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ep.56 青を司る存在

 エピシロさんから借り受けたロングソード―――黒鷺(くろさぎ)を部屋へと持っていくと、ニステルがベッドの上でぐで~んと転がっていた。

「いつも以上にやる気のないニステルが落ちている」

 俺の声にニステルは上半身をむくっと起こす。

「ようやく帰って来たか」

 いつもの呆れたようなツッコミは帰って来ず、何故か俺を待っていたような口ぶりである。

「何か用だった?」

「明日ちょっと港で仕事を頼まれたんだが、一緒に行かねぇか?」


 王都へ戻るのが一日遅れたところで構わない、とリアも納得してくれたことから俺達は港町の中を歩いている。朝の漁の帰りなのか漁師の姿もちらほら見られ、子供たちが親の手伝いをしている。昼時の活気溢れる食堂の喧騒を聞き流しながら港に到着した。まだ漁から帰っていない船も多いのか、停泊している船の数は多くはない。その中で一際小さな舟の前まで歩み寄る。5人も乗れれば良い方、それくらいに狭い。今日は波がいつもより高い気がする。揺れる水面に合わせて舟が左右に揺らいでいる。舟の前にはネブラ族と思われる男性が立っており、ニステルの姿を認めると表情が和らぎ片手を上げた。

「よう。やっぱり来てくれたな。昨日の反応からして来るだろうとは思ってたぜ」

 鴨頭草(つきくさ)の髪をオールバックにしたネブラの男は、柔和な表情を浮かべたままニステルに近づいて来る。俺の存在に気付いたのか、髪色と同じ鴨頭草(つきくさ)の瞳がこちらへと動いた。

「連れか?黒髪のヒュムを見るのは久方ぶりだ」

「労働力は多いに越したこたぁねぇだろ?」

「ははははっ、俺は助かるが船酔いしねえだろうな?小舟は揺れるぜ?」

 二人の視線がこちらに集まる。

「舟に乗ったことないからわからないんですよね」

 産まれてこの方、船とは縁のない生活を送ってきたから船酔いってのが何なのかわからない。気分が悪くなって吐くとか聞いたことはあるけど………。

 男は片手を頭に添えると「う~ん」悩みだした。

「今回頼みたい仕事ってのが、祭壇の近くに住み着いた魔物の討伐なんだが………。まあ、波を打ち消しながら進めばいいか」

 一人納得したように頷くと「とりあえず、乗ってくれや」舟を背にしながら親指で指し示すと、俺達は舟へと乗り込んだ。舟の上に立つと水面のうねりに合わせて身体が揺さぶられる。

「平気、………かも?」

 慣れない感覚ではあるけど、身体に不調を来すまでには至らない。

「頼もしいこと言ってくれるねえ。でも、最初はまだいいんだよ。揺られる時間が長くなると感覚を狂わされてぶっ倒れるからな。なるべく深く呼吸して進行方向の海でも眺めといてくれ」

 男は舟を動かす為に、舟に括りつけられたロープを外していく。

「おっと、自己紹介が遅れたな。俺の名はシクロッサ・グナイデス。見ての通りのネブラの民さ」

 親指で自分の胸を示す。ネブラ特有の甕覗(かめのぞき)に染まる爪と水掻きに視線が奪われた。

 ネブラ族を見るのは初めてだけど、外見的な特徴があるだけで俺達ヒュムとの違いは感じない。

 俺達も自己紹介を返し、沖に向けて舟が出発する。


 港を離れ町の姿が小さくなっていく。

「お前は前を向いてろ」

 ニステルの手が俺の後頭部を掴み、強制的に前を向かされた。

「舟に乗ったこともないやつが余裕を見せてんじゃねぇよ」

「乗ったことないから舟から見える町の姿を見てたんじゃないか」

 沖から見る陸地を見るのは初めてなんだ。ちょっとくらい大目に見てほしい。

「はっは、海は良いもんだろう?磯の香りを乗せた潮風が心地良い」

 (かい)で舟を操作するシクロッサさんは上機嫌だ。

「視界いっぱいの海は心が解放される気がして気持ちいいもんですね」

「そうだろう、そうだろう」

 不意にシクロッサさんは舟を漕ぐことを止めた。

「よーし、他の船から距離が取れたから、こっからは魔法で水流を操作して舟を進ませるぞ。今の内にのんびり景色を楽しんでおけよ?スフィラ海峡に入ったら荒れるからな」

「荒れるって?」

 シクロッサさんがニカっと笑う。

「大自然が生み出す神秘ってやつさ」

 その言葉と共に舟が急激に加速していく。水属性魔法で水流を操作し始めたらしい。最初の動き出しこそ舟が多少揺れたけど、それ以降は穏やかな揺れがあるのみだ。これもシクロッサさんの魔法の恩恵だろう。向かって来る波を打ち消しながら舟を押し進める器用さ。到底俺では再現することは叶わない。というよりも、ネブラ族か青の元素への適性が高い者しか扱うことは難しいと思う。

 舟の速さは馬車の速度を上回り、ぐんぐんと海の上を移動していく。暫く進むと視界の先、水平線に立ち昇る水の柱が見えてきた。その周囲はモクモクと蒸気で溢れ、白く視界が閉ざされている。

「あれがスフィラ海峡の入口さ。干潮時にしか現れない熱泉なんだよ。あれを迂回して行くわけなんだが、今から向かう場所は熱泉の影響で水温が上がっている。まあ、ぬるま湯程度だから問題はないが、その影響でとある魔物が住み着いちまってな。そいつを今から討伐してもらいたいのさ」

 眉間に皺を寄せ不満げな表情のニステルが問う。

「いや、ちょっと待てよ。俺達に泳ぎながら魔物と戦えってのか?」

「んなわけねえよ。今から向かうのは熱泉を迂回した先にある岩礁地帯だ。そこに進むまでにいくつかの暗礁地帯を抜ける必要があるんだ。だから、この舟の小ささが重要になって来る」

 会話を交わしている内に、立ち昇る熱泉が迫ってきた。

 熱泉って温泉のことだよな?いつの間にか潮の香りから硫黄の臭いへと変わってきてるし、ガスが発生してるなら討伐で火属性魔法は危険だろうな。

 北上していた舟が北東を目指して移動を始めた。

「皇国の砂港トゥアスに向かうには北西の方に迂回するんだが、俺達が目指す場所は北東だ。そこに暗礁地帯の抜け道がある。進んだその先が岩礁地帯だ。そこにヤツがいる」

「ヤツってのは何なんだ?」

蜥蜴(とかげ)だよ。知ってるか?アイツ等は周囲の環境で体温が変わるらしくてな、アイツ等からしてみれば住みやすい温度なのかもしれねえ」

 変温動物である蜥蜴なら有り得る話だ。でも、海に囲まれた岩礁地帯にどうやってたどり着いたのか。蜥蜴って泳げたっけ?

「こっからはちょっと揺れるぜ。舌を噛まねえように口をしっかり閉じときな」

 舟の速度が減速し、何度も蛇行した複雑な動きを繰り返して進んでいく。その度に舟は左右に小刻みに揺れ、誰かに肩を思いっきり揺さぶられたかのように身体がぐらぐらと揺れる。

 これ、酔う酔わないの次元じゃない気がする………。揺れに耐えるだけで精神が削られていくようだ。

 それでも着実に前に進んでいるようで、海から岩肌が見えている場所が見えてきた。不思議なのは、明らかに船着き場が整えられている点だ。こんな海のど真ん中にある岩礁地帯に何をしに来ると言うのか。

 揺れに耐え、岩礁地帯の船着き場に舟が泊まる。満潮時には海の中に沈むのか、船着き場の岩肌は所々に海藻や貝なんかがこびり付いている。岩の上に取り残された水溜まりの中には小魚の姿も見える。その先には階段状に積み重ねられた岩が続いており、(さなが)ら人工的に作られた小さな島のようだ。

「この船着き場は干潮時にしか顔を出さないんだ。滑りやすいから注意してくれ」

 慣れた手つきで舟を括り付けていく。

「さあ、仕事の時間だな」

 ニステルが島に上陸していく。上陸のその前に海に手を沈めて水温を確かめてみた。温い。真夏の水道水のような、冷たいと期待して触れてガッカリする、そんな感覚だ。まあ、泳ぎに来たわけじゃないから良いんだけどさ。

 岩の島へと踏み出した。一歩、二歩進み三歩目を踏み下ろした時「うわっ!?」水分に足を取られ盛大に滑り倒した。股割りをするかのように前後に開かれた足は、可動域の限界まで達し、行き場を失った力が身体を右へと傾けていく。咄嗟に右手を岩へと突き出して完全に転けることは免れた。

 情けない声を上げたことで二人がこちらへと振り返る。

「はぁっ、本当にお前は期待を裏切らない男だな」

「大丈夫か?だから滑りやすいと忠告したのに」

 呆れるニステルとは対照的に、シクロッサさんは気遣う言葉をかけてくれた。

 体勢を整えながら「まさか、自分が転けそうになるとは思ってなかったんだよ」言い訳混じりの言葉を返す。

「他人事だと思ってるからそうなるんだ。お前も冒険者なんだから注意事項は心に留めとけよ。そんなことじゃ、その内命を落とすぜ」

 返す言葉もない。

「早く上へと登りきった方がいい。ヤツがいつも現れる時間はもうすぐだ。こんな狭いところじゃ君らは辛いだろう?」

 船着き場は大きくもなければ、道幅も広くはない。横に二人並べばもうスペースはない。

「すみません、気を付けます」

 すぐに立ち上がり、二人の後に付いて岩の階段を登っていく。

「戦闘の準備はしといてくれよ。ヤツは海の中からこの岩礁に這い上がってくる。下から不意に現れ、準備をするも無く命を刈り取りに来る」

 その言葉を受けて黒鷺を鞘から抜き取った。もしかしたら、今この瞬間にも這い上がってくるかもしれない。そう思うと、胃がぎゅっと締め付けられる。

 階段を登りきると、平らとまではいかないものの凸凹が少ない岩が綺麗に敷き詰められている。一辺20mの正方形型だけど、海に落ちるリスクを考えれば15mくらいと思ってたほうが良い。ここは海に沈まないのか、船着き場と違い岩の表面がカラッと乾いていて戦いやすそうだ。

「戦闘の準備をしたまま中心でヤツが現れるのを待つぞ」

 緊張感を保ちながら岩礁の中心へと進んで行く。すると、正面の岩の影から土色の身体をした蜥蜴が飛び出してきた。体長はおよそ5〜6mほど。2本足で歩行し、何らかの骨でできた銛のような武器を握りしめている。

「みんな散開しろッ!三人で取り囲むぞ!」

 鞘から剣を抜き、声を掛けながらシクロッサさんが左へと駆けていく。ニステルは声が掛かる前から右へと走り出している。必然的に正面からぶつかるのは俺となる。

「ヤツは素早い!動き出しに注意しろ!」

 言葉を掛けながらすでにシクロッサさんは攻撃体勢に入っていた。振りかざした剣を蜥蜴の身体へ振り下ろしていく。

 シクロッサさんの剣の動きに反応し、骨の銛が薙ぎ払うように刃に打ち付けられた。剣の腹を叩かれたせいか、骨の銛に刃は届いていない。剣は押し出され軌道を変えていく。

 すると、骨の銛が握られた腕の周囲に青の元素が満ちてくる。そこから大量の水が溢れ出す。瞬く間に腕全体を包み込み、腕を包んだ水が勢い良く天へと持ち上げられていく。水に拘束された腕もその動きに囚われ、高く持ち上げられた。遮るもののなくなった右脇腹部目掛けて剣を突き立て動かしていく。



 シクロッサが腕を拘束している内に仕掛ける!海の上じゃ黄の元素は薄いが使いようだ。

剛気(ごうき)

 槍の穂に黄の元素が収束し、穂の色が黄色に染まっていく。黄の元素を纏わせることで、硬質化と鋭利さが増す武技である。

 背後まで回り切ると、まずは邪魔な尻尾に狙いを定める。一歩踏み込み、槍が突き出されていく。

三鉤爪(さんこうそう)

 穂に魔力を集中させ、素早く3度の突きが尻尾を襲う。蜥蜴の意識がシクロッサに向いている為か、尻尾がうねり鞭のようにシクロッサ目掛けて払われた。ニステルの槍が、尻尾があった場所の空気を虚しく貫いていく。

 外したか。だが、尻尾がないなら好都合だ。

 更に一歩踏み込み、空を突いた槍を前へと押し出していく。槍の尖端が蜥蜴の背中に突き刺さる。それと同時に、シクロッサが尻尾の餌食となる。



 蜥蜴の脇腹にシクロッサさんの刃が突き刺さる、そう思った瞬間、蜥蜴の尻尾が猛威を奮った。うねった尻尾がシクロッサさんの左肩から脇腹辺りを叩き、その勢いに身体が弾き飛ばされた。積み上げられた岩の足場に触れることなくその先にある海へと落ちていく。

 二人の動きを見守るだけだった身体がようやく反応する。蜥蜴へと駆け出し、黒鷺の刀身に魔力を流し込んでいく。

 シクロッサさんが吹き飛んだ影響で、蜥蜴の右腕を縛る水は消え去り、握られた骨の銛が背後へと力強く振りきられた。蜥蜴の背後にいるであろうニステルへの攻撃なのはすぐに理解できた。カァンッ!軽い音を響かせながら、蜥蜴の背後からニステルが押し出されて来る。骨の銛を槍の柄で受け止めたらしい。

 完全にこちら側には注意が向いていない。右手に握る黒鷺を身体の左側持っていくと右足で踏み込んだ。

破蛇颯濤(はじゃさっとう)

 黒鷺に纏う魔力が青の元素と結びつき水へと変化していく。踏み込んだ足を軸にして黒鷺を右へと横一文字に振り切った。刀身に纏う水が細長く伸びながら蜥蜴の身体目掛けて飛び出していく。蛇の移動を彷彿とさせるうねりを見せ、蜥蜴の身体に触れると水が蜥蜴を縛り上げるように身体を這い上がって行く。腕に絡み、首に絡み、身体を締め上げ上半身の自由を奪う。首を絞められた影響で蜥蜴が空を仰ぐ形で固まっている。

 苦しみからか四方八方に尻尾が振り回され、ニステルは迫り来る尻尾を槍で左右にいなして距離を取った。

 武技の発動はまだ終わっていない。飛ばした水の蛇はただ自由を奪うのみ。水を纏う刃で斬りつけることで初めて、縛り付ける水の蛇は水刃と化し被害を与えることができる。

 カミルはすでに駆け出していた。刃を届かせ一気に討ち取る為に。

 だが、カミルの刃は届くことはなかった。気配で接近されているのを察知したのか、身体が後方へと倒れていく。45度ほど傾いたところで両足と尻尾を利用し、岩の足場の更に奥、海へと飛び込んでいく。

「逃げた!?」

 さすがに海まで追うことは出来ず足を止めた。

 落下を始めた蜥蜴に、ニステルは咄嗟に魔法を発動させ、岩の足場から真横に向かって岩の槍を生成し突き立てていく。だが、岩礁地帯は黄の元素が薄いせいか、岩の槍が伸びる速度が遅い。伸び切る前に岩の槍の真横を通り過ぎ、蜥蜴の姿は消えていく。その直後、バシャンッという水に飛び込む音が鳴り響いた。

「ちぃッ、面倒くせぇことになったな」

 ニステルは悪態をつきながら岩の足場の端まで移動し、身を乗り出しながら落ちていったであろう蜥蜴の姿を探している。

 蜥蜴の所在も気になるけど、海に落ちたシクロッサさんの方が気掛かりだ。弾き飛ばされた方の海に向かって移動し、海を覗き込もうとした、その時―――強い青の元素の反応感じ取り、ニステルの方へと顔を向けた。

 目に入ってきたのは、岩の足場に匹敵するくらいの大きさの水柱だった。空高くまで伸びたその先に、海に逃げた蜥蜴の姿がある。水の蛇は消え去り、自由となった手をバタつかせながら宙を舞っている。

 役目を終えたのか、伸びた水柱が海へと下がっていき、その中からシクロッサさんが飛び出してきた。

「シクロッサさん!」

 尻尾に(はた)かれたはずなのに、何ともないのかピンピンしている。上空を見上げ、落ちてくる蜥蜴の姿を確認しているようだ。

「俺を海に落としたのが運の尽きよ。おかげで逃げる蜥蜴に追いつけた」

 シクロッサさんは、蜥蜴に向かって剣先で狙いを定め振りかぶる。下から投擲することで、落下のエネルギーを利用するつもりらしい。でも、それでは尻尾に阻まれてしまう気がする。そう思った直後、剣が水を纏っていく。剣を覆う水の防壁。剣を薙ぎ払う力を受け流し、確実に刃を突き立て確殺を目指すという殺意の現れ。

 シクロッサさんの腕が前へと運ばれ、その手から剣が放たれる―――はずだった。


 シクロッサの腕が止まる。正確には止めざるを得ない状況に陥ってしまった。

 宙を舞う蜥蜴が一瞬で姿を消したのだ。突如として現れた青き竜の(あぎと)によって………。

 竜の身体は細長く葛折(つづらおり)のように空を漂っている。顔に近い胴から2本の腕が伸び、尾に近い方には腕の太さと同じ足が2本生えていた。特徴的なのは翼だ。身体の半分を覆えるほど大きく細長い2枚の翼が刃のように空へと伸びている。だが、その翼で羽ばたくことはなく、空を飛べているのは何らかの力が働いているようだ。

 見上げる三人の頭上から、蜥蜴の血飛沫が雨のように降り注いだ。それでも彼らは動けなかった。圧倒的な存在感の前に、ただ立ち尽くすのみ。


 呆然と空に浮かぶ竜の姿を眺めていた。呼吸をすることさえも忘れていたのか、息苦しくなったことでようやく我に返った。慌てて息を吸い込むと―――。

「逃げるぞッ!舟へ走れ!!」

 シクロッサさんの叫び声が響き渡り、今自分がやるべきことを理解する。

 逃げなきゃ。

 生存本能の訴えに従い、全力で船着き場へと駆け出した。

 シクロッサさんのすぐ後をついて行き、階段を一気に駆け下りる。


 グォォォォオッ


 低く唸るような咆哮が空から降りてくる。その咆哮を聞くだけで体中に鳥肌が痛いくらい立つのを感じる。あれは戦ってはいけない存在だ。怨竜(えんりゅう)鉱竜(こうりゅう)とは比にならないほどの元素の密度を感じる。まともにやり合えば確実に死んでしまう………。

 必死に足を動かす。滑りやすい岩の上を無理やり足を動かしているせいで、何度も何度も転けそうになりながら舟を目指して駆け抜ける。

 シクロッサさんが舟に飛び込みながら繋いであるロープを斬り裂き舟を自由にする。その後を追い舟へと飛び込んだ。ニステルが乗り込むのを確認すると舟が急速に進み始めた。

「ぶっ飛ばしていくから!しっかり捕まってろよッ!!」

 加速による反動と波に煽られ舟の先が僅かに浮かぶ。シクロッサさんが操作している以上沈むとは考え難いが、それでも舟が傾く恐怖には肝が冷える。

 舟の縁にしがみつき、後方の空を眺めた。依然として竜は空を漂っていたが、瞳がギョロッとこちらへと向いた。

「捕捉された!?」

「おい!もっと速くならないのか!?」

「無茶言うな!暗礁地帯なんだぞ!舟がやられたらそれで詰むぞ!」

 言い争いをしながらも暗礁地帯をすごい勢いでうねりながら進んでいく。水流を操作し、舟が吹っ飛ぶことを抑えているみたいだけど、このままじゃいずれ俺達もあの蜥蜴と同じ道を辿ることになってしまう………。

 空に青の元素が収束していくのを感じた。再び空を見上げれば、竜の口が開かれその先に青白い球体が形成されている。明らかに水ではなかった。その球の周囲には冷気が溢れ、大気を白く(もや)らせている。青白い球体は十中八九氷塊と見て良いだろう。問題なのはその規模だ。空高くにいる竜の大きさは正確には測れないけど、肉眼で把握出来ていることから大きな氷塊なのは間違いない。それが遥か上空から撃ち出されたら、海上にいる俺達にどんな被害が出るかは想像するに難くない。

 暗礁地帯の一部を抜け舟が加速し始める。

「暗礁地帯の合間のこの海域で青竜の攻撃を凌ぐぞ!」

「こんな所で大丈夫なのか!?」

「逆だ、生き延びられる可能性があるならこの海域だけだ。ここは水深もあるし、いざとなったら海に飛び込める。暗礁地帯であの氷塊をやり過ごせるか?」

 シクロッサさんの視線が上空の青竜と呼ばれた竜へと注がれている。

 ニステルは氷塊を眺め、何も言い返すことはなかった。

「助かるかは青竜の気分次第ってとこだ」

 青竜に瞳を奪われていると、硫黄の臭いが鼻を突いた。思ったよりも熱泉に近づいているらしい。海水の温度に一抹の不安を感じる。

 待てよ。硫黄の臭いが漂っているってことは、可燃性のガスも流れて来ているかもしれない。

 唐突に舟が泊まった。

「ここであの氷塊をやり過ごす。ここなら暗礁地帯からも距離もある。何か起こっても被害は最小限に抑えられるだろう」

「シクロッサさん、危ない賭けをしてもいいですか?」

 二人の視線が集まった。

「時間がねぇ。早く言ってみろ」

「あの熱泉ってガスが出てますよね?そこに火属性魔法をぶっ放すってのはどうです?」

「おいおい、そんなことしたら俺らだってタダでは済まねぇっての」

 飽きれ顔のニステルは否定的だ。でも、シクロッサさんは……。

「爆発を起こすってんだろ?それで氷塊を溶かすなり、吹き飛ばそうって魂胆か……」

 顎に手を当て思考を巡らせている。

「もちろん、舟の上でやれば俺達だって被害に遭うとでしょう。けど」

 海の中を指差し告げる。

「海の中に居たらどうです?」

「………」

 悩むシクロッサさんは判断を下せずにいる。

「おい!青竜の口が動きやがったぞ!」

 見上げれば、先ほどよりも一回り大きくなった氷塊が今まさに撃ち出されようとしていた。

「シクロッサさん!」

「……。わかった。その案に賭けてみよう」

「まじかよ……。」

 率先して海へと飛び込んだ。岩礁地帯よりも僅かに上がった水温を感じながら、胸元の宝石にありったけの圧縮魔力を流していく。右手を拳銃の形にし、詠唱を始めた。


― 我願うは万物を灰燼(かいじん)と化す炎

   進撃を以って 我が意志を指示(さししめ)さん ぶちかませ フルメシア ―


 シクロッサさんとニステルが海へと飛び込んだ。

 指の先に魔法陣が投影され、赤の元素が揺らめく炎と化していく。真っ赤に燃える炎心から色が失われていき、白い炎に変化していく。内炎、外炎へと白い炎は広がり、完全なる白炎へと姿を変えた。


 カミルが上級火属性魔法を発動している最中、静かに青竜の口から氷塊が撃ち出された。巨大な氷塊の重量は重く、それを撃ち出しているのだからカミル達へと攻撃が届くまでの時間は長くない。


「おい!氷塊が撃ち出されたぞ!さっさと撃てよ!」

 焦ったニステルが急かすように声を荒げた。

 その声を合図に俺は白炎の引き金を引いた。

 撃ち出された白炎は爆発的な速度を以って熱泉へと近づいていく。少しずつ白炎はが大きくなり、そして、周囲のガスを巻き込み大きな爆発となって大気を揺るがした。

「今だ!皆、潜れ!」

 シクロッサさんの掛け声で水中へと潜り始めた。いくら海の中にいるとは言え、海面に近ければ近いほど爆発の衝撃波の影響を受けてしまう。必死に手足を動かして深く、深く海の中へと身体を沈めていく。


 ドォォォォンッ


 くぐもった重く響く音が海水越しに広がっていく。その直後、海面に衝撃波が届いた。圧のかかった海水は不規則に揺れ動き、深くまで潜ったはずなのに衝撃が身体を四方八方に揺さぶり続ける。

 それだけに留まらず、大きな塊が海に落下してくる。水中深くまで落ちてきたのは、砕けた氷の塊だった。爆発の衝撃を受け、砕けてしまったようだ。幸いにして氷塊が直撃することはなく、海面に向かって氷塊が昇っていく。

 氷塊が落ちてきたってことは、青竜の攻撃を凌ぐことができたということ。息の限界も近いし浮上しよう。身体の力を抜き、浮力に従って身体が徐々に浮かんでいく。氷の影響か、水温が一気に下がってきている。熱を奪われるのを感じながら、海面から顔を出した。

 目に映るのは圧倒的な絶望感。

 それは爆発が生み出した荒れ果てた海でも、氷塊が降り注いだ地形の変化でもない。空を覆う暗闇。その影が目と鼻の先にいる。この惨状を生み出した元凶、青竜の無機質な目が俺の姿を捉えている。


 遅れて海面に顔を出したニステルもシクロッサも、その圧倒的な強者の前に身体を硬直させている。それは宛ら天災を前に立ち尽くし無力さを感じているようだ。


 青竜はただカミルの姿を見つめている。襲うわけでもなく、何か不思議なものを見たような、好奇心がその瞳には宿っていた。

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