ep.78 嗣桜の異能
木漏れ日が落ちる森の中、3つの足音が響いている。縦に直列に並び、胸の高さまで伸びた雑考を掻き分け進む。人も獣も鬼ですら通らないのか、一面雑草地帯である。こんな所を襲われでもすれば一溜りもないだろう。
「ああーッ!もう!!手に蜘蛛の巣が付いたじゃない……」
先頭を歩くのは感覚の鋭いリアである。緑との親和性の高さもあり、視界の悪い森の中を進むのであれば一番安全ということからリア自身が買って出た。だが、すでに後悔をし始めている。雑草で肌は傷付くわ、蜘蛛の巣に引っ掛かるわで気分は下がり気味である。先頭を歩くということは、真新しい雑草を踏み固めて進む必要がある。体力的にも精神的にも疲労は計り知れない。
「もう今更変わってやれねぇぞ。諦めて突っ切れ」
いつものように容赦のないニステルの言葉が後ろから響いてくる。カミルは森での戦闘に一番不慣れということもあり、リアとニステルに挟まれる形で移動している。
「わかってるわよ。はぁ、帰ったら手入れしないとなぁ」
しょぼくれて歩くリアが唐突に「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?!?」悲鳴をあげた。
「どうした!」「リアッ!!」
二人が声をかけたその瞬間、強烈な風が進行方向へと吹き抜けた。雑草は風で薙ぎ倒され、森の深くまでが見渡せるようになっている。
リアがゆっくりと振り返った。それでも目を合わせようとせず、視線が定まらず左右を行ったり来たりと動かしている。
少し気恥ずかしそうに笑いながら「け、毛虫が突然降って来たから…つい……」詳細を教えてくれた。
ニステルの視線は冷たく露骨に呆れている。
「んだよ……。もっとグロいもんなら見てんだろ……」
「仕方ないじゃない。昔っから毛虫だけは駄目なのよ。悪い?」
むくれた顔を浮かべ抗議をしてきた。
「好き嫌いは人それぞれでしょ。ただ、リアが毛虫が嫌いだったなんて意外だなーて思ったかも」
「嫌いも嫌いよ。幼い時に森の中で頭の上に落ちてきてね、頭からずり落ちて首筋から背中の服の中に入ったのよ?背中の中で蠢くぞわぞわした物体が気持ち悪く気持ち悪くて……。すぐに服を脱いで投げ捨てたわ」
昔からなかなかワイルドな性格をしていたらしい。慌てふためいたり、身体を固まらせりはするもんだけど、服を脱いでまで投げ捨てるってのは初めて聞いたかも。
そこではたと気が付いた。
「え、それってつまり上裸で帰ったってこと?」
リアの鋭い眼光がカミルを射抜いた。
あまりの眼光に肩を跳ねさせ身体を後ろへ逸らす。
「なんで男ってのはこう……。何も着ないで帰るわけないでしょ!!はしたない。葉っぱを蔓で縫い合わせて簡易的な服を作ったのよ」
「葉っぱで服をねえ」
葉っぱ服姿のリアを想像していたら、目線が自然とリアの慎ましい双丘へと下がってしまう。
カミルの視線に気づいたリアは、反射的にカミルの頬に拳を叩きつけていた。
「痛ッ!?」
「自業自得でしょ」
リアはぷいっと顔を背けてしまった。
「いや、さすがに手を出すのはまずいんじゃねぇ?」
お、さすがニステル。殴るのはさすがにやり過ぎだよね。疚しさから視線を下げたわけじゃないんだよ。見たいんであればもっと堂々と見るさ。
「私の不機嫌さがこれくらいで治まるんだし、安いもんだと思うけど?」
「………なら、仕方ねぇか」
ニステル弱ッ!!それで納得しちゃうの!?
ニステルは少し前にリアと揉めている。その時の荒れっぷりを知っているだけに、拳ひとつで解決するのであればそれを良しと捉え始めていた。
ここで食いついても火に油だよな……。
「不躾な視線を浴びせて申し訳ありませんでした!!」
日本式の90度のお辞儀で謝罪の意を示した。
だが、リアには届かない。
カミルのその仕草を横目で眺め口を開いた。
「何それ?馬鹿にしてるの?」
頭を下げることが謝罪の所作であることを、エルフであるリアは知らなかった。それもそのはず、この世界で頭を下げる行為が謝罪であることを知るのは、日本人の血が混じったリディス族のみだ。
カミルは頭を上げ必死に弁明を始める。
「そんなことないって!!これはうちの方では最大級の謝罪を意味するんだよ。だから……、ごめんなさい」
「まあ、許してあげるわ……」
「うん、ありがとう」
ニステルの時のように拗れることなくリアの怒りは収まった。
「まあ、とりあえず進もうぜ?」
ニステルが前方を指差し「もう雑草に苦しむ必要もないみたいだしさ」指の先に広がるのは倒れた雑草。まるで進む道を差し示すように道が森の奥へと続いている。
「たなぼた…?」
カミルの発言が何なのか理解できない二人は「さっさと行こうぜ」「早くザントガルツに帰るわよ」つれない言葉を投げかけるのだった。
草木の成長以外に森の変化が見られず森の中を進んでいく。いつの間にか雑草が生い茂るエリアを抜け、いつもと変わらぬ森の姿がそこにはあった。
「緑竜の影響か、魔物も鬼も全然見かけないわね」
「毎回そうなんだよ。直感で竜の接近を感じ取ってるのか、生物は皆いなくなっちゃうんだ」
「ま、それがわかるくらい遭遇してんのも俺らくれぇなんだけどな」
話ながら進んでいると、甘い香りが漂ってきた。
「なんだ、この臭いは」
ニステルは訝しみ森を見渡している。
「これはバニラの香りね。森の中でも自生してるのもあるけど、ここまで深い森の中だと育たないはずよ。だから、誰かが近くにいるんだわ」
周囲に警戒しながら進んでいくと、遠くに周りよりも明るい場所が目に飛び込んで来た。どうやら甘い匂いはそこから漂って来ているようだ。匂いの発生源を探るべくカミル達は明るい場所を目指して進む。
唐突にリアが手を顔の高さまで上げると進むのを制した。
リアは振り返り小声で「誰かいる」そう告げると、先ほどまでよりもゆっくりとしたペースで探る様に進み始めた。
「――――よね」
奥から話し声が聞こえて来る。
肉眼で姿を確認できるほど近づくと、とんでもない光景が目に飛び込んで来た。
木の枝が斬り落とされた幹に、蔓で天色の髪を持つ女性――ミスズが括りつけられている。鎧と思わしき金属板は地面に落ち、衣装の至るところに生傷が絶えない。
そのミスズの目の前には、珊瑚珠色の小紋に長く黒い髪をポニーテイルにした鬼女――嗣桜が立っており、ミスズの素肌が露わになった太股に触れ嫣然としている。
ザントガルツで見た鬼女……。
「男を虐めるのも愉しいけど、カワイイ女の子を甚振るのがこんなにも心を満たしてくれるなんて~。貴女には感謝してもしきれないわ~」
太股に触れる手を脚線に沿って撫でていく。
ミスズは身体をビクンと跳ねさせ、苦痛に顔を歪ませながらも頬を紅潮させている。
「あら!?そんな反応してくれるなんて~、お姉さんそっちに目覚めちゃうじゃない」
嫌がるミスズを他所に、鬼女は恍惚の表情を浮かべて屈みこみ、脚に頬擦りをし始めた。
「あなたの異能で白昼夢を見せればいいじゃない……。それで私は意のままよ……」
ミスズの卑屈めいた言葉にカミルは我慢がならなかった。
とても見れたものじゃない。今すぐ助けに行かないと!
黎架に手を掛けると、リアが柄頭に手を添えカミルの動きを制した。
「待て、情報もなしに突っ込んだところで返り討ちになる。今はぐっと抑えて観察して」
「でも!こうしてる間にもあの女性は苦しんでるんだよ!!」
リアが手でカミルの口を塞ぎ「静かにして」声を抑えるように注意する。
括られているミスズを指し示し「見て、あの人は私達がここに居るのに気づいてるわ。聞いてたでしょ?あの人は私達に情報を伝えようとしてるのよ」今何をすべきなのかを説く。
括られたミスズに視線を戻すと、彼女の視線が時折こちらに向いているのに気づいた。
「ふふっ、そんなのつまらないでしょ〜?嫌がる貴女の表情をもっとみたいのよ〜」
ミスズは顔を背けながら横目で嗣桜へと冷たい視線を送る。
「あら!?貴女って本当に素敵ね。手元に置いておきたくなっちゃうじゃない。でも、連れて帰れないわね……。烙葉や凛童が煩いだろうし〜」
少しの間考える素振りを見せ、嗣桜は頷いた。
「提案なんだけどさ~。貴女が月1で遊びに来てくれるなら、あたしは人を襲わないわ。もちろん、この森に入ってくる人は別だけどね~。ど~ぉ?素敵な提案じゃな~い?」
ミスズが嗣桜を正面から怪訝に見つめる。
「本気で言ってるの……?」
「もちろんよ♪あくまであたしは~、だけどね」
ミスズは暫く沈黙する。頭の中で色々なものと天秤にかけているのかもしれない。そして、意を決したように口を開いた。
「その提案を受け入れるわ。でも、一度でも約束を違えようものなら、貴女の命は頂くわよ」
嗣桜が嫋やかに微笑む。
「貴女の方こそ、きちんと約束を守らないとお仲間の命が消し飛ぶわよ~?忘れないでね」
「忘れないわよ。私の身ひとつでザントガルツが守られるなら、喜んでこの身を捧げるわ」
「あら頼もしい。そうね、1か月後の正午、またこの場に来なさい。きちんと身を清めて身嗜みを整えるのも忘れちゃダメよ~?」
欲しいものが手に入った時の子供のように嗣桜の瞳は綺羅綺羅と輝いている。
「私は嗣桜。貴女お名前は?」
「ミスズよ……」
「ふふっ、可愛らしい名前ね。たっぷり可愛がってあげるからね~」
嗣桜は歪んだ笑みを浮かび上がらせた。
謎の取引がまとまりそうな気配に、カミルを制ししていたリアが戦闘態勢に入っていく。
「行くわよ」
そう言葉をかけ、リアは枝が斬り落とされ多くの太陽光が降り注ぐエリアへと歩み出る。
誰かが犠牲になることをリアは認めることができなかった。
それじゃ、クォルス達が認めている犠牲と何ら変わりないじゃない。肉体的な死か、精神的な死という違いしかないのよ……。
帯剣した柄へと手を伸ばし抜剣をする。
まずはあの女性を助け出す!!
リアは嗣桜へと駆け出した。
「ダメッ!気づかれてるわ!!」
女性の警告にリアは走る速度を緩める。その瞬間――数メートル先の地面が弾け飛んだ。
「くッ!?」
腕で顔を覆い、降りかかる土塊と土煙を防ぐ。
「あら~、ミスズちゃんのせいで仕留めそこなっちゃったじゃない」
振り返りもせず、ミスズとの会話を愉しんでいる。
「手助けしちゃダメなんて言われてないしね」
「ふふっ、ほんとっミスズちゃんは反抗的なんだから~。そこがカワイイとこなんだけどね~」
頬に手を当て身を捩る姿が何とも気色悪い。
「で?そんなミスズちゃんとの時間を邪魔してくれるのは誰かな~」
嗣桜がゆっくりとリアへと振り返る。
ミスズとの会話を愉しんでいた表情の面影なく、今はただ無の表情だ。
「看過できない話をしてたんで、つい手が出かけたのよ。お邪魔しちゃってごめんなさいね」
柔らかな言葉を選んでいるにも関わらず、その言葉に似つかわしくない挑発的な表情を浮かべている。
「貴女も綺麗な顔立ちしてるけど〜、可愛気がないわね〜」
リアが艶やかに微笑み反論する。
「鬼ってのは見る目がないのかしら?こんな良い女、なかなかいないわよ?」
「何言い合ってんだよ。助けんだろ?準備しろ」
槍を構えたニステルが呆れ気味に促した。
「止めろ!!お前達も同士討ちさせられる!!私に構わず去れ!!」
悲痛な面持ちで叫ぶミスズにリアは優しく微笑みかける。
「大丈夫よ。すぐに解放してあげるからね」
剣を構え、リアは言葉を紡ぎ出す。
― 浩々たる天翔ける刹那の輝きよ
破滅の音を轟かせ 裁きの力を我が手に フィルザード ―
躊躇なく風の極致魔法を使用するあたり、リアは短期決戦を仕掛けようとしている。バチバチッと弾ける音と共に青緑色の雷光が身体を包み込んでいく。左手の甲を覆う様に上半身ほどの大きさの雷の外骨格が生まれ、先端からは雷の鉤爪が形成された。
嗣桜とかいう鬼の異能は完全に掴めていない。なら、後手に回るのは悪手よ。速攻で攻め立てる!!
雷を脚に収束し、稲光が如く飛び出して行く。
雷を纏わせた剣の先端を突き出し、速力を最大限に活かす攻撃を仕掛けた。
狙うは嗣桜の胸、その中にある心の臓。多少狙いがズレようと、身体のどこかに突き刺さる可能性が高い。そうなれば纏う雷で内臓を焼くことができるだろう。
嗣桜が戦闘準備に移る前に奇襲したことにより、リアの剣が嗣桜の胸元を貫くことに成功した。その直後、雷が弾け嗣桜の身体がビクビクと痙攣を引き起こした。周囲に漂う肉の焼ける臭いに、幹に括りつけられているミスズが顔を顰めた。
「リア!!離れて!!」
背後からカミルの慌てた声が響く。
折角刃を突き立てたってのにそんなことできるわけがない。このまま心臓を潰し、首を撥ね飛ばす!!
手首を捻り突き刺した剣を頭の方へ強引に斬り裂く――そう思った時「お仲間の忠告は聞くものよ~?」嗣桜の囁きが耳元で響いた。
おかしい。
嗣桜の顔は目の前にある。
耳元に囁きが届くはずがない……。
突然、嗣桜の身体が黒い粒子と化し霧散する。
「そんなッ!?」
直後、右脇腹に強烈な痛みが走る。
「ぐはっ!?」
リアは宙を舞い少し離れた木の幹に激突した。そのままうつ伏せに倒れ込む。
一体なにが……。
両手を突き立て上半身を起こすと、傷ひとつ無い嗣桜の姿がミスズの傍らにある。その手に握られているのは畳まれた状態の鉄扇。脇腹の痛みの原因は、鉄扇で叩き飛ばされた衝撃だった。
幻覚を見せられた……?でも、確かに感じたのよ。手に残る突き刺した感触、肉を焼く臭い。あれは幻覚なんかじゃなかった。―――幻覚だけじゃなく、五感の感覚をずらされた?
ゆっくりと立ち上がり剣を構え直す。
「ふふっ、良い表情するようになったわね~。そっちの顔の方があたしの好みね~」
今は考える時間を稼がないと。
「ずいぶんと捻くれた性癖なのね。それは私以外の誰かにお願いしたいところよ」
あの時、カミルは離れろと叫んでいた。嗣桜に剣を突き刺したと思わされたのは私だけということ。
嗣桜がミスズへと顔を向ける。
「ミスズちゃんがいるから大丈夫よ~」
異能の発動には、嗣桜との距離が関係しているのかも……?
嗣桜がゆっくりと視線をリアへと戻す。
「だから貴女はいらないの。そうね~、殺しちゃうと烙葉が怒るし~。うん、腕の一本くらいは食べちゃってもいいかな♪」
無邪気な笑みを浮かべると、腕を振るい鉄扇が開かれる。
「加減はできないから、うまく避けてね~」
鉄扇が動き風が巻き起こる。ただの風ではない。穢れの乗った破滅を招く黒き風がリアへと迫る。
左手の外骨格を突き出すと、掌に雷が収束し弾を形成し始める。迫り来る風に向かって雷弾を射出した。
黒き風と雷弾がぶつかり合い、緑の元素が周囲に拡散し霧散する。
「あら~、その雷ってそんなこともできるの~」
感心したように言葉を零すと、続けて鉄扇を二度三度振るわれる。扇ぐ度に黒き風が巻き起こり、風の影響で木々がざわざわと騒ぎ出した。
正面からやり合うのは悪手!!
脚に雷を集め、機動力を武器にする戦い方へとシフトしていく。
黒き風を躱し、嗣桜の周りを弧を描くように移動する。角度を変えながら4発の雷弾を放ち、嗣桜の出方を見る。
1発、2発、嗣桜は身体を横へと動かし躱していくも、3発目が鉄扇へと誘導され被弾し、4発目が背中へと被弾した。
「ぎゃぁぁぁぁぁッ!?」
バチバチッと火花を散らし嗣桜の身体がビクビクと跳ねる。華やかな珊瑚珠色の小紋が所々焼け、黒ずみを生み出してた。綺麗な黒髪の一部に縮れが発生している。
嗣桜が悲鳴を上げるもリアは足を止めずに駆けまわる。被弾した姿が幻覚だったのなら、足を止めてしまえば反撃を食らう可能性が出てくる。動き回っていればそのリスクも軽減されるだろう。
途端に嗣桜の足元から岩の槍が飛び出した。天へと突き出す槍は、嗣桜の身体を宙へと運ぶ。鬼の皮膚の前に、岩の槍は突き刺さらない。その衝撃を伝えるのみだ。
「女型の鬼でも皮膚の強度は高けぇか」
嗣桜は身体を捻り、真下を向くと鉄扇を振るい黒き風をニステルへと放った。
嗣桜とニステルとの距離は十分に離れている。黒き風の流れを見てから余裕を持って回避する。
嗣桜は着地をし、不機嫌そうにニステルを睨む。
「ちょっとあんた、女同士の戦いにちょっかい出すって何様よ。汚らわしい男は大人しくしてなさいよ~」
「それはそっちの事情だろ?俺には関係ねぇよ」
嗣桜の眉間に皺が寄る。
「気が遣えない男は嫌われるのよ?お母さんに習わなかったのかしらね~」
声が露骨に低くなり、ニステルに嫌悪感を示す。
「生憎と俺は気のつえぇ女に興味ないんでな。もっと淑やかな女の方が好みだ」
ヘラヘラと笑うニステルは楽しそうである。
「ぁ゙ぁ゙ぁ゙んッ!?淑やかな女性ならここにいるじゃない!!それとも何?あたしが淑やかじゃないって言うつもり~?」
こめかみをピクつかせ、嗣桜の目は血走っている。
「何だ、知能も低いのか?俺はそう言ってるんだがな」
盛大に煽り散らかすニステルと嗣桜のやり取りを背面側から見ていたリアは、そこでようやく足を止めた。
幻覚じゃない……?攻撃が通った……?
何時まで経っても消えることの無い外見的変化に、距離さえ離れれば異能が発動しないとリアは確証を得る。
リアは左手に纏う外骨格のエネルギーを刃に収束させていく。
必要なのは間合いの外からでも断ち斬れる刃。見る限り、嗣桜は極端に身体能力が高くない。鬼由来の膂力と強固な皮膚、それさえ突破してしまえば傷を負わせることは可能なはずよ。
いち早くリアの形態が変わったことに気付いたニステルは、嗣桜の注意を自分へと引き付け続ける。
「淑やかだって言うなら見せてみろよ。自称淑女の嗣桜さんよぉぉぉおおッ!!」
ニステルの足元、地中から拳大の鉱石が飛び出し突き出す左掌の真ん前で静止する。黄の元素を纏う鉱石は、次第にその姿を金属製の金色の槍へと姿を変えていく。
先ほどの岩の槍とは一線を画す元素の密度に、嗣桜は警戒し金色の槍を注視する。
それを合図にリアが動いた。
腕を天へと向けると、刃に纏うエネルギーを細く、長く伸ばした雷の刃へと変貌させる。極限まで薄く延ばされた刃は15mにも及ぶ。その場で踏み込み、嗣桜の頭上から雷の刃が振り下ろされた。
長く伸びた分、障害物は多い。木々の枝や葉とぶつかり弾けさせる。
さすがに頭上から響く不審な音に、嗣桜は視線を頭上へと移さざるを得なかった。空から降り注ぐ青緑色の輝きが嗣桜の身体を斬りつける。頭の僅かに右、鎖骨と肺を斬り裂き雷の刃は動きを止めた。
ちっ!!薄く伸ばした分、威力が損なわれたようね。
それでも嗣桜の身体と刃の間に物理的なパスが繋がった。伸びた雷の刃と剣の繋がりを断ち、雷撃として嗣桜へと解き放つ。パスを伝い雷撃が嗣桜の身体へと到達する。
「ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙っ!!!!」
肉や骨、肺を断たれた上、雷撃により身体の内側から焼かれた嗣桜は野太い悲鳴を上げ膝を折る。
「おいおい、俺からの贈りもんだ。受け取れよぉぉぉぉおおッ!!」
ニステルが金色の槍を解き放つ。
「舐めんなぁぁぁッ!!!!」
緑の元素が膨れ上がり、振るう鉄扇から強力な黒き爆風を巻き起こす。槍は推進力を奪われ失速。強烈な風の発生により嗣桜さえも風に押され背中側へと吹き飛んだ。体勢を崩した嗣桜は、足が天へと登り上下逆さまのまま吹き飛ばされていく。
その瞬間、リアは嗣桜の狙いを悟った。
距離を詰められた!?不味いッ!!
嗣桜は自らも風の影響に晒されるのを厭わなかった。反動を利用し背後にいるであろうリアへと近づく為に。
嗣桜はニタァと不気味な笑みを浮かべる。それはまるで罠にかかった獲物を見つめる歓喜の表情だ。
「貴女、ちょっとはしゃぎすぎよッ!!」
嗣桜との距離が近づき、途端に甘い香りがリアを包んでいく。頭の中が霞がかる。寝起きの働かない頭のような感覚に、リアは迷わず後方へ飛び退いた。ドンッ。背中にぶつかる硬い感触に冷や汗が頬を伝った。
嗣桜は視界に収まっているのに何にぶつかったの……?
後ろ手に触れてみると、それは――木の幹だった。
そんな……、私が木の位置に気付けないなんて……。
嗣桜ではなかったことの安心感以上に、森で育ち緑の元素との親和性の高いエルフでありながら木を感知できていなかったことに動揺した。裏を返せば、この甘い香りに感知できたものが感知できなくなるほど感覚をずらされているという証明にもなる。
「まずはその物騒な右腕を頂こうかしら~」
嗣桜は地面へと叩きつけられるもすぐに立ち上がり、リアの右肩目掛けて鉄扇を畳み振り切った。
リアは反射的に背中の木の幹を伝い、地面へと身を滑り込ませていく。
キィィィィンッ!!
リアへと振り切られた鉄扇に、砲金色の刀が投げ込まれ、ぶつかり軌道を逸らしていく。
鉄扇が空を斬り、がら空きとなった懐へリアが剣を突き出した。
「ぐぅっ……」
心臓を突かれ、そして雷が心臓を焼いていく。
目は見開かれ、瞳孔が開き焦点の定まらない瞳でリアを見つめている。苦しさのあまり、嗣桜は木の幹を力いっぱい蹴り飛ばし後方へ飛び退き難を逃れた。
飛んできた刀は地面へと落下すると、独りでに浮かび上がり持ち主の下へと戻っていく。
見覚えのある刀を視線で追えば、そこいたのは刀の所有者であるカミルだった。
カミルは距離を保ちながら森の中を移動していた。リアとニステルが挟撃できる位置にいる為、真横から攻撃できる位置を探していたのだ。
そんな時、リアが不利な状況に陥る。
嗣桜がリアに襲い掛かるのを見て咄嗟に身体が動いてた。黎架に圧縮魔力を注ぎ込み「纏」で腕の筋力を強化、気づけば投擲していたのだ。
けれど、動く物体に対して投擲をしたところで素人が当てれるはずもない。それを可能にしたのが理外の力である念動力。圧縮魔力を込めた物質を意のままに操る念動力は、明確な目的意識と繊細な魔力操作、使用者の精神状態に大きく依存する。今回投擲に成功したのも、鉄扇にぶつけ攻撃を阻害するという意識と度重なる鍛錬で身に着けた魔力操作、リアを窮地から救いたいという強い想いから偶発的に成功したに過ぎない。今のカミルの実力なら、10回やって10回失敗することの方が多いだろう。それでも成功という結果に結びついたのは、ただ単に運が良かっただけある。
付与した魔力が残っていれば物体を操れる念動力の性質を利用し、地面へと転がる黎架を引き戻す。
心臓を貫かれても死んでない!?―――そもそも胸に当たっただけで心臓を捉えてないのか?
手元に戻った黎架を握り直し、リアの下へと駆けて行く。
「来るなッ!!」
リアの叫びにカミルは足を止めた。
「嗣桜の異能は一定範囲内の人に幻覚を見せ五感を狂わせる。近寄れば都合の良い幻覚を見せられ、その隙に殺られるぞ!!」
「そんな……」
距離を取ったとはいえ、リアと嗣桜の距離は近い。助けに向かわないとリアが幻覚に呑まれる……。
いや、諦めるな。近寄れないなら魔法で足止めをするんだ!!
左手を突き出し拳銃を模る。指先に青の元素が集まり出し、親指ほどの水弾を作り上げ嗣桜を牽制していく。
カミルに異能について伝えて矛盾点に気が付いた。
嗣桜の心臓を貫いた時、私は確かに嗣桜の間合いの中にいたはず。なのに何故私は幻覚にかかっていないの?幻覚を見せられる条件が他にもあるというの?
結論の出ない考えを保留し、リアは立ち上がる。
少なくとも身体を焼かれて弱っているはずよ。殺るなら今をおいて他にない!!
短期決戦を仕掛ける為にフィルザードを初手に選んだこともあり、リアの魔力は著しく消耗している。戦闘が長引けば不利になるのはリアの方だ。薄れ行く雷を最低限身に纏い、残りのすべてを剣へと収束させていく。
リアの叫びを聞いていたニステルもまたその場を動けずにいる。複数の岩の槍を生み出し、カミルの水弾と併せて牽制にすでに動いていた。
二人が足止めしてくれている内に仕留めなきゃ。
くそっ、くそっ、くそッ!!
何だってのよ~、このエルフとヒュム達は……。
飛んでくる魔法を躱し、黒き風で弾き、休む暇もない嗣桜は焦っていた。異能を抑えられ、大怪我を負わされている。相手を侮り、見下し、悦に浸り過ぎた結果が今なのだ。
あたしも凛童のこと言えないじゃないの……。初めから全力でやっていたら結果は違ったのに~、もうッ!!
一旦引くしかないわね~。あたしの力を誤認してくれてるならまだ勝ち目はありそうだしね~。
心臓を貫かれて尚、嗣桜の活動に支障は少なかった。心臓を壊されたところで死ぬわけではない。首と心臓の2つを潰されない限り、黒の元素を補えば回復できる。知能の高い鬼の討伐が進まない原因はそこにある。追い詰めようとも逃げ延び復活して甦る。討ち取られた鬼も多くいる中、烙葉、凛童、嗣桜の3体の鬼は生き延び今に至る。
あ~あ、折角のミスズちゃんとの時間が台無しよ~。
「駿動走駆」
脚に風を纏わせ大地を蹴る。
幻覚を見せられる可能性は高いだろう。それでもリアは勝負を仕掛けるしかなかった。
せめて首を落とせれば、その瞬間勝敗は決する。人類の未来を勝ち取るんだッ!!恐れず踏み込めッ!!
リアの動き出しに合わせたのか、カミルとニステルの魔法の頻度が下がる。それでもリアと向き合う方向に調整しながら魔法が飛び交う。
一歩、また一歩と嗣桜との距離が詰まっていく。
嗣桜がニステルの岩の槍へと鉄扇を払う、その瞬間――身体に纏う雷を脚へと収束し、武技と掛け合わせ稲光が如く素早く嗣桜の背後を取った。
いけるッ!!
青緑色の雷が弾け、剣が迸る。
速度を活かした横一閃。
刃が嗣桜の首に触れ、そして――嗣桜が上空へと跳び上がった。
雷を纏う剣が空を斬る。
外した!?
嗣桜の姿を目で追えば、ミスズを括った幹の頂点へと降り立った。
「悔しいけど~、今回は負けを認めてあげるわよ~」
「異能の種は割れてるのよ?逃げても次はないわ」
見た目はぼろぼろなのに、なに?あの余裕は……。
「ふふっ、それじゃ、また殺し合いましょう♪それと~」
嗣桜が真下にいるミスズへと視線を落とす。
「ミスズちゃん、約束は違えたらダメよ~?待ってるからね~」
その言葉を最後に嗣桜は木の天辺を飛び移り森の奥へと消えていく。
「仕留め損なったわね……」
嗣桜が居なくなり、カミルとニステルが近寄って来た。
「惜しかったじゃねぇか」
「倒せなかったのなら意味ないわ。復活してまた姿を現すでしょうね」
「今は生き残れたことを喜ぼう」
木に括られたミスズの方へと歩み寄る。
「あなた達も馬鹿ね。放っておいても私は無事に街に帰れたというのに」
強がる言葉とは裏腹に、ミスズはぐったりとしている。
「私達が勝手にやったことだから気にする必要なんてないわ。今は早くザントガルツに戻って治療しましょう。私達が一緒に帰るから」
脚に絡む蔦を斬っていく。
「カミル、ニステル。上の蔦を斬ってくれない?ミスズは私が受け止めるわ」
二人は左右に別れ蔦を斬り落とす。ミスズはようやく自由となった。
「本当にお人好しだこと。でも――ありがとう。助けてくれて嬉しかったわ」
ミスズの言葉にリアは表情を緩ませた。
リアがミスズを背負い、カミルとニステルに護衛されながらエジカロス大森林を抜けていく。街に近づけば近づくほど、甘い香りは薄れ消え去った。
ザントガルツへとたどり着く頃には日は赤みを増し、一日の終わりを告げ始めていた。
3体目の鬼、嗣桜との戦闘で得た情報は掃討作戦へと活かされていくことになる。




