ep.39 歴史の証人
日本では、幽霊やお化けと呼ばれる存在は、実体を持たない霊体として認知されていた。帝国でも同様な認識だ。基本的には、人にも物にも触れられず、周囲の温度を僅かに下げるような存在。時折、触れられた。とか、物がひとりでに動いている。とか、声を聞いた。などの噂話を聞いたりはするが、その詳細はわかっていない。
生きてきた中で、そういった類の存在に出会ったこともないし、自分の周囲でもそんな話を聞いたことはない。だから、眉唾だと思っている――いや、思っていた。つい今し方までは……。
耳にかかった生暖かい吐息に、一気に緊張感が高まった。身体は硬直し、背後の気配に意識が集中してしまう。背中周りに寒さを感じる。それが背後に何かいることへの緊張感からなのか、はたまた物理的に地下が外部よりも温度が低いからなのかはわからない。
「なに身体を縮こませてんだ?」
ニステルの陽気な声が響く。顔を引き攣らせ、動かない俺を訝しんだのか、目の前まで移動してきた。
「う、うしろ……」
口が思い通りに動かない。一言放つのが精一杯だった。
「うしろ?」
ニステルは顔を横に動かし、ランタンを持ち上げてカミルの背後を確認する。ジーっと眺めているが、表情に変化は見られない。まるで時が止まったかと錯覚するような、長い長い数秒のニステルの動きがもどかしい。
「何もねぇじゃねぇか」
ニステルの言葉に心の底から安堵した。無意識に力んでいた筋肉が緩み、ようやく身体が言う事を聞くようになった。
「おちょくってんのか?」絡んで来るニステルのその態度が、今は本当に有り難かった。
じゃあ、さっきの吐息は一体……。
『此奴には私が見えんらしいな』
体中に鳥肌が立った。
……いる。
ニステルの言葉を信じたかった。背後に感じたものすべてが気の所為だったで済ませたかった。
でも、何者かは確実に存在する。
青褪めるカミルの表情に、ニステルは気を引き締める。彼は自分には感知できない何かが起きていることを、三人の顔に映る恐怖の感情から読み取った。
「おい!どうした!しっかりしろ!」
このままではマズイと感じたニステルが喝を入れる。
ニステルの叫びに、再び竦んだ身体が自由になる。
ニステルには感謝しないとな。
事態を打開する為に、意を決して振り返った。
そこにいたのは、全身を白装束で身を包んだ50代くらいの男性だった。パーマのかかった黄橡色の長髪を真ん中で分け、彫りが深くつり目だ。恰幅が良く、巌のような印象を受ける。
ただ、普通ではない所もある。身体が透けており、青白くほのかに輝いている。
幽霊。
真っ先に思い浮かんだ言葉がそれだった。
本来存在するはずのない人物がそこにいる。仮に身体が輝いているのが魔法の影響ということで説明できたとしても、墓守の一族以外の人物が此処にいるわけがないのだ。遺跡は管理され入口は厳格に守られている。白装束という異様な姿をした余所者を、遺跡の中に通すわけがない。
「離れてください!」
唐突に腕を引っ張られ「うわっ!」身体が蹌踉めいた。
カミルの身体と入れ替わるように、キョウカが前へと躍り出た。その手には片刃の短剣が握られている。刀身に波紋が浮かび上がっており、どこか日本刀に似通った部分がある。
『威勢の良いお嬢さんだ。年若くとも、流石は墓守の一族、と言ったところか』
「貴様、何者だ!何故遺跡の中にいる!」
先ほどまでの穏やかなキョウカさんの姿はどこにもなかった。声を荒げ、遺跡に侵入した賊を排除しようと、よくも分からない存在と対峙している。
『刃を収めろ。私に敵対する意思はない』
不敵な笑みを浮かべ、謎の男性はキョウカさんを見定めている。
「その言葉を信じろと?ここまで侵入しておいてぬけぬけと!」
キッと睨みつけ、男性の一挙一動を警戒している。
『驚かせたのはすまないと思っている。だが、私にはそうすることでしか気付いてもらえんのでな』
徐ろに男性の右腕が前へと伸びてくる。
『せめて話を――』
横一閃、伸びてきた腕にキョウカさんが反射的に短剣を振り抜いた。
短剣は真っすぐに男性の腕へと進み、刃が腕へと触れる。
ブゥンッ
振り抜いた短剣が動きを止める。
「な!?」
キョウカは目の前で起きた現象に目を見開いた。
短剣は男性の腕に触れ斬り裂いた――はずだった。確かに腕の中へと進み、振り抜いたはずである。だが、手応えがまるでない。刃が腕に当たる際の衝撃も無ければ、飛び散る血飛沫も無い。ただ、男性の腕の中を通ったという事実だけ残して、男性の腕には何の変化も見られなかった。
『せっかちが過ぎる。話は最後まで聞け』
キョウカさんが一歩後退りする。
「おい!何が起きている!」
ニステルには今の一連のやり取りが見えていないのか、周囲をキョロキョロと見渡し説明を求めている。
唐突に白い光が辺りを照らし出す。
輝きの元を辿れば、リアの顔の前まで上げられた拳から人差し指が伸びている。その指の先端から光が溢れ、周囲を照らしていた。
「この村には死人が出るって話だろ?それならこいつが噂の死人ってわけだ。魔性の者なら、こいつの得意分野だろ?」
リアがしたり顔で男性を見つめる。
聖なる焔の面々は、光属性に優れた者達の集まりだ。リアも例に漏れず、光の扱いを得意としている。
『光の元素か。確かにそれなら私をどうにかできるかも知れんな。エルフがそこまでの光を操れるのも珍しい』
「「「!?」」」
こいつ……、今光の元素って言った……?
「面白いこと言うじゃないか。私のことをエルフだって?」
「確かに……」
リアは光の元素という言葉よりも、自分に関わりがあるエルフという言葉に食い付いた。
精霊の刻印から解放されたこの世界では、銀髪のエルフを見かけることはまずないだろう。なら、何故この男性はリアのことをエルフと断言できたのだろうか?
『ああ……』男性の視線が右上を向く。何かを思い出しているかのような、そんな動きだ。
視線がリアへと戻る。
『そうか、そうか。世界は回帰したのだったな。では何故、其方は未だにその姿を保っている?』
男性は明らかに精霊時代を知っている……。
「それは乙女の秘密だよ」
リアが妖しく微笑むと、『ならばこれ以上は聞けぬな』フッと微笑み返す。
「敵意がないと言うのなら、まずは名乗ったらどうなんだ?」
『然もありなん』
男性は佇まいを正すと、力強い眼差しでリアを見る。
『我が名はフィルヒル・サン・ザイアス。第30代ザイアス王国の王である』
皆が一様に驚愕の表情を浮かべた。ただ一人、フィルヒルの姿が見えないニステルのみが蚊帳の外状態だ。
「な、何を馬鹿な事を……。第30代国王がこの場所に存在するわけが……」
キョウカさんは言葉を途中で止めると、軽く握った拳を唇に軽く触れさせると、俯くように何かを考え始めた。
『ふむ。自分でも何故此処にいるのかはわからん。私は天命を全うしたはずなのだがな。大凡、私は霊体と呼ばれるものだとは理解している』
「霊廟のあるアクツ村なら、その可能性も納得できる。キョウカさんも言ってたではありませんか、王族が現れると」
リアとキョウカさんの視線が交わった。
「いくら何でも、時代が違いすぎます……」
キョウカさんの視線が再びフィルヒルへと注がれた。
「第30代国王は、精霊の黄昏を乗り越え、今の時代の礎を築いたお方です。1000年以上も前のお方が、現れるとは……」
キョウカの瞳には疑いや畏れの色が浮かび上がっている。
リアの手がキョウカの肩へと触れる。
「話を聞いてみなければわからないでしょ?」
リアの瞳がフィルヒルへと向かう。
「私の名前リアスターナ・フィブロ。お察しの通り、精霊の刻印を未だに持つエルフだ」
左手首に刻まれた精霊の刻印を見せつける。
『リアスターナ・フィブロ?噂に名高い聖なる焔の魔剣士か?』
リアの瞳が見開かれ、驚きを露わにした。
「ふ、ふふっ」
リアの口から笑い声が漏れる。
「どうやら、この国王様は本物のようだ!」
キョウカは振り返り、リアを訝しげに見つめる。
「何故でしょう?」
「それを説明するには、私達の素性を理解してもらう必要があるな」
リアの視線がこちらへと向いた。その瞳には強い意思を感じる。
素性――過去の世界からの来訪者であることを教えるつもりらしい。
「問題ないと思うよ。まあ、言ったところで、信じてもらえると思えないけどね」
過去の世界から来ました、と言っても信じる人などしうはいないだろう。信じるのは、よほど妄想癖が強い者か、時を超える術があると信じ研究している者くらいだ。
リアは皆に視線を巡らせると、俺達の置かれている状況を説明し始めた。
『ほう。実に興味深い。お前達の話が本当だとすれば、まだ見ぬ魔法がこの世には存在することになる』
フィルヒルは驚きながらもリアの言葉を受け入れている。
「こんな突拍子もない話を信じてくれるのですか?」
『ゼーゼマン元公爵の暴走。オーウェンという魔族の帝都の襲撃。精霊の刻印を持つ銀髪のエルフ。その全ては私が国を治めていた精霊の時代で確認されている事象だ。当時の我が国では、帝国の内部分裂か?と騒いだものよ』
話に入ってこれないニステルは、壁に背中を預け腕組みをして俯いていた。話はしっかりと聞いているようで、時折「過去から来た?」「リアがエルフ?」などの独り言が耳に届く。
「貴方がその歴史を知っていると言うことは……、私達と同じ時代を生きた人物だと言う事?精霊時代の国王なのは確証を持っていたけど、まさか、同じ時代を生きた者同士なんて……」
同じ時間の流れを共有した人物。それが意味するところは……。
「俺達の時代で帝国は滅び、精霊時代が終わる……?」
カミルが呟いた言葉に、リアははっとしフィルヒルへと詰め寄った。
「もう少し話を聞かせてもらおうか」
リアの表情が引き締まる。
フィルヒルの言葉を信じるのなら、彼は何が原因で帝国が滅び、精霊の黄昏へと至ったのか知っている可能性が高い。
フィルヒルがリアを見つめる。リアという人物を見定めているのか、その表情は険しい。巌のような男性から見つめられるのは、相当な圧を感じるはずだ。だが、リアは臆することなく視線をぶつけている。
起こる出来事を知ってさえいれば、本来自分達が暮らしていた時代に戻った時に対処ができるかも知れない。そんな思いからの行動だろう。
すべては救えなくとも、せめて自分の大切な人達だけは守りきりたい。俺もそう思うから。
フィルヒルの口がゆっくりと開かれる。
『断る』
短く響く拒絶の言葉。
リアの眉尻がピクっと跳ねる。
「理由を聞いてもいい?」
『それは……』
フィルヒルの顔が採掘場の奥へと向いた。
その動きに釣られるように、視線の先を窺った。
『あの者等へ対処してからが良いと思うぞ』
暗がりの奥。採掘場の最奥の壁から人型の青白い光がすり抜けてきた。現れたのは、フィルヒルと同じ輝きを放つ、鎧を纏った男性二人。一人は紅葉色の短髪、もう一人はスキンヘッド。彼らが纏っている鎧には見覚えがある。ナイザー達王国兵を示す竜の横顔の紋章が付いている。霊廟に眠るかつての王国兵。
「彼らにも話しかけてみましょう」
フィルヒルと会話ができているのなら、あの二人とも会話ができるはずである。情報を得るなら、死人は多いほうが良い。
対話をする為に近寄っていく。
『止めておけ』
足を止め、フィルヒルへと振り返る。
『あの者等には自我が無い。近寄れば敵と見なされ襲われるぞ』
王国兵の死人へと視線を戻すと、彼らの腕が動き、剣の柄へと手が添えられていく。
『どうやら敵と認識されたらしいな。どうする?』
「へッ、元王国兵の死人だろうが、邪魔するならやってやるぜ!」
ニステルが槍を突き出し、戦闘態勢を取った。
「え?ニステル、あの二人が見えてるの?」
「あッ?あんな異様に輝いてんだぜ?見えねぇわけねぇだろ」
フィルヒルを認識できていないのに、あの王国兵は認識できている?
「カミル、お前は武器を持ってきてねぇんだから、大人しくしてろ」
「私が前に出ます。お二人は援護をお願いします」
キョウカさんは短剣を構えると、身体が沈んでいき片足を引いた前傾姿勢を取る。
「駿動走駆」
リアの足に緑の元素が集まっていく。
キョウカさんが死人に向かって駆け出し、リア、ニステルの順にその後に続いていく。
『お主は何もせんのか?』
「俺は武器も持たず、光属性の魔法も使えないんですよ……」
フィルヒルに攻撃したキョウカさんの短剣は、ダメージを与えることができなかった。それはおそらく、霊体という本来の肉体を持たない特性のせいなんだと思う。衣装まで霊体なのは謎だけど、少なくとも物理的な攻撃では倒せないはずだ。
『支援魔法は使えんのか?』
確かに支援魔法なら、間接的であれ魔法の効果を強化することができる。でも……。
「使えません。今の俺が出張っても、的になるだけなんです」
何も出来ない歯がゆさに思わず拳を握った。
『ならば今、この場に満ちる白の元素を感じ取れ。魔法というものは、知覚し、理解を深める事が肝心だ』
目の前で行われる戦闘に意識を集中する。
剣を抜いた死人が迫る。
ただ真っすぐにこちらに接近してきている。
キョウカさんの刃が灰色の霊気で包まれていく。元素の輝きではない。武技の発動に必要な言葉すらない。
私達が知らない未来の力。リアは咄嗟にそう理解する。
死人のまわりに元素が集まる様子がない。構えた剣から武技を放つ気か?
なら、先手あるのみ!
左の掌を突き出すと、魔力を介して白の元素に干渉していく。
地下のせいか、白の元素の濃度がいつもより薄い……。一気に力を削いでやりたかったけど、白の元素の集まりが悪いなら仕方ない。
人ひとり覆える大きさの光が、掌の前に集まり出した。
中級光属性魔法ルミアラ。この環境下で放てる最大の魔法。光は輝きを増し、髪が紅葉色の死人に向かって撃ち出された。
キョウカさんの脇を飛んでいき、死人との距離が詰まっていく。
光を斬るつもりなのか、死人が剣を振りかぶる。刀身に光が反射し、それを合図に一歩踏み込み剣が振り下ろされた。
光と剣がぶつかり合う。
当然ながら、剣では斬り裂くことができず、光の中をビュンと風切り音だけ残して通過していき、そして――死人の身体は光に包まれた。
光属性魔法には、魔性の存在を浄化し、力を削ぐことが可能となる。存在を保つ力を奪い尽くせば、最終的にはこの世界に存在することが出来なくなり消滅する。目の前にいる死人も、その理から逃れる事ができない。
ルミアラの光が死人を浄化していく。
剣を振り切った死人は、力が削がれたのか、踏み込んだ足で自身の身体を支えきれなくなり、前のめりに倒れ込んでいく。だが、存在は揺らぐことは無く、消え去る様子はない。
やはり白の元素が足りていない!
倒れ込んだ死人の横をキョウカさんが駆けていく。狙いはスキンヘッドの死人のようだ。
キョウカさんが視線をこちらに向け、瞳で「任せた」と訴えてくる。
リアはその場で足を止め、魔力を圧縮し始めた。
後ろを走っていたニステルが追い抜いていく。槍を構えているあたり、浄化作用が働いている内に物理攻撃を加える魂胆のようだ。
通常、霊体には物理攻撃は効かない。肉体を持たない存在であるが故、直接干渉することが出来ない。唯一、その理をすり抜ける方法は『浄化作用が働いている間に攻撃をぶつける』こと。浄化の力が武器にも作用するのか、攻撃が通るようになる。武器に光を纏わせれば、と考えた者もいたが、浄化の力が働いていない状態では単なる光でしかなかったらしい。攻撃を加えたければ、最初に光をぶつけ、浄化が始まるのを待つ必要がある。
「そぉらッ!」
ニステルの槍が倒れ込んだ死人の頭へと伸びていく。生者と違い、霊体の存在は明確な弱点となる部位は存在しない。存在を保つ力が消失しない限り、身体の部位を斬り裂いても、身体の中をすり抜けるだけだ。にも関わらず、死人の頭を狙ったのは、頭を破壊すれば人は死ぬという生者の概念に引っ張られたに過ぎない。
死人の頭を穿つ、そう思われた時、死人の腕が動いた。肉体に付いている瞳は飾りなのか、顔は未だ地面に伏しているにも関わらず、ニステルの攻撃に反応している。生者の反応に敏感な可能性も捨てきれないが。
死人が握っている剣が動いた。ニステルの槍の尖端とぶつかり軌道が逸れ、地面に穴を開ける。地面に刺さったまま、首目掛けて槍を無理やり移動させるも、こちらの動きを察しているのか、剣が先回りをして槍の邪魔をする。
その間に光は霧散した。それは浄化作用の終わりを意味し、物理攻撃が意味をなさなくなったことを示す。
「ちぃッ!」
ニステルほ舌打ちをしつつ一度距離を取る。
死人は立ち上がり剣を構え直した。
キョウカはスキンヘッドの死人へと迫っていた。
短剣を振るおうが、通常であれば霊体である死人を害することはできない。だが、キョウカの手に握られた短剣の刃は、灰色の霊気を纏っている。
この一族の秘技ならやれるはずよ。
キョウカは今までに死人をはじめ、霊体の存在との戦闘経験は無かった。そもそも、村に死人が出始めたのも最近になってからだ。一族の秘技――『霊滅ノ息吹』が扱えれば、霊体から存在を保つ力を奪い取ることができる。頭では分かっていても、いざ目の前に霊体が現れると、自分の秘技が正常に発動できているのか不安になる。
グッと奥歯を噛み締め、不安に飲まれそうな心を奮い立たせた。
疑っては駄目。一族が受け継いできた力を信じなさいッ!
キョウカの心に反応するかのように、刃に纏う霊滅ノ息吹が、まるで炎のように揺らめいた。
死人の剣先はまっすぐこちらの胸を向いている。構えからすると、勢いを乗せた突き。直線的な動きなら避けやすい。
速度を維持したまま、相手の剣先に向かって突っ込んだ。
死人の腕が伸び、胸に向かって突き出される。
身体を左へ捻り、突き出された剣先を避ける。短剣の腹を相手の刀身に沿わせながら滑らし、死人の懐へと飛び込んでいく。
横一閃。
灰色の霊気を纏った短剣が、死人の胸に触れる。刃に当たる感触はなく、腕にかかる抵抗もない。それはまるで、素振りをしたかのように軽やかに死人の胸を斬り裂いた。
霊滅ノ息吹の効果か、死人の胸の辺りが色を失い、存在が揺らぐ。
確かな秘技の手応えに、キョウカの目が鋭くなった。短剣を握る力が増し、一気に消滅させようと、死人の背後へと流れる身体を踏み留める。身体を反転させ、回転運動を短剣を振り抜く力へと変えていく。
背中を目掛けて、再び短剣が閃いた。
横一文字に動く短剣。
しかし、死人の反応は早く、身体を反転させながら刃を短剣へとぶつけてきた。
キィンッと甲高い音を坑道へと響かせる。
じぃちゃんの言ってた通りだ。霊体のはずの刃が実体化した!鎧はすり抜けたのに!
後方に飛び、一度距離を取ったキョウカは背後を見た。
続く道はそう長くない。最奥の壁はすぐそこだ。壁から離れないと身動きが取りづらくなる。
死人へ視線を戻し、短剣を構える。
その時、死人が構える剣に炎が灯った。
キョウカの身体が弾かれたように死人へ駆け出した。
こんな奥深くの坑道で火なんか使われたら、空気がすぐに無くなってしまう!
初級水属性魔法スプラを発動させ、左手に水を纏わせた。遠くから放つことも可能だが、確実に消火する為に至近距離からぶつける決断をする。
「はぁッ!」
短剣を炎を纏う剣へとぶつけ、動きを抑制した上で左手に纏う水で一気に消火する。炎は煙だけを残して消失した。
その直後、キョウカの腹部に強烈な痛みが走る。
「ぐぁッ!?」
潰れたような濁ったキョウカの声が辺りに響いた。
視線を落とすと、腹部に走った痛みの正体がそこにあった。
死人の足が突き刺さっている。
実体化するのは武器だけではないの!?……いや、肉体も武器という枠組みの中に収まるのかも。
でもこの距離なら!
左手の先から初級光属性魔法ルイズの光が溢れる。
「お返しだよッ!」
光は剣を握る死人の右腕を包み込む。浄化作用が始まったのか、右腕の色が失われている。それに伴って脱力したように、拮抗していた刃を押す力が見る見る内に失われていく。
その機を逃さず刃を振り切ると、力無く死人の右腕が頭の上へと押し上げられた。握った剣は手から解放され、坑道の天井へと突き刺さる。
勝ち筋が見え、キョウカの瞳が煌めく。
これで終わッ――。
その思った矢先、右頬に痛みが走り、キョウカの身体は左へと蹌踉めいていく。
剣を失って尚、戦闘を継続する兵士の執念の左拳が、キョウカの右頬を打ち抜いたのだ。
勝利を確信し始めたキョウカの油断、慢心。
霊廟に納められるほどの元王国兵相手に油断をするのは致命的。霊滅ノ息吹のお陰で、戦闘を優位に運ぶことができるだけであり、キョウカの持つ実力で追い詰めているわけではない。
片膝を突き、何とか転ぶことは回避した。
死人の次の動きを探るべく視線を向ける。この一撃で手が止まるわけがない。攻め時に手を止めるのはただの馬鹿だ。
だが、予想に反して死人は左腕を振り抜いたまま固まっていた。よく見れば、身体が――存在が揺らいでいる。全体的に鮮明度が下がり、見るからに弱ってきている。
追撃を仕掛ける余力すら残っていない?
灰色の霊気を纏った短剣を構え直す。
今度こそ終わらせてみせる!
身体を捻り、繰り出される短剣が死人右脇腹を捉えた。刃が左腰へ向かって進み、腹部を両断するような動きで死人の身体を通過した。
その途端、スキンヘッドの死人の身体にノイズが走る。身体は痙攣し、次第に色を失っていく。足下から存在が揺らぎ、頭に向かって光の粒子となり消え去った。
痛む右頬と腹部を、初級回復魔法ミライズで癒しながら、もう一体の死人の様子を窺った。
圧縮魔法。カミルから齎された概念を魔法に組み込んだ術式。必要な魔力量が多くなるけど、その分効力は目を見張る物がある。魔力を圧縮という普段行わない工程に手を焼いて今まで使うことを躊躇っていたけど、白の元素の少ないこの場所では話は別だ。
感覚的に使えていた魔法を、意識的に使うのは思った以上に心に負荷がかかるらしい。感覚のズレのせいか、やたらと苛立ちを覚える。
幾度か練習で圧縮魔法を使ってはいたものの、実戦で使うのは初めてだ。緊張感も相まって、中々に気持ちの悪い時間が過ぎていく。
ニステルの攻撃は、死人に難なく防がれている。さすがは元王国兵というところだ。突っ伏したまま防がれては、言い訳も出来まい。
ニステルが一度距離を取ると、死人は身体を起こし、まっすぐこちらに向き直った。
ようやく圧縮しきれた……。
圧縮した魔力を胸のペンダントへと流していく。
死人に向かい手を翳す。
掌の先に眩い光が顕れた。
先ほどと同じ大きさの光でも、いつもよりも輝きが増しているのか、坑道の奥まで照らし出していく。
「そんな隠し玉があるなら、さっさと使ってくれよ」
不満げに語るニステルの表情はふてぶてしい。
「ったく、準備に時間がかかるんだよ。ほら、タイミング合わせろよ」
「へいへい」
槍を一回転させると、死人に向き直った。
ニステルが槍を構えたのを確認すると、死人に向かって圧縮魔法のルミアラを放つ。まっすぐ進む光弾の速度は速くない。訓練を受けていない子供でさえ避けれてしまうほどの速度で進んでいる。
思ったよりも動きが遅い……。これじゃ、避けてくれと言っているようなものだ。
斬ることができないことを理解した死人は、まっすぐ進む光弾を避け、悠々と壁際に移動した。
そりゃそうなるよな。なら……。
「おいおい、当たんなきゃ意味ねぇだろ!」
吠えるニステルは放っておいて、意識をルミアラに集中だ。今は効力よりも、当てることを優先しないと。
死人の横を光弾が通り過ぎていく。
その時、光弾に変化が生じた。光は膨張し、坑道を埋め尽くすほどに成長、拡大していく。
死人は光から逃れる為に走り出す。ただ逃げるのではなく、剣を構え、ニステルに攻撃すべく動き出していた。
それでも光の速度は速い。広がるルミアラは瞬く間に死人を飲み込んでいった。
「当ててやったぞ。ほら、さっさと行け!」
感嘆したようにニステルが「ぴゅ〜」と口笛を吹く。
「さぁて、俺もやってやろうか」
坑道に広がる光弾を眺め、魔力を槍の穂へと流し込む。
リアスターナ・フィブロ。初めて会った時はボロボロで、ドムゴブリンなんぞに手こずってやがった。見るからに線が細い身体に、冒険者が務まるのか謎で仕方なかった。
カミルと揃って教養がない連中。それが俺が抱いた二人に対しての印象だ。
奇縁で再び相見えたが、相も変わらぬ知識の無さに呆れるばかり。なるべく関わり合いになるべきじゃねぇなという思いを深めた。
それが今度はどうだ?過去から来ただの、自分はエルフだの言い出しやがった。そんな怪しいヤツラ信用なんてできねーよ。
まあ、白の元素の扱いに関しちゃ、俺よりも得意そうだが、それだけだな。
カミルは最早論外だ。まだキョウカとかいう墓守の一族の女の方が戦闘では役立ちそうな雰囲気もあるしな。
光に覆われた死人を見やる。
さっさと仕事を終わらせて、本命を探さなくちゃな。
光が霧散する前に、ニステルは駆け出す。
死人の動きは、先ほどよりも機敏だ。撃ち出した光そのものが直撃した時とは違うということか。死人も移動している分、思ったよりも早く浄化作用が終わるかも知れねぇ。一気に方をつけるか。
死人との距離が詰まっていく。
剣よりも間合いのある槍が先手を取ることができる。
一歩、また一歩近づいていき、ニステルの間合いに入った。
「槍華連衝散」
魔力を纏った槍が素早く突き出される。
死人の剣が槍を受け止めた。
こいつッ!?
防がれた瞬間、槍を引き戻し、再び槍が死人を襲う。
キィンッ
放たれた槍は、再度死人の剣に防がれた。
槍の速度に着いてくるか!?
三度、四度、五度の高速の槍の猛襲。
回数を重ねようと、ニステルの槍は死人の身体を貫くことができない。
全部防ぐかぁ!?……それならこれはどうだ!
槍が剣に阻まれ動きを止めると、穂を纏っていた魔力が膨れ上がる。ドォンッ!と弾ける音を立て、魔力が爆散した。
衝撃が死人を襲い、勢い良く後方へ飛ばされていく。
煤けた臭いが辺りを包み、衝撃で土煙が坑道内覆った。
「おい!視界塞ぐんじゃないよ!」
「不可抗力だ!騒ぐな!」
そう、本来なら五連撃目を不発させ、爆発を起こすつもりなど無かった。連撃で体勢を崩しきり、死人の身体を貫く算段だったのだ。そのすべてが防がれ、仕方なく爆散させるしかなかった。
浄化作用で少なからず弱体化しているはず。それなのにニステルの槍は届かなかった。この元王国兵はかなりの剣の使い手だということ。その事実を認めざるを得なかった。
煙幕のように広がる土煙が流れるように捌けていく。
肌を撫でる風を感じる。この感じ、緑の元素か。
後方に視線を向けると、風を操っているであろうリアの姿が目に入ってきた。
さすがは自称エルフ様だ。この程度、お手の物だよなぁ。
光が霧散し始めていく。
「ちぃっ!」
またしても浄化作用内に槍を届かせることが出来なかった。辛うじて吹き飛ばせはしたが、死人の動きはまだまだ鈍らない。身体をゆっくりと起こしている。
『どうだ?これだけ白の元素が動けば何か掴めるだろう?』
「光は世界を照らし出す。光に包まれるだけで、気分が高揚して、温かい気持ちになれます。言うなれば、光とは希望そのもの、と俺は感じました」
それが俺が感じた光の、白の元素の印象だ。
『解釈など人それぞれでいい。重要なのはどう感じ、どう向き合うかだ。明確に意識し、想いを形にするだけなのだから』
「どう感じ、どう向き合うか、か……」
左手を胸の高さまで持ち上げ、魔力を圧縮し始める。
光とは暗闇を照らす道標。彷徨う者に救済を。
左手を拳銃の形に変えていく。自分の中で、魔法を撃ち出す心象に最も適した形。
『元素への呼び掛けなど、人それぞれだ。誰かの言葉をなぞったところで意味などない。紡ぎ出せ、お前自身の言葉で』
圧縮した魔力を人差し指に集めていく。
― 我至るは光芒のその先 導くは聖なる陽光 ルイズ ―
人差し指の先に拳ほどの大きさの光が灯る。
その光は炎のように揺らぎ、周囲を照らし始める。
光は徐々に収束し、親指ほどの大きさまで圧縮されていく。
狙うは紅葉色の髪の死人。
圧縮された光弾が、指先から撃ち出された。




