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ep.42 加護の化身

 困っている人がいたら助けなさい。

 幼い頃から両親に言われ続けた言葉だ。村という人口の少ない集落では、お互いに助け合わないと暮らしていくことは困難だった。自分達の畑で採れる作物は限られているし、病気や怪我になってしまえば仕事もままならない。皆がそれぞれ得意な分野で補い合って生きてきた。だから、困っている人がいたら手を差し伸べてしまう。それが俺の日常だった。

 気づけば駆け出していた。

 岩の壁を軽々と突破する突貫力に抗う術ない。

 刀は宿に置いてきているし、これといった攻撃手段を持ち合わせているわけでもない。

 命が奪われそうな現状を何とかしないと、あの人達は助からない。

 日本で共に過ごした彼が亡くなってから、生への執着、命が失われる忌避感がより一層強くなった気がする。命を尊さを謳うつもりはないけれど、自分がそうなるのも見るのも嫌なんだ。

 そんな想いが俺の身体を突き動かしている。


 見慣れない黒い蛇の姿を確認し、自然と足が止まった。

 大きさ的には巨大とは言い難いが、黒い鱗を持つ存在を見ると警戒してしまう。どうしても苦戦したカオティックヒュドラや怨竜(えんりゅう)を想起し、観察する癖がついてしまっていた。

 そのせいもあってか、動き出しが遅れてしまった。

 一人の男性が犠牲となり、蛇の瞳が不気味に輝いているように見えた。

 立ち尽くす私の横を一つの影が駆け抜けていく。

 カミルだ。倒れ込んだ人達の下へと向かっている。

 武器を持たず迷わず駆けて行く姿に、ようやく私の身体は反応し始めた。

「カミル!待て!」

 言葉をかけながら私も走り始めていた。

駿動走駆(しゅんどうそうく)

 カミルは少なくとも冷静ではない。駿動走駆(しゅんどうそうく)を使わずに駆けたとしても、間に合うはずがないのだ。

 蛇の頭が左右に揺ら揺らと揺れている。それはまるで、次の得物を値踏みしているかのようだ。

 カミルは止まる気配がない。放っておいても被害が出ることはないはずだ。

 一気にカミルを追い越し、蛇を真正面から捉えた。

 左の掌を突き出し、中級風属性魔法フューエルを発動させた。

 掌を中心に風が巻き起こり、蛇の頭に向け解き放った。

 風は勢い良く玉座の間を駆け抜けていく。倒れ込む一族の者達の上を通り抜け、蛇の顔面へとぶち当たった。

 蛇の頭が後方へと弾け飛ぶ。その勢いに引っ張られ、蛇の身体は後ろへと倒れていく。ドォンッ!と重苦しい音を立て、地面へと倒れ込んだ。

 倒れている隙に集団へと合流を果たした。

「おい!動けるか!?」

 倒れ込む人に視線を向けると、砕けた岩が降り注いだせいか身体のあちらこちらに生々しい傷が刻まれている。中には足に傷を負ってしまっている人もいた。抱えて移動しようにも、ノロノロ逃げ惑う姿を晒しては格好の的になる。

「私が時間を稼ぐから、移動しながらでも回復を!」

 視線を蛇に戻せば、すでに頭を持ち上げ始めている。

 視線を落とすと、地面の一部が破られていた。どうやらあの蛇は地下を突き破って遺跡まで来たようだ。

 身体をすべて出さずにいるのは何故だ……?地面から飛び出しているのは、せいぜい3mほど。頭はおよそ50cmってところか。まだ倍以上は地面の下に身体があると見といた方が良さそうだ。

 完全に頭を起こした蛇がこちらを睨む。

 その瞬間、蛇の頭がぶれる。

 予備動作も無く蛇の頭が目の前へと迫って来た。

 速い!?

 咄嗟に言葉を紡いだ。

風戯(かぜそばえ)

 リアに緑の元素が集まり出し、身体を覆っていく。

 蛇の頭が突っ込んで来るも、掠める様にリアが纏う緑の元素の上を滑り軌道を変えていく。

 ただ突っ込んで来るだけなら、避け続けることは可能だろう。頭を突っ込ませるという単純な攻撃を取り続けてくれるなら、こんなに楽なことはない。だが、思惑通りに事が運ぶはずもなく、身体をしならせ鞭のようにリアへと迫る。

 その攻撃は風戯(かぜそばえ)の前では無意味だ。

 物理的な動きで生じる風を利用して受け流すことができる風戯(かぜそばえ)は、物理攻撃に対しては緑の元素が反応しきれない攻撃速度でもでない限り回避することが可能だ。蛇の行っている攻撃方法では、リアの身体を捉えることはできない。

 迫る蛇の身体は、リアが纏う緑の元素の上を滑り宙へ舞い上がらせた。

 ちらりと視線を動かせば、被害を受けた墓守の一族の人達が回復魔法をかけながら柱の裏側へと回り込む姿が目に入って来た。

 これで思いっきり暴れられるな。でも、遺跡は相当な被害を受けるかもしれない。

 身体の下を通過していった蛇の身体が、再び地下と繋がった穴の場所まで戻っていく。

 鱗が黒いということは、やはり光属性で攻めるべきだろう。採掘終わりで魔力もそこそこ減っている。武器を持ってきていないし、短期決戦で終わらせないと。

 蛇へと手を翳すと上級光属性魔法ルストローアを発動させる。手に光が集まり出し、周囲が眩い光で満たされていく。光はリアの手から離れ、蛇の身体全体を包み込む様に広がった。

 蛇は完全に光の中へと収まり、完全に視界から消え去っている。

 黒い鱗を持ってる魔物には、良い思い出が無い。光に耐性を持っているのもいたし……。この蛇はどうだ……?


「うわぁぁぁぁぁぁ!?」


 背後から男性の低い叫び声が響いてきた。その声は、避難した墓守の一族の方から聞こえてきている。嫌な考えが頭をよぎる。

 まさか、光に乗じて地下から背後に移動したのか!?

 慌てて振り返ると、そこには淡く青白い光に包まれた人物が立っていた。見覚えのある鎧に竜の横顔の紋章。王国の兵士の死人(しびと)だ。握られた直槍を引き、目の前にいる男性へ今にも突き出されようとしていた。

 死人(しびと)の前の地面が揺らぐ。黄の元素が満ち溢れ、地面から岩の槍が天井に向かって突き出した。

 その直後、死人(しびと)の槍も突き出される。

 キィィィンッ。二つの槍がぶつかり合い、甲高い音を周囲に響かせる。

 放たれた死人(しびと)の槍の威力が強いのか、ぶつかり合った岩の槍を抉っている。男性に槍が届いていない事から槍は岩を突き抜けるに至っていない。

「こっちは俺に任せろ!目の前のでけぇ蛇に集中してな!」

 岩の槍を放ったのはニステルのようだ。何だかんだ言っても頼りになるヤツだ。

「リア!前ッ!!」

 カミルの言葉に反射的に前方を向く。

 放ったルストローアの光が和らぎ、蛇の輪郭が影で浮かび上がっていた。影の一部に異様な黒い球体が形成されている。

 反応からして黒の元素。ルストローアが消えていないこの状況で動けるということは、光属性に対して耐性を持ち合わせている可能性が高い。ったく、嫌な予感ばかり当たりやがって!

 闇の球体に対処して無駄に魔力を消耗するよりも、回り込みながら背面を目指して移動する。

 カミルも私の意図を察したのか、反対側から回り込むように移動していく。

 光は霧散していき、蛇が再び姿を現した。口を大きく開き、蠢く黒い球体の狙いを定めるべくギョロギョロと視線を動かしている。

 何だ?黒い鱗が透き通る紫色に見える?

 光は完全に消え去った。

 蛇の頭に視線を戻すと、目が合った。

 楯突いた私を狙いに定めるのは必然か。カミルや後方にいる墓守の一族を狙われるよりかは有難い。

 こいつにはどんな攻撃が効果的か。鱗の色や闇属性のあの球体からして黒への適正は高いだろうし、本来弱点である白への耐性もあるときた。ここはやっぱり得意の緑の元素の力で攻めるべきだろう。

 蛇の口元から黒い球体が放たれた。

駿動走駆(しゅんどうそうく)

 口元を離れた瞬間を狙い、足に風を纏わせ一気に着弾点から離れていく。

 蛇の顔がリアを追いかけ身体を捻る。


― 豪然たる水の意志 其は冷酷なる刃の狩人 アプラース ―


 詠唱が耳に届くと、蛇へと翳したカミルの掌から2mほどの水弾が放たれた。真っすぐ蛇の身体に進み、ぶつかり弾けた。

 攻撃が加わったのにも関わらず、蛇は相変わらずリアの姿を追う。

 あの程度の魔法じゃ気にすることでもないって言うの?

 懲りることなく連続で水弾が放たれているが、それでも気にする素振りがない。

 残りの魔力が心許ないけど、やるしかない。

 一度足を止め反転。カミルに近づきすぎないように反対側へと移動し、宝石に魔力を流しながら詠唱を始めた。


― 浩々たる(あま)翔ける刹那の輝きよ

    破滅の音を轟かせ 裁きの力を我が手に フィルザード ―


 魔法陣の補助を受け、リアの身体に青緑色の雷光が纏わりつく。バチバチと弾ける音を響かせ、閉じた左右の拳の指を広げ解放した。手の甲を覆う様に上半身ほどの大きさの(いかずち)の外骨格が生まれる。そこから五本の指に対応した(いかずち)が伸びる。それはまるで(いかずち)が形作る鉤爪。刀の長さまで成長した爪を輝かせ、蛇に向かって駆け出した。

 極致魔法のフィルザードを使っちまったからには、短期で勝負を決めきる!

 纏った雷光が筋肉を活性化し、動きそのものを補助している。その恩恵で脚力まで強化され、駿動走駆(しゅんどうそうく)を使用した時のような加速力を発揮する。

 蛇の口が開かれ、再び黒い球体が形成されていく。球体は徐々に大きくなり、リアに向かって放たれた。突き進む球体はリアに届く前に弾け飛び、無数の黒い雨となり降り注ぐ。

 当たらないと踏んで拡散型に切り替えて来やがったか!だが、止まっている時間なんてない!

 消耗した魔力と体力がリアに重荷となって圧し掛かる。

 (いかずち)の外骨格を前方に押し出し身体を覆う様に守りを固めるも、進む足を止めることはない。フィルザードがどこまで通じるか未知数な状況で、時間をかければ極致魔法の維持に魔力を持っていかれる。倒しきる前に魔力が尽きることは回避したい。

 黒い雨と(いかずち)の外骨格がぶつかり合う。

 外骨格に触れた瞬間に黒い雨は弾け飛ぶ。拡散された多くは(いかずち)の前に成す術なく霧散しているが、覆いきれていない部分から侵入する黒い雨は防ぎきることができない。頭こそ守りきっているが、肩や背中に降り注ぐ黒い雨がリアの身体を蝕んでいく。

 触れた場所がヒリヒリしてやがる。あの黒いのは毒みたいなもんか?チッ!力が抜ける……。あれを浴び続けるのはマズイ……。

 足に力を入れ直し地面を蹴る。

 もう少し、もう少しで抜ける。

 視界が開け、目の前に聳える蛇の目がギロリと輝いた。出てくるのを待ち構えていたのか、蛇の頭が勢い良く突っ込んできた。

 身体を捻り、横に一回転させながら蛇の頭をいなす。それと同時に、回転運動の力を腕に乗せ、(いかずち)の爪を蛇の身体に突き立てた。

 バチバチと火花を上げ、蛇の身体がビクンビクンと跳ねている。

 だが、リアの表情は暗いままだった。

 鱗を貫けていない!?

 電撃が蛇にダメージを与えてはいるが、身体の表面は貫くに至っていない。

「コイツ、どんな身体してんだよッ!」


『そいつは鉱竜(こうりゅう)だ。周囲の鉱石を取り込み身体を作り上げる。おそらく、鉱竜(こうりゅう)の身体はニグル鉱石でできている』


 低い男性の声が玉座の間に響く。

 フィルヒル、気になって追って来たのか。

『これは少しばかり厄介な展開になっているな』

「竜?へっ、多少硬かろうが、関係ない!」

 (いかずち)の爪が再び鉱竜(こうりゅう)の身体を突き刺した。

 やはり鱗を貫けない。電撃が蛇の身体を撥ねさせるのみ。

鉱竜(こうりゅう)は白と黒、黄に高い適正を持つ竜だ。そいつがニグル鉱石を扱ったらどうなるかわかるだろう?』

 白、黒、黄の元素に高い適正が必要。

 少し前に話したばかりの内容だ。そこにニグル鉱石が加わると……。

「加護の魔法……?」

『そうだ、加護の魔法は極致魔法ほどの威力を誇る攻撃以外を物ともしない。其方のフィルザードなら突破はできるだろうが、鉱石の破壊にまでは至っていない。加護の魔法を相殺するのに力を使い過ぎているのだろう』

「ふんっ、それならダメージが通るまで攻撃を加えればいいだけさ!」

 左右の爪を交互に振り始めた。右の爪が加護の魔法を相殺し、左の爪が鱗を穿つ。再び右の爪が突き出されるも、加護の魔法が再展開され爪の威力を相殺する。

「ははっ、連撃ならいけるな。おーらッ、おーらぁおらおらおらぁぁぁぁッ!!」

 鱗に刻まれた傷を目の当たりにし、一気に勝負を決める為に左右の爪を交互に繰り出す。右の爪が加護の魔法を相殺し、左の爪が鉱竜(こうりゅう)の鱗を着実に抉っていく。鱗を貫き、肉を引き裂く。ついには身体の深部、内臓にその爪が届いた。

 血飛沫を上げ鉱竜(こうりゅう)が悶絶する。電撃の影響か、苦しそうな声を上げるも身体の自由が利かないらしい。溢れ出る血飛沫が(いかずち)の爪に触れ、瞬間的に蒸発していく。焦げた匂いが周囲を漂い始めた。



 任せろとは言ったものの、槍は置いてきちまってるし、どうしたもんかね。咄嗟に岩の槍で攻撃を防いでみたが、光属性が使えないなら時間を稼ぐのが関の山。

 墓守の一族に視線を投げる。

 見たところ、瓦礫での怪我は回復したみたいだが、調査を中心に行う編成なのか武器を所持している人数は多くない。それなら。

「キョウカ!手を貸してくれ!それから、そこのおっちゃん!槍を貸してくれねぇか?」

 槍を持つ男性はキョウカの方へ視線を送る。キョウカは無言で頷いた。

 槍を防がれた死人は、槍を振り回しながら反転。ニステルと対峙する。

 横から迫り来る槍。中級土属性魔法グウェルで地面から岩の槍を生み出し受け止めた。

「なっ……」

 振り返った死人(しびと)の顔を見てニステルは固まった。

「親父……」

 死人(しびと)は槍を素早く引き戻すと、正面から無防備なニステルの心臓に向けて穂を突き出した。


 キィィィンッ


 槍の動きをキョウカは短剣をぶつけ軌道を逸らした。ニステルの脇腹を掠め槍は動きを止める。槍は死人(しびと)の下へと引き戻されていく。

「ニステルさん!何をやっているのですか!」

 目の前で叫ばれ、ニステルはハッと我に返る。

 そうだ、何をびっくりしてやがる。俺がこの村に来たのは、この為だろうがッ!

「わるい」

 キョウカが男性から預かった槍を差し出してきた。迷わず槍を握り、目の前の死人(しびと)――ベレス・フィルオーズと向き合った。

 まさか、こんな形で再会するとはな。なあ、親父。


 俺の親父は王国の副兵士長として国に仕えていた。優しく責任感のある人柄で、兵士長からの信頼も厚く、部下からは慕われていた。特に槍捌きは突出していて、親父に敵う者は王国には存在しないほどだ。俺はいつも親父の背中を追いかけていた。誰からも慕われ頼れる存在、子供の頃の俺からしたら英雄そのものだったんだ。

 だけど、俺は生まれつき身体が弱く、槍を持とうものなら重さで地面に叩きつけられていた。その度に心配そうに駆け寄って来る親父と御袋の顔が今でも目に焼き付いている。

 俺の身体は元塊病(げんかいびょう)と呼ばれる病を持って産まれてきた。母親の胎内にいる頃に、何らかの影響で体内に過度な元素が集まり元素が結晶化した塊が体内に生まれてしまう病だ。母体には症状は出ず、子が産まれるまでその病に気付くことはない。栄養と共に元素を胎児へと送ってしまうのが原因ではないかと囁かれているが、確証には至っていないのが現状だ。

 御袋はよく「健康体で産んであげられなくてごめんね」と口にしていた。原因がわからない以上どうしようもないことだというのに。

 体内に元素の塊が影響してか、同い年の子に比べ身体が小さく、病気にもかかりやすかった。それでも親父のような屈強な兵士に憧れて、身体を動かし、食事も積極的に食べる様にして強い身体作りに励んでいた。だが、身体を動かせば翌日は寝込む。そんな体質と付き合う生活が長く続いた。

 変化が訪れたのは俺が7歳になった頃だった。

 異国の地で元塊病(げんかいびょう)が完治した事例が確認されたと伝わって来た。完治に至った手法を特定するには情報が少なすぎるが、その生活を模倣すれば改善するのでは?と両親の期待は凄まじいものだった。病を治す為に色々な薬に手を出していたようで、直前まで服用していた薬が効いたのでは?ということで、俺もその薬を毎日摂り続けることになった。

 ただ、その薬の元になる薬草は王国には自生していなかった。異国でしか取れない薬草がどれほどの価格で取引されているのか、想像するのは難くない。それでも薬を手に入れる為に親父は必死で働いてくれた。今までの勤務だけでは薬代を賄えず、本来副兵士長が担うことのない雑務にまで手を出し、不足分を稼いできてくれた。

 御袋も俺の世話と家事をこなしつつ、空いた時間に飲食店に勤めて生計を立ててくれていた。

 その甲斐もあり、俺は毎日薬を摂ることができ、少しずつ少しずつ身体が軽くなっていた。

 身体を動かして寝込むことも少なくなってきたある日、親父は任務で竜退治に出向くことになった。

「この任務をこなせば、追加で報酬が出るんだ。そうしたら余裕もできるし、もう少し一緒に遊ぶ時間ができるんだぞ?ニステルは何したい?」

「その任務ってまだ先の事でしょ?ふふっ、ずいぶんと気が早いのね」

 楽しげに笑う親父と御袋の顔、今でも鮮明に思い出すことが出来る。薬の為に家族との時間が減ってしまった親父は特に喜んでいたっけ。

 それから暫くして、親父は竜退治の任務へと旅立った。

 親父と遊べる日を思い、来る日も来る日も薬を飲み、御袋と親父が帰ってくるのを待っていた。

 元塊病(げんかいびょう)は著しく改善し、ほとんど不調を感じることもなくなっていた。後々わかったことだが、今回の俺の症例で病の改善に有効であることが証明されたらしい。

 そして、遠征に出ていた討伐隊が王国へと帰還した。

 夕暮れ時、居間で親父の帰りを心待ちにしていると、玄関の扉がノックされた。

「ニステル、ちょっと出てくれないかしら?お母さん、ちょっと今手が離せないのよ」

「は~い」

 親父が帰ってくるのを待っていた俺は、ノックをしたのは親父だと思い込んだ。というよりも、他の誰かが訪ねてくるなんて微塵も思っていなかった。

 自分の家なのにノックするなんて、そっか!誰かが訪ねてきたと思わせてからの「ただいま!」で驚かせたいんだな。そんなのバレバレだって。

 親父の意図を察したと思い込んだ俺は、にやける顔を無理やり抑えながら取っ手に手を伸ばす。

 ギィィィィと音を鳴らしながら扉が開いていく。

 そこにいたのは親父……ではなく、壮年の屈強な男性だった。王国の紋章が刻まれた鎧。親父の仕事着でもある。

「おや?もしかして、ニステル君かい?もうここまで大きくなったんだな」

 男性は膝を折り、顔を目線の高さで合わせてくれる。

 俺の顔を覗き込む男性の顔には、深く刻まれた皺が多く、細かい傷跡もあった。どこか懐かしむような、物寂しい表情を浮かべている。

 予想に反した人物の登場に、俺は頷き短く「はい」と答えるのが精一杯だった。

「お母さんは家にいるかい?いたら呼んできてもらえるかな?」

「ちょっと待ってて」

 男性に言葉を残すと、台所で晩御飯の準備をしている御袋の下へ向かった。

 良い匂いが漂ってくる台所に入ると、親父が久しぶりに帰ってくることもあって、料理が所狭しと並べられている。普段は絶対に作ってくれないような高級な肉を使ったステーキや、普段は贅沢品だから駄目だと禁止されている親父が好きな酒まで用意されている。

 溢れ出る唾液を飲み込み御袋へと呼びかける。

「お母さん、お客さん。お父さんと同じ鎧の人が呼んでるよ」

「あら?どうしたのかしら。お父さん、帰りが遅くなっちゃうって連絡かしらね?」

 御袋は手に持った包丁を置き、手を洗ってから「つまみ食いしちゃ駄目よ?」と言い残し玄関へと向かっていく。

 視線を料理に移すと、色とりどりの食材が並んでいる。つまみ食いするなと言われて素直に聞けるはずもなく、手が一つの料理へと伸びていた。薄く切られたハムをひとつまみし、口を大きく開けその中へと押し込んだ。口の中に肉の旨味というものだろうか?それが広がり幸福感で満たされる。

 お父さん、早く帰って来ないかな。そうしたら、このご飯もすぐに食べられるのにぃ~。

「うそよ、うそッ!?」

 不意に玄関から御袋の泣き叫ぶ声が響いてきた。その声からは強い悲しみが感じられ、心をギュッと締め付けてくる。何か良くないことが起きた。子供ながらにそれを感じ取っていた。

 玄関から聞こえて来る御袋の泣き声に、恐る恐る玄関へと近づいていく。

 目に入って来たのは、床に崩れ落ち泣いている御袋の姿と辛そうな顔を浮かべた男性の姿だった。男性はこちらに気付き、そっと目を伏せた。

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