ep.50 影は闇に紛れて
魔物を一撃で屠ったあの力は、明らかにイヴリスさんがニステルの魔法に手を加えた結果だろう。
視線を集めたことで身を縮こまらせてしまう。
「やっぱり、気になっちゃいますよね」
イヴリスさんが居心地が悪そうに、皆の表情を窺うように上目遣いで視線を泳がせている。
「私が護衛をお願いしたのも、この力が原因なんです。見ての通り、反動は大きいんですけどね」
よいしょっと掛け声とともに座り直す。
「この力のことは知らない方が良いですよ。面倒ごとに巻き込まれてしまうかも知れませんし」
馬車がガタッと揺れる。
「馬も落ち着いたんで出発しますね」
御者の言葉で馬車が進み始めた。
「それなら聞く必要はねぇな」
ニステルは不要な情報を手にすることはない。首を突っ込まなければトラブルに巻き込まれることはないのだから。
「それが賢明です」
寂しそうに笑うイヴリスさんにかける言葉が見つからなかった。
アマツ平原を抜け、西に向かって移動していく。道中、ウルフやゴブリンに遭遇し、その都度馬車の移動が制限された。不機嫌だったリアも、度重なる戦闘で鬱憤を晴らせたのかいつもの調子を取り戻している、たぶん。数時間で着く目論見が外れ、ジスタークが肉眼で捉えられるようになった頃には、日が沈みかけていた。
「何とか夜になるまでにはたどり着けそうだな」
うんざりした様子のニステルが言葉を漏らす。
「アマツ平原を通ったのは良い選択だったと思いますよ。最短ルートで向かおうとされていたら、もっと多くの戦闘をこなす必要があったと思いますし」
広大なアマツ平原の影響で、その周辺に魔物の生態系が築かれているらしい。王都との最短ルートだと、魔物の生息地を突っ切る形になる為、アマツ平原経由の道が一般的だと言う。とは言え、アマツ平原でも魔物と出くわすこともしばしばあるらしい。今回のような大型の魔物と遭遇することは稀なようだが。
あの魔物を呼び寄せたのは、やっぱりニステルのフラグのせいだと思うんだ………。
ジスタークが近づいてきた。武装した村の警備兵が門の前に二人立っているのが見える。王都ほど堅牢な壁や門の造りではないけど、魔物から身を守るだけなら上等な方だ。港町というくらいだから、王国でもジスタークという村は重宝されているのだろう。
警備兵が馬車の接近に気付きこちらを双眼鏡で窺ってくる。確認を終えると警備兵同士が一言二言語り合った後、頷き合った。そして、武器を抜き馬車へと近づいて来る。
いくら門兵とはいえ、いきなり武器を構えるのはおかしい。
「何か様子がおかしい。いつでも戦闘ができる準備をしておけ」
リアの一言で馬車内の緊張が一気に高まった。
「そこの馬車!その場で止まれ!」
御者は警備兵の言葉に従い速度を落としていく。
右目の横に傷跡を持つ警備兵が立ち塞がり、馬車を完全に停止させた。
「そんな物騒なものを掲げて、何かあったのですか?」
御者が警備兵へと問いかけた。
「馬車の中にお尋ね者の女のが乗っているのが見えたんだ。中を確認させてもらう」
その瞬間、イヴリスさんが馬車の後方へと飛び降りた。
「おい!」
反射的にニステルが追いかける。
「逃げたぞ!追え!」
優男の警備兵が後方へと回り込む。
突然の出来事に呆然とする俺とは対照的に、リアが馬車を飛び出し剣を警備兵へと突き付ける。
「アンタら警備兵じゃねーな?」
傷跡を持つ警備兵の口角がニヤっと上がる。
「さすがにバレるか」
警備兵の影が伸び、全身を包み込む。影が蠢き黒い外套へと姿を変えていく。
「黒の元素がダダ洩れなんだよッ!!」
剣先に緑の元素が集まり風が生まれた。
風の発生に、傷跡の男は迷わず踏み込んでくる。
「宵拳」
言葉が紡がれ両の拳を黒の元素が覆った。
男の動きに合わせ剣を動かす。風を使った攻撃を諦め、刃を男の身体の正面に向けていく。
それでも男は止まらない。黒の元素で覆った左拳を裏拳で刃へと押し付け、剣の軌道を逸らしていく。無防備になった左肩目掛けて右の拳がフック気味に振り抜かれた。
「風戯」
身体を覆うように風が集う。だが、僅かに早く男の拳が左肩を撃ち抜いた。
「ぐぅッ」
体勢が崩れていく。ようやく集まった風が男の拳を受け流し始めた。拳が肩の上を流れ衝撃を受け流した。
受けた拳の反動で身体が一回転した。それでも男の身体を正面に捉えることができたのは幸運だった。瞬間、踏み込んだ。
風戯は攻撃も防御の姿勢も取ることはできない。力みの無い完全なる自然体な状態の回避特化の武技である。一度攻撃に転ずると風戯は解除されてしまう。
剣を振るうには間合いが近すぎる!
剣を振り抜かず身体の横で固定し、すれ違いざまに男の身体を斬り裂いた。
おかしい。手応えがない?
即座に振り返ると、男の身体が揺らぎ大気へと霧散していく。
「さすがに影じゃ相手にならんか」
背後から別の男の声が聞こえてくる。
振り返ると、ついさっきまで戦っていた傷跡の男、昨夜カミルと戦っていた大鎌の男、木剣を握りしめた赤い目の男が立っている。おそらくイヴリスさんを狙っているという集団だろう。
「その女は任せましたよ」
木剣の男がイヴリスさんを追おうと歩き出す。
「女一人に二人掛かりってーのは気が引けるんだけどな」
傷跡の男が大鎌の男に向かって凄む。
「侮んなって!今の見てただろ?戦闘のセンスは良さそうだぜ?」
追いかけたいとこだけど、目の前の二人を放置するわけにはいかない。
未だに馬車の中で動けずにいるカミルに向かい指示を出す。
「カミル、ニステルとイヴリスさんを守れ」
「わかった!」
これで向こうは人数だけなら対等だ。
「けッ!一人で俺らの相手をするってのか?舐めやがって!」
傷跡の男が不満げに毒づいている。だが、舐めているわけではない。傷跡の男は確実に黒の元素に適性がある。黒を纏った拳が何よりの証拠だ。それなら、私の白の元素への高い適正と黒の元素への適正で対処可能なはず。大鎌の男は未知数だけど、手の内を晒しきる前に速攻で終わらせる。
― 浩々たる天翔ける刹那の輝きよ
破滅の音を轟かせ 裁きの力を我が手に フィルザード ―
身体に青緑色の雷光を纏い、左手には雷の外骨格と爪が形成された。右手には外骨格は形成せず、握った剣に雷を集中させる。
今回は鉱竜の時とは違う。体力も魔力も有り余っている。
「コイツ、極致魔法の使い手だ!」
傷跡の男が驚愕の表情を浮かべ、その身に黒の元素を纏わせた。
「へっ、楽しめそうだなぁ、おいッ!」
大鎌を振りかざし男が迫ってくる。魔力の反応も元素の反応も感じ取れない。単純な身体能力だけで攻撃を仕掛けてくる気?
雷を足へと長し移動速度を強化し、大鎌の間合いに入る前に動き出す。
青緑色の雷が迸り、瞬時に大鎌の男の懐へと踏み込んだ。
大鎌は確かに間合いが広い。だけど、その間合いを瞬時に埋めてしまえばその利点を消すことができる。近づかれれば取り回しも利き辛い。
左手の外骨格で防御を固めつつ、雷を纏った剣を男目掛けて突き出した。
男は瞬時に身体を後ろに逸らしていく。
剣の切っ先が男の身体を僅かに捉える。その瞬間、雷が弾けた。男の身体を伝い、全身の筋肉を雷が縛り上げる。
リアの攻撃は止まらない。剣の切っ先から雷の刃が伸び、男の身体を貫いた。
男の身体はビクビクと跳ね、完全に動きを止めた。
視界の端に傷跡の男の姿が映った。
リアが攻撃を仕掛けた瞬間には動き出していたのだろう。大鎌の男の背後から現れ、一瞬反応が遅れる。
黒を纏う拳が右肩へと迫る。
「反射反動」
遅れた反応を武技を使って補う。素早く右腕を引き、拳に剣の腹を当て防ぎきる。
だが、雷に触れたにも関わらず傷跡の男は動き続けている。鉱竜でさえ動きを止めた雷、それを防ぎ切ったのはおそらく拳を覆っている黒の元素だろう。相手の攻撃が通らなかったように、雷もまた相手の黒の元素を撃ち抜けなかったのだ。
でも、大鎌の男の動きを一時的に封じ込むことができている。落ち着いて傷跡の男に対応すれば………。
その時、大鎌の男の身体が揺らいでいることに気付いた。
これは、さっきの影ってやつかッ!?
魔力も元素も使わなかったのは、直前まで力を使わないと思い込ませるため。相手が挑発に乗った時に初めて影を身代わりにしたのだろう。
大鎌の男の影が霧散する。
本体はどこだ!?
ビュンッ
風を切る音が響き、リアの背中に刃が突き刺さる。
「がぁっ!?」
痛みで顔が歪む。それでも、大鎌の男を探さなければならない。
傷跡の男が身体を屈ませながら後退する。その後ろに大鎌の男がいた。刃が刺さっているのに雷で痺れる素振りもない。
「極致魔法の使い手とやり合うのは久しぶりだが、あの小僧といい対人戦に慣れてなさすぎだろ」
大鎌の男へと剣を振るうも難なく躱されてしまった。
「そんなんで俺らとやり合おうとしてたのか?イキんなよ、このクソアマァァァッ!!」
黒の元素に覆われた前蹴りがリアの腹部に刺さる。その勢いに身体が後ろへと流れた。
「どんなに高等な技術を扱おうが、使い方が悪りーと手も足も出ねえんだぜ?」
大鎌が首元に迫る。
瞬時に横に飛び、大鎌の間合いの外へと逃れた。
「まあ、魔物相手は楽だからな。傲慢になっても仕方ねえよな」
「正直、簡単に制圧できると高を括っていたけど、甘い考えだったよ」
舐めていたのは否めない。対人戦も碌に経験がないのは確かだ。
「泣き言を口にしたって許さねーてのッ!」
「お前、よっぽど根に持ってんのな」
戦闘の最中だってのに余裕ぶって会話してやがる。でも、今はそれが有難い。
確かに、今まではフィルザードの威力と速度で圧倒して倒す戦術を採用してきたけど、対人戦だと押しきれないみたいだ。複数人を相手にすると尚更。でも、フィルザードの強みはそこにある。経験不足と言うのなら、対処できないほどの速度でゴリ押せばいいだけ。
相手が余裕ぶっている今こそ、魔力を圧縮する好機でもある。
「それだけの力を散らすのは惜しい。どうだ?俺達の仲間にならねーか?」
大鎌の男のふざけた発言に苦笑した。
「おいおいおい、俺はこんなアマ仲間にすんのなんて反対だッ!」
「腐っても極致魔法の使い手だぜ?見す見す逃すのも惜しいだろ?」
「これだから女好きは……。男以外信用できねーってんだッ!」
こいつらは一枚岩というわけでも無さそうだ。
そうこうしている内に魔力が圧縮しきれたみたいだ。
「せっかくのお誘いだけど………」
圧縮魔力を解放し、フィルザードに注ぎ込んでいく。見た目的な変化はない。雷に込められた魔力量が違うだけ。
「こんなむさくるしいヤロー共とつるむ気なんてないんだよッ!」
剣に纏う雷が膨らみ、刀身の3倍ほどの長さへと変化した。
「このアマッ!!」
傷跡の男の全身に黒の元素が広がり、まっすぐに迫ってくる。
さっきのフィルザードとの接触で攻撃を通さないと思い込んでいるのかもしれない。だから私も迷わず真っすぐ突っ込んで行く。
雷が弾け、瞬間的に傷跡の男との距離が埋まる。男に驚きはない。むしろ嘲笑うかのように顔目掛けて拳を突き出してきた。
青緑の一閃。傷跡の男の腰から肩を雷が斬り裂いていく。血が飛び散ることはない。だが、身体が影となり揺らぐこともない。今度こそ傷跡の男の実体を斬り裂いたようだ。目を見開いた男の上半身がずり落ちる。突き出した拳は腕を焼き切られ、握り締めた拳のみが後方へと飛んでいった。雷が飛び出した血を瞬時に蒸発させ、傷口焼いている為、周囲を血で汚すことも無い。男の下半身が力無く地に伏せた。
大鎌の男も巻き込む様に伸ばした雷の刃も、あの男の前では無意味だったようだ。先ほどまで男が立っていた場所で影が揺らいでいる。
「何だ、まだ全力ってわけでもなかったんか。これは凄い」
大鎌の長柄を脇に挟み、拍手を送ってくる。
仲間がやられたってのに、動揺の一つも見せないとは。こいつの底が知れない。それだけにやり辛い。
咄嗟に追いかけてみたが、イヴリスという女………トロくね?馬車を降りてそんなに走ってもねぇのに追いついちまったぞ………。
イヴリスはそれでも止まる気配がない。はぁ、はぁ、という激しい息遣いが伝わり、足がよろめいている。
そこまで必死に逃げなきゃならん相手ってのは一体………。
「おい―――」
イヴリスへ声をかけたその直後、背後に殺気を感じ振り向いた。
黒い外套を纏う優男が剣を構えて突っ込んで来た。
身体を反転させ、槍を構える。
走りながら振るう剣は、お世辞にも剣術を嗜む者のそれではなかった。身体はピンと伸び、剣を握る手は無造作に上にただ伸ばしただけ。あんなんでまともに剣が振れるとは到底思えない。
だがニステルは慢心しない。身体の動き、剣の軌道を読む。
何の捻りもなく、優男の握る剣が振り下ろされる。
まともに受ける必要もない。
ニステルは後方へ軽く飛ぶと剣の間合いの外へと逃れる。
ビュンッと剣が空を切った。その時、剣の影が刀身に張り付きぐぐぐっと伸びる。刀身の5倍もの長さへと変化していく。
「なッ!?」
頭上から振り下ろされる剣の影を反射的に柄で受け止める。影にはほとんど力が入っていない。優男が込めた力のみが伝わっている感じだ。重さも何もない。使い方によっては虚を突くことも可能だろう。
受け止めた影が縮んでいき、本来の剣の影に戻って行く。
「その女を渡せ!」
迫力の欠片もない男の言葉。何故こんな男が一味の中にいるのかがわからなかった。確かに伸びる影は使い道はあるだろう。が、使い手がこんなんじゃ宝の持ち腐れだ。
「そいつはできねぇ相談だな。こちとら仕事としてやってんだ。てめぇこそさっさと諦めて帰りやがれ」
悔しそうな顔を浮かべ「それができたら苦労しねーんだよ!」再び剣を天に伸ばすと突貫してきた。
こいつなりの理由がありそうだが、俺には関係ない。
無防備な胴を目掛けて槍を突き出した。鍛え抜かれた腕から突き出される槍は、一瞬にして優男の胸部を貫いた。
「がはぁッ!!」
槍が刺さったことで優男の動きが止まり、手から剣が地面に落ちる。
瞬間的に槍を引き抜いた。傷口から返り血が噴き出し、槍を、地面を汚していく。
息も絶え絶えとなった優男は、力無く地面に突っ伏した。徐々に広がる血溜まりが、男の死への秒読みに思えて居た堪れなくなった。
さすがのニステルも人に対して一方的に命を奪うことには躊躇いがあるらしい。
せめて最期を看取ろうと見守っていると、優男の身体が光り始めた。
何だ!?
「これは情けない。私が来るまでの時間稼ぎもできないとは」
優男に手を翳した木剣を持った男がゆっくりと歩み寄ってくる。
この光、あの男から発せられているのか?
見る見る内に優男の傷が塞がって行く。それが意味するところは……。
「てめぇ、リディス族か?」
訝し気に眺めるニステルに、木剣の男は笑みを浮かべる。
「そのようなものです。まあ、細かいことは良いではありませんか。どうせ貴方はここで命を落とすのですし」
不意に優男が立ち上がった。
「んなばかなッ!?瀕死だったんだぞ!?動けるわけがねぇ!!」
「常識に囚われていては、正しく物を見れなくなりますよ」
優男が剣を中段で構えた。
さっきまでの構えじゃねぇ。身体の置き方も、剣の握り方も、何から何までさっきとは段違いだ。素人が急に強くなるはずがねぇ。何かある。何か絡繰りが。
応戦する為に槍を構え直す。
良く見りゃあの男の目、まったく開いてねぇ。となると、木剣の男が操ってんのか……?
ジリジリと優男がにじり寄ってくる。その姿は間合いの探り合いをする剣士そのもの。
そんなもんに付き合ってやるほどお人好しじゃねぇ!!
黄の元素を介し、優男の足元から空へ向かって岩の槍を突き出させる。
優男には悪いが、身体を完全に破壊する。これで薄気味悪い現象は止まるはずだ。
だが、予想に反し優男は機敏なサイドステップで岩の槍をやり過ごす。突きの構えを取り突進してきた。
剣の間合いではまだまだこちらに届かないはず。なのにあえて突きの構えを取る意味は―――。
剣の影が揺らぐ。
影が伸びる!?
そう思うと同時に身体が動き出していた。剣先から身体を逸らす。次の瞬間、剣の影が伸び、身体の真横を通過して行く。
優男が一歩踏み込み、伸ばした影を横へと振り抜いた。
伸びた影はニステルの身体を目掛けて迫りくる。
咄嗟に槍の柄をぶつけた。優男の力を考えれば余裕で受けきれるはずだ。だが、受けた柄から伝わる衝撃は先ほどまでの比ではなかった。
重いッ!?
ニステルの身体が浮く。影はそのまま振り切られ、ニステルの身体は吹き飛んだ。地面を跳ね、大地を転がっていく。
「ふふっ、思い込みは命を削りますよ?」
木剣の男が愉快そうに忠告をする。
「さて、私は私の仕事をしますかね」
吹き飛んだニステルから奥の岩陰へと視線を移した。そこには、戦いを覗き込むイヴリスの姿があった。
「ひッ!!」
驚きのあまり、イヴリスは後ろへと倒れ込んだ。
「抵抗しなければ身の安全は保証しますよ?こちらとしても五体満足の貴女に用があるわけですから」
― 我至るは光芒のその先 導くは聖なる陽光 ルイズ ―
突如として響き渡る詠唱。それは初級光属性魔法ルイズが発動されたことを意味する。魔法陣で簡略化された魔法をあえて詠唱する、そんなことをするのはフィルヒルに助言を受け、律儀に実行するカミルだけだった。
リアの指示の下、木剣の男を追いかけていく。あの男が持っているのが、昨夜人攫い達が話していた木剣なのかもしれない。あの木剣には何があるというのだろうか。
ニステルと合流するはずが、そのニステルが派手にぶっ飛んでいく姿が目に映る。少なくとも一緒に旅をしてきて、あんなやられ方をした姿を見たことがない。飄飄と戦闘をこなすイメージしか持っていなかったからか、思わず足が止まってしまった。
木剣の男はニステルに興味を無くしたのか、奥の岩へと向かって歩き出した。
岩の陰に何があるのか、それは容易に想像がついた。標的にされているイヴリスさんしかいない。自分の仕事を思い出し、木剣の男の後を追う。だが、ニステルを放置するわけにもいかず、俺はとある魔法を発動させる為に詠唱を開始した。
― 我至るは光芒のその先 導くは聖なる陽光 ルイズ ―
影を消すには光だと単純な思考から来るものだった。一時的に影を無力化出来れば、ニステルが持ち直す時間を稼げるはずである。そんな思いから優男に向けてルイズを放った。
それは思わぬ形でニステルを助けることとなった。
光に包まれた優男から伸びる影が消え、動きの一切を止めてしまったのだ。何が起こったのかはわからない。優男を無力化出来たという事実だけが残されている。
その姿を見送り木剣の男へと対峙する。
「おや?貴方は乗り合わせた客か何かだと思っていましたが、お仲間だったのですか。仲間がやられていたというのになかなかに薄情なお人ですね」
薄ら笑いを浮かべ語る木剣の男。薄気味悪さすら感じてしまう。
「まだまだ駆け出しの冒険者なんでね。対応が遅れるのはしょっちゅうさ」
「悪びれもなく言えるなんて、貴方なかなか大物になりますよ。どうです?今の内に私共のところで働いてみませんか?組織が大きくなってからでは役職には就きづらいですよ?」
「女の子を攫う仕事なんてまっぴらだ」
「これは手厳しい。では、大人しく死んでくださいね」
左手を前方へと突き出し、木剣を肩の上に置いた構えを取っている。見たこともない型だ。そもそも型と呼べるものかもわからない。だけど、後手に回るのは良くない。
日本刀に手を回し、鞘から刃を引き抜いた。
「おや?ああ、貴方が報告にあった片刃剣の男でしたか。仕事の邪魔をしてくれた借りを返さないといけませんね」
男の影が揺らぎ、影から男に瓜二つの影男が生まれた。
「分身した!?」
「良い反応ですね。お友達のウケもよろしいでしょう」
影男が男と同じ構えで接近してくる。突き出した左手から黒弾を生み出し発射した。
咄嗟に避けようとしたが………。
なんだこれ?
放たれた黒弾は圧倒的に遅い。もはやふわふわと浮かぶ綿毛のように漂っていると言っても良い。
「油断大敵ですよ?」
男の声に、影男の木剣が動いた。放たれた黒弾目掛けて振り下ろされ、黒弾は潰れながら前方へと弾けて拡散する。影男の狙いは拡散された闇属性魔法の雨を浴びせることだった。綿毛のような軌道も、相手の油断を誘う為。カミルはまんまと引っ掛かり、闇属性魔法の雨をもろにくらってしまう。
ダメージがない?
攻撃を受けたというのに何ら影響を受けていない。
「だから、油断大敵ですって」
何ともないと思われた攻撃は、時間差を置いてカミルの身体を蝕み始めた。肌を焼くような熱さとビリビリと身体全体が痺れたかのような嫌な感覚が襲う。
咄嗟に腕の皮膚を確認するも、目立った変化はない。
「まさか、これで終わりだとは思ってないですよね?」
男の声に視線を上げた。
気づけば目の前に影男の姿がある。木剣を振りかぶり、カミルの頭を狙い振り下ろされた。
急いで刀で受け止めようとするも、痺れからか上手く腕が上がらない。咄嗟に「硬殻防壁」を発動させ、迫りくる木剣の衝撃に備えた。
木剣がぶつかると、パリィィィンと音を響かせ硬殻防壁が崩れていく。それでも殺しきれない衝撃がカミルの脳天を直撃する。
「ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ッ!?」
膝から崩れ落ち、片膝を着いた。地に伏せなかったのは武技の発動が間に合ったからだろう。
「う〜ん、この感じ良いですね。徐々に追い詰めるこの感覚、堪らないものがあります」
片膝を着きながらも、カミルは左目に意識を集中させた。
その瞬間、視界が歪み世界が白く染まっていく。
「だから、油断大敵ですって」
男の言葉を聞いた瞬間、カミルは迷わず後方へと転がり影男と距離を取る。肌を焼く熱さとピリつく痺れを感じながら、それでも距離を稼ぐ為に転がっていく。
この痛みも覚悟していれば耐えられる。
可能であれば黒い雨を回避したかったが、そこまでは時を巻き戻せなかったらしい。だが、影男の追撃は何とか受けずに済んだ。
「おや?勘が良いのか悪いのかよく分かりませんね」
影男がこちらへと歩いて来る。
気合を入れ何とか立ち上がった。黒い雨を受けて時間もそんなに経っていないというのに、肌の熱さと痺れは治まってきている。毒性はそこまで強くないのかも知れない。
「駿動走駆」
足を止めていては駄目だ。またアイツの手の上で踊らされてしまう。
「そうそう。弱者は逃げ惑うのがお似合いです。さあ!もっと私を楽しませなさい!」
口にする言葉すべてが鼻につく。
影男の木剣が再び振るわれるが、機動力を活かして背後へと回り込むことに成功した。
「突牙衝」
刀に魔力を纏わせた二連突き。影男の背中に突き刺さり、魔力を弾けさせ影男を吹き飛ばした。
「う〜ん、油断大敵ですね」
男が放つ言葉に身を強張らせた。
また何か仕掛けて来るのか!?
影男の動向に注意を払っていると、影男の影から新たな影男が出現した。
「なッ!?」
「誰も一体しかいないとは言ってませんからね?」
あと何体だ?あと何体出現させられる?
先が見えない戦いに、冷や汗が頬を伝う。
「本当に良い表情をしてくれますね。そんな貴方に私の力のヒントを差し上げましょう」
人の苦しむ姿を楽しむなんて、性格がひん曲がってやがる!
「私は仲間からこう呼ばれています、影法師、とね。さあ、もっと楽しませてくださいね」
木剣の男は不敵に笑う。




