ep.37 元素の色
世の中には自分の力だけではどうにもならないことがある。事の成り行きを見守る事しかできず、自分の無力さに打ちひしがれる。誰かが助けに来てくれる、叶わぬ願いに縋ってしまう。実際に英雄のような人物が現れて救ってくれる、そんな奇跡が起こるのは稀だろう。
でも、そんな奇跡が起きたのなら、俺はその人に傾倒してしまうかもしれない。
リアが宙を舞いドムゴブリンの爪が伸びた時、俺の心は締め付けられた。その後に待ち受ける未来が想像できてしまったから……。鋭い爪がリアの身体を斬りつけ、血飛沫を上げ、悲鳴が轟く。そんな悲惨な結末が頭の中から離れない。胃がキリキリと痛み、血の気が引いていく…。届きもしないリアの方へと、ただ手を伸ばす。
ドゴォォンッ
重々しく響く音と共に大地が隆起した。それはまるで大地から岩の槍が飛び出てくるようだった。爪を振るう為に前傾姿勢を取っていたドムゴブリンの腹部を貫き、岩の槍の尖端が背中へと飛び出した。
腹部の痛みにドムゴブリンが悶え苦しむ。
岩の槍は更に隆起し、ドムゴブリンの身体を突き上げていくと、2mほどの高さまで身体を押し上げようやく隆起を止める。
腹を貫かれ悶えるドムゴブリン。即死は免れたものの、臓器を貫かれ滴る血の量から見ても、もう風前の灯火。
ドムゴブリンの脅威が去った。脳が理解するまでに時間はかからなかった。
そんなことよりも今はリアの状態が心配だ。
崩れ落ちそうな身体を精神力だけで無理やり動かし、仰向けに倒れたリアの下へとたどり着いた。
膝を着き、リアに呼びかけようとしたところで「おいおい、何だってんだ…これは…?」低い男性の声が聞こえた。
反射的に顔を向ける。
岩の槍の横に立っていたのは、砂色の髪を持つ、堀の深い顎髭を生やした男性。黄色い革製の鎧を身に着け、左手には直槍が握られている。力尽きたのか動かなくなったドムゴブリンを眺め、こちらへと顔を向けると困ったような顔で頭を掻き視線を送って来る。
おそらく、この男性が岩の槍でドムゴブリンを屠ったのだろう。地の元素の影響を受けたドムゴブリンに対して、それを上回る地の元素で貫くこの男性の地属性への適正は高そうだ。
「ドジってしまってこの有様ですよ」
リアが半身を起こしながら男性の疑問へと答える。
「リア、大丈夫?痛むところはない?」
「ぶつけた背中と」
右足を曲げながら身体に近づけていく。地面に押し付けられていた太腿が露わになる。一部が赤く腫れ上がっており、周りの白い肌との明暗差で患部が明確になり痛々しさが伝わってくる。
「岩の尻尾にやられた右太腿。右手と腕は回復薬で大分痛みが引いてきたところだったんだがな」
おどけて答えると笑みを浮かべた。
顔に冷や汗が浮かんでいる。痛みが酷いだろうに、心配をかけまいと無理やり微笑んでいるのがわかる。
「リア…」
俺が持っている回復薬では、痛みをすぐに取り除いてはあげられない。かける言葉が見つからず、ただ必死に微笑むリアを眺めることしかできない。
「ほら、これを使え」
男性の方へと視線を向けると、右手に回復薬が握られていた。
「動ける程度には回復すると思うから早く飲め。一旦森から出たほうが良い」
「それは貴方の回復薬だ。自分の身の危険を感じた時に使った方がいい」
リアがやんわりと断ると「予備はまだある。いいから使え」使うように促してくる。
「リア、有難く使わせてもらおう。後で返せばいいんだし」
男性の手から受け取ると、蓋を開けリアへと差し出す。
リアは申し訳なさそうに手を伸ばすと、回復薬を煽った。
「ありがとうございます」
リアの感謝の言葉に男性は頷く。
「そんな畏まらなくてもいい。なんか居心地わりぃよ」
本気で嫌そうな顔を浮かべている。
「ふふふ」と可笑しそうにリアが笑う。
「わかった。痛みが引くまで待ってくれると有難い」
「それくらい構わないよ」男性は視線をドムゴブリンに移す。魔法を解除し、躯が地面へと降りてきた。片膝を着き、槍でドムゴブリンの耳を根元から斬り裂き、小さな麻袋の中へと入れる。そして、こちらに向き直った。
「俺はニステル・フィルオーズ。王都に住む冒険者見習いだ」
「見習い?それじゃ、ニステルさんも適正試験でここに?」
ニステルさんがこちらの顔を見る。
「ニステルでいい。『も』てことはそっちもなんかよ」
「うん、かなり苦戦しちゃったけどね」
痛手を負っている状況に苦笑いしか出てこない。
「俺はカミル・クレスト。よろしく」
「私はリアスターナ・フィブロ。リアと呼んでくれ」
「カミルにリアね」名前を呼びながら、視線を動かしている。
ニステルが周囲を見渡す。
「にしても…、二人でドムゴブリン二体倒すのに、その負傷具合はな…」
どうやら、この場に転がる躯を見て戦闘力が乏しいと判断されたようだ。ニステルが何とも言えない表情になっている。
「負傷具合は否定できないけど、そいつで五体目だったんだよ。さすがに剣をぶっ飛ばされた時は焦ったぁ~」
リアが戦闘を振り返り、安堵のため息をついている。
「五体目!?アンタら正気か!?」
何故かニステルがびっくりしている。
「何かおかしかったか?」
「はー」とため息をつくと「群れてるドムゴブリンには手を出さないのが常識だろう…」ニステルが呆れかえっている。
「すまない。私達は少し前に王国に着いたばかりで、ドムゴブリンの生態に詳しくないんだよ。少し教えてくれないか?」
「構わねぇけど」
ニステルがリアの太腿を指を指す。
「そろそろ回復してそうだから、ドムゴブリンの耳を回収しながら森の外に出ねぇか?また襲われでもしたら堪らねーしよー」
幾分か赤みと腫れが引いている。
リアが後方に両手を引き、腕で自分の身体を前へ押し出した。反動を利用して立ち上がると、背中とお尻に付いた土や草の切れ端を叩き落していく。右足の具合を確かめる為に左足に重心を置き、右足をつま先だけ地面に着けると、膝を中心にぐるぐると動かしている。
「大丈夫そうだな。すまない、耳の回収に向かおう」
少し離れた場所に転がる弓のドムゴブリンの躯に近寄っていく。
「なんだこりゃ?」
見慣れない光景にニステルが素っ頓狂な声を上げる。
うつ伏せに倒れた躯の背中に、冷気を放つ透過する白い物体が突き刺さっていた。
「白い…氷?」
リアが興味深そうに覗き込んでいる。
「これ、カミルがやったんだよな?」
二人の視線が集まった。
「確かに、ドムゴブリンの背中目掛けて水刃だったら放ったけど……、凍るような要素なんて皆無だったよ?」
「じゃあ、何で凍ってんだ?冬の足音が聞こえて来てはいるが、凍るような寒さなんてまだまだ先だぜ?そもそも、なんでこの氷、全然溶けてねぇんだ?」
よく見ると溶けてはいる。だけど、アプラースを放ってからそこそこの時間が経っているのに、原形をしっかりと残しているのはおかしい。少なくとも、ドムゴブリンが持つ体温で尖端が溶けていてもおかしくはない。それなのに、突き刺さった部分の鋭利さは失われていない。
「考えても仕方ないし、カミル、耳の切除を頼む」
適正試験では、討伐の証としてドムゴブリンの右耳の提出が求められている。根元から耳の先まで形の残っているものだけカウントされる。右耳の指定は、討伐数の誤魔化しを防ぐ為らしい。
うつ伏せで倒れているドムゴブリンの右耳の先を掴むと、冷たくなっているのが伝わってくる。氷に触れ続けているせいか、さっきまで生きていたと思えないほど体温が下がっている。根元に刀を当て、一気に斬り裂いた。斬り口から血が滴る。斬り取った右耳からも血が流れ出ているから、斬り口を下に向け、血が粗方抜けるのを待ち、小さな麻袋へと収納する。
もう一度、突き刺さった氷へと目を向ける。
本当にこれをやったのが俺だったら、魔法を解除すれば氷が消えるかもしれない。試しに水の元素に干渉し、霧散させてみた。
氷は蒸発するかのように、白い霧と化し大気へと消え去った。
「消えたな」
ニステルが呟く。
「抵抗なく元素に干渉できたから、俺が放った水刃が凍ったものだったみたい」
疑問は残るが、耳の回収と森からの脱出を優先するべきだ。
「次に行こうか」
リアの先導で残りのドムゴブリンの耳の回収へと向かった。
耳の回収を終え、丘の一画で腰を下ろして休んでいる。
「それで?ドムゴブリン五体と戦った私達が非常識ってのは何で?」
剣に付いた血を初級水属性魔法スプラで洗い落としながらニステルに問う。
「群れてるドムゴブリンは、戦闘中に仲間を呼びに行くんだ。戦闘に気を取られている隙にこっそりとな。だから、群れて行動するドムゴブリンを見たら、隠れてやり過ごすか森の外へと退避するのが一番なんだよ」
確かに、弓の個体を放置して戦っていたら、いつの間にか弓の個体が一体増えていた。
「奴らも常に群れているわけじゃない。狩りをする時だけ群れてるらしいぜ。で、今回の狩りの対象が二人だったってわけよ。ツイてなかったな」
ニステルから憐みの視線が向けられている。
「最悪なタイミングだったのか…」
自分の運の無さに項垂れた。顔面を斬られ、リアの目が潰れた姿を目の当たりにしたんだ。この上なく最悪な気分でしかない。
「対峙するなら、多くても自分達の人数と同数。それ以上なら戦闘は避けろ」
「私も考えが足りなかった。ゴブリンの亜種だから、そこまでの脅威とは思っていなかった。地の元素の影響を甘く見過ぎていたよ」
ニステルの表情が訝しげなものへと変わる。
「どうした?」
表情の変化に気付いたリアが問う。
「いや、アンタら王国に来たばかりだって言ってたけど、どこから来たのかと思っただけだ」
今の会話の流れで、何故そんなことを気にしたのだろうか?
「私達は、皇国の田舎の村から来たんだ」
リアがサラッと嘘をついたことに、カミルはリアの顔を見た。
帝国が滅びた。グラットルさんから仕入れた情報を元に、整合性を取ったのかもしれない。
ニステルは驚いた顔を浮かべると「ぴゅー」と短く口笛を鳴らす。視線がカミルに移る。
「その年齢で出稼ぎ……てわけでもねぇよな?何でわざわざ外国で冒険者になろうとしてるんだ?」
当然の疑問だろう。皇国で冒険者として活動した方が活動しやすい、そう思うのが普通だろう。
「私達は海に落ちてしまったんだ。流れ着いたのがアマツ平原。見知らぬ土地だから、一先ず近くの村や町を探していたら、王都にたどり着いたんだよ。で、旅費を稼ぐ為に冒険者になろうとしてるの」
事実に嘘を織り交ぜながら慣れたように話すリア。これも冒険者としてやっていくのに必要な技能なんだろうか?感情を表に出さず、嘘をつかなければならない状況なんて早々思い浮かばないが。
ニステルの憐みが強くなったような?
「アンタら苦労してんな……。海に落ちるわ、ドムゴブリンに殺されかけるわ」
「アマツ平原では怨竜にも襲われたんだけどね」
怨竜と戦って良く生き残れたものだと今でも思う。
「怨竜って…、アンタら本当にツイてないんだな……。でも、執念深い怨竜から逃げきれてるんだから、運が良いのか…?よくわからん」
腕組みをすると首を傾げている。
「いや、怨竜なら私達で倒したよ?」
ニステルの目が見開かれ驚いたと思ったら、すぐにけらけらと笑い出した。
「アンタらが怨竜を倒したって?ドムゴブリンに殺されかけてたのに?」
皮肉な笑いへと変わっていき「わかりやすい嘘なんてつくなよ」と一蹴された。
ニステルの言葉が面白くなかったのか、リアの表情が何とも言えないものに変わる。
「正確には王国兵が一人いたんだけどな」
「兵士といえ、一人増えただけで倒せるような相手じゃないだろ」
リアが徐に鞄の中へ手を突っ込むと、怨竜の鱗を取り出した。
「これが証拠だよ」
ニステルに鱗を翳すと、自慢げに見せびらかしている。
だが、ニステルは鱗を眺めると目を細め「それ、本当に怨竜の鱗なのか?」信じていないようだった。希少価値のある怨竜の鱗を見たことがなくても不思議ではない。実物を見せたとして、それが判断基準にはならない。
リアはむっとした表情を浮かべると、乱暴に鞄の中へと戻していく。「ふん」と鼻を鳴らし、腕組みをする。いつものリアなら何かしら言い返しそうだけど、命の恩人だからか不満顔ではあるものの言葉を飲み込んでいる。
リアの様子を脇目に話しを進める。
「信じる信じないは置いといて、国外から来る人ってそんなに珍しい?」
「んなことたぁねぇよ。皇国からも、合衆国からも来てるからな」
ニステルの目が鋭くなり、こちらを見据える。
「ただ、少なくとも、地の元素なんて言い回しをするヤツには出会ったことはない。そんな廃れた呼び方するってことは、相当山の中に村でもあるのか?」
帝国では一般的に使われていた地の元素という呼び方は、王国では使われていないらしい。
「そんなことはないけど…。王国ではなんて呼んでいるの?」
「黄の元素。それが王国…、いや、世界での共通の認識だろ」
黄の元素。聞き馴染みのない言葉だ。
「少なくともうちの地域だと地の元素と呼んでいた」
ぶっきら棒に放つリアの言葉に、ニステルが「そう呼んでいた時期は確かにあった」そう告げる。
「世界の理が書き換わった時期が二度ある。それはわかるな?」
知っていて当然。そんなニュアンスが含まれる言葉。残念ながら、世界の成り立ちの座学は深く理解はしていない。全容を学ぶ前に帝都へ向かうことになったのだから。
「一度目は竜の黄昏。竜の時代が終わり、精霊が世界の秩序を護る役割を果たし始めた時だろう?二度目は……、精霊の黄昏…か?」
リアの言葉の語尾が萎んでいく。精霊の黄昏。グラットルさんから得た知識から憶測で語ったのだろう。少なくとも、俺達はその事実を受け入れられていない。
ニステルが頷く。
「地の元素と呼ばれていたのは、精霊が世界の秩序を護っていた時代だ。1000年以上も前の呼び方が、アンタらの村だけ変わらなかった理由がわからない。精霊信仰が強かった王国ですら呼び名が変わったんだぜ?」
返す言葉など存在しなかった。
「因みに、他の元素の呼び方も変わってたりするの?」
「……もう少し歴史というものを学んだ方がいいぞ」
呆れ顔になったニステルがため息をつく。
「精霊時代に使われていた、火、水、風、地、光、闇は、それぞれが持つ色で呼ばれるようになったんだよ。赤、青、緑、黄、白、黒ってな。変わったって言うよりも、竜時代の呼び方に戻ったみたいなんだけどな」
正直、まったく知らない世界に迷い込んだ気分だ。生きていく為の常識が、別のものにすり替わってしまったような、そんな感覚。
リアも険しい表情を浮かべ、ニステルから語られる情報に耳を傾けている。
「まあ、俺も歴史に詳しいわけじゃねぇんだ。知りたかったら他を当たってくれ」
ニステルが徐ろに立ち上がった。
「日が暮れる前に帰りてーし、そろそろ薬草採取に向かうわ。じゃあな」
俺達に背を向け去っていく。
ふと、使わせてもらった回復薬の事を思い出した。
「あ、回復薬代どうすれば…」
振り返ることなく「暫く王都にいるんだろ?ギルドにでも渡しといてくれ」背中越しに言葉が返ってきた。右手を軽く上げ、別れの挨拶をしてくる。
「この恩はいずれ!」
小さくなっていくニステルの背中を見送った。
「やっぱり未来の世界、なんだね」
ニステルとの会話で感じたことをぼそりと呟く。
カミルの言葉を肯定するように、突風が起こり丘を彩る草花が揺れ動いた。
「王都って聞いた時は、帰るのに時間がかかりそうだと思ったけど、そんな生易しいものじゃなかったね……」
「時間を遡らないと…か。確かに突拍子もない帰還方法だな」
リアが空を見上げ遠い目をしている。その視線を追うように、カミルも空を見上げた。
穏やかな青空が広がっている。雲がゆったりと流れ、少し前まで決死の想いで戦っていたことが嘘のように感じられた。
「でも、まったく帰れないというわけでも無さそうなのが救いかな」
リアには帰る術の当てでもあるのだろうか?
「そんな方法なんてあるの?そもそも時を越える方法なんて思い浮かばないよ」
「時を越える術は存在する。私達が生き証人だろ?それに…」
リアの表情が僅かに険しくなった。
「サティエリュースってエルフが私達の時代にいただろ?精霊の刻印が解除される前の世界で、金髪長耳のエルフがいること自体が可笑しなことだったんだよ」
それは、グラットルさんの話を聞いた時から疑問に思っていた点だ。サティはどんな経緯であの姿になったのだろうか?
「これは私の憶測だけど…」
そう前置きをすると、リアがこちらへと顔を向けた。
「サティエリュースというエルフは、竜の黄昏以前のエルフか、精霊の黄昏以後のエルフ。そう考えるのが自然だろう。つまり、サティエリュースというエルフの存在も、時間を越える術が存在しているという証拠にならないか?」
青天の霹靂だった。言われてみればそうだ。日本で得たエルフ像そのままの姿で現れたサティを、俺は何の疑いも無く受け入れていた。グラットルさんから精霊の刻印の話を聞いても、サティという存在の違和感に気付けなかった。
時代にそぐわない存在。
リアの考えが正しいのなら、彼女もまた時を越え現れた存在なのかもしれない。
「そう考えると、一緒にいたシュティニーって男も怪しく思えてくる。サティエリュースという存在を受け入れ、一緒に暮らせるヤツだぞ?アイツもあの時代の人間じゃない可能性の方が高い」
考え込む表情を浮かべた。と思ったら「ああーっ!」と髪をかきむしっている。綺麗な髪がボサボサになり、まるで鳥の巣のようだ。
立ち上がると、リアの背後へと移動する。
「何を苛立っているかわかんないけど、王都に帰らないといけないんだよ?あーあ、髪の毛こんなにしちゃって」
リアが拗ねたように唇を尖らせる。
「時を越える方法を考えるのに、あのエルフの部屋の中の様子を思い出してたんだよ。なのにあのエルフの侮蔑したような顔が頭をチラつくから……」
「髪触るよ」一言声をかけ、手櫛で髪をある程度元の位置に戻していく。
「リア、櫛は?」
「ベルトにくっついてる鞄の中」
それだけ言うと、鞄の蓋を上へ持ち上げた。自分では髪を直す気がないらしい。
鞄の中を確認すると、手前に回復薬の空瓶があり、隙間にはハンカチが折りたたまれて入っている。奥に仕切りがあり、薄い物なら入れれそうな場所を見つける。そこに手を入れると、櫛が収まっていた。
櫛を取り出すと「櫛通すから頭動かさないでね」と髪をとかしていく。キューティクルが日差しを反射し、髪の毛の質の良さを訴えてくるようだ。
俺自身、女性の髪をとかすのは初めてだったけど、夢の中で一緒に過ごした彼は良く母親の髪をといていた。友達のいなかった彼は、家族と過ごす時間が多かった。必然的に家族とのスキンシップは多かったように思える。俺は生まれてから母親の髪などどかしたことがない。彼とは違い、そういった時間があるのなら、魔力制御の練習に割いていた。その辺は家庭環境の違いによるものなのかもしれないから特に気にしてはいない。親とどう接していようが、それは俺がどうこう言えるようなものじゃないのだから。
髪の収まりが良くなったところで手を止めた。やりすぎも髪へのダメージに繋がってしまうから、ほどほどがいい。
「ほら、終わったよ」
櫛に髪が付いていないか確認し、鞄の中へと戻した。
「ありがとう」
その場から立ち上がる。
「薬草を探して帰ろう。帰る方法を探す前に、リアの刻印を解かないと」
リアに手を差し伸べる。
上目遣いに見上げ、手を伸ばしてきたリアの手を掴み、引っ張り上げた。
「薬草採取はリアが頼りなんだから、さっさと終わらせよう」
苛ついてた表情が柔らかくなり「任せとけ」と力強く一歩を踏み出した。
「はい、確かに。適正試験、お疲れ様でした」
ティアニカさんが深く頭を下げた。
「組合カードの発行手続きを始めさせていただきます。準備をいたしますので、恐れ入りますが、腰をかけてお待ちください」
後方にある席を示され、事務処理が終わるのを待った。
薬草採取は、ドムゴブリンの討伐に比べると簡単な仕事だった。
というのも、リアが自生しやすい場所を知っていた。1000年経とうが薬草の生態系に変化がなかったようで、木々の塊の合間を探したらすぐに見つかった。街から離れた場所に自生していることが多く、他の依頼と合わせて受注されるらしい。数も集まりやすいことから、薬草採取だけで生計を立てるのは困難なようだ。
「ザイーツ洞穴は、また明日見に行こう」
「そっち方面の依頼が見つかれば、お金も稼げて一石二鳥なんだけどな」
俺達が第一に考えるべきは金策。これは揺るがない。お金が無ければ始まらない。ついでにザイーツ洞穴で採掘作業ができれば御の字だろう。
「ドムゴブリンに手痛い仕打ちを受けちまったから、気を取り直して挑まなきゃな」
今回の失態は、情報収集の怠り、ゴブリンの亜種だからという先入観、引き際を定めていなかった落ち度。一言でいってしまえば、急ぎ過ぎた。生活費がないから?リアの本来の姿を取り戻したいから?……どちらも違う。
帝国へ早く帰還したいから。
王国という異国の地な上に、そこが未来の世界とくれば焦りもする。気にしないように…、いや、気づかないフリをして、心の動揺を隠したに過ぎない。
焦らず一歩ずつか…。何かもどかしい。
「フィブロ様、クレスト様。受付までお越しください」
ティアニカさんに呼ばれ、受付まで移動する。
「お待たせしました。こちらのカードに登録いたします」
机の上には手の平に収まる大きさの真新しい真っ白なカード2枚が置かれていた。
「こちらの針で指先から血を一滴カードに垂らしていただけますか?」
指先サイズの蝋燭立てのような物がカードの横に差し出される。
「これって……、もしかして使い回しとかしてます?」
血を扱う物は正直怖い。血が怖いのではなく、血で汚れてしまった針が怖いのだ。この世界の医療事情や病気のことは詳しくないけど、血で感染する病気があった気がする。
「はい。使用したら都度回復魔法で清めています。他人の血が付いたものを使うのを嫌う人もおられますからね。中には自分の武器で指先を切られる方もいらっしゃいますよ」
ティアニカさんが困ったような笑みを浮かべている。
清めているなら大丈夫…なのか?さすがにこの刀で斬る方が怖い。血は拭き取っているとはいえ、魔族や魔物の血が付いているわけだし。
「気になるなら魔法を使えばいい」
リアがすっと人差し指を立てる。闇が指を覆い、果物ナイフくらいの闇の刃が現れた。
「あら、珍しいですね。黒の元素を扱えるなんて」
ティアニカさんが手で口を覆い驚いている。
「王国でも扱える人は少ないのか?」
「はい、私が知りうる限りではおりませんね」
リアが顎でクイッと闇の刃を示す。さっさとやれと言いたいらしい。
闇の刃の尖端に人差し指の腹を軽く押し付ける。チクッとした痛みが走ると、ぷくっと血が出てきた。
「カードに押し付け、魔力を流してください」
指示通りに行うと、カードが僅かに白く輝き、文字が浮かび上がってきた。登録ナンバーと名前、あとは冒険者のランクだろうか?ブロンズという表記がある。
「ありがとうございます。ギルドカードの登録は完了しました。ギルドカード提示の際は、魔力を流していただいて本人確認を行いますので魔力切れにはご注意ください」
どうやらこのギルドカードは魔具の一種で、外見は白いカードでしかない。血と魔力を登録することによって、魔力を流すと情報が浮かび上がる仕組みのようだ。登録した者以外の魔力を流しても、カードは反応を示さないらしい。他人に悪用されるのを防止する為と、個人情報の保護を目的とされていると説明された。
冒険者のランクは、初級冒険者のブロンズ、中堅冒険者のスチール、熟練冒険者のニグル、最高位冒険者のオミナの4つに分類されている。ランクの名前の由来は、鉱石の名前を流用しているようだ。
「依頼は左手側の掲示板に公開されております。よろしかったらご確認ください」
ティアニカさんに促され、掲示板へと移動した。
各ランクごとに分けられ貼り付けられる無数の羊皮紙。ブロンズの俺達が受けられる依頼は、薬草や鉱石などの素材となる物資の収集や街の清掃や補修作業が多い。実績を積み信頼を勝ち取らなければ、報酬の良い依頼を受けることはできない。
その中で異質な依頼があるのを見つけた。
『歴史的な遺跡の清掃、補修作業者募集』
王都から西に位置するアクツ村という場所での作業のようだ。歴史的な建築物を、初級冒険者なんかに依頼して良いものなんだろうか?という疑問はあるけど、報酬の額がブロンズの中では頭一つ抜けている。美味い話には裏がある。そんな言葉が頭を過ったけど、まずは生活費を確保しないといけない。怨竜の鱗で一時的に資金は潤いはしたが、油断することはできない。生活費+αは収入を得なければ、かつて帝国があった皇国と呼ばれる国に行くことはできない。そもそも皇国に行ったところで、帰れはしないのだが……。
「良い依頼に目を付けたな」
リアが横から覗き込んでいる。
「ブロンズでこの報酬、確実に訳アリな依頼だろう」
「そうなんだけど、目先の報酬には逆らえないよね。この依頼の受注で良い?」
「ああ、そのつもりだ。ほら、ここ見てみろ。馬車まで用意されてるみたいだし、移動に困ることもないだろうし」
リアに示されたのは、移動に関する項目。王都の西門に馬車を用意してある旨が記載されている。良く見れば明日の出発になっている。
「明日の出発か。これも何かの縁なのかもな」
リアが掲示板から羊皮紙をはがし取る。
受付にいるティアニカさんに依頼を受けることを申し出た。
ティアニカさんが難しい顔になった。
「確かに、報酬の良い依頼ではありますが……。お二人は国外からお出ででしたね。それならこの依頼を受ける気にもなるのも納得です」
含みのある物言いだ。
「やっぱり何かあるのか?」
リアが訝しげに問いただす。
「アクツ村は墓守の一族が遺跡を守っております。偏屈な人が多く、歓迎されるかはわかりませんがよろしかったですか?」
リアがこちらの様子を窺ってくる。
「俺なら気にしないよ。報酬がきっちり支払われるならね」
「そちらの心配はご無用です。一度たりとも支払いが滞ったことはございませんから」
少なくとも、幾度かは依頼がこなされているらしい。
リアが頷いた。
「その依頼で構わない」
ティアニカさんが深々とお辞儀をする。
「かしこまりました。では、明朝8時には王都西門で待機をお願いいたします。他に依頼を受注されている方もおりますので、乗り合わせで向かっていただくことになります。当ギルドは、冒険者同士のトラブルは関与いたしませんのでご注意ください」
注意事項を聞き、ギルドを後にした。
明朝、準備を済ませた俺達は王都の西門までやってきた。
冒険者人生初の依頼だ。気分が高揚しているのを感じる。
「今から意気込んでてどうするんだよ。アクツ村まで馬車で2〜3時間かかるってのに」
リアは呆れ気味だ。でもどこか視線が優しい気がする。冒険者としての第一歩を温かく見守ってれているようにも感じ取れる。
「最初くらい気合入れてもいいじゃない」
わいわいとやっていると、不意に声が掛けられた。
「あれ、アンタらも遺跡の清掃に行くのか?」
声がする方に視線を向ける。
そこにいたのは、昨日知り合ったばかりのニステルだった。
「『も』てことはニステルも行くんだ?」
「不人気な依頼だし、こなせば評価もされるからな」
「やっぱりこの依頼、何かあるんだ……」
「また情報を仕入れずに来たんかよ……」
ニステルにまた呆れられてしまった。
「今回は清掃と補修作業だろ?戦闘があるわけではあるまいし。……何か特別なことがあるのか?」
リアの問いに、ニステルがため息をつく。
「いいか、今から行くところは墓守の一族が守る遺跡だ。本来は一族だけでこなしていくのが彼らの誇りなんだよ。それができなくなっている事情がある」
一度言葉を切ったニステルの発言を待つ。
「あの村にはな……、死人が現れるって専らの噂なんだ」




