表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/93

ep.43 殺意の槍

 遠征から帰って来た親父を御袋と労い、久しぶりの家族団欒の時間を過ごすはずだった。遠征の話を聞き、竜とどうやって戦ったのかを聞き、どんな武功を上げたのかを聞くはずだったんだ……。

 親父が帰って来なかったあの日から、家の中はどんよりとした空気が流れている。御袋は、俺の前では気丈に振舞っているけど、陰で泣き崩れている姿を何度も目撃している。その姿を見る度に、本当に親父は死んでしまったんだと痛感させられた。

 俺はなるべく涙を流さないように努力していた。悲しい気持ちは確かにあったが、それ以上に御袋に心配をかけることはしたくなかった。親父が亡くなってしまったからには、俺が御袋を支えて行かなければならない。両親には病の事で苦労を掛け続けてしまった。だから俺は、歯を食いしばり涙を必死に留め、家の事を積極的に手伝っている。子供の俺では親父の代わりなんて到底こなせないかもしれない。でも、できる限りの努力はしたかった。両親が大切にしてくれたこの身体で、今度は俺が御袋を大切にする番なのだから。親父に恩返しができないのは心残りだけど、親父が愛した御袋だけはこの手で守っていきたい。


 その御袋も、俺が14歳になる頃に他界してしまった。まだ30代後半に入ったばかりの若さだった。

 体調を崩していた御袋は「ただの風邪だよ。心配性だね」と軽口をたたいていた。まともに立つことすらままならないのに、そんなわけがない。もうかれこれ一週間も風邪のような状態が続いている。日に日に悪くなる症状に、心配だった俺はリディス族に回復魔法を頼もうと王都内を走り回った。だけど、その頃の王都は流行病が蔓延し、リディス族の人数に対して病人が多すぎた。探せど探せど、魔力の関係上何日も待たなければ診てもらうことができそうにない。仕方なく風邪薬を買って帰宅した。

 御袋の晩御飯に消火の良いおかゆを用意した。零さないように注意しながら部屋の扉を潜ると、静かに眠る御袋の姿が目に入る。

「食事の準備ができたよ」

 優しく声をかけるも熟睡しているのか反応は返って来なかった。

 机におかゆを置き、身体をゆっくりと揺さぶった。それでも起きる気配がないことに違和感を覚え、手に触れてみると体温が低く心が跳ねた。冷や汗が身体から溢れ出す。頭が真っ白になりそうになりながら必死に呼びかけ続けた。それでも、御袋が目を覚ますことはなかった。

 咄嗟に御袋を背負い、リディス族のいる診療所を目指す。

 時は一刻を争う。

 何が何でも診てもらわないと、診て、もらわないと……。

 辺りはすでに日が落ち、街灯が街を照らし出している。

 ハァ、ハァ、ハァ、ハァ。

 もう少し、もう少し。その角を曲がれば診療所だ。

 曲がり角を抜け、真っすぐ進めば……。

 灯りの消えた診療所。その扉の前へとたどり着いた。

 時間的に考えれば閉まっているのはわかっている。それでも、今はここに(すが)るしかない!

 ドンドンッ

「すみませんッ!」

 ドンドンッ

「すみませんッ!!誰かいませんかッ!」

 辺りに叫び声が響く。

 中から反応はない。

 ドンドンドンッ

「すみませんッ!母が、母が急病なんです!誰かっ、誰かいませんかぁぁぁぁ!」

 全力で何度も何度も中へ呼びかけた。

 けれど、中からの反応はない。空しく声が響くのみ。

「誰か…誰か助けて……」

 叩き続けた拳を扉に押し付け、膝から崩れ落ちていく。

 俺が昼間に無理やりにでも診てもらっていたら……。

 背中の御袋の様子を窺うと、ぐったりとしていて心なしか血の気が引いてきている。

 死がすぐそこまで迫って来ている。

 考えたくもない『死』という言葉が頭の中にチラついてくる。その考えを払いたくて気づけば何度も頭を振っていた。

 溢れる涙が頬を伝う。その感覚に気付き、自分自身に苛立った。

 泣いている場合じゃないだろッ!

 下唇を噛みしめ、痛みで思考を追いやった。

 背負う腕をグッと引き締め、御袋が落ちないようにゆっくりと立ち上がる。


「君、どうかしたのかい?」


 唐突に話しかけられ、首を左へと向ける。

 薄暗い街並みを照らす街灯が、声の主を浮かび上がらせている。(くり)色の短髪の男性で、白衣を身に纏っている。この診療所の先生だろう。街灯に照らされたその先生が、今の俺にはまるで光を纏っている存在のように感じられた。

 背中の御袋の姿に気付いたのか、先生の表情は険しくなった。

「とりあえず、中へ入ろうか」

 落ち着いた先生の声が、俺に安心感をくれる。険しい表情から、まだ油断できないことはわかっていた。でも、それと同時にこれで何とかなるとも思った。

「お願いします!」

 先生が俺の横に立ち、扉を開ける。中へ入ると照明をつけ奥へと進んだ。

 待合室を抜けるとすぐに診察室にたどり着く。

「ベッドに寝かせてくれるかい?」

 先生の指示通りに御袋を横にした。

 先生は御袋に近寄ると身体の上に手を翳した。掌から僅か白い光が漏れ、頭から上半身、下半身、足の先へと手を動かしていく。

 何をしているのかわからなかったが、御袋の容体を調べているのだけは伝わって来た。先生の顔は未だに険しい。俺が思っている以上に良くないのかもしれない。

 御袋の上から手を戻していくと、そっと目を閉じ、首を左右に振った。

「すまない。今の私では君のお母さんを救ってあげることができない……」

「……えっ?」

 何を言っているのか理解ができなかった。

 先生は身体をこちらへ向けると、まっすぐ目を合わせてくる。

「君のお母さんを蝕んでいるのは、元魔病(げんまびょう)と呼ばれる流行病だ。今王国に蔓延している病気で、この病にかかると日に日に衰弱していき、最終的には身体の自由が利かなくなり死に至る。肉体に宿る元素と魔力が体外に出て行ってしまうのが原因だとはわかっているんだけど、その病気の発生源が未だにわからない不治の病なんだ」

「……えっ?」

 脳が理解することを拒絶している。

 先生が何を言っているのかわからない。

 呆然とする俺に、必死に説明をしてくれる先生。だけど、当時の俺はそれを受け入れることができなく、ただただ目を泳がすばかりだった。

「魔力が残っているのなら延命処置はできたかもしれない。でも、今の私には治療に回せるだけの魔力は残っていないんだ……」

 治療ができない。ただそれだけは頭の中にスッと入って来た。都合の悪いことは理解できないフリをして聞き流し、僅かな希望に縋る為に。

「それなら……」

 反射的に俺は叫んでいた。

「それなら、他の診療所に向かうよッ!!」

 御袋に手を伸ばしていくと、先生の手が俺の腕を掴み行動を制した。

「他の診療所も同じなんだ!どこの診療所も魔力不足で、もうまともに治療することなんてできない!今の今まで集会に参加していて、その凄惨な状況の報告を聞いてきたばかりだ!もう……、もう治療できるリディスの仲間は王国にはいない……」

 腕を掴む先生の手から力が抜けていく。やるせない思いに表情を歪め、力なく項垂れていく。

 嘘だ……。

 嘘だ、うそだ、ウソダ……。

 認めたくなかった。信じたくはなかった。それでも、触れた御袋の体温が下がってきているのがヒシヒシと伝わってくる。

 なんで御袋がこんな目に合わないといけないんだ……。

「すまない。希望を与えるようなことをして……。元魔病(げんまびょう)でさえなければ……」

 先生の声が消える様に小さくなっていく。

 一目見た時から先生は、御袋が元魔病(げんまびょう)であることを見抜いていたのだろう。それでも、別の病気である可能性も考えて診察をしてくれた。

 どこに感情をぶつけていいのかわからず、御袋に抱き着くようにただ泣き崩れるのみだった。


 それから、程なくして御袋は息を引き取った。


 後に、元魔病(げんまびょう)の発生原因は、7年前に行われた竜退治にあると断定された。討伐対象だった祟竜(すいりゅう)の命を奪った際、溢れ出る瘴気の影響で亡骸に触れることができなかったことが報告されていた。人里から遠かったことから、亡骸はそのまま残し自然に還るのを待つという選択がされたらしい。毎年討伐された日に状態の確認を行っており、長年骨だけを残して瘴気を放っていた亡骸が7年目にして異常が発見されたという。祟竜(すいりゅう)の骨が消え、別の竜が姿を現した。

 その名は怨竜(えんりゅう)

 人語を操り、恨み言を語る特殊な個体だったという。元魔病(げんまびょう)の原因が何故怨竜(えんりゅう)だと判明したかというと、その口から放たれた恨み言からだった。

『我が呪術が人間共の命を喰ろうておるというのに、ベレスなる人間がすでに死んでおるとはな。……つまらぬ。人の魂を贄にするのに7年もかかってしまったのが口惜しい……』

 怨竜(えんりゅう)討伐に赴いた兵士長が戦闘中に聞いた言葉だと言う話だ。親父の名前が出たこともあり、兵士長自ら報告に来てくれた。

 語った言葉から、命を落とした祟竜(すいりゅう)は自分の亡骸から溢れる瘴気を呪術として利用していること。一定数の生物の命を呪術で呪い殺すことによって怨竜(えんりゅう)へと転化し甦ること。呪術による影響が元魔病(げんまびょう)であることが推測されたらしい。


 両親を亡くし、頼れる親族もいない俺は、15歳になったと同時に王国兵へと志願した。親父のように立派に国を守る兵士になる為に。もちろん、俺が選んだ武器は槍だった。

 訓練を受け始めて、改めて親父の凄さに触れた気がする。身体作り、体力作り、槍術の訓練、魔法の訓練。それらをこなしながら、街の警備から魔物の討伐まで様々な任務をこなしていかなければならない。いつも笑顔だった親父からは想像もつかない過酷さに、俺はただ感心するばかりだった。家族を守っていくということの大変さを、身を持って思い知らされている。

 何度もぶっ倒れながら任務をこなし、心身共に順応するまでに3年の月日を要した。

 訓練帰りのある日、訓練帰りに詰め所へと向かう廊下で兵士長を見かけた。有難いことに、親父と御袋が亡くなってから何かと気を掛けてくれている。声を掛けようと近づいて行くも、兵士長の空気感がいつもと違うことに気付き俺の足は止まった。

 神妙な面持ちでこちらへと歩いて来る。その姿に声を掛けるタイミングを逸してしまう。兵士長は俺の存在に気付かず横を通り過ぎていく。

 何か良くない事でも起きたのか?と思いながらも、本日の訓練の報告に詰め所へと向かわなければならず、後ろ髪を引かれる思いで兵士長を見送った。

「さっさと報告して帰るかな」

 誰に言うわけでもなく言葉が漏れる。頭にチラつく兵士長の姿を誤魔化すように。

 廊下を歩き、詰め所に近づいていくと中から愉快そうな大きな笑い声が聞こえて来た。

 この声、副兵士長か?

「ったく、副兵士長になれてから7年経つってのに。兵士長のヤロー、何時になったら兵士長の座を明け渡す気になるってんだ?もうオメーの時代じゃねーんだよ」

 不穏な言葉に、詰め所にたどり着く前に足が止まった。

「あんまり大きな声を出すと聞こえますぜ?」

「構わねーよ。兵士長も寄る年波には勝ててねーんだし、いざとなれば実力で引きずり落としてやるよ。はーはは!」

 入隊した当時から兵士長と副兵士長の間柄は良くなかったが、まさかそんなことを思っていたとは……。

「最悪、任務のどさくさに紛れてやっちまうってのはどうですか?」

「そうだな、7年前みたいにやっちまうのも悪かねえか……」

 えっ?

 詰め所から聞こえて来る言葉に、思考が止まった。

 ………7年前?

 嫌な考えが頭をよぎり、冷や汗が訓練後で火照った身体の熱を奪っていく。

 副兵士長が7年前にやったことって………。

 そんな、そんな馬鹿なことがあるわけない。だって親父は竜討伐で命を落としたって………。

「あの時のベレスの顔といったら滑稽でしたねえ」

「ああ、今思い出しても笑えてくる」

 詰め所内に笑い声が木霊する。

「まさか、背後から味方に土手っ腹を貫かれるとは思わなかっただろうよ。振り返ったアイツの顔の情けねー面と言ったらよお、ククク。おまけに手柄まで横取りされて、本当にベレスには感謝してもしたりねーってもんだ」

 副兵士長の言葉に、歯を食いしばり両の拳を振るえるほど握り込む。


 アイツが……、あの男が、親父を殺したのかぁぁぁぁぁッ!!


 腸が煮えくり返る想いに頭に血が上り、心拍数が跳ね上がる。

 止まった足を踏み出し、詰め所へと殴り込みをかけた。

 詰め所の中には二人の男が椅子に座り談笑している。その内の一人、短髪髭面の副兵士長の顔を確認すると、拳を振り上げながら殴りかかった。

「このクソヤロォォォォッ!!」

 拳が副兵士長の頬を捉え、床へと倒れ込んでいく。椅子が床へとぶつかり、木材が接触する音が詰め所に響いた。咄嗟の出来事に、副兵士長と会話をしていた兵士は反応できず、過ぎていく目の前の光景をただ見つめるのみ。

 その隙に副兵士長に馬乗りになり、顔目掛けて拳を振り下ろした。

「ぐぁッ!?」

 副兵士長の声が漏れてくるが、そんなもの気にするようなことじゃない。

 何度も何度も拳を振り下ろす。

 唇が切れ、歯が折れる。

 その度に血が溢れてくる。

「てめー!副兵士長に何しやがる!!」

 言葉と同時に脇腹に痛みが走った。

 兵士の蹴りが脇腹を捉え、俺の身体は宙を舞う。副兵士長の身体の上を通り床へと転がり落ちた。

 副兵士長は上半身を起こし、口の中に溜まった血と折れた歯を床へと吐き捨てる。

「クソがッ!!てめー誰だ!?」

 倒れるニステルへと視線が向く。

「そいつ、ベレスの(せがれ)ですぜ。大方、俺達の会話を盗み聞きしてやがったんですよ」

 よろよろと副兵士長が立ち上がり、ニステルを見下ろす。

「まあ、俺に手を上げたんだ。ただで済むとは思うな、よッ!!」

 言葉の終わりにニステルの背中を踏み潰した。

「ははは、俺にも手伝わせてください、よッと」

 兵士が足を振りかぶり、繰り出されるつま先がニステルの腿へと刺さった。

「ぅ゙ぅ゙ッ」

 痛みのあまり声が漏れる。

 痛い、イタイ……。でも、親父の受けた痛みに比べればこんなものッ!

 両手に力を込め、勢いよく上半身を起こした。

「うおっと」

 副兵士長の足を押し戻し、顔を捻って二人の顔を見据える。

 こいつ等は、コイツラは親父の仇ダッ!!親父に代わって俺がその無念を晴らす!!

 身体を反転させ、再び副兵士長に飛び掛かる。

 副兵士長は後ろへと移動しながら、飛び掛かって来るニステルの顔目掛けて蹴り上げた。顎下から真上へと振り切り、直撃をもらったニステルの身体が真上へと伸びる。

「そんな動きで俺をヤれると思うなよッ!」

 蹴られた衝撃で頭の中が真っ白になる。

 目の前に親父の仇がいるのに……、そんなことにも気づかず命令を聞き続けていたなんて……。

 意識が遠くなっていく。このまま何もできずに終わるのか……?コイツラの罪を白日の下に晒せず……、やられるってのか……?

 伸びた身体が後方へと傾いていく。

 そんなこと、絶対にイヤだッ!!

 ニステルの瞳に力が宿る。

 歯を食いしばり、副兵士長を睨みつけた。

 倒れ込むその一瞬、副兵士長と視線がぶつかりあった気がした。

 俺はありったけの魔力を宝石へと込める。

 本来、訓練以外では人に向けることにない魔法に殺意を込めて。

 宝石の魔法陣を介し黄の元素に働きかける。

 兵士長の身体の真下、床から天井目掛けて黄の元素が牙を剝く。

「くたばれッ!!クソヤロォォォォッ!!」

 副兵士長の身体を貫くように、岩の槍が床から飛び出した。

 黄の元素の反応を副兵士長は感じ取っていた。咄嗟に身体を後方へと傾け、避けようと移動し始めている。だが、後方へ飛ぼうとするも背中が何かにぶつかった。それは硬く、大きな壁。そこまで大きくもない詰め所という室内。何度も後方へと飛べるはずもなく、身体を傾け背中を預ける形で止まってしまった。

 下から迫る岩の槍の勢いは、衰えることなく兵士長へを目指している。

「うわぁぁぁぁぁぁッ!?」

 副兵士長の情けない声が詰め所に響く。

 岩の槍は………、副兵士長の身体を掠めて天井へと突き刺さった。

「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああッ!!」

 にも関わらず、副兵士長の絶叫が辺りに響き渡った。

 掠めた個所からは血が滴り、力無く副兵士長の身体が崩れていく。伸びた岩の槍に身体を預けるようにして止まった。

「副兵士長!!」

 あまりの絶叫に兵士がすぐに駆け寄り、そして絶句した。顔は青ざめ、身体をブルルと震わせ身体を強張らせた。

 副兵士長は意識を失っている。

 岩の槍が貫いたのは、副兵士長の股間だった。身体を傾けたのが幸いしてか、全身を貫かれることは無かったが、男として大事な部分を損傷し、痛みのあまり気を失ったようだ。

「何事だ」

 低く落ち着きのある声が詰め所に響く。

「兵士長!コイツが副兵士長のぉ………」

 続く言葉はなかった。男としてその痛々しい状況を口にすることすら躊躇われたのであろう。

 兵士長は副兵士長の姿を一瞥し、ニステルへと視線を向ける。

 ニステルはゆっくりと身体を起こした。兵士長へと向き直ると、申し訳なさそうに目を伏せた。

 俺がやったことは間違いじゃない!

 自分にそう言い聞かせると、ニステルは力強い瞳で兵士長へと対峙した。

 一瞬の静寂。

 お互いに言葉を発することもなく立ち尽くしていた。なんて声をかけるべきなのか言葉が詰まる。

「ニステル……」

 詰め所の外から人が駆けてくる足音が響いてきた。その音に視線を出入口へと向けると、一人、二人、三人の兵士が詰め所の中へと入って来る。

「兵士長……、これは………」

「お前達、ちょうど良いところへ来た」

 兵士長が顔を向けると、入って来た兵士達は何かを察したように表情が引き締まった。兵士達の視線が副兵士長へと向いた。

「拘束……ですね」

 一人の兵士の呟きに、兵士長は無言で頷いた。

 上官への傷害行為、当然と言えば当然だ。

 でも、まだ副兵士長――この男の息の根を止めていない。

 兵士達が動き出し、咄嗟に俺は魔力を宝石へと込めた。捕まる前に親父の仇を討つ為に。

「おい!こらっ!何しやがるッ!!」

 わけがわからなかった。動き出した兵士達は、事もあろうか副兵士長と話していた兵士の身柄を拘束したのだ。

「こっちは被害者なんだよッ!そのガキが副兵士長をこんな姿にしたんだ!捕まえるのはそっちのガキだろうッ!!」

 拘束された兵士が叫ぶも、兵士長は首を左右に振った。

「スレイ・アリィズマン及びザーン・ブラスウェル、両名には先の副兵士長ベレス・フィルオーズの殺害の容疑がかけられている。よって、両名を拘束し軍事裁判を執り行う」

 予想外の言葉にザーンの表情が硬くなった。のも束の間、薄ら笑いを浮かべ口を開く。

「へ、俺らが同胞を殺したって言うんですか?冗談はよしてくださいよ」

 へらへらと語るその姿に、俺は強い憤りを感じた。さっきはその口で親父を殺したと言っていたというのに。

「証拠も無しに俺を罪人呼ばわり、いくら兵士長と言えどタダで済むとは思わないでくださいね」

 あくまでも強気な姿勢を崩さないザーンは、俺達を嘲笑った。

 そう、親父がこの世を去ってから既に10年もの年月が流れている。今更証拠など探せるわけがない。

 反論する言葉が出て来ず、嘲笑うザーンの姿を憎々し気に眺めることしかできなかった。

「証拠ならある」

 兵士長の短い言葉に、ザーンの表情から笑みが消える。

「へ?」

 詰め所の外から一人の兵士が入って来る。その手には20cmほどの花瓶が握られている。

 兵士長が顎を動かし合図を送ると、花瓶を持った兵士が一歩前へと歩み出た。

「こちらが証拠になります」

 花瓶の中に向かって魔力が流れていく。花瓶に魔力が満ちると、何も入っていない花瓶の穴から声が溢れてきた。


『最悪、任務のどさくさに紛れてやっちまうってのはどうですか?』

『そうだな、7年前みたいにやっちまうのも悪かねえか……』

『あの時のベレスの顔といったら滑稽でしたねえ』

『ああ、今思い出しても笑えてくる』

『まさか、背後から味方に土手っ腹を貫かれるとは思わなかっただろうよ。振り返ったアイツの顔の情けねー面と言ったらよお、ククク。おまけに手柄まで横取りされて、本当にベレスには感謝してもしたりねーってもんだ』


「なっ!?」

 これはさっきの二人の会話だ。

「こいつは最近開発された魔具の一種でな、音を閉じ込めておくことができる。まだまだ制約は多いが、会話を残しておくことくらいはできるんだ」

「中々尻尾を出さなくて苦労しましたね。10年……、これでベレス副兵士長に顔向けできるってもんです」

 旗色が悪くなったザーンは挙動不審になり「いや、これは……」言葉のキレが悪くなる。

 俺はあっけに取られ、ただ立ち尽くし事の成り行きを見守っていた。

「話しは後で聞こう。連れて行け」

 拘束されたザーンが連行されていく。「おい!やめろ!放せ!」抵抗も空しく詰め所の外へと消えていく。気を失っているスレイに近寄る兵士が、その惨状を目の当たりにして顔を顰めた。傷を負った部分を見ないように担ぎ、詰め所を後にしていく。

 この場に残されたのは、俺と兵士長のみ。気まずさに声が掛けられない。

「ニステル、理由は大方想像はつくが、お前も傷害罪で罪を償ってもらうことになる」

 兵士長の言葉を噛みしめ、目を合わせた。短い時間、目だけで語らうと静かに口を開く。

「承知の上です。親父の仇を討つつもりで魔法を発動させました。後悔はありません。……いや、殺しきれなかったことだけが心残りです」

 兵士長は真っすぐとこちらを見つめてくる。その瞳は、哀しそうだった。

「ベイルはそんな重荷を背負わせるのを由しとはしないだろう。アイツの望みは、家族の幸せ、穏やかな日々だった。こんな結果になってしまって残念だよ」

「確かに……、親父は俺の行いを喜んではくれないとは思いますよ。でも、事実を知ってしまったからには、そうしなければ俺の気が済みませんでした。御袋の負担が大きくなったのも、親父が殺されてしまったからですし」

「………」

「もし、親父が生きていたら御袋の身体にかかる負担はもっと低かったはずです。元魔病(げんまびょう)にすらかからなかったかもしれません」

 兵士長は口を挟まず俺の言葉に耳を傾けている。

「家族の幸せ、穏やかな日々。そのすべての可能性を奪ったスレイという男を、俺が許せると思いますか?」

 口から溢れ出す言葉は淡々としていて冷たい。これが本当に自分の口から放たれていることにビックリしつつも、これが俺なんだと納得する自分もいた。何故だか心は穏やかだった。さっきまであんなに憎しみが心を支配していたというのに、スレイの未来が閉ざされたことが僅かな満足感を生み出したのかもしれない。

「すみません。兵士長は何かと手を焼いてくれたというのに、恩を仇で返す形になってしまいました」

 心からの謝罪の言葉だった。

「もう過ぎたことだ。ニステル、ついて来い」

 兵士長に促されるまま、拘束されることなく詰め所を後にした。


 俺の行き着く先は暗い牢獄生活。親父のような立派な兵士になることもなく、兵士長の恩に報いることも無い。両親に与えられた命を大切にすることすら叶えることができないかもしれない。それが悲しくて、辛くて、俺の心を締め付けていく。

 (かび)臭さと床の冷たさを感じながら微睡の中へと墜ちていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ