ep.75 アロシュタットの系譜
カミル達の反応に、アリィローズは目を瞬せる。
「はい、アロシュタットですが……、どこかでお会いしてましたっけ?」
首を傾げるとメッシュの入った亜麻色の髪がさらりと流れる。
「いえ、その……、初対面です、はい」
歯切れの悪い言葉を発するカミルの様子に、アリィローズは訝しむ。
リアがカミルの頭を鷲掴みにし、ペコペコと頭を上下させながら「これがカミルのいつもの手口なんですよ」謎の発言をし始めた。
「美人を見かけるといつもこうなんで、気にしないでください。あはははは」
(話を適当に合わせて。)耳元で囁かれた。
「知り合いに似ていたもので、すみません」
苦笑いを浮かべ話を合わせた。でも、嘘はついていない。見た目は、特に目の辺りにファティの面影を感じる。なのに内面はティナさんのように物腰が柔らかだ。確実にアロシュタット家の血を引いているのを感じる。
アロシュタットの血筋が途絶えていないことにカミルは安堵した。子孫がいるということは、少なくともファティかティナさんのどちらかは帝元戦争と精霊の黄昏を乗り越えたことになる。願わくば両名が生き残ってるといいのだが。
「私は一人っ子ですので、きっと他人の空似ってやつですね。世の中には似たような人が何人かいるとか言われてますから」
ふふっ。口元を隠し柔和に笑う所に品性が滲み出ている。
「それで、お話をしたいとのことですけど、とりあえず街へ行きませんか?こんな所では落ち着いて話もできませんから」
リアの提案にアリィローズは二つ返事で了承した。
ザントガルツの南門を潜り、街の中を歩いていく。
アリィローズはぐるりと街並みを見渡した。
要塞都市という割に活気がないわね。空気も淀んでるし、街中を歩く人も疎らか。鬼との戦いはやはり芳しくないのかも?
とある食堂の前で、森で出会った三人組が足を止める。
「ギルドで依頼を清算してきますから食堂の中で待っててもらえますか?」
「ええ、いいわよ」
「では、また後程」
三人組はワイルドベアの毛皮を持って街の北へと歩いていく。
「あの三人組のリーダーはエルフの女性のようね」
「そのようですが、銀髪のエルフなんて存在するのでしょうか?」
彼女達と話してみたくなったのはもちろんザントガルツの現状を知る為だったが、銀髪のエルフという女性にアリィローズが興味を抱いたからでもある。
「世界は広いわ。皇都では見た事なくても、もしかしたらいるかも知れないじゃない」
エジカロス大森林に鬼が棲み着くようになってから、森の中で過ごしていたエルフ達はエジック山脈の中腹に位置する皇都へと移り住んでいる。鬼に追い出されたわけではなく、エンディス大陸の濃い黒の元素の影響である。感覚のするどいエルフ族は、森に満ちる穢れに敏感だ。四六時中、穢れに毒されれば到底穏やかに住むことは叶わない。そこで目を付けたのが、皇都シキイヅノメに常時穢れに対して張られている結界だった。不浄を跳ね除け、皇都に暮らす住民に影響が出ないように護られている。山の中の都ではあるものの、森林限界よりも低く緑は豊かである。
「それに、ハーフの可能性もあるんじゃない?」
「それこそまさかですよ。エルフが他種族と交わるはずがありません」
男へ顔を向けると目を瞬せた。
「ククレストって、意外と頭硬いわよね」
「事実を言ったまでですから、頭が硬いとか関係ないと思います」
表情を変えることなく語り掛けるククレストに、アリィローズは詰まらなさそうに口を尖らせた。
「硬いのは生真面目過ぎる性格のせいなのよね……。もっと気楽にしてもいいのよ?」
呆れたように呟くも「これは任務ですので」硬い表情のまま詰まらない回答を繰り返すのみだ。
変わらぬククレストの態度に「はぁ」溜息が漏れる。
「連れてくる人、間違えちゃったわね……」
とぼとぼとした足取りで食堂の扉を潜るのだった。
ギルドで清算を済ませ、アロシュタットと名乗る皇国兵の女性が待つ食堂へと向かった。
扉を潜ると相変わらず客入りが少なく、テーブルはガラガラだ。その一角の窓際の席に皇国兵の二人は腰を掛けている。テーブルの上にはティーカップが2つ。
「今日はエルフのお嬢さん意外にも別嬪さんが来てるんだぜ?」
振り返ればいつもの筋肉質な調理師のおじさんが頬を緩ませていた。
「客引きも兼ねて窓際に座ってもらったから、最近めっきり元気のないヤロー共も戻ってくるかもしれねーな」
おじさんはおじさんで街の活気の無さを憂いていたらしい。美形の女性を座らせたからって男達が店に入って来るはずないってのに。
その瞬間、ガチャ!!扉が勢いよく開かれ、二人組の男性が駆けこんで来る。
「おっちゃん!なんか見たことない美人さんが居るんだけどどうしたの!?」
「釣られる人おるんかいッ!!」
世の男達は荒んでいても平常運転らしい。
したり顔を浮かべるおじさん。
声を張りツッコむカミルに変な顔をするリアとニステル。
何事かと入口へと視線を送るアリィローズとククレスト。
「騒いでねえで、お前達はさっさと姉ちゃん達の所へ座んな。兄ちゃん達はこっちな」
釣られて入って来た男達は、俺達の隣のテーブルに座らせている。流行ってるように見せる為とはいえ、外から見える位置に客を的確に座らせるのは流石である。
それから暫く、ヤロー共の入店が続いていくことになる。
アリィローズに対面するようにテーブル席に着くと、飲み物だけ注文する。カミルとニステルがホットのブラックコーヒーを、リアはハーブティーを頼んだ。
「それで?俺達に聞きたいことがあるんだろ?」
いつもの仏頂面でニステルが問う。
居住まいを正すとアリィローズが口を開いた。
「改めまして、私はアシハラフヅチ皇国軍、皇都シキイヅノメ第3部隊の長をしておりますアリィローズ・アロシュタットと申します。皆からはアリィと呼ばれています。隣にいるのが―――」
手の平でククレストを示すと、自らの言葉で自己紹介を始めた。
「同じく第3部隊に所属するククレスト・モースターです。以後、お見知りおきを」
言葉と共に軽い会釈をする。
モースター?どこかで聞いたような名前なんだけど……、思い出せない。
「ニステル・フィルオーズだ」
「カミル・クレストです」
「リアスターナ・フィブロよ。よろしくね」
各々が名乗り、本題へと入っていく。
「お声を掛けたのはザントガルツの現状をお聞きしたかったからなんです。ザントガルツに駐屯する皇国軍からは報告が上がって来ております。酷い戦いだったと……」
アリィは1度目を伏せ、再びカミル達を見つめた。
「上がってくる情報はあくまで皇国軍側の意見ですので、直接街の状態の確認と民の声をお聞きせねばと参った次第です」
「見ての通り街は活気を失い、淀んだ空気が漂っています。東区は半分が崩れ去り、北門が破壊されました。あとでご自身の目で確認することを勧めますよ」
「はい、後ほど回らせていただきます。経済の方はどうですか?報告では『都市機能は落ちたものの回せないほどの落ち込みではない』となっていましたが、住まれていて困りごとはありませんか?」
リアとカミルが顔を合わせるが、冒険者としてザントガルツに来て日が浅く、詳しいことはわからなかった。
「私らでは詳細はわかりません。都市機能については各組合に直接聞いていただいた方が確実かと」
「俺達は王国から流れて来たばかりの冒険者だ。暮らしについてはわからねぇ。俺達に聞くよりも」
ニステルの視線が隣のテーブルからアリィへと注がれる熱い視線の持ち主達へと向けられた。
「そっちのヤロー共に聞いた方が早ぇかも知んねぇぞ?」
皆の視線が隣のテーブルへと移る。
リアとアリィ、二人の美女に視線を向けられ男達は「何なりとお聞きください!!」やけに従順な態度を見せた。
男達の圧に、アリィは引き攣った笑みを浮かべながらも「これは任務、任務よ」自分に無理やり言い聞かせ、隣のテーブルへと移り街の状況の聞き取り調査を進めていく。
タイミングを計ったかのように調理師のおじさんがドリンクを運んできた。急な来店客の増加に、最近は一人で仕事を回していた影響で給仕を任せられる人がいないようだ。せかせかと働くおじさんの背中に「がんばれ」とせめてもの念だけを送って置いた。
火傷しそうなほど熱いブラックコーヒーに息を吹きかけ、コーヒーを口元へと運んだ。広がる香りが鼻孔を擽り、唾液の分泌を促す。そっと一口含めば、酸味を抑えた苦みが強く雑味の少ない味が口の中へと広がっていく。一口目のコーヒーの心を解きほぐす感覚は他では味わえない体験の1つだ。
リラックスしたカミルはククレストに疑問を投げかける。
「北部の鬼の方は大丈夫なんですか?掃討作戦がどうのこうのと噂を聞いたんですけど……」
「耳が早いな。安心してください。北部にいた鬼共はすでに殲滅済みです。知能の高い鬼は暫く誕生はしないでしょう。雑兵のような鬼が生まれたとしても、我が軍の敵ではありません」
クォルスの言っていた掃討作戦はすでに終了し成功しているようだ。
「討ち漏らしとかありませんでしたか?最近になって存在が確認された知能の高い鬼女が周辺に現れるようになったようなんですけど」
少し考える素振りを見せるククレストだが、思い当たらないのか首を左右に振る。
「北部で確認されていた鬼は討伐されたし、鬼女が生まれたという話は聞いたことはない」
「なら、やっぱり最近になって生まれたんだろ?クォルス達が知らねぇんだから、そうとしか考えられねぇ」
「南部で確認されている知能の高い鬼について教えていただけませんか?北部での戦いが一時的にとは言え収まっていますから、我々が力をお貸しできるかもしれません」
「皇都から増援を送ってくれるの?」
リアが期待の眼差しを向ける。
「確約は出来かねますが、話を持ち帰り提案することは可能です」
鬼討伐に希望の光が射してきた。北部での掃討作戦で知能の高い鬼を葬っているのなら、南部の方も討伐することが可能かもしれない。
南部の鬼の首領である烙葉、その相棒の凛童、そして新たに確認された鬼女。3体の鬼について知り得る情報のすべてを伝えていく。
「――なかなか骨が折れそうな相手ですね」
鬼の情報を伝えたところ、ククレストの顔が難しいものへと変わっていく。
そこに情報収集を終えたアリィがテーブルに戻って来た。
「なに?何の話?」
椅子へ座り、顔にかかる髪を左耳へとかけた。
「南部に生息する知能の高い鬼について聞き取りを行っていました」
「ああ、烙葉と凛童の話ね。報告を見る限りなら、重力を操る烙葉、魔法が効かない凛童だったわよね?」
「その認識で間違いありませんが、凛童について追加情報を得ることができました。魔法が無力化するのは右手のみのようです。直接右手を触れさせることで、魔力と元素の繋がりを断ち霧散させているようです。それは凛童自身にも適用されるらしく、元素を操ることが出来ません。尚、右手を斬り落とすと元素を操ることが確認されています。最も興味深かったのは、炎に穢れを乗せるという点です。ご存じの通り、穢れは黒の元素によく似た性質を持っています。これまで2つの元素を同時に操ることなど不可能と思われてきましたが、凛童は炎と穢れを同時に操っていたようです。それは赤と黒の元素を同時に操っているようなもの。これまでの常識を覆す発見に繋がるかもしれません」
ククレストの表情は大人しいものだが、その口から発せられる言葉には熱が籠っていた。
感情が乏しいように見えて、表情を表に出すことが苦手なだけなのかもしれないな。
「元素の扱いの調査も兼ねて上層部に討伐を提案するべきです」
「そう……ですね。元素への理解が深まるかもしれませんね。でも、鬼の討伐が最優先事項ですからね?」
ククレストが拳で胸をドンと叩く。
「もちろんです。住民の安全が第1なのは軍属ですから心得ております」
話がまとまったところで、気になった点を聞いてみる。
「北部の鬼の中には、凛童みたいな異能を扱う鬼はいなかったんですか?」
鬼の力を同化し続けた存在が知能の高い鬼というのなら、北部にいた鬼の中にも異能を操る存在がいてもおかしくない。
「北部の鬼にそんな力を扱う個体はいなかったわ。そこが気になる所なのよね」
アリィは鬼との戦闘を思い出しながら語り出す。
「北部の鬼は知能が上がるだけで特別な力なんて持っていなかった。周囲の鬼を利用して搦め手での力押しが主な戦い方だったのよ。北部と南部では鬼の生態系がまるで違うのかもしれないわ。南部の知能の高い鬼って報告だと3体しか情報が上がって来てないけど、本当にそれだけなのかしら……」
アリィの不穏な言葉にカミルの胸がざわつく。
「それはどういう意味ですか?」
「北部では知能の高い鬼が33体いたのよ。それが徒党を組むように行動していたわ。浄化の力を宿す白の極致魔法での殲滅作戦も過去に行ったけど、森という地形を巧みに利用して倒しきれないほどでした。それなのに南部での報告は3体だけ。おかしいと感じても不思議ではないでしょ?」
「確かに……」
「それは帝元戦争で消滅した帝都イクス・ガンナ跡地に近いせいではないかと私は考えております」
消滅という言葉にカミルは胸を詰まらせた。何度聞いても、帝都が消滅したという事実は認めがたいものがある。
ククレストは手持ちの皇国領土の地図を取り出しテーブルへと広げた。
現在地の要塞都市ザントガルツは、エジカロス大森林から最南西の位置からほど近い場所にある。対して皇都シキイヅノメはエジック山脈の中腹、山頂から北北西に向かって流れるミツハ川の脇にあり、帝都イクス・ガンナ跡地からほど近い場所に位置している。
「帝元戦争で使用された魔導兵器の誘爆により、周囲は高い濃度の元素に晒されました。ですが、エンディス大陸には元々黒の元素以外の元素の集まりが高い傾向にあり、爆心地周辺を除けば大した影響が出ていなかったのです。ただ、黒の元素だけは別でした。必要以上に集まった黒の元素が本来の生態系を汚染し、鬼という存在を生み出してしまったようです。爆心地から近い北部と南部では、そもそも黒の元素の濃度に差があります。その影響が知能の高い鬼を多く生み出した要因ではないかという結論に至りました。これはあくまで、国としての正式な認識というわけではなく、私個人としての意見なんですけどね」
王国から来た冒険者と言っているおかげか、ククレストは丁寧な説明をしてくれる。
「国としてはどういう考えなんです?」
「不明、ですね。確かに知能の高い鬼が多いのは北部でしたが、南部の鬼は異能という不可思議な力を操ります。量と質、どちらに優劣をつけるかは時と場合、人の感性による所も多いでしょう」
「まだ未確認の鬼がいる可能性があると……?」
ククレストは表情を緩める。
「それは確認してみないとわかりませんよ」
北部で33体も存在しているのなら、南部にももっと存在していても不思議じゃない、か。凛童みたいのがもっといるなんて考えたくもない。でも、33体の鬼を葬ることができたシキイヅノメの皇国軍の力を借りれば、南部の鬼の殲滅も夢じゃないのかもしれない。
「皇国軍の派遣の件、よろしくお願いします」
カミルは頭を下げ懇願する。
現状を変えるには縋るしかない。皇国で確認したいことは沢山ある。安全に旅をするには鬼を何とかしないといけないのだ。
「その為にも、もっとザントガルツの現状を調べないとね」
アリィが浮かべた優しい笑みが救いだった。
鬼の件は終わりだけど―――。
「アリィローゼさんにひとつお訊ねしたいことがあるのですが」
「アリィで良いわよ」
これもアロシュタットの血筋なのかもな。名前が長いからって、ティナさんとファティにも前に同じことを言われたっけ。
懐かしさを覚えながら、カミルは口を開いた。
「それじゃ、アリィ。アロシュタット家は昔、ザントガルツを治めていた伯爵家だったと記憶しているのですが、差し支えなければ何故皇都へ移ったのか教えてくれませんか?」
アリィは不思議そうにカミルを見つめた。よく知らない相手に自分の家柄の過去を聞かれたのだ、戸惑いもするだろう。
「カミル、直球過ぎ」
隣にいるリアからダメ出しをもらったけど、遠回しに聞いて何もわからないよりはマシだと思う。
「へぇ~、そのことをまだ知る人がザントガルツにいるなんてね。って、貴方達は王国から来られたのでしたっけ」
眉尻が下がり、表情が僅かに陰るのを感じた。
「ご存じかと思いますけど、帝元戦争時にザントガルツは一時的にダインの民の手に墜ちました。その折りに、当時の伯爵夫妻は戦死。夫妻には二人の姉妹がおりましたが、幸いザントガルツ内にはおらず生き永らえたようです。ですが、精霊の黄昏において姉は亡くなり、妹は近隣の村で余生を過ごしたようです。それから暫くして皇都が造られ移り住んだと伝え聞いてます」
そうか、ファティは生き延びたのか。でも、ティナさんは……。
暗い思考を追いやる為に頭を振る。
俺達が事の成り行きさえ知っていれば、元の時代に戻った時に助けられるかもしれない。
「こんなこと聞いてどうされるのですか?アロシュタット家と何か交流でもありました?」
「いえ、ただ……。その昔、ティナリーゼとファティマールなる人物にお世話になったと聞いていたもので、生い立ちは知っておくべきかと思ったまでですよ」
そう、この時代からは遠い昔の話だ。
郷愁を帯びたカミルの表情に、アリィは疑問に思いながらも深く聞くことはしなかった。
「名前までご存じなんて、これは奇縁ですね。時を越えてまたその子孫達が巡り逢うなんて、まるで物語の主役になった気分です」
嫋やかにアリィは微笑み、その表情に周りの席から視線を送る男達が呆けている。
「相変わらず部隊長は夢見がちな物語がお好きですよね」
そう語るククレストの表情は、まるで妹を揶揄う年の離れた兄のようだ。
「またそうやって小馬鹿にしてぇ~!!」
頬を膨らませ抗議する姿はまさに兄妹そのものだ。
「白馬の王子様~とか言ってると婚期逃して一生独身になっちゃいますからね。私はそこが心配なんですよ」
「良いんです!!好きになれない相手と結婚するくらいなら、独り身で一生を終えても悔いはありません!!」
「そんなこと言って、子供大好きなんですよね?寿退役した子持ちの同僚の家に入り浸りしてるのは知ってますからね~?」
ククレストさんの表情が僅かににやけているような?ないような?
「時には妥協も必要なんですよ。何事もね」
ガタッ!!ククレストの言葉から逃れるようにアリィが席を立つ。
「ほら、ククレスト。破壊された東区の視察と中央砦のザントガルツ駐屯軍に挨拶に向かいますよ」
ドリンク代をテーブルに置くと「またね」言葉を残し、アリィは足早に出入口へ向かった。赤みを帯びた横顔を眺め、カミルは扉に消えていくアリィの姿を見送る。
「はははっ、アリィは本当に揶揄い甲斐があるよ。それじゃ、俺もこの辺で」
表情が薄かった男の顔に笑みを浮かんでいる。上官が離れたことで素が出ただけかもしれないが。テーブルに代金を置き、ククレストはアリィの後を追っていく。
「何なんだ?あの男は」
ニステルが訝しんでいるけど、それは俺も同意だ。
「軍人みたいだし、オンオフが激しい人物なんじゃない?」
リアは納得したようにカップに手を伸ばし、少し冷めたハーブティーを喉へと流し込んでいく。
「それにしても、ファティの子孫に逢うことになるとは思わなかったよ」
「世間は狭いわね」
最後にファティの姿を見たのはもう2~3ヵ月前のことになる。未だに元の時代に戻る術のカケラも見つけられていない。
学園の皆は元気にしてるかな……?
少し感傷的な気分に陥り、無意識にコーヒーを口に運んでいた。
「苦い」
それからのんびりとした時間を過ごしカミル達も席を立った。
帰り際、調理師のおじさんが「飯食っていかねーのかよ」金落としていけと催促されたが、丁重にお断りして食堂を後にした。
― エジカロス大森林 深部 ―
3体の鬼が猪を狩っていた。
「こんな獣狩らんでも、あの女を喰ろぅておれば……」
猪の首を大剣で斬り落とす凛童が愚痴る。
「女はそう頻繁に喰うたらアカンて言ぅてるでしょ?ただでさえこの前あんたが減らしたんやからね」
文句を垂れる凛童に、烙葉が釘を刺す。
「ぐぬぬぬぬ」
八つ当たりとばかりに猪を輪切りにしていく。
「私が右手を取り戻さなかったら、アンタは殺られてたかも知れないのよ?感謝なさいよね〜」
珊瑚珠色の小紋に身を包む、ポニーテイルの黒髪を揺らす鬼女――嗣桜が鉄扇を振るい、黒き風が遠くを走る猪を斬り刻んだ。
「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬ」
凛童は呻くことしかできない。身体を焼かれ身を抉られた。加護の剣が迫るタイミングで魔断の右手が届いていなかったのなら、凛童はザントガルツで命を落としていても不思議では無かった。それをわかっているから呻くことで感情を抑え込んでいる。
「それに、あの女と男は皇都の軍属やよ。ちょっかいを出せば、すぐに兵隊さんが大量に押し寄せるんよ。さすがにそれは手間やからね」
「でも、私達が組めば最強っしょ」
「嗣桜がいたら揉め事も起こらんし、楽やよね」
2体の女の鬼は微笑み合う。
そんな2体の傍らで大地に大剣を突き刺し、凛童は胡座をかいた。
「はよぅ、次の女の肉が食べたいのぅ……」
身体が返事をするように、森の中に凛童の大きな腹音が響いた。




