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ep.35 共に歩む者

 宿のオレンジの照明に照らされた食堂で、リアと食事が運ばれてくるのを待っている。

 仕事の後のメシは旨い。その意見には大いに賛同するが、今の俺はそれに当てはまらないらしい。何度も胃液が上がる思いをしたせいなのか、お腹が空いているのに食欲が全然湧いてこない。

 帰り道、晩飯を賭けてリアと駿動走駆(しゅんどうそうく)で宿まで競争したが、敢え無く敗北した。走る速度こそリアに張れるようになってきたけど、街を歩く人混みの挙動を読み最適な道の選定、王都の街並みの脳内マップの精度の差で遅れを取ってしまった。俺よりも街を歩いているリアの方に優位性があったけど、知らなかったから負けたと言うのは違うと思う。常に情報が与えられ、同じ条件で始められると思っているのは甘えだろう。常に周りの情報を集め、必要な時に自分の持っている情報を活用し、物事を優位に進めることは当然の行為だ。

「お待たせしました」

 店員がリアの前に、ごろっと具材が大きめに切られたシチュー、人参やキャベツの千切りの上にチキンのささ身が添えられたサラダ、王都特産のヨーグルト、ビールが所狭しと運ばれてきた。

 俺の前に運ばれたのは、白身魚のほぐした身を添えたお茶漬け、ゆで卵、アイスティー。何も食べない訳にはいかず、サラッと喉を通るものを注文した。

「そんだけで足りるのか?」

 男が食べる量としては少ないと思うけど、今の胃の調子を考えたら妥当な量だ。

「今はこれが精一杯。明日快復したら食べることにするよ」

 リアがけらけらと笑う。

「あれだけえずいてたらそうなるよな。私は存分にご馳走になるけど」

 スプーンに右手を伸ばし、シチューの器の中に沈めていく。人参とブロッコリーがスプーンの中に転げ落ち、それらをすくい上げていく。スプーンの背が軽く触れるところで一旦動きを止めると、スプーンを伝いすくいきれないスープがとろっと器の中へと戻っていく。持ち上げた時に落ちて飛び散らないようにしてから、ゆっくりと口に近づけていく。顔にかかる髪を左手で耳にかけ、落ちてこないように押さえる。スプーンに「ふぅー、ふぅー」と冷ましてから口の中へと消えていく。それでも熱かったのか、口を閉じきれずに、はふはふと空気に触れさせながら冷ましている。

 何だかその姿がおかしくて、思わず笑ってしまった。

「何やってんの?」

 やっとのことで飲み込んだリアがこちらを睨む。

「熱かっただけだろ。心配でもしたらどうだ?」

 心配よりも笑われたことに不満があるらしい。

「提供されたばかりのものが熱いのは当然でしょ?ましてやシチューなんだから、もっと注意すべきなの」

「う〜ん、美味い」

 俺の言葉は完全に流され、追加の一口を堪能していた。徐ろに傍らに置かれているビールへと手が伸びた。ゴクゴクと飲んでいく。

「ぷはぁ〜!なんで奢りのご飯ってこんなに美味いんだろうな」

 手を頬に添えると、幸せそうに顔をとろけさせている。豪快に煽ったせいで、泡が口の周りに着き白いヒゲのように見える。

 口を指差し「泡ついてるよ」と指摘すると、慌ててハンカチで拭いだした。

 それだけ美味しそうに食べてくれるなら、奢った甲斐があるってもんだ。

 頬張るリアの姿を見て、俺も胸の前で手を合わせ「いただきます」と食事を摂り始めた。


 光沢のない黒い茶碗に目を落とすと、中央にほぐした白身魚の身が添えられ、その周りには刻まれたわけぎ、その上からすりごま、刻み海苔が散らされている。

 一緒に運ばれてきた急須の蓋を外して見ると、カツオの香りに昆布の香りが僅かに混じったような匂いがする。お茶ではなく、出汁をかけて食べるのがこの食堂の味らしい。

 蓋を戻し急須を持ち上げる。茶碗の中を外側から内側に向かって渦を描くように出汁を注いでいく。立ち昇る湯気が出汁の良い匂いを運び、唾液の分泌を促してくる。

 急須から箸へと持ち替えると、茶碗を持ち上げる為に手を添えた。

「あっちぃ!?」

 反射的に手を離した。

 注いだ出汁の温度が茶碗に伝わったらしく、持ち上げるのは困難だった。

「はははははッ!」

 一部始終を見ていたリアが身を捩らせ笑っている。

「人のこと言えねーじゃねーか」

 さっきの仕返しとばかりに、やけに楽しそうだ。

「いやいや、リアのとは条件が違うだろ?こっちは器が熱くなってたんだし」

「でも結果は一緒だっただろう?なら大差ねーじゃん」

 シチューをすくい口へと運んだ。

「こっちはまだ食べてもないんだよ?」

 リアは満足そうに笑っている。シチューが美味しいからなのか、仕返しができた満足感からなのか……。たぶん、後者だろう。

「まあ、いいけどさ…」

「ほら、冷める前に食べないと勿体ないぞ」

 リアの顔を一瞥し、箸を茶碗の中へと入れた。

 今度は茶碗の口縁(こうえん)部を指の腹で動かないように固定する。持ち上げられないなら、持たずに食べるしかない。少し隙間を開けた箸をご飯の中に入れ持ち上げた。上手く箸の上に乗ってくれたみたいだ。出汁の絡んだご飯を、そっと落とさないように手を添えながら口へと運ぶ。

 美味い。

 出汁の香りが口の中に広がっていく。ほのかに香るすりごまの風味が良いアクセントになっていて心地良い。シャキシャキとしたわけぎと、もちっとしたご飯の食感が交互に押し寄せ、食べる者を飽きさせない。海苔がまた良い仕事をするんだよな。出汁を吸った海苔をご飯が纏い、磯の香りの旨味で良い味の変化を(もたら)してくれる。

 次に、このお茶漬けのメインであろう白身魚の身を口に入れた。脂が少なく淡泊だけど、うま味はしっかりとあり食べやすい。この白身魚は(たら)だろうか?ノーヒントで魚を当てれはしない。

 お茶漬けの温かさが、疲れた心を癒してくれる。今日の晩飯のチョイスは間違ってなかった。心が疲れた時こそ、シンプルで食べやすい食事に限る。


「明日は薬草の採集とドムゴブリンの討伐をこなすぞ。まだ仮登録の段階だからな。ギルドカードの発行がしてもらえないから、王都に戻るのにまた通行料が取られちまう。やるならまとめてやった方がいい」

 箸の動きを止め、視線をリアへと移す。

「また通行料を払うのか…」

「今は王都の通貨を持っているから、銀貨1枚ずつで通れはするけど、出費はなるべく抑えておきたい」

 出費を抑えるのは賛成だ。なるべく早く旅費を稼がないと帝都へ帰るのが遅くなる。グラットルさんの話では、帝国は滅んでいるらしいけど、自分の目で見るまでは信じることができない。

「了解。どっちの試験からこなすつもり?」

「戦闘をこなすドムゴブリンの討伐からが良い。やることが複数あるなら、戦闘が絡む方を優先しろ。疲労が溜まった状態で戦闘するのはなるべく避けた方がいい。冒険者をやっていくなら覚えておいた方が良いぞ」

 冒険者としての物の考え方を学べるのは本当に有り難い。学園を離れたことで学べることも多くある。

「命あっての物種だね。覚えておくよ」

 再び茶碗に手を伸ばすと、もう持てるくらいには冷めてきているのがわかった。茶碗を持ち上げ、お茶漬けを掻き込んでいく。口の中いっぱいに出汁の香りが溢れてくる。お茶漬けは矢張りこう食べるのが一番美味しいと思う。

 サラダを頬張っていたリアの手が止まる。

「時間に余裕がありそうなら、ザイーツ洞穴の下見もしておきたいんだが、いいか?」

 自分の問題に巻き込むのを躊躇っているのか?わざわざ聞かなくても一緒に行くってのに。

「問題ないよ。早くオミナ鉱石も見つけたいし」

 茶碗に残っているお茶漬けを一気に口へ掻き込んだ。

「カミルが探す必要はないさ。私の問題なわけだし、空いた時間は鍛錬に回すといいよ」

 まだ俺の事を蚊帳の外に置いておくつもりなのか?

 ジト目でリアを見つめ「リア…、俺は女の子一人に肉体労働させるほど腐ってないぞ?」不満を漏らす。

 リアはフッと短く笑う。

「女の子扱いしてくれるのは嬉しいけど、それを言えるだけの実力を伴わせてくれ」

 そう言うとリアは破顔した。

「こう言うのは心持ちが大事なの。察してよ」

「ははは」と楽しげに笑うと「頼りにしてるって。頼れる男性のカミル君っ♪」

 揶揄(からか)うようにウィンクを投げてくる。

「それ絶対に小馬鹿にしてるでしょ!?」

 けらけらと笑うリアは「してない、してない」とあしらってくる。

「ったく、調子の良い人…」

 その後も揶揄(からか)われながら食事を摂り、夜が更けていった。



 王都の南から東にかけて伸びるストラウス山脈。その麓に広がるククノチの森まで来ている。今回の目的はこの森を根城としているドムゴブリンの三体の討伐と、ククノチの森の手前に広がる丘に自生している薬草の採集にある。


 ゴブリン。体長2mほどの鬼と猿を足したような存在で、角を生やし、上側の犬歯が大きく伸び口の中に収まらない。身体の背面側は短い体毛に覆われ、表面は発達した筋肉が浮かび上がっている。猿のように足を曲げ、腰を落としたような体勢を良く取っているが、移動時は二足歩行を取る。

 ドムゴブリンは、地の元素の影響を大きく受けたゴブリンの亜種という話だ。体毛は退化し、筋肉の表面が岩のように硬化した存在。岩のような尻尾が特徴的らしい。


 鬱蒼と茂る森。射し込む光芒が幻想的な雰囲気を創り出している。人はあまり立ち入らないのか、整備された道が存在していない。あるのは人が通った道なのか、ゴブリンが通った道なのかわからない獣道のみ。小さな虫が飛び交い、人の領域ではないと訴えているようだ。

 獣道だろうが進む道があるなら通ろうとして、リアに肩を掴まれ後ろへと引っ張られた。

「うぉっ!?」

 バランスを崩しかけて、咄嗟に片足を後ろへと引いた。

「そこの道は通るな」

 身体を立て直し、リアの方へと向き直る。

「何で通ったら駄目なの?」

「ゴブリンは比較的頭が良い。組織だって動き、狡猾に攻めてくる」

 顎でクイッと獣道を示すと「カミルみたいに知識のない冒険者を待ち伏せしていることもあるんだよ」ゴブリンの習性の一つを教えてくれた。

「だから私達は道なき道を進む」

 リアの顔が少し上を向き、深く息を吸いこんだ。瞳を閉じ、森の中に意識を集中させている。

 俺はただその姿を見つめていた。時折吹く風が、銀髪をさらりと流し、踊らせている。

 エルフ族は視覚、聴覚、嗅覚が人族より優れている。敏感なその感覚を駆使して、森の中の様子を探っているようだ。

 リアの瞳が徐ろに開かれる。

「この付近には生き物の気配は感じ取れないな。中へ入ってみよう」

 リアの先導で森へと足を踏み入れた。

 垂れ下がる木の枝を手で避けながら、一歩一歩確実に進んで行く。境界線付近は雑草が生い茂り、腰の高さまで伸びている。この中にゴブリンが潜んでいたらひとたまりもない。

「ドムゴブリンと遭遇したら、必ず二人で狙いを一体に絞り、確実に倒していくぞ」

「リアはドムゴブリンとの戦闘経験あるの?」

「いや、帝国では見かけたことがない。だから、ギルドでもらった情報だけが頼りだ」

「慎重に行かないとだね」

 20mほど中に進んだところから、次第に雑草の背が低くなっていく。

「これもドムゴブリンが仕掛けた罠かもしれないな」

「雑草の背が縮んでいくだけなのに?」

「森の外から中の様子が見えにくくなってるでしょ?で、近くには人が通れそうな獣道。奇襲を仕掛けやすくなる条件は整っているんだよ。中は動きやすいように雑草を刈り、逃げ出す退路も周到に準備している。逃げ出した先には仲間が待ち伏せしている。そんなところだろう」

「ゴブリンってそんな知恵のある魔物なんだ…」

 何も知らずに獣道を進んでしまったら……と想像すると身体がブルっと震えた。

「で、でも…、今はいないんだよね?」

 恐る恐る訊ねてみると「気配は感じない」その一言に胸を撫で下ろした。

「人の出入りはそこまで無いようだし、定期的に見回っているのかも」

 更に中に進んで行く。

 森との境界線が遠のくほど、明るさが下がってきた。射し込む光はあれど、森の外からの光の量が明らかに減ってきた。それに伴って、足下の雑草の量が減ってきている。陽の光が当たり辛いのが影響しているのかもしれない。

 木に目をやれば、謎の黄色いキノコが生えている。森で見かけるキノコや木ノ実には、お腹が空いていようが手を出すのは控えるべきだろう。素人目では、それに毒が含まれているのかが判別できない。

 慎重に辺りを窺っているせいか、色々なものが目に入ってきて仕方がない。こんなことでは長い時間、森の中で活動することができなくなってしまう。

「気負い過ぎだ。そんなことではドムゴブリンを見つける前にへばるぞ?私の感覚を信じろ」

 リアが穏やかな笑みと優しい声音で心配してくれる。

「うん、いつも気にかけてくれてありがとう」

「ほら、一度深呼吸しなよ」

 リアに促され、深く呼吸をする。肺の中に少し湿った緑の匂いが入ってきた。何日もエジカロス大森林で過ごしたというのに、未だに森の中は苦手意識が強い。不慣れで必要以上に気負ってしまう。

 そう言えば、前に火属性魔法を使おうとして、リアに思いっきり蹴られたっけ。そんなに時間は経ってないというのに、懐かしさを覚える。

「うん、落ち着…うわッ!?」

 突然、視界が地面でいっぱいになった。どうやらリアに頭を押され、屈んだ姿勢になったようだ。

 一拍遅れて頭上にヒュンと風を切る音が響いた。

「どうやらドムゴブリンのお出ましのようだ」

 リアの手から解放され、恐る恐る顔を上げる。

 50mほど先に棍棒を持つ個体、短剣を持つ個体の二体。その奥に武器を持たない個体が一体。更にその奥にある木の上に弓を持った個体が一体。目視できるだけで四体いる。

「一旦木の裏に隠れるぞ、ついて来い」

 身体を低く保ちながら、脇にある木の裏へと移動した。

 リアが顔だけ覗かせ、ドムゴブリンの様子を確認している。

「ゆっくりこっちに向かって来ているな。地上にいる棍棒、素手、短剣の順で叩くぞ!木の上の弓はあと回しだ」

「わかった!」

 刀を抜き、中腰で待機する。

「私が先陣を切り注意を引き付ける。その隙に、カミル、お前が首を跳ねろ」

 リアは剣を抜くと「硬殻防壁(こうかくぼうへき)」で防御を固めた。

「いくぞ!」

 合図と共にリアが駆け出し、その後に続く。

 こちらの動きに気付いたドムゴブリンも動き出し、先陣を切ったリアに向かって走り出している。その頭上を矢が追い越し、リアに迫る。

 リアが左手を突き出すと、風が巻き起こる。視認こそできないが、おそらく矢に対して放ったのだろう。

 矢が唐突に向きを変える。リアの風とぶつかり、(やじり)が空を見上げた。風の勢いは収まらず、弓を持つ個体へと突き抜けた。矢を押し返す風も、より重いドムゴブリンを吹き飛ばすほどの威力はなかったらしい。木にしがみ付き、耐える仕草を取っただけだ。

 その間に地上のドムゴブリンとの距離が詰まる。

 リアが先頭を走る短剣の個体に向かって闇属性魔法を放った。闇は顔の前に霧のように現れ、瞬間的に視界を奪う。突然の暗闇に、走る速度が緩まった。

 短剣の個体だけ僅かに距離が開いた。その瞬間を見逃さず、リアが仕掛ける。

 剣を後方へと引き、棍棒の個体へと迫る。

 相手もリアの動きに気付き、棍棒を天高く振りかぶった。

 振り下ろされる棍棒に、下から上へと棍棒にぶつけるように剣を振るう。

 棍棒と剣がぶつかり合う、その瞬間にリアの身体が左へと押し流されていく。

 リアは自分の身体に突風をぶつけ、無理やり身体の位置、剣筋を意図的にずらしていく。

 振り下ろされた棍棒はリアの剣の上を掠め、空しく大地を叩く。

 左側へ回り込む形になったリアの剣が、棍棒の個体の脇腹を斬り裂き、赤い鮮血が周囲を汚す。身体が流されたリアは、左足で大地を踏みしめ身体の動きを止める為に踏ん張る。そのまま左足を軸にし、右足で斬りつけた脇腹に蹴りを入れる。

 グァッと低い濁声のような悲鳴を上げると、蹴られた反動でよろめく。思ったよりも身体が風に流されていたせいか、蹴り飛ばすまでには至らなかったようだ。それでも棍棒の重みに引っ張られたのか、盛大に地面に転がっていく。

 身体が流れたリアを追い、素手の個体が鋭い爪を武器に距離を詰めている。腕を引き、勢い良く鋭い爪が突き出された。

 まともな防御も回避も撮れないリアは「反射反動(はんしゃはんどう)」で反応速度を高め、右手を引き戻す。剣が迫る爪の前へと引き戻される。

 ガキィィンと甲高い音を響かせ、爪がリアの剣を押し進む。剣が鎧へとぶつかり、リアの身体は突き出された衝撃で地面へと転がり木の根元にぶつかり止まる。


 いつの間に放たれたのか、矢がリアに向かって飛んできている。

 一撃一撃はそこまで重いものじゃないけど、手数が多い!

 咄嗟に「スプラ!」でリアの身体の前に水壁を生み出し、迫る矢に備える。

 素手の個体がリアに追撃を加えるために迫っている。でも、リアはすでに体勢を立て直し始めている。俺が今やるべきことは、短剣の個体へ対処することだ。霧の闇を突き抜け、素手の個体の背後まで近寄っている。

衝撃波(しょうはざん)!」

 魔力の斬撃が短剣の個体に向かって突き進む。

 声に反応して、短剣の個体の顔がこちらへと向く。衝撃波(しょうはざん)に気づくと、後方へ飛び退き攻撃を回避した。

 こいつを引き離して、早くリアと素手の個体を倒さなければ…。


 バシャンッと張った水壁に矢が阻まれ、リアに届く事なく地に落ちた。

 素手の個体の動きは止まることはない。鋭い爪が振り上げられ、再びリア目掛けて振り下ろされた。

 半身を起こしたリアは、片膝を着きながら剣で迫る爪を受け止めた。ギロリと見据えるドムゴブリンと視線がぶつかる。その瞳には余裕が感じられた。口角がニィっと上り、いやらしい笑みがこぼれている。

 薄気味悪い笑みなんか浮かべやがって……!

 リアは瞳を閉じる。

 その瞬間、素手の個体の眼前に眩い光が輝いた。初級光属性魔法ルイズが一時的に視界を奪っていく。

 右横に一回転しながら転がり、爪を地面へと受け流すと、身体の捻りを利用して攻撃へと移る。

 此処なら弓矢に対して素手の個体の身体を盾にできる。やるなら今!

 剣に魔力を流し「宵刃(しょうじん)」を発動させる。藤色の霊気が刀身を纏っていく。

 視力を奪われた素手の個体は、両手を左右交互に振り回し、リアの接近を牽制している。その行動が仇となり、鋭いその爪が木の幹へと突き刺さり、身動きが取れなくなった。

 その隙をリアが見逃す筈もなく、剣を横一文字に振り抜いた。脇腹に触れると皮膚が裂け、肉を斬り裂く感触が手に伝わってくる。ゴンッと硬い物体に触れるも、剣は留まることなく腹部を断ち斬っていき、剣を()き止めようとする抵抗が無くなった。

 まずは一匹。そう確信した瞬間、リアの頭部に衝撃が走った。

「うぁ゙ッ!」

 短くか弱い声をあげる。

 最期の悪足掻きか、素手の個体の肘が側頭部に突き刺さったのだ。視力が回復したわけではない。そもそも、こちらに顔すら向けていない。痛みが走った方向に腕を動かしただけなのだろう。それがタイミング良く致命的な攻撃となったのだ。

 不意の衝撃にリアの身体は横倒しになり、地面へと激突する。

 素手の個体の胴体が、腕を動かした反動で左へと90度回転しながら、下半身の右側へとずり落ちていく。血が吹き出し、臓物を撒き散らし辺りを汚す。下半身も力無く崩れ落ち、素手の個体は絶命した。


 リアが倒れたのにカミルは気付かない。その姿を見る前に、短剣の個体へと距離を詰めていた。

 こいつに動かれたらリアが危ない。何とかリアから引き剥がす!

 短剣の個体が身体をぐるりと回転させ始めた。

 何か仕掛けてくる。警戒心を高め、動きを注視した。

 岩のような尻尾。

 事前にもらった情報を思い出し、咄嗟にバックステップで後方へと飛ぶ。

 ブゥンッ。先ほどまでいた場所に、岩の尻尾が唸る音を立てながら通過していく。

 あっぶね!?前情報が無かったら確実に吹き飛ばされてた…。

 入れ替わるように、棍棒の個体が前へ飛び出してきた。リアの蹴りをもらって、後方へよろけていたドムゴブリンが体勢を立て直してきたようだ。

 振りかぶる棍棒に、ただ後ろへと飛び退くことしかできない。

 数的不利か…。でも、これでリアから注意が逸れたはずだ。

 チラッとリアの方へと視線を向けると、起き上がる姿が目に入ってきた。

 何が起きた…?リアは無事なのか…?

 戦闘中に目の前の敵から視線を外し続けるという愚行を犯すと「前を見ろ!」リアから怒号が飛んできた。はっと視線を前に戻すと、すでに棍棒が振り下ろされ始めている。

 マズイ!?

硬殻防壁(こうかくぼうへき)!」

 魔力を全身に纏うと、地の元素で防御を固める。これだけでは防ぎきれない、直感的にそう思い、腕を胸の前でクロスさせながら更に後方へ飛び退いた。

 棍棒がクロスさせた腕の中へと振り下ろされる。ズゥンと両腕に重たい衝撃が伝わってくる。硬殻防壁(こうかくぼうへき)のおかげか、棍棒が当たったというのに痛みはない。だが、振り下ろされた勢いまでは防ぎようもなく、両腕は地面に向かって叩き降ろされた。

 カミルの胸元がガラ空きになった。

 後方にいる短剣の個体が短剣を振りかぶっている。距離が離れている為か、短剣を投擲してガラ空きの胸元に刺そうという魂胆らしい。

 ざわざわと木々がざわめき出した。周囲に風が吹き始め、次第に強くなってくる。これは明らかに人為的な風。その発生源は、間違いなくリアだ。


 頭に痛みが走ったと思ったら、地面に伏していた。

 意識が飛んだ…のか?ドムゴブリンはどうした!?

 両手を突き立て、上半身を起こす。周りを見渡すと、視界に入ってきたのは上下に真っ二つになったドムゴブリンだった。木を、草を鮮血で汚し、腸と思わしき長い臓器が転がっている。

 素手の個体は倒せたか。……カミルは!?無事なのか!?

 片膝を着きながら、物音がする方へと視線を投げる。カミルが心配そうにこちらを窺っているのが見えた。

 目の前に敵がいるのに何でこっちを見てやがる!?

「前を見ろ!」

 檄を飛ばし、何とか前を向いてくれた。けど、後方の短剣の個体が投擲しようと動いていた。

 魔力を鎧の下の宝石へと流す。

 間に合ってくれよ!

 中級風属性魔法フューエルが発動する。リアを中心点として風が渦を描き出し、中遠距離からの飛来物を阻害する風の盾が周囲に広がった。

 これなら投擲されようが、カミルに当たる可能性はグッと低くなるはず。弓の個体からの攻撃にも牽制でき、一石二鳥だ。

 バシャバシャと葉や枝がぶつかり合い、森が唸っている。この音を利用すれば、接近に気づかれずに背後を取れるかも知れない。剣を握り直し動く準備を始める。

駿動走駆(しゅんどうそうく)

 風の元素を足に纏わせると、屈むように低い姿勢のまま駆け出した。木で身体を隠しながら二体のドムゴブリンの背後へと急ぐ。


 横風が強くなり、短剣の個体が投擲を躊躇している。この風の中、投擲するのは馬鹿げている。知能が高いからこそ、無駄に考え動けない。その性質は人間に似たものがあるのかもしれない。今の俺にとっては有り難い行動だよ。目の前の棍棒の個体への対処に集中できる。

 振り下ろされた棍棒が持ち上がり、そのまま前へと突き出される。

 そうだよな。武器を持つと行動が単純化しちまうよな!

 左足を軸足にして右足を後方へ引き、身体を90度回転させる。

 棍棒が空振り、ドムゴブリンの身体が隙だらけになった。それでも目はしっかりと俺の姿を捉え続けている。俺の行動を予測し、生き残る為に全力を尽くすという必死さがその瞳にはあった。

 不意にドムゴブリンの口が動き、俺の顔目掛けて唾を吐き出した。

 あまりに突飛な行動に、咄嗟に後方へと飛んでしまった。相手の命を奪う千差一隅のチャンスを自ら棒に振ってしまったのだ。

 ドンッ。背中に衝撃が走る。その衝撃の正体をカミルは察した。

 木だ…。木にぶち当たってしまった……。

 後方に流れる感覚は消え去り、その代わりに真下へと落下していく。

 ドムゴブリンの瞳が不気味にギラついた。口角がつり上がり、運の無さを嘲笑っている。空振った棍棒が再び振りかぶられ、一歩踏み込んでくる。

 こうなっては一か八かギリギリで避けて、棍棒を木にぶち当たるしかない…!

 腰を少し落とし、いつでも足に力を入れれる準備をする。

 その瞬間、ドムゴブリンの手が動く。棍棒を持つ手とは反対の手が。

 腕を(しな)らせ、鋭い爪が右肩を切りつけた。

「ぐぁッ!?」

 凄まじい膂力に身体が浮き上り、吹き飛ばされ地面を転がっていく。

 すぐに立ち上がろうと半身を起こしたところで身体が硬直した。

 最悪だ…。

 有ろう事か、転がった先は短剣の個体の真ん前だ。

 死という恐怖の前に、身体がガタガタと震え出した。

 ドムゴブリンがいやらしく笑う。

 ゆっくりと、ゆっくりと近寄ってくる。まるで、怯える姿を楽しむように。

 ドムゴブリンの足が止まった。見上げれば、短剣を逆手に持ち替える姿が見える。


 震えよ止まれ…。

 止まってくれ……。

 今動かないと…、死んでしまうんだぞ…。


 奥歯をグッと噛み締める。力を込めすぎているのか、頭に血が登り頭痛を引き起こし始めている。

「うぉぉぉぉぉお!!」

 自分を奮い立たせるための魂の叫び。両手で上半身を持ち上げ、闘う意思を示した。

 見下ろすドムゴブリンの表情に変化はない。淡々と腕を振り上げ、振り下ろす。

 降下を始めた短剣が迫ってくる。


 そして、世界が鮮血に染まった。

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