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ep.74 未来へと続く螺旋

 凛童(りんどう)の襲撃により、ザントガルツの東区の壁側の市街地の半数が壊滅状態となった。凛童との戦闘が行われた北門付近もそれなりの被害は出たものの東区に比べれば大したことはない。

 凛童の右手が奪われたことで、中央の砦が壊滅していると思われたが被害もなく健在だった。人間牧場という烙葉の思惑に賛同する鬼の仕業ではないかと囁かれている。だが不可解なことに、砦を警護していた兵士は着物の鬼の女など見ていないという。それどころか奪われた事実にすら気付けていなかった。それがあの鬼が持つ力なのかはわからない。だからこそ不気味なのだ。

 それ以上の痛手となったのが、皇国軍や傭兵の著しい人員の戦死だ。皇国軍は兵士の3分の1を失い、傭兵に至っては半数が命を失ってしまった。これまで街の治安維持と鬼への対処に人員を割けていたが、それもままならないほどの被害を受けたのだ。当然、住民からは不平不満の声が溢れ、中にはザントガルツから出ていくと豪語する者も現れた。街から出て行こうとしようものならば、逃すまいと確実に烙葉(らくは)が動き出すであろう。軍と傭兵が必死に在りのままの現状を伝えることで住民を押し留めた。納得はせずとも、逃げ出せば鬼に喰われると理解すれば誰もが自分の命が惜しい。渋々という雰囲気の中、ザントガルツは街という形を留めている。

 以前のような活気は消え失せ、時折聞こえる子供の笑い声だけが街の癒しだ。



― 凛童の襲撃から3日後 ―


 カミル達は傭兵の詰め所である北区の武家屋敷のクォルスの居る部屋を訪れていた。

 失われた命の数や街の被害状況を聞き、戦いの惨たらしさを痛感させられている。辛うじて街という形を保てているが、いつ鬼が襲ってくるかわからない状況のまま暮らすのは、心に負担がかかり過ぎる。ましてや、それを打開する術を持たないのだから尚更だ。

 着物の女の鬼さえ現れなければ凛童を討ち取れていたはずなんだ……。

 あと一歩まで追い詰めてだけに悔しさも一入(ひとしお)だ。無意識に握り締めた拳がぷるぷると震えた。

「あの着物の女の鬼について分かってることはないんですか?」

 直接クォルスに尋ねてみるも首を振るだけだった。

「俺達が遭遇したことあるのは、知能の高い鬼は烙葉(らくは)と凛童だけだ。あの鬼女の存在など知る者はいない」

「新しく生まれた鬼なんじゃねぇのか?」

 ニステルは深く考える素振りも無く思ったことを口にする。

「その可能性は十分あるが、北部の大森林から南下してきた鬼の可能性も捨てきれん」

 リアが記憶を探る様に拳を唇に触れ考え込む。

「そう言えば、皇都で掃討作戦がとか何とか言ってたね。あれから2週間以上経ってるし、その可能性もあるのね」

 そうであるのならかなり厄介な状況になってしまっている。烙葉と凛童ですら手に負えない状況だというのに、それに加えて新たな鬼の合流。今まで以上に人が喰われてしまうかもしれない。

「戦場で目撃したんだろう?お前達の方でも何か掴んでいないのか?」

 皆一様に考え込む。

 俺が視たのは、屋根を飛び移り北門に向かう姿だけ。珊瑚珠(さんごしゅ)色の小紋と思わしき着物。……そういえば、確か左手に何か持ってなかったか?

「あの鬼、何か左手に持ってたような気がするんだけど、二人は見てない?」

「いんや、俺は見てねぇぜ」

「左手……、左手……」

 左手という言葉にリアが反応を示した。

「ああっ!!」

 突然の大声にカミルとニステルは肩を跳ねさせビクついた。

「持ってた!確かぁ……、人の頭くらいの大きさの黒い実?みたいなの持ってたわ」

「黒い実?」

 クォルスの眉が動いた。

「実というのは―――」

 徐に立ち上がると、(ふすま)を開け隣の部屋へと消えていく。引き出しの開閉音が響き、黒い実を片手に部屋へと戻って来た。

「持ってた実ってのは、これの事か?」

 テーブルの上に人の頭大の黒く僅かな光沢のある実が置かれた。形だけを見れば南瓜のような独特な形をしている。

「そう!これよこれ!」

 胸のつかえが取れたようにリアは嬉々として声を上げた。

「鬼が持ち去ったものを、何であんたが持ってんだ?」

「これは黒の元素が凝縮された実だ。西の壁付近に黒い樹が見えるだろ?その黒い樹――ロウシィスが一定以上の黒の元素を吸収した時に実り、樹は黒の元素を外へ吐き出す。俺達はこれの回収も仕事の内なんだよ」

「じゃあ、その実を持って行ったってことは、鬼は黒の元素を欲してるってこと?」

「そう言うことになるな」

 鬼の力の源は黒の元素だ。欲していても何ら不思議ではない。

「だが、これまで実を奪っていくことなんて無かった。やはりあの鬼女、最近になって南部の森に住み着いたのか……?」

 一人自問自答するクォルスに質問を投げかける。

「奪われたとして、何か影響があるんですか?」

「エンディス大陸……、いや皇国に漂う黒の元素の濃度が下げれなくなるだけなんだが。何故奪っていった……?」

 再び考え込むクォルスの姿に、カミルは放っておくことにした。

「二人は凛童が持つ異能の力をどう思う?」

「あの魔力と元素の繋がりを断つ力か?」

 テーブルの上で肘を立て掌で顔を支えぐでーんとしたニステルがやる気無さそうに問い返す。

「そっちじゃなくて、代替でくっつけてた右手のことだよ。明らかに本来の右手の持ち主の力を使いこなしてたでしょ?」

「あぁ、あの炎や鱗のことか。単純に凛童が右手に喰われかけてただけなんじゃねぇのか?」

「いや、あれは意識的に力を使ってたわよ。追い詰められて仕方なく~て感じだったし。プライド高そうなヤツだし、なるべくなら自分の本来の力だけで勝ちたかったんじゃない?」

「やっぱりそうか」

 カミルは一人納得して頷いた。

「何一人わかったような顔してんのよ。情報共有はしないさいよ」

 リアにジト目で睨まれてしまった。

「あくまで仮定の話だから話半分で聞いてね」

 前置きをすると「りょーかい」リアの軽い返事が返って来た。

「たぶんあれは身体に別の生物の部位をくっつけることで、くっつけた部位の持ち主の特性を引き出せるんだ。恐らくだけど、あの右手の前の持ち主って竜なんじゃないかな。蒼い輝きも現れたことだし」

「……前から思ってたんだけど、その蒼い輝きってのに名前つけない?長ったらしくて言い辛いよ」

「そう?それじゃ適当に呼び名付けようか。うーん、そうだな―――」

 腕を組み名称を考えているとニステルが口を開いた。

「面倒くさいし、蒼い輝き何だから蒼気(そうき)でいいんじゃねぇ?」

 興味なさげに捻りも無い呼び方を提案してきた。

 そのやる気の無さにニステルにジト目を向ける。

「折角の力なんだからもっとこう格好良いの無いの?自分は『惡獅氣(あくじき)』とか叫んでるくせに」

 その瞬間、ニステルの鋭い視線がカミルを突き刺した。

惡獅氣(あくじき)は親父が生み出した技なんだ。俺が付けたわけじゃねぇし、それを小馬鹿にすんなら殴んぞ」

 ニステルの父――ベレス・フィルオーズは王国副兵士長として祟竜(すいりゅう)退治の任務に赴いた際、部下であったスレイ・アリィズマン、ザーン・ブラスウェル両名の手によって惨殺されている。ニステルに残されたのは、王都アルアスターに残された家とベレスの槍、そしてベレスが編み出した竜殺しの力『惡獅氣(あくじき)』である。尊敬する父の編み出した技を馬鹿にされては、普段は飄々(ひょうひょう)としているニステルも怒りを顕わにする。

 ニステルの豹変ぶりにカミルは慌てて「そんなつもりは……、ごめん」素直に謝った。

 変な空気が漂い始める。いつの間にか思考を終えたクォルスも何事かとこちらを眺めていた。

 それを察してか、リアが口を開いた。

「それで、凛童が右手の持ち主の力を引き出せるとしてそれが何なの?」

 カミルは頷き言葉を口にする。

「鬼には武技や元素とは違った異能の力が宿ってるんだと思う。しかも1つだけじゃない。少なくとも凛童は3つの異能を宿している。1つは魔力と元素の繋がりを断つ右手。長いから魔断(まだん)って呼ぼうか。もう1つは繋げた部位の本来の特性を引き出す力。こっちは顕化(けんか)って呼ぶね。最後の1つは炎に穢れを乗せることができる力。見た限り穢れは黒の元素の性質に近かった。つまりは、赤と黒の元素を同時に操っているようなものなんだ」

 クォルスへと視線を投げる。

「凛童ですら強力な異能を持っているんですよ。凛童よりも強いという烙葉はどんな異能を持ってるんですか?戦ったことがあるのならわかりますよね?」

 二人の視線がクォルスへと集まった。

「戦った、か……」

 クォルスは自嘲的な笑みを浮かべた。

「あれは戦いと呼べるものなんかでは無かった。一方的な蹂躙だ。成す術なく平伏すことしかできなかった……」

 クォルスは纏め役をしておりダインの民の中でも実力のある人物だ。火の精霊ジスタードの加護を受けた剣を操り、凛童に引けを取らない戦い方をしていた。そのクォルスでも成す術がないほどの実力とは如何ほどのものか、カミルは想像することすらできない。

「1つ言えるとするならば、烙葉の異能の1つは重力を操ることだと思っている」

 森の中で烙葉が現れた時のことを思い返す。

 確かに烙葉が姿を見せた途端に、周囲を押し潰すほどの圧力を感じた。黄竜(こうりゅう)の放つ重力に良く似ていたことを考えれば、類似した異能があってもおかしくはない。

「どんな形で重力を操るのかはわからんが、少なくとも烙葉の周囲10mほどを覆う重力場を形成できる。俺達は重力場にやられた。不用意に近づき過ぎた為に、身体が異様に重くなり烙葉の前で(こうべ)を垂れる屈辱を味わったってわけさ」

「つまり烙葉を討伐する為には、少なくとも重力に対策を講じなければならないのね」

 ふっ。クォルスがリアの言葉を鼻で笑う。

「凛童すら討ち取れない身で夢を見過ぎだ。この街の現状を見ろ。抗った結果がこのザマだ。これ以上街に被害を出すわけにはいかん」

 クォルスの口から出る言葉はどれも諦めに満ちている。夢や希望など存在しない。人間牧場を受け入れ、被害を最小限に食い止めたいとする想いが強い。

 でも、それは到底受け入れがたい。犠牲(いけにえ)を差し出して生き続けるということは、常に良心に苛まれるということ。いずれ心の均衡が保てなくなり、自分が自分でなくなってしまう。それは本当に生きていると言えるのだろうか?

「部外者の俺が口を挟むことじゃねぇかもしれねぇけど、俺だったらそんな暮らしは受け入れねぇぜ。飼い殺しにされるくらいなら、一矢報いて死んだ方がマシだ」

 ニステルらしい言葉だ。だけど、悪い気はしない。

「私も指を咥えて眺めているつもりはないよ。自分の身は自分で守らないと」

「もちろん俺も鬼に抗うつもりだよ」

 口々に鬼との継戦を表明する中、クォルスだけが顔を顰めている。

「刺激すれば、より被害が出るかもしれないのにか……?」

「ああ」「もちろんよ」「やるに決まってる」

 即座に答えるほどカミル達の意思は固かった。

 クォルスは大きく息を吐き出すと「好きにしろ」諦めに近い言葉が出てきた。

「だが、俺達ダインの民は手を貸すつもりはない。仲間をこれ以上失うわけにはいかないのだ」

 リアが頷き柔和に笑う。

「それで構わない。ダインの民にはダインの民の生き方があるんだし、無理強いなんてしないよ」

 ダインの民の協力が得られないのはかなりの痛手である。魔断の右手が戻った今、加護の剣の力を十全に発揮はできないであろう。それでも、剣としての質の高い加護の剣があるのとないのとでは、戦いの優劣が大きく変わる。

 クォルスさんも本心では倒したいんだろう。そうじゃなきゃ、着物の鬼についてなんか聞いてこないよ……。自分の想いよりも、仲間の命を優先してるんだ。

 徐にニステルが立ち上がる。

「これで話は終わりなんだろ?俺は帰らしてもらうぜ」

 言葉を残して部屋からニステルの姿が消えていく。後を追い、カミルとリアも立ち上がった。

「私達もこれで失礼しますね」

 二人は外へと歩き出した。部屋を出る時のクォルスの哀愁漂う姿が、カミルには見た目に反して小さく映っていた。


 武家屋敷を出ると、目の前に砦が広がっている。着物の鬼女が魔断の右手を奪っていったにしては綺麗すぎる。襲われたというよりも、忍び込み奪われたといった方がしっくりとくる。

 鬼女の異能が気配を消したり、認識を阻害するものなら簡単に奪われたとしても不思議じゃないか。

 仮にそんな異能だとしたら、鬼女は寝首を掻くなんて造作もないだろう。そんな相手に本当に勝てるのか?情報の無さがカミルの不安を煽る。

 視線を広場へと向けた。

 そこにあるのは岩でできた簡易的な住宅だった。所狭しと広場を覆い尽くし、異様な光景が広がっている。北門付近での戦闘は、ダインの民の黒葬(こくそう)によって被害を免れている。しかし、鬼が大量に降り注いだ東区の半数の建物は崩壊してしまった。この簡易住宅は避難民の一時的な居住区として稼働している。生活に必要な火や水は魔法で補うことができているが、トイレをすぐに下水道に繋げることは困難だった。簡易トイレをいくつか設けてはいるが、排泄物を手作業で下水道へと運ばなければならず、衛生的な観点と臭いが原因で度々住民同士が揉めている。それでも盗難や性犯罪が起きていない。24時間体制で皇国軍が見回り未然に防いでいるからだ。中には怪しい動きを見せる者も居たらしいが、武力を持って制圧したという話しだ。その際、血の臭いが居住区に漂ったことで、粛清されたと口には出さずとも住民達は勘づいている。

 助けたあの家族は元気に暮らせているんだろうか?それが気がかりだった。


「へい、おまち」

 いつもの食堂で、いつもの無駄に筋肉質の調理師のおじさんが食事を運んでくる。テーブルに配膳されたのは、大きな皿の上に綺麗に並べられたサンドイッチだ。昼時が近いということもあり食堂へやってきたが、あまり食欲が湧かずに皆でサンドイッチを分け合うこととなったのだ。

「こんな時まで来るなんてな、あんたら俺の店が好き過ぎるだろ」

 にやけた顔でカミル達を眺めている。

「きっつ、おっさんのにやけ顔はきっついわ……。食事の前になんつーもん見せんだよ……」

 ニステルが引き攣った顔を浮かべて毒舌を吐く。

「おっさんなのは関係ないだろ。にやけ顔が気持ち悪いのは皆一緒だ」

 表情を崩さずに反論するあたり自覚はあるのだろう。

「でも、もう少し、表情を控えてくれるとぉ、嬉しいかなぁ?」

 苦笑いを浮かべるリアが控えめにヤメロと伝えると、おじさんは露骨にシュンと俯いた。

「さすがのおっさんでも、女に言われたら傷付くもんなのな」

 ニステルの腕がすっとサンドイッチに伸び、一口頬張った。

 おじさんの顔が上がり、ニステルを経由してリアへと視線が移る。

「そりゃ、こんだけの別嬪さんに言われたら、俺の硝子の心は傷付くぜ?」

「そりゃご愁傷様」

 興味が削がれたのか、ニステルはもぐもぐと口を動かしている。

「ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」

 リアは(たお)やかに微笑むと、両脇に座る二人に交互に視線を送る。

「普段そう言ってくれる人がいないから、お褒めの言葉を貰えると舞い上がっちゃうわね」

「なんだなんだ?ヤローが二人もいて女を褒めることもできねーのか。しっかりしろよ」

「そうなのよね。想いは言葉にしないと伝わらないのにね?」

 何故かリアとおじさんが意気投合してしまった。

 確かに女性を褒める行為をあまりして来なかったけど、それは気恥ずかしさからで想いを言葉にするのにも勇気がいるんだよ。

 今の言葉を聞かなかったことにして、胸の前で手を合わせ「いただきます」感謝の言葉を紡ぐとそっとサンドイッチに手を伸ばす。白いパンの間に黄色の溢れるタマゴサンドを口の中へと運んだ。

 柔らかなパン生地を抜けると、タマゴがふんだんに詰まった優しい味が広がっていく。バターと塩、マヨネーズ、粒入りマスタードがタマゴと溶け合い、酸味や甘みが混ざり合って複雑な味を作り上げている。ふわっとした食感にぺろりと食べ終えてしまった。

「うん、軽やかな味と食感で美味しい」

 カミルが零した感想に、おじさんが食いついた。

「だろう?自慢の一品さ。調味料の匙加減が肝なんだ。比率は教えらんねーぜ」

 余程自慢の味だったのか、腕を組み、心なしか顔が上を向いている。

「ははっ、食べたくなったら来ればいいだけだし聞くわけないじゃん」

 タマゴサンドの話で盛り上がっていると、隣から圧の強い視線が突き刺さる。露骨に褒める話題を流したから抗議しているのだろう。

 うん、絶対に顔を向けちゃ駄目だ。触らぬ神に祟りなし。気づかないフリ、気づかないフリで押しきれ。

 皿に手を伸ばし、もう一切れ掴む。パンの間に見えるのは瑞々しいレタスとハムの層。僅かに見えるソースはマヨネーズのようなもの。そっと口へと運ぶ。

 シャキシャキのレタスの食感にハムの塩味の効いた旨味が溢れる。僅かに感じる辛みからマヨネーズにからしが含まれているのが伝わってきた。味の好みで言うのなら断然タマゴサンドだけど、シャキシャキの食感も捨てがたい。

 咀嚼してる間にもリアの視線は逸れることなく注がれている。

 これ、反応するまで続くやつじゃない?

 口の中のものを飲み込むと、意を決してリアへと顔を向けた。

「な、なに?」

 後ろめたさからどもってしまった。

 視線が交わると、リアはぷいっと顔を逸らした。

「べっつに~」

 言葉とは裏腹に不満そうな顔をしている。

 ニステルが「機嫌をとれ」と目で訴えてきた。

 仕方ない。不機嫌なリアは面倒臭し、ここは素直に褒めるのがベストだよな……。

 笑顔を浮かべて言葉をかける。

「ほ、ほら、曇った顔してたらカワイイ顔が台無しだよ?」

 うぉぉぉおおッ!!くっそはずい!!言い慣れてないから若干上擦ったし!!せ、せめて笑顔だけは死守しないと……。

 努力も空しくリアの表情に変化はない。顔すらカミルに向けることはなかった。

「そんな取って付けた言葉で喜ぶ女の子はいません」

「いやいや女の子って……」

 ニステルが口を滑らし、瞬時に反応したリアが睨みつけた。鬼のような形相にニステルの顔は引き攣る。

「どこからどう見ても女の子でしょ~?ニステルにはそう見えないのかしら?」

 口角が上がりリアが微笑む。けれど、ニステルを見つめる目だけは笑っていない。

「お、女の子でした!誰もが振り向く美少女でしたぁ!」

 半ばやけっぱちで叫ぶように肯定するニステルに同情しながらも、ヘイトが流れたことに安堵した。こんなに精神的に追い詰められたニステルを見るのは珍しい。

「ねぇ、何でそんなに必死そうなの?ねぇ……?ねぇッ!!」

 凄むリアの表情が見えないのはとても有難かった。きっかけを作ったのは俺かもしれないけど、火に油を注いだのはニステルだよ?あっ、おじさんが厨房へ逃げた……。

 リアの両手がニステルに伸びる。

「おい、何で手が伸びてくんだよ……。やめろ。その手を降ろせ、おろせぇぇッ!!!!」

 両手がニステルの喉を絞めていく。気道を押さえず頸動脈を絞めているあたり、手慣れている節が窺える。

 口では言い合っても、ニステルが女性に手を上げるところは見たことがない。そういった点では紳士と言えるのかも。

 もしかして、プロフェントさんやガストンさんも被害者だったり……?

 ニステルの悲鳴をBGMに、そっとタマゴサンドに手を伸ばすのだった。

「くわばらくわばら」


 翌日、魂の抜けかけているニステルを引きずり、再びエジカロス大森林に出向いていた。凛童の影響で傭兵としての活動が一時的に停止した為、冒険者として依頼をこなしている。内容としてはエジカロス大森林に生息するワイルドベアの毛皮の確保だ。元素が安定している為、エンディス大陸では毛皮が必要なほど気温は下がらない。主に調度品として富裕層に人気らしい。大陸外の寒冷地では需要があるらしく、買取価格はそれなりに高い。精霊の黄昏後、鬼が住み着き生態系に変化はあったようだが存在は確認されている。

「ニステル!そっち行ったよ」

 森の中、器用に木を躱しニステルに飛び掛かった。

「わかってる!」

 槍を構えるニステルの動きは重く、明らかに体調不良が見て取れる。

 振りかぶるワイルドベアの鋭い爪を誇る左手が頭上から降り注いだ。

 穂で腕を(はた)き軌道を逸らす。ニステルのすぐ脇を掠め、ワイルドベアの掌が地面を叩いた。土煙を巻き上げ大地を抉る。

 その隙に1歩踏み込み右肩口に槍を突き刺した。

「ぐぎゃぁぁぅ!!」

 柄を強く握り締め、全身を使って槍をそのまま押し込むとワイルドベアはバランスを崩して背中から打ち付けて倒れ込んだ。

剛気(ごうき)

 穂に黄の元素が収束し黄色に染まる。鋭さを増した槍を引き抜き、トドメとばかりに首元に槍を叩き落した。

 喉は裂け赤き血が周囲を汚していく。その後、ワイルドベアは2度と動くことはなかった。

「またそんな倒し方して。それだと毛皮に傷が多く付いちゃって買い取り額が下がるでしょ?もう何回目?」

 森に入ってからすでに2桁に届こうかという数のワイルドベアを討伐しているが、ニステルが倒した個体はどれも毛皮に斬り傷、突き傷が多く刻まれている。いつものニステルなら一撃で仕留めることも可能だろうに、この日ばかりは違っていた。

 そんなニステルの働きにネチネチとリアが責め立てているのだ。

「こっちは寝不足なんだから仕方ねぇだろ。そんなに言うならリアが率先して戦えよ」

 昨夜、ニステルは悪夢に(うな)され寝付けなかったらしい。そのせいか、目元には深い隈が浮かび上がっていた。個人的な見解だけど、食堂でのリアの姿のせいで悪夢を見たんじゃないかと睨んでいる。

「へぇ?か弱い女の子に最前に立てと?女の子の後ろに立たせるのは、男のプライドを傷つけると思って気を使ったのに~」

 よよよと手で口を覆い、(わざ)とらしい泣き真似をしながら訴える。

 どうやら昨日の一件を引きずっているらしい。

 リアの姿にニステルは肩を竦め首を横に振る。

「それなら黙って毛皮を剥いどけよ。それなら俺もどんどん討伐していけるってのによぉ」

 ニステルも寝不足のせいか苛立っている。

「私の手を煩わせない倒し方してって言ってるだけでしょ?それとも何?一撃で仕留める技量も持ち合わせてないの?努力が足りないわね」

「はっ?だから寝不足だって言ってんだろ?話も聞けねぇのかよ」

「はいはい、言い訳ばかりだと格好悪いわよ?」

「お前に格好つける必要もないしな」

 ニステルがそっぽを向いた。

「はぁ」

 ニステルの言葉と態度に呆れたように溜息ををついた。

「次からはちゃんと倒してよね」

「………」

 不穏な空気の中、カミルはおろおろと二人の顔を交互に見ることしかできなかった。どうしたものかときょどっていると、リアが咄嗟に森の奥へと顔を向けた。

 視線を追うように森の奥を見つめるも異変はない。

「リア?」

 声を掛けた次の瞬間「鬼の群れよ」言葉と同時に剣を引き抜き駆け出した。

 視線の先から足音が響いて来る。音の大きさからして規模は大きくない。音はどんどん近くなり、木の陰からその姿を現した。

 ざんばら髪に灰色の肌、ずたぼろの服を纏う知能の低い生まれたての鬼達。

 こちらに向かって全速力で駆けて来る。

 迎え討つ為に黎架(れいか)を構えリアの後を追う。

 でも、何かがおかしい。こちらに向かっては来ているけど、鬼の顔には焦りの表情が浮かんでいる。

 違和感を覚えながらも、刀身に圧縮魔力を流していく。


 その瞬間、世界が白に染まった。


 空間を埋め尽くすほどの白の元素の波動。強い発光現象に薄暗い森が光に包まれたのだ。逆光で生まれた鬼達のシルエットが形を失い、無に還っていく。

 光が霧散すると、そこにあるのは静寂が訪れた薄暗い森の姿だった。

「討ち漏らしはないかしら?」

 凛と透き通る女性の声が耳に届いた。

「はい。周囲に鬼の反応はありません」

 女性の問いに男性の渋い声が答えた。

 森の奥から二人の人影がこちらへ歩いて来る。

「ありませんが、ザントガルツの住民と思わしき人が3名おりますね」

「あら、あの都市も鬼との戦いに力を注いでいるようね」

 装備を見る限り皇国軍であることはわかる。

 女性は20代後半くらいで、亜麻色の髪にグレージュを入れたメッシュの髪を肩まで伸ばし毛先にウェーブをかけている。切れ長の目が特徴的で、両耳には乳白色の細長いスクエア型のイヤリングを身に着けている。両手に細剣を握っているところを見ると、細剣の二刀流という変わった戦闘スタイルなのだろう。刀身の至るところが赤く染まっている。

 男性は30代後半くらいで、深緋(こきあけ)色の短髪で年齢の割に白髪の割合が高い。左目の色が褪せており、目の病気を患っている可能性がある。キツネ顔をしているせいか、見た目的にはきつそうなイメージを持ってしまう。右手には薙刀が握られているものの刀身に血のりは付いていない。

 女性はニコリと笑みを浮かべ話しかけてきた。

「私はアシハラフヅチ皇国軍のアリィローズ・アロシュタットです。宜しければ少しお話しませんか?」


「「アロシュタット!?」」


 目の前に現れたアロシュタットを名乗る女性を前に、カミルとリアは顔を突き合わせ固まってしまった。

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