ep.73 炎を喰らう炎
「―――ル」
「――い、カミル」
遠くで声が聞こえる。
ふわふわと漂うような心地良い感覚に身を委ねていた。
いつまでもこうしていたくなる衝動に抗う事などできない。
ドスッ
それも唐突に訪れた痛みによって無理やり意識を覚醒させられた。
「ったッ!」
腹部にジンジンと感じる痛み。
「ようやくお目覚めか?」
瞳に映ったのは、ニステルの顔だった。
「ニステル?」
カミルの呆けた顔にニステルは「はぁ」溜息を吐く。ゆっくりと立ち上がると、槍でとある方向を指し示す。
槍のその先には凛童と戦うリアの姿があった。
あれが、凛童?
竜人のような姿にカミルは戸惑った。だが、それ以上に目を引くのは、辺り一面に広がるダイン達の亡骸。斬られ千切られ、身体の一部を失った者達の死体が転がっている。漂う血と死の香り。未だに夢の中かと疑うほどの悲惨な光景が広がっていた。
「………」
あまりの惨劇に言葉が出なかった。
意識が飛んでる間に何があったんだ………。
「立て、まだ戦いが終わったわけじゃねぇ」
ニステルへと視線を向ける。
「リア一人に任せられる相手じゃねぇのはおめぇが一番わかってんだろ」
そうだ。いくらリアが強くても一人では届かない領域だ。呆けてる場合じゃない。
立ち上がろうと身体に力を入れると、腹部にズキッと痛みが走った。
凛童に蹴り飛ばされた場所が痛む……。でも、それがどうした。
鞘を杖替わり立ち上がり、凛童を見据える。
回復薬を取り出し一気に煽った。
「行こう。今度こそ凛童を倒す為に」
「今度は一人で突っ走るなよ」
「わかってるって。皆で生き残ろう」
一人戦うリアの下へと駆け出した。
二人が合流しようとした時、リアが吹き飛んだ。
チッ!派手に吹き飛びやがって。
激しく吹き飛んだリアだが、すぐに立ち上がろうと動いてはいる。衝撃が酷かったのか、立ち上がるのに時間がかかっているようだ。
凛童の魔の手は止まることはない。異形の右手から炎が生まれ、リアへ向かって放たれる。
「くそッ!間に合えよッ!」
黄の元素を操り、リアと凛童の間に石畳から伸びる岩の壁を作り上げる。
炎が岩の壁にぶつかり弾け飛ぶ。魔法の発動が間に合い、リアに届くことはなかった。それもニステルの黄の元素への適正の高さと魔法発動速度の賜物。どちらが欠けても防ぐことはできなかっただろう。
凛童の視線が動き、二人の姿を捉えた。
「いい加減仕舞いにしようじゃねぇか」
此処で凛童との戦いは終わらせる決意を固め、ニステルは槍を構えた。
カミルは、凛童の姿にナイザーの姿が重なって見えた。竜人化するという心技。発動には危険が伴い、酷使し過ぎると命を削るほどの力だった。怨竜にさえ力負けしないその力を凛童が手にしているのだとしたら、リアが一人で立ち向かうのは危険過ぎる。
今だってニステルの岩の壁が無ければリアは……。
胸元の宝石に熱が帯びるのを感じる。
幾度も命を救われたその力をカミルは受け入れた。
蒼き輝きがカミルを包み込み纏っていく。
ニステルがちらりとカミルへと視線を投げた。
「お前、今になってその力を使うんかよ」
「意図的に使えないって言ったでしょ」
不思議な力の波動に、凛童が訝しむ。
「腐っても元素の剣の所有者か。矢張り此処でその剣を奪っておくか」
「やらせると思うか?」
ダイン達の背後からクォルスが姿を現した。煤けた姿はそのままに、紅炎を纏わせた加護の剣を携えて。
視線がクォルスに集まった。
「死に損ないが何が出来ると思ぉておる」
クォルスが凛童の姿を見てほくそ笑む。
「それはお互い様だろう。そんな姿になってまで生き恥を晒しているんだ。鬼とはいえ、死が怖いと見えるぞ?」
凛童がギロリと睨む。
「勝手に盛り上がってるとこ悪いんだけど、そいつを殺るのは私なんだけど?」
声がする方に視線が集まる。
そこにいるのは、立ち上がり剣を構えるリアの姿だった。身体の至るところに傷をつけ血を滲ませている。
「ふぅはっはっはっは!」
凛童の高笑いが辺りに響いた。その声にいつもの愉しげな雰囲気を感じない。
「虚仮にするのも大概にしろ!皆まとめて喰ろぅてやるわッ!死を賭して掛かって来いッ!!」
凛童が言葉を発すると殺意が膨れ上がった。空気をピリつかせ、戦場にいる者に息苦しさを感じさせている。
凛童の右手が炎に包まれる。赤の元素と穢れが結び付き、赤き炎が黒炎へと穢れていく。
「鬼のお仲間が近くにいるから警戒して」
「東壁の大鬼か?」
ニステルの問いにリアが首を振る。
「砦の方から投擲してきた仲間がいるのよ」
言葉を交わしている中、凛童がリアに向かって駆け出した。無造作に右手が振るわれ、指先から黒炎が放たれる。大気を巻き込み黒炎が壁のように広がりリア達へと迫ってきた。
黒炎に対処するだけじゃ駄目だ。
カミルは黒炎の壁の向こう、熱で揺らぐ視界の先に凛童の姿を捉えている。
このまま黒炎に対処したところで、その隙を突かれ大剣が振り降ろされる。なら―――。
黎架に圧縮魔力を纏わせ言葉を紡ぐ。
「衝波斬ッ!」
振り払う黎架から圧縮魔力が飛び出していく。魔力の塊は蒼き輝きを取り込み、蒼い斬撃へと姿を変え黒炎の壁と衝突。黒炎の持つ黒と赤の元素を喰らいながら消し去っていく。
元素を奪い、糧とし蒼い斬撃は肥大化する。
己の黒炎が消え去っていく姿を目の当たりにし「ただでかいだけではないか」凛童は前傾姿勢のまま跳躍。巨大化した蒼い斬撃を飛び越え、リアの頭上から落下の力を利用し黒い大剣を振り降ろす。
大地が揺れ、凛童の真下の石畳から岩の槍が突き出してきた。
凛童が跳び上がった瞬間、ニステルは土属性魔法を発動させ、予想落下地点にカウンターとして岩の槍を生み出した。大剣を振り上げれば、誰もがそのまま振り降ろすか投げつける攻撃を連想するだろう。どちらに転ぼうが、凛童の攻撃の阻止はできると判断しての行動だった。
大剣が岩の槍を砕き、岩の槍を土へと還していく。それでも大剣がリアを目掛けているのは変わりない。だが、ほんの一瞬、刹那的を時間を稼げればリアにとっては十分だった。
「鳳刃絶破ぁぁッ!」
剣先に風が集う。緑の元素の力を借り、突きの威力を極大化させた刃が大剣へと激突する。
ガキィィィンッ。刃同士がぶつかり合い、甲高い音が木霊する。
真っすぐ突き上げたリアの剣が大剣の力を削ぎ落していく。それだけでは2mもの大剣に落下の力を込めた力には抗えない。
凌ぎきれずにいるリアに焦りの色はなかった。リアには見えているのだ。視界の端に広がる白炎が、クォルスの加護の剣が凛童の喉元に迫っていることが―――。
音もなく忍び寄るクォルス。最短距離を駆け抜け背後まで迫っていた。戦いを知らぬ者ならば、感情に高ぶりに咆哮を上げ斬りかかっていたかもしれない。だが、クォルスはあくまで静かだった。背後から奇襲をかける者がわざわざ敵に自分の存在を悟らせてはいけない。攻撃を放つその一瞬まで魔力を殺し、元素に干渉しない。感知に秀でた者なら気づけたかもしれない。凛童は――気づいていなかった。
突如として膨れ上がったクォルスの魔力と赤の元素に、凛童は顔だけ背後へ向ける。白炎の塊を纏った火の精霊ジスタードの加護を受けし剣が、凛童の首へと触れ斬りつけていく。鱗を砕き、肉を斬り裂く。
クォルスの手に伝うのは首の骨に激突した鈍い感触。
その瞬間、凛童の身体から黒い霧が噴き出した。
「あつぅぅッ!?」
凛童の目の前にいたリアが熱を孕んだ黒い霧に晒された。蒸気のように噴出する霧の勢いにリアが弾き飛ばされる。剣を突き出していた白い両腕が熱に冒され赤みを帯びた。
あれは……、凛童が大鬼に化けてた時に見せた黒い霧の蒸気?
凛童の背後にいたクォルスもまた、黒い霧の蒸気の直撃を受けていた。
「くッ……」
加護の剣に魔力を注ぎ込み白炎の防壁を展開したことで、リアほどの被害を受けることはなかった。
あと一歩踏み切れなかったか。
白炎の防壁で防いだとはいえ、蒸気の圧力に押され身体が後方へ流れた。着地と同時に前へと駆ける。討ち取る好機を逃すほどクォルスは愚かではない。今回の襲撃で数多の犠牲を出してしまっている以上、目に見える成果を出さなければ犠牲になった者達に顔向けができない。凛童を討ち取ることこそ最大の手向けとなろう。
凛童は未だ背中を向けている。あと一撃、首に叩き込めれば命を摘み取ることができる。そう信じて加護の剣に白炎を纏わせ振り翳す。
黒い霧を吐き出す凛童を見て、ニステルは魔力と生命力を掛け合わせ始めた。
「惡獅氣」
強固な鱗で覆われているなら打ち砕けばいい。竜殺しの力である惡獅氣。竜の鱗すら砕く氣ならば――と考えてのことだった。
黒い霧の噴出が終わった瞬間に間合いへと踏み込む。
凛童の動きは止まっている。
あの霧、身体の動きを止めないと使えねぇのか?
森で使われた時もまた、その身を止め黒い霧を吹き出していた。ニステルの考察は懸賞の余地がある。
警戒しながらも惡獅氣を纏う槍を心臓目掛けて突き出した。
伸びていく槍の下から強い衝撃が加わり上へと跳ね上がった。
「これに反応すんのかよ!」
目に映ったのは凛童の左足。下から蹴り上げられ槍は大きく軌道を変える。右の鎖骨を掠め、後方へとすり抜けた。
バリバリバリィン!掠めた鎖骨を守る鱗が砕け散っていく。
ちぃッ!表面を削っただけだ。すぐに追撃を―――。
頭に靄がかかり世界が僅かに歪む。膝からガクっと力が抜け身体が沈み込んだ。
しまった!?くそッ!くそッ!クソッ!!
惡獅氣の反動により、瞬間的に脱力状態に陥ってしまった。
凛童の右手が黒炎を纏っていく。それはまるで死の宣告。揺らめく黒がニステルの視界に広がった。
「うぉぉぉぉおおぉぉッ!!」
クォルスの咆哮が響く。凛童を討ち取るという意思、犠牲者への想いが雄たけびという形で顕れた。
白炎を纏う刃が背後から凛童の首へと伸びる。
ガァンッ!加護の剣が黒炎を纏う右手の甲によって阻まれた。黒炎が紅炎を相殺してはいるものの、刃を受け止めた鱗は砕け肉を斬り裂く。辛うじて骨にぶつかり刃を留めているに過ぎない。
凛童はクォルスの動きに気付いていたのだ。放つ殺気、魔力の動き、元素の収束。感知できない方がおかしい。それでもクォルスが強硬した理由は単純に押し勝てると踏んでのこと。リアに穿たれた脇腹に、ニステルが砕いた鎖骨の鱗、自身が負わせた首の太刀傷。最早ここで止まるわけにはいかないのだ。
「鬱陶しぃわッ!」
凛童がニステルの頭を踏みつけ軽やかに飛び越える。着地と同時に大剣を持つ左腕を後方へと振り回す。大剣の重さを利用し遠心力で身体の向きを強制的に反転させた。大剣に黒炎を纏わせていき、向かって来るであろうクォルスに備える。
クォルスの目の前に倒れ込んで来るニステルの背中に足をかけ、踏みつけ凛童へと駆ける。
「ぐぇッ!!」
潰れた声が響いているがクォルスに気にした様子はない。今優先されるべきは凛童を討ち取ること。その目標達成の為ならば、仲間を踏むのも蹴りつけるのも厭わない。命があるのだからそれで十分だろう。
黎架を握る拳に力を込める。
リアが吹き飛ばされ、ニステルも地面に突っ伏している。クォルスを除いたら、凛童に近いのはカミルしかいない。カミルが今動かなければ、数的有利が崩れ去ってしまう。
左手を突き出し拳銃を模っていく。
― 我願うは万物を灰燼と化す炎
進撃を以って 我が意志を指示さん 突き進め フルメシア ―
指先に圧縮された炎が揺らめく。赤き炎に蒼き輝きが侵食し蒼炎と化していく。
あの右手が竜の物なら、この炎でも殺れるはずだ。
クォルスの白炎と凛童の黒炎がぶつかり合う、その瞬間に指先から蒼炎が弾け飛ぶ。
圧縮された魔法が、爆発的な速度で黒炎を纏う大剣の腹に直撃した。着弾した威力に、凛童の左腕が引っ張られ閉めていた脇が開く。
蒼炎が黒炎を喰らっていく。それだけでは飽き足らず、クォルスの白炎からも赤の元素を奪い一気に燃え広がっていく。蒼炎が渦を描き、クォルス、凛童の周囲は蒼炎に包まれた。
凛童、クォルス共に目の前で起こる現象に釘付けとなる。
なんだこの蒼い炎は!?吾の黒炎が喰われた?……あのヒュムのガキ、加護の剣以外にもこんな隠し玉を持っておろぅとは。
目を剥く凛童は即座に赤の元素を操り、身体の周りに黒炎の防壁を展開させた。
だが、これが凛童を追い詰める一手となった。魔法を魔法で相殺する、世界の理に則り発動させた黒炎を、蒼炎が喰らい尽くしていく。身体の周りに展開させたことで一気に蒼炎が凛童を飲み込んでいったのだ。
「ぬぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおぉぉッ!?」
蒼炎が凛童を覆う鱗に燃え移る。
馬鹿なッ!!強固で魔法への耐性も高い竜の鱗が消えていく!?
竜の鱗が蒼炎に焼かれ徐々に消し炭となっていく。それだけに留まらず、凛童の右手が変形を始めていた。
鱗と同様に焼き尽くされ、形を維持できずに消し炭となり消滅し始めた。
凛童は不思議な感覚に囚われていた。鱗と右手を失いながらも、別のことに意識が向かっている。
炎に包まれておるのにまったく熱さを感じない。そんなこと有りうるのか?
自身の身体に順に視線を巡らせ新たな異変に気付いた。
右手以外はまったく傷がついておらぬ。何なのだ、この蒼い炎は……。
竜の右手と鱗を燃やし尽くし蒼炎が霧散していく。
蒼炎が消え去り凛童が姿を現した。
「なっ……」
凛童が健在なことにカミルは驚愕した。
あの力に飲まれたってのに、右手と鱗を消滅させただけで無事!?どうなってんだ……。
今まで、蒼き輝きに飲まれたら最期、その身を消滅させてきた。だがどういうわけか、今回は蒼炎に包まれながらも凛童は消滅せずに炎の中から生還している。
面を食らうカミルは衝撃のあまり動けずにいた。
蒼炎が引き起こした現象に、誰もがその身を固まらせている。その中において、唯一の例外がいた。凛童が蒼炎に気を取られている隙に、一人間合いを詰めている。戦場において集中力を欠いた者、動きを止めた者から散っていく。幾度の戦場を潜り抜けてきたクォルスはそのことを熟知していた。だからこそ迷わず目標を達成する為に動くことが出来た。
今こそダインの民の宿願を成就する時だッ!!
加護の剣に白炎が灯る。
この瞬間にすべての魔力を注ぎ込むッ!!
魔力が赤の元素に干渉し、刃に纏う白炎が激しく燃え上がった。
一閃。
上段から振り下ろされる加護の剣が凛童の胸を斬り裂いていく。白炎が傷口を焼き、身に纏う袈裟に炎が広がる。
凛童の目は見開かれ、クォルスと視線がぶつかった。その瞳には驚愕、そして怨嗟の籠ったものへと変化していく。
在り得ぬ在り得ぬ在り得ぬ在り得ぬッ!!
吾が追い詰められている……?
在り得ぬわぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!
その身を白炎で焼かれながら大剣で反撃を試みる――ことができなかった。
視線を下げると、クォルスの右足が大剣を地面へと踏みつけている。
「これで仕舞いだな?なあ、凛童よぉぉぉぉぉぉおおッ!!」
叫び声に反射的にクォルスの顔へと視線が吸い込まれた。
そこにあったのは、せせら笑う侮辱した表情。
クォルスの手首が返り、加護の剣が首を目掛けて跳ね上がる。
凛童の脳裏に ≪死≫ が過る。
人を見下し、虚仮にしてきた存在に命を脅かされている。
屈辱ぞ……。この上ない屈辱ぞッ!!
想いとは裏腹に、迫り来る白炎を纏う加護の剣に抗う術など凛童には存在しなかった。
もし、蒼炎に気を取られていなければクォルスの一太刀に反応できていたかもしれない。
もし、大剣が動かせたのなら加護の剣の軌道を逸らせたかもしれない。
もし、瞬時に大剣を捨て左手で刃を凌いでいれば追い詰められなかったかもしれない。
頭の中はこんなにも回ってくれるのに、身体は反応を示してくれない。
迫り来る刃に目を奪われる。
これが死を迎えるということなんか―――。
悟ったように凛童は瞳を閉じ、来るべき瞬間を受け入れた。
だが、その刻が訪れることはなかった。
「あらら~、凛童ちゃんぴ~んちねぇ」
北門からほど近い建物の屋根の上に、一人の女性が立っている。珊瑚珠色の花柄の小紋を身に纏い、膝まで伸びたウェーブのかかった長い黒髪を耳よりも高い位置でポニーテイルにまとめている。顔の右側に長く垂れるウェーブのかかった前髪が整った顔立ちを際立たせていた。インナーカラーに撫子色が入れているあたり、身なりのこだわりは強そうだ。
「これは貸しひとつってことで~♪」
彼女は右手に掴んでいる物体を凛童目掛けて投げつけた。
「ついでにあの邪魔~な光も消しとこぉ~」
帯に手を伸ばし、差してある鉄扇を引き抜く。
広げながら鉄扇を一振りすると、黒き風が巻き起こる。
黒き風は上空に展開する白の極致魔法ルノアールとぶつかり相殺され霧散した。
クォルスの加護の剣が凛童の喉元を斬り裂く――そう思われた瞬間、加護の剣が纏う白炎が消え去った。同時にクォルスの腕に強烈な負荷がかかる。
「うぉぉ!?」
クォルスの目の前に突如として現れたのは、手首から斬り落とされた右手だった。剣の腹に勢いよくぶつかり、剣の軌道が押し流され、凛童の喉元を掠め空を斬る。
外した!?……いや、外された。それにこれはまさか……。
猛々しく燃え盛った白炎が瞬時に消え去った事実に、クォルスの視線が剣の腹に押し付けられた右手へと注がれる。
凛童の右手か……?
今回の騒動の発端となった凛童の右手。皇国軍が砦へと吊るしているはずである。それがこの場にあるということが何を意味しているのか、察するのに時間は掛からなかった。
目の前に飛んできた自身の右手を見て咄嗟に右腕を動かした。断面同士を押し当て黒の元素を操り繋ぎ合わせていく。骨が繋がり、神経が繋がり、血管が繋がっていく。
筋組織までは繋がりきらんが、今はこれで十分。右手さえ繋がってしまえばこっちのものだッ。
まだ上手く動かすことができない右手を加護の剣へ押し付ける。それだけで魔力と元素の繋がりが断たれる。これで散々猛威を奮ったジスタードの白炎を封じ込める。
「くっ!」
クォルスもまた、白炎を生み出すことができないことを悟る。
そこからの判断は早かった。凛童から距離を取る為に後方へ飛ぶ。
だが、それでも凛童の動きがクォルスを上回っていた。
「死に晒せやぁぁぁぁぁああッ!!」
真正面から繰り出された前蹴りがクォルスの腹に減り込み吹き飛ばす。クォルスは背後にあった建物まで飛ばされ激しく背中を打ち付けた。
最大の脅威が目の前から去り、凛童は天高く跳躍した。空中で弧を描き、近場の建物の屋根へと降り立つ。
口惜しいが今回の戦いは此処までだ……。
言葉には発しない。誇り高い凛童がそんなこと口にできるはずもない。眼下に広がる傭兵達を睥睨し、無言で屋根伝いに北門の外へと撤退していく。
凛童が逃げ出す姿に、カミルは咄嗟に駆け出していた。
「くそっ、逃がすかよッ!」
身体を纏っていた蒼き輝きは役目を終えたとばかりに鳴りを潜めている。それでも凛童を討ち取る絶好機を逃すわけにはいかない。
「駿動走「待てッ!」」
リアの静止の声に足を止め振り返る。
「ザントガルツ内ならまだしも、森の中に逃げ込まれたらお前に勝ち目はない」
その言葉にカミルはイラついた。
「あと一歩で討ち取れるんだ!今行かなくどうすんのッ!!仲間がこんなに殺られて大人しく引き下がれないってッ!!」
「森の中には他の鬼もいるの!それに、まだ凛童の仲間がザントガルツに―――」
地面に落ちる人の影が駆け抜けていく。
その場にいる一同、反射的に駆ける者を確認する為に視線を上へと向けた。
屋根と屋根を軽やかに飛び移る和服の女性の姿があった。北門目掛けて走る最中、顔をこちらに向けカミル達の姿を眺めていた。
皇国軍の制服姿であったのなら、凛童を追っていると納得もできただろう。だが、女性の姿は和服だ。明らかに軍関係者でも無ければ、傭兵の類でも無い。
決定的に人とは一線を画すものが目に入り、カミルは固まった。
ふわりと舞う髪で見えていなかったが、時折覗く後方に流れる髪に沿い生える角。それが彼女が鬼であるということを物語っていた。
「女の鬼………」
誰かの呟く声で、ようやく思考が追いついてきた。
「凛童の、仲間……?」
リアが訴えてきた凛童の仲間の存在。それが顕在化したのだ。
艶やかな珊瑚珠色の小紋を靡かせ、女の鬼が北門を軽々と飛び越え姿を消していった。




