ep.66 鬼退治
ダインの提案を受け入れ、要塞都市ザントガルツでの新しい生活が始まろうとしていた。ダイン達からザントガルツに関する情報を共有してもらえたのは非常に有り難かった。
この街の治安維持は皇国軍直轄の兵団が管理し、その指揮下に傭兵としてダイン達が雇われる形で回っているらしい。今回俺達が加わることになったのは傭兵という形だ。ザントガルツの傭兵のほとんどはダインの民で構成されており、他の種族の参加はかなり低い。というのも、ダインの民以外の種族は、皇国軍に所属している者が大半であり、軍に加入していない者は冒険者になる傾向が強いようだ。中には農業や工業、商業に従事する者達もいるが、その比率は高くはない。ザントガルツの北上に広がる穀倉地帯のサラットラス村を中心に、周囲の村からの買い付けで都市を回している。国境に近いこともあり、軍事産業に力を入れているようだ。
街から伸びる2本の巨樹は、それぞれ違った役割を担っているとのこと。
シュラルドと名付けられた緑の樹は、緑の元素を街に呼び込み砂の大地が大陸中心部へと広がるのを防いでいるらしい。俺達の時代に既に存在しているのはその為なのだろう。
ロウシィスと名付けられた黒い樹は、精霊の黄昏でエンディス大陸に溢れた黒の元素を吸収する為に植樹されたようだ。黒の元素の割合が高すぎると、魔物が凶暴化しやすくなる性質があるみたいで、皇国に鬼が多く出没するのも黒の元素の影響らしい。ロウシィスが黒の元素を一定量吸い込むと、黒の元素が凝縮された実を成らせ、それを回収してダインの民の故郷であるルナーナ大陸へと送られる。黒への適正が高いダインの民は、他の種族よりも影響を受けにくく問題なく暮らす事が可能なようだ。
翌日、俺達は北門側の広場へと足を伸ばした。昨日のダインとの話し合いの結果、北門側の広場で待ち合わせをしたのだ。まずは傭兵としての登録を行わなければ、それに対する給金が発生しない。その案内をしてくれるらしい。
北門側の広場から見える街並みは、南門側の広場と大差はなかった。酒場で言われた通り、ダインが比較的多い傾向にあった。とはいえ、視界に入ってくる人々の半数程度である。次いでヒュムとエルフの割合が強い。
街並みを眺めていると、昨日酒場で会ったダインの男が一人、こちらに向かって歩いて来る。昨日の酒場で言葉を挟んで怒られていた人物だ。日の下で見ると、仄かに青い肌がより際立っている印象を受ける。
でも、個人的には少し親近感を持っている。なんせ、ヒュムには珍しい黒髪という特徴を種族通して持っているのだから。
「おっす。待たせたみたいだな。早速で悪いが、傭兵の登録をするんで付いて来てくれ」
このダインの見た目はどこか少年っぽさを感じる。童顔にくりっとした目が特徴的で、短髪でツンツン頭だ。どこかしらワックスを付け慣れていない人が頑張りました感がある。それも相俟ってヒュムの10代後半のような風貌だ。
先導して歩き出したダインは、歩きながらくるっと振り返り「俺の名前はシューワ・ミケルガ。傭兵になって日は浅いけど、俺の方が先輩だからな。そこんとこは弁えてくれよ」どこか先輩風を吹かせた名乗りをしてきた。こちらも名乗り返し、砦の方へと歩いていく。
暫く歩くと砦から数十m離れた位置にある建物の中に入っていく。しっかりとした門構えを潜ると、左手に整えられた庭園が姿を現した。幾人かのダインの男達がこちらに気づき視線を投げてくる。居心地の悪さを感じながら玄関口までやって来た。石造りの街の建物とは違い、木材をふんだんに用いられた屋敷が広がっている。武家屋敷っぽさがあり、建築にリディスが関わっているような気さえする。さすがに引き戸まではないようで、扉を潜って中へと入っていく。
まず目に飛び込んできたのは『土足厳禁!!』という立て札だった。
「こっから先は靴を脱いでくれよな。ちょっと変わった文化かも知れないけど、これが皇国の文化のひとつなんだ」
シューワさんが手本を見せるように靴を脱ぐと、玄関の側面に配置された下駄箱に靴をしまう。
「屋敷側の3つの棚は傭兵一人ひとりに割り振られているから、一番端の来客用の棚を使ってくれ」
指を差した先には、空っぽの下駄箱がある。まだ早い時間だからか、来客は他にいないらしい。
指示された通りに靴を入れ、シューワさんの後について屋敷の奥へと進んでいく。廊下を進み、幾つかの部屋を通り過ぎているが、部屋を隔てているのは扉ではなく障子だ。玄関が扉だったのに、屋敷内は障子が採用されている。ちぐはぐな感じがするのは、俺が多少日本という国の文化を知っているせいなのかもしれない。
ひとつの部屋の前でシューワさんの足が止まり、しゃがみこんだ。
「シューワ・ミケルガです。昨日の三人をお連れしました」
「入れ」
間髪入れずに返ってきた言葉に「失礼します」片手で障子を一気に開けて中へと入っていく。
その所作に僅かな気持ち悪さを感じながらシューワさんの後に続き「失礼します」言葉を添えて入室した。
部屋の中央に10人ほどが囲えるテーブルがあり、上座に酒場でリーダーらしき人だったダインが腰をかけている。その傍らには、三人組の残りのダインの姿もある。
「適当に座ってくれ」
上座のダインの言葉で対面になる位置に、ニステル、リア、俺の順に腰を下ろした。
「よく来てくれた。俺の名はクォルス・ダーダイン。ザントガルツでダインの民の纏め役をしている」
髪をウルフカットにし、堀が深く、つり目の武骨な男だ。30代くらいの見た目をしている。
「シューワ、申請書の準備を」
シューワさんは頷くと、上座の奥にある箪笥の比較的小さい引き出しを開け、中から紙とペンを取り出し、俺達の前へと並べていく。貴重な紙を使うことに躊躇がないらしい。皇国では紙の安定的な供給が始まっているのか?印刷の技術まではまだ無いようで、全てが手書きとして書類を作成しているようだ。
「必要事項を書いてくれればいいだけだから。氏名と性別、身分証の種類、身分証に表示されている番号を記入してくれ」
シューワさんに説明されるがままに書類に記入していく。最後にいつの間にか準備されていたナイフで親指の腹を切り、血の拇印を押して書類は完成となった。自ら指を切るのは慣れないものである。
シューワさんが書類を集め、不備がないことを確認するとクォルスさんの下へと持っていく。
「登録は以上だ」
なんとも呆気ない。
「シューワ、ひとっ走り砦に向かってその書類の受理をして来てくれ」
「了解です」
完成させた書類を持ち、シューワさんが部屋から出ていった。
「ローリエンス、俺達が行っている活動を教えてやれ」
「了解」
ストレートの長髪をセンター分けにした20代くらいの男―――ローリエンスと呼ばれた男が口を開いた。
「我々は主にエジカロス大森林に生息する鬼の駆除を担当している。倒しても倒しても奴等が根絶する気配もなく、次から次へと湧いてきているのが現状だ。精霊の黄昏時にエンディス大陸に蔓延した高密度の黒の元素が消え去るまで、鬼の発生は留まることがないと皇国軍はみている。鬼の根絶が確認されるまで、我々ダインの民の戦いは続く。お前達に課される任務は、我々に同行し、1匹でも多くの鬼を屠ることにある。以上だ、何か質問はあるか?」
クォルスさんの低い野太い声に比べて、ローリエンスさんの声は中性的だ。通る声のおかげが、言葉がスッと頭に入って来る。
「給金の制度が知りたい」
ニステルが躊躇なく声を上げた。
お金に関することは確実に押さえておくべき事柄だろう。これから先、皇都を目指すのだから旅費を確実に貯めていかなければならないわけだし。
「然もありなん。我々がエジカロス大森林に出向くのは9時を回った頃からだ。そこから15時を目処に切り上げている。何故15時なのか分かるか?」
「日が高い内に切り上げなければ、日暮れまでに森を抜けきることが難しくなるからでしょ?」
リアが当然のことのように答えた。
「そうだ。鬼は他の魔物に比べて凶暴だ。疲弊具合によっては、15時を前に切り上げることもある。判断は部隊長に一任されている。命が惜しければ大人しく従うことだ。給金は鬼との遭遇が無くとも1日参加すれば最低限支払われる。討伐数に応じて給金は増えるから、死なない程度に頑張るが良い。討伐の証として鬼の角を持ってこい。討伐しても角の提出が無ければ給金に反映されないから注意するんだな」
給金に関しての説明が終わると、リアが口を開いた。
「もうひとつ質問いい?」
「言ってみろ」
「鬼の強さの基準がわからないんだけど、竜とどちらが強い?」
ローリエンスさんがクォルスさんに視線を向けた。おそらく、ローリエンスさんは竜との戦闘経験が無いのだろう。代わりにクォルスさんが口を開いた。
「悪いが、俺達は竜との戦闘経験がねーんだよ。だから比較ができない。そういや、エジカロス大森林で緑竜の姿を見たって報告があったか。一応警戒はしといてくれ」
皇国では竜の出現率は高くないのかも知れない。その代わりに鬼が出てくるのだから、どっちもどっちだ。1000年以上経つというのに、未だに魔物の生態系に影響を及ぼしているなんて……。
「鬼は単独で動きます?それとも、群れて襲ってくるのですか?」
ドムゴブリンの一件以来、群れて行動する魔物には人一倍敏感になってしまっている。
「鬼は2種類いる。1種類は捕食対象を発見すると見境なく襲って来る鬼だ。そいつ等は群れる習性がある。もう1種類は知能の高い鬼だ。人の言葉を介し、単独で行動することが多い。脅威度で言えば、後者の鬼の方が厄介だ。単純に人を苦しめることに愉悦を見出している。徐々に甚振り、苦しむ様を楽しむ悪魔のような存在だ。もし捕まるようなことがあれば、迷わず自害しろ。さもなくば、延々と続く生き地獄を味わうことになる」
ゾワッと鳥肌が立つのを感じる。あまり想像はしたくないけど、捕まれば拷問を受け続ける日々が続くのだろう。地獄の鬼というやつがこの世界に出て来た、そんな考えが脳裏をよぎった。
「あとは現地で実戦を交えて学んでいけ」
クォルスさんが顎で指示を出すと、ローリエンスさんが立ち上がった。
「今からエジカロス大森林へ向かう。10時までに準備を整えて南門に集合しろ」
初めての鬼退治に向けて、南門へと移動を始める。
集合時間の10時。
南門に集合した俺達は、同行するメンバーを見て絶句した。屋敷で会ったシューワさんとローリエンスさんの他に、一人の若いダインの男の子の姿があった。見た目だけならヒュムの7〜8歳のように見える。ウェーブのかかった髪に、切れ長の目、どこか無愛想な雰囲気がニステルっぽい。不躾に眺めていたのに気付いたのか、プイッと顔を背けてしまった。
「あの、その子供は?」
視線が男の子に集まった。
子供扱いされたのが気に障ったのか、キッとこちらを睨みつける。
「子供扱いすんじゃねーよ!俺も立派な戦士だ!少なくとも、ヒョロいあんたよりは戦力になるっての!」
「見た目は子供だが、これでも鬼狩りに関しては並の傭兵よりも結果を残している。そんな口が利けるのも今の内だけだ」
ローリエンスさんの口振りから、男の子が只者でないことは伝わってくる。子供だからと貶したつもりはなかったけど、今言い訳したところで火に油を注ぐだけだろう。
「まあまあ、今日は命を預ける者同士、仲良くしようじゃないの」
「へっ、俺はダイン以外は信用してねーんだよ!」
男の子は更に不機嫌になってしまった。
シューワさんは困ったように「あはははは」笑って誤魔化した。男の子に近づいていき、背後から両肩をポンッと叩いた。
「こいつはオルトバース・リリーズ。皆からはオルトと呼ばれてる」
紹介されたにも関わらず、顔を背け挨拶もない。
「オルト、俺はカミル・クレストだ。よろしく」
「リアスターナ・フィブロです」
「ニステル・フィルオーズだ」
皆が名乗ると、さっきまでは無関心だったローリエンスさんとオルトがニステルの方へと視線を向けた。
「フィルオーズ?まさか、ベレスの血縁者か?」
二人の反応に、特に関心を示していなかったニステルが口を開いた。
「親父を知ってるのか?」
「一度だけだが共闘したことがある。皇国軍と王国軍の共同訓練に、俺達傭兵も無理やり参加させられてな。多くの人が国境門付近に集まりすぎたのか、訓練中に鬼の大群が押し寄せた。その時に一際活躍したのがベレス・フィルオーズという男だったってわけだ」
「そうか」
短く答えるニステルの表情は、心なしか口角が上がっているように見えた。
「まあ、その息子がベレス並みに強いとは限らないよな」
オルトが皮肉るもニステルは相手をせずに告げる。
「無駄口叩いてねぇで、さっさと鬼退治と行こうぜ。こっちは金が欲しいんだ。1匹でも多く狩りたいんだよ」
「そんな口叩けるのも今の内だけだっつーの」
「行けばわかるだろう。お望み通りに連れてってやる」
ローリエンスさんを先頭に、俺達はエジカロス大森林に向け歩き出した。
エジカロス大森林の入口は、ザントガルツのすぐ傍に位置している。歩き出して10分もしない内に大森林の中へと入って行く。
人生で二度目のエジカロス大森林。あの頃はまだ魔物との戦闘にも慣れず、ただがむしゃらに刀を振るっていたっけ。オーウェンと初めて出会ったのもこの大森林だ。サティに貰った刀で目を付けられたな。サティの住んでいた家は、この場所からはかなり北の方にある。かつての帝都があった場所から更に北だ。そこが今どうなっているのか気になるけど、まずは一歩一歩着実に皇国の姿を見ていくべきだろう。
「魔物の気配が圧倒的に少ないな。これも鬼の影響なの?」
エルフであるリアは森の様子を感じ取っているのかもしれない。
「その影響は大きいよ。というよりも、ずっと気になってたんだけどさ。フィブロはエルフ、でいいんだよな?」
シューワさんがリアの耳を見た後、髪の方に視線が動いた。
「リアでいいよ。皆からそう呼ばれてるし。私はどこから見てもエルフだろ?」
「どこから見てもって……。俺の記憶が確かなら、エルフってのは金髪だろ?その銀髪、染めてんのか?」
「昨日話したでしょ?私達は精霊の時代からやって来てるのよ。当時のエルフの姿を知らないの?」
シューワさんが首を横に振る。
「いんや、知らねーなー。てか、そもそもあんたらが過去から来たってのも信じちゃいねーよ」
そりゃ当然だ。時を越える術があるのなら、大きなニュースになっているはず。王国でそんな噂話など聞いたこともない。シューワさんが信じないのも納得できる。
「はっ?お前ら過去から来たって言ってるのか?あはははははっ、脳でもイカれてんじゃねーのか?」
オルトが小馬鹿にするように笑い転げている。
そんなオルトを放って置いて、リアは言葉を続けた。
「精霊時代のエルフは、とある事情で銀髪姿で耳の形もヒュムと同じなんだよ。今は本来の姿に戻ってる途中ってわけ」
南門でニステルにシカトされ、リアにもシカトされたことで、オルトは少し不機嫌そうな顔をしている。ウザ絡みした者の末路はどこに行っても同じらしい。子供ってのを考慮すると少し可哀そうな気もするけど、矛先がこちらに向くと面倒臭いから放って置く。
「エルフならエルフでいいや。お前達、実績はどうなんだよ。魔物とまともにやりあったことあるのか?」
「なぁに、竜を少々狩ったくらいだよ」
何故かニステルが自慢げに語る。
「へー、腐ってもベレスの息子ってわけか」
「腐ってもって何だよ……」
何だかんだわいわい喋りながら森の中を歩いていく。暫く進んでいくと「止まれ」ローリエンスさんが停止を促した。その声に場の空気が張り詰めた。
咄嗟に黎架に手が伸びる。
ドッドッドッドッドッドッドッドッ
いくつもの足音が森の奥から響いてきた。
「戦闘用意!」
ローリエンスさんの号令で、黎架を鞘から引き抜いた。
森の奥から何かが近づいて来る。
それは人型をした何か。
ざんばら髪に灰色の肌、ずたぼろの服を身に纏った異形の存在。
だが、それが何なのかすぐに理解することができた。
頭のこめかみ部分に2本の角が生えているのだ。
俺達が討伐すべき存在、鬼の群れがまっすぐにこちらに向かって駆けて来る。
「行くぞ」
紅い瞳が赤く輝き出し、ローリエンスさんが無手のまま駆け出した。その後に続いてシューワさん、オルトがついていく。その誰もが武器を構えていない。
俺達もダイン達の後を追い駆け出した。
目視出来るだけでおよそ10体の鬼の群れ。最初に出会ったのが脅威度の高い鬼でないことに、僅かな安心感を得た。
鬼が間近に迫ってきたところで、ダイン達の指の先から鋭い爪が伸びる。その爪に纏わりつくように黒の元素が収束していく。
鬼の群れとぶつかり合う直前、ダイン達の腕が薙ぎ払うように振るわれた。
爪に集った黒の元素が刃と化し、鬼に向かって飛んでいく。
避ける間も与えず、鬼の身体を斬りつけ赤い血飛沫が飛び散った。
だが、鬼の勢いは止まらない。身体が傷つくことを厭わない、そんな印象を受ける。
単純に斬りつけただけでは鬼は止められそうにない。なら、狙うのは足の方がいい。あの群れの中で上手く足を狙えるか?
そんな心配をよそにダイン達が猛威を振るう。
突っ込んでくる鬼の頭を掴み、力任せに鬼の群れに投げ飛ばした。
宙を舞う鬼が、迫り来る鬼の1体にぶつかり倒れ込む。倒れ込んだ鬼が障害物と成り、後方から接近して来る鬼の進行を阻んだ。
足の止まった鬼に向かって、ローリエンスさんの黒の元素を纏った爪が首を切り飛ばす。
だが、他の鬼の勢いは止まらない。攻撃を仕掛けたローリエンスさんに向かって、2体の鬼が飛び掛かった。
「させねーよ!」
オルトの飛び蹴りが鬼の1体に炸裂した。勢いそのままに地面へと踏みつけ首を一閃。鬼は躯となった。
もう1体の鬼には、シューワさんが飛び掛かっている。オルトと同じように蹴りを入れているが、筋力の差なのか、鬼の身体が更に奥にいる鬼の下まで吹き飛ばしている。
足元に倒れ込んでいる2体の鬼の首も跳ね飛ばし、あっという間に4体もの鬼を無力化してしまった。
「言うほど脅威でもねぇな」
槍の構えたニステルが、肩透かしとばかりにボヤいた。
「そいつは、これを見てからだな」
ローリエンスさんの視線が下がり、倒した鬼へと注がれている。
その視線を追って顔を下げると、鬼達の躯が黒く穢れていく。灰色の身体は黒の元素に包まれ、粒子となり大気に漂い始めた。だが、黒い粒子はその場に留まり続け、霧散する気配がない。
「この鬼は生まれてまだ間もない。鬼の中では最弱と言ってもいい。だが―――」
黒い粒子が奥にいる1体の鬼の方へと移動を始め、鬼の身体に纏わりついていく。そして、鬼の身体に吸収されていく。
その瞬間、鬼の身体が一回り大きく膨れ上がった。筋肉が隆起し、黒の元素の反応が強くなる。
「命の尽きた鬼が周囲の鬼に吸収され、より強力な個体となって立ち塞がる。だから、なるべく同じタイミングで倒すのが良い立ち回りとなる」
「わざわざ説明してやってんだから、俺達の手足となって働けよ」
オルトがしゃしゃり出てくるが、聞き流しておこう。
ローリエンスさんが大地を踏み締め、強化された鬼に向かって飛び込んでいく。鬼の首を目掛け、黒の元素を纏った爪が再び振るわれた。
迫り来る黒き爪を、鬼は身体を屈めてやり過ごす。
それも束の間、鬼の身体の下から黒き刃が現れ身体を貫いた。
鬼の身体が僅かに地面から浮かび上がり、黒き刃が鬼をその場に繋ぎ止めた。
一度は躱された爪が軌道を変えて戻ってくる。
まっすぐ手刀のように伸ばされた手を、横一文字に斬り裂いていく。頭と身体を切り離された鬼は、その身を黒き粒子に変え、再び別の鬼の下へと飛んでいった。
ローリエンスの動き出しに合わせ、シューワ、オルトもまた動き出していた。
ローリエンスに飛び掛かる鬼を各々が爪で斬り裂き、二人は更に奥にいる鬼の対処に移っている。
「うらぁぁぁッ!」
オルトの黒を纏う爪が鬼の喉を貫き、そのすぐ後ろにいる鬼をまとめて片付けようと右腕を突き出していく。
こんな雑魚に手間取ってたら、あのヒュムとエルフに舐められる。即効で片づけてやる!
鬼の喉を串刺しにしたまま、奥の鬼の身体に突き刺さる。だが、鬼の重さもあってか、狙った喉に突き刺さらずに右肩の付け根に突き刺さってしまった。
一振りじゃ無理か。ならッ!
左手の爪を伸ばし黒の元素を纏わせていく。
右腕を右に振り払い、手前の鬼の喉を引き裂き、奥の鬼の胸を斬り裂いた。
手前にいた鬼の首が傾き、身体諸共地面へと倒れ込んでいく。
噴き出す鬼の血で汚れることも厭わずに右足を踏み込んだ。左手の黒を纏う爪が、奥にいた鬼の顔を目掛けて振り下ろされていく。
だが、それよりも早く鬼の身体が黒き粒子を纏っていく。
「チィッ!」
思わず舌打ちが零れる。
強化される前に殺してやるッ!!
左の爪が鬼の顔を斬り裂いていく―――はずだった。確実に爪は鬼の顔面を抉る軌道だったが、爪が斬り裂く感触を伝えては来ない。伝わってくるのは硬い物の表面を爪が擦る感覚だ。
その瞬間、黒き粒子は鬼に吸収された。
鬼の身体の大きさに変化はない。でも確かなのは、黒の元素の反応が濃くなったこと。身体を大きくすることよりも、別の力を伸ばす方向で変化したのだ。
灰色だった鬼の肌の色がより黒く変質している。それだけではない。皮膚が硬化し、オルトの爪を弾くほどに硬くなっている。
攻撃が失敗したオルトは、更に多くの黒の元素を爪へと集める為に一端距離を取る。
ったく、めんどくせー変化しやがってッ。
「あらら、倒し損じたのか。タイミングわりーことしちまったな」
ちらりと視線を移せば、シューワが鬼を倒し終えこちらへと合流していた。それが意味するのは、更なる鬼の強化。
「ほんと、最悪だよ」
「お前が殺しきってればこんなことにならなかったんだって」
鬼の身体に再び黒き粒子が纏わり付いて行く。
「ちょうどいい。シューワ、オルト、お前達二人で倒してみろ」
ローリエンスが二人のすぐ後ろに合流し、その後ろにカミル、リア、ニステルが控えている。
「シューワ、休憩してていいぞ。こんなヤツ、俺一人で充分だっての」
「そう。んじゃ、死にそうになったら助けてやるからな」
「そんなことにはならねーってのッ」
鬼が粒子を吸収し、身体が一回り、二回り膨れ上がって行く。
「いや、9体分の鬼の力が集まってんだぜ?お前にゃまだ荷が重いって」
キッとオルトがシューワに睨みつける。
「やってみなきゃわかんねーだろッ!」
シューワは肩を竦め、ローリエンスへと目で訴える。
「やらせてやれ」
シューワがオルトの方に顔を戻すと「ま、頑張りな」ローリエンスの方へと下がって行く。
ここで俺の実力を見せつけて、シューワよりも上だってことをローリエンスさんに認めてもらうんだ!
一人意気込むオルトの姿に不安を覚えた。鬼との戦闘には慣れていそうだけど、あの鬼の黒の元素の濃さはそこらの魔物よりも遥かに濃い。冒険者で言えば、中堅クラスが討伐に向かうような存在だ。さっきまでの鬼の比ではない。
ローリエンスさんは既に戦闘態勢を解いているけど、俺は黎架を鞘に収めることができずにいた。
オルトは伸ばした爪を戻し、爪に込められていた黒の元素を体内へと吸収させていく。周囲の黒の元素を拳へと取り込み、両の拳が一回り大きく膨らんだ。
鬼がオルトの動きを観察している。先ほどみたいに無理に突っ込んで来る素振りがない。
「どうした?怖気づいたか?」
オルトの煽る言葉が森へと響く。
鬼が言葉を理解できるのか?と思ったが……。
「イキノイイガキダ」
唐突に鬼が喋り出した。
「鬼が言葉を……!?」
「ふんっ、仲間の力を得て知能が上がったか。まだ片言にしか喋れん雑魚だ、気にするな」
鬼が喋るのは日常的なのか、ローリエンスさんは至って冷静だ。
「はんっ、どっちがガキなのか教えてやるよッ!」
オルトの魔力が膨れ上がって行く。魔力に呼応するように拳に纏う黒の元素の濃さも跳ね上がった。
オルトが駆ける。鬼に向かってまっすぐ進み、右の拳を振りかぶる。
対する鬼は右足を大きく地面へと踏みつけた。所謂震脚と呼ばれる動作でオルトを迎え撃つべく左拳を構えた。
鬼による力強い震脚は体勢を整えるだけに収まらず、大気を揺さぶり衝撃波となってオルトを襲う。
「そんなこけおどしで怯むかよッ」
衝撃波は確かにオルトの身体を揺さぶった。だがそれは、身体に圧を僅かに感じるもの。オルトの動きを阻害するものではなかった。
オルトの拳が突き出され、それに合わせて鬼の拳も突き出された。
ドォォォンッ
二つの拳がぶつかり合い、その衝撃に黒の元素が黒い霧となってオルトの拳から溢れ出した。
周囲に満ちる黒い霧がオルトと鬼の姿を霞ませる。
身体の小さなオルトの方が不利かと思ったけど、小さくともダインということか、鬼の一撃で吹き飛ぶことなく拳の鬩ぎ合いを繰り広げている。一撃、また一撃とまるで組手でもしているかのように、お互いに有効打を与えられずにいる。
拳が振るわれる度に黒い霧が周囲に広がり、状況を確認しづらくなって来ている。
これがダインが持つ技なのだろうか?ローリエンスさんに聞いてみた。
「ダインの技は、使う度に黒の元素を噴き出すんですか?」
「あれはオルトの未熟な腕のせいだ。本来は拳の内部に留めておくことで、無駄な元素の消費を抑え込む。だが、あの年齢にしては技の完成度は高い。短期戦であれば問題なくこなせるはずだ」
「でも、これじゃ視認性が悪くなり過ぎでは?」
魔力や元素の反応を追えばある程度は姿が見えずとも戦えるけど、最終的な判断は自分の目だ。あの力を使い続ければ、自分の首を絞めかねない。
何よりも、俺達が鬼の情報を集めるのに邪魔で仕方ないんだよな……。
「それは本人も重々承知だ。それを押し切って一人でやると言ったんだ。なら、やらせてやればいい。それで学べるものもあるだろう」
ローリエンスさんは関わらずを貫いている。
あの黒い霧、何とかならないもんか……。
ん?黒い霧?黒の元素由来なら、もしかしたらどうにかできるかもしれない。
右手に握る黎架に視線を落とした。
あの刀の性質を引き継いでいるのだとしたら、魔力を流せば黒の元素を吸い始めるんじゃないだろうか?
湧いて出た好奇心に、圧縮魔力を流し込んでいく。その途端、刀身が黒い霧を吸い込み始め、砲金色の刀身が見る見る内に黒い刀身へとその姿を変えていく。
周囲に漂う黒い霧が吸い寄せられるその光景は異様なものだった。風も無いこの森の中において、黒い霧だけが黎架に向かって移動しているのだ。
異変に気付いたローリエンスさんが、黒の元素を集めている黎架を見て驚愕している。
「……その剣は、元素の剣か?」
― エジカロス大森林 深部 ―
特異な力の波動を感じ取り、それは闇の球体の中から姿を現した。
一際大きな身体を持ち、身体の大きさと同じ長さの大剣を握り締めた存在。
黒い髪に赤く輝く瞳、袈裟のような服装に身を包んだ浅黒い肌の大男。
ダインのような出で立ちだが、決定的に違うのはその頭から伸びる2つの角。
知能の高い鬼が森の深部から歩き出した。
「――見つけた」




