ep.58 刃に願いを込めて
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。
呼吸を荒げ日の出前の街の路地裏を駆け抜けていた。誰かに追われているわけでも、走り込みをしているわけでもない。これは俺が与えられた使命だ。だから、確実にやり遂げなければならない。区画はそこまで広くはない。全力を尽くせば、東の空から朝を告げる輝きが照らし出す前には終われるはずだ。この先の角を左に曲がったその先が最後の目的地だ。
肩に紐をぶら下げた鞄に手を突っ込むと、何枚か重ねられた一組の薄い紙の束をそっと掴んだ。しわを作ってはどんな目に遭うかわかったものではない。慎重に、且つ素早く鞄から取り出すと、民家に備え付けられた郵便受けに紙の束を押し入れた。これで本日の任務は完了した。それと同時に煌煌とした太陽が姿を現し、世界は眠りから目覚めていく。達成感と朝日の心地良い光が今の俺を支えている。
今日の新聞配達は終わり!
刀の打ち直しをしているリアをツァワイル家に残し、港町ジスタークから王都アルアスターに帰って来てから2週間が経過している。帰って来てからというもの、日中はニステルと共に魔物を倒す依頼を集中的にこなしている。それと並行して行っているのが朝の新聞配達だ。毎日の仕事が確約されている安定した依頼で、常に人材不足らしい。だからこちら側で期間を自由に設定させてくれる辺り有難かった。それも今日で一旦終了である。リアがいつ戻ってきても良いように、日中の依頼に集中し、空いた時間はザイーツ洞穴に採掘に行こうと考えている。未だオミナ鉱石の採掘に手が回っていないのが現状で、この際だから少しずつ進めていくべきだろう。汚れ仕事でもあるし、なるべくなら俺達で進めておいた方が気楽ではある。
新聞店に戻り、今日までの依頼完了のサインをもらい宿へと帰還した。お馴染みになっているいつもの宿だ。ギルドが開くまでには時間がある。その前にシャワーと朝食を済ませてしまおう。
シャワーで汗を流し、食堂まで降りていく。いつものおばちゃんに挨拶を済ませると適当な席へと腰を下ろした。
メニューを眺め、何を食べようか考える。朝とはいえ、足腰の強化と魔力操作の練習も兼ねて新聞配達をこなしていたから、しっかりと食べてエネルギーと蛋白質は摂っておきたい。この先魔物と戦う予定だから、腹ペコで力が出ないなんて話にもならないしね。
悩んだ末、焼き魚定食を注文した。料理が提供される前のこの時間も無駄にせず鍛錬を続けている。といっても、フィルヒルが教えてくれた理の外の力―――呼び辛いので最近では理外の力と勝手に呼んでいる。王都で研究されていた『遠隔操作』、いわゆる念動力と呼ばれるものが使えるようになる為に密かに練習を始めた。どこで研究されているのかもわからないから、とりあえず図書館へと足を運び研究資料がないか探してみたけど、その存在が仄めかされているだけで習得までの記述は見受けられなかった。竜の時代へと回帰したことで世界の原理が変わり、理外の力が廃れてしまった可能性もある。そもそも扱える人が少ないのだから文献が全然残っていないのも納得できることではあった。
注文の際に出された水。そのグラスに魔力を込めていく。暴発したら困るので圧縮魔力は止めておいた。どう練習して良いものか悩んだ末、たどり着いたのはただ念じること。グラスが倒れても良いように両手でグラスに触れないように覆い、動け、動け、と心の中で念じてみる。だが、グラスはピクリとも動かない。それは織り込み済みだ。この2週間同じ失敗の繰り返し、何かが起こる気配は微塵も感じたことは無い。それでも続けるのは、意識の向け方や明確に起きる現象を想像する、といったことを少しずつ変えながら試しているから。何もわからない手探りの状態では、少しずつ探り探り進めていくしかない。地道な鍛錬――になっているかもわからないことを続けていくことでしか答えが得られない。もどかしさはあるけど、その先に必ず念動力はある。事実、フィルヒルが念動力を認めていたのだから、この道は必ずそこに至るだろう。王国軍になら文献が残っているかもしれないが、探る事すら不可能なのだから仕方ない。
「お待たせしました。……、テーブルに置いてもよろしいでしょうか?」
給仕のお姉さんが訝しげに聞いてくる。グラスを凝視し、手を添える形で真顔を浮かべていたら、そりゃ不審に思われても仕方のないことだ。グラスを握り右手側に滑らせテーブルの中央を空けた。
「はい、お願いします」
透かさず笑みを浮かべながら丁寧に対応する。それが余計に不気味に映ったのか、給仕のお姉さんは苦笑いを浮かべてお盆をテーブルに置き「ごゆっくり」そそくさと去って行く。最近ずっとこんなことをやっているからか、給仕のお姉さんからは変な人を見る目で見られている気がする。
まあ、いいさ。気を取り直して配膳された焼き魚定食へと視線を落とした。
白米と豆腐、わかめ、斜めに薄切りにされた長ねぎの味噌汁、メインである頭と尾が落とされた鯖の塩焼き、浅漬けにされたきゅうりが並んでいる。そして、追加で注文しておいた焼き海苔が小皿に添えられている。
まずは喉の潤いを整える為に水を一口。
胸の前で手を合わせ「いただきます」感謝の言葉を口にして箸に手を伸ばした。
定食だと毎回何から手を付けるか悩むけど、今日はきゅうりの浅漬けの気分だ。小鉢を手に取り、程よい厚みに斜め切りされたきゅうりを摘まみ上げる。表面の瑞々しさが食欲をそそるんだよな。この宿の浅漬けは薄く輪切りにされた赤唐辛子と塩昆布を僅かに添えるらしい。ポリポリと噛み砕いていくと、きゅうりの水分と共に昆布の旨味とほどよい塩気が感じられる。さっぱりとしていていくつでも食べ進められそうだ。アクセントになるのが赤唐辛子だ。時折感じるピリっとした辛みのおかげで飽きを感じさせない。
次は味噌汁。汁椀を手に取り、両手を使って直接口の中に味噌汁を送り込む。温かさと味噌の風味が口の中を駆け抜け、ほっとした安心感をくれた。赤と白の合わせ味噌みたいだけど、割合的にはちょっと赤味噌が多い感じだ。俺達みたいな年代の人には好まれそうだけど、初老あたりの年代の人には少し濃いような気がする。シャキシャキとしたほんのり辛みのあるネギと、口に中で簡単に崩れていく豆腐、その中間的な食感のわかめ。なんで味噌汁ってこんなに色んな食材と相性がいいのだろう?
胃の状態を整えたところでメインの焼き魚へと箸を伸ばす。背骨に沿って横に一直線に箸を入れ上下に身を切り分ける。頭が付いていたであろう方の上身から一口大に切った身を口へと運んでいく。鯖の旨味が口に溢れ、塩が利いていて美味い。この鯖もジスタークで獲れたものなんだろうな。とはいえ、ジスタークで食べた魚に比べると一歩劣る。やっぱり鮮度が命なんだと痛感させられる。
小さく切りそろえられた焼きのりを白米の上に乗せ、白米を包み込むように海苔を箸で巻いて口へと運んでいく。パリパリとした焼かれた海苔が良い音を鳴らし、白米と一緒に噛んでいく。海苔の風味が白米と交じり合い、白米をより一層美味しく彩ってくれる。
山の幸も好きだけど、個人的な好みで言うなら海の幸派だ。将来的にどこかに腰を落ち着かせるなら、できれば海に近いところがいいな。
カミルが幸せそうに朝ごはんを食べていると、食堂内が柔らかな雰囲気で包まれる。本人に自覚はないが、美味しそうに食べる姿は微笑ましく、周りの人の心を和ませる効果がある。それは食堂で働く従業員だけでなく、食堂を利用する客達にも良い影響を与えた。カミルが食堂を利用する時は、売り上げが1.5倍ほど上がるのだから、数字的にも証明されている。
「兄ちゃん、いっつも良い食いっぷりだな。ほら、これはサービスだ」
上機嫌な調理師のおじさんがヨーグルトを差し出してきた。
「良いんですか?ありがとうございます!」
遠慮なく受け取り、食後のデザートとして取っておく。
「いつも御贔屓にしてもらってるお礼さ。グラスで変なことしてなきゃ、給仕のねぇちゃんに持って来させられたんだけどよぉ」
調理師のおじさんに釣られてが厨房の方に視線をやると、離れた位置から給仕さん達がこちらを窺っていた。
「気味悪がって近づこうとはせん。それでも美味そうに食べる姿は好きみたいでな、あんな感じに覗き込んでるのさ」
なんと!念動力の訓練が要らぬ障害となってお姉様方との心の距離を生んでいたのか……。これは勿体ないことをした……。悔やんでも悔やみきれない……。俺はこの2週間を無駄にしていたことになる。
項垂れため息をついた。
「がははっ、もう今更やめても手遅れだろうが、一体何してたんだ?」
調理師のおじさんに向き直る。
「とある術の練習してたんですけど、まだまだ習得は遠そうなんですよね。おじさんは知らない?物を遠隔で操る力」
「そんなもん聞いたこともない」
ダメ元で聞いてみたけど、やっぱり知らないか。
「そうですよねー。グラスで怪しい動きしてるのは訓練とお姉様方にはお伝えください。気軽に声かけてとも」
「はんっ、伝えといてやるよ。まあ、ゆっくり食ってけや」
そう言うと厨房の方へと戻って行く。
残りの朝食といただいたヨーグルトを平らげ、帰り際にお姉様方に「ごちそうさまでした」軽く会釈をしてお盆を差し出すと「ありがとうございました」営業スマイルのお姉様方から返答がくる。果たして、俺の印象は変わったのだろうか?気になる所ではあるけど、今はニステルと落ち合うギルドに向かわなければならない。後ろ髪惹かれる思いで食堂を後にした。
「ねえ、ニステル。今日はこのドムゴブリンの討伐に行かない?」
張り出された依頼書を指差しニステルに提案した。
「お前達の因縁の相手だな。もう戦い方はわかってるだろうし、そいつでいいや」
投げやりな態度で俺の提案を了承してくれた。さすがに毎日毎日同じような依頼を2週間も続けていれば飽きて来るか。
「それでさ、早く討伐できたらザイーツ洞穴に行ってみない?」
「ザイーツ洞穴?何でまた」
「ほら、リアが本来のエルフの姿に戻る術を教えてもらう代わりに、オミナ鉱石を持って行かなきゃいけないからさ」
「ああ……」
ニステルは未だにリアがエルフであることを信じていない。緑の元素だけじゃなく、白の元素との親和性も高いせいか「本当はヒュムなんじゃねぇの?」と揶揄われる始末だ。
「それにしても吹っ掛けられたな。オミナ鉱石なんて早々採掘されねぇぞ?」
「それは事前に聞いてるよ。それでも、本来の自分の姿を取り戻したいんだと思う。だから、苦労するとは思うけど、オミナ鉱石を見つけてあげたいんだ」
ニステルは右手で頭を掻きながら「ったく、仕様がねぇなぁ」最終的には折れてくる。人との付き合い方は不器用だけど、人との繋がりは大切にしている。だから俺は「ありがとう」感謝の言葉をニステルに伝えることを忘れない。
鬱蒼と茂る木々が広がるストラウス山脈の麓、ククノチの森。それは来る者を拒むかのような広がりを見せ、射し込む光芒が幻想的な雰囲気を創り出している。
ここに来るのも冒険者の適性試験以来だ。木々が広がる区域、その境界線でドムゴブリンが張っていることがあるってリアが言っていたっけ。そういえば、あの獣道でリアに引っ張られて転びかけたな。
ニステルが獣道の前に立ち、森の中を探っている。
「いるな」
森から距離を取ると槍を構えた。
「森の入口に2匹。奥に少なくとも1匹以上だ。俺が誘き出す。数が多けりゃ一旦王都の方へ引くぞ」
「わかった」
黒鷺を抜き去り、いつでも攻撃に移れるように腰を落として剣を構えた。
「いくぞッ!」
ニステルの槍の前に黄の元素が満ちてくる。3本の小型の岩の槍が生成され、森の中へと放たれた。腰の高さまで伸びた雑草を潜っていく。ガサガサと葉や枝を突き抜け、ドォンッと地面に激突する音が響いてきた。ドムゴブリンに当たることはなかったようだ。
その直後、棍棒を持ったドムゴブリンと短剣を持ったドムゴブリンが勢いよく飛び出してきた。ニステルの読み通り2匹。森の中にまだいるかもしれない。油断は大敵。
そう思っていたんだ。
でも、それは裏切られた。
近づいてきた2匹のドムゴブリンの足元から天へと伸びる先端の尖った岩の柱が突き出し、腹を破って串刺しとなった。まだ息があるようで、手足をビクビクと痙攣させている。
呆気ない。俺達が苦労して倒したドムゴブリンを、ニステルは何の苦労もなく倒していく。放たれた土属性魔法の威力、発動速度共に素晴らしいものだった。何よりもドムゴブリンを観察し、行動を予測し、事前に魔法の発動をし始めていた。動きの読みの早さが魔法を効率良く発動させるコツのように感じた。
これで俺の2つ上なんて信じられない。戦闘経験の差。それだけでは説明できないセンスの差を感じて劣等感を抱いてしまう。
「さすがに仲間がやられたら出てこねぇか」
素早く討伐の証である右耳を槍で切り取ると、森の入口へと移動した。
「中に入るぞ」
俺は頷き、ニステルの後をついていく。
森の中に入り周囲を見渡す。肉眼で見える範囲にはドムゴブリンはいない。少なくともあと1匹はいるはずだ。前回は木の上から弓で狙われた。その経験から視線を木の枝の上へと移動させ、痕跡がないか注視した。どこを探しても姿は見えない。
「奥に逃げたのかも?」
「いや、近くで身を潜めているはずだ。この張り詰めた空気感、息を殺して近づいてくるのを待っているな」
言われてみれば張り詰めたような空気が辺りを支配している。そんなことに気付かないほど、妬む心が状況判断を鈍らせていた。これ以上判断ミスはしたくない。黒鷺に圧縮魔力を覆わせ、いつ戦闘に突入しても良いように身構えた。
「襲ってくるのがわかってる中で進むには防御を固める必要がある。だが、俺らには盾がない。こういう時は硬殻防壁を張れ。武技なら手軽で確実だ」
「わかった」
ニステルと共に「硬殻防壁」を発動させ、黄の元素を身体を守る防壁と化した。
一歩、二歩、三歩と、高まる緊張感の中、些細な物音も逃すまいと意識を集中して歩いていく。聞こえてくるのは葉の擦れ合う音のみ。静かな森がざわめき、その音が不安を掻き立てる。
不意に不自然に葉を押し退け枝をへし折り何かが突き進んでくる物音が響き渡った。
気付けば頭上を覆う矢の雨が迫っている。矢の層が薄い左側へと駆け抜け難を逃れた。矢が降ってきた方向からドムゴブリンの位置を割り出したいところだけど、上へと放たれ降り注いだ矢からは場所を特定することができない。わかったのは、ざっくりと右手側にいるということだけ。
距離を詰める為に、矢が突き刺さった地面一帯を迂回して森の奥へと進んでいく。やたらと真新しい緑色をした葉が地面を覆い尽くしている。
先行するニステルが足を止めた。
「こんな露骨な罠にかかるのはカミルくらいだろうな」
ジト目でニステルを睨みつける。
「さすがに俺でもこれには気付くって!」
そう、不自然過ぎるのだ。明らかに何かを覆い隠している、そんな雰囲気を漂わせている。
「ドムゴブリンの増援か、落とし穴か。何が出るやら」
ニステルは岩の槍を作り上げると、葉の絨毯の中心目掛けて突っ込ませた。
ズドンッ
岩の槍が葉の絨毯を突き抜け地面へと突き刺さった。だが、予想外に何も起きなかった。
「何も起きねぇってぇことは!」
周囲に黄の元素が満ちていき、地面から岩の壁が俺達を包み込むように伸びていく。その直後「ギィィィッ!」魔物の叫び声が響き、キィンと金属が叩きつけられる音と衝撃が伝わってきた。
「露骨な罠こそがここに釘付けにする罠ってことよッ!」
伸びた岩の壁が四方八方に広がり倒れ込んでいく。逃げ遅れたのか、1匹のドムゴブリンが岩の下敷きになっている。胸の部分より下は岩に潰され、虚ろな目がこちらを睨みつけている。
俺はこの目が嫌だった。生死を賭けて戦っているのだから、敗れればそんな瞳をするだろう。それは仕方のないこと。俺が嫌っている理由はそこじゃない。あの目を見ると、初めて遭遇した時の死の恐怖を思い出すからだ。
ざわざわとする気持ちを抑え、周囲を見渡す。今襲ってきたのも近接戦闘を得意とするドムゴブリンだ。ニステルが初めに感じた群れなら、森の外へと同時に仕掛けに来ていたはず。なら、初めにニステルが感じ取ったドムゴブリンとは別の個体である可能性が高い。弓を持ったドムゴブリンが未だ姿を現していないと考えた方がいい。
どこだ……?どこにいる………?
キョロキョロと首を動かし居場所を探るも見つけ切れない。中々姿を現さないドムゴブリンに苛立ちが募っていく。
「余裕無さすぎだろ」
軽いニステルの言葉が耳に届いた。
「そんなんじゃ、相手の思う壺だ。長期戦にもつれ込んだら気力が保たねぇぜ?」
未だ余裕の表情を見せるニステルは、呼吸を乱すこともなく、汗一つかいていない。その姿に安心感を覚えた。
気負いすぎていた。ギリギリの命のやり取りをしたドムゴブリン相手に、知らず知らずに気を張ってしまっていたようだ。肩の力を抜き、深い呼吸を一つ挟む。
「それでいい。自然体のまま周囲の警戒は怠るな」
適度に力の抜けた振る舞いを見せるニステルだけど、槍だけは常に取り回しの利きやすい位置に置いている。
「まぁ、降ってきた矢の数的に、弓を持ったのが少なくともあと3匹はいるだろうな」
戦いながら常に戦局を把握する。当たり前の行動だけど、実戦で実行し続けられるほどまだ心の余裕が俺にはないみたいだ。
ニステルが潰れたドムゴブリンの右耳を切り取り回収した。
「これで3匹目か、順調順調」
簡単そうに討伐を進めるニステルを見ていると、自分の力の無さを痛感させられる。
「やっぱり、ドムゴブリンは弱い部類の魔物なの?」
「群れなきゃそう難しくない相手だ。ブロンズの冒険者でも簡単に狩ることができる。だが、群れるとその難易度は跳ね上がけどな。アイツらの怖いところは、戦略的に攻めてくるとこだ。狡猾に立ち回り、確実に追い詰めようとする」
ニステルが葉の絨毯に視線を向ける。
「特に縄張りとしている場所では、罠を張り巡らせていると考えて行動すべきだ。まだこの辺はヤツらの棲家から遠いからこの程度だが、奥に行けばこの比じゃない罠がある」
そう言えば初めてニステルと出会った時、森の奥の方から来てたっけ。
「てわけだから、慣れない内は森の外にすぐ逃げられるようにしとけよ」
そう言うと矢が放たれたであろう場所に向かって歩き出す。
そこに、再び矢の雨が降り注いだ。
今度は矢を放ったドムゴブリンが木の上にいるのが見える。その瞬間、ニステルが駆け出した。矢の雨を掻い潜り、ドムゴブリンの方に向かって岩の槍を放った。その軌道は直接ドムゴブリンを狙ったものではなかった。足場にしていた木の枝に直撃し、木の上からドムゴブリンが落下した。
俺は矢の雨を突破するのは不可能と判断して反転、距離を取ることで矢の雨をやり過ごした。だが、この判断は悪手となった。
十分距離は取れた。これ以上ニステルと離れると、群れと遭遇した時に不利になってしまう。足を止め、身体を反転させようとすると、木の陰から腕が伸びてきた。
「うわぁぁ!?」
咄嗟に身体を捻って腕をやり過ごす。顔の横を通過する物体を見て肝を冷やした。僅かに錆びた銀色の刃が木漏れ日を浴びて輝いたのだ。
鉈ッ!?
刃を振り下ろした存在へ視線を送る。そこにいたのは鉈を握りしめたドムゴブリンだった。
攻撃を外したとわかると、すぐさま口を窄め勢い良く息を吐き出した。口の先端に含まれていた細長い針が飛び出し、顔目掛けて突き進んでくる。
身体を捻った影響でこれ以上身体を動かすことができない。無理やり首を捻り何とか回避しようと試みるが、躱すことができずに左頬を掠め、左耳たぶに突き刺さった。チクリとした痛みを感じるも、動けないわけじゃない。身体を地面の上を転がし、すぐに立ち上がる。
せっかく張っていた硬殻防壁も、時間が経ちすぎたせいかその効力を発揮しなかった。もう一度張り直さないと……。
だが、その隙をドムゴブリンは与えてはくれない。
立ち上がりのその瞬間を狙われ、すでに鉈が頭頂部目指して振り下ろされている。
圧縮魔力を込めながら黒鷺の腹を使って受け止めた。けど……。何かおかしい……。力が…抜ける………。
鉈が刀身の上を滑りながら、黒鷺を握る右手に向かって来ている。咄嗟に手首を捻りガード部で鉈の直撃を免れる。それでも鉈を受けた衝撃で、手から黒鷺が離れていく。
ドムゴブリンが勝ち誇ったような憎たらしい笑みを浮かべた。
やっぱりコイツらの汚らしい笑みは嫌いだ。見下したようなその笑い、まだ勝負はついてないだろッ!!
ドムゴブリンの腕が振り上げられる。勝負を掴み取る為に。
諦めない。諦めるものかッ!
鉈を握るその腕に、身体を密着させ動きを封じる。手首を固め、刃を動かせないように。
鉈を持つ手が動かせないと悟ると、空いている手で拳を握り、顔目掛けて何度も何度も殴りつけられる。
拳が顔に刺さる度、痛みが顔全体へと広がっていく。それでも鉈で斬りつけられるより遥かにマシだ。
殴りでは埒が明かないと判断したのか、今度は膝蹴りが脇腹を抉る。顔を殴られた以上の突き抜ける痛みに、身体が一瞬蹌踉めいた。
いけない……、鉈を離せばその瞬間、その刃が俺の身体を斬り裂いてくる。それだけは何としても防がぁ―――。
前蹴りが突き刺さり、身体が宙を舞った。無情にも鉈から手が離れ、俺の身体は背中から大地に激突した。その瞬間、ドムゴブリンに馬乗りになられた。
ドムゴブリンの手が首に添えられ押し付けられる。
「ぐぅッ!ぐぁぁぁぁッ!!」
必死に藻掻き暴れるも、ドムゴブリンの身体をどかすことが出来ない。
薄気味悪い笑みを浮かべたドムゴブリンは鉈を振り上げた。
こんなとこで!こんなドムゴブリンなんかに……、やられて溜まるか!!せめて……、せめて黒鷺さえ手元にあれば……。
その瞬間、黒鷺の鞘の存在を思い出した。
鉈が顔目掛けて下りてくる。
鞘に手を伸ばし、鉈と顔の間に鞘を滑り込ませた。
カァァァンッ
金属同士がぶつかり合う音が響く。
鉈は厚さ数cmの金属の鞘によって阻まれた。それでも、僅かに刃が滑り落ちれば確実に顔が斬り裂かれる。
瞬きも、呼吸も許されない極限の状態が続く。
でも、ドムゴブリンに動きがない。
ドクンッドクンッドクンッと跳ねる心臓が激しくその存在を主張してくる。
その時、僅かにドムゴブリンの身体が右へ傾き始めた。徐々に傾きが大きくなり、そのまま地面へと激突してしまった。
何が起きた……?
良くわからない状態だけど、すぐに身体を起こさなければ。
上半身を起こし、ドムゴブリンが何故倒れたのかを理解した。
黒鷺が、ドムゴブリンの背中に突き刺さっている……。でもなんで?どうしてそんなところに?
周りをキョロキョロと見渡すも誰の姿もない。
とりあえず、黒鷺を回収しないとな。
黒鷺に手をかけ、一気に引き抜いた。その瞬間、血が噴き出し森を汚していく。
討伐の証の右耳を切り落とし、立ち上がる。
未だに理解できない現状が気持ち悪い。黒鷺を落とし、馬乗りになられて………。黒鷺に意識を集中した?
右手に握られた剣へと視線を落とした。
「黒鷺が動いてドムゴブリンに突き刺さった?」
思わず独り言が零れる。
そう考えれば筋が通る。いや、そうとしか考えられない。俺がここ最近練習してきた力。その力が働いたのだとしたら、今この現状を説明できるのではないか?
理外の力、念動力。




