ep.69 穢れた存在
強大な鬼との遭遇戦を終え、一向はザントガルツへと帰還を果たした。失ったシューワの右手を回復させるべく、オルトが付き添い皇国軍の砦へと向かって行く。
カミル達は、ローリエンスに先導され傭兵の詰め所である武家屋敷へと入って行く。
ここに来るまで、苦労はそれなりにあった。帰還時のエジカロス大森林での鬼との遭遇戦。凛童の右手を運んでいることもあり、カミルとニステルは参加せず、シューワに至っては右手を失っている。残りのメンツで道を切り開くしか無かった。幸い言葉を介すほどの知能を持つ鬼は現れず、有象無象の鬼ばかりで、飛んでくる虫を払うが如くただ武力で押し潰すことができた。そのお陰もあってか、鬼の角の数はそれなりに集まっている。
森を抜けたかと思えば、今度は門兵で足止めを食らってしまう。濃密な黒の元素の反応を宿す鬼の右手を持ち帰ったことで、上官の指示を仰がなければならず、ただ只管待つという無駄な時間を過ごすことになったのだ。
皇国兵の中にリディスの民がいたことで、シューワの腕の簡易的な治療が行えたのは一向にとっては幸運だった。ただ、完全に右手を失っていることもあり、完全な治療を施すには上級の回復魔法が必要らしい。
通過の許可が下りたのは、それから30分ほど経った頃だった。凛童の右手は皇国軍預かりとなり、中央にある砦に運ばれる形となる。右手を引き渡す際、凛童が奪い返しに来る旨は伝達済みである。
門を潜ってからも、方向が同じこともあり皇国軍の後を付いて行く形になった為、街中を歩くカミル達は奇異の視線が向けられる。視線が集まることに慣れない一行は、居心地の悪さを感じながら歩く羽目になったのだ。
「―――と言う次第です」
朝、申請書を書いた部屋まで通され、ローリエンスは事の詳細をダインの民の纏め役であるクォルスに報告を完了させた。
腕を組み静かに報告を聞くクォルスは渋い表情を浮かべている。
名持の知能が高い鬼が2体も現れ、その内の1体が近々襲撃に来るとなれば当然だろう。
「烙葉に凛童か……」
「はい。見た目からは想像もつかない力を有しています。侮れば被害は大きくなるかと」
クォルスは瞑目し、考えに耽っている。
「凛童って鬼は好戦的でしたけど、烙葉という鬼はまだ話が通じそうな雰囲気でした」
それが俺が感じた感想だった。より強大な力を秘めていそうな烙葉とは対話で解決すれば、無駄な戦闘を解決できるかもしれない。
クォルスの目が開かれ、カミルを見据える。
「烙葉は話が通じる?冗談はよせ。あれは紛う事なき鬼の中の鬼、情け容赦の無い人の敵だ。女の姿で話が通じそうだと思っていたら、呆気なく命を狩り取られる」
凄むクォルスの瞳が煌々と輝いている。威圧的な雰囲気にカミルは息を呑んだ。
「その言い分だと、クォルス、あんた何か知ってんな?」
威圧が通じない男がひとり――ニステルが疑問を口にした。
クォルスの視線がニステルへと移る。
「ふんッ。長く鬼と戦っていれば、出遭っていても不思議ではあるまい」
「何を知ってんだ?俺達はこれからそいつらと戦わなきゃならねぇんだ。洗い浚い吐いてもらうぜ?」
挑発的なニステルの言葉に、場の空気が張り詰めていく。
ローリエンスも仔細を知らないのか、クォルスに訴える目を向けている。
一同の視線が集まる中、クォルスが重たい口をようやく開いた。
「烙葉は、エジカロス大森林南部の首領の鬼と言ってもいい存在だ」
衝撃的な事実に「首領……」言葉が零れる。
「アレは、確かに会話はできるが、こちらの話なぞ聞き入れん。そもそも、対話する相手とも思っていない。このザントガルツを、捕食対象である人を増やす為の牧場としか見ていない存在だ。人の言葉なぞ聞き入れるわけがない」
「えっ?牧場……?」
牧場って家畜を放し飼いするアレのことだよな?人が家畜?
「そうだ。アレは知能が高い。人を無尽蔵に喰らい続ければいずれ居なくなることを理解している。だからこそ、人が繁殖していけるだけの人数は残しているんだ。街が大きくなればなるほど人が増えていく。そうすれば、より多くの人を喰うことができるって算段さ。ある程度の自由を約束する代わりに、定期的に人を狩りに来る。それがザントガルツの実情だ」
「そんな!街の人達はこの事を知っていて暮らしているとでも言うの!?」
リアは眉を顰め、哀し気な表情を浮かべている。
「そんなわけ無かろう。知れば皆、我が身可愛さに街を離れようとする。烙葉がそれを見逃すと思うか?」
「………」
誰も反論することが出来ずに口を噤んでいる。
「逃がすくらいなら、喰ってしまうと考えた方が自然だ。だからこの事は、皇国軍と俺しか知らん。住民には伝えず、定期的に鬼が襲来すると思わせていた方が結果的に被害は少なくなる」
何も知らずに暮らしていた方が幸せ、そう言いたいのだろう。けど……、怖いのは事実が漏れた時だ。皇国軍と傭兵が守ってくれる、安全に暮らしていける、そう思っているからザントガルツで生活を営んでいるんだ。それに、今の言い方だと、被害が出ることを容認しているように聞こえる。
「それって、人に被害が出ることには目を瞑れってことですか……?」
リアとニステルの表情が鋭くなった。カミルの発言でダインへの不信感が増した結果だ。
「……そういう事になるな」
リアがテーブルを拳でバンッ!と叩き、クォルスに食って掛かる。
「そんな事許されると思ってるのか!人の犠牲に目を瞑れ?できるわけないだろうがっ!!」
身を乗り出すリアをカミルが必死に抑える。
「ここで言い争っても仕方ないって!クォルスさん達も、そうしたくてしてるわけないでしょッ!」
現状を打破できるなら当にやっているはずだ。それができていないということは、烙葉という鬼に束で掛かっても敵わないということ。それがわからないリアじゃないはずなのに、溢れた感情の処理が追いついていないのだろう。
激高するリアを目の当たりにして、カミルは至って冷静だった。リアが怒り狂う姿を見ることで、返って冷静になっている。
「そんなに烙葉って鬼は強ぇのか?」
クォルスは静かに頷いた。
「烙葉だけでも手に負えん状況の上、凛童という相棒のような鬼がいる。安直に手を出せば、ザントガルツは壊滅するだろう」
6人掛かりで凛童とようやく戦えた、と言えるかはわからない。
『不完全な状態で飛び出して行ったのはお前よ?』
烙葉の放った言葉が本当だとするなら、凛童は十全の力を発揮していたわけではないのだろう。
「皇都の軍に応援は呼べないのでしょうか?」
「それは叶わんだろう。皇都は皇都で、エジカロス大森林の北部の鬼と戦っている。近々掃討作戦が実行されるという話しだが、少なくとも作戦が終わるまでは増援は望み薄だ。俺らだけで対処するしかない」
状況としては絶望的。ザントガルツの現状を変えられないのなら、せめて右手を取り返しに来る凛童だけは何としてもやり過ごさないと……。
「やはり私達は、鬼の発生について詳しく知らないといけないみたいだ。精霊の黄昏で鬼が生まれなければ、今のザントガルツのような状況にはならないはずよ」
リアの瞳には、歴史を変えようとする強い意志が宿っている。
「またその話か?本当に過去からやって来たというのなら、ぜひとも悲劇を食い止めて欲しいものだ」
小馬鹿にするような発言をしている割に、クォルスの口元は緩んでいた。本当にそう願っているかのように。
でも何でダインの民はザントガルツを、ダイン以外の種族の人を守るんだ?今の説明だけだと、ダイン達に守るメリットがないように感じたけど。
人が行動を起こすには必ず理由が存在する。腹が減れば食事を摂るし、喉が渇けば水を飲む。なら、ダイン達は何を思って守るのか。守ることで得られるメリットは何なのか。
クォルスさんはまだ何かを隠している?それとも、オーウェンが関係していて話すことが出来ないのか?
カミルは考え込むも、答えを出せずにいた。
「だから聞かせて。ダインが何故帝国と戦ったのか。精霊の黄昏後の鬼との戦いの歴史を」
リアの真剣な眼差しがクォルスへと注がれる。クォルスも視線を外さずに、瞳の奥にある感情を確かめるような目を合わせ続けた。
ゆっくりとした瞬きをひとつ挟むと、クォルスは語り出した。
「前にも言ったが、オーウェン様に関することは話せない。だから、話の辻褄が合わないところが出てくるが、そこは理解してくれ」
リアの表情が和らいだ。
「それでも構わない。私は真実が知りたいんだ」
クォルスが無言で頷いた。
「帝元戦争が始まってすぐの事だった。精霊信仰のある王国を救うべきであるという言葉がきっかけで、ダインの民は結束を強めていった。別に王国に借りがあるとか、国家に対する好き嫌いの話ではなく、元素に対して敬意があるかで判断された結果だ。精霊を信仰していると言うことは、元素に敬意を払っているのにも等しい。それに対して帝国は、元素を魔導兵器の燃料としか見ていなかった。元素に敬意を払い尊重する国家と、元素を消費し乱す国家。どちらが世界を貶めているのかは一目瞭然だろう」
「だから帝国を見限り、王国側についたと?」
「この世界は元素が根幹を成している。元素と共に歩むことこそ、本来の在るべき姿だ。帝国の在り方は世界の理に反している。それだけで打倒すべき対象だろう」
「………それじゃ、帝国が魔導兵器を捨て、元素と共に歩む国家に成れば、ダインの民の侵攻は起こらないってこと?」
「その可能性は十分にある。だが、一時的な方針変換では意味がない。継続してこそだ」
第2皇子キーステッド・ログ・クルスさえ即位しなければ、まだ帝国の方針を軌道修正することは可能だろう。だが、帝国内の勢力図で言えば、第1皇子派が劣勢ではある。ゼーゼマンの策謀により、皇帝と騎士団の影響力に影を落としているのが現状だ。魔導兵器が完成している以上、それを放棄しろと言われて素直に聞き入れるはずがない。
「精霊達が自ら動いていることから、帝国が招いた元素の乱れの深刻さは明らかだろう。精霊達の動きに同調し王国が参戦。自然との調和を重んじるエルフ達もまた、帝国との魔導兵器の破壊に動き出した。目的を同じとする王国、エルフの民、ダインの民が集い、一時的に同盟を結び帝国の打倒を目指した。結果は知っているだろう?」
「帝国は破れ、滅んだ」
クォルスは頷き言葉を続ける。
「魔導兵器の破壊には成功したが、その代償は大きく、帝都そのものを吹き飛ばす結果となった。帝都跡は、今ではアルス湖の一部と化している。魔導兵器を使った反動で鬼が誕生することとなる」
「どう言うこと?」
「精霊時代は、ダインと魔族を混同していたと聞く。そこは間違いないか?」
「そうね。魔族は人に仇名す存在として認識されていたわ。角付と呼ばれる人の言葉を操る魔族が出てきたことで、帝都に報告に向かったわ。でも、それで私達はこの時代に飛ばされてしまったわけだけど。それ以前に言葉を操る魔族が出てきたことはないわね」
「本来魔族という呼び名は、ヒュムなどがダインの民に名付けたものだ。竜時代の終焉でダインの民がルナーナ大陸に渡って交流が途絶えたことで、特徴の似ている元素の乱れの顕在化を魔族と呼び始めたのだろう」
「へえ、元素の乱れの顕在化ね~。面白い表現の仕方だわ」
リアは独特な表現に感嘆し、興味深そうにクォルスを眺めている。
「こちらとしては迷惑な話なんだがな。紅い瞳をしているだけで襲われたようだから、当時を生きたダインの民にとっては生き辛い世の中だっただろう」
当時のダインの民の苦労を察してクォルスの表情が渋くなる。
「魔導兵器を使用したことで元素が大きく乱れ、結果としてより強力な魔族である鬼を生み出す結果となったと見られている。もちろん、それだけであれほどまでの鬼が生まれるとは考えにくい。元素の乱れと別の要因が結び付いた結果、魔族は鬼と化した」
「別の要因?」
リアが訝しむ。
「大きな戦争が起これば、必ず多くの犠牲者が出る。命を失った者達の情念が、肉体を失って尚この世界に留まり続けた。怨嗟の想いが穢れとなり、魔族に取り込まれ鬼という特異な存在として顕現した。これが鬼の誕生というわけだ」
鬼の誕生を防ぎ、ダインの民による侵攻を防ぐには、戦争を回避するしかない。それがどんなに困難な道であっても、負の連鎖を断ち切るには帝国そのものを変えるほか道はないのだろう。
クォルスの話を聞き、カミルの積極性に欠けた歴史を知るという考え方に変化が生じ始めていた。
「話してくれてありがとう。悲劇が生まれないように努力してみるよ」
リアは柔和に笑いながらも、その瞳には強い意志が宿ったままだ。
「元の時代に帰れるかもわからないのにご苦労なことだ」
「帰れる保証はないけど、ここで学ばなければ帰った時にきっと後悔する。それだけは避けたいのよ」
「何にせよ、目下の課題は凛童だ。今まで、街に襲撃に来る時期がわかっていたことは無かった。ある意味では凛童を討ち取る好機でもある。お前達の力も借りることになる。心せよ」
来るべき凛童との再戦を念頭に、各々が準備を整えることとなった。その間の鬼退治は控え、ザントガルツの守りを固める方針で動くとのことだ。
「それで?お前の刀が独りでに動いた種は何だ?」
宵の色に染まる街を歩いていると、ニステルが疑問を投げかけた。
「やっぱりアレ、動いてたよね?」
眉間に皺を寄せ「お前ぇ……」呆れた声を上げられてしまう。当の本人も理解していないことを説明できる筈もない。
カミルは腰に差さった黎架を見つめ、凛童との戦闘を思い返していた。
「思い当たる節はあるんだけどさ、本当にそうだとは言い切れないんだよ」
かつてフィルヒルの口から語られた理外の力のひとつ『魔力の遠隔操作』。魔力を込めた物体を操る念動力。可能性があるとするならそれしか考えられない。幾度となく練習してきたけど、成功したのはドムゴブリンとの戦闘での1回きり。それも意識的に操ったわけじゃないし、偶発的な発動に過ぎない。だけど、今回の発動で分かったこともある。おそらく、念動力を発動させるトリガーとなるのは圧縮魔力だ。普段行っている鍛錬の時は、暴発を予防する為に通常の魔力だった。だけど、凛童との戦闘もドムゴブリンとの戦闘も、念動力が発動した時は圧縮魔力を込めていたんだ。念動力が扱えた人が少なかったのも、魔力を圧縮するという概念が無かったからと考えれば納得できる。
圧縮魔力。元帝国騎士団長のハーバー先生や高位の冒険者のリアが知らなかっただけに、自分が世界で初めて扱えたとばかり思っていたのにな……。残念だ。
「何に納得いってないんだ?」
「再現性かな。まだ自分の意思で使えたことはなくてね。それも凛童との再戦までには答えは出ると思う」
また明日、万全な状態で試してみればいい。それで答えは出るのだから。
「そうか」
ニステルの視線が黎架を捉える。
「その刀の黒の元素を奪う力は、凛童との戦いで大いに役立つ筈だ。大鬼の姿から子供の姿に戻るくらいには弱体化できてたしな。右手を失っている今が凛童を葬り去る好機、逃すわけにはいかねぇ」
烙葉という凛童よりも強力な鬼が存在する以上、倒すチャンスを見す見す棒に振るのは愚行であるとニステルは考える。万全な状態であれば、一騎当千の鬼になる恐れがある。単独でそれなら、烙葉と凛童が共同戦線を張った場合、被害は非常に深刻なものとなるのは想像に難くない。
「いつもは飄々とした態度だってのに、やたらと慎重じゃない?そんなに魔法が効かなかったのがショックだったの?」
らしくないニステルの態度をリアは気にかけていた。普段の彼なら、事実を受け入れ、自分の力を信じ最適な選択を取ろうとしているだろう。今回に限ってはカミルの持つ黎架の力に頼ろうとしている。頼ることが悪いというわけではない。自分自身の力で打開しようとする素振りが見られないのが問題なのだ。
「んなわけねぇだろ。魔法を阻害する右手は凛童から切り離されているんだ。前みたいに簡単に消されることはねぇよ」
語るニステルの表情は晴れない。
「だがな、万全な状態じゃなかったにせよ、あの鬼は俺の魔法を物理的に叩き落してたんだ。現状の俺の魔法じゃ、致命傷を負わせることはおそらく無理だろう」
黄の元素の適正に恵まれ、威力も発動速度も充分に高水準のニステルの魔法が通じていないという事実がある。凛童の右手に掻き消されたわけでもなく、魔法や武技で防がれたわけでもない。ただ、左拳を叩きつけただけで魔法は弾き飛ばされ、強固な皮膚には目立った傷らしい傷を付けられずに終わっている。
「武技と総術の組み合わせで挑もうにも、黒の元素で強化されたシューワの右拳を簡単に握り潰すほどの膂力を秘めている。そんな相手を前に策も無しに突っ込むほど馬鹿じゃない」
惡獅氣であれば鬼の皮膚を突き破ることも可能だろうが、乱発できるものではないし、長期戦になれば周りの足を引っ張る危険性を孕んでいる。
「それで黎架の黒の元素を奪う力?その刀も限りなく近寄らないといけないんだよ?危険度はニステルと一緒じゃないか」
「それで念動力について聞いてきたんじゃない?直接近寄らなくても、黎架を自在に操れるのなら危険度はぐっと下げられるし」
そう、きっとニステルは確かめたかったんだ。遠隔で凛童の弱体化が可能かどうかを。
「俺が知りたかったのは、できるかできないかだ。使えるのが確定したわけじゃねぇし、別の手段も考えねぇとな」
ニステルが空を見上げる。輝き出した星々の光が煌めいていた。澄んだ星空に飲み込まれてしまうような、漠然とした不安を抱かせる。感情ひとつでものの見え方は大きく変わる。凛童という脅威と遭遇し、ニステルの心に影を落としていた。
いつもと変わらない日常。いつもと変わらない街並み。それも直に戦に塗れる。どこかから漂ってくる肉を焼く香りが鼻孔を擽るも、ニステルの食欲は一向に湧いてこなかった。
「今晩は早めに休もう。脳が疲れていたら、碌な案も出てこないよ」
言葉数少なく、一行は街に溶け込むように消えていった。
翌日、各自で戦闘の準備と気持ちを整える為に時間を費やしていた。
カミルは一人、広場へと足を運んでいる。念動力を意識的に発動させることができるか確かめる為だ。圧縮魔力を扱う以上、少しでも広い場所で行ったほうが安全だと判断したからだ。皇国軍、傭兵は凛童に備え街中に滞在しているが、それ以外の仕事を生業としている人達は街を出入りしている。日中の時間帯であれば、広場は比較的人の往来は少なくなる。
周囲を見渡し人が周りにいないか確認をし、腰に差している黎架を鞘ごと引き抜いた。掌の上に黎架を横たえる。
まずは通常の魔力を込め、心の中で「浮け」と強く念じてみた。
暫く眺めてみるも、黎架はピクリとも反応を示さなかった。
ここまではいつも通りだ。鍛錬を繰り返していた時とまったく同じ。やっぱり通常の魔力では反応はないな。
黎架に宿った魔力が完全に抜けきったことを確認すると、続けて圧縮魔力を込めていく。
問題はこっからだ……。
圧縮魔力で駿動走駆を発動させると、魔力が勢い良く放出され爆発的な加速力を生み出している。同じことを念動力で行えば、念じた動きを再現できた場合、黎架が弾かれたようにどこかに飛んで行ってしまうのではないかとカミルは心配だった。
そこでふと思った。別に黎架で実験する必要がないということに。圧縮魔力を込めることができれば、木の枝やその辺の石でも代替できるだろう。成功してから黎架で試せば良いのだから。
黎架を腰に戻し周囲を見渡すも、石が敷き詰められた地面には何も落ちていない。仕方なく懐から銅貨を1枚取り出し掌に載せ、圧縮魔力を込め始めた。
圧縮魔力が銅貨を包み込み淡く白い輝きを放ち始める。意識を銅貨に集中し、心の中で「浮け」と強く念じた。
銅貨がカタカタと揺れ始めた。
僅かに浮き上がり、ゆっくりと上昇していく。
浮かんだ――。
目線の高さまで浮かぶと、射し込んだ日の光が銅貨に反射しカミルは目がくらんだ。眩しさに意識が奪われた途端、銅貨は落下し掌の上に戻る。
目を瞬せ銅貨へと視線を落とした。
「ははっ、ははっ、ははは」
念動力が扱えたことに思わず笑みが零れる。不気味な笑い声を上げるカミルに、通行人が不審がりながら通り過ぎて行った。傍から見ればただの痛い人にしか映らず、積極的に関わり合いになる人などいないだろう。視線を感じながらもカミルは気にした様子はない。初めて意識的に念動力を使うことができ、羞恥よりも喜びの方が勝っていた。
銅貨の載った掌を握り締め小さくガッツポーズを取る。
よしッ!ようやく……、ようやく動かせた!
大袈裟に喜びを表すことはしないが、その顔は緩み切っている。頭を左右にブンブンと振り、ニヤけた顔を引き締めた。
もう一度だ。今度はもっと高く、もっと長い時間浮かせてみる。
手を開き銅貨に意識を集中する。
意識が逸れた瞬間に落ちたってことは、念じ続ければ込めた魔力が抜けるまでは浮かぶのか?
銅貨に圧縮魔力を込め、銅貨に「浮け」と強く念じた。
その瞬間、銅貨が勢い良く空へと跳ね上がった。
「うぉ!?」
顔の前を一瞬で過ぎ去っていく。建物の2階、3階の高さまで上がり、浮かんだまま空中で動きを止めた。
自分が思い描いた動きとはかけ離れた反応を示した銅貨を、カミルは呆けたように見上げることしかできなかった。
強く念じ過ぎた?込めた魔力量がさっきよりも多かったか?銅貨を動かすまでの時間に差があった?
考えれば考えるほど、結果に対する原因の候補が挙がってくる。
余所事に思考を割きすぎたのか、銅貨が落下を始め、2〜3度地面を叩いた後その動きを止めた。
これは何度か検証してからじゃないと、黎架を試すのは辛いかもしれない。
落ちた銅貨を拾い上げ、再び圧縮魔力を込める。
時間がどれだけあるかわからないけど、できる限り力の扱い方を身に着けないと。
それから暫く、カミルは念動力の鍛錬に励むのだった。
カミルが念動力の鍛錬に励む頃、ニステルはザントガルツを抜け出していた。とは言え、北門を抜けた外壁のすぐ脇である。
空には無数の小ぶりの岩石が浮かんでおり、一斉に地面に向かって降り注いだ。岩石は重力に従い落下し、大地に突き去っていく。砂埃を巻き上げ、周囲の景色を霞ませる。ザントガルツの周囲は、幾度もの戦闘を経て大地の至る所に凹凸が生まれている。ニステルが新たに傷をつけようとも気にする人はそうはいないだろう。
岩石が降り注いだ大地を眺め、ニステルは頭を掻きむしり首を左右に振った。
こんなんじゃ駄目だ。いくら凛童が右手を失ったとしても、この程度の威力じゃ硬い皮膚を貫けねぇ……。落下する力を利用すれば威力が上がると思ったんだがな……。岩を大きくするか?―――駄目だ。発動までに時間が掛かれば、逃げる時間を与えることになる。なら先端を尖らせるか?―――強度が心許無くなるか。一層のこと、発動までの時間は度外視で詠唱で確実に威力を上げる方がいいのか……?
自問自答を繰り返すも、明確な答えが出ずにニステルは頭を抱えるのだった。
シャキシャキシャキシャキシャキシャキ
宿の室内に刃を研ぐ音が響き渡る。ツナギ姿のリアが剣を持ち上げ、刀身の状態を念入りに確認していく。
凛童との戦闘で摩耗した愛剣の切れ味を戻していく。鬼の体内に挟み込まれていた為か、刀身の一部に黒ずみが生まれ、研いでも中々状態が戻らない。
これが鬼の穢れってやつなの?
強度に変化はない。ただ薄気味悪い斑模様が染み付いているだけだ。剣にどんな影響が出るかわからない以上、表面を削り状態を戻す他ない。
鬼との戦闘の影響のこと、もう少し細かく確認しとくんだった……。暫く研いで駄目ならクォルスの所へ行くしかないな。
凛童がいつ来るかわからない以上、優先的に作業しなければならず、食事も最低限しか取れていない。
ああ、フルーツの載ったケーキが食べたい。
糖分を欲する身体に鞭を打ち、只管に手を動かすのだった。




