ep.41 進むべき道
レバーを操作するとシャワーから少し温いくらいの温かさのお湯が降り注ぐ。
シャワーヘッドに顔を向けていたせいか、降り注ぐお湯がペチペチと顔を叩いていく。顔や髪を伝い、胸元や背中に温かな感触が伝わってくる。体中に付いた土埃や汗をお湯が攫い、全身を洗い流していく。
濃い一日だった。
死人との初めての戦闘。それも確かに印象的な出来事だったけど、それ以上にフィルヒルという精霊時代を乗り越えた第30代の国王との邂逅。そんな昔の死人が現れたことなど、私が知る限りない。それだけでも驚きだけど、会話が成り立つ死人の存在が異様なのだ。言葉を介さず、生者に襲いかかるのが死人という認識だった。でも、フィルヒルはその常識を破壊した。
死人という存在は、意思疎通が可能なのかもしれない。これはじぃちゃんに報告しないとな……。
お湯で十分に流し終えると、髪を重点的に洗っていく。
髪にシャワーを当て、まずは流れ出るお湯のみで予洗いをする。指の腹を使って髪に残っている汚れを1、2分ほど流す。いきなりシャンプーを使って洗っても、汚れがある程度落ちきっていないと泡立ちが悪く、泡が無ければ髪を傷めやすい。
レバーに手を伸ばし、一旦シャワーを止めた。
次に手を伸ばしたのはシャンプーのボトル。ワンプッシュ、ツープッシュ手に取り手の中で馴染ませていく。ここで焦って頭に手を乗せようものなら、シャンプー液を頭に乗せるのと変わらない。シャンプーの洗い残しにも繋がるから注意が必要。まずは毛先にシャンプーをつけながら泡立てていく。
しっかりと泡が立ったら、髪の中間、根元へと泡を伸ばしていく。理想は髪全体にモコモコの泡が包み込めるくらいかな。頭を動かしても泡が垂れて来ないくらいしっかりとした泡立ちが、髪の毛を傷めないコツなのよね。
頭皮を洗う時、私は洗い残しが無いように、毎回決まった順序で洗っている。前髪周辺から手もみを始め、頭の中心の頭頂部、後頭部へと洗い進めていく。洗い残しが多いのは、側頭部や耳の裏周辺。ここを洗い損じると臭いの原因になるから注意しなくてはね。
これは、ばぁちゃんに叩き込まれた洗い方だ。
「身だしなみに気を使うのは、人としての嗜み。美意識が高い女性なら尚更だよ」
それが口煩いばぁちゃんの口癖だった。お風呂の後に匂いの確認をしてくるような多少潔癖気味の人。その甲斐あってか、今までに匂いについて変なことを言われたことはない。
レバーに手を伸ばし、シャワーで髪についている泡を流す。ここでも注ぎ残しがないように、髪と頭皮を念入りに流しておく。
シャワーを止め、髪の水分を切り頭の上にバスタオルを被せた。顔を覆わないようにし、左右に垂れた布地で長い髪を包み込む。少し捻りながら頭の上で結んで固定しておいた。
これで身体を洗うのに邪魔にならなくて済む。
水分を多少含ませた泡立て用のタオルに、液体のボディソープをツープッシュする。円を描くように擦り、キメの細かい泡を作っていく。
泡を身体に纏わせ、身体の末端から胸に向かって優しく指もみしながら洗っていく。小さい頃にばぁちゃんの前で、ゴシゴシとタオルで擦っていたら怒られたっけ。
レバーを操作して手に持ったシャワーで泡を流し、浴槽へと視線を向ける。
ようやく湯船に浸かることができる。
お湯の温度を確かめる為に手を入れてみた。
うん、大丈夫。少し熱いくらいの湯加減。
手に湯船の湯を掬い、身体へと少しずつ浴びせていく。いきなり身体を沈めると、身体がびっくりするかもしれないとキョウカは思っている。少し慣らしてからゆっくりと片足を湯船へと突っ込み、もう片方の足も入れた。ゆっくりと腰を落としていき、肩が浸かるまで身体を沈めた。
「はぁぁぁ〜」
身体を包む温かさに思わず声が漏れる。
何でお湯に浸かると声が出ちゃうんだろう?これまでに幾度も同じ疑問を抱いては、声と一緒に疲れも出ていくんだと謎に納得させている。これが正解なのかもわからない。
湯船の縁に頭と首を預け、温かさに身を委ねる。徐々に身体が温まってくるのを感じる。
「身体の美しさを保ちたいなら、しっかりと湯船に浸けるんだよ」
お風呂にいると、どうしてもばぁちゃんの言葉が頭の中で繰り返し蘇る。口酸っぱく言われた言葉はいくつもある。そのどれもが私の中で息づいていた。その中でも美容に関することはよく覚えている。私が強く関心を寄せていたからかもしれない。綺麗に見られたい。その想いが私の心根にもある。
水面から片腕を上げると、肌の上を滑らかにお湯が流れ落ち、弾いて丸くなったお湯が肌の上で輝いていた。
私は肌の上に残る水玉を見るのが好きだ。自分の肌が若くキメ細かいのを確認できるから。ばぁちゃんに歳を重ねると弾かなくなると言われた時は、洗面所に駆け寄ってすぐ確認したっけ。
腕をお湯の中に戻して瞳を閉じると、身体にかかる水圧に意識が向いた。少し息がし辛くなるほどの水圧。これが身体に良いらしい。血の巡りを良くして身体を若々しく保ってくれるみたい。ばぁちゃんの実体験から来る知恵だから、正直詳しいことはわからない。でも、綺麗な身体になれるのならそれでいいと思う。
「はぁー。明日もいっぱい汚れるんだろうな〜」
愚痴を漏らし項垂れた。
ゆっくり15分ほど湯船に浸かってからお風呂を終えた。
少し外の空気を吸いたくなりロビーへ向かう。そこには先客がいた。銀髪の毛先に動きのあるボブカットの線の細い女性――リアが扉の前で腕組みをして立っている。お風呂上がりの為か、ゆったりとしたルームウェア姿だ。
「何やってんの?」
リアが振り返る。
「カミルか。これを見てみ」
宿の出入口の扉を指さした。
取っ手部分に札が掛けられている。
『施錠中、夜間外出禁止』
「村に着いたときに注意されたけど、まさかここまで厳重にしてるとはね」
不満げなリアがため息をついた。
扉の前で腕組みをしていた理由に合点がいった。
「ま、死人が襲ってくるとなると、当然じゃない?浄化の手段を持たないと対処できないし」
「それはそうなんだけどさ……。ちょっと息苦しいし、外の空気でも吸いたかったなー」
「はははっ、リアもそうなんだ。俺も窓の無い部屋は初めてだから、落ち着かなくてね」
俺でさえ落ち着かないんだ、自然と共に生きるエルフなら尚更だろう。
「カミル、少し話さないか?」
親指でロビーのテーブルを示す。
「うん、いいよ」
テーブルに移動し、椅子に腰掛けた。
「で、どうしたの?」
テーブルの上で緩く指を組むとリアが語りだす。
「フィルヒルが過去を語らなかっただろ?それについてどう思った?」
「どうって……」
未来の世界に足を踏み入れて、俺達は未来に起こる出来事を知ることができる状態だ。歴史書や歴史家から知識を得ることもできるだろう。でも……。
「必要以上に知る必要はないと思ってる」
未来の出来事を知らない方が、生きていて楽しいと俺は思う。知らないからこそ、夢を見て生きることができるし、努力をしようと思える。もし、未来に起こる出来事を知ってしまえば、行動を起こすことすらしなくなってしまうかもしれない。
「そうか……」
リアがゆっくりと目を閉じた。少し考える素振りを見せると、目を開けこちらを見据える。
「私は知るべきだと思った。フィルヒルの素性が明らかになった時、キョウカさんは『精霊の黄昏を乗り越え、今の時代の礎を築いたお方』と言っていた。私は、乗り越えという言葉が気になっているんだ。世界の根幹が揺らぐ出来事だ、それなりの苦労や痛みはあったと思うんだよ。だから……」
リアの瞳に光が宿る。
「無理して精霊の時代を終わらせる必要はないと、私は考えている」
真剣な眼差しに、リアが本気でそう考えていることが伝わってくる。
左手首にある紋様に視線を落とした。
「精霊の刻印は解除すべきだと思うけど、私が解除の仕方を学んで帰れば、精霊の時代を終わらせず元の姿に戻ることができるはず。刻印を施す為に使われている元素を世界に還元すれば、必要以上に世界に負担をかけなくて済むかもしれない。だから、精霊の黄昏を引き起こす原因を探るべきじゃないかな」
リアはフィルヒルとの会話でそこまで考えていたんだ。
正直、俺は未来の世界に来て、帝国が滅ぶと聞いても特に何も感じることはなかった。というよりも、言葉だけで言われたところで実感がまるでない。未来の世界に来ていることすら、未だに夢なんじゃないかと疑うことが多い。王国について、リアの知識も乏しいところもあり、自分の知識と空想が生み出した夢の世界の可能性だって十分に考えられる。
俺はかつて、5年という長い年月を夢の中で過ごした経験がある。それを思えば、1週間やそこらの生活が夢でした、と言われても信じてしまう。目を覚ましたら帝城の庭園にいるのではないかと考えたこともあった。
だから、この世界の歴史にはいまいち興味を持てていないのだと思う。
「まあ、精霊の黄昏は大きな出来事だし、記録には残ってそうだね。王都のグラットルさん辺りなら何か知ってるかも?」
特に興味を持てないけど、創作の物語的な感覚なら少しは楽しめるかもしれない。
「グラットルさんか」
不意にリアが片手で顔を覆うと、ゆっくりと左右に頭を振った。
「ニグル鉱石でもこれだけ苦労してるのに、オミナ鉱石まで採掘するとなると……」
がっつり採掘しても1ヶ月に1個出れば良いとされるオミナ鉱石。今回の採掘を経験して、その困難さを痛感したのであろう。
「物は考えようじゃない?採掘に慣れておけば、オミナ鉱石の採掘の早さも上がるわけだし、地道にやっていくしかないと思うよ」
リアは、ふぅ〜と一息吐き出すと顔を上げた。先ほどまでの淀んだ空気感はなく、瞳に力が戻っている。前髪を一度掻き上げながら口を開いた。
「やることは変わらないし、合間に過去を探ってみるとしよう。まずは明日の採掘を乗り越えないとな」
そう、まずは依頼をこなさなければ何も始まらない。帰る方法を探るにも、歴史を探るにも、生活基盤をしっかり立てなければ食べていく事すら困難になる。
「はい、お仕事頑張りましょう」
それから暫く坑道と宿との往復の生活となった。ひたすらツルハシを動かし、時折現れる死人はキョウカさんの秘技で無に還され、滞る事なくニグル鉱石は溜まっていった。
だけど、単調な作業の繰り返しは心を消耗する。ましてや土にまみれ、窓のない部屋での生活だ。ニグル鉱石が籠二つ一杯になる頃には、魂が抜けたように覇気が消え失せてしまった。
「これで……、終わりだよな!もう掘らなくても良いんだよな!」
ニステルが膝から崩れ落ち、力強いガッツポーズで喜びを顕にしている。
「ああ、これで終わりだ……。これからは自由だ!」
ニステルに同調し、リアまでもが心の底から喜んでいる。
かく言う俺も心が浮き立っている。採掘から解放されることに加え、辛いことを乗り越えた達成感でいっぱいだ。
『これで此処もまた寂しい空間になるな』
低い男性の声が響く。青白く輝く男性――フィルヒルは、どこか物寂しげな雰囲気だ。
「すみません。まだ調査結果が出なくって……」
キョウカさんが頭を下げている。
調査は続けられているようだが芳しくないようだ。
『急ぎはせんさ。死人だからいくらでも時間はある』
「黒の元素に揺らぎがあるのですが、それが原因で黄泉の国との境界が曖昧になっているのかもしれないと推測しております。ですが、確証が得られないようで……」
黄泉の国。
即ち死者の国。命を落とした者達がたどり着く場所だ。
生者と死者は住むべき世界が違う。キョウカさんの言葉からすると、黒の元素が生者と死者の世界を隔てる境界を維持しているように聞こえる。遺跡の加護の魔法の一部が剥がれている。俺にはそれが無関係とは思えない。この遺跡そのものが、境界を維持する為の結界になっているのでは?
墓守の一族。それは、王国の要人が眠る遺跡を守る一族ではなく、黄泉の国を隔てる境界を守る一族なのかもしれない。それならば、キョウカさんが使った秘技が、死人に特化している理由も納得がいく。死人を黄泉の国へと還す為の力。
それにしても、フィルヒルがそのことを知らないのはおかしい。一国の王を務めた人物が、そんな重要な事実を知らないとは考えにくい。
俺の考えすぎなのか……?
「寂しいなら遺跡まで上がってくれば良いじゃないか」
リアが事も無げに提案する。
『それは其方等が私を敵視していないから言えることだ。面識のない村の者からしたら、私はただの死人だ。そもそも日光がどのように影響するかもわからぬ』
「ああ。日光についてはわかりかねますが、フィルヒルさんのことは長に報告済みです。フィルヒルさんは他の死人と違って、何故か会話ができるでしょう?外見的特徴は村中に伝わっておりますから、挨拶さえしっかりしていただければ大丈夫でしょう」
キョウカさんが穏やかに微笑む。報連相をしっかりとこなしている辺り、墓守の一族は組織として信頼に足るのかもしれない。
『……そうだな。今のアクツ村を知るのも一興かもしれんな』
「では、遺跡まで戻りましょう」
ニステルと籠を一つずつ背負う。ずっしりとした重みが重心を後ろへと引っ張った。
あ、こける。そう思った時、グッと身体が前に押される感触が籠越しに伝わってきた。
「ったく、カミルはもう少し筋肉をつけろ」
「……面目ない」
魔法で筋力を強化しているとは言え、女性のリアに身体を支えられるのは、男として自信を無くしそうだ。
「何なら私が運ぶぞ?」
籠の肩紐をぎゅっと握り、少し前傾姿勢を取る。
「俺がやる。いや、やらせて。じゃないと俺の自尊心が再起不能になる……」
「そういうものなのか?」
「そういうものだよ」
地面に転がっているツルハシへと手を伸ばす。
あとは、このツルハシを回収して――うん、手が届かない。体勢を崩さないようにしながら手を伸ばすも、あと一息分手が伸び切らない。横着していてはどうやら回収できないようだ。
ブンブンと手を動かしていると、呆れたようにリアが「ツルハシくらい持っていくよ」と回収してくれた。
「格好がつかないな……」
「今更だろ?」
妙な空気を破るように「行くか」とニステルが歩き出した。
その後を続くように俺達も歩き出す。
坑道を抜け、もう見慣れた物置へと戻って来た。
一旦籠を床へと置くと、貸し出されていたランタンを棚へと戻した。
「このニグル鉱石はどこへ運べばいいんですか?」
籠二つ分の鉱石ともなると、そこそこ場所を取ってしまう。そもそも、この小さな鉱石のまま使うのか、加工してから使うのかすらわからない。俺達の仕事は鉱石の採掘で終わりだと思うけど、どうせなら加護の魔法の発動を見てみたいものだ。
「ニグル鉱石はじぃちゃん……、コホン、長の家までお願いします」
「俺達は汚れてるんだぜ?このままの姿で持って行っていいのか?」
ニステルは細かいところまで気が回るらしい。
「鉱石を運ぶだけですから大丈夫ですよ。そうですね、玄関にでも置いていただきましょうか。後々移動させますので」
「了解」
籠を再び背負い直し物置から出る。
廊下を抜け、遺跡の出入口付近に近づいたところで、遺跡の調査をしているであろう10名ほどの集団に遭遇した。
「キョウカか。採掘の進捗はどうだ?」
リーダーらしき40代後半くらいの男性が声をかけてきた。
「見ての通りよ」
キョウカさんは俺とニステルの方を指示した。背中の籠が見えるように半身を捻る。
二つの籠一杯に収まったニグル鉱石を見て男性の口元に笑みが浮かんだ。
「よし、お前達、奥で加護の魔法の準備を優先する。いけ」
男性の指示でぞろぞろと移動を開始した。
「冒険者の皆様、坑道での採掘は大変だったでしょう。ありがとうございました」
深々と頭を下げてくれた。
正直、この男性の反応は意外だった。排他的な一族の者が、言葉では感謝を伝えて来ることはあっても、頭を下げてくるとは思っていなかった。状況がひっ迫していたのかもしれないな。加護の魔法という希望が見えたことで、心のゆとりが生まれたのだろう。
「それで」
視線をフィルヒルに向ける。
「そちらが報告にあった第30代の国王様のフィルヒル様かな?」
彼にもフィルヒルの姿が見えるようだ。そうなると、ニステルが見えていない理由がますますわからなくなってきた。
「はい、他の死人とは違って会話も可能ですよ」
「ははは、昔のことを聞いてみたい気もするが、これでも今は仕事中なんでね」
柔和に笑うと「私も準備に向かいますので失礼します」男性は片手を上げ挨拶すると遺跡の奥へと歩いていく。
キョウカさんは男性の後ろ姿に向かって「ニグル鉱石を運んだら私も手伝いますね」と言葉を送った。
「なあ、俺達も加護の魔法ってヤツを使うところを見てもいいか?」
キョウカさんがニステルへと向き直る。
「一度、長の確認を取ってからですね。加護の魔法自体は秘匿される技術ではありませんし」
「加護の魔法が発動するところを見れるのは貴重だからな、見れるんなら見ておいた方がいいぜ」
ニステルが俺とリアに視線を送ってくる。俺達のすぐ後ろにいるフィルヒルは相変わらず見えていないようだ。
「へえ、加護の魔法が使われるのが珍しいのは、やっぱりニグル鉱石が希少品だから?」
「それもあるけどよ、加護の魔法の使い手が少ねぇんだ。白、黒、黄の元素に高い適正が必要だから、担い手が少ないのは仕方ねぇことなんだがな」
加護の魔法というのは思ったよりもシビアみたいだ。三つの元素に愛される人なんて早々に現れるものじゃないし、産出地が限られるニグル鉱石を使うとなると、身近に加護の魔法の使い手がいないことも理解できる。だからこそ、帝国は実力主義に走ったのかもしれないな。
俺達はこのまま長の家まで向かうけど、フィルヒルはどうするつもりなんだろうか。
俺はフィルヒルへと顔を向ける。
「フィルヒルはこの後どうする?外へ出てみる?」
リアとキョウカさんの視線がフィルヒルへと向けられ、ニステルも釣られてそちらを向いた。
『いや、私は遺跡内で待たせてもらうよ。日光が心配でもあるし』
日光がどのような影響を与えるかわからない。そもそも、アクツ村に来てからというもの、日中に死人を見かけることは一度もなかった。
「キョウカさん、死人って日中にも現れるんですか?」
キョウカさんは軽く握った拳を唇に当て考えている。
思い当たる節がなかったのか首を軽く横に振る。
「私は今までに見たことありませんね。村の認識では、夜間に現れる存在というものでしたから」
「んー。それなら室内とかどうなんです?切り崩して住居にしているみたいですし、日中で使わない部屋とか光が届かないと思うんですよ。そこにも死人って出てこないんですか?」
「そのような報告は上がっていませんね」
考える素振りすら見せずに言葉が返ってくる。
「カミルさんがお考えになられていることは、私共も考えたことがあるんです。死人が現れるようになってから、村総出で灯りがない部屋を観察してみましたけど、一度も現れることはありませんでした。皆さんがお越しになられるまでは、坑道の中にも現れたことはなかったんですよ?状況が悪化しているのかもしれませんね……」
キョウカさんの表情が曇った。
「まあ、鉱石も集まったからもう心配ないんじゃねぇのか?加護の魔法も張り直せるだろうし」
「そうだと良いのですが……」
穏やかな生活が脅かされている現状では楽観視も難しいのだろう。キョウカさんの不安げな視線が遺跡の奥を見つめている。
ドゴォォォォンッ!!
唐突に何かが砕ける音が遺跡の奥から聞こえ、遺跡内部を強く揺さぶった。
奥へと続く通路から砂埃を巻き上げながら風が駆け抜けていく。
「何だッ!?」
咄嗟に両腕で顔を覆い風が止むのを待った。
「奥で何が起きてやがる……。て、おいッ!」
風が止んだ途端、キョウカさんが遺跡の奥へ向かって走り出している。ニステルの呼びかけも空しく、通路へと姿が消えていく。
「二人ともキョウカさんの後を追うぞ!」
リアの言葉に頷き、奥の通路へと駆けて行く。
籠を背負ってると走り辛い。どこかに置いて行く――通路の入口でいいや。
通路の入口の脇に籠を置いた。
ニステルは器用に走る速度を落とすことなく、籠を通路の端に置いて奥へと急いでいた。
咄嗟の判断と行動力では二人にはまだまだ適いそうにない。
二人に遅れないように駆け出した。
暫く通路を真っすぐに進んでいくと、ぽっかりと空いた大きな空間が現れた。山の高さを最大限に利用しているのか、天井までが果てしなく高い。空間が潰れないように、5mほどの太さの柱が幾つも天井へ向かって伸びている。両側面の壁には、翼を広げた龍を側面から見た姿が彫られていた。一見すると玉座の間のようだ。奥の中央にアンティーク調の豪華な椅子が二つ並んでいる。
でも、今注目すべきは広間の中央辺りから伸びている3mほどの黒い棒のようなもの。表面は鱗で覆われ、生き物のように蠢いている。よく見れば先端部分には蛇のような顔が付いている。
先行していたキョウカさんは、加護の魔法の準備に向かった集団に合流している。
さっきの物音、あの蛇が原因か。
あの蛇に襲われたのか、10人ほどの集団の半数は地面に臥している。
蛇の頭が動いた。
頭を後ろへと動かすと、反動を利用して集団目がけて突っ込んで行く。
仲間が倒れている状態では避けることができないのか、迫り来る蛇の頭を見据えている。
すると、地面から岩の壁が現れた。集団を覆うように展開された岩の壁は、かなり薄いように見える。
あれで本当に防げるのか?
そう思っていると、同じような壁が更に二枚現れた。どうやら薄くなった分、枚数でカバーするつもりらしい。
層となった岩の壁へと蛇の頭が激突する。
岩の壁が一枚砕け、勢いが弱まる気配を見せずに二枚目の壁に激突した。それでも蛇の頭は留まることはない。二枚目の壁を突き抜け、三枚目の壁をもあっけなく突破していく。
砕けた岩の塊が容赦なく降り注いだ。
「ぐぁ!!」
岩は墓守の一族達へと降り注ぐと霧散していく。
彼らは鎧など身に着けていない。着ていたのは一族の衣装だった。それはつまり……。
岩だけならまだ良かった。だが忘れてはいけない、岩の壁を砕いて進む黒い蛇の存在を……。
霧散していく砕けた岩の合間をすり抜け、一人の男性へと迫っていた。
迫り来る蛇の姿に気付いたのだろう「うわぁぁぁぁぁ」叫び声を上げ、蛇の頭と激突した。口を開け、鋭い牙をむき出しにした蛇の頭に……。
男性は胴に噛みつかれ、血飛沫を上げながら蛇に連れ去られていく。
蛇はそこが定位置であるかのように、元居た場所へと戻っている。
瞳をギョロっとコチラを見据え、牙で貫いた男性の身体を顎の力で噛み砕いていく。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
男性の断末魔とバキバキバキッと骨が砕ける音を響かせ、一人の命を刈り取った。
蛇の口から滴る鮮血。
成す術なく倒れ込んだ墓守の一族達。
この先起こるであろう惨劇が頭をチラつき、俺は彼らの下へと駆け出した。




