ep.44 二人の槍術士
遠くから響いてくる足音。
この黴臭い淀んだ空気にも慣れ始め、この足音も幾度となく聞いた。定期的に響き渡るこの足音が示すのは、見張りの交代だ。一週間も牢獄の中で過ごせば嫌でも理解する。ここでは毎日同じことの繰り返しだ。この小さな檻の中では、自由というものがほとんどない。食事を制限され、日の光も届かない。会話する相手もいなければ、必要最低限の音しか響かない。まぁ、それが罰ってものだから仕方がねぇんだが。
足音の主が牢の外から覗き込んで来た。
潤朱色の短髪、多くの深い皺と細かな傷跡が刻まれた顔。齢50を越えた見慣れた人物――ジィス・ガルガゴォン兵士長が何故か俺の下へと訪ねてきた。
一瞥をし、視線を壁へと向けた。
「一週間ぶりだな」
視線を合わせることなく答える。
「自らお出でになるってことは、俺の処分が決まったんですか?」
「ああ。上官への傷害行為は許されるものではない。命を奪おうとするのはもっての外だ。ひと月この牢の中で頭を冷やしてもらう」
未遂に終わっとは言え刑が軽い。
「こうなることがわかっていたから、我々は水面下で調査を続けていたんだがな」
王国軍では、親父の死因を不審に思っていたってことか。そうでもなければ、スレイ達の会話を残そうとは思わないだろう。
「本来であればこのまま実刑が下されるところだが、今回の騒動の原因が10年前のベレス殺害が発端であること、ベレスが死んでいないこと、何よりも、兵士達の間でニステルの減刑を求める多くの署名が集まったことを鑑み、拘束されたこの一週間の投獄を以って処罰を終了する運びとなった」
兵士長の方へと顔を向けると、穏やかに微笑んでいる。
「つまりは、今日からお前は自由ってことだ」
自由……?仮にも上官を殺そうとしたってのにか……?
「皆に礼くらい言っとけよ。必死に駆けまわって署名を集めてくれたんだからな」
これは、俺の為というよりも親父の、ベレス・フィルオーズ副兵士長の人望でしかない。俺が親父の息子だから皆必死に駆けまわってくれたんだ。
「自由になるってのに、浮かない顔だな」
見張りの兵が鍵を開け牢の扉を開いた。
兵士長が牢の中へと進み、俺の腕を掴むと引っ張り上げ無理やり立ち上がらせた。
「ひでー臭いだな。帰ったら汚れを落としてゆっくり休め」
「はい」
短く答えると、兵士長の後に続き牢を後にした。
城門で兵士長と別れ、一週間ぶりの日の光を身体に浴びる。暗い牢での生活が長かったせいか、降り注ぐ光がやたらと眩しく感じ、思わず手で瞳に入る光の量を調節した。臭いのせいか門兵には嫌な顔をされたが、今はどうでも良いことのように思える。一先ず寮を目指して移動を始める。
自由、か……。
一週間前の出来事が鮮明に脳裏に甦る。
スレイとザーンのクソみてぇな会話から殴り込みをかけるも命を刈り取ることができなかった。あの一見以来、王国軍への憧れが薄れていくのを感じていた。兵士長や親父を慕ってくれた兵士、皆が正しい行いをしようと努めてくれた。でも、中には親父を疎ましく思う者もいて死に追いやった。良い人も悪い人もいる。それは王国軍に限ったことではないかもしれない。それでも俺は、親父が示した誇り高い兵士の在り方を信じたかった。
空を見上げれば、様々な形をした雲がゆっくりと流れている。
今の気持ちのままじゃ、俺はきっと兵士としてやっていけない。一部の兵士が産み落とした不信感が、王国軍に務めようとすることに影を落としている。
「一度、王国軍を離れてみるか……」
空に向かい心の声が漏れていた。
牢を出てから一週間が経った。俺は今、王都の広場の近くにある酒場で働きだしていた。
牢を出た翌日に兵士長の下を訪ね、王国軍を辞める旨を伝えた。兵士長は渋い顔をしていたが、今回の一件もあり引き止めようとはしなかった。ただ一言「いつでも帰りを待っている」その言葉だけを贈ってくれた。深く追及してこないのが有難かった。減刑の署名をしてくれた人達へお礼をして回り、翌日には王国軍の寮を出た。家族と過ごした懐かしい家へと戻って来た。
空になった酒瓶を片付け、店の裏口から外へと運び出していく。働き出してから俺に与えられる仕事は雑務ばかり。店に立たせるには言葉遣いに粗野が目立つという理由らしい。毎日言葉遣いの練習を重ねている。もっとも、長く勤めるつもりはないから直す気などさらさら無いわけだが、努力しているフリだけはしておかないとな。
酒と氷の搬入で店内に入ると、客の会話から気になる話が聞こえてきた。
「この前アクツ村の依頼で遺跡の修繕作業に行ってきたんだけどよ。やべーもん見ちまったよ」
「アクツ村って確か、代々の王国のお偉い方が眠るってとこだろ?何だ?国家機密でも見ちまったのか?」
「はっ、そんなもん見ちまったら俺はここに帰ってきてないっての。ほら、噂になってただろ、あの村にはお化けが出るって」
「ああ、そんな噂もあったな。えーまさか、そのお化けでも見ちまったってのか?」
「はぁー、そうなんだよ。宿を用意してくれてるのは有難いんだけどよー。その部屋ってのが窓がねーのよ。だから息苦しくって酒を片手に宿の外で月を見上げながら飲んでたんだ。元々村人の少ない村だし、夜ってのもあって誰の姿も無かった。暫く飲んでると遠くから人影が現れたんだ。鎧を着た男で、見回りかなんかか?て思ったから気にしてなかったんだけどよー、はたと夜なのになんで姿がはっきりと見えたのか疑問が湧いてきたんだ」
「そりゃー、夜だから街灯が点いてたんだろ?」
「確かに街灯は点いてたさ。だけどよ、人がいるのがわかる程度で細かいところまでは暗くて見えねーほどの明るさなんだよ。一旦気になり出すと見たくなっちまうだろ?徐に人影がいた方に目を向けると、そこには……青白い弱い光を放つ王国の兵士がいたんだよ……」
「待ってましたっ!」
「おいおい、そこは怖がるとこだろー?」
「ははっ、そりゃーお前の話し方が悪いだけだ」
「へっ、そうかい。でもよ、その王国兵……俺は見覚えがあったんだ。10年以上前に世話になった御人にそっくりで……。その人、任務中に亡くなってんだよ……」
「……まじかよ。ガチもんのお化けを見たってのか?」
「ああ、あの御人の顔だけは見間違えるわけねーよ。で、気になって他の冒険者にも聞いてみたら同じように青白い人を見てたんだ。俺が見た人とは別人だったけどな」
「それで?依頼はこなせたのか?」
「作業途中で何度もそんなお化けを見ちまって、途中で離脱しちまったよ。依頼料が良さげな感じだったのに、うまい話には裏があるってことだ」
アクツ村に王国兵のお化け?
ニステルは酒の入った客の話を聞き流せなかった。普段なら耳に入ったとしても、酒が入った勢いでのあらぬ話として聞き流しているが、王国兵のお化けの話が出てきてはそうすることができなかった。そこはニステルの父、ベレス・フィルオーズが眠る場所でもある。もしかしたら自分の父が現れるかも、と考えても仕方のないことだった。
確かあの村は王国兵の任務か、冒険者の依頼を受けた者しか近寄れない場所だ。
ニステルは思考を巡らせる。この噂を信じるべきか否か。
お化けだとしても、もう一度親父と再会できるなら行く価値はあるかもしれねぇ。あの日、帰って来なかった親父に。
「おい、ニステル。手が止まってんぞ」
客の話に耳を傾けすぎていたせいで、店主から小言をもらう羽目になった。
「はいっ!今やりますっ!」
アクツ村のお化けの話を頭の片隅に置き、その日は業務に勤しんだ。
あれからアクツ村について俺なりに調べてみた。昨年辺りから加護の魔法が部分的に機能不全に陥っていて、村人は原因の調査に駆り出されている。村人は霊廟を護る墓守の一族と呼ばれているらしい。冒険者に依頼を出しているのは、加護の魔法の展開に必要な鉱石の採集。お化けはアクツ村では死人と呼ばれていること。実際に依頼を受けた人にも話は聞けたが「近づかない方が良い」とばかり言ってきた。
アクツ村に行くには、まず冒険者にならなくては始まらない。酒場には冒険者になる旨を伝えてやめてきた。入って間もないこともあり「根性無し」と揶揄されたが、詳しい事情を話す義理もないから言葉は聞き流した。
適正試験を突破し、晴れて冒険者となりアクツ村を目指すことになった。
確かにここにくれば会えるかも知れないとは思っていた。まさか、本当に出会えるとはなぁ。
目の前にいる懐かしい顔を前にどうしても心が緩んでしまう。
心の機微に反応したのか、親父の槍が真っすぐ心臓を目掛けて鋭く突き出された。
反射的に槍をぶつけ軌道を逸らす。そのまま槍を払うとベレスの懐が無防備になった。払った槍の石突がベレスの方へと向くと、腕に力を入れ直しお返しとばかりにベレスの胸目掛けて石突を勢いよく突き出す。
「はぁッ!!」
ベレスは身体を捻り石突を避けようとするも、完全には躱しきれずに脇腹部へと突き刺さる。と思った瞬間、ベレスの身体をすり抜けていく。
「何やってるんですか!相手は死人、浄化の力を宿さない攻撃では届きません!」
そうだ、そんな肝心なことすら頭から抜け落ちるって……思っていた以上に俺は動揺してんのか……。
槍を引き戻し一旦距離を取る。
その間にキョウカは短剣に灰色の霊気を纏わせていく。墓守の一族の秘儀――霊滅ノ息吹。対死霊に特化した白の元素の力。
槍を引き戻したベレスが一歩踏み込む。槍を引きながら穂先を赤の元素で満たしていく。赤の元素を介し、穂先が炎の渦を纏っていく。
「おいおい、なんで死人が魔法を使えるんだよ!」
「死人は普通に魔法は使いますよっ!」
叫ぶニステルの心臓目掛けて再びベレスの槍が猛威を奮う。穂先に纏った炎は、進むごとに空気を取り込み巨大な渦を描き出す。
咄嗟に岩の槍を地面から伸ばした。ベレスの槍が岩の槍に当たり、その勢いを大きく殺していく。だが、穂先に纏う大きな炎の渦がジリジリと大気を焦がし、焼けた空気がニステルにまで降り注ぐ。
「あっつッ!?」
熱さのあまり自然と足が後退する。
すると、炎の渦の上に水の塊が現れ降り注いだ。この場でそんなことするのはキョウカしかいない。視線をキョウカに移せば、彼女はすでに動き出していた。灰色の霊気を纏った短剣を握りしめ、親父の懐に飛び込んでいる。その姿にニステルはギョッとした。キョウカは槍術士との戦闘には慣れていないのかもしれない。突くだけが槍という武器ではない。懐が空いたように見えても、それはベレスからしたら誘いに過ぎない。
「避けろバカヤローッ!」
ニステルの声に、飛び込んだ身体を丸め前転するように転がりながらベレスの側面へと離脱した。その刹那、引き戻された石突が、さきほどまでキョウカの頭があった場所を通過していく。
ベレスは転がっていくキョウカに的を絞ると、この度は槍を振り回しキョウカの背中を叩きつけるように振り下ろされた。
キョウカのすぐ前の地面が蠢き、岩の壁が身体を覆っていく。
ゴォォンッ
振り下ろされた槍の柄が岩の壁へと激突し、反動で槍が弾き飛ばされていく。
「これで借りは返したからな」
キョウカはすぐに体勢立て直し、ベレスの背後側へと回る。その姿を確認すると岩の壁を解除した。
仕切り直しになったのはいいが、浄化の力を持たない俺の槍では親父とまともに勝負することすらできない。実体化している槍なら触れられるが、それだけじゃキョウカに依存した戦いになっちまう。
キョウカの短剣をチラリと見た。
「なぁ!その灰色の霊気、俺の槍に施せねーか?」
「自分の短剣に施すのが精一杯ですよ!ここは私が何とかしますから、援護をお願いします!」
灰色の霊気が揺らぎ、キョウカがベレスへと駆ける。
あのバカッ!!槍と短剣じゃ相性が悪すぎるだろッ!!
霊滅ノ息吹は確かに死人に対して効果は絶大だ。だが、キョウカの武器は短剣だ。槍とでは間合いの差が激しすぎる。接近するには相当の覚悟が必要となる。ましてや、対峙している死人は元王国軍の副兵士長だ。槍の扱いに関して王国一と言っても過言ではない。そんな存在相手に真っ向から挑むのは命を投げ捨てるようなもの。
ベレスの槍が閃く。
キョウカに向かって放たれたのは一見するとただの突き。槍の軌道さえ見極めれば躱すことは容易い。そこから柄を使った攻撃へと発展したとしても、槍の動きに注意を払っておけばいいだけのこと。それが常人の槍であるのなら。
突き出された槍が瞬時に引き戻された。槍を引ききり再度突きの姿勢を取る。
引き戻された槍を見てキョウカは攻め時と判断した。本来槍の間合いに入る為には、突き出される槍を躱しながら接近していく必要がある。迫り来る穂先の軌道を見極め回避することは想像以上に難しい。相手の気迫に負け判断が遅れてしまえば、穂が身体を貫くのだから。その恐怖に耐え抜き、槍をいなした先にしか勝利はない。だからこそキョウカは懐へと迷わず駆けて行く。
一歩、二歩、三歩進むがベレスに動きはない。槍を構えたまま誘い込んでいるかのようだ。ここまで動きがないと、勝負は一瞬。放たれる槍を搔い潜れば、霊滅ノ息吹を纏う刃がベレスへと届く。更に一歩踏み込む、その瞬間にベレスは動いた。
引かれた槍が素早く突き出される。腕を捻りながら突き出されているのか、穂先が回転しながらキョウカの胸を目指す。先ほどのまでの打ち合いの比ではない速度で繰り出される槍は、瞬く間にキョウカの目の前へと迫って来た。
速度の上がった槍の動きにキョウカは何とか反応する。身体を捻り、半歩横へ身体をずらし回避行動を取る。槍は軌道上からキョウカの身体が外れていく。
キョウカの身体は確かに軌道上から外れたように見える。けど……。
「それでは駄目だッ!もっと身体をずらせッ!」
かつて親父が見せてくれた技に、躱したと思った槍が目標に向かって伸びていくものがあった。その技は魔力も元素もまったく使わない。純粋に人が修練を突き詰めた先にある領域の技術。常人であれば咄嗟の判断を下せない。常人であれば咄嗟に身体を動かすことができない。思考と反射を同時に行っているかのような瞬間的な槍捌き。魔力も元素も使わねぇから行動を読まれにくく、気づいた時には穂が身体を貫いていく。
ベレスの腕が捻られ、穂先がキョウカの身体へと追従していく。しなやかに素早く動く姿は蛇の動きを連想させる。
今からじゃ魔法が間に合わねぇッ!
キィィィンッ
刃がぶつかり合う甲高い音が鳴り響く。キョウカが短剣を穂にぶつけ、辛うじて直撃は避けられた。だが、槍の勢いは衰えない。力強く突き出された槍は、短剣越しにキョウカを吹き飛ばしていく。宙を舞う身体は、後方の柱へと背中から打ち付ける。
「ぅぁ゙ぁ゙ッ」
柱を伝うようにキョウカの身体がずり落ち、うつ伏せの状態で地に伏せる。痛みのせいか腕がプルプルと震えている。その腕ですぐに立ち上がろうと藻掻いていた。どうやら意識を飛ばされることは免れたらしい。
ベレスがキョウカとの距離を詰めていく。相手を無力化できる好機を逃すわけがない。移動と共に槍を突き出している。
チッ!
ベレスとキョウカの間の床が盛り上がり、岩の壁が伸びベレスの槍を受け止めた。
後手に回りすぎている。こんな戦い方じゃ親父を倒すことは不可能だ。
たおす……?
自分の中に湧いた感情にニステル自身も驚愕している。かつて王国一と言わしめたベレスを撃ち破ろうとしていたのだから当然だ。幼少の頃から元塊病の影響で身体が弱く、兵士になってからも3年ほどで辞めてしまったニステルがベレスに勝てる要素は皆無に近いだろう。ましてや、死人に対してまともに攻撃を加えることができない現状で倒せると思うのは、ただの傲慢でしかない。
俺が白の元素の修練を怠らなければ可能性はあったかも知れねぇな……。今更悔いたところで仕方ない。
追撃が叶わないと悟ったベレスが反転し、ニステルにジリジリと近づいてくる。
ニステルは槍を握る拳に力を入れ直す。
せめて倒せなくとも、一族の人達が逃げ切れるまで凌ぐことくらいしねぇとなッ!自我が無かろうが、アンタの息子は立派にやってるって姿を見せつけてやるよッ!!
意を決し槍を構えると、穂が灰色の霊気に包まれていることに気付いた。墓守一族の秘儀である輝き。それが何故自分の槍に施されているのか理解できなかった。
「我々の力を一時的に貸与しています!霊気が尽きる前に決着を!」
柱の奥に避難している村人達が、ニステルに向け両手を翳していた。その手からは僅かに灰色の光が溢れ、ニステルの槍に届いている。
「ありがてぇ!」
これで俺の槍にも浄化の力が宿った。今の俺では親父の技量を超えることはできない。でもな!それは親父が完全な状態であればこそだ!死人と化した親父は武技を使ってくる気配がない。今までの死人との戦闘を思い出しても、恐らく声を発することができないから武技が発動しねぇんだ。それならまだ活路が見つかるかもしれねぇ。
穂に魔力を集めベレスへと駆ける。
ニステルの動きに呼応するようにベレスも駆け出し、一気に間合いが詰まって行く。
「三鉤爪!」
穂に集まった魔力を纏い、高速で繰り出される三連突きがベレスの胸へと突き進む。
ベレスの槍が一突き目を払いのける様に横へと動かしていく。
二つの槍が激突し、衝突した瞬間ニステルの槍が素早く引き戻され、すぐさま二突き目がベレスを襲う。
迫り来る槍に、ベレスは槍を回転させ遠心力で柄の部分で弾き飛ばす。
再度ニステルの槍が引き戻され、三突き目がベレスへと放たれる。
ベレスの槍の回転は止まることなく続いており、突き進むニステルの槍は容易に弾き飛ばされた。
武技を防がれてもニステルは動揺しない。まるでこうなる未来が見えていたかのように冷静だった。
不意にベレスの足元から岩の槍が出現した。回転する槍の真下から隆起し、ベレスの槍とぶつかり合う。
「槍華連衝散!」
ニステルの槍に再び魔力が宿り、高速の連続の突きが繰り出された。
迫る素早い突きにベレスは後方へと飛んだ。岩の槍で槍の動きを抑制された状態では防ぎ辛く、距離を取る決断を下したのだろう。
ニステルは武技を発動させながら前へと進む。ベレスが引いた分、その距離を埋める為に前のめりになった。邪魔になる岩の槍は霧散させ進路を確保する。
一突き目、二突き目は空を突き、三突き目がベレスへと迫る。
ベレスの槍が動いた。後方に飛びながら槍の位置を整えたベレスは、突き出された槍の穂先に自分の槍の穂先をぶつけることで相殺。瞬時に引っ込むニステルの槍に向かって手のひら大の炎弾が放たれた。
咄嗟に身体を沈ませ床を滑るようにして迫る炎弾をやり過ごす。低い姿勢で発動中の武技の連続突きが再開される。足元からベレスの胸元に向けて四突き目が突き出されていく。
ベレスは槍の柄の部分を使い突きの軌道を変え無力化する。
それでもニステルの槍は止まらない。槍を引き戻しながら更に距離を詰めるように、低い姿勢からベレスに向かって飛び掛かる。距離を詰め、お互いに槍の取り回しがし辛い状況だ。槍を持つ位置をずらし、短く持ち変える。五連突きの最後の突きが、ベレスの顔目掛けて繰り出された。
ベレスの槍はニステルの足の真下にあり、接近したこの間合いでは上手く扱うこともできない。
「もらったぁッ!!」
必中の間合い。もはや槍で防ぐことも、腕を振り上げる時間もない。
親父の顔を貫くことに躊躇いはない。親父の槍が王国民を傷つける、そんな事実を残す方が嫌だし、親父だってそんなこと望んでいるわけがない。
ベレスの顔に向かっていく槍の先。そこに阻むものは何もない。穂先がベレスの眉間を捉える、その瞬間、ベレスの顔が消えていった。存在が揺らいだわけではない。ベレスが後方に転がるように身体を動かした為、まるで消えていったように見えただけだ。
防御不可能なことを悟ったベレスは、後方へと転がり槍をやりすごす。相手から距離を取りつつ追撃を避けるこの上ない行動だとニステルは感じた。
空を突く槍を引き戻し足を床へとつける。ニステルの攻撃が届かないように、ベレスからの攻撃もまた間合いの外である。
仕切り直し。その言葉がニステルの頭をよぎったが、瞬時に思考を切り替える。
一瞬の出来事だった。
転がり避けた親父が立ち上がった瞬間、親父の首元に灰色の霊気を纏った短剣が突き刺さっていた。親父の背後に、先ほどまで苦しんでいたキョウカの姿がある。攻防の一瞬の隙を窺っていたのか、今し方動けるようになったのかわからない。ただ、親父に突き立てられた灰色の霊気が、確実にダメージを与えていることを示している。
霊滅ノ息吹に触れたベレスの首元からノイズが走り、首元だけ色を失っていく。反撃素振りもなく、まるで力を奪われ動けなくなっているようだった。
ニステルは追撃を仕掛けるべく駆け出した。
千載一遇のこの好機、逃すわけにはいかない。まだ親父の槍は誰の命も奪ってはいない。今ならまだ親父の名を守ることができる。
ベレスの真ん前へとたどり着いたニステルは、槍を握る手に力を込めた。
親父を……、親父を、黄泉の世界へと送り返すッ!
ベレスの顔を見る。かつてその背中を追いかけた存在、会いたいと願い冒険者になってまで求めた親父との別れ。一目見れば満足すると思っていたが、そんな単純なものじゃねぇみてぇだな……。こうもはっきりとした姿で現れちまったら、会話までしたくなるじゃねぇか……。
フィルヒルという死人とカミル達が会話していたことで、ニステルもベレスとの会話ができる可能性を考えていたのかもしれない。でも、現実は残酷でベレスには自我はなく、ただ目の前の生者に襲い掛かるのみだった。
深い呼吸を一つ挟み、槍を引く。
「さよならだ、親父」
ベレスの胸元へ向け槍を突き出した。
『でかくなったな、ニステル』
発せられた声に、ニステルは突き出した槍を思わず止める。
「おや……じ?」
『後ろのお嬢さんの一撃を首にもらったおかげか、声を出せるようになったらしい。身体はまったく動かないんだけどな』
死人には似つかわしくない陽気な声が響く。首から上が自由になったのか、ベレスの表情は優しい笑みを浮かべている。
キョウカは咄嗟に短剣を引き抜いた。霊体である以上、喉に刃が突き立てられていたとしても喋ることはできるのだが、気持ち的にそうせざるを得なかった。
『意識はあるのに口や身体が動かせないのは辛いものがあるんだな』
ベレスの首元がピクピクと痙攣し始めている。
『どうやら長くは喋れないらしい』
色を失った首元から周りに広がって行くように、色を失っていく箇所が増えていく。それはまるで意識を保てる残りの時間を表しているかのようだった。
「親父……」
喋りたいことはたくさんあるのに、うまく言葉にすることができない。御袋が亡くなったこと、兵士を経て今は冒険者であること、兵士長達が親父の死の事実を明らかにしたこと。頭の中でぐるぐると言いたいことが駆け巡る。
『さあ、俺の意識が残っている内に、今のお前の槍で終わらせてくれ』
終わらせる、その言葉に手が震えてくる。
『槍の鍛錬、頑張ってたんだろう?その成果をしっかり見せてくれよ』
色が失われた箇所が胸元、顎先まで広がっている。
「ああ、見せてやるよ。今の俺が持てる力をッ!」
ベレスは穏やかに微笑んだ。
魔力と黄の元素を穂に集めていく。
俺が黄の元素の適正が高いのも、元塊病の原因が黄の元素の結晶を体内に宿していたからだ。薬で溶かされ、体内の魔力と元素が結びついた副産物に過ぎない。言ってしまえば、この力は両親から授けられた力のようなもの。だから、この力を使うことで立派に生きていけることを伝えなきゃならねぇ。
「行くぜッ!これが元塊病を乗り越えた、今俺が持てる全力だッ!」
突き出した槍を一旦引ききり、俺は言葉を紡いだ。
「鋼牙爆砕衝!」
穂に集う黄の元素が刃を黄金色に染め上げ一回り大きく膨れ上がらせる。
ベレスは無言でその力の波動を感じ取っている。自分の息子の成長に満足しているのか、再びの別れを悲しんでいるのかはわからない。ただ黄金色と灰色の入り混じる輝きを見つめていた。
「さよなら、親父。貴方の息子で幸せだったよ」
黄金色と灰色の斑の輝きを纏わせた槍をベレスの胸元に突き立てた。今までの感謝の気持ちを込めて。




