと堪え、ククレストと対峙する。

「あたしは逃げも隠れもしないわ。調べたければ調べればいいじゃない」

 怒りを滲ませた表情で言い放つ。

 手が震えていることに気付き、咄嗟に腰の位置で手と手を重ねて気丈を装った。

 大丈夫、大丈夫。そう自分に言い聞かせ、ククレストの目を見つめた。



 木の陰からおずおずと出てくる嗣桜の姿にククレストは困惑した。無防備な姿でこちらを見つめるその瞳に気圧される。

 あれは本当に嗣桜なのか?姿や着物が似ているだけかもしれない……。嗣桜であったのなら、最初の接触の段階で同士討ちをさせることもできはず。それをしなかったってことは嗣桜ではない……?

 悩みに悩んだ末、一人の弓兵に頭を狙わせることを決意し指示を出す。

「頬を掠める程度に抑えられるか?」

「止まっている対象であれば可能です」

 ククレストは頷き、矢を放つ指示を出した。

 弓兵から放たれた矢は、綺麗な孤を描きながら嗣桜の左頬を掠め地面へと突き刺さった。

 嗣桜の頬は裂け、溢れた赤い血が顎へと伝うも嗣桜の眼差しに(かげ)りはない。

 微動だにしないか……。

 と思ったのも束の間、嗣桜は膝から崩れ地面へとへたり込んだ。



 矢が放たれた瞬間、嗣桜は死を覚悟した。まっすぐに顔目掛けて飛んでくる矢に、人間の身体に戻ってしまった嗣桜は反応できなかったのだ。

 あっぶねぇ~~~~~~~ッ。あんのキツネヤロ~~~!!!!女の顔に傷つけるなんてクズよ、クズッ!!

 怒りに震える嗣桜にククレストが言葉を投げる。

「……すまない。私の早とちりだったようだ」

 え?うそ?騙されてくれたの?うっわ、チョロッ……。なんて(おくび)にも出したらダメ。

 そっと左手で頬を触り、手に触れた赤い血を見て呆然とする()()をする。

「………」

 表情を変えず、目を潤ませる。

 このまま人間の娘を演じきるのよ~。男なんて女の涙に弱いんだから、それを利用してやれば……。

 ククレストは狼狽し「おい、手を貸してやれ」部下に指示を出している。

 自分から動けないのはマイナスね~。ほんとっ皇国って碌な男がいないのね。

 近づいてきた男性兵士に差し出されたハンカチを受け取り血を拭う。

「お前はそのままその人を連れて一旦ザントガルツまで戻れ。作戦はこちらで進めておく」

「はッ!!」

 ククレストの部隊は反転し森の奥へ向かって進み始めた。

 兵士は目線を合わせ「歩けますか?」と聞いて来る。

 言葉をかけずに首を横に振る。

「では」

 男性は背中を向け「背中に乗っていただけますか?」と微笑んだ。

 え?運んでくれるの~?らっきぃ~♪

 遠慮なく男性兵士の背中に身体を預けた。その時に男性兵士の表情が緩んでいくのを嗣桜は見逃さなかった。

 嬉しそうな顔しちゃって~。でもざんね~ん。鎧越しだとあたしの魅惑の身体の感触を味わえないのよね~。

 それでも、耳元に伝わる吐息と、嗣桜の身体を支える為に回した手から伝わる太股の感触が男性兵士の煩悩を刺激する。

「立ち上がりますよ」

 すっと身体が持ち上がる感覚が伝わり、ゆっくりと歩き始めた。

 森の中部からザントガルツまでは歩いて数時間かかる。嗣桜を担いだ状態ではそれに幾分か余計に時間がかかるだろう。

 鬼の力が戻ったら、お礼にこの人食べてあげようかしら。

 舌なめずりをし、嗣桜は瞳を怪しく輝かせるのだった。

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