ep.68 右手を巡る攻防
黒の元素を纏い、シューワは駆け出した。
リアの一撃を受けてなお、大鬼は諸共していない。纏う雷を見て、緑の極致魔法を発動しているのをシューワは察している。
解せんのは剣に纏う雷を受けてるってのに、何であんなピンピンしてるのかってことだ。電撃を受ければ身を焼かれ、場合によっては身体の自由を失うはずなんだ。それに対してあの大鬼は何の反応も示していない。痛覚が無かったり鈍感であれば、痛みに対して無反応なのはまだ納得できる。だが、雷による火傷の後も無ければ身体が麻痺した素振りなんかもない。………鬼の身で赤と緑への適性を持っている?
鬼は黒の元素の影響で生まれる存在である。肉体が生成される段階で、必要最低限の黒以外の元素を取り込む事が判明している。だからといって、他の色への適性を得るわけではない。現にこれまでザントガルツの兵士、傭兵達が出会った鬼の中に、黒以外の適性を持った鬼との遭遇は一度足りとも記録されてはいない。知能が高い鬼とされる存在もまた、その例に漏れることはない。
なら、あの大鬼は特異体か?
大鬼との距離が詰まり、シューワは両手を黒化させていく。拳を握り締め、右手を振りかぶる。
特異体だろうと、やることは変わらねー!大鬼の頭をぶっ飛ばして、それで終いだ!
背後から頭目掛けて飛びかかる。大鬼は未だにシューワに気付く様子はない。必中の一振りが大鬼を襲う。
その一撃は難なく止められてしまった。振り返ることもせず、無造作に動いた大鬼の右手の中に拳が収まってしまった。
「奇襲を仕掛けるつもりなら、その殺意と元素を抑えて来なッ!」
大鬼の右手がシューワの拳を握り潰していく。
バキバキバキッ。
「ぐぁっあぁぁッ!」
拳の骨が砕け、血が噴き出す。肉が細切れと化し、手首から先を失った。
シューワの悲鳴にオルトが駆け出す。反射的なことだった。仲間のピンチに身体が勝手に反応してしまったのだ。身体を大人の姿に変化させたとはいえ、真正面からぶつかり合うのは今のオルトには荷が重い。それでも助けに向かわなければシューワの命がここで潰えてしまう。そんな焦燥感から来るものだった。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
声を荒げ、大鬼の注意を引くべく叫んだ。目論見通りに大鬼の視線がシューワを捉える。
両手の爪を伸ばし、黒の元素を収束させていく。
攻撃が通るかなんて、この際二の次だ。今はシューワから少しでも意識を逸らさないと!
オルトの脚力では大鬼の下に辿り着くのに多少時間がかかる。時間稼ぎの為に左腕を大鬼に向かって振り切った。爪に収束した黒の元素が蠢き、黒い斬撃となって飛び出した。
大鬼の右手が黒い斬撃へと翳される。掌に斬撃がぶつかり、魔力と黒の元素の繋がりが断たれ霧散していく。
あいつらの読み通り、魔法はあの右手で消え去るのは間違いないな。だけど……、攻めるなら左腕が身体から離れている今だ。大鬼を殺すのも、シューワを救い出すのも今しかないんだッ!
「纏!」
右腕1本に魔力を集中させる。ローリエンスとシューワでも大した傷をつけることができなかった。だからこそ力を一点に集中させる必要がある。元素を使った強化では、その力そのものが消される恐れがある。なら、元素を介さない強化を施せば良い。純粋な魔力だけの武技による腕力の強化。それが、オルトが出した答えだった。
右拳を振り絞り、淡く白い輝きを纏う拳を大鬼へ向けて放たれた。
オルトの動きに反応し、大鬼の右拳が迎え撃つ。
ドォンッ
ふたつの拳がぶつかり合う。力が拮抗し、拳が相手を打ちのめそうと腕の筋肉が膨れ上がる。黒の元素で身体を大きくしているが、大鬼の右拳に触れているのに元素が霧散していく様子がない。
纏で覆っているから?元素での身体強化も、魔力で直接覆ってれば防げるのか……?
「真正面からぶつかりに来る意気込みや良し。その想いに応えてやろう」
大鬼の右手に魔力が集まっていく。魔力を纏えば淡く白い輝きが可視化されるのが一般的だが、鬼の拳からは黒い靄が立ち昇る。鬼という特性なのか、はたまた魔法を霧散する右手の特性か。人とは明確に違う存在であるということを如実に物語っている。だが、不思議と元素の反応はない。
明らかな侮辱だ。
世界は元素に支配されている。大地や空、肉体さえも元素の力無しでは維持できない。多くの武技や魔法といった類の力も例に漏れず元素に依存している。それが意味するのは、元素の力を借りなければ強大な力を操ることができないということ。
こいつからしたら、俺なんて眼中に無いってことか……。っざけんなッ!今の俺じゃ殺し切るのは厳しいかもしれない。でも!舐められたまんまじゃ終われねーんだッ!!
オルトの魔力が右拳に集まる。魔力量に比例して纏で得られる力が増幅していく。
オルトと大鬼。白と黒の魔力。互いに力を振り絞るも、均衡を崩すまでには至らない。
バキバキバキ。
踏み込む足が力を伝えようと地面を砕く。
「小僧の割にやりおるな」
大鬼はどこか嬉しそうにケラケラと笑う。純粋に戦いを楽しんでいるのか、必死に食らいついてくるオルトの姿が滑稽に映ったのかは分からない。でも、大鬼が未だに全力を出していないのだけは伝わってくる。
その時、大鬼の頭が大きく揺らいだ。
打ち付けた身体を起こし、大鬼を見据える。ズキズキと痛む脇腹を摩り、感触的に骨に異常は見当たらなかった。近距離で肘での攻撃なのが幸いした。腕の力を十全に伝えきることが出来ず、身体が吹き飛ぶ程度で済んだのだから。
右拳に魔力を集め、すぐさま大鬼に向かって駆け出した。
あの大鬼は、鬼の中でも非常に強い部類に入るだろう。纏う黒の元素が濃すぎる。半端な攻撃が通る相手ではない。だからこそ、一気に勝負を決めるべく可能な限りの闇を手刀に纏わせたわけだが、軽微な傷跡しか残せていない。別のアプローチを試みるか……。
再び右手に闇を纏わせていく。今回は拳を握る。
意識がオルトに向かっている隙を突いて、黒化した右拳を大鬼の側頭部に叩きつけた。
頭が傾き首が折れていく。角度的に首の骨が折れていても可笑しくはない。人の身であればだが……。
ローリエンスの右拳に纏う闇が途端に揺らめき出した。闇が蠢き、肘に向かって這い上っていく。触れた拳が大鬼の頭から闇を引き出し、黒の元素を吸い取り始めた。直接的な攻撃は強固な表皮に阻まれる。なら、力の根源である元素を奪い取れば大鬼の力を削ぎ落とせる、ローリエンスはそう考えたのだ。
時を同じくしてシューワもまた動き出す。
ズキズキと焼けるような痛みを感じながらも、残った左拳を握り締めた。
俺は戦士だ。戦いの中で傷付く覚悟は出来ている。こんなことで心が折れたりなんかしない。やられたらやり返せばいい。
握った拳から人差し指と中指の2本を突き出した。
手刀で無理なら、更に黒の元素を収束すればいい。
2本の指に今持てる黒の元素と魔力を流し込んでいく。全身の皮膚の黒化が解かれ、身体を覆っていた元素が指へと移動を始めた。
闇が深くなる。
鋭く薄く伸びた黒の元素が薄刃の闇へと変化した。
左手を右肩の上まで振り上げると、大鬼の左足首に向かって一気に振り下ろす。
ブゥンッ
足首の皮膚に闇がぶつかり大鬼の中へと沈み込んでいく。皮膚を引き裂き肉を断ち切る。硬い何か――おそらく骨にぶつかりシューワの腕が止まった。
途端に大鬼の身体が揺らぐ。左足が身体を支える力を失い、ローリエンスの拳が突き刺さる大鬼の身体が左へと倒れていく。
大鬼の身体が倒れていく姿をオルトは見逃さない。
ぶつけ合った拳を受け流し、更に懐へと踏み込んでいく。身体を屈ませ大鬼の腹部が眼前に迫る。
「うらぁぁぁぁぁ!」
拳を下から突き上げ、土手っ腹にオルトの渾身の一撃が減り込んだ。
大鬼が僅かに浮き上がる。
横へ倒れ込む力に下から押し上げる力が加わり、大鬼の身体は拳を軸にして回転しながら弾け飛んだ。
リアを追いかけて来る左手が不意に地に落ちた。大鬼の身体が吹き飛んだことで、左手を操ることが疎かになった結果だ。
解放されたリアが弾けるように大鬼へと突っ込んで行く。
討ち取るなら今!
左手に纏う雷の外骨格。そこから伸びる爪を振り翳し飛び掛かった。
その瞬間、大鬼の身体から黒い霧が吹き出した。蒸気のように熱を持ち、突風が如く吹き荒れる。
「あつッ!?」
黒い霧の風圧に押され、リアの身体が押し戻された。吹き荒れる闇が身体を包み込み、蒸気の熱が纏わり付いてくる。
ドォンッと大鬼が大地に倒れ込むような音が響いて来るが、視界を遮られ姿は確認できない。
好機を逃したか……。
身に纏う雷がバチバチっと弾ける。リアの苛立ちを現したかのようだった。
黒い霧の噴出が収まり霧が晴れると、片膝を着いた状態の大鬼がオルト達ダインの民を眺めていた。
「くぅはっは!いいぞ、もっとだ!もっと死力を尽くして喰らいついてこい!吾を楽しませろッ!」
言葉とは裏腹に首が傾き、左足からは赤き血が溢れている。傍から見れば満身創痍に見える。不安を煽るのは大鬼の表情だ。心の底から愉快そうな狂喜に満ちている。
その姿にダイン達の動きも止まってしまっている。
一連の攻防の影響か、大鬼の左脇腹に挟み込まれたリアの剣がダイン達のすぐ傍に落ちているのが見える。
隙を見て回収しないと。
「止まるな!休む暇も与えるな!」
金色の槍が大鬼目掛けて飛んでいく。
「そうだ!もっとだ!もっとせめて来い!」
大鬼の右手が黄金の槍に翳され、霧散していく。
「この程度の傷なぞ不利にもならんわ。みんなまとめて掛かって来い!!」
大鬼の叫んだ直後、カミルが大鬼の目の前に現れ黎架を突き出していた。
大鬼の身体が吹き飛んだ瞬間、黎架に圧縮魔力を注ぎ込んでいた。ローリエンスさんの拳が黒の元素を吸い取り始めたのを見て、俺の役割が明確になった気がした。
黎架の黒の元素を吸収する性質を利用すれば、大鬼の力を削ぐことできるかもしれない。そんな思いからカミルは動き出す。魔力の籠った黎架を右脇の前で構えると、突きの姿勢で身を固めた。
必要なのは瞬発力。大鬼が体勢を整える前が勝負だ。
次いで、両足に圧縮魔力を纏わせていく。
ニステルもまた黄の元素を収束させ金色の槍を生み出している。岩の槍ではなく金色の槍を生み出しているあたり、戦いを終わらせる為の一撃だ。
「止まるな!休む暇も与えるな!」
金色の槍は放たれ、大鬼の右手の前に霧散していった。
それを合図に言葉を紡ぐ。
「駿動走駆」
両足に風が巻きついていく。圧縮された魔力を放出し、カミルは大鬼に向かって弾かれたように飛び出した。
瞬時に距離が詰まる。構えた黎架を突き出し、勢いに身を任せた。特殊な武技の発動方法を取っている為に、細かい微調整は利かない。発動させたが最後、ただ真っ直ぐに突き進むのみである。
黎架の切っ先が大鬼の右手に向かって突き進み、掌に触れる、その瞬間―――カミルは叩き落とされた。
「ぁ゙ぁ゙ぁ゙ッ!」
大鬼の右手は動いていない。間の悪いことに、リアを追いかけていた左手を大鬼が手元に引き戻していた。戻ってきた左手にぶつかり、結果としてカミルは大鬼の右手側に吹き飛ばされる形となってしまった。言ってしまえば、出合い頭の接触事故のようなものだ。
運の悪さが更なる試練を押し付ける。
大鬼の左手とぶつかった際、黎架が手から離れ大鬼の足元に転がってしまっている。
「くぅはっはっはっは。捨て身の突撃を仕掛けておいてこの体たらく。くだらぬ!くたらぬぞッ!」
大鬼が不機嫌そうな声色で嘆く。
大鬼の左手が腕へとくっつき、本来あるべき姿を取り戻した。
身体を起こし、カミルは大鬼を見据える。
「お前こそ、その右手さえ無かったら当にヤられてんだよ……」
そう、右手の元素を霧散させる力のせいで攻めあぐねているだけだ。
「元素に頼り切っておる貴様らが悪い。力の無さを嘆くが良い」
大鬼は下卑た笑いを浮かべ嘲笑う。
「その右手、絶対に叩き斬ってやる!」
黎架を落とし、強固な皮膚を断ち切る術を持たぬまま、心のままに叫んでいた。
不意に、大鬼の足元に魔力が膨れ上がる反応が起きた。
当然、大鬼もその反応に気付き、咄嗟に魔力と元素の繋がりを断つ右手を翳している。魔法が発動しようとも、その右手の前では無に還されてしまう。
「できぬことは口にせぬ方が―――」
大鬼の顔が歪み言葉が止まる。
黎架が独りでに浮かび上がり、大鬼の右掌に突き刺さったのだ。
魔法であれば無に還せただろう。
並みの武器であれば強固な皮膚が弾き飛ばしたであろう。
「何をした?」
温度の下がった大鬼の声が響く。
その光景に呆けているカミルの代わりに、黎架が答えるように大鬼の黒の元素を吸い込み始めた。同時に黎架が動き掌を斬りつけいく。
「ぐっ、うぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
斬り裂かれていく右手を握り締め、指で刀身を挟み込み暴れる黎架を拘束する。
尚も黎架はガタガタと音を鳴らし動き続けようと藻掻いているようだった。それでも黒の元素を取り込む力は衰えず、徐々に大鬼の身体に変化が訪れる。
大鬼の身体が萎んでいく。背は縮み、筋肉は衰え、肌の色が明るくなっていく。もはや大鬼と呼べる存在ではない。そこにいるのは蠱惑的な美少年。人の外観で言うなら10歳ほど。子供が頭に角を付けてごっこ遊びに興じているような風貌だ。
カミルは弾かれたように駆け出した。
大鬼に化けていたみたいだけど、姿が変わったということは黒の元素を失い弱体化したということだ。戦いを終わらせるなら今しか無い!
地面に転がるリアの剣を拾い上げ、鬼に向かって駆け抜ける。
鬼が天に向かって左手を掲げると、森の奥から黒い塊が飛んできた。それは、最初の交戦で投げ飛ばされた黒い大剣。鬼の呼び掛けに応えるように飛来し、手の中に収まった。
「纏!」
カミルの両腕に魔力の輝きが満ち、鬼に向かって飛び掛かった。
「てぇぇぇいッ!」
黒い大剣が振り下ろされる。2mほどある大剣と並の剣では長さに差がありすぎる。当然、カミルが間合いに入る前に大剣が降ってくる。
「やらせるものか!」
リアが発動させた魔法で突風が巻き起こり、カミルが大剣の軌道の左側へと押し出された。
少し遅れて大剣が大地を砕いていく。
だが、風に押された分だけカミルも鬼から遠ざかっていく。
不意にカミルの真下の地面が隆起した。
「決めて来い!」
ニステルの土属性魔法がカミルを足元から押し上げ、鬼に向かって伸びていく。
リアが、ニステルが繋いでくれたこの好機。必ず活かせてみせるッ!
隆起した地面を踏み締め身体を捻る。旅で何度か見てきた剣の軌跡。憧れ密かに練習してきた赤く輝く剣技。
「炎陣裂破ぁぁぁぁッ!」
身体の捻りを最大限に利用し、回転エネルギーを注ぎ込んだ剣を振るう。鬼の右手首を斬り裂き、刀身に宿った赤の元素が炎を生み出し断面を焼いていく。
血が飛び散ることはない。代わりに広がるのは肉を焼いた焦げた臭い。
鬼の腕から右手が斬り落とされた。その瞬間、その場にいるすべての者が一斉に動き出す。
リアがフィルザードの機動力で瞬時に距離を詰め、雷の外骨格から伸びる爪で腹部を貫いた。剣に纏う雷は効かなかったはずだが、右手を斬り落とされた影響か、鬼の腹部を焼いている。
「ぐぅぅ……。調子に、乗るなぁぁぁッ!!」
大剣を手放し、素早く左拳をリアに向かって振り抜いた。
フィルザードを纏うリアが拳を避けるのは造作もないこと。拳が空を切る、その頃には既にリアは後方へと飛び去った後だ。
リアと入れ替わるように岩の槍が3本押し寄せている。
ダイン達も、その拳に黒の元素を宿し接近してきた。
右手を斬り落とされた鬼への総攻撃。誰もがこれで戦いを終わらせる意気込みで力を振るっている。
その時、一つの影が鬼の後方に降り立った。
同時に鬼以外の面々の身体が地面に引き寄せられる。
鬼に突き進む岩の槍もまた、地面に引き寄せられ砕け散ってしまっている。
この感じ……、黄竜の時と同じだ………。
土の足場は崩れ去り、カミルの身体は地面にうつ伏せの状態で縫い付けられた。
必死に視線だけで現れた影の姿を探った。
黒く肩甲骨まで伸びた長い髪。毛先を巻いてハーフアップで整えられ、黒のドレスを身に纏っている。肩を覆った7分丈の袖のワンピース調だが、腰の位置まで大きなスリットが入っている。正面から見ればスリットは大きく開かれ中は丸見えの格好になるが、その奥にはミニスカートが覗いており、黒のハイヒールと合わせて大人びた衣装だ。
そんな衣装を着こなすのは、身長170cmほどの豊かな双丘にくびれた腰を持つ妖艶な女性。怜悧な美しい切れ長の瞳が知的な雰囲気を醸し出している。
だが、ひとつだけ異様なところがある。
頭から生える2つの角。それさえ無ければ、絶世の美女と呼ぶことさえできただろう。
そう、現れた女性は鬼だった。
「凛童、今回はお前の負けよ」
透き通る声が響く。
凛童と呼ばれた美少年の鬼は不快感を露わにした。
「何を言うておる!戦いはこれからだ!まだ負けておらぬッ!」
「不完全な状態で飛び出して行ったのはお前よ?それでそんな状態まで追いやられたんだし。それを負けと言わずして何と言う?」
「………」
凛童は押し黙り、悔しさに顔を顰めている。
「今は引け。勝負がしたければまた後日やり合えばええっしょ?あては直接この目で見れただけで充分よ」
女性の鬼がカミルにちらりと視線を送り、すぐに凛童へと戻す。
「……わかった。今回は引いてやろう」
不承不承といった感じで凛童は女性の鬼の言葉を飲み込んだ。
女性の鬼はカミル達を見渡す。
「それじゃ、またお会いしましょ」
「今回は烙葉に免じて引いてやる。次に遇ったら喰うてやるからな」
凛童が落ちた右手を拾おうと屈む。
「何やっとるの?それはあっちのモンよ。打ち負かした報酬?そんなもんや」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ??」
右手に手を伸ばしたまま、烙葉と呼ばれた女性の鬼へと不満を隠さずに抗議する。
「それなら、あんさん達、右手を持って帰り。近々凛童を右手の奪還に向かわせるから、そこでやり合えばええっしょ?」
どこか愉快そうに烙葉が言葉を投げる。
「くぅははっ!そーいうことか、そうであれば問題はない」
凛童がカミル達に向き直る。
「吾が右手、持ち帰るが良い。束の間の勝利に酔いしれておけ。すぐに奪いに向こうてやるからな」
「それじゃ凛童、帰るよ」
「おうよ」
「ほななぁ」
人の言葉を介す鬼達は、黒い大剣を回収し森の奥深くへと飛び去って行く。
それと同時に、場を支配していた圧力から解放された。
「で?この右手は持って帰るのか?」
ニステルが落ちている右手を眺め、ローリエンスに問いかける。
「回収しようがしまいが、どの道凛童とか言う鬼はザントガルツに現れるだろう。戦いそのものが好きそうな鬼だったからな」
「確かに、しつこそうな性格だったわね」
リアがローリエンスの意見に賛同し、溜息をついている。戦闘の疲れからか、鬼が街までやってくることに対してか……。
「それに、持って帰れば鬼の研究が進む。解析が進めば鬼への優位性が高くなる可能性を秘めている」
今回の戦闘で、知能の高い鬼の脅威は身に染みてわかった。その対抗策が立てることができるなら、右手を持ち帰るべきなんだけど……。
「烙葉って呼ばれてた鬼。凛童よりも強いんでしょうか……?」
凛童の右手に突き刺さったままの黎架を引き抜き、血のりを拭き取る。
「2体の鬼の会話からすれば、格上なのは烙葉と呼ばれた鬼だとは思うが、確定はできん」
ローリエンスさんも烙葉の方が格上だと捉えている。凛童にすら苦戦している俺達が、烙葉と戦えるのだろうか……?蒼い輝きも、鬼には反応を示さないようだし……。
黄竜に似た力を操る存在にカミルの心は不安いっぱいだった。
「何にせよ、この右手は持ち帰る。シューワの手の回復もしないといけない。疲れているとは思うが、ザントガルツへ帰還するぞ」
ローリエンスの言葉に、各々が帰る準備をし始める。
凛童の右手はカミルとニステルが二人して運び、初めての鬼退治は終了した。




