ep.34 歪みの生まれた種族
一夜明け、早い時間帯にリアと二人で街を歩いている。お酒の手土産を持っていった方が話しがスムーズ、というティアニカさんの助言通り、お店の開店と共にお酒を仕入れに行ってきた。未成年の俺は、お酒にもたくさんの種類があることを知らず、お店に着いて興味深く覗いていたが、まったく味の想像がつかない。リアはある程度のお酒は飲んだことがあるみたいで、「酒好きなら多少きついのがいいだろう」と度数と呼ばれるアルコールの濃さを示す数値が高いものを選んでいた。リア曰く、外装はほぼ飾りで、重要なのは原材料や酒造がどこかとからしい。入れられている容器でも多少風味が変わるとかなんとか言われたが、飲んだことのない俺に言われても何が何やらわからない。数ある酒造から『オモイカネ』と呼ばれるところのお酒を購入している。
王都の南門の方へとやってくると、中央寄りとは違う匂いが漂っている。森の匂い。木々の香りが周囲に満ちている。中央から外れるほど、土地が安くなり住宅街を形成しているらしい。特に森に近い南門付近は、魔物やら虫やらの影響を受けやすく、より安い物件として知られているようだ。建物の造りはほぼ変わらないのに安いのであれば、住む人は多いだろう。
南門からほど近い一軒の平屋の前までやってきた。庭には家よりも高く伸びた一本の木が、平屋を覆うように成長している。日当たりは期待できないだろう。辛うじて窓には掛かっていないので、風だけなら取り入れることができそうだ。
購入したお酒をリアに手渡した。女性に荷物を持たせるのは憚られたので、家の前まで運ばせてもらった。そのままこちらから渡しても良かったが、男性から贈られるよりも、女性から贈られると思ってもらった方が体が良い。
コンコンコン
リアが扉をノックすると、中から「はぁーい」と少し間延びした中世的な声が聞こえてきた。暫くして扉が開かれる。
扉から顔だけ覗かせている。金髪碧眼で長い耳を持っている。エルフ族の男性――グラットル・イェル本人だと思われる。エルフの割りに、目尻の皺とほうれい線が目立ち始めている。見た目だけなら30歳ほどだろうか。長い年月を生きている、そんな雰囲気を感じることができた。
「グラットル・イェルさんのお宅で間違いありませんか?」
リアが問うと、グラットルの視線が上へ下へと移動していく。
「どちらだったかね?」
「リアスターナ・フィブロと申します。ギルドの受付をされているティアニカさんの紹介で、グラットルさんのところへ行けば、エルフ族の真実を教えていただけると伺ったのですが」
ティアニカさんから頂いた紹介状を手渡した。
その場で読み始め、「ほぅ」と興味深そうに唸った。リアの顔を見るなり「精霊の刻印を持つエルフってか」瞳に輝きを灯し、家の中に招き入れてくれた。
グラットルさんは長い金髪を無造作に頭の後ろでまとめたポニーテイル姿。濃紺色のチュニックを身に着けている。身長はリアと同じくらいだろうか。スラっと伸びた手足の細さと肌の白さがひ弱な印象を植え付けてくる。
室内は埃っぽくはあるが、日当たりの悪さにしては黴臭さは感じない。部屋の中央に10人ほどで囲えるテーブルがあり、本やら資料の紙が乱雑に置かれている。壁の一面には本棚が敷き詰められ、グラットルさんの財力を窺い知ることができる。その反面、生活感はまるで感じない。食器や衣服の類は見当たらず、酒の瓶があちらこちらに転がっている。どうやって生活しているのか謎でしかない。
「お酒が好きだとお聞きしました。『オモイカネ』のお酒をお持ちしましたのでお納めください」
綺麗に装飾されたお酒を手渡す。
「『オモイカネ』を選ぶとは、お前もいける口ってか?へへ、ありがてーなー」
グラットルさんの機嫌が露骨に良くなった。ティアニカさん様様だ。
「空いてる席に座りな。何が聞きたいかは紹介状で大方予想がつく」
リアはグラットルの正面に、俺はその横に腰をかけた。
「話しが早くて助かります。今までエルフというのは銀髪の姿の者しか見たことがありませんでした。ですが、王都に来て金髪碧眼の耳長姿がエルフの本当の姿という話を聞いたのです。では、私のような存在はエルフ…と呼べるのでしょうか……?」
リアが俯いてしまった。服の裾を震える両手で握り、不安な気持ちに耐えている。
「金髪だろうが銀髪だろうが、エルフには違いはないんだよ」
朗らかに微笑むと、優しい口調でリアに語り掛ける。
リアの顔がゆっくりと上がり、グラットルさんを見つめる。
「精霊の刻印の話しは聞いたか?」
左手首にある紋様に視線が落ちる。リアが左腕をグラットルさんの方へと差し出す。
「この紋様が精霊の刻印なのでしょうか?」
視線が紋様へと集まる。
リアの左手首にある紋様は、月下美人と呼ばれる花の形に近い2cmほどの模様が一つあり、花の模様から手首を一周するように§マークを45度右に傾けた模様が連続して刻まれている。
グラットルさんの瞳孔が開き、瞳に輝きが増す。
「ほう、こいつが紋様ってやつか!まさか実物を拝めるとはな!オレも見るのは初めてなんだが…、特に元素の反応は感じねーな?」
そわそわした様子で眺めるグラットルさんは、今にもリアの腕に触れてしまうのではないかと不安で仕方がない。胸の前で宙を漂う両手の指がピクピクと小刻みに動き、挙動には注意が必要かも知れない。
「グラットルさん?」
呼びかけると、指の動きが止まった。
ゴホンと咳払いを挟むと改めて口を開いた。
「精霊の刻印で間違いないと思う。オレも歴史書でしかその存在は知らなかったんだが、左右の手首付近に現れるってーとこは本当みたいだな」
グラットルさんの手が顎に添えられ、眉間に皺が寄っていく。
「だがな、なんで嬢ちゃんが未だにその姿をしてるのかがわからねえ。精霊の時代が終わった時に、エルフは本来の姿を取り戻したはずだぞ?」
まただ。また精霊の時代が終わったという話しが出てきた。ティアニカさんも同じようなことを言っていたし、何かがおかしい。
「1000年以上も前に精霊の時代は終わったんですっけ?」
「ああ、そうだ。1000年以上前の戦いの折に、精霊達は元素を統べる存在の座から降ろされたと記されている」
「それじゃ、今世界の元素はどんな存在が管理しているんです?」
「そいつは不明なんだよ」
「不明?」
「長い間研究されてきたが、結論は出ていないのが現状よ。昔は精霊を知覚できた人がいたから存在を確かめられたが、代替の存在を確認できた人がいねーんだよ。単純に人では知覚できない存在が管理しているのかもしれねーがな」
グラットルさんは嘘をついている素振りはない。歴史書にそう記されているなら、王都では精霊の時代が終わったと認識しているのか……?でも、王国は精霊信仰の国だったはず。どういうことだ……。
「王都では確かに紋様持ちのエルフを見ることはありませんでした。ですが、帝国では数多くの私と同じ姿をした同胞がおります。王国領のエルフだけが解呪されたのではないでしょうか?」
グラットルさんが怪訝な表情へと変わる。
「おい、何の冗談だ?そんなわけないだろ」
「事実ですよ。帝国では、私のような姿を持つものをエルフと呼んでいます」
「そうじゃない。なんでそこで帝国が出てくるんだよ」
リアの言っている意味がわからないって様子だ。
「私達は訳あって帝国から来ました。旅費が稼げたら王都を発ち、帝国へと帰還する予定なんです」
グラットルさんは目を瞬せ、おかしなものを見たとばかりに目が点になっている。
「どうかされました…?」
「どうもなにも…、帝国って国なんざ当に滅んだだろう。皇国に属してない国が帝国でも名乗ってるのか?」
言っている意味がわからない。
「おっしゃってる意味がわからないのですが…。帝国が滅んだ…?皇国?一体何の話しをされているのですか?」
グラットルさんは困惑した顔を浮かべチラッと視線を送ってくると、すぐさまリアへと視線を戻す。
「何って、そらぁ、帝国が辿った歴史だ。常識だろ?」
常識…?
リアと顔を見合わせるも、首を横に振る。
「いや、どうやら俺達は常識がなかったみたいです…。申し訳ありませんが、帝国が辿ったという歴史をお教え願いませんか?」
「あんたら…、もう少し教養を身に着けた方がいいぞ…」
呆れた顔をさせてしまった。それも仕方のないこと。帝国が滅んだなんて歴史はないはずだ。仮に、俺達が空間の穴に吸い込まれた後に爆発が起こり、帝都を吹き飛ばしたと仮定したしても、ザントガルツなり、アルフなりに首都を移動させることもできるはず。何よりも、たかが数日で王都にまでその情報が届き、市民が知っているのもおかしな話だ。歴史書にも記されていると言うし。
「帝国が栄えていたのはな、1000年以上前のことだ。精霊の時代が終わる少し前。人と人とが血で血を洗う戦いをしていたとされる時代でな、大いに元素が乱れたらしい。その頃から魔族が次第に増え始め、魔族を統率する者が現れた。魔族ってのは破壊衝動が強く、闘争心が激しい存在だ。誰かに付き従うなんて本来しないはずなんだ。そんなのを束ねる存在ってのが、どんな力を持っていたのか想像もできねーよ」
確かに、王国に飛ばされる前の帝国には、ゼーゼマンがハーバー先生の罪をでっち上げ、第二皇子に権力を持たせようとする目論見はあった。戦争が起きたとするなら、第二皇子が皇位を継承したということになる。
魔族を統率する存在にも心当たりはある。俺達が王国に飛ばされた原因を作った者の一人、オーウェンだったら納得がいく。
「人と人、人と魔族。戦火は此処、エンディス大陸全土を巻き込んだ。広がる戦いに世界は乱れ、嘆いた精霊様方が人の世に干渉してきたとされている。その結果、精霊の時代の終わりを招いてしまったようだな」
「人の争いが精霊を失う原因になったと…?」
「端的に言えばそうなる。まあ、直接的な原因はわかっていないけどな」
リアが左手首の紋様に触れる。
「精霊がいなくなったことで、エルフは本来の姿を取り戻した訳ですね」
「いや、それは違う」とグラットルさんが首を横に振る。
「精霊の刻印は、風の精霊が元素の乱れを正す為の力として、刻印に込められた元素を回収した結果に過ぎん」
リアの目が見開かれる。その瞳は煌めき、希望の光を宿しているかのようだ。
「それって、つまり…。精霊の刻印から風の元素を取り除くことが出来れば、私の姿も戻るってこと……?」
「そんなもん、やってみなきゃわからんよ。前例なんてありゃしないんだから」
グラットルさんの手が、傍らに置いた酒へと伸びた。まさか、今から飲むつもりなのだろうか?
「やれるのならやってみたいです」
自分の意思をはっきりと告げる。リアはエルフの真実を求めている。たとえそれで、自分の姿に変化が起きようともう迷わない。そう言われた気がした。
グラットルさんがリアを真剣に見つめる。リアというエルフを見定めているような、真っすぐな瞳だ。
「ま、やれんことはないっちゃないが」
視線が手元に降り、掴んだ酒の瓶を眺め始めた。
「それは条件によるよなぁ」
何を言わんとしているのか、彼の視線が物語っている。やってやるから酒を持ってこい、そう言いたいのだ。
「手持ちが心許ないので多少お時間をいただきますが、銘酒を御用意いたしたいと思っております」
グラットルさんの顔が上がり、露骨にニヤついている。
「そうかい?悪いね、催促したみたいで。でもな、本当にやってほしいことは別にあるんだよ」
リアが首を傾げる。首の動きに髪がさらりと流れた。
「何でしょうか?」
「王都から南西にあるザイーツ洞穴で一仕事頼みたい。本来ならギルドに依頼して手に入れるブツなんだが、都合良く来てくれたもんだ」
満面の笑みでこちらを見ている。
こちらとしては、この上なく最悪なタイミングでしかない。
「それで、何を取ってくれば?」
「ザイーツ洞穴は、黄の元素の影響を大きく受ける場所で、オミナという希少な鉱石が採れる場所でもある」
「そんなに貴重な鉱石が採れる場所、私達が立ち入る事ができるのでしょうか?国が管理していそうな場所そうですけど…」
リアが言ったことは尤もだ。希少な鉱石が採れる採掘場は国の財産。不特定多数の人間を立ち入らせるとは思えない。ましてや、王国民以外の俺達では近づくことすら困難かもしれない。
「それなら問題ない。何せ、オミナ鉱石は1ヶ月みっちり採掘しても、親指ほどの大きさの物が1個見つかるかどうかって代物だからな。採算が合わねーんで、一部の貴族が依頼を出す程度なんだわ」
あまりの難題に目を丸くした。
「ちょっと待ってください!1ヶ月に1個!?そんな代物おいそれと準備できませんよ!」
思わず叫ぶ俺の肩にリアの手が触れる。
リアの顔に視線を移すと、首を小さく左右に振っていた。
リアの顔がグラットルさんへと向く。
「希少な鉱石ですので、すぐに…とはいきませんが、それでもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わねーよ。気長に待ってるわ」
我慢できなくなったのか、返答しながら酒瓶の蓋を外し始めた。
その姿にリアが苦笑した。
「では、お酒の準備が出来たらまた伺いますね」
リアは席を立つと「いくよ」と帰るのを促してきた。
グラットルさんは酒瓶に直接口をつけ、すでに飲み始めていた。空いてる手を軽く上げ、了承の合図を送っている。
リアが玄関に向かい始めたから、グラットルさんに一礼で挨拶してリアの後を追った。
グラットルさんの家を後にし、一旦宿へと歩を進める。
「やっぱり俺達って、未来の世界…に飛ばされたってこと?」
1000年以上前に滅んだ帝国、精霊の時代の終焉。それらが示すことは、今いるこの世界が未来だということ。
「確証はないけど、金髪耳長エルフが二人いたことは事実だしな…。可能性で言えばありえる」
正直、信じ難い出来事だ。サティという前例もある。金髪耳長エルフがいるからといって、未来の世界と結び付けるのは早計だろう。
「俺達って、帝都に帰れるんでしょうか…」
不安から心の内が漏れる。一番の懸念はそこだろう。今までは、単純に帝都を目指せば帰れると思っていた。その前提が崩れかけている。言い様のない焦燥感に駆られ、脈打つ鼓動が高鳴った。
リアの足が止まる。その表情は引き締まり、瞳が力強く輝いていた。
「帰るんだよ。私達が居るべき場所に」
ゆっくりと歩き出す。その足取りは力強い。
「だから、まずは稼ぐよ。何をするにしてもお金が必要なんだから」
颯爽と横を通り過ぎるリアの姿は何とも逞しい。
俺はその背中を追いかけた。今はまだ頼りなくとも、いずれ肩を並べて歩けることを夢見て。
「自分の食い扶持は自分で稼がないとな」
宿の食堂で昼を済ませ、中央広場までやってきた。適性試験の一つ目の地下水道の掃除。まずはこの仕事をこなす。
中央広場の中心部は、広場全体を見渡せるように高台が存在する。高台の中央はくり貫かれ、緩やかな螺旋階段を登ると高台の上へとたどり着く。
街の様子を見ている人達の中で、螺旋階段を眺めているギルドの制服を着た穏やかな男性が立っていた。30歳後半ほどに見える職員で、苦労しているのか白髪が多く、茶色い髪がぼんやりとして見える。
リアが男性職員に声を掛ける。
「地下水道の掃除を受けた者です。よろしくお願いします」
職員はにこやかに「フィブロさんに、クレストさんですね」と確認を取ってくる。
何事も確認作業は大切である。思い込みで作業を行ってしまうと、後で取り返しのつかない事態に陥ってしまうこともある。特に人という存在は、自分の名前に執着があるものだ。名前を間違えられる、覚えられていないだけで人間関係が拗れることさえ起こり得る。親しくなりたいなら、相手の名前を言葉にして呼びかけろと言われるくらいだしね。
「はい、間違いありません」
「では、移動しながら作業の説明をさせていただきます。着いてきてください」
職員の先導で移動し始めた。
着いたのは王城から北西に位置する外壁のすぐそばだった。街を流れる川が外壁の外へと流れていく水路のすぐ脇だ。街と川には高低差が設けられており、自然発生する洪水に備えられている。街の地下を張り巡らせている水路の掃除が、俺達が与えられた仕事になる。生活排水が流される地下水路の臭いは、長時間作業するには不向きな場所だ。その為、1時間の作業の度に10分の休憩を取るように言い付けられた。
地下水路が造られた理由は、衛生的な街造りのため。生活排水は各地区の地下にある浄化設備へと流れ、環境に負荷のない質に戻した後に川へと合流させている。科学的な技術の進歩はない為、水の元素の結晶を媒介とした魔具が利用されているらしい。これは帝都でも取られている措置だと、後にリアの口から聞かされた。
今から向かうのが、その浄化設備のようだ。流された排水の中には小さなゴミが紛れて流れてくることがあり、溜まったゴミの回収と、ゴミをせき止める役割を果たすフィルターの交換、洗浄が主な作業内容だ。汚れ仕事の為、報酬の良い依頼らしいが、やりたがる人が少ないようだ。適性試験に組み込まれたのも、足りない人手を少しでも補うのが狙いらしい。
用意されたランタン型の魔具で照らしながら中へと進む。地下水路の入口を潜ると、淀んだ空気で溢れていた。たとえ水が浄化されているとはいえ、浄化前の臭いが流れ込んでいる。鼻を突く酸っぱい臭いと発酵した時の独特な臭いが混ざり、思わず顔を顰める。胃液が上がりそうになり、グッと唾を飲み込み誤魔化した。
「ひどい臭いだ…」
先導する職員が振り返り「慣れないとキツイものがありますよね」と苦笑している。
リアはハンカチで口と鼻を覆いながら眉を寄せている。
「ここである程度臭いに慣れて置くことをお勧めしますよ。浄化装置の方が臭いがキツイので」
職員の言葉に足取りが重くなる。
「体調が悪くなったらすぐに言ってくださいね。吐いてからでは目も当てられませんから」
「肝に銘じときます…」
臭いに耐え20分ほど地下水路を進むと、浄化装置が設置されている場所までたどり着いた。
浄化装置の規模は大きく、5段回に分け浄化されているようだ。構造自体は変わらないものの、水をせき止めることはせず、5個の浄化槽に順次に流していくことで、段階的に浄化を進めている。水の汚染は人体に影響を及ぼす為、かなり力を入れていることが窺える。
職員から作業用の防護服とゴム手袋を貸与され、ゴミの回収用の金属製のすくい網握った。
集めたゴミは、専用の水切り場がいくつかあり、設置されているフィルターの上にすくい上げるようだ。ある程度水が切れたら、ゴミを集め焼却施設送りにするという流れになる。水切りの場の水は、浄化装置の前に合流するように設計されているので、作業場に留まることはない。
常にゴミが流れてくるわけではなく、ある程度ゴミが溜まるまでは放っておいて、その間にフィルターの交換、清掃作業というのが全体の作業の流れだ。
「では、作業を開始してください」
職員の合図で溜まったゴミをすくい始めた。
と言っても、大きなゴミが流れてくるわけではないので、リアと一緒にゴミをすくうとすぐに終わってしまった。
交換するフィルターは一番最初に潜る浄化装置の前に間隔を開けて2箇所ある。交換の際に水をせき止めず、一時的に2枚のフィルターを挿し込んで作業を進める。浄化装置にゴミが流れていかないように、ゴミを回収しきってから交換する方のフィルターを回収する。それを洗い場まで持っていき、細かいゴミやヌメリを洗剤を使って取り除いていく。
「体力仕事かと思いきや、それ以上に精神やられるね…」
想像以上の強烈な臭いに愚痴をこぼす。確かにこれを長時間こなすことは難しい。
「根を上げるのはやっ!?」
「でもさ、リア。人によって耐えれる臭いに差があるみたいなんだけど、この酸っぱい臭い……俺は駄目みたいなんだ………」
なるべく臭いを吸わないように、浅い呼吸を口でしている。ちょっとした瞑想をしている気分だ。
「まだ作業を始めて15分くらいしか経ってないって。ほら、頑張って」
リアのその心遣いは有り難いけど、身体の拒絶反応がひどい。
「俺が職員さんのところへ駆け出したら、察してください…」
「無理だけはするなよ?」
心配そうに見守るリアに「善処します」と返すのがやっとだった。
無言で黙々と作業をし、何とか最初の休憩にこぎ着けた。
休憩所は地下の一室から地上へと伸びる梯子を登っていく必要があるようだ。長い梯子を登り切り外に出ると、そこはとある建物の屋上だった。臭いが漏れる可能性を考慮し、休憩所の出入口を高い位置に設置しているらしい。
淀んだ空気から解放されると、外の空気が心地良く、無駄に深呼吸を繰り返してしまう。
「よっぽど苦痛に耐えてたんだな」
リアがクスクスと笑っている。
「自分でもあの臭いがここまで駄目だとは思わなかったさ…」
すぅーっと息を大きく吸い、勢い良く吐き出す。
「澄んだ空気の有り難みが沁みる…」
「大袈裟な奴だな」
屋上に背を預け大の字に寝転がると「今まで生きてきて、ここまで空気の有り難みを感じたことがなかったからね。なんか、小さな幸せを見つけた気分だよ」身体を撫でるように吹き抜ける風が、憔悴しきった心に潤いを取り戻してくれる。
リアが横に腰を下ろし、両手を身体の後ろに持っていくと、腕を伸ばして身体を支え空を仰ぎ見た。さらさらと風に靡くボブカットの銀髪が、陽の光を浴びてキューティクルが光を反射し艶やかに輝いた。
精霊の刻印が消えたら、この綺麗な銀髪ともお別れか。そう思うと名残り惜しくなる。リアと出会って1ヶ月も経っていないというのに、何だかおかしな話だ。
視線に気づいたのか「何だジロジロ見て」と目を細め訝しげにこちらを軽く睨んでいるように見える。
「リアの銀髪、綺麗だなーって思ってさ」
リアの顔が得意げに変わると髪をかき上げた。その仕草は艶めかしさがあった。不意に女性の色気を感じてしまい、ドクンと心が跳ねた。
「手入れは怠らず入念にケアしてるからな」
毛先を指でくるくると触る。
「まさか、この銀髪とお別れする日が来るかも知れないなんて、考えもしなかったよ」
「名残り惜しい?」
首を傾げ「う〜ん」と悩む仕草を見せる。
「長年過ごしてきた姿だからね。やっぱり寂しい気持ちは強いかな。金髪が似合わなかったらどうしよう?とか考えちゃうし」
リアが俺を見下ろした。
「でも、本来の姿ってものがあるのなら、元に戻る方が自然なんだと思う。歪な存在を嫌う人もいるからね」
困ったような笑顔を浮かべている。
歪な存在を嫌う人、それはきっとサティのことだろう。リアのことを自称エルフと呼んでいたし。
「そういえばさ。金髪耳長エルフを夢で見たって言ってたでしょ?カミルが見た夢ってのは何だったの?」
はて?そんな話しをしただろうか?
「夢で見たのは日本って架空の国での出来事だよ。その世界にはエルフは存在してなかったんだけど、創作でエルフって種族を生み出して描かれていたんだ。その特徴が金髪長年エルフだったってだけかな」
「へぇ〜」と短く反応すると何かを考え込んでいる。
「それってさ、カミルの前世とかだったりしない?」
「え?」
その考え方は今までにした事がなかった。
「エルフが存在してなかったって言ったけど、ニホンってとこにはエルフが居なかっただけ何じゃないかな?だから外見的特徴だけが伝わってたとか」
思いも寄らないリアの考え方に、ただただ感心するばかりだ。色んな人に話してみるのも良いかも知れない。新しい着眼点がまだまだ出てくるかもしれない。
けど、前世というのは賛同できない意見なんだよな…。何せ、日本には魔法が存在していない。その影響なのか、科学という文明が発達していたのだから。
「面白い意見だね。でも夢の話しだから深く考えてもね?」
夢の話のことでリアの意見を否定するのは野暮ってもんだ。
「確かにな」
リアがスッと立ち上がった。
「そろそろ休憩も終わりだし、地獄の臭いの中へ戻るぞ」
リアの言葉に「はぁ……」とため息が出てしまう。
「気合入れて頑張りまーす」
身体を起こすと、リアと浄化設備へと戻っていった。
何度も胃液が上がってくるハプニングを乗り越え、地下水路の掃除を終えることができた。
「お疲れ様でした。慣れない作業で大変だったと思いますが、王都を回していくのに必要な仕事を体験できたと思います。ギルドには常に仕事の依頼を出してありますので、これに懲りずに参加していただけたら幸いです」
「相性の悪い臭いだったので…、次はないと思います……。」
終始穏やかだった職員さんが唯一残念そうな顔をした。
精神を削ってまでやる仕事ではないんですよ…。
「残念ですが、それも仕方ありませんね」
いつもの事なのか、勧誘はあっさりとしたものだった。
「ギルドには私から報告しておきます。残りの適性試験も頑張ってくださいね」
「「お世話になりました」」
何故かリアと声が重なった。
顔を見合わせると、どちらからともなく笑い合った。
「息がピッタリですね」と職員さんにも笑われ「お疲れ様でした」の言葉で地下水路の出入口から離れていく。
夕刻ともあり、帰宅する人の波が目立つ。俺達の周りには人が近寄ってこないのは、きっと臭いで察しているんだろう。
「帰ったらまずは何よりも洗濯と風呂だな」
「まったくの同意見。早くこの汚れと臭いから解放されたい」
3時間の作業ではあったが、衣服と髪の毛に臭いが移ってしまっている。この状態で人と話すのは憚られる。
「それじゃ、宿まで駿動走駆で競争しようぜ」
「成長した俺の姿を見せてあげますよ」
ちょっと強気な言葉を選んだ。何時まで後ろ姿を追っかけるだけでは肩を並べて歩けない。
「お?なら晩飯代でも賭けるか?」
「いいね!リアの奢り、楽しみだなー」
「何だ?もう勝つつもりでいるのかよ。まだまだカミルじゃ私には敵わないよ」
リアの表情は「生意気」とでも言いたげだ。
「やる前から心で負けてたら駄目でしょ?だから、今持てる全力で挑むよ」
「そうか」と楽しげだ。
「よし、準備はいいか?」
「いつでもこーい」
「せーの」
「「駿動走駆」」
武技を発動させ、街の中に二人は消えていった。




