ep.54 魔剣を生み出す異端者
「おーい、ビールのおかわりよろしく~」
「こっちは焼酎の追加で」
酒の注文が飛び交う賑やかな食堂。給仕の若い男女が厨房とテーブルを忙しなく行き来している。テーブルに座っているのは、小柄ながらガッシリとした骨格に筋肉の鎧を纏う男性ばかりである。皆一様に顔立ちは幼さが残っているのに、口髭や顎鬚を生やし酒を煽っている。髭は泡でデコレーションされ、赤くなった顔を際立たせていた。おそらく彼らが鍛冶町で生産職に就く鍛冶師なのだろう。ドワーフ族というのは長命種の一つだし、見た目よりも遥かに年齢を重ねているのかもしれない。
イヴリスさんの案内で、ツァワイル家と宿町との間にある大衆食堂まで来ている。食堂が多いのは、宿町にほど近い鍛冶町辺りか港町の港側らしい。お世辞にも綺麗とは言い難い食堂だけど、店内の活気からすると繁盛店なのは確かだ。地元の住民が集う店というのは大抵当たりの店が多かったりする。
空いているテーブルへと案内され、ようやく腰を落ち着かせることができた。
「まずはキンキンに冷えたビールからだ」
迷うこと無くアルコールを選ぶリア。酒というものはそんなに美味しいのだろうか?大人というものはやたらと酒を頼んでいる。中にはアルコールがダメな人もいるみたいだけど、興味が尽きることはない。
「なら俺は柚子のモクテルを」
「あれ?ニステルって18になってないんだっけ?」
この世界の成人は形式上は15歳となっている。だが、アルコールを飲むことができる年齢は18歳と定められていた。
「俺はもう18にはなってるぜ。けど、酒は俺の口に合わなかったんだよ。にしても、精霊時代でも酒解禁の年齢は変わらねぇのな」
「そうなんだ。―――っと、俺はベリーのモクテルをお願いします。イヴリスさんはどうします?」
「私はラムネをお願いします」
「あと、キャベツとキュウリをとりあえず2皿ずつで」
手際よくリアが注文をしていき、給仕の若い男性は注文を伝えに厨房へと消えていく。
「イヴリスさん、この町の名物って何?せっかくジスタークまで来たんですもの、メインはこの町でしか食べられない物がいいわ」
少し俯いたイヴリスさんの唇に軽く握られた手が添えられ「う~ん」と考えを巡らしている。
「そうですね。やっぱり港町なので魚介類をオススメしたいかな。刺身や海鮮丼は新鮮な味を堪能できるし、シンプルに塩焼きなんかも美味しいわよ。煮付けにしても美味しいけど、まずはシンプルな味付けで新鮮な魚をそのまま味わってほしいかな」
「それなら刺身の盛り合わせと焼き魚でも頼みましょうか」
メニューが決まると同時に給仕の男性がドリンクを運んできた。
「すみません、追加で秋刀魚の塩焼きを4つと、刺身の盛り合わせは―――」
「一皿でお願いします」
リアの言葉を遮るようにイヴリスさんが注文をした。
「かしこまりました。少々お待ちください」
一礼をし、給仕さんが厨房へと消えていく。
リアがイヴリスさんの顔を見る。
「一皿で量は足りるかしら?」
「この人数でしたら一皿でも多いぐらいなんですよねぇ」
イヴリスさんが何とも言えない表情を浮かべている。結構な量が届くのだろうか?ま、男が二人もいるから早々食べきれないことはないと思うけどね。
「では、料理が来るまで時間もありますし、話の続きでもしましょうか。どこまで話しましたっけ?」
握った拳から人差し指が伸び、顎に添えられ首を傾げた。
「何でオルグってヤツが魔剣を持っていたのかって話だ」
ニステルがテーブルに肘を付き、握った拳の上に頬を乗せてイヴリスさんへと視線を送っている。うん、行儀が悪い。
両の手の平を胸の前で合わせると「そうでした」照れ笑いを浮かべている。自然な仕草なのか、狙った仕草なのかわからないけど、砕けて話せるくらいには歩み寄ってくれてるらしい。
「それを話すには、まずオルグ・クワブシという男について話さなければなりませんね。っと、その前に無事にジスタークまで来られましたし乾杯しませんか?」
リアが頷き「そうだな」ジョッキを握った。俺達もリアに倣いグラスを手にする。
ドンッ プシュぅぅぅ
イヴリスさんがラムネの蓋を叩きビー玉を中に落とす。俺はその瓶の形状に懐かしさを覚えた。かつて夢の中で過ごした日本の縁日で見かけた夏の風物詩とも言えるラムネ。年中販売はされているらしいけど、俺の記憶の中では屋台で売られている姿が一番印象に残っている。アクツ村で墓守の一族の先祖が日本人という事実を知った今、世界に日本由来の物が溢れていたとしても驚くことは無くなった。
「みんな、グラスは持ったな?」
頷き合う面々。
「それじゃ、ジスタークまでの旅おつかれぇぇぇっ!」
ガチャンッ カチャンッ
グラスをぶつけ合うと、そのまま一口、二口と喉を潤していく。冷たさとベリーの酸味が口の中に広がり、爽快な気分にさせてくれる。
リアは豪快に喉を鳴らしながら一気にジョッキの中身を半分ほど減らしていた。ふと、イヴリスさんの方へと視線を送ると、リア同様に豪快にゴクゴク飲み進めようとするも、ビー玉が邪魔をして出鼻を挫かれていた。
ニステルは一口だけ飲むとゆっくりとテーブルにグラスを戻していた。普段雑な言動が目立つのに、何故かこういった場所では誰よりも大人びた振る舞いをしているが意外だった。
一緒に飲食を共にすると、その人の違った一面を見ることができてるのかも知れないな。
ビー玉と格闘していたイヴリスさんが瓶を置くと話の続きを語り出した。
「で、オルグ・クワブシという男なんですけどね、ザックリと言ってしまうと盗賊です。ジスタークが港町ということもあり、オルグは海の向こうからやって来ました。元々は海を専門とした冒険者として活動していたようなんですけど、どこからか私が魔剣を打ち出すことができるのを聞いたらしくて………。家まで来て自分専用の魔剣を打ってほしいと言い寄られたんです」
ニステルが問いかける。
「それで?大人しく魔剣を作ったと?」
イヴリスさんは首を横に振る。
「そんなことするわけないわ。と言うよりも、そんなポンポン打ち出せるものでもないので」
言葉が切れたところで給仕の男性がボールいっぱいに千切られたごま油のかかったキャベツと、酢漬けにされた輪切りのキュウリが運ばれてきた。「ごゆっくり」と言葉を残して去っていく。
イヴリスさんがキュウリを箸でひとつまみして口に運んだ。ポリポリとキュウリを噛み砕く音が響いた。
「断ると思いの外すんなりと引き下がったんですけど、その夜、家に盗賊が押し入りました。私達は突然の出来事に身を隠してやり過ごせたけど………」
イヴリスさんが皆の顔に視線を送る。
「その盗賊の行動がおかしくて。家の中は荒らされた形跡は無く、お金にも手がつけられていなかったの」
「え?その盗賊、何がしたかったの?」
盗賊が家に押し入るとすれば、金目の物を奪うとか、子供を誘拐したりとか、それくらいしか思い浮かばない。
イヴリスさんがこちらを向いた。
「もちろん物を奪い去って行ったわ。盗賊はとある物に狙いを定めていたみたいで、真っ直ぐにそれを手にすると逃走したみたいなの」
「それが魔剣ってことか」
ニステルが盗まれた物の名前を口にした。
イヴリスさんがニステルの方を見ると「ううん、違うわ」魔剣が盗まれたことを否定した。
「その頃はまだ金属の剣を魔剣化させる腕が無くて、練習がてらに木剣を作ってたんだけど………。それを持っていかれたわ」
木剣?それってまさか………?
「ああ、まさかあのウザイ男が持ってた木剣のことか?」
ニステルも同じ答えにたどり着いたらしい。
「正解よ。私が初めて作りあげた黒の魔剣の力を宿した紛い物、名もなき魔剣のなり損ないよ。見た目だけならその辺の木剣と見分けがつかないからリビングに飾ってあったの。私が魔剣の力を付与できるのは両親しか知り得ない情報だったんだけどね。大方、酒場で酔った勢いで父が漏らしてしまったんじゃないかな………と思ってる」
そこまで語るとイヴリスさんがため息をついた。
話を聞きながらキャベツを頬張っていたリアが言葉を挟む。
「その盗賊ってのがオルグってことか。家に訪ねてきた時にでも木剣を見られてたんだろうよ。だからすんなり帰ったんだ。夜に舞い戻ってくる為に」
「で、肝心の魔剣がオルグに渡った経緯は何だ?」
催促するようにニステルが問いかける。
「魔剣を打ち出せるって情報を得ていたのはオルグだけじゃなかったの。王国の兵士さんも耳に挟んだらしくて、その情報が伝わったんでしょうね。兵士長が直々に国の為の一本を作ってくれないかと打診があったの。それが3年くらい前かな。当時は魔剣を打ち出す技量が足りてなかったから、完成するかも分からなかったんだけど、それでも良いという話だったから了承したわ。個人的な頼みだったら断ったけど、国の為と言われたら断れないじゃない」
イヴリスさんの手がラムネに伸びていき、グイッと一口煽った。
「オルグの一件があったから、魔剣作りも慎重にやらざるを得なくてね。完成の一歩前まで村で作って、仕上げは王国で行ったの。それが3日前。で、その翌日に国に納めて後は村に帰るだけだったんだけどな〜」
「そこでオルグに攫われかけたわけね」
そこから昨夜の路地裏事件へと繋がると。
「あれ?魔剣はいつ奪われたの?国に納めたって言ってたけど」
イヴリスさんが首を振る。
「それは私にもわからないわ。オルグは魔剣を王国に納めることは知らないはずだしね」
「そんなの単純なことだろ?」
皆の視線がニステルへと注がれる。
「イヴリス、お前は監視されてたんだよ。魔剣を打ち出せる鍛冶師なんだろ?そこから持ち出される剣が何なのか、嫌でも察しが着くんじゃねぇの?」
「監視………、木剣が奪われたあの日からずっと………?」
イヴリスさんが苦虫を潰したような顔になった。それも仕方ないことだ。可能性の段階とはいえ、監視されていたと指摘されれば嫌悪感を抱くのも当然だろう。
「まあ、そのオルグはもういないから大丈夫でしょ。あ、すみませ~ん。ビールのおかわりお願いします」
ジョッキを空にしたリアがビールを追加で注文し、箸を忙しなく動かしている。今日はがっつりと飲むみたいだ。なるべく近寄らない方が良さそうだ。ウィズ村で聖なる焔の女性陣がダル絡みしてきたのが懐かしく感じてしまった。そこまで時間は経っていないはずなのに、変化の激しい生活のせいか、帝国に帰れないという現実のせいか、寂しさが募って行く。
「お待たせしました。秋刀魚の塩焼きです」
給仕の男女の二人が二皿ずつ運んできた。遅れて一人、男性の給仕がリアが頼んだビールを運んできてくれた。軽く頭を下げ、給仕達はテーブルから去って行く。
「さあ、冷めない内にいただきましょうか。脇にあるのは大根を擦りおろしたものと柚子ですね。お好みで使ってみてください」
イヴリスさんの説明を受け、秋刀魚へと視線を落とした。
秋刀魚を食べるのは初めてだ。食べ方だけなら日本で彼が食べ方の動画を見ていたから知識だけはある。視ただけで上手く食べられるかは別なんだけどね。実際、彼は上手く食べられていなかった。手先が不器用だったってのもあるかもしれないけど。
胸の前で手を合わせ「いただきます」感謝の言葉を口にした。
箸に手を伸ばし、記憶を頼りに秋刀魚の頭側から骨に沿って一文字を描きながら箸を入れていく。それから上半分の身を箸で掴み口へと運んでいく。ここで焦らず、少しずつ食べ進めるのが上品に見えるコツだ。
口に入れた瞬間、秋刀魚の脂が広がって行く。皮はパリパリとしているのに、身はふっくらとしていて食感佳し味佳しの美味い魚だ。これはご飯が欲しくなる。
一旦箸を止め、ベリーのモクテルで口を潤す。そこではたと気が付いた。ベリーの味が強すぎて塩焼きとの相性があまり良くない。透かさず給仕さんに呼びかけて「お水いただけますか?」代替のドリンクを頼んでおく。これで秋刀魚の味に集中できる。
「うめぇなこの魚」
無造作に身を箸で掴み口の中に放って行くニステルが美味しそうに食べ進めていた。見れば秋刀魚の姿は見るも無残に皿の上を散らかしている。細かい身の欠片が砕け散り、骨の下側から食べているせいか小骨が皿の至るところに置かれている。
「ニステル、もっと綺麗に食べなよ」
思わず小言が出てしまった。ドリンクは大人びた飲み方をしていたのに、食事のせいで台無しである。
「俺は秋刀魚って魚を食うのは初めてなんだ。無理言うな」
「それなら人の食べ方見てから食べればいいのに」
「カミルさんは言うだけあって綺麗に食べてますね。秋刀魚を食べられたことあるんですか?」
片面の上半分を食べ進め、小骨の多い下半分まで手を付けていないのもあって皿の上はまだ綺麗なままだ。
「いーや、食べたことはないけど、食べてるところを見てたことがあってね。だからどうやって食べれば上品に映るかはわかってるんだ」
ほどほど食べたところでおろしを少量身と一緒に口の中に運んだ。
美味しいは美味しいけど、口の中を一旦リセットしたくなる。その時に役立つのがこの大根おろし。口の中の脂っぽさを解消してくれて、脂の旨味をまた感じることができる。
「そうだ」
秋刀魚とビールを行き来していたリアがイヴリスさんに声を掛ける。
「イヴリスさんの家にあった工房、借りることはできないかな?」
「工房ですか?う~ん、父に聞いてみないとわかりませんね。工房で何かするんですか?」
「砕けたカミルの日本刀を再利用して打ち直そうと思ってる。刀身はかなり短くなってしまうから短剣くらいになるかもしれないけど」
「え!?あの刀ってまだ使えるようになるの!?」
完全に駄目になったとばかり思っていたから、これは嬉しい知らせだ。
「一回鉄に戻してから使える部分だけ再利用するんだよ。それでも全部が全部使えるわけじゃないから、かなり短くなると思ってた方が良い。まあ、隠し玉はあるんだけどな」
そう言うと一気にビールを煽りおかわりを頼んでいる。
「だから刀の破片を拾ってたんだ」
「それだけじゃないさ。砕けた刃物を放っておけないだろ?」
「た、確かに」
町の入口付近に刃物が飛び散っていたらそりゃ危ないよな。
「ところでカミルさん。あの日本刀?というのはどこで手に入れた物なんですか?あれこそ謎の力を宿しているように見えましたけど」
魔剣を打ち出すイヴリスさんの目からしても、力を吸収してしまう日本刀は異様に映ったらしい。
「あれはちょっと前にエルフ族の人に譲られた物なんだ。単純に武器としていただいたものでさ、あんな力があるなんて知らなかったよ」
リアの表情がピクっと動いた。未だにサティのことは好かないのかもしれない。
せっかくイヴリスさんから話題を振ってくれたことだし、あの刀の異質な特性についても聞いてみよう。
「ねえイヴリスさん。刃こぼれしない刃とかって存在するの?」
イヴリスさんがこちらを見て目をぱちくりとしている。
「そんな物存在するわけありませんよ」
ピシャリと言い切られた。
「良く良く考えてみてください。形あるものはいずれ壊れます。時が経てば外的要因で変質してしまうので、永久に存在するものなんてないと思いますよ。例外を除いては」
「例外?」
ラムネを一口飲み、喉を潤すと言葉を続けた。
「この世界の理の加護を受けた物、言ってしまえば世界を護る為に元素が生み出した武器であるなら可能と言ったところでしょうか。おいそれ人前に出てくる物ではありませんし、生涯無縁でもおかしくはありません」
元素が生み出した武器、か。そんな代物を偶然出会った俺なんかに渡すわけがないよな。そもそもサティが持っていることすらおかしな話だ。忘れよう。刀はもう砕けてしまったのだから、理の加護を受けた可能性はもうない。
「お待たせしました。刺身の盛り合わせでございます」
給仕が二人掛かりで運んできた大きな皿は、テーブルの中央に置かれた。想像していたよりも遥かにでかい。何人前かも良くわからない量の刺身が綺麗な渦を描いて並べられている。多くの刺身の種類があるのか、綺麗なグラデーションを作り、ぱっと見では大きな一凛の花のように見える。
「それではごゆっくり」
にこやかに去る給仕さんを見送り、視線を盛り合わせに戻す。
「何だこの量は………」
「頼んだのはリア、おめぇじゃねぇか………」
「一皿で正解だったでしょう?漁師のおもてなしってやつです」
「この量だったら秋刀魚なしでも良かったかもしれない………」
皆が言葉を噤む中、イヴリスさんだけは平常運転だった。にこやかに微笑むと「新鮮な内に食べましょう」箸を伸ばし、白く透き通る身を一つ口に運んだ。
「う~んっ、美味しい」
一人ご満悦だ。でも、醤油を浸けずに食べている。
「醤油は浸けないんですか?」
聞いてみるも「まずはそのままですよ」と今度は淡い橙色をした身を選び口に運んでいる。
俺達はお互いに顔を見合わせ、各々が食べたい刺身へと箸を伸ばしていく。俺が選んだのはおそらく烏賊。透き通る身は僅かに茶色へと変化しようとしており、箸を通して弾力がしっかりと伝わってくる。落ちないように手を添えながらゆっくりと口に運んでいく。
コリッコリッとした確かな食感が心地良い。噛めば噛むほど甘みが広がり満足感を与えてくれる。歯応えのある身を噛み砕きながら、小皿に醤油を垂らす。そこで気づいた。山葵が無い………。
「イヴリスさん、山葵ってないんですか?」
ギョッとした顔を浮かべこちらに視線を送ってくる。何かおかしなことでも言ったかな?
「カミルさん……、若そうに見えるのに山葵がいける口ですか………?」
「はい、むしろ無いと物足りない感じがして」
「ちなみに……、今いくつですか?」
「??今年で16になりました。お酒が飲めるのはもう少し先なんですよね」
視線をリアに移すと、美味しそうにビールを煽っている。
「そんな……、年下のカミルさんが山葵が大丈夫だなんて………」
悲哀に満ちた表情を浮かべ、項垂れてしまった。その口から小さく洩れる「どうせ私の舌はおこちゃまよ……」という声がすんごく面倒臭い空気を纏わせている。
自分の世界に入ってしまったイヴリスさんは置いといて、こちらの様子を窺っていた給仕さんにアイコンタクトを取ると、山葵があるか聞いてみた。
「摺りおろす前の山葵でしたらありますが、当店では鮮度を重視していますからお客様自身で摺りおろしていただいて、風味豊かな山葵を召し上がっていただく形を取っております。擦りおろし体験も楽しめますからね。それでもよろしかったですか?」
「ええ、むしろそちらの方が嬉しいです。ぜひお願いします」
「かしこまりました」
頭を下げ、厨房へと消えていく。
「なあカミル、山葵って何だ?」
ニステルは山葵を口にしたことがないのか、興味深げに聞いてくる。
「薬味の一種でね、見た目は緑色の茎とか根みたいな形をしてるんだ。それを摺りおろして料理と一緒に食べるのさ。香り高い辛みが特徴で、刺身と一緒に食べると美味しいよ。あっでも、少量でもツンと来る辛みだから、食べるんなら少しずつがオススメかな」
「それが食べられないコイツはこんな状態になってんのか」
イヴリスさんをコイツ呼ばわりするとは相変わらず容赦がない。面倒臭い状態になってるのは否定しないけど。
「そうだね。大人の味として知られているものだし、それを苦手としているのが本人的には悔しいのかも?」
そうこうしている内に山葵が運ばれてきた。器に載った山葵と鮫肌のおろし器、そしてナイフとかまぼこ板くらいの木の板。
「まあ見ててよ」
山葵はすぐにおろせるように茎が取られ、表面も削ぎ落とされている。これならば本当に摺ればいいだけだ。山葵の茎側を鮫肌に押し付ける。気持ち斜め寝かした状態で円を描くように腕を動かしていく。少しずつ山葵が削れ、ペースト状になっていく。リアが山葵を使うかはわからないけど、一応三人分摺りおろしておくかな。
摺りおろしたペースト状の山葵を木の板に乗せ、ナイフを握りしめた。
「そんなもん握ってどうすんだ?もうだいぶ細かいぞ?」
「ふふん、このひと手間があるかないかで香りの立ち方がまた違うのさ」
刃を摺りおろした山葵の上に降ろしていく。何度も何度も刻むように満遍なく処理を施していく。粗方処理が終わると、今度はナイフの背の部分を同じように山葵に打ち付けていく。すると、香りが周囲に漂い出した。
「へぇ、良い匂いじゃねぇか」
「でしょ?」
「カミル、早く山葵を寄越せ」
匂いを嗅ぎリアが小皿を突き出してきた。やはり人というものは、美味しい食事の下僕なのである。おろしたての山葵を分け与え、今度こそ醤油と山葵が揃った刺身を味わえる。
「山葵は醤油で溶かしちゃ駄目だからね。香りが飛んじゃうから」
せっかくおろした山葵だ、香り高いままいただいて欲しい。「ちょっと辛いがそれがいい」ニステルは山葵を気にいったのかひどくご満悦だ。
山葵を刺身の上にちょこんと乗せ、醤油をひと撫でし、口の中へと運び込む。醤油の甘じょっぱさと烏賊の甘さ、山葵の香りが絶妙に溶け込んでいく。
「そのままでも美味しいけど、やっぱこれだね」
ゆっくりと味わっていると、リアとニステルの箸を運ぶペースが上がっていることに気付いた。
「ちょっ、赤身ばっかり食っちゃダメぇ!!」
「何を言う。こう言うものは早い者勝ちが定番だろう?」
何故かリアがしたり顔で呟く。
「そうだな。のんびり食ってるヤツがわりぃ。食事とは常に戦場にいるようなものだからな」
リアの言葉に乗っかるニステル。普段そこまで仲良くもないのに、こんな時ばかり同調するんだから………。だから俺も負けじと箸を伸ばす。全体の身の減り方を見ながら食べる順番を組み立てていかないと、数の少ない身はすぐに無くなってしまう。
「なら俺もその戦いに乗ってやる!!」
「ちょっとっ、私の分がなくなるっ!?」
さっきまで沈んでいたイヴリスさんが息を吹き返したように刺身に手を伸ばしている。
その後もワイワイと食事を進め、大量にあった刺身も四人の胃袋の中へと吸い込まれた。
やっぱり皆で食卓を囲むのは楽しい。特に初めてくる土地で、その地の美味しいものを堪能するのはこの上なく幸せな時間だと思う。
食事の楽しみを噛みしめながら、ジスタークでの最初の夜が更けていく。




